2019.3.23(土)
↓こちらは、根付だと思います。

↑「み」
これを、煙草入れや矢立の先に紐で付け……。
着物の帯に挟むわけです。
根付がストッパーになって、帯から落ちません。

↑帯の上に見えてるのが根付です。
こういのを収集する趣味に嵌まったら、際限がないでしょうね。

↑象牙の根付は、今はもう作れないわけです。
海外でも人気が高いようです。
こんな小さな道具ですが……。
家1軒分の値段が付くこともあるとか。

↑5㎝ほどの大きさの象牙の獅子。2011年、ロンドンのオークションで、3,400万円で落札されたそうです。
わたしには、何かを収集する趣味は一切ありません。
身の回りのものでも、高級品を身に付けたことはないです。
この旅行に持って行った一番高いものは……。
リュックですかね。
1万円。
といっても、自腹で払ったわけではありません。
会社から、10年勤続のお祝いに、1万円のカタログギフトをもらったんです。
5年勤続で5千円のときは、日本酒セットに交換しました。
こういうのは、記念品的なものより、消え物に変えた方がいいと思ったので。
1万円も、当初はお酒にしようかとも思ったのですが……。
気が変わり、リュックを新調したのです。
腕時計は、千円くらいです。
どこかに忘れても惜しくはありません。
電池が切れたら買い換えます。
靴は、6千円程度のウォーキングシューズでした。
もちろん、新品を下ろして履いてくるようなバカな真似はしません。
でも、長時間歩いたことはなかった靴でした。
この日、歩き回った後、ちょっと窮屈感を感じました。
足がむくんだのかも知れません。
で、DCカードのポイントを楽天ポイントに換えて……。
楽天で、新しいスニーカーを買いました。
ものすごく軽いです。
片足、180g。
ただ、軽い分、布地がメッシュです。
防水性、ゼロ。
梅雨時の旅行に履いていくか、考え中。
あと、少し靴擦れします。
擦れる場所は一定なので、↓事前に絆創膏を貼るつもりですが。
また、何の話をしてるのかわからなくなりました。
要は、身の回りに高級品は身に付けてないということです。
カメラも中古で、8千円くらいでした。
あ、リュックの中のパソコンが高いですね。
中古でしたが、3万円くらいしたと思います。
それでも、全身で5万円程度ですか。
高いものを持ってると、気になってしょうがないと思うんですけどね。
ブランドバッグとか。
わたしだったら、両手で胸に抱えてると思います。

挙動不審すぎますよね。
↓『草刈帰途』という絵。

↑「み」
葛飾北斎の版画です。
基本、この系統の絵には興味が湧きません。
↓昔の着物です。

↑「み」
どーも、ピンボケの写真ばかりで張り合いがないです。
ま、わたし自身、着物にはまったく興味がないので仕方ないですね。
そういえば、先日、お葬式に出て来ました。
参列者には、かなり高齢のご婦人も多かったです。
でも、和装の喪服を着てた人は、一人もいませんでした。

↑見栄えは、洋装より遥かにいいと思うのですが。
冬の新潟は足下が悪いからですかね。
ひょっとしたらもう、誰も着る人はいないのかも知れません。
展示室では、ほかの着物も撮ってたのですが……。
悲しいほどピンボケだったので割愛します。
↓廊下です。

↑「み」
こういうところは、ボケずに撮れるんですよね。
↓廊下の隅の黒電話。

↑「み」
使われてるものかと思いましたが……。
↓近づいてみると、こんな表示が。

↑「み」
「お手を触れない」で、電話することはできませんから……。
展示品ですね。
この廊下自体が、何かの展示だったんですかね?
今となっては、確かめるすべもありません。
↓廊下の全貌。

↑「み」
テーブルと云い、ソファーと云い、シンプルの極みです。
ここに座って寛ぐことを許さない造りですね。
「すぐさま帰れ」的な無言の圧力を感じます。
↓なんでしょう?

↑「み」
似たものを撮った気がします。
そう。
前日行った『下町風俗資料館』。
↓これです。

↑「み」
五右衛門風呂でした。
しかし、本日のはちと、違いますね。
説明書きを撮ってませんでした。
責任を感じ、ネット検索したところ……。
茶の湯に使う茶釜でした。
でも、茶釜部分は上半分。
下は、風炉(ふろ)と呼ばれ、ここで火を炊くようです。
↓この商品では、分かれ目がよくわかります。

↑通販で売ってました。18万2千円!
五右衛門風呂と、仕組みは一緒ですよね。
しかし、なんだか土偶みたいなフォルムでもあります。
↓また階段を撮ってます。

↑「み」
やはり、骨董品より、建築の方に興味があったようです。
↓休憩所でしょうか?

↑「み」
さっきのソファーと云い、わざと寛げない造りにしてるとしか思えません。
「ナントカ調」とかのトレンドですかね?
日本の博物館なんだから、いっそ畳敷きにすればいいのにね。
こたつとか。

↑寛げすぎか。
↓なんでしょう?

↑「み」
展示品ではないようです。
地震計みたいにも見えます。

↑地震計は、横でしたね。
右側のロールに、インクの付いた針で記録を取る仕組みみたいです。
黄色いテープを拡大してましたが……。
↓「触るな」と書いてあるだけでした。

↑「み」
こんなオープンな場所に地震計は置かないでしょう。
調べてみたら、どうやら「自記温湿度記録計」という機械のようです。
↓針が2本あるのは、温度と湿度の記録用なんですね。

↑「み」
↓なんと、普通に売ってました。
そんなに需要があるとは思えませんが。
受注生産なんですかね。
でも、『楽天市場』で売ってるんだから、ある程度の在庫はあるのでしょう。
美術館の新設などで大量に必要になるときは、事前に納期を打ち合わせした方がいいと思います。
いらん老婆心でしょうけど。
もう外に出てます。
本館前のユリノキです。

↑「み」。
本館の展示物が、あれだけだったわけはありません。
おそらく、あんまり興味が無かったのでしょう。
正直、『国立科学博物館』の方が、ずっと面白かったです。
↓ユリノキの幹。

↑「み」。
幹周は、5.9メートル。
直径は、円周率で割ればいいですから、約1.9メートルになります。
年金暮らしになったら、元気なうちに巨木を巡る旅がしたいです。

↑鹿児島県姶良市『蒲生八幡神社』にあるクスノキ。幹周は24.2メートル(直径7.7メートル)。樹齢1,500年。化け物です。
でも、たぶん無理でしょうね。
わたしの年金では、食べていくだけでやっとでしょうから。
↓これは、『表慶館』という建物。

↑「み」
明治33(1900)年、当時の皇太子(後の大正天皇)のご成婚を記念して計画されたそうです。

↑大正天皇。47歳で崩御。大正時代は15年しかありませんでした。
明治42(1909)年に開館した、日本ではじめての本格的な美術館とのこと。
設計は、ジョサイア・コンドル(1852~1920)の弟子で……。

↑ジョサイア・コンドルの代表作のひとつ、お茶の水の『ニコライ堂(日本最大の正教会の大聖堂)』。
東宮御所(現・迎賓館)なども手がけた宮廷建築家の片山東熊。
『表慶館』は、明治末期の洋風建築を代表する建物として……。
昭和53(1978)年、重要文化財に指定されたそうです。
残念ながら、現在は中に入れなかったと思います。
写真が無いので。
入れたら、いちおう入ってたはずです。
↓立派なライオンです。

↑「み」
口を開いてますね。
ひょっとしたらと思い、もう一方の像を確かめてみました。
↓やっぱり、口を閉じてました。

↑「み」
ちゃんと、阿吽(あうん)になってるわけです。

西欧でも、こうなんですかね?
↓説明書きも撮ってましたね。

↑「み」。やっぱり、戸外ではピンボケしてません。
↓なぜだか案内板も撮影。

↑「み」。撮った意図は不明です。
↓謎の1枚。

↑「み」
シャッターが落ちてしまったんでしょうか。
写ってるのは、雨水を流す排水溝だと思います。
なんでこんなのが要るんですかね?
無くても、土に染みこむはずです。
むしろ、樹木にとっては、その方がいいのでは?
↓地味な花が咲いた木。

↑「み」
何だかわかりません。
↓樹名板を撮ってました。

↑「み」
モッコクです。
常緑広葉樹で、庭木などに使われます。
高級木です。
庭の主木として使われます。

↑作りすぎない、見事な剪定です。
成長が遅いので、大きな木は値段が高いんです。
でも逆に、急成長しないので、庭木としては最適です。
↓これは、クチナシ。

↑「み」
なぜだか最近のクチナシは、香りが薄いように思えます。
↓森鴎外のパネルがありました。

↑「み」
↓とのことです。

↑「み」
↓一瞬、ベートーベンかと思いました。

↑「み」
↓クリックすると、大きな画像が見られます。

↑「み」
↓もう10日もすれば、これが見られたんです。

↑「み」
でも、そうとうに混んだみたいです。
逆に、空いてる時に来れて良かったと思ってます。
ポスターにあるとおり、ここは『平成館』です。
『平成館』は、皇太子殿下のご成婚を記念し……。
その名のとおり、平成11年(1999)年に開館しました。

↑建物の記憶はありません。新しい建物だったからかな。
1階は考古展示室、2階は特別展専用の展示室。
なのでこの日は、1階だけの観覧です。
↓埴輪です。

↑「み」
例によってピンボケです。
出土したのは、群馬県伊勢崎市。
もちろん、『伊勢佐木町ブルース』とは関係ありません。
↑青江三奈さんは、ほんとに上手いです。
伊勢佐木町は、横浜市にある地名ですから。
伊勢崎市が、どこらへんにある市なのか調べたところ……。
↓前橋市の南でした。

人口は、21万人。
大きな都市です。
前橋市が、33万人。
合併すると、54万人。
政令指定都市には、ちょっと足りません。
前橋市は、高崎市と隣接してます。
高崎市は、37万人。
3市が合併すれば、91万人。
立派な政令指定都市になれます。

ま、北関東は、気質的にまとまるのが難しいのかも知れませんね。

伊勢崎市の標高は、60メートルくらいのようですが……。
内陸なので、冬の寒さは厳しいでしょうね。
この埴輪が作られたのは、古墳時代の6世紀ころ。
↓6世紀からの100年間は、温暖だったようです。

平安時代に匹敵するほどだったとか。
平安から鎌倉にかけての時代は、中世温暖期と呼ばれ……。
世界的に温暖だった時代です。

新潟市もそうですが……。
海岸沿いの地域では、平安から鎌倉にかけての遺跡は出ません。
なぜなら、温暖化の影響で……。
今の海岸沿いの地域は、その時代、海の底だったからです。
温暖で、綺麗に着飾った女性が歩いていた古墳時代。

ちょっと行ってみたいです。
ところで、この埴輪に付けられた「盛装女子」という名前。

↑「み」
「正装女子」ではありません。
「盛装女子」です。
「正装」と「盛装」。
どう違うんでしょう?
調べてみました。
「正装」は、「儀式や特別な訪問時の正式な服装」。
「盛装」は、「華やかに着飾ること」。
↓早い話、「盛ってる」わけです。

↑「み」
支度が大変ですね。
ま、特別な日のいでたちなんでしょうね。
↓珍しく、説明書きがピンボケしてませんでした。

↑「み」。クリックすると、大きい画像が見られます。
「特別な儀式」に参加してるのなら……。
「正装」でも良さそうですけど。
でも、この装いが、定められたものであるとは特定できないからでしょうか。
個人の主張が入ってる服装なのかも知れませんね。
ということで、「盛装」という名にしたんですかね。
↓ツルツルした石です。

↑「み」
↓黒曜石でした。

↑「み」
↓説明書き

↑「み」
↓こんなふうに加工されます。

↑こちらは遺跡ではなく、現在作られたものです。
↓作り方です。

↑「み」。クリックすると、大きい画像が見られます。
でもなんで、古墳時代の埴輪の次に、石器時代の黒曜石を撮ってるんでしょう?
時代が逆行してます。
デタラメに歩いてたんですかね?
↓切れそうです。

↑「み」
わたしがこういうのを見て怖いのは……。
加工するときや使用するとき、手を切るんじゃないかということ。

これらが使われてた当時は、絆創膏も抗生物質もありません。
縫合も出来ないでしょう。

↑ギンザメ。ツギハギなわけではありません。
その当時、傷を負うと云うことは、即、死に繋がる恐れがあったはずです。
獣の革などで、手袋を作ってたんじゃないですかね。
革手袋は、今でも作業用に使われてます。

いつも行くホームセンターでも、軍手と並んで売られてます。
↓土器ですね。

↑「み」
↓これは、動物の骨から作った銛じゃないでしょうか。

↑「み」
陸上で使ったものではなく……。
漁具だと思います。
縄文時代ですかね。
こういうのを見ると……。
巨大魚と、命がけの戦いをしてたように思えます。

↑ほんまか?
でも、そうじゃなかったんじゃないかという気がするんですよ。
浅瀬や潮だまりに、じゃぶじゃぶ入って行けば……。
足元には、魚はうじゃうじゃいたのでは?

↑これは、ドクターフィッシュという、古くなった角質を食べてくれる魚。
なにしろ、魚資源を根こそぎ獲ってしまうような存在はないのです。

魚なんか、獲りきれないほどいたでしょう。
潮だまりに入って、銛を2,3回振り下ろせば……。
その日の夕食のおかずは獲れたと思います。

たくさん獲ったって、保存も出来ないし……。
魚の獲れない地域まで運ぶ方法もない。
その日に食べ切れる以上、獲る意味がないんです。
あ、干物くらいは出来たですかね?
天日干し。

↑ありました。長岡市の『新潟県立歴史博物館』の展示です。
それでもせいぜい、保って数日でしょう。
縄文時代というと、その日暮らしで……。
獲物が獲れない日は、空き腹を抱えて寝るしかないようなイメージがあります。
でも、わたしはこれを疑ってます。
獲物なんか、いくらでも獲れたんじゃないか。
しかも、労力をかけずに。
すなわち、罠です。

↑『国立科学博物館』の展示。
陸上動物だと、獲り過ぎれば、集落の周りには何もいなくなってしまうかも知れません。
でも、魚は違います。
その日に食べる分くらい獲り続けても、資源が枯渇することなんてないはずです。

食べるだけなら、銛なんて必要なかったかも知れません。
女子供が、仕掛けた罠を回収するだけで十分だった。

↑こういうものなら、縄文時代でも作れたはずです。
それじゃ、銛はなぜあるのか?
そりゃあなた、レジャーですよ。

↑海洋堂の『国立科学博物館 カプセルミュージアム』シリーズのひとつです。
当時は、テレビも何にもないんです。
男はヒマでしょうがない。
縄文土器のあの火焔の意匠は……。

ヒマすぎるが故に発祥したんではないでしょうか。
土器を、いくつも作ってもしょうがないからです。
割れない限り、新しいものは必要ありません。

雨が降って外に出たくない日は……。
粘土を捏ね回して時間を潰したんです。

↑なんで穴を掘って住んだかと云うと……。地温が、外気温の影響を受けにくいからです。穴の中は、夏涼しく、冬暖かいわけです。
あとは、動物の骨を黒曜石ナイフで削って銛造りですね。

↑北海道伊達市『伊達市開拓記念館』の「縄文アートギャラリー」より。見事な細工です。右側の先端が尖ってないのは、折れたんですかね?
で、晴れたら大喜びで海に行って、自作の銛を使ってみるわけです。
面白いように獲れたんじゃないですか?

住居に帰れば、縄文土器で潮汁ですよ。

もちろん、ニワトコ酒を飲みながらです。

あとは、お母ちゃんにちょっかいを出して、寝てしまうだけです。
翌日、会社に行く必要もありません。

二日酔いなら、ゴロゴロしてればいいだけです。

素晴らしい暮らしですよね。
ありえねーと思いますか?
でも、縄文人の体格は、江戸時代の人より立派だったんですよ。

↑青が男、赤が女です。
小児麻痺で歩けなかったであろう少女の骨も出土してます。
骨は、二十歳くらいのものだとか。
つまり、生まれつき歩けなかった少女が、成人するまで生きてたんです。
家族による介護を受けてたからこそ、生きられたわけです。

江戸時代の姥捨てや間引きの風習を考えれば……。

縄文時代が、より貧しかったとは云えません。
↓装身具ですね。

↑「み」
↓勾玉です。

↑「み」
といっても、翡翠じゃないですね。
左が土製、右が石製だそうです。
どちらも、縄文時代。
こんな飾りを身に付けられるんですから……。
食べるだけで精一杯の暮らしじゃなかったわけですよ。
↓これはなんでしょう。

↑「み」
↓説明書きを見ると、「石冠」となってます。

↑「み」。クリックすると、大きい画像が見られます。
明治時代の学者が、冠に似てることから付けた名称だとか。
これのどこが、“冠”に似てるんでしょう?
どう見ても、“冠”じゃなくて“枕”ですよ。
さっぱりわかりません。
ひょっとしたら……。
“枕”と書くつもりで、間違って“冠”と書いたんじゃないですか?
用途は、はっきりしてないそうです。
柄を付けて、斧や武器としたという説や……。
何らかの儀器と考える意見もあるとか。
これは、やっぱり枕ですよ。
縄文時代は暑かったですからね。
夏場は、冷たい石の枕が重宝されたんじゃないでしょうか。

↑石の枕を愛用する犬。天竜川の石だそうです。
でも、硬すぎますかね。
それに枕なら……。
わざわざ加工しなくても、似た石はたくさんあったでしょう。
枕より、火照って寝苦しい足を冷やしたのかも知れません。

わざわざ加工するまでもないというのは、同様ですが。
でも、縄文時代は、ものすごくヒマだったと考えれば……。
こうしたしょうもないものに、時間を費やしたということもあったかも知れません。
↓人形です。

↑「み」
↓こちらも同じく。

↑「み」
特徴は、必ずどこかが欠けているということ。
↓有名な遮光器土偶もそうです。

子供が壊したにしては、綺麗に欠けすぎです。
しかもカケラは、同じ場所からは出ないそうです。
このことから……。
土偶は、最初から壊す目的で作られたという説があるようです。
病気の回復を祈る身代わりなど。

↑いわゆる形代(かたしろ)ですね。
でも、壊れてるところは、手足ですよね。
体幹が悪いときは、どうしたんでしょう?
内臓疾患などでは、身代わりを立てても助からないと考えられてたんですかね。

↑確かに、盲腸は助からないと思いますが。
これに対し、破壊は故意ではないという説もあるそうです。
割れ目に、鑿状の石を当てた形跡が見られないこと。

修理に使われたとおぼしきアスファルトが付着した破片が出てること。

↑世界最大の天然アスファルト湖「ピッチレイク」。
すべての個体が破壊されてるわけではなく……。
半分くらいは、完全な形で出土してること。

わたしも、後者の意見に賛成です。
壊れてる部分って、足や手の付け根ですよね。
これらは別に作られてから、焼く前にくっつけられたんじゃないでしょうか。
つまり、本体部とは一体ではない。
焼いたとき、微妙なヒビが入ったりすることもあったでしょう。
そしてあるとき、そこからポロッと欠け落ちるわけです。

↓じゃーん。

↑「み」
これまた、古代の主役のひとつ。
銅鐸です。
↓隣に、レプリカが吊されてて、実際に鳴らすことが出来ます。

↑「み」
鳴らすと云っても、ハンマーのようなもので叩くわけではありません。
銅鐸の中には、「舌(ぜつ)」と呼ばれる金属がぶら下がってるんです。
で、銅鐸を揺すると、この舌が銅鐸の内壁にぶつかり音を出すのです。

もちろん、わたしも鳴らしてみました。
驚きました。
思った以上に、音が大きかったんです。
これを、例えば舞台の上で鳴らせば……。
舞台を見あげる、一番後方の人にも十分聞こえたはずです。
やはり、何かの祭器なんでしょうね。

↑『兵庫県立考古博物館』の展示。手には持たないでしょ。吊り手があるんだから。
↓これもレプリカ。

↑「み」
縄文時代後期の土偶を模したもの。
わたしも持ってみたとは思うのですが、記憶が定かでありません。
おそらく、想像通りの重さだったからじゃないでしょうか。
説明板を読むと、650gとあります(ピンボケでようやく読める程度なので、写真は省略)。
ま、こんなものでしょうね。
軽量ノートパソコンの、さらに半分くらいの重さです。
これなら、子供でも持てると思います。
おもちゃだったんですかね。
↓各年代の銅鐸。

↑「み」
年代が後になるほど、巨大化していくそうです。
なんだか、権力の象徴みたいな感じですね。

↓何でしょう?

↑「み」
一瞬、魚釣りの浮子(うき)かと思いました。
↓でも、違いました。

↑「み」
『魚形(ぎょけい)石器』とあります。
木ではなく 、石でしたね。
石を加工して、こういう形までしたんですかね。
スゴい技術じゃないですか。
↓使い方。

↑「み」
何の道具でしょう?
先に尖ったものを括りつけてます。
ほんとに、こんな使い方をしたんでしょうか?
ネットを検索しても、このような使い方の解説は出て来ませんでした。
別の説に、浮子ではなく錘(おもり)だというのがありました。
でも、釣りの錘ではありません。
網が流されないようにする錘だそうです。

↑これは、昭和時代の土錘(素焼きの錘)。
わからんでもないですが……。
『魚形石器』ほどの精巧な加工が必要ですかね。
錘にするなら……。
縄がほどけないような括れた形の自然石で十分だと思いますが。

↑まさしくこんな感じです。こちらは、少し加工してありますね。
それなら、海中で外れて失われても、さほど惜しくありません。
もう一度、ネットを引き直したら、ようやくヒットしました(こちら)。

どこが疑似餌なのかわかりません。
わたしが使い方を想像するに……。
砂浜からからこれを、沖に向かって投げたんですよ。
もちろん、縄が付いてます。

↑「み」
これを、煙草入れや矢立の先に紐で付け……。
着物の帯に挟むわけです。
根付がストッパーになって、帯から落ちません。

↑帯の上に見えてるのが根付です。
こういのを収集する趣味に嵌まったら、際限がないでしょうね。

↑象牙の根付は、今はもう作れないわけです。
海外でも人気が高いようです。
こんな小さな道具ですが……。
家1軒分の値段が付くこともあるとか。

↑5㎝ほどの大きさの象牙の獅子。2011年、ロンドンのオークションで、3,400万円で落札されたそうです。
わたしには、何かを収集する趣味は一切ありません。
身の回りのものでも、高級品を身に付けたことはないです。
この旅行に持って行った一番高いものは……。
リュックですかね。
1万円。
といっても、自腹で払ったわけではありません。
会社から、10年勤続のお祝いに、1万円のカタログギフトをもらったんです。
5年勤続で5千円のときは、日本酒セットに交換しました。
こういうのは、記念品的なものより、消え物に変えた方がいいと思ったので。
1万円も、当初はお酒にしようかとも思ったのですが……。
気が変わり、リュックを新調したのです。
腕時計は、千円くらいです。
どこかに忘れても惜しくはありません。
電池が切れたら買い換えます。
靴は、6千円程度のウォーキングシューズでした。
もちろん、新品を下ろして履いてくるようなバカな真似はしません。
でも、長時間歩いたことはなかった靴でした。
この日、歩き回った後、ちょっと窮屈感を感じました。
足がむくんだのかも知れません。
で、DCカードのポイントを楽天ポイントに換えて……。
楽天で、新しいスニーカーを買いました。
ものすごく軽いです。
片足、180g。
ただ、軽い分、布地がメッシュです。
防水性、ゼロ。
梅雨時の旅行に履いていくか、考え中。
あと、少し靴擦れします。
擦れる場所は一定なので、↓事前に絆創膏を貼るつもりですが。
また、何の話をしてるのかわからなくなりました。
要は、身の回りに高級品は身に付けてないということです。
カメラも中古で、8千円くらいでした。
あ、リュックの中のパソコンが高いですね。
中古でしたが、3万円くらいしたと思います。
それでも、全身で5万円程度ですか。
高いものを持ってると、気になってしょうがないと思うんですけどね。
ブランドバッグとか。
わたしだったら、両手で胸に抱えてると思います。

挙動不審すぎますよね。
↓『草刈帰途』という絵。

↑「み」
葛飾北斎の版画です。
基本、この系統の絵には興味が湧きません。
↓昔の着物です。

↑「み」
どーも、ピンボケの写真ばかりで張り合いがないです。
ま、わたし自身、着物にはまったく興味がないので仕方ないですね。
そういえば、先日、お葬式に出て来ました。
参列者には、かなり高齢のご婦人も多かったです。
でも、和装の喪服を着てた人は、一人もいませんでした。

↑見栄えは、洋装より遥かにいいと思うのですが。
冬の新潟は足下が悪いからですかね。
ひょっとしたらもう、誰も着る人はいないのかも知れません。
展示室では、ほかの着物も撮ってたのですが……。
悲しいほどピンボケだったので割愛します。
↓廊下です。

↑「み」
こういうところは、ボケずに撮れるんですよね。
↓廊下の隅の黒電話。

↑「み」
使われてるものかと思いましたが……。
↓近づいてみると、こんな表示が。

↑「み」
「お手を触れない」で、電話することはできませんから……。
展示品ですね。
この廊下自体が、何かの展示だったんですかね?
今となっては、確かめるすべもありません。
↓廊下の全貌。

↑「み」
テーブルと云い、ソファーと云い、シンプルの極みです。
ここに座って寛ぐことを許さない造りですね。
「すぐさま帰れ」的な無言の圧力を感じます。
↓なんでしょう?

↑「み」
似たものを撮った気がします。
そう。
前日行った『下町風俗資料館』。
↓これです。

↑「み」
五右衛門風呂でした。
しかし、本日のはちと、違いますね。
説明書きを撮ってませんでした。
責任を感じ、ネット検索したところ……。
茶の湯に使う茶釜でした。
でも、茶釜部分は上半分。
下は、風炉(ふろ)と呼ばれ、ここで火を炊くようです。
↓この商品では、分かれ目がよくわかります。

↑通販で売ってました。18万2千円!
五右衛門風呂と、仕組みは一緒ですよね。
しかし、なんだか土偶みたいなフォルムでもあります。
↓また階段を撮ってます。

↑「み」
やはり、骨董品より、建築の方に興味があったようです。
↓休憩所でしょうか?

↑「み」
さっきのソファーと云い、わざと寛げない造りにしてるとしか思えません。
「ナントカ調」とかのトレンドですかね?
日本の博物館なんだから、いっそ畳敷きにすればいいのにね。
こたつとか。

↑寛げすぎか。
↓なんでしょう?

↑「み」
展示品ではないようです。
地震計みたいにも見えます。

↑地震計は、横でしたね。
右側のロールに、インクの付いた針で記録を取る仕組みみたいです。
黄色いテープを拡大してましたが……。
↓「触るな」と書いてあるだけでした。

↑「み」
こんなオープンな場所に地震計は置かないでしょう。
調べてみたら、どうやら「自記温湿度記録計」という機械のようです。
↓針が2本あるのは、温度と湿度の記録用なんですね。

↑「み」
↓なんと、普通に売ってました。
そんなに需要があるとは思えませんが。
受注生産なんですかね。
でも、『楽天市場』で売ってるんだから、ある程度の在庫はあるのでしょう。
美術館の新設などで大量に必要になるときは、事前に納期を打ち合わせした方がいいと思います。
いらん老婆心でしょうけど。
もう外に出てます。
本館前のユリノキです。

↑「み」。
本館の展示物が、あれだけだったわけはありません。
おそらく、あんまり興味が無かったのでしょう。
正直、『国立科学博物館』の方が、ずっと面白かったです。
↓ユリノキの幹。

↑「み」。
幹周は、5.9メートル。
直径は、円周率で割ればいいですから、約1.9メートルになります。
年金暮らしになったら、元気なうちに巨木を巡る旅がしたいです。

↑鹿児島県姶良市『蒲生八幡神社』にあるクスノキ。幹周は24.2メートル(直径7.7メートル)。樹齢1,500年。化け物です。
でも、たぶん無理でしょうね。
わたしの年金では、食べていくだけでやっとでしょうから。
↓これは、『表慶館』という建物。

↑「み」
明治33(1900)年、当時の皇太子(後の大正天皇)のご成婚を記念して計画されたそうです。

↑大正天皇。47歳で崩御。大正時代は15年しかありませんでした。
明治42(1909)年に開館した、日本ではじめての本格的な美術館とのこと。
設計は、ジョサイア・コンドル(1852~1920)の弟子で……。

↑ジョサイア・コンドルの代表作のひとつ、お茶の水の『ニコライ堂(日本最大の正教会の大聖堂)』。
東宮御所(現・迎賓館)なども手がけた宮廷建築家の片山東熊。
『表慶館』は、明治末期の洋風建築を代表する建物として……。
昭和53(1978)年、重要文化財に指定されたそうです。
残念ながら、現在は中に入れなかったと思います。
写真が無いので。
入れたら、いちおう入ってたはずです。
↓立派なライオンです。

↑「み」
口を開いてますね。
ひょっとしたらと思い、もう一方の像を確かめてみました。
↓やっぱり、口を閉じてました。

↑「み」
ちゃんと、阿吽(あうん)になってるわけです。

西欧でも、こうなんですかね?
↓説明書きも撮ってましたね。

↑「み」。やっぱり、戸外ではピンボケしてません。
↓なぜだか案内板も撮影。

↑「み」。撮った意図は不明です。
↓謎の1枚。

↑「み」
シャッターが落ちてしまったんでしょうか。
写ってるのは、雨水を流す排水溝だと思います。
なんでこんなのが要るんですかね?
無くても、土に染みこむはずです。
むしろ、樹木にとっては、その方がいいのでは?
↓地味な花が咲いた木。

↑「み」
何だかわかりません。
↓樹名板を撮ってました。

↑「み」
モッコクです。
常緑広葉樹で、庭木などに使われます。
高級木です。
庭の主木として使われます。

↑作りすぎない、見事な剪定です。
成長が遅いので、大きな木は値段が高いんです。
でも逆に、急成長しないので、庭木としては最適です。
↓これは、クチナシ。

↑「み」
なぜだか最近のクチナシは、香りが薄いように思えます。
↓森鴎外のパネルがありました。

↑「み」
↓とのことです。

↑「み」
↓一瞬、ベートーベンかと思いました。

↑「み」
↓クリックすると、大きな画像が見られます。

↑「み」
↓もう10日もすれば、これが見られたんです。

↑「み」
でも、そうとうに混んだみたいです。
逆に、空いてる時に来れて良かったと思ってます。
ポスターにあるとおり、ここは『平成館』です。
『平成館』は、皇太子殿下のご成婚を記念し……。
その名のとおり、平成11年(1999)年に開館しました。

↑建物の記憶はありません。新しい建物だったからかな。
1階は考古展示室、2階は特別展専用の展示室。
なのでこの日は、1階だけの観覧です。
↓埴輪です。

↑「み」
例によってピンボケです。
出土したのは、群馬県伊勢崎市。
もちろん、『伊勢佐木町ブルース』とは関係ありません。
↑青江三奈さんは、ほんとに上手いです。
伊勢佐木町は、横浜市にある地名ですから。
伊勢崎市が、どこらへんにある市なのか調べたところ……。
↓前橋市の南でした。

人口は、21万人。
大きな都市です。
前橋市が、33万人。
合併すると、54万人。
政令指定都市には、ちょっと足りません。
前橋市は、高崎市と隣接してます。
高崎市は、37万人。
3市が合併すれば、91万人。
立派な政令指定都市になれます。

ま、北関東は、気質的にまとまるのが難しいのかも知れませんね。

伊勢崎市の標高は、60メートルくらいのようですが……。
内陸なので、冬の寒さは厳しいでしょうね。
この埴輪が作られたのは、古墳時代の6世紀ころ。
↓6世紀からの100年間は、温暖だったようです。

平安時代に匹敵するほどだったとか。
平安から鎌倉にかけての時代は、中世温暖期と呼ばれ……。
世界的に温暖だった時代です。

新潟市もそうですが……。
海岸沿いの地域では、平安から鎌倉にかけての遺跡は出ません。
なぜなら、温暖化の影響で……。
今の海岸沿いの地域は、その時代、海の底だったからです。
温暖で、綺麗に着飾った女性が歩いていた古墳時代。

ちょっと行ってみたいです。
ところで、この埴輪に付けられた「盛装女子」という名前。

↑「み」
「正装女子」ではありません。
「盛装女子」です。
「正装」と「盛装」。
どう違うんでしょう?
調べてみました。
「正装」は、「儀式や特別な訪問時の正式な服装」。
「盛装」は、「華やかに着飾ること」。
↓早い話、「盛ってる」わけです。

↑「み」
支度が大変ですね。
ま、特別な日のいでたちなんでしょうね。
↓珍しく、説明書きがピンボケしてませんでした。

↑「み」。クリックすると、大きい画像が見られます。
「特別な儀式」に参加してるのなら……。
「正装」でも良さそうですけど。
でも、この装いが、定められたものであるとは特定できないからでしょうか。
個人の主張が入ってる服装なのかも知れませんね。
ということで、「盛装」という名にしたんですかね。
↓ツルツルした石です。

↑「み」
↓黒曜石でした。

↑「み」
↓説明書き

↑「み」
↓こんなふうに加工されます。

↑こちらは遺跡ではなく、現在作られたものです。
↓作り方です。

↑「み」。クリックすると、大きい画像が見られます。
でもなんで、古墳時代の埴輪の次に、石器時代の黒曜石を撮ってるんでしょう?
時代が逆行してます。
デタラメに歩いてたんですかね?
↓切れそうです。

↑「み」
わたしがこういうのを見て怖いのは……。
加工するときや使用するとき、手を切るんじゃないかということ。

これらが使われてた当時は、絆創膏も抗生物質もありません。
縫合も出来ないでしょう。

↑ギンザメ。ツギハギなわけではありません。
その当時、傷を負うと云うことは、即、死に繋がる恐れがあったはずです。
獣の革などで、手袋を作ってたんじゃないですかね。
革手袋は、今でも作業用に使われてます。

いつも行くホームセンターでも、軍手と並んで売られてます。
↓土器ですね。

↑「み」
↓これは、動物の骨から作った銛じゃないでしょうか。

↑「み」
陸上で使ったものではなく……。
漁具だと思います。
縄文時代ですかね。
こういうのを見ると……。
巨大魚と、命がけの戦いをしてたように思えます。

↑ほんまか?
でも、そうじゃなかったんじゃないかという気がするんですよ。
浅瀬や潮だまりに、じゃぶじゃぶ入って行けば……。
足元には、魚はうじゃうじゃいたのでは?

↑これは、ドクターフィッシュという、古くなった角質を食べてくれる魚。
なにしろ、魚資源を根こそぎ獲ってしまうような存在はないのです。

魚なんか、獲りきれないほどいたでしょう。
潮だまりに入って、銛を2,3回振り下ろせば……。
その日の夕食のおかずは獲れたと思います。

たくさん獲ったって、保存も出来ないし……。
魚の獲れない地域まで運ぶ方法もない。
その日に食べ切れる以上、獲る意味がないんです。
あ、干物くらいは出来たですかね?
天日干し。

↑ありました。長岡市の『新潟県立歴史博物館』の展示です。
それでもせいぜい、保って数日でしょう。
縄文時代というと、その日暮らしで……。
獲物が獲れない日は、空き腹を抱えて寝るしかないようなイメージがあります。
でも、わたしはこれを疑ってます。
獲物なんか、いくらでも獲れたんじゃないか。
しかも、労力をかけずに。
すなわち、罠です。

↑『国立科学博物館』の展示。
陸上動物だと、獲り過ぎれば、集落の周りには何もいなくなってしまうかも知れません。
でも、魚は違います。
その日に食べる分くらい獲り続けても、資源が枯渇することなんてないはずです。

食べるだけなら、銛なんて必要なかったかも知れません。
女子供が、仕掛けた罠を回収するだけで十分だった。

↑こういうものなら、縄文時代でも作れたはずです。
それじゃ、銛はなぜあるのか?
そりゃあなた、レジャーですよ。

↑海洋堂の『国立科学博物館 カプセルミュージアム』シリーズのひとつです。
当時は、テレビも何にもないんです。
男はヒマでしょうがない。
縄文土器のあの火焔の意匠は……。

ヒマすぎるが故に発祥したんではないでしょうか。
土器を、いくつも作ってもしょうがないからです。
割れない限り、新しいものは必要ありません。

雨が降って外に出たくない日は……。
粘土を捏ね回して時間を潰したんです。

↑なんで穴を掘って住んだかと云うと……。地温が、外気温の影響を受けにくいからです。穴の中は、夏涼しく、冬暖かいわけです。
あとは、動物の骨を黒曜石ナイフで削って銛造りですね。

↑北海道伊達市『伊達市開拓記念館』の「縄文アートギャラリー」より。見事な細工です。右側の先端が尖ってないのは、折れたんですかね?
で、晴れたら大喜びで海に行って、自作の銛を使ってみるわけです。
面白いように獲れたんじゃないですか?

住居に帰れば、縄文土器で潮汁ですよ。

もちろん、ニワトコ酒を飲みながらです。

あとは、お母ちゃんにちょっかいを出して、寝てしまうだけです。
翌日、会社に行く必要もありません。

二日酔いなら、ゴロゴロしてればいいだけです。

素晴らしい暮らしですよね。
ありえねーと思いますか?
でも、縄文人の体格は、江戸時代の人より立派だったんですよ。

↑青が男、赤が女です。
小児麻痺で歩けなかったであろう少女の骨も出土してます。
骨は、二十歳くらいのものだとか。
つまり、生まれつき歩けなかった少女が、成人するまで生きてたんです。
家族による介護を受けてたからこそ、生きられたわけです。

江戸時代の姥捨てや間引きの風習を考えれば……。

縄文時代が、より貧しかったとは云えません。
↓装身具ですね。

↑「み」
↓勾玉です。

↑「み」
といっても、翡翠じゃないですね。
左が土製、右が石製だそうです。
どちらも、縄文時代。
こんな飾りを身に付けられるんですから……。
食べるだけで精一杯の暮らしじゃなかったわけですよ。
↓これはなんでしょう。

↑「み」
↓説明書きを見ると、「石冠」となってます。

↑「み」。クリックすると、大きい画像が見られます。
明治時代の学者が、冠に似てることから付けた名称だとか。
これのどこが、“冠”に似てるんでしょう?
どう見ても、“冠”じゃなくて“枕”ですよ。
さっぱりわかりません。
ひょっとしたら……。
“枕”と書くつもりで、間違って“冠”と書いたんじゃないですか?
用途は、はっきりしてないそうです。
柄を付けて、斧や武器としたという説や……。
何らかの儀器と考える意見もあるとか。
これは、やっぱり枕ですよ。
縄文時代は暑かったですからね。
夏場は、冷たい石の枕が重宝されたんじゃないでしょうか。

↑石の枕を愛用する犬。天竜川の石だそうです。
でも、硬すぎますかね。
それに枕なら……。
わざわざ加工しなくても、似た石はたくさんあったでしょう。
枕より、火照って寝苦しい足を冷やしたのかも知れません。

わざわざ加工するまでもないというのは、同様ですが。
でも、縄文時代は、ものすごくヒマだったと考えれば……。
こうしたしょうもないものに、時間を費やしたということもあったかも知れません。
↓人形です。

↑「み」
↓こちらも同じく。

↑「み」
特徴は、必ずどこかが欠けているということ。
↓有名な遮光器土偶もそうです。

子供が壊したにしては、綺麗に欠けすぎです。
しかもカケラは、同じ場所からは出ないそうです。
このことから……。
土偶は、最初から壊す目的で作られたという説があるようです。
病気の回復を祈る身代わりなど。

↑いわゆる形代(かたしろ)ですね。
でも、壊れてるところは、手足ですよね。
体幹が悪いときは、どうしたんでしょう?
内臓疾患などでは、身代わりを立てても助からないと考えられてたんですかね。

↑確かに、盲腸は助からないと思いますが。
これに対し、破壊は故意ではないという説もあるそうです。
割れ目に、鑿状の石を当てた形跡が見られないこと。

修理に使われたとおぼしきアスファルトが付着した破片が出てること。

↑世界最大の天然アスファルト湖「ピッチレイク」。
すべての個体が破壊されてるわけではなく……。
半分くらいは、完全な形で出土してること。

わたしも、後者の意見に賛成です。
壊れてる部分って、足や手の付け根ですよね。
これらは別に作られてから、焼く前にくっつけられたんじゃないでしょうか。
つまり、本体部とは一体ではない。
焼いたとき、微妙なヒビが入ったりすることもあったでしょう。
そしてあるとき、そこからポロッと欠け落ちるわけです。

↓じゃーん。

↑「み」
これまた、古代の主役のひとつ。
銅鐸です。
↓隣に、レプリカが吊されてて、実際に鳴らすことが出来ます。

↑「み」
鳴らすと云っても、ハンマーのようなもので叩くわけではありません。
銅鐸の中には、「舌(ぜつ)」と呼ばれる金属がぶら下がってるんです。
で、銅鐸を揺すると、この舌が銅鐸の内壁にぶつかり音を出すのです。

もちろん、わたしも鳴らしてみました。
驚きました。
思った以上に、音が大きかったんです。
これを、例えば舞台の上で鳴らせば……。
舞台を見あげる、一番後方の人にも十分聞こえたはずです。
やはり、何かの祭器なんでしょうね。

↑『兵庫県立考古博物館』の展示。手には持たないでしょ。吊り手があるんだから。
↓これもレプリカ。

↑「み」
縄文時代後期の土偶を模したもの。
わたしも持ってみたとは思うのですが、記憶が定かでありません。
おそらく、想像通りの重さだったからじゃないでしょうか。
説明板を読むと、650gとあります(ピンボケでようやく読める程度なので、写真は省略)。
ま、こんなものでしょうね。
軽量ノートパソコンの、さらに半分くらいの重さです。
これなら、子供でも持てると思います。
おもちゃだったんですかね。
↓各年代の銅鐸。

↑「み」
年代が後になるほど、巨大化していくそうです。
なんだか、権力の象徴みたいな感じですね。

↓何でしょう?

↑「み」
一瞬、魚釣りの浮子(うき)かと思いました。
↓でも、違いました。

↑「み」
『魚形(ぎょけい)石器』とあります。
木ではなく 、石でしたね。
石を加工して、こういう形までしたんですかね。
スゴい技術じゃないですか。
↓使い方。

↑「み」
何の道具でしょう?
先に尖ったものを括りつけてます。
ほんとに、こんな使い方をしたんでしょうか?
ネットを検索しても、このような使い方の解説は出て来ませんでした。
別の説に、浮子ではなく錘(おもり)だというのがありました。
でも、釣りの錘ではありません。
網が流されないようにする錘だそうです。

↑これは、昭和時代の土錘(素焼きの錘)。
わからんでもないですが……。
『魚形石器』ほどの精巧な加工が必要ですかね。
錘にするなら……。
縄がほどけないような括れた形の自然石で十分だと思いますが。

↑まさしくこんな感じです。こちらは、少し加工してありますね。
それなら、海中で外れて失われても、さほど惜しくありません。
もう一度、ネットを引き直したら、ようやくヒットしました(こちら)。

どこが疑似餌なのかわかりません。
わたしが使い方を想像するに……。
砂浜からからこれを、沖に向かって投げたんですよ。
もちろん、縄が付いてます。