2016.2.9(火)
同じ頃、あやめは「花よ志」の厨房に立っていた。厨房の照明は最小限のものだけにしてある。その日の最後の掃除、片づけはすべて済ませていた。
あやめは、晒しに巻いた愛用の包丁を取り出した。ここしばらく、きちんとした食材には触れていない包丁であったが、あやめが手入れを怠ったことは無かった。あやめ愛用の包丁、柳刃(刺身用)、薄刃(野菜用)、出刃(魚用)の三本の包丁は、厨房の仄暗い灯りを美しく照り返した。
突然、何の料理もさせてもらえなくなったあやめであった。
もう、ひと月以上も、包丁を手に食材に対していないあやめであった。
しかし、料理人の世界では「一日包丁を手にしないと一週間、三日包丁に触れないとその感触を取り戻すのにひと月かかる」と云われる。あやめは、包丁を禁じられてからも毎日包丁を握っていた。深夜「花よ志」全体が寝静まったころ、愛用の包丁を手に何かしらの料理を作っていた。
もちろん、店の食材を勝手に用いるのは憚られる。まして包丁を禁じられた身なのだ。あやめが用いる食材は使い残しの魚の粗(あら)や屑野菜などであった。
だが……。
(だが、今日は違う)
(今日だけは、好きにさせてもらう)
(今日は特別な日なのだ)
(きちんとした食材で料理を作る)
(今日だけは……)
あやめは、心の中で何者かに挑むように、宣言するように、自分に言い聞かせるように呟いた。
今日は、野田太郎と相良直(ただし)の四十九日であった。四十九日は中有(ちゅうう)とも云う。死者の魂は、此岸と彼岸の中間にあるという場所にこの期間留まり、そして改めて彼岸に旅立つ。その日が死後四十九日目だという。
あやめには、楽しそうに笑い合いながら、こちらに背を見せて遠ざかっていく二人の姿が見えるように思えた。
(師匠に、野田の親爺さんと相良の大将に、うち(私)の最後の一品を捧げたい)
あやめの思いはそれだけだった。となれば、いい加減な食材を用いるわけにはいかない。あやめは、料理をしたことが発覚することは覚悟の上だった。たとえ、殴られようが蹴られようが構わないという覚悟だった。
あやめは冷蔵庫を開けた。絞った厨房天井の灯りは、冷蔵庫内には届かない。しかしあやめには、庫内の食材とその位置はすべて頭に入っていた。あやめは手探りで、冷蔵庫の最奥部から金属製の平バットを引き出した。数日前から密かに仕込み、冷蔵庫の奥、他の多くの食材の影に潜ませておいたバットだった。
バットの表面全体にはガーゼが被せてあった。乾燥を防ぐためのガーゼである。あやめは、丁寧にガーゼを剥がし取った。ガーゼの下には、バット全体に味噌が敷き詰めてあった。味噌床である。
味噌は、京では西京(さいきょう)味噌と称する白味噌であった。西京味噌は塩分濃度が低く、その味は柔らかい。
あやめはこの西京味噌に、昨年の冬に搾った大吟醸の絞り粕、長期熟成させた酒粕を混ぜ込んで味噌床としておいた。
あやめの両手の指先が味噌床の底を探る。2,3重にガーゼに包まれたものを取り出した。二つ。あやめは、別のバットの上で丁寧にガーゼを剥がした。鮮やかなサーモンピンクの魚の切り身が現れた。
鰆(さわら)であった。
鰆は文字通り春の魚と書く。であるから旬は春だと思われがちであるが、鰆の味が最も豊穣になるのは秋から冬、寒の季節である。この時期の鰆は脂が乗り、寒鰆と呼ばれ珍重されるが、冬の鰆は漁獲量が激減する。今のこの時期、数は豊富に出回るが食材としての鰆はまだ若い。料理に用いるには、時期的に難しい魚であった。
だが、今のあやめに食材をあれこれ選択する余地はない。間に合うものを、自分の持つ最高の技術で、最大限に生かすしかなかった。
あやめは、二切れの鰆(さわら)を軽く洗って表面に付着した味噌を除いた。そして、それぞれの切り身に別々に、それぞれ二本の金串を打った。
串を打った鰆を手に焼き場に移動する。
あやめは、火床を軽く火箸で掻き、寝かせた炭火を生き返らせた。薄暗い厨房の灯りの中、熾(おこ)る炭火の赤色は鮮烈であった。
あやめは、串を打った鰆の切り身を炭火に翳した。炭火はごく遠火であった。
魚を焼くコツは、焦らない、ということにある。遠火にした炭火は、直に手をかざしても熱はさほど感じない。それほどの弱火である。
焼けているのかいないのか、目ではなかなか確認できないが、焦ってはいけない。間違いなく火は通っている。
目にはもちろん見えないが、熾(おこ)った炭からは多量の遠赤外線、熱線が放射されているのだ。これが材料を内部からじっくり過熱してくれる。
あやめは、時折団扇で風を送って、静まろうとする炭火を励ますように空気を送る。睨み付けるように鰆の表面の変化を観察し、時折串を返して、熱の当たる場所を変える。根気と集中力を要する作業であった。
30分も経ったろうか。何の変化もないような鰆(さわら)の表面に次第に油が浮いてきた。塗った油ではない。鰆自身が含んでいた脂分が、過熱により滲(し)み出てきたのだ。鰆の旨みが凝縮された油脂であった。それとともに、表面の色がいつの間にか変化していた。奇麗な焼き色が付いていた。
「鰆(さわら)の西京(さいきょう)焼き」が仕上がった。
あやめは八寸皿を二枚取り出した。
文字通り、縦横が八寸(24~5センチ)の方形の皿である。今は単に方形だけではなく、様々な意匠の八寸皿が用いられるが、「花よ志」のそれは極めてシンプルであった。形状は正方形。縁を上に軽く折り曲げてあるが、皿としては完全な平皿。絵模様の一つすらなく、くすんだ黒盆のようであった。
皿は背景、飾りは料理。あやめは「花よ志」の八寸皿をそう解釈していた。あやめの好みには合っていた。
八寸皿に飾られる料理を称して「八寸」という。そのままであるが、日本料理のコース料理の一品(ひとしな)として捉えれば、メインディッシュとも位置付けられる重要な料理であった。
あやめは、「鰆(さわら)の西京焼き」を二枚の八寸皿のそれぞれ奥、やや右手寄りに据えた。その左に小鉢を置く。「干し柿とキウイの白和え」である。さらに「鴨ロース」「人参葉の胡麻和え」「豆腐の燻製」「胡麻こんにゃく」「金柑の甘露煮」「厚焼き玉子」を、それぞれ直(じか)に八寸皿に配置した。……茗荷をあしらい、飾りの南天を鰆の背景に置く。
今焼き上げた鰆以外は、これまで時間を抉じ開け、こつこつとあやめが作って用意しておいたものであった。
二組の、全く同じ料理による「八寸」が完成した。
あやめは一息ついた。
だが、今日組み立てておいたメニューはまだ完成していない。あやめは、食品保管用の小部屋に入り、野菜類を取り出した。大根、金時人参、蓮根、南瓜、銀杏(ぎんなん)、それに青味大根。
金時人参は京野菜の一つとされてきたが、栽培が難しいこともあって今は京都では栽培されていない。現在では香川県が主要産地となっている。肉質が柔らかく、甘みが強く、煮崩れしにくいので煮物・汁物に向くとされる人参である。その根の中心部まで鮮やかな赤色を呈するので、赤ら顔の坂田金時にちなみこの名が付いたと云われる。
あやめは、それぞれの野菜を大まかに切った後、細工切りにしていった。大根は鶴、人参は亀、蓮根は花、南京は菊花……。
次いで鍋に水を張り、切った野菜を浸した。固い根菜類は水から湯がいていく。決して湯には入れない。柔らかく仕上げるための鉄則であった。
あやめは別の小鍋で昆布出汁を取った。昆布は北海道尾札部(おさすべ)産の真(ま)昆布。上品な甘みの、清澄な出汁が取れる。尾札部は、かつて函館地方にあった村であるが、現在は町村合併により函館市の一部となっている。津軽海峡に面する地域であった。
あやめは鍋の昆布をじっくりと時間をかけて低温の湯で煮出し、昆布の旨みを抽出した。吸い物出汁を作るときは、昆布はさっと湯がく。決して煮出したりしない。しかし、あやめが今作ろうとしているのは吸い物ではなかった。
あやめはいったん小鍋の火を止め、鰹節を削り始めた。用いるのはカツオの腹身を用いたいわゆる腹節である。カツオの背中側には血液成分、いわゆる血合いが多く特有の風味がある。この部分を用いたものを背節というが、あやめは血合いの風味を避けるため、腹節を用いたのだ。
削り上がった削り節は向こうが透けて見えるほど薄い。削り器の刃がよく手入れされている証拠であった。
あやめは小鍋から昆布を引き出し、代わりに削り節を投入したのち火を着けた。小鍋が再度沸き立ち、削り節が踊る。あやめは、鍋の直径ほどの大きさのガーゼの袋に削り節を詰めた。その袋を鍋の中に落とす。つまり、多量の削り節を二回に分けて投入したことになる。「追いガツオ」と称される、よく知られた技法で、コクと旨みが豊富な、煮物に適した出汁が取れる。
あやめは、再び小鍋の火を落とし、削り節を漉し取った。
先ほど湯がいておいた根菜類を、小鍋の出汁に移す。改めて火を着けた。
野菜の煮物のコツは、素材の風味を最大限に引き出すことに尽きる。その引き出し役を担うのが出汁であった。
根菜が出汁の中で煮上がった。
あやめは、別の小鍋に取った出汁に西京味噌を溶き入れた。
二客の椀を用意し、それぞれに根菜類、それに銀杏を入れる。次いで、軽く湯がいた青味。青味大根の葉を細く束ね、全体を引き締めるように載せる
青味大根は根の太さが1センチ、長さ十数センチの小振りの大根である。収穫期はおおむね11月~翌1月。青物の少ない季節にあって、青味大根の葉は、鮮やかな緑色を供してくれる貴重な京野菜であった。
根菜類の柔らかな色合いを、青味の緑色が華やかに彩った。
あやめは、出汁に溶いた西京味噌の汁を、それぞれの椀に注いだ。
二客の「五福椀」の完成であった。
コメント一覧
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1. とざい東西HQ- 2016/02/09 11:54
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まずは……
1回お休みをいただきました『アイリス』。
誠に申し訳ございませんでした。ただまあ、インフルエンザが原因でしたので、読者の皆様に感染してはえらいこっちゃ、ということでした(ネットで伝染するかよ!)。
まあともあれ、今後はこのようなことの無きよう、十分健康に配慮し、更に書き進める所存でございます。今後ともご贔屓賜りますよう、伏して御願い奉ります。 作者敬白
ありゃ、終わっちゃった。
そうではございません、暫く、今しばらく(まだ熱あるんちゃうか)。
今回、あやめは敢えて禁を犯し、包丁を振るいます。志摩子・源蔵に反抗して、というわけではありません。ただただ、亡き二人の師匠への餞、あやめの思いはここに尽きます。
で、あやめ渾身の力作、師匠に贈る至極の一品、いや、二品。どうぞご賞味ください。
『アイリス』、いよいよ大詰めです。クライマックスは近い。
と申しましても、長くなる悪い癖は相変わらず。この春、桜の季節になりましても、まだ完結することは無いでしょう。しかあし。いくらなんでもこの年末までかかるということはございません。
そして、あやめがきちんと包丁を振るうのもこれが最後になるでしょう。
「お名残り惜しや、あやめ姐さん」
いや、これはまだ早うございます。『匣』が開くまで、物語はまだまだ二転三転いたします。
どうぞ、気長にお付き合いください。
このコメ、まだ続きがあります。
で、とりあえず一括して投稿しましたところ「長すぎる」と、はねられちゃいました。
しょうがねえ。2分割でお届けします。ここまでがpart1ですね。
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2. とざい東西HQ2- 2016/02/09 11:56
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ということで
余計なことですが、今回のあやめ料理。いくつか補足をさせていただきましょう。まず……、
>魚を焼くコツは、焦らない、ということにある
有名な俚諺に「餅は乞食の子に焼かせろ、魚は大名の子に焼かせろ」とあります。
乞食の子は早く喰いたいがために、ひっきりなしに餅をひっくり返して焼きます。これが餅を焼くコツなんですね。ぼんやりしていたらあっという間に真っ黒けのけになります。
大名の子はおっとりしていますから、魚を焼いてもほとんどほったらかしです。魚にはじっくり火が通ります。魚を焼くコツは焦らない、これに尽きます。
という、“アイリス豆知識”でした。
「金時人参と青味大根」
著名な京野菜です。
他所では……あまり見かけないと思いますが、どうでしょう。
「尾札部(おさすべ)の真昆布」
日本で上がる昆布は、ほとんどが北海道産ですが、最も知られるのは利尻でしょう。利尻、羅臼、日高、釧路……北海道の沿岸各地で昆布は上がります。が、それぞれ微妙に味が異なるそうです(もちろん、わたしには区別はつきません)。
函館市から亀田半島を回り込み、内浦湾に至る沿岸には真昆布が上がります。尾札部は、亀田半島先っぽあたりの地名ですね。真昆布は上品な甘みの澄んだ出汁が取れる、使いやすい昆布です。
京料理には何といっても濃厚・芳醇な利尻でしょうが、真昆布も捨てがたい上品な出汁が取れます。
「五福椀」
用いた野菜は大根、金時人参、蓮根、南瓜、銀杏……仮名で書きますと、すべて「ん」が付きます。五種の「運」が付くということで「五福」だそうです。おあとがよろしいようで。
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3. Mikiko- 2016/02/09 19:48
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なんともはや
ネタ元を明かさないとは、大した心がけですな。
まるで、元もと知識があったみたいではないか。
料亭では、出汁を取った後の昆布って、捨てるんですかね?
だとしたら、もったいなすぎる話です。
わたしは、湯豆腐とかでも、出汁昆布が一番好物です。
やっぱり、料亭でも、まかないとかに使うんじゃないでしょうか。
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4. エセ料理人HQ- 2016/02/09 22:36
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>ネタ元を……
あ。
いやいや、隠して、わが知識としてひけらかそう。
そのようなああた、さもしい根性ではもとより御座いません。
コメの量が多くて、つい忘れただけでおま(ホンマかあ)。
ホンマです。
まあ、今となっては言い訳にしか聞こえませんが、ご紹介しましょう。
●大きなネタ元。
献立「鰆の西京焼きをメインとする八寸」、および「五福椀」は、関西ローカルのテレビ局、サンテレビ(およびKBS京都、さらにBS12トゥエルビ)で不定期に放映される京都の料亭・料理屋紹介番組『京・ごはんたべ』で紹介された料理です。
料理の組み立てはほぼそのまま、というパクリですね。
ちなみに、番組ナレーションによりますと「ごはんたべ」とは、「芸妓・舞妓を連れて外で食事をすること」だそうです。今は広く「外食すること」になってしまったそうで、番組には芸・舞妓さんの出演はありません。
ついでに、「金時人参」「青味大根」「鰹節」についての知識も、この番組で仕入れたもの……だと思いますが、判然としません。ネットかもしれません。
●「鰆」「だし昆布」についての基本知識(漁期・漁場など)は、ネットです。
●「餅は乞食の子に……」「魚の焼き方と炭火」
これは遥か大昔、何かで読んで覚えた知識ですが、もはやネタ元は時の彼方、です。小学館の学習雑誌、という可能性があります。
●「八寸皿」「八寸」
以前『アイリス』で、「あやめと明子の酒宴」を書いたとき、ネットで仕入れた知識です。
昆布と削り節の二次使用。
わたしは佃煮にしますが、そもそも昆布・削り節そのものを使わなくなっちゃいました。手軽でお値打ち、化学調味料ですね(それでいいのか)。
わたしが勤めた料理屋さんでは捨てていました。やはり面倒なんでしょうね、二次使用。
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5. Mikiko- 2016/02/10 07:33
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ごはんたべ
これは前にも書きましたが……。
芸妓・舞妓さんに最も不評なのが、夏の川床だそうです。
クーラーの無いところでは、やはり化粧崩れが気になるんでしょう。
出汁昆布。
面倒なことをしなくても……。
小さく切って小鉢に盛るだけで、一品になると思います。
削り節を上に載せ、醤油を垂らせば最高でしょ。
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6. ♪月はおぼろにHQ- 2016/02/10 13:47
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化粧崩れ
まあ、川床は暗いから、少々のことでは目立たないのでは。
あ、今はそうでもないか。床を持ってる料理屋が電灯を引いてるなあ。
汗も嫌やけど、虫もようけ(沢山)来ますよって、ほんまにかなん(敵わない)のどすえ、川床。
旦さん、もう堪忍しとくれやすな(志摩子)。
>面倒なことをしなくても……
ひと手間かけるのが、料理人の心意気ゆうもんどす(あやめ)。
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7. Mikiko- 2016/02/10 20:01
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ひと手間かけるのが面倒で……
結局、捨ててるわけでしょ。
そういうのは、どうかと思いますね。
人が食べなくても、猫にやるとか。
昆布って、猫は食べないですかね?
削り節の方なら、必ず食べますよね。
混ぜて出せば、ぜったい昆布も食べます。
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8. 犬またぎハーレクイン- 2016/02/10 23:56
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料亭・料理屋では……
二次利用の昆布なんて客には出しません。
せいぜいが賄いか……やはり猫かな。
犬もよろしかろう。
しかし、犬猫は本来肉食だからなあ。犬はともかく、猫は昆布など見向きもしないのでは。またいで通ったりして。これがホントの猫またぎ(本来は不味い魚の事ですが、猫またぎ)。