2019.4.7(日)
単なる飾りなら、木製でいいわけです。
軽いですし。
でも、石製だったのは……。
防具として、槍や剣を防ぐためのものだったからじゃないですか。
如何?
しかし、ネットを探しても……。
この「鍬形石」を装着した画像が、ひとつもないんですよ。
誰もわからないってことなんですかね?
↓カッパの頭の皿でしょうか?
↑「み」
↓「2」ですから、「車輪石」ですね。
↑「み」
もちろん、実際に車輪として使われたわけではありません。
車輪に形状が似た石ということです。
「鍬形石」も、形状からの命名です。
用途を確定できないので、形状から名前を付けてるのでしょう。
仕方のないことではあります。
しかし、「車輪石」は、用途が特定されてるようです。
腕飾りとのことです。
放射状の模様から、貝を加工したものに見えますが……。
「石」というとおり、碧玉(へきぎょく)製だそうです。
↑島根県松江市玉湯町玉造産出の碧玉。碧玉とは不純な石英で、色は赤や緑があるそうです。
「車輪石」の放射状の刻みは、「貝輪」を模したものだとか。
↑縄文中期の「貝輪」。
つまり、元々は貝で造られてたものが……。
石製に変わったということなのでしょう。
用途がはっきりわかったのは……。
埋葬人骨の腕にはめられた状態で出土するからだとか。
これを造るには、貝を加工した方が、遙かにたやすいです。
石にわざわざ、貝を模した刻みを入れるのは、容易なことではないでしょう。
これは、埋葬された人物が、いかに重要な人だったかを表現するものではないでしょうか。
簡単には造れないものをあえて造って、埋葬したのです。
家族愛とか、そういうことじゃないですね。
権力者など、ステータスの表現なのでしょう。
あと、生きてる人が、この「車輪石」を腕飾りとするのは考えにくいです。
邪魔ですよ。
腕の何処につけたんでしょう?
拳を通すわけですから、手首ならブラブラします。
二の腕まで引きあげたら、明らかに身体にあたりますよね。
これを邪魔と感じないのは、死者だけです。
死者だけが着けた飾りじゃないですか。
軽いですし。
でも、石製だったのは……。
防具として、槍や剣を防ぐためのものだったからじゃないですか。
如何?
しかし、ネットを探しても……。
この「鍬形石」を装着した画像が、ひとつもないんですよ。
誰もわからないってことなんですかね?
↓カッパの頭の皿でしょうか?
↑「み」
↓「2」ですから、「車輪石」ですね。
↑「み」
もちろん、実際に車輪として使われたわけではありません。
車輪に形状が似た石ということです。
「鍬形石」も、形状からの命名です。
用途を確定できないので、形状から名前を付けてるのでしょう。
仕方のないことではあります。
しかし、「車輪石」は、用途が特定されてるようです。
腕飾りとのことです。
放射状の模様から、貝を加工したものに見えますが……。
「石」というとおり、碧玉(へきぎょく)製だそうです。
↑島根県松江市玉湯町玉造産出の碧玉。碧玉とは不純な石英で、色は赤や緑があるそうです。
「車輪石」の放射状の刻みは、「貝輪」を模したものだとか。
↑縄文中期の「貝輪」。
つまり、元々は貝で造られてたものが……。
石製に変わったということなのでしょう。
用途がはっきりわかったのは……。
埋葬人骨の腕にはめられた状態で出土するからだとか。
これを造るには、貝を加工した方が、遙かにたやすいです。
石にわざわざ、貝を模した刻みを入れるのは、容易なことではないでしょう。
これは、埋葬された人物が、いかに重要な人だったかを表現するものではないでしょうか。
簡単には造れないものをあえて造って、埋葬したのです。
家族愛とか、そういうことじゃないですね。
権力者など、ステータスの表現なのでしょう。
あと、生きてる人が、この「車輪石」を腕飾りとするのは考えにくいです。
邪魔ですよ。
腕の何処につけたんでしょう?
拳を通すわけですから、手首ならブラブラします。
二の腕まで引きあげたら、明らかに身体にあたりますよね。
これを邪魔と感じないのは、死者だけです。
死者だけが着けた飾りじゃないですか。
コメント一覧
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1. Mikiko- 2019/04/07 07:39
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わたしの耳は貝の殻
貝殻をネタにコメントを考え……。
唯一浮かんだ詩が、表題の「わたしの耳は貝の殻」で始まる詩でした。
これに続くフレーズは……。
「海の響を懐かしむ」。
+++
Mon oreille est un coquillage qui aime le bruit de la mer.
私の耳は貝の殻 海の響きを懐かしむ
+++
この後の展開がどうだったか記憶になかったので探したところ……。
続くフレーズはありませんでした。
これだけの詩です。
思いつきだけから閃いた1行詩でしょうね。
でも、上手い詩ではあります。
耳のヒダヒダは、なんだか貝の裏側みたいな感じですし。
ところで、あの耳の襞って、何のためにあるんですかね?
調べてみたら……。
どうやら、音の聞こえて来る方向を特定してるとのこと。
ま、誰も疑念を持たない回答ではあります。
でも、わたしはもうひとつ役割があるんじゃないかと思います。
耳を構造物として、自立させる役割。
襞々がないと、だらっと垂れちゃいませんか。
と思って、自分の耳を触ってみたら……。
どうやら、襞はなくても、自立できる硬度はあるようです。
残念。
ちなみに、「わたしの耳は……」の詩の作者は、ジャン・コクトー。
聞いたことはあります。
1889(明治22)年7月5日~1963(昭和38)年10月11日(74歳没)。
詩人、小説家、劇作家、評論家として著名であるだけでなく……。
画家、映画監督、脚本家としての活動も行っており、その多彩さから「芸術のデパート」とまで呼ばれたそうです(Wikiより)。
続きは次のコメントで。
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2. Mikiko- 2019/04/07 07:39
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わたしの耳は貝の殻(つづき)
訳詞者は、堀口大學。
1892(明治25)年1月8日~1981(昭和56)年3月15日(89歳没)。
ほぼ同年代ですね。
なお、「大學」は本名です。
出生当時に父が大学生だったことと、出生地が東京帝国大学の近所であることに由来するとか(Wikiより)。
ものスゴい名前を付けたものです。
もっとも、父である堀口九萬一(くまいち)は、大変な秀才で……。
東京帝国大学法科大学(現・東大法学部)に最優秀の成績で入学したそうですから。
自信満々の人生だったのでしょう。
大學が生まれたのは東京ですが、父の出身地である新潟県長岡市で育ちました。
新潟県立長岡中学校(現・県立長岡高校)を経て、慶應義塾大学文学部予科に入学(後に中退)。
実は、堀口大學作詞の校歌を持つ学校、新潟県にはやたらにあるんです。
↓リストを作られた方がおられます(脱帽)。
https://blogs.yahoo.co.jp/rekitomo2000/65796366.html
しかし、大學。
どんなイメージを保って、「私の耳は貝の殻 海の響きを懐かしむ」というフレーズに訳したのでしょう。
大學が育った長岡市は、今でこそ合併で海に面する地域も出来ましたが……。
元々は、雪深い内陸の、海とは無縁の土地です。
ちなみにわたしは泳げないので……。
海には恐怖しか感じません。
波打ち際で戯れるなんて、とうていできません。
でっかい波が来たら、イチコロですよ。
そういえば、カップルで、波打ち際を走ってるシーン、ありますよね。
女性は、サンダルを手に持って、裸足で走ったりしてます。
わたしは、厳しく問いたい。
ストッキングは、いつ脱いだんだと。