2018.12.10(月)
↓ゴミ箱と、野外の竈ですね。

↑「み」
ほんとにこんなところで、ご飯を炊いたのでしょうか?
冬は、乾燥した風が吹いてます。
火の粉が舞いあがることもあったでしょう。
怖いです。
それに、こういう薪は、どうやって調達したのでしょう?
今みたいに、ホームセンターでは買えません。

↑新潟のホームセンターでは売ってませんね。自宅に薪ストーブを設置するという発想は無いと思います。
薪売りの人が回ってきたりしたんですかね?

↑大原女(おおはらめ)の薪売りだそうです。ほんとでしょうか? 一束売ったら、それでその日の商売、お終いですよ。
↓これは何でしょう?

↑「み」
↓説明書きをアップします。

↑「み」。読めますよね?
「用心籠」。
初めて聞きました。
火事などのとき、ここに大事なものを入れ運び出す籠だそうです。
上に竹の棒が出てますね。
↓よくわかる画像がありました。

つまり、籠の前後に人が立ち、この竹の棒を担いだのでしょう。
籠自体は籐のようですから、重さは大したことないはずです。
底が抜けないよう、竹の棒で補強してあります。

↑ほかの人は、どうしてピンボケじゃない写真が撮れるんでしょう?
夫婦で担いでも、そこそこなものが入れられたんじゃないでしょうか。
火事場の馬鹿力も出たでしょうし。

こんなものが備わってると云うことは……。
やはり、大正時代でも火事は怖かったはずです。
さっきの吹きさらしの竈と用心籠。

日本人というのも、わからん人種ですよね。
普通は、火事が出ないような工夫をすると思うのですが。
火事が出てからの用意をしつつ……。
火事になりやすい暮らしをしてるわけです。

↑「み」
ほんとにこんなところで、ご飯を炊いたのでしょうか?
冬は、乾燥した風が吹いてます。
火の粉が舞いあがることもあったでしょう。
怖いです。
それに、こういう薪は、どうやって調達したのでしょう?
今みたいに、ホームセンターでは買えません。

↑新潟のホームセンターでは売ってませんね。自宅に薪ストーブを設置するという発想は無いと思います。
薪売りの人が回ってきたりしたんですかね?

↑大原女(おおはらめ)の薪売りだそうです。ほんとでしょうか? 一束売ったら、それでその日の商売、お終いですよ。
↓これは何でしょう?

↑「み」
↓説明書きをアップします。

↑「み」。読めますよね?
「用心籠」。
初めて聞きました。
火事などのとき、ここに大事なものを入れ運び出す籠だそうです。
上に竹の棒が出てますね。
↓よくわかる画像がありました。

つまり、籠の前後に人が立ち、この竹の棒を担いだのでしょう。
籠自体は籐のようですから、重さは大したことないはずです。
底が抜けないよう、竹の棒で補強してあります。

↑ほかの人は、どうしてピンボケじゃない写真が撮れるんでしょう?
夫婦で担いでも、そこそこなものが入れられたんじゃないでしょうか。
火事場の馬鹿力も出たでしょうし。

こんなものが備わってると云うことは……。
やはり、大正時代でも火事は怖かったはずです。
さっきの吹きさらしの竈と用心籠。

日本人というのも、わからん人種ですよね。
普通は、火事が出ないような工夫をすると思うのですが。
火事が出てからの用意をしつつ……。
火事になりやすい暮らしをしてるわけです。
コメント一覧
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1. Mikiko- 2018/12/10 07:25
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竈
関西では、「へっつい」と呼ぶそうです。
落語には、『へっつい幽霊』という話があるとか。
元々は上方落語で、『かまど幽霊』だったそうです。
それを、大正初期に3代目三遊亭圓馬が東京に持ちこんで、『へっつい幽霊』になったとか。
なんだか逆ですよね。
竈の起源は、もちろん、簡易的な炉です。
キャンプで飯盒炊飯するとき、石を組んだりしますが、あんな感じでしょう。
石器時代からあるそうです。
火が使えるようになれば……。
世界中何処でも、調理に炉が使われるであろうことは想像できます。
最初は、バーベキューみたいな使い方だけだったでしょうが……。
土器が造られてからは、調理のバリエーションは飛躍的に増えたはず。
さて。
日本の土器と云えば、縄文土器ですよね。
↓この秋の『ジャポニズム2018』では、パリで縄文展が開かれてました。
https://tokuhain.arukikata.co.jp/paris/2018/10/post_516.html
「国宝」「重文」がずらりと揃う展覧会だったそうです。
会場へ入ると、すぐに出迎えてくれるのが……。
「火焔型土器」。
新潟県十日町市の笹山遺跡から出土した、縄文を象徴する一品です。
もちろん、国宝。
青森県つがる市の亀ヶ岡遺跡から出土した「遮光器土偶」も出品されました。
こちらは、重文。
さて。
「火焔型土器」で不思議なのは……。
お焦げなど、ちゃんと煮炊きした跡があるということ。
もし集落の特定の場所からだけ出て来たのなら……。
祭祀としての煮炊きが行われたと考えることが出来ます。
でも、集落のそこら中から出てくるんです。
つまり、普通の家々で、「火焔型土器」を使った煮炊きが日常的に行われてたということなんです。
縄文人、何考えとんねん!
続きは次のコメントで。
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2. Mikiko- 2018/12/10 07:25
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竈(つづき)
ここで、「火焔型土器」の成り立ちを考えてみます。
まず、あの上方にいくに従って広がる形状ですが……。
あれは、噴きこぼれを防ぐためだったという説があるそうです。
なんとなく納得できます。
お母ちゃんに工夫を指令されたお父ちゃんは……。
「上を膨らませたらいいんちゃう?」と閃きます。
しかし、土を捏ねる手が、外側にフォルムを膨らませてるとき……。
突然、爆発が起きたのです。
どこで?
もちろん、お父ちゃんの脳内です。
そのお父ちゃんは、岡本太郎の先祖でした。
お父ちゃんの手は、何かが乗り移ったように激しく動き出しました。
自ら「なんじゃこりゃ、なんじゃこりゃ」と叫びながら……。
瞬く間に、あの異様な意匠が盛りあがっていったのです。
「火焔型土器」の誕生です。
そしてそれは、日本における「芸術の誕生」でもあったのです。
出来上がったものを見たお母ちゃんは、もちろん激怒します。
しかし、完全に岡本太郎と化したお父ちゃんは、聞く耳を持ちません。
取り憑かれたように、次々と「火焔型土器」を生み出していきました。
お母ちゃんの嘆きを訴えられた近所のおばちゃんは、「かくかくしかじか」とその夫に話します。
夫は、面白がって見に来ました。
で、「火焔型土器」を目にした瞬間……。
「なんじゃこりゃー!」と絶叫します。
彼は、強奪するように1個を持ち帰ると、「今日からこれで煮炊きせよ」とおばちゃんに命じました。
この連鎖は、あっという間に部落中に広がり……。
すべての家が、岡本太郎の先祖作「火焔型土器」を使うようになりました。
すなわち、「芸術の誕生」は、「芸術家の誕生」でもあったのです。
以上、『火焔型土器 ー たぶんこうだったんじゃないか劇場』でした。