2018.10.29(月)
その通信添削受付部門(?)の長は、初老の男性でした。
定年近かったんじゃないでしょうか。
お世辞にも、仕事が出来るタイプの人じゃありません。
でも、東北訛りの愛嬌あるしゃべり方で、人畜無害という感じでした。
↑風貌、口調、ともに由利徹のイメージがありました。
社内に敵は、ひとりもいなかったでしょうね。
わたしをひいきにしてくれた女性社員が……。
「あんな人でも、ボーナス100万円以上もらってるのよ」と言ってたのが印象に残ってます。
とにかく、そんな記憶の詰まった建物は……。
いつの間にか、消えてしまっていたのです。
悄然と引き返します(そこまでがっかりはしませんでしたが)。
↓反対側の道路から、『新潮社』を撮影。
↑「み」
この建物は、当時から変わってないと思います。
ひょっとしたら、作家となってこの建物に入る日が来るかもなどと夢見たものですが……。
↑無頼派の巨人・坂口安吾(新潟市出身)。撮影した写真家の林忠彦は、この部屋に入った瞬間、「これだ!」と叫んだそうです。
ついにその日は訪れないようです。
ま、これについても、さほど悲観してるわけではありません。
そこそこ、楽しくやれてますから。
↑実際、一人暮らしの老人の方が、家族と住んでる老人よりストレスは少ないそうです。
さっきの『神楽坂』駅前に戻りますが……。
↑「み」
再び地下鉄には乗りません。
これは、予定の行動です。
駅前から右折し、まさしく「神楽坂」を下ります。
↑『旺文社』のサイトから拝借しました。赤矢印方向に進みます。
バイトしてたとき……。
あまり忙しくないころは、午前中だけで帰る日もありました。
そんなとき、この「神楽坂」を歩いて下ったりしてました。
↓これは、脇道です。
↑「み」
左右の広い道路が、わたしが歩いてる「早稲田通り」。
左から右に向かって歩いてます。
横方向も下り坂になってるんですね。
定年近かったんじゃないでしょうか。
お世辞にも、仕事が出来るタイプの人じゃありません。
でも、東北訛りの愛嬌あるしゃべり方で、人畜無害という感じでした。
↑風貌、口調、ともに由利徹のイメージがありました。
社内に敵は、ひとりもいなかったでしょうね。
わたしをひいきにしてくれた女性社員が……。
「あんな人でも、ボーナス100万円以上もらってるのよ」と言ってたのが印象に残ってます。
とにかく、そんな記憶の詰まった建物は……。
いつの間にか、消えてしまっていたのです。
悄然と引き返します(そこまでがっかりはしませんでしたが)。
↓反対側の道路から、『新潮社』を撮影。
↑「み」
この建物は、当時から変わってないと思います。
ひょっとしたら、作家となってこの建物に入る日が来るかもなどと夢見たものですが……。
↑無頼派の巨人・坂口安吾(新潟市出身)。撮影した写真家の林忠彦は、この部屋に入った瞬間、「これだ!」と叫んだそうです。
ついにその日は訪れないようです。
ま、これについても、さほど悲観してるわけではありません。
そこそこ、楽しくやれてますから。
↑実際、一人暮らしの老人の方が、家族と住んでる老人よりストレスは少ないそうです。
さっきの『神楽坂』駅前に戻りますが……。
↑「み」
再び地下鉄には乗りません。
これは、予定の行動です。
駅前から右折し、まさしく「神楽坂」を下ります。
↑『旺文社』のサイトから拝借しました。赤矢印方向に進みます。
バイトしてたとき……。
あまり忙しくないころは、午前中だけで帰る日もありました。
そんなとき、この「神楽坂」を歩いて下ったりしてました。
↓これは、脇道です。
↑「み」
左右の広い道路が、わたしが歩いてる「早稲田通り」。
左から右に向かって歩いてます。
横方向も下り坂になってるんですね。
コメント一覧
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1. Mikiko- 2018/10/29 07:17
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本編の脇道
ここを歩いてるときは気づきませんでしたが……。
バイトをしてたころ、この脇道の坂を下りたことがありました。
一人ではありません。
お昼を食べに来たんです。
ごくたまに、社員の方が、お昼をご馳走してくれることがありました。
このときも、わたしのほかにバイトの子が2人と……。
その男性社員の4人でした。
奢ってもらうわけですから、こちらからお店を選ぶわけにはいきません。
連れられてきたのが、この脇道を少し入ったところにある中華料理店。
ひとりだったら絶対に入らない佇まいの店でした。
このときも、暖簾をくぐる社員の後ろで……。
バイト仲間と、「ここ?」と口パクで困惑顔を見合わせてました。
でも、社員に勧められたチャーハンを食べて、その美味しさに驚きました。
その店の名物なんだそうです。
で、今もお店があるか調べたところ……。
見事、残ってました。
しかも、佇まいも同じでした。
↓『龍朋(りゅうほう)』。
https://magazine.hitosara.com/article/1160/
↓場所は、まさしく脇道の坂を少し下ったところ。
https://www.google.co.jp/maps/place/%E9%BE%8D%E6%9C%8B/@35.7045324,139.7329799,18z/data=!4m5!3m4!1s0x60188c566dcdb16f:0x31fe50b626dc294d!8m2!3d35.7042144!4d139.7335271
↑の記事を読むと、『りゅうほうめん』というのも美味しそうです。
続きは次のコメントで。
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2. Mikiko- 2018/10/29 07:18
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本編の脇道(つづき)
『龍朋』さんの創業は、1978年だそうです。
40年前ですね。
ということは、今の店主は2代目ですかね?
ちなみに、中華料理店に「龍」の字が良く使われるのは……。
「登竜門(鯉が龍に変ずると云われる急流)」にあやかってるそうです。
そう云えば、丼にも「龍」が描かれてますよね。
「朋」は、初代ご主人のお名前から採ったんでしょうか?
『龍朋』は、何だか相撲取りみたいで良い店名だと思います。
東京は羨ましいですね。
こういうお店が残ってて。
わたしは今、お昼を食べなくなったので……。
旅行前にわかっていても、たぶん寄ることはなかったでしょう。
でも、出版社の建物が無くなってしまった今……。
バイト時代の記憶は、このお店くらいかも知れません。
入らないまでも、前まで行けたら良かったです。
東京にお住まいの方、是非とも行ってみて下さい。
味は保証します。
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3. 手羽崎 鶏造- 2018/10/29 09:06
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へーえ、「龍朋」ねえ。全く知りませんでした。
飯田橋から神楽坂へ上がっていくことはたまに
あります。
「神楽坂飯店」は何度か行ったことがあります。
かなり前に、あんかけ炒飯を初めて食した店です。
「五十番」という中華まんの店は随分、小奇麗に
なっていましたっけ。
ここの「椎茸まん」が好みでした。
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4. Mikiko- 2018/10/29 19:42
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『龍朋』
一度、ぜひお寄りください。
名物のチャーハンは、日に300食出るそうです。
『神楽坂飯店』は、坂下なんですね。
駅は『飯田橋』。
法政や東京理科大がありますね。
学生街というイメージは無いんですけど。