2019.4.17(水)
「深田さん!
出ます!
出ます!」
痩せ男は、ビンビンとイカのように身を跳ねあげながら、絶頂を貪ってました。
姪は、白目を剥いた痩せ男から下りると……。
萎れた陰茎のゴムを、大事そうに抜きました。
精液の重さを量るみたいに、ぶらぶらと揺すります。
「出したねぇ。
こんな細い身体から、どうしてこんなに出るんだか」
「深田さん。
こいつ、ほんまに腎虚になりまっせ。
最近、ますます痩せて来ましたから。
牡丹灯籠でんがな」
「やめられないね。
死にたくなかったら、一生懸命食べることだ。
特に、タンパク質」
「精液製造機ですか」
姪は、ゴムの口を鼻下に翳しました。
「臭い……。
なんでこんなに臭いんだろ」
「シンナーやってるみたいでっせ」
「あんなのやるのはバカなんだよ。
自分の身体苛めて、どうするんだい。
苛めるのは、他人の身体。
その点、これは無毒だからね」
姪は突然、天を見あげると、その顔上にゴムを掲げます。
ゴムは、逆さにされてました。
ゴムの口から零れた精液が、姪の団子鼻に滴ります。
姪の苺鼻は、たちまち練乳がけとなりました。
「あぁ、臭さ」
言いながらもゴムを扱き、1滴残らず絞ります。
練乳は鼻裾を超え、捲れた唇に届きます。
流れこむ精液を、姪は啜りました。
「こいつの、甘いんだよ。
糖尿じゃないのかね」
「深田さん、1度でいいから、後ろからさせてもらえませんか」
「後ろって、尻の穴かい?」
「そうでなくて……。
バックって意味です」
「生意気だね。
使用人の分際で。
でも、尻の穴なら、生でもいいわけか。
それに、おまえのポークビッツなら、痛くもないだろ」
「失敬な!」
「間違いなく、わたしのうんこの方が太いからね」
「……。
想像できます」
出ます!
出ます!」
痩せ男は、ビンビンとイカのように身を跳ねあげながら、絶頂を貪ってました。
姪は、白目を剥いた痩せ男から下りると……。
萎れた陰茎のゴムを、大事そうに抜きました。
精液の重さを量るみたいに、ぶらぶらと揺すります。
「出したねぇ。
こんな細い身体から、どうしてこんなに出るんだか」
「深田さん。
こいつ、ほんまに腎虚になりまっせ。
最近、ますます痩せて来ましたから。
牡丹灯籠でんがな」
「やめられないね。
死にたくなかったら、一生懸命食べることだ。
特に、タンパク質」
「精液製造機ですか」
姪は、ゴムの口を鼻下に翳しました。
「臭い……。
なんでこんなに臭いんだろ」
「シンナーやってるみたいでっせ」
「あんなのやるのはバカなんだよ。
自分の身体苛めて、どうするんだい。
苛めるのは、他人の身体。
その点、これは無毒だからね」
姪は突然、天を見あげると、その顔上にゴムを掲げます。
ゴムは、逆さにされてました。
ゴムの口から零れた精液が、姪の団子鼻に滴ります。
姪の苺鼻は、たちまち練乳がけとなりました。
「あぁ、臭さ」
言いながらもゴムを扱き、1滴残らず絞ります。
練乳は鼻裾を超え、捲れた唇に届きます。
流れこむ精液を、姪は啜りました。
「こいつの、甘いんだよ。
糖尿じゃないのかね」
「深田さん、1度でいいから、後ろからさせてもらえませんか」
「後ろって、尻の穴かい?」
「そうでなくて……。
バックって意味です」
「生意気だね。
使用人の分際で。
でも、尻の穴なら、生でもいいわけか。
それに、おまえのポークビッツなら、痛くもないだろ」
「失敬な!」
「間違いなく、わたしのうんこの方が太いからね」
「……。
想像できます」
コメント一覧
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1. Mikiko- 2019/04/17 06:00
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今日は何の日
4月17日は、『職安記念日(ハローワークの日)』。
1947(昭和22)年4月17日(今から72年前)……。
それまでの職業紹介所が、「公共職業安定所」と名前を改めました。
ご存じのとおり現在は、「ハローワーク」という愛称で呼ばれてます。
「公共職業安定所」は、職業紹介、職業指導、失業保険の給付など……。
「職業安定法」の目的を達するための事業を無料で行う施設です。
上記の記述は、こちら(http://www.nnh.to/04/17.html)のページから転載させていただきました。
この記述でわかるとおり、名称が「ハローワーク」に変わったわけではありません。
正式名称は今も、「公共職業安定所」です。
略称は、言わずと知れた「職安」。
「ハローワーク」は愛称です。
この愛称が用いられるようになったのは、1990(平成2)年。
バブルの真っ盛りですよね。
求職者より、求人の方がずっと多かったと思います。
求職者様が来られるところが、「職安」なんかじゃ怪しからん。
ぜひ、しゃれた名前にしようというわけでしょうか。
なお、「ハローワーク」は、公募で決まったそうです。
似た名称がありますよね。
NTTの「ハローページ」。
電話帳の愛称です。
これがいつ決まったのかと云うと……。
1983(昭和58)年。
どうも、「ハローワーク」は、このパクリとは云いませんが……。
大いなる影響を受けたネーミングに思えます。
さて、わたしと職安です。
わたしは、今の会社は、8つめです。
でも、東京にいたときは、ハローワークに行った覚えがありません。
みんな求人誌でした。
新潟に帰って初めて行きました。
失業保険をもらったのは、今の会社に入る前だけですね。
続きは次のコメントで。
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2. Mikiko- 2019/04/17 06:00
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今日は何の日(つづき)
実は、東京から新潟に引きあげてくるとき……。
大失敗をやらかしました。
引っ越し荷物の整理で、不要品を処分したのですが……。
離職票も一緒に捨ててしまってたのです。
新潟に帰ってから気づきましたが……。
前の会社に連絡して再発行してもらうのも億劫でした。
あんまり円満な辞め方じゃなかったので。
そのときは、すぐに再就職先が見つかり……。
どうせ、失業給付は受けられなかったので問題ありませんでした。
でも、雇用保険料だけ払い続けて……。
1度も貰えないのはもったいないです。
というわけで、前の会社を辞めたときは……。
わざと求職活動をせず、失業保険を貰い続けました。
求職活動をしないというのは、あくまで心構えで……。
実際は、活動をしてる実績を示さなければ、失業保険はもらえません。
わたしのころは、ハローワークのパソコンで、求人を索するだけで……。
「活動」のポイントがもらえました。
いくつかポイントをためれば、次の給付が受けられたんだと思います。
あと、受かりっこない入社試験を受けるとか。
公務員の臨時職員の応募者数はスゴかったですね。
受験者は大きな会場に一杯で……。
大学入試みたいでした。
募集は1人ですから、逆立ちしても受かりません。
今の会社は、失業給付が切れてから就職活動をしました。
幸い、すぐに見つかり……。
そのまま12年勤めてます。
わたしの人生で、一番長く勤めてる会社になりました。
潰れない限り、たぶんここで勤めあげるんじゃないでしょうか。
不満がないわけではありませんが……。
身の丈にはあってると思います。
なにより、残業をしなくていいのが最高です。
有給休暇も、半分くらいは取れますし。