2019.1.5(土)
↓と思ったら、また銅壷屋に立ち戻ってます。
↑「み」
↓これは、「立て万力」という道具のようです。
↑「み」
製品を挟んで締めつけ、固定する道具だそうです。
ヤスリ掛けのときなどに使ったとか。
なんだか、拷問に使えそうですね。
指を挟んで、少しずつ締めていくわけです。
想像しただけで、後ろ髪が逆立ちそうです。
↑実際にありました。「親指つぶし器」だそうです。お手軽で、効果絶大だとか。
↓これは、「やっとこ」という道具。
↑「み」
↓あまりにもピンボケなので、別の拝借画像を添付します。
金槌で叩くとき、製品を挟んで固定させます。
何本もあるのは、先端の形が違ってるからみたいです。
しかし、「やっとこ」の語源は何なんでしょう?
歌にありましたよね。
探してみました。
〽やっとこやっとこくりだした。
↓『おもちゃのマーチ』の出だしでした。
一瞬、野坂昭如の作詞の歌だったかと思いましたが……。
↓野坂氏の作詞は、『おもちゃのチャチャチャ』でした。
ちなみに、新潟弁には「やっとこさ」というのがあります。
「やっとのことで」という意味です。
でもこの方言、新潟特有のものではないようです。
関東を中心に、広く使われてるみたいです。
↑どこの方なのかの表明はないようです(『今日も1日やっとこさ -4コマ育児絵日記-』)。
「やっと」を強調するために、「やっとこ」→「やっとこさ」になったんでしょう。
工具の「やっとこ」の語源もわかりました。
正式名称が、「焼床鋏(やきどこばさみ)」でした。
熱い炉の中の半製品を掴む道具です。
「やきどこ」→「やっとこ」となったのでしょう。
ちなみに『おもちゃのマーチ』の「やっとこ」は……。
もちろん、「やっとのことで」の方ですね。
↓これは、別の家の茶の間です。
↑「み」
駄菓子屋のようです。
↓奥に店先が覗いてます。
↑「み」。常にピンボケなのは、薄暗かったせいですかね。
↓家屋において、最も興味がある場所、トイレです。
↑「み」
トイレというより、お便所ですわな。
↓このカンカラみたいなのは、手洗い器です。
↑「み」
確か、下にあるボッチみたいなのを押しあげると、水が出るんじゃなかったかな。
↓探したら、画像がありました。
正式名称は、「吊り手水(つりちょうず)」と云うようです。
昔は水洗じゃないので、トイレに水道は引かれてません。
ということで、こういう手洗い器が必要だったわけです。
なお、使ってるとき、水は下にだだ漏れになりますから……。
基本、野外に吊されてたわけです。
↓しかし、これはタオルじゃないですかね?
↑「み」
タオルって、いつごろ普及したのでしょう。
昔は文字どおりの、「手ぬぐい」が使われてたはずです。
今はもちろん、どこのトイレもタオルでしょう。
いつごろ切り替わっていったかですね。
でも、この展示では、ぜひ「手ぬぐい」を下げてもらいたかったです。
↑「腰手ぬぐい」というスタイル。
しかし、このお便所。
冬は寒かったでしょうね。
脳卒中でバタバタ倒れたんじゃないでしょうか。
↑ヒートショックに注意。わが家のトイレは、常時16度くらいになってます。ガジュマルの住まいですので。でも、途中の廊下は寒いわな。
ま、臭かったわけですから……。
出来るだけ居間からは離して設置したかったわけです。
食事中に臭ったら、嫌ですからね。
↑飼い主のバイクヘルメットを嗅ぎ、臭さに呆然とする猫。
↓「人力車」の説明です。
↑「み」。クリックすると大きい画像が見られます。
日本の発明品なんですね。
↓これが本体です。
↑「み」
ではなぜ、「人力車」という人が引く乗り物が、欧米には無かったのか。
ま、よくわかりませんが……。
早い話、欧米では、人を使うより馬を使った方がコストが安く……。
逆に日本を初めとするアジアでは、人の方が安かったということらしいです。
↑イギリスの鉄道馬車。これなら大勢運べますから、一人頭のコストは小さくなります。
この人力車、観光地などでは今でもありますよね。
わたしは、1度も乗ったことがありませんが。
そういえば、『大分に行こう!』で書きましたね。
超韋駄天の車夫の車に乗る話。
↓湯布院でした。
『大分に行こう!』を探してみました。
『大分に行こう!(5)』でした。
久しぶりに読み返してしまった。
今とは、だいぶ書き口調が違いますね。
しかし、正直、面白かった。
今から、6年前の文章です。
うーむ、負けてられんわい。
話を戻します。
人力車に乗るのは興味ありますが……。
やっぱり、車夫さんと会話したりが億劫そうです。
↑こんなイケメンさんだったら、たぶん一言もしゃべれません。
『大分に行こう!(5)』では、苦もなく会話してますが……。
実際のわたしは、シャイなんで。
↑これは、サイ。
お歳のいった車夫さんだったら、何だか乗ってるのが申し訳ない気になりますし……。
あとやっぱ、料金ですね。
もちろん、規定料金があって、それだけ払えばいいのでしょうが……。
「ご祝儀」みたいなのを付けなくていいのか、悩むところです。
たぶん、規定料金は1,000円単位だと思うので……。
「釣りは要らねーよ」をやると、とんでもなく多く払うことになってしまいます。
↑昔の芸者さんが持つ祝儀袋のようです。車夫などに心付けをやったのでしょうか? 旅先では、思わぬ親切を受けることもあるでしょう。こういうのを携帯してると、いざというとき役に立つかも知れません。
↓ゴミ箱と、野外の竈ですね。
↑「み」
ほんとにこんなところで、ご飯を炊いたのでしょうか?
冬は、乾燥した風が吹いてます。
火の粉が舞いあがることもあったでしょう。
怖いです。
それに、こういう薪は、どうやって調達したのでしょう?
今みたいに、ホームセンターでは買えません。
↑新潟のホームセンターでは売ってませんね。自宅に薪ストーブを設置するという発想は無いと思います。
薪売りの人が回ってきたりしたんですかね?
↑大原女(おおはらめ)の薪売りだそうです。ほんとでしょうか? 一束売ったら、それでその日の商売、お終いですよ。
↓これは何でしょう?
↑「み」
↓説明書きをアップします。
↑「み」。読めますよね?
「用心籠」。
初めて聞きました。
火事などのとき、ここに大事なものを入れ運び出す籠だそうです。
上に竹の棒が出てますね。
↓よくわかる画像がありました。
つまり、籠の前後に人が立ち、この竹の棒を担いだのでしょう。
籠自体は籐のようですから、重さは大したことないはずです。
底が抜けないよう、竹の棒で補強してあります。
↑ほかの人は、どうしてピンボケじゃない写真が撮れるんでしょう?
夫婦で担いでも、そこそこなものが入れられたんじゃないでしょうか。
火事場の馬鹿力も出たでしょうし。
こんなものが備わってると云うことは……。
やはり、大正時代でも火事は怖かったはずです。
さっきの吹きさらしの竈と用心籠。
日本人というのも、わからん人種ですよね。
普通は、火事が出ないような工夫をすると思うのですが。
火事が出てからの用意をしつつ……。
火事になりやすい暮らしをしてるわけです。
↓またもや、大ピンボケ。
↑「み」
ていうか、ブレブレですね。
なんでこんな写真になるんでしょう。
シャッターを押すときに、カメラが動くんですかね。
パンフレットなどを小脇に挟んで撮ってたのかも知れません。
↓鮮明な拝借画像をどうぞ。
暗くても、ちゃんと撮れるんだよな。
ここは、鼻緒屋のようです。
草履や下駄、主に女性ものの鼻緒でしょうね。
高級品を扱う店だそうです。
ということは、火事のときは……。
この鼻緒を「用心籠」に投げこんで逃げるのでしょう。
だから、「用心籠」がこの上にあったわけだ。
↓ここは鼻緒屋の店先です。
↑「み」
↓禁煙の札が立てかけてありますが……。
↑「み」
もちろん、当時の店先に掲げてあったはずはありません。
手前にたばこ盆があるので……。
以前は、喫煙所と思って吸う見学客がいたのかも知れません。
今はさすがに、そんな人はいないでしょうけど。
奥に階段が見えてるのが、鼻緒がたくさん掛けてあったスペースです。
おそらく、作業場なんでしょうね。
この店先の座布団に客を上げ、鼻緒を選ばせたんでしょうか。
草履や下駄の鼻緒を替えるわけですから……。
客は履物を脱いで、店先に上がらなくちゃならないわけです。
客の希望を聞いて……。
主人が、奥から何点か鼻緒を持ってきて選ばせたのかも知れません。
それなら、客を奥の鼻緒が下げてあるスペースに案内して選ばせたらいいじゃないかと思いますが……。
それをやると、容易に決まらなかったと思います。
特に女性は。
やはり、主人が持ってきた中から選ばせた方がいいですね。
しかし、鼻緒だけを商う店が存在できたという時代。
羨ましい気さえします。
当時の若い女性は……。
男性と連れ立ってるときは、俯きがちに歩くのが良しとされたようです。
当然、足元の鼻緒が目に入ります。
男性と並んで歩くときの足元の鼻緒は……。
自己陶酔に浸るための重要なアイテムだったとか。
なので鼻緒選びは、かなりシビアだったと思います。
なお、一人で歩くときは、俯いて鼻緒を見てはいなかったでしょう。
電柱にぶつかってしまいますから。
俯いて歩けるのは、エスコートしてくれる誰かがいるからですね。
↓これは、「箱階段」と云うそうです。
↑「み」
階段下が収納スペースになってます。
↓ちゃんと説明書きも撮ってた方がおられます。
しかし、ものすごい急ですよね。
昔の人は着物だったから、余計上りづらかったんじゃないでしょうか。
足袋も滑りそうで怖いです。
酔っ払ったら、這って上るしかありません。
↑こういうとき、四つ足は便利です。
なお、やはり危険だからでしょう……。
展示されてる階段には、上れません。
↓思ったほど急じゃありません。
↑「み」
あ、これは箱階段じゃないですね。
右側に壁がありますから。
↓これは、作業場から上がる階段ですね。
↑「み」
そしたら、箱階段はどこにあったんだろう。
ネットを探してみたら……。
↓どうやら、土間にあったようです(拝借画像です)。
店先の紫の座布団が写ってます。
この箱階段を撮った写真は、ネット上にけっこうあったのですが……。
設置されてる位置がわかる写真が、非常に少なかったです。
わたしもそうですが……。
ついつい、アップで撮って満足してしまうんでしょう。
引いた1枚も押さえておくべきなんですね。
勉強になりました。
と思ったら……。
↓箱階段の位置がわかる写真を、ちゃんと自分で撮ってました!
↑「み」
さすがではないか!
相変わらず、ボケボケですが。
昨年までのカメラは、こんなにボケることはなかったように思います。
↑Sonyの『Cyber-shot DSC-WX1』という機種。
今年は、カメラを買い換えたんです。
前のカメラには、1点だけ不満がありました。
長く撮らないでいると、自動で電源が切れてしまうんです。
普通に使用する分には、これでもぜんぜん問題がありません。
でも、わたしには、これでは困るシチュエーションがあったんです。
すなわち、新幹線の車窓からの写真。
新幹線からの景色は、あっという間に飛び去ってしまうので……。
常に電源が入った状態でなければ、間に合わないんです。
↑「み」。この写真はもう都心なので、だいぶスピードは落ちてますが。
なのでわたしは、電源が落ちるたびに立ちあげなおしてたんです。
そのたびにレンズが出たり入ったりするので、電池の消費も早かったように思います。
それで今年は、電源を入れっぱなしに出来るモードのあるカメラを買いました。
↑Panasonicの『DMC-FH5』という機種。ピンクゴールドという色も気に入りました。
もちろん、中古ですが。
わたしは基本、新品は買いません。
最新機種である必要は、まったく感じません。
型落ちの中古だと、ぜんぜん値段が違いますから。
でも、暗いところの撮影性能は……。
前のカメラの方が良かったようですね。
前のカメラは、壊れたわけじゃないです。
2台持って行けばいいのでしょうが……。
今年のリュックの具合だと、もう収納場所がない気がします。
カメラだけでなく、予備のバッテリーや充電器も必要ですからね。
うーむ。
悩みどころじゃ。
↓これは、部屋の角に置かれた三角形の収納ですね。
↑「み」
造りつけでしょうか?
でも、角が直角なら、既製品でもいいはずです。
収納効率は、あまり良いとは思えない気がしますが。
↓位置は、帳場の後ろですね。
↑「み」
何を入れたんでしょう?
↓これを読んでから書けば良かった。
↑「み」。クリックすると大きい画像が見られます。ピンボケですが。
「鼻緒製造卸問屋」でした。
小売店じゃなかったわけです。
わたしが、この帳場で一番気になったのが、↓これ。
↑「み」
名称を知らないときに調べたのですが、まったくヒットしませんでした。
「帳場 柵」とかで検索したんだと思います。
この説明書きに、ちゃんと載ってましたね。
「帳場格子」でした。
いったい、用途は何なんでしょう。
今度は、「帳場格子」で引いたので、あっさりとわかりました。
↓『世界大百科事典 第2版』の解説です。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++
ちょうばごうし【帳場格子】
和風の商店、旅宿などの帳場(勘定や帳付をするところ)の三方を囲う細かい縦格子。結界ともいう。この囲いの中に主人や番頭がすわって机に向かい、商売の事務をとる。仏教では僧俗の座席を分けるための木柵を〈結界〉というが、帳場格子はもと仏教の結界から始まったものと思われる。今日の銀行出納室のスクリーンも帳場格子と同じ意味をもつ。【蔵田 周忠】
++++++++++++++++++++++++++++++++++++
まさか、「結界」と云うとは知りませんでした。
↑これがお寺の「結界」だそうです。見逃してただけとは思いますが、お寺でこれを見た覚えがありません。
しかし、完全に目隠しせず、格子にしたのはなぜなんですかね。
発祥を調べてみたのですが、やはりわかりませんでした。
「結界」と呼ぶのは、関西だそうです。
関西が発祥ですかね。
「結界」と云うように、象徴的な設備なんでしょうか。
実際、あんまり意味があるとは思いません。
お札が風で飛んでも、格子で止まるということもありますが……。
そんなら板壁にしてしまえば、正面からの風も防げます。
かっぱらいなどの防犯にも、多少は役立ちそうですが……。
これも、板壁にすれば、札が机に出てるかどうかも隠せるわけです。
ていうことは、この格子は……。
客からの視線を通すためなんじゃないですか。
もしこれが板壁だったらどうか。
板壁の向こうで、主人や番頭が、拳銃や刃物を握ってるかも知れません。
つまり、そんなことはしてませんよということを、客に表明するための格子じゃないすか?
あ……。
でも、それならそもそも、格子自体がなければいいじゃん!
でも格子もなければ、悪い客が机の上の「大福帳」をかっぱらって逃げ……。
自分への売掛をちゃらにしようという悪い魂胆を抱きかねません。
ま、この格子の内側のものに手を付けてもらっては困りまっせということで……。
「結界」なんすかね?
どうもすっきりしませんが。
でも、これがあるだけで、落ち着いて仕事出来そうなことだけは確かです。
会社辞めたら、座卓で仕事することにして……。
帳場格子、置こうかな。
新品の販売はありませんが、『ヤフオク!』には出てますね(こちら)。
↓いいですね。
↑「み」
テレビもラジオも無いから……。
夜は、柱時計の音だけが聞こえたでしょう。
電球の明かりもいいです。
今は、みんなLEDになってしまいました。
でもわたしは、机のLEDを電球色にしてます。
そっちの方が落ち着くんです。
LEDだから、熱くならないのもいいです。
↓これは、縁起物の熊手でしょう。
↑「み」
「酉の市」で買い求めるようです。
↑浅草の『鷲(おおとり)神社』。
「酉の市」は、11月の「酉の日」に神社で開催されるお祭り。
元々は、収穫祭だったそうです。
農民相手のお祭りですね。
熊手も、落ち葉かきの道具として売られてたとか。
↑これが、元々の熊手です。
それが次第に、運や金をかき集める縁起物とみなされるようになったとか。
で、宝船などの飾り物が施されるようになったわけです。
今ではもちろん、神社に出かけなくても買えます。
立派なものは、ネットでも買えます。
小さいものなら、ホームセンターなどにも売ってるでしょう。
来年用に、ひとつ買ってみますかね。
「運」にも「金」にも、縁がなさ過ぎるので。
↓これは、洗い張りという作業。
↑「み」
着物の糸を解いて、反物に戻して洗い……。
糊を付けて「張り板」に張って、乾かしてるところです。
これは、専門業者の店先ではありません。
普通の民家の玄関先です。
わたしの写真には写ってませんでしたが……。
↓洗い張りの隣には、干し柿やおしめも干してあります。
乾いたらまた、着物に縫い合わせるわけです。
着物の裏表を変えたりして、長く使ったようです。
昔は、それが当たり前だったので……。
みんな、当たり前にこの作業をやってたのです。
↑明治時代の洗い張りの様子。
今、業者以外でこれが出来る人は、めったにいないでしょう。
↑業者による洗い張り作業。
失われてつつある手作業は、このほかにもたくさんありそうですね。
↓また、見慣れない展示物。
↑「み」
箪笥みたいなのが車に載ってるようです。
これもまた、「用心籠」みたいな、火事対策でしょうか。
あるいは、夜逃げ用とか?
↓説明書きを撮ってました。
↑「み」。クリックすると大きな画像が見られます(ピンボケですが)。
「箱車」ですか。
初めて知りましたね。
これは、呉服店で使用されてたとのこと。
展示では引き出しが見えてますが……。
運ぶときは、右手に開いてる蓋を閉じたわけです。
そうでなきゃ、急停車したとき、引き出しが飛び出て来ます。
もちろん、蓋には雨よけの意味もあったでしょう。
こんなもので届ける家は、大店かお屋敷でしょうね。
当然、中身は高級な着物でしょう。
↑『はれのひ㈱』の元社長・篠崎洋一郎被告には、2018年12月19日、懲役2年6ヶ月の判決が下りました。
わたしはうかつにも、前方からしか写真を撮ってませんでした。
↓ほかの方が撮られた写真。
呉服店の名前が入ってます。
ということは、中に高級な着物が入ってることは丸わかりです。
途中、追い剥ぎとかに遭わなかったものですかね?
↑これは、カワハギ。皮がぺろんと剥げるから「皮剥ぎ」だとか。そんなら「皮剥がれ」ですよね。
それでも、行きの荷物は着物ですからまだいいですが……。
帰りは、代金を積んでたのでは?
いや。
それは、あまりにも危険です。
襲われる心配だけじゃありません。
箱車を引く店員が、そのままどこかにトンズラする可能性もあります。
やっぱり、箱車は着物を届けるだけでしょう。
代金は別のときに貰いに行ったはずです。
しかし、落語とかには、箱車は出て来ませんよね。
江戸時代は無かったわけですかね。
そういえば、人力車も明治以降でしょう。
大八車はあったわけですよね。
↑これは、江戸時代のようです。
(いつものとおり)ざっと調べたところ……。
どうやら幕府が、車輪を使った効率的な運搬業を許可しなかったようです。
なぜかというと、急激な社会変革が起きるから。
籠かきや馬子、人足などが、大量に失業します。
船も客を取られるでしょう。
早い話、幕府が最も恐れたのは、「変革」だったのです。
政権を長く維持するためには……。
社会が変わらないことが大事だったわけです。
実際、幕末は、外国と関わらざるを得なくなり……。
もっとも恐れた「変革」を幕府の力で押さえられなくなって、大政奉還に繋がったわけです。
↑大政奉還が行われた『二条城』の展示のようです。常設じゃないかも。
しかしねー。
変革を否定した江戸時代が、ひとえに悪い時代だったとは思えないんですよ。
変わらない方がいいものは、山のようにあります。
貴重な文化が、次々と失われてしまってる今……。
人類を滅ぼすのは、イノベーションなんじゃないかと思います。
あと、車を使った乗り物などが、江戸で発達しなかったのは……。
江戸に坂が多かったという事情もあるかも知れません。
↑買いました。面白かったです。
↓電話ボックスです。
↑「み」
こうした電話ボックスは、大正期、関東大震災前から、大通りでは普通に見られたものだそうです。
公衆電話が日本で初めて設置されたのは……。
明治33(1900)年9月だとか。
上野と新橋の駅構内だそうです。
翌年の10月、戸外にボックス型の公衆電話が設置されます。
場所は京橋。
六角形の白い電話ボックスだったそうです。
↑山口県萩駅前にある復元品。現在の公衆電話が入っており、電話が架けられるそうです。
市内通話料は、1通話(5分間)15銭。
しかし、架けたい相手が電話を持ってなければなりませんよね。
人が列を作るほどじゃなかったんじゃないでしょうか。
実際、15銭という料金は、かなり高額で、利用者は多くなかったそうです。
でもその後、明治35(1902)年8月に、料金が5銭へと値下げされ……。
利用数は急増したそうです。
電話の普及もあったでしょうね。
展示されてるのは、当時の実物では無く、復元品です。
このような赤い色の電話ボックスは、明治43(1910)年から用いられたそうです。
↓ボックスの中です。
↑「み」
「自動電話」となってますね。
当時の電話のかけ方はどうだったのかと云うと……。
①ベルを鳴らし、電話局の交換手を呼び出します。
②交換手に、相手の電話番号を告げます。
③交換手は、相手に電話を架けます。
④相手が出たら、交換手は「料金をお入れなさい」と命じます。
⑤料金差出口に、5銭と10銭の硬化を入れます。
⑥交換手は、お金の落ちる音を聞きわけます(5銭はチーンという高い音、10銭はボーンという鈍い音だそうです)。
⑦確かに15銭が投入されたと判断したら、交換手は相手に電話を繋ぎます。
どこが「自動」じゃ!
これ以上ない手動ではないか。
この電話機は、アメリカ製を改造したものだったようです。
「オートマチックテレフォン」が直訳され、「自動電話」と呼ばれたとか。
ふんとに、どこが「オートマチック」なんですかね。
↑当時の電話交換所。交換手は、女性の憧れの職業だったそうです。
しかし、疑問は、5銭と10銭の組み合わせだけしか入れられなかったのかということ。
5銭を3個でも良かったんじゃないでしょうか。
↑公衆電話が設置された明治33年の五銭白銅貨。立派ですよね。
でも、お釣りは出ませんね。
急いでて小銭が無いときは、10銭2枚で架けるしかありません。
お札はいくらあってもダメです。
音を聞けませんから。
しかし、音で硬化を聞きわけるというのは強烈ですね。
↑『忍風戦隊ハリケンジャー』の「超忍法、地獄耳!」。
1銭銅貨は使えなかったのでしょうか。
15枚入れなきゃなりません。
交換手を介さないダイヤル式の「自動化」がなされたのは、大正15(1926)年だそうです。
ようやく、本当の「自動電話」となったわけですが……。
皮肉にも、同じころ、名称が「公衆電話」に改められたそうです。
↓これが、『下町風俗資料館』での最後の写真。
↑「み」
悲しいほどブレてます。
やっぱり、暗い展示場では、以前のカメラを使った方がいいですね。
面倒くさいのぅ。
最後のブレブレ写真の撮影時刻は、14:37分。
↓入館前、建物入口で撮った写真が、14:19分。
↑「み」
たったの18分しかいなかったんですね。
もうちょっと、じっくりと見るべきなのは明らかです。
でもたぶん、腰が痛かったんだと思います。
↑ほぼ『悪魔の手鞠歌』状態。
『下町風俗資料館』には、ロッカーも無いですから……。
ずっと重たいリュックを背負ってましたので。
↓再び、不忍池のほとりに出ました。
↑「み」。クリックすると大きな画像が見られます。
やっぱり、明るいところなら、ボケてませんよね。
↓何気なく池を覗きこんでびっくり。
↑「み」
亀が、ノウノウと泳いでました。
池は、ほとんど蓮の葉に覆われてますが……。
↓ここだけが、ぽっかりと開けてたんです。
↑「み」
何で亀がここに出てくるのか、すぐにわかりました。
餌をやる人がいるんです。
↑驚きました。こんな状態になるようです。亀vs鯉vs鳩vs烏の4つ巴の戦いだとか。
このときは、外人が餌をやってました。
外人は、歩き食いしますからね。
屋台かなんかで買ったものを、千切って投げてたようです。
この亀たちも、元々は屋台で売られてたのかも知れません。
亀の種類は、クビ元の派手な柄で、すぐにわかりました。
ミシシッピアカミミガメ。
いわゆるミドリガメです。
かつて、祭の縁日などで、タライに入れられて売られてました。
↑けっこうなお値段ですね。ぼろ儲けじゃないすか?
今は、ダメなんでしょうけどね。
売られてたときの大きさは、子供の手の平に収まるほど。
子供にとっては、格好のおもちゃだったでしょう。
ねだられて、つい買ってしまう親もいたんでしょうね。
悪い業者は……。
「大きゅうならへんで。ずっとこのままや」とか言って売ってたみたいです。
とんでもない話で、ミシシッピアカミミガメは成長が早く、すぐに巨大化し、30センチ以上になります。
↑こないになります。持ってるのは大人です。
寿命は30年以上あるそうで、子供が大人になっても、まだ生きてるわけです。
途中で飼いきれなくなるのは明らかです。
東京の街中には、水路などないので……。
わざわざ不忍池まで捨てに来るのかも知れません。
ま、一概に非難ばかりも出来ません。
仕方ないんじゃないですか。
外来種と云いますが、元々人間だって、日本列島の外来種です。
人間がいなくなるのが、地球にとっては一番いいんですよね。
↓亀を撮ってから12分後の写真です。
↑「み」
この日の泊まりは上野ですから、上野近辺だと思います。
何の意図があって撮ったのか、まるで思い出せません。
そうだ。
思い出しました。
宿までの道中を、迷いに迷ったんですよ。
『Google Map』を起動しましたが……。
画面を見てると目が回るばかりで、方向がまったくわかりませんでした。
今度からは、紙の地図を持って来ることにします。
↓迷ってる途中で撮った写真。
↑「み」
廃墟のようになってます。
ここらの土地なら、いくらでも買い手は付くはずです。
何で売らないんですかね。
ひょっとしたら、持ち主が亡くなって、相続する人が見つからないのかも知れません。
空き家が問題になってますが、空きビル問題というのもあるのかも知れないですね。
↑「み」
↓これは、「立て万力」という道具のようです。
↑「み」
製品を挟んで締めつけ、固定する道具だそうです。
ヤスリ掛けのときなどに使ったとか。
なんだか、拷問に使えそうですね。
指を挟んで、少しずつ締めていくわけです。
想像しただけで、後ろ髪が逆立ちそうです。
↑実際にありました。「親指つぶし器」だそうです。お手軽で、効果絶大だとか。
↓これは、「やっとこ」という道具。
↑「み」
↓あまりにもピンボケなので、別の拝借画像を添付します。
金槌で叩くとき、製品を挟んで固定させます。
何本もあるのは、先端の形が違ってるからみたいです。
しかし、「やっとこ」の語源は何なんでしょう?
歌にありましたよね。
探してみました。
〽やっとこやっとこくりだした。
↓『おもちゃのマーチ』の出だしでした。
一瞬、野坂昭如の作詞の歌だったかと思いましたが……。
↓野坂氏の作詞は、『おもちゃのチャチャチャ』でした。
ちなみに、新潟弁には「やっとこさ」というのがあります。
「やっとのことで」という意味です。
でもこの方言、新潟特有のものではないようです。
関東を中心に、広く使われてるみたいです。
↑どこの方なのかの表明はないようです(『今日も1日やっとこさ -4コマ育児絵日記-』)。
「やっと」を強調するために、「やっとこ」→「やっとこさ」になったんでしょう。
工具の「やっとこ」の語源もわかりました。
正式名称が、「焼床鋏(やきどこばさみ)」でした。
熱い炉の中の半製品を掴む道具です。
「やきどこ」→「やっとこ」となったのでしょう。
ちなみに『おもちゃのマーチ』の「やっとこ」は……。
もちろん、「やっとのことで」の方ですね。
↓これは、別の家の茶の間です。
↑「み」
駄菓子屋のようです。
↓奥に店先が覗いてます。
↑「み」。常にピンボケなのは、薄暗かったせいですかね。
↓家屋において、最も興味がある場所、トイレです。
↑「み」
トイレというより、お便所ですわな。
↓このカンカラみたいなのは、手洗い器です。
↑「み」
確か、下にあるボッチみたいなのを押しあげると、水が出るんじゃなかったかな。
↓探したら、画像がありました。
正式名称は、「吊り手水(つりちょうず)」と云うようです。
昔は水洗じゃないので、トイレに水道は引かれてません。
ということで、こういう手洗い器が必要だったわけです。
なお、使ってるとき、水は下にだだ漏れになりますから……。
基本、野外に吊されてたわけです。
↓しかし、これはタオルじゃないですかね?
↑「み」
タオルって、いつごろ普及したのでしょう。
昔は文字どおりの、「手ぬぐい」が使われてたはずです。
今はもちろん、どこのトイレもタオルでしょう。
いつごろ切り替わっていったかですね。
でも、この展示では、ぜひ「手ぬぐい」を下げてもらいたかったです。
↑「腰手ぬぐい」というスタイル。
しかし、このお便所。
冬は寒かったでしょうね。
脳卒中でバタバタ倒れたんじゃないでしょうか。
↑ヒートショックに注意。わが家のトイレは、常時16度くらいになってます。ガジュマルの住まいですので。でも、途中の廊下は寒いわな。
ま、臭かったわけですから……。
出来るだけ居間からは離して設置したかったわけです。
食事中に臭ったら、嫌ですからね。
↑飼い主のバイクヘルメットを嗅ぎ、臭さに呆然とする猫。
↓「人力車」の説明です。
↑「み」。クリックすると大きい画像が見られます。
日本の発明品なんですね。
↓これが本体です。
↑「み」
ではなぜ、「人力車」という人が引く乗り物が、欧米には無かったのか。
ま、よくわかりませんが……。
早い話、欧米では、人を使うより馬を使った方がコストが安く……。
逆に日本を初めとするアジアでは、人の方が安かったということらしいです。
↑イギリスの鉄道馬車。これなら大勢運べますから、一人頭のコストは小さくなります。
この人力車、観光地などでは今でもありますよね。
わたしは、1度も乗ったことがありませんが。
そういえば、『大分に行こう!』で書きましたね。
超韋駄天の車夫の車に乗る話。
↓湯布院でした。
『大分に行こう!』を探してみました。
『大分に行こう!(5)』でした。
久しぶりに読み返してしまった。
今とは、だいぶ書き口調が違いますね。
しかし、正直、面白かった。
今から、6年前の文章です。
うーむ、負けてられんわい。
話を戻します。
人力車に乗るのは興味ありますが……。
やっぱり、車夫さんと会話したりが億劫そうです。
↑こんなイケメンさんだったら、たぶん一言もしゃべれません。
『大分に行こう!(5)』では、苦もなく会話してますが……。
実際のわたしは、シャイなんで。
↑これは、サイ。
お歳のいった車夫さんだったら、何だか乗ってるのが申し訳ない気になりますし……。
あとやっぱ、料金ですね。
もちろん、規定料金があって、それだけ払えばいいのでしょうが……。
「ご祝儀」みたいなのを付けなくていいのか、悩むところです。
たぶん、規定料金は1,000円単位だと思うので……。
「釣りは要らねーよ」をやると、とんでもなく多く払うことになってしまいます。
↑昔の芸者さんが持つ祝儀袋のようです。車夫などに心付けをやったのでしょうか? 旅先では、思わぬ親切を受けることもあるでしょう。こういうのを携帯してると、いざというとき役に立つかも知れません。
↓ゴミ箱と、野外の竈ですね。
↑「み」
ほんとにこんなところで、ご飯を炊いたのでしょうか?
冬は、乾燥した風が吹いてます。
火の粉が舞いあがることもあったでしょう。
怖いです。
それに、こういう薪は、どうやって調達したのでしょう?
今みたいに、ホームセンターでは買えません。
↑新潟のホームセンターでは売ってませんね。自宅に薪ストーブを設置するという発想は無いと思います。
薪売りの人が回ってきたりしたんですかね?
↑大原女(おおはらめ)の薪売りだそうです。ほんとでしょうか? 一束売ったら、それでその日の商売、お終いですよ。
↓これは何でしょう?
↑「み」
↓説明書きをアップします。
↑「み」。読めますよね?
「用心籠」。
初めて聞きました。
火事などのとき、ここに大事なものを入れ運び出す籠だそうです。
上に竹の棒が出てますね。
↓よくわかる画像がありました。
つまり、籠の前後に人が立ち、この竹の棒を担いだのでしょう。
籠自体は籐のようですから、重さは大したことないはずです。
底が抜けないよう、竹の棒で補強してあります。
↑ほかの人は、どうしてピンボケじゃない写真が撮れるんでしょう?
夫婦で担いでも、そこそこなものが入れられたんじゃないでしょうか。
火事場の馬鹿力も出たでしょうし。
こんなものが備わってると云うことは……。
やはり、大正時代でも火事は怖かったはずです。
さっきの吹きさらしの竈と用心籠。
日本人というのも、わからん人種ですよね。
普通は、火事が出ないような工夫をすると思うのですが。
火事が出てからの用意をしつつ……。
火事になりやすい暮らしをしてるわけです。
↓またもや、大ピンボケ。
↑「み」
ていうか、ブレブレですね。
なんでこんな写真になるんでしょう。
シャッターを押すときに、カメラが動くんですかね。
パンフレットなどを小脇に挟んで撮ってたのかも知れません。
↓鮮明な拝借画像をどうぞ。
暗くても、ちゃんと撮れるんだよな。
ここは、鼻緒屋のようです。
草履や下駄、主に女性ものの鼻緒でしょうね。
高級品を扱う店だそうです。
ということは、火事のときは……。
この鼻緒を「用心籠」に投げこんで逃げるのでしょう。
だから、「用心籠」がこの上にあったわけだ。
↓ここは鼻緒屋の店先です。
↑「み」
↓禁煙の札が立てかけてありますが……。
↑「み」
もちろん、当時の店先に掲げてあったはずはありません。
手前にたばこ盆があるので……。
以前は、喫煙所と思って吸う見学客がいたのかも知れません。
今はさすがに、そんな人はいないでしょうけど。
奥に階段が見えてるのが、鼻緒がたくさん掛けてあったスペースです。
おそらく、作業場なんでしょうね。
この店先の座布団に客を上げ、鼻緒を選ばせたんでしょうか。
草履や下駄の鼻緒を替えるわけですから……。
客は履物を脱いで、店先に上がらなくちゃならないわけです。
客の希望を聞いて……。
主人が、奥から何点か鼻緒を持ってきて選ばせたのかも知れません。
それなら、客を奥の鼻緒が下げてあるスペースに案内して選ばせたらいいじゃないかと思いますが……。
それをやると、容易に決まらなかったと思います。
特に女性は。
やはり、主人が持ってきた中から選ばせた方がいいですね。
しかし、鼻緒だけを商う店が存在できたという時代。
羨ましい気さえします。
当時の若い女性は……。
男性と連れ立ってるときは、俯きがちに歩くのが良しとされたようです。
当然、足元の鼻緒が目に入ります。
男性と並んで歩くときの足元の鼻緒は……。
自己陶酔に浸るための重要なアイテムだったとか。
なので鼻緒選びは、かなりシビアだったと思います。
なお、一人で歩くときは、俯いて鼻緒を見てはいなかったでしょう。
電柱にぶつかってしまいますから。
俯いて歩けるのは、エスコートしてくれる誰かがいるからですね。
↓これは、「箱階段」と云うそうです。
↑「み」
階段下が収納スペースになってます。
↓ちゃんと説明書きも撮ってた方がおられます。
しかし、ものすごい急ですよね。
昔の人は着物だったから、余計上りづらかったんじゃないでしょうか。
足袋も滑りそうで怖いです。
酔っ払ったら、這って上るしかありません。
↑こういうとき、四つ足は便利です。
なお、やはり危険だからでしょう……。
展示されてる階段には、上れません。
↓思ったほど急じゃありません。
↑「み」
あ、これは箱階段じゃないですね。
右側に壁がありますから。
↓これは、作業場から上がる階段ですね。
↑「み」
そしたら、箱階段はどこにあったんだろう。
ネットを探してみたら……。
↓どうやら、土間にあったようです(拝借画像です)。
店先の紫の座布団が写ってます。
この箱階段を撮った写真は、ネット上にけっこうあったのですが……。
設置されてる位置がわかる写真が、非常に少なかったです。
わたしもそうですが……。
ついつい、アップで撮って満足してしまうんでしょう。
引いた1枚も押さえておくべきなんですね。
勉強になりました。
と思ったら……。
↓箱階段の位置がわかる写真を、ちゃんと自分で撮ってました!
↑「み」
さすがではないか!
相変わらず、ボケボケですが。
昨年までのカメラは、こんなにボケることはなかったように思います。
↑Sonyの『Cyber-shot DSC-WX1』という機種。
今年は、カメラを買い換えたんです。
前のカメラには、1点だけ不満がありました。
長く撮らないでいると、自動で電源が切れてしまうんです。
普通に使用する分には、これでもぜんぜん問題がありません。
でも、わたしには、これでは困るシチュエーションがあったんです。
すなわち、新幹線の車窓からの写真。
新幹線からの景色は、あっという間に飛び去ってしまうので……。
常に電源が入った状態でなければ、間に合わないんです。
↑「み」。この写真はもう都心なので、だいぶスピードは落ちてますが。
なのでわたしは、電源が落ちるたびに立ちあげなおしてたんです。
そのたびにレンズが出たり入ったりするので、電池の消費も早かったように思います。
それで今年は、電源を入れっぱなしに出来るモードのあるカメラを買いました。
↑Panasonicの『DMC-FH5』という機種。ピンクゴールドという色も気に入りました。
もちろん、中古ですが。
わたしは基本、新品は買いません。
最新機種である必要は、まったく感じません。
型落ちの中古だと、ぜんぜん値段が違いますから。
でも、暗いところの撮影性能は……。
前のカメラの方が良かったようですね。
前のカメラは、壊れたわけじゃないです。
2台持って行けばいいのでしょうが……。
今年のリュックの具合だと、もう収納場所がない気がします。
カメラだけでなく、予備のバッテリーや充電器も必要ですからね。
うーむ。
悩みどころじゃ。
↓これは、部屋の角に置かれた三角形の収納ですね。
↑「み」
造りつけでしょうか?
でも、角が直角なら、既製品でもいいはずです。
収納効率は、あまり良いとは思えない気がしますが。
↓位置は、帳場の後ろですね。
↑「み」
何を入れたんでしょう?
↓これを読んでから書けば良かった。
↑「み」。クリックすると大きい画像が見られます。ピンボケですが。
「鼻緒製造卸問屋」でした。
小売店じゃなかったわけです。
わたしが、この帳場で一番気になったのが、↓これ。
↑「み」
名称を知らないときに調べたのですが、まったくヒットしませんでした。
「帳場 柵」とかで検索したんだと思います。
この説明書きに、ちゃんと載ってましたね。
「帳場格子」でした。
いったい、用途は何なんでしょう。
今度は、「帳場格子」で引いたので、あっさりとわかりました。
↓『世界大百科事典 第2版』の解説です。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++
ちょうばごうし【帳場格子】
和風の商店、旅宿などの帳場(勘定や帳付をするところ)の三方を囲う細かい縦格子。結界ともいう。この囲いの中に主人や番頭がすわって机に向かい、商売の事務をとる。仏教では僧俗の座席を分けるための木柵を〈結界〉というが、帳場格子はもと仏教の結界から始まったものと思われる。今日の銀行出納室のスクリーンも帳場格子と同じ意味をもつ。【蔵田 周忠】
++++++++++++++++++++++++++++++++++++
まさか、「結界」と云うとは知りませんでした。
↑これがお寺の「結界」だそうです。見逃してただけとは思いますが、お寺でこれを見た覚えがありません。
しかし、完全に目隠しせず、格子にしたのはなぜなんですかね。
発祥を調べてみたのですが、やはりわかりませんでした。
「結界」と呼ぶのは、関西だそうです。
関西が発祥ですかね。
「結界」と云うように、象徴的な設備なんでしょうか。
実際、あんまり意味があるとは思いません。
お札が風で飛んでも、格子で止まるということもありますが……。
そんなら板壁にしてしまえば、正面からの風も防げます。
かっぱらいなどの防犯にも、多少は役立ちそうですが……。
これも、板壁にすれば、札が机に出てるかどうかも隠せるわけです。
ていうことは、この格子は……。
客からの視線を通すためなんじゃないですか。
もしこれが板壁だったらどうか。
板壁の向こうで、主人や番頭が、拳銃や刃物を握ってるかも知れません。
つまり、そんなことはしてませんよということを、客に表明するための格子じゃないすか?
あ……。
でも、それならそもそも、格子自体がなければいいじゃん!
でも格子もなければ、悪い客が机の上の「大福帳」をかっぱらって逃げ……。
自分への売掛をちゃらにしようという悪い魂胆を抱きかねません。
ま、この格子の内側のものに手を付けてもらっては困りまっせということで……。
「結界」なんすかね?
どうもすっきりしませんが。
でも、これがあるだけで、落ち着いて仕事出来そうなことだけは確かです。
会社辞めたら、座卓で仕事することにして……。
帳場格子、置こうかな。
新品の販売はありませんが、『ヤフオク!』には出てますね(こちら)。
↓いいですね。
↑「み」
テレビもラジオも無いから……。
夜は、柱時計の音だけが聞こえたでしょう。
電球の明かりもいいです。
今は、みんなLEDになってしまいました。
でもわたしは、机のLEDを電球色にしてます。
そっちの方が落ち着くんです。
LEDだから、熱くならないのもいいです。
↓これは、縁起物の熊手でしょう。
↑「み」
「酉の市」で買い求めるようです。
↑浅草の『鷲(おおとり)神社』。
「酉の市」は、11月の「酉の日」に神社で開催されるお祭り。
元々は、収穫祭だったそうです。
農民相手のお祭りですね。
熊手も、落ち葉かきの道具として売られてたとか。
↑これが、元々の熊手です。
それが次第に、運や金をかき集める縁起物とみなされるようになったとか。
で、宝船などの飾り物が施されるようになったわけです。
今ではもちろん、神社に出かけなくても買えます。
立派なものは、ネットでも買えます。
小さいものなら、ホームセンターなどにも売ってるでしょう。
来年用に、ひとつ買ってみますかね。
「運」にも「金」にも、縁がなさ過ぎるので。
↓これは、洗い張りという作業。
↑「み」
着物の糸を解いて、反物に戻して洗い……。
糊を付けて「張り板」に張って、乾かしてるところです。
これは、専門業者の店先ではありません。
普通の民家の玄関先です。
わたしの写真には写ってませんでしたが……。
↓洗い張りの隣には、干し柿やおしめも干してあります。
乾いたらまた、着物に縫い合わせるわけです。
着物の裏表を変えたりして、長く使ったようです。
昔は、それが当たり前だったので……。
みんな、当たり前にこの作業をやってたのです。
↑明治時代の洗い張りの様子。
今、業者以外でこれが出来る人は、めったにいないでしょう。
↑業者による洗い張り作業。
失われてつつある手作業は、このほかにもたくさんありそうですね。
↓また、見慣れない展示物。
↑「み」
箪笥みたいなのが車に載ってるようです。
これもまた、「用心籠」みたいな、火事対策でしょうか。
あるいは、夜逃げ用とか?
↓説明書きを撮ってました。
↑「み」。クリックすると大きな画像が見られます(ピンボケですが)。
「箱車」ですか。
初めて知りましたね。
これは、呉服店で使用されてたとのこと。
展示では引き出しが見えてますが……。
運ぶときは、右手に開いてる蓋を閉じたわけです。
そうでなきゃ、急停車したとき、引き出しが飛び出て来ます。
もちろん、蓋には雨よけの意味もあったでしょう。
こんなもので届ける家は、大店かお屋敷でしょうね。
当然、中身は高級な着物でしょう。
↑『はれのひ㈱』の元社長・篠崎洋一郎被告には、2018年12月19日、懲役2年6ヶ月の判決が下りました。
わたしはうかつにも、前方からしか写真を撮ってませんでした。
↓ほかの方が撮られた写真。
呉服店の名前が入ってます。
ということは、中に高級な着物が入ってることは丸わかりです。
途中、追い剥ぎとかに遭わなかったものですかね?
↑これは、カワハギ。皮がぺろんと剥げるから「皮剥ぎ」だとか。そんなら「皮剥がれ」ですよね。
それでも、行きの荷物は着物ですからまだいいですが……。
帰りは、代金を積んでたのでは?
いや。
それは、あまりにも危険です。
襲われる心配だけじゃありません。
箱車を引く店員が、そのままどこかにトンズラする可能性もあります。
やっぱり、箱車は着物を届けるだけでしょう。
代金は別のときに貰いに行ったはずです。
しかし、落語とかには、箱車は出て来ませんよね。
江戸時代は無かったわけですかね。
そういえば、人力車も明治以降でしょう。
大八車はあったわけですよね。
↑これは、江戸時代のようです。
(いつものとおり)ざっと調べたところ……。
どうやら幕府が、車輪を使った効率的な運搬業を許可しなかったようです。
なぜかというと、急激な社会変革が起きるから。
籠かきや馬子、人足などが、大量に失業します。
船も客を取られるでしょう。
早い話、幕府が最も恐れたのは、「変革」だったのです。
政権を長く維持するためには……。
社会が変わらないことが大事だったわけです。
実際、幕末は、外国と関わらざるを得なくなり……。
もっとも恐れた「変革」を幕府の力で押さえられなくなって、大政奉還に繋がったわけです。
↑大政奉還が行われた『二条城』の展示のようです。常設じゃないかも。
しかしねー。
変革を否定した江戸時代が、ひとえに悪い時代だったとは思えないんですよ。
変わらない方がいいものは、山のようにあります。
貴重な文化が、次々と失われてしまってる今……。
人類を滅ぼすのは、イノベーションなんじゃないかと思います。
あと、車を使った乗り物などが、江戸で発達しなかったのは……。
江戸に坂が多かったという事情もあるかも知れません。
↑買いました。面白かったです。
↓電話ボックスです。
↑「み」
こうした電話ボックスは、大正期、関東大震災前から、大通りでは普通に見られたものだそうです。
公衆電話が日本で初めて設置されたのは……。
明治33(1900)年9月だとか。
上野と新橋の駅構内だそうです。
翌年の10月、戸外にボックス型の公衆電話が設置されます。
場所は京橋。
六角形の白い電話ボックスだったそうです。
↑山口県萩駅前にある復元品。現在の公衆電話が入っており、電話が架けられるそうです。
市内通話料は、1通話(5分間)15銭。
しかし、架けたい相手が電話を持ってなければなりませんよね。
人が列を作るほどじゃなかったんじゃないでしょうか。
実際、15銭という料金は、かなり高額で、利用者は多くなかったそうです。
でもその後、明治35(1902)年8月に、料金が5銭へと値下げされ……。
利用数は急増したそうです。
電話の普及もあったでしょうね。
展示されてるのは、当時の実物では無く、復元品です。
このような赤い色の電話ボックスは、明治43(1910)年から用いられたそうです。
↓ボックスの中です。
↑「み」
「自動電話」となってますね。
当時の電話のかけ方はどうだったのかと云うと……。
①ベルを鳴らし、電話局の交換手を呼び出します。
②交換手に、相手の電話番号を告げます。
③交換手は、相手に電話を架けます。
④相手が出たら、交換手は「料金をお入れなさい」と命じます。
⑤料金差出口に、5銭と10銭の硬化を入れます。
⑥交換手は、お金の落ちる音を聞きわけます(5銭はチーンという高い音、10銭はボーンという鈍い音だそうです)。
⑦確かに15銭が投入されたと判断したら、交換手は相手に電話を繋ぎます。
どこが「自動」じゃ!
これ以上ない手動ではないか。
この電話機は、アメリカ製を改造したものだったようです。
「オートマチックテレフォン」が直訳され、「自動電話」と呼ばれたとか。
ふんとに、どこが「オートマチック」なんですかね。
↑当時の電話交換所。交換手は、女性の憧れの職業だったそうです。
しかし、疑問は、5銭と10銭の組み合わせだけしか入れられなかったのかということ。
5銭を3個でも良かったんじゃないでしょうか。
↑公衆電話が設置された明治33年の五銭白銅貨。立派ですよね。
でも、お釣りは出ませんね。
急いでて小銭が無いときは、10銭2枚で架けるしかありません。
お札はいくらあってもダメです。
音を聞けませんから。
しかし、音で硬化を聞きわけるというのは強烈ですね。
↑『忍風戦隊ハリケンジャー』の「超忍法、地獄耳!」。
1銭銅貨は使えなかったのでしょうか。
15枚入れなきゃなりません。
交換手を介さないダイヤル式の「自動化」がなされたのは、大正15(1926)年だそうです。
ようやく、本当の「自動電話」となったわけですが……。
皮肉にも、同じころ、名称が「公衆電話」に改められたそうです。
↓これが、『下町風俗資料館』での最後の写真。
↑「み」
悲しいほどブレてます。
やっぱり、暗い展示場では、以前のカメラを使った方がいいですね。
面倒くさいのぅ。
最後のブレブレ写真の撮影時刻は、14:37分。
↓入館前、建物入口で撮った写真が、14:19分。
↑「み」
たったの18分しかいなかったんですね。
もうちょっと、じっくりと見るべきなのは明らかです。
でもたぶん、腰が痛かったんだと思います。
↑ほぼ『悪魔の手鞠歌』状態。
『下町風俗資料館』には、ロッカーも無いですから……。
ずっと重たいリュックを背負ってましたので。
↓再び、不忍池のほとりに出ました。
↑「み」。クリックすると大きな画像が見られます。
やっぱり、明るいところなら、ボケてませんよね。
↓何気なく池を覗きこんでびっくり。
↑「み」
亀が、ノウノウと泳いでました。
池は、ほとんど蓮の葉に覆われてますが……。
↓ここだけが、ぽっかりと開けてたんです。
↑「み」
何で亀がここに出てくるのか、すぐにわかりました。
餌をやる人がいるんです。
↑驚きました。こんな状態になるようです。亀vs鯉vs鳩vs烏の4つ巴の戦いだとか。
このときは、外人が餌をやってました。
外人は、歩き食いしますからね。
屋台かなんかで買ったものを、千切って投げてたようです。
この亀たちも、元々は屋台で売られてたのかも知れません。
亀の種類は、クビ元の派手な柄で、すぐにわかりました。
ミシシッピアカミミガメ。
いわゆるミドリガメです。
かつて、祭の縁日などで、タライに入れられて売られてました。
↑けっこうなお値段ですね。ぼろ儲けじゃないすか?
今は、ダメなんでしょうけどね。
売られてたときの大きさは、子供の手の平に収まるほど。
子供にとっては、格好のおもちゃだったでしょう。
ねだられて、つい買ってしまう親もいたんでしょうね。
悪い業者は……。
「大きゅうならへんで。ずっとこのままや」とか言って売ってたみたいです。
とんでもない話で、ミシシッピアカミミガメは成長が早く、すぐに巨大化し、30センチ以上になります。
↑こないになります。持ってるのは大人です。
寿命は30年以上あるそうで、子供が大人になっても、まだ生きてるわけです。
途中で飼いきれなくなるのは明らかです。
東京の街中には、水路などないので……。
わざわざ不忍池まで捨てに来るのかも知れません。
ま、一概に非難ばかりも出来ません。
仕方ないんじゃないですか。
外来種と云いますが、元々人間だって、日本列島の外来種です。
人間がいなくなるのが、地球にとっては一番いいんですよね。
↓亀を撮ってから12分後の写真です。
↑「み」
この日の泊まりは上野ですから、上野近辺だと思います。
何の意図があって撮ったのか、まるで思い出せません。
そうだ。
思い出しました。
宿までの道中を、迷いに迷ったんですよ。
『Google Map』を起動しましたが……。
画面を見てると目が回るばかりで、方向がまったくわかりませんでした。
今度からは、紙の地図を持って来ることにします。
↓迷ってる途中で撮った写真。
↑「み」
廃墟のようになってます。
ここらの土地なら、いくらでも買い手は付くはずです。
何で売らないんですかね。
ひょっとしたら、持ち主が亡くなって、相続する人が見つからないのかも知れません。
空き家が問題になってますが、空きビル問題というのもあるのかも知れないですね。