2018.10.20(土)
初日は、東京でのわたしの過去を訪ねるというコンセプト。
若かりしころの10年間の記憶が詰まった街です。
こっ恥ずかしい記憶も多く、忘れたい街でもありますが……。
同時に、胸の奥がキュンと痛くなるような街でもあります。
街というか、大都会ですけどね。
田舎から出て来た人が、初めて渋谷の街に行ったとき……。
今日は祭りなんだなと思ったそうです。
余りにも人が多かったからですね。
↑渋谷のスクランブル交差点。わたしが初めて勤めた街で、この交差点は毎日渡ってました。
それほどまでに、地方人からすると……。
生まれ育った場所とは似ても似つかぬ異国なわけです。
さて。
『新宿』。
この街の周辺には、東京での4カ所目の居住地と3つめに勤めた会社がありました。
わたしにとって『新宿』は、東京で一番なじみ深い場所と言ってもいいのです。
で、3つめに勤めた会社は、新宿駅の南口を出てすぐのところにありました。
『新宿駅南口』は、よくテレビ中継される場所です。
台風などで電車が止まったりすると、改札口が映されたりします。
南口の改札を出ると、視界が広々と開けました。
なぜなら、そこは『新宿陸橋』という跨線橋の上にあるからです。
改札を出て、甲州街道を渡ると、陸橋の上からたくさんの線路が見下ろせました。
↑まさしくこれです。縦に走る道路が甲州街道。道路の右側が『新宿駅南口』です。
ところが!
その見晴らしが、まったく利かない。
目の前に、どーんと建物が建ってます。
そう云えば最近……。
こんなのが出来たというニュースを聞いた覚えがあります。
高速バスのターミナルです。
『バスタ新宿』。
名前の安易さも腹立たしい。
わたしの思い出の風景を奪いおって。
それよりなにより、人が多い!
とにかく、外人が多いです。
何ごと?、と思うほど。
↑横断歩道の人の密度はかなりのものです。
しかし、呆然と立っていてはお上りさん丸出しなので、とにかく歩き出します。
↓横断歩道の向こう側から、南口を振り返って撮影。
↑「み」
この改札口が、よくテレビに映るところです。
構内に入った水を、駅員さんが掻き出したりしてますよね。
↑まさしくこれです。
この日も当然、会社の住所は「Google マップ」に入れて来ました。
スマホからナビを起動します。
↑こんな感じで、現在位置から目的地までの経路を表示させることが出来ます。
しかし……。
ぜんぜんわかりません。
ナビの画面は、当然、2次元の平面です。
ところが、この南口のあたりは、やたらと立体的なんです。
↑手前のスクエアな構造物が、高速バスターミナルの『バスタ新宿』です。線路の上に建ってるわけです。
目の前の景色とナビの地図を関係づけて見ることが……。
わたしには出来ませんでした。
↑ほんとにこんな心境でした。
元の会社は、『新宿駅南口』を出て数分しかかからなかったはず。
ところが、同じところをぐるぐる回ってるのか、さっぱり目的地に近づきません。
狸にでも化かされてる感じでした。
↑八畳敷きで漁をする狸。歌川国芳です。こんな絵、誰が買うんですかね?
とにかく、見覚えのある景色がひとつもないんです。
初めて来た場所としか思えません。
でもようやく……。
ナビの目的地への距離が、「ゼロ」になる地点にたどり着きました。
新宿駅南口前の横断歩道を渡ったのが、11:13分。
「ゼロ」の地点にたどり着いたのが、11:36分。
23分も彷徨してたことになります。
まっすぐ行けば、4分くらいなはずなんです。
↓その場所の写真です。
↑「み」
これは、わたしの勤めた会社があった建物ではありません。
建て替えられてたんです。
わたしにとっては想定外でした。
なぜなら、出発前に「Google マップ」のストリートビューで確認してたんですから。
確かに、わたしの勤めてた建物がありました。
入口の佇まいにも、はっきりと記憶が残ってました。
だから、何のギモンも抱かず、目的地に向かったわけです。
これを書くにあたり、再度ストリートビューを覗いてみたら……。
もう、現在の状態になってました。
これを見てたら、行かなかったんですけどね。
東京の場合、ストリートビューはあてにならないことがある……。
これは、肝に銘じておかなくてはなりません。
街の変化が、ストリートビューの更新サイクルを上回ってるんです。
↑ストリートビューに映りこんだ2本足の猫。一時騒然となったようですが、フォトショップでの加工だったみたいです。
呆然としつつ、駅に戻ります。
↓初めて、見覚えのある景色に出会いました。
↑「み」
左側の陸橋を支える橋脚です。
このコンクリートの感じには見覚えがありました。
↓再び『新宿駅南口』に戻りました。
↑「み」。右手が『新宿駅』。道路を渡った側が『バスタ新宿』です。
『過去を巡る旅』、次に訪ねるのは、東京で最後に住んだマンションです。
現存してることは、「Google」の地図で確認済みです。
マンションの名前も載ってましたから……。
こちらは、行ってみたら無かったということはあり得ません。
さっき行った会社は、わたしが勤務してるときに別の場所に移転したので……。
地図に社名が載ってないのはあたりまえだったんです。
さて、出発です。
でも、電車には乗りません。
歩いて行きます。
さっきの会社にも、マンションから歩いて通ってました。
当初は、その当時通ったルートを探すつもりでした。
『新宿中央公園』を通り、住宅街の細い道を抜けるルートでした。
途中に、漫画家の“つのだじろう”さんの自宅がありました。
表札が出てました。
↑読んだことありませんが、面白そうですね。
でも、さっきの彷徨で、すっかりナビに自信を無くしてました。
ていうか、もうナビを見る気にもならなかったんです。
ということで、絶対に間違わないルートで行くことにしました。
↑の甲州街道を真っ直ぐ行って、山手通りで右折するだけです。
マンションは山手通りに面して建ってました。
↑の『新宿駅南口』に戻った写真の撮影時刻は、11:39分でした。
甲州街道を歩き出します。
とにかく人が多いです。
↓歩き出して4分後の写真。
↑「み」
歩道の一部が駐輪場になってます。
↓そこここにありました。
↑「み」
↓もちろん、有料でした。
↑「み」
↓『新宿区』が設置してるようですね。
↑「み」
↓2時間無料で、10時間までなら100円です。
↑「み」。
これなら通勤で使っても、1日100円で済みます。
バスを往復で使えば、420円。
自転車の方が、ずっと安上がりですね。
だからでしょうが、どこの駐輪場も、ほぼ満杯でした。
↓『富山化学』を発見。
↑「み」。本社です。
こんなところにあったのか。
この会社とわたしに、特別な関係があるわけではありません。
株を買ってたんです。
何で買ったかは忘れましたが……。
買った途端、新製品か何かの材料が出て急騰したんです。
大喜びで買い増したら……。
そこが天井でした。
↑まさしくこれでした。
結局、大損だったと思います。
そもそも、所在地さえ把握してない会社の株を買うなんてのが論外です。
てっきり、富山県にあると思ってました(よく調べたら、富山市発祥で、工場や研究所は富山市にありました)。
↓次の写真。
↑「み」
↓『文化学園大学』です。
↑「み」
昔は、『文化服装学院』でした。
その後、『文化女子大学』になり……。
2011年に、『文化学園大学』に名称変更してます。
もちろん、共学化のためです。
なお、同じ敷地内に、今も『文化服装学院』という専門学校があるようです。
よくわかりません。
わたしの中学時代の同級生のひとりが、『文化女子大学』に進学しました。
1度だけ同窓会で会ったのですが、すっかり垢抜けてて驚きました。
↑こんな感じ。誰ですか、これ?
もともと可愛いかったのですが、まったく以前とはステージが違う美人になってました。
並んで写真を撮られるのが、ちと情けないほどでした。
↓お店の前に、小洒落た植栽を発見。
↑「み」
普通、こんな細い木は、支柱をしなければ立ってられません。
ということは、地下支柱を使ってるはずです。
↓土の下で根鉢を固定するタイプの支柱です。
地上にする支柱は竹ですが……。
地下支柱は、ある程度の自重が必要なので、金属だと思います。
もちろん竹とは、材料費も施工費も大違いです。
↓根元を保護する金属製のグレーチングも、かなりの値段なはず。
↑根元の土が踏み固められると、樹木の根は呼吸できなくなります。これを防ぐため、保護板を被せるのです。
この木1本植えるのに、おそらく数万円がかかってるでしょう。
↓近づいて樹名板を確認して、ちょっとびっくり。
↑「み」
『アオダモ』でした。
野球好きの方は、聞いたことがあると思います。
木製バットの材料として有名ですね。
なぜ『アオダモ』が、バットの材料にいいかと言うと……。
成長が遅いからです。
成長が遅いと言うことは、年輪の幅が狭い。
↑「3」がアオダモ。「5」のヒノキと比べるとはっきりわかります。
すなわち、材が密になり、堅いわけです。
『アオダモ』は、それに加えて粘りがあるため、バット材としては最適なわけです。
↑高いっす。中国産アオダモでもこの値段。折ったら泣くしかないですね。アマは、金属バットを使いましょう。
そのほかにも、スキーの板やテニスのラケットなどに使われるそうです。
寒冷地では、より成長が遅くなるので、北海道産が最適とされてます。
しかし、計画的な植林がなされてこなかったため……。
現在では、高品質な材の確保が困難になっているとか。
↑北海道に広く拡がる落葉広葉樹林。こういう天然林の中に『アオダモ』は生えてます。
しかし、このお店って、スポーツ店だったでしょうか?
植栽にばかり目が行って、お店の中はまったく見てませんでした。
↓後ろのガラスに、店名が写ってました。
↑「み」
店名がわかりました。
『Knoten Cafe』ですね。
『メルセデス・ベンツ西新宿』に併設されたカフェでした。
↑今春オープンしたばかりでした。
でもなんで、『アオダモ』なんでしょうね?
『アオダモ』というのは、一般的にこういう使われ方をする樹木とは思えません。
“knoten"は、ドイツ語で“結び目"だそうです。
結び目みたいな形にして焼きあげたパンを云うようです(参照)。
『アオダモ』とは関係ないみたいですね。
ここを設計したのは、『ジオプラス』という設計事務所でした。
特に、野球とも北海道とも関係なさそうです。
『アオダモ』を選んだのは、成長が遅いからじゃないでしょうか。
お店のショーウィンドウ前で、すぐにデカくなられたら困りますから。
『アオダモ』は落葉樹ですから、冬期には丸坊主になります。
なので、こういうところには常緑樹が使われるのが一般的です。
成長の遅い常緑樹もたくさんあります。
落葉樹を選んだのは、季節感をより演出したかったからでしょうか。
『アオダモ』は幹肌も綺麗なので、冬期にそれを見せる意図もあるのかも知れません。
↑雨に濡れると、さらに青みがかります。『アオダモ』の名は、そこから来てます。
もし、店舗前のワンポイントなどに常緑樹を使うなら……。
『ソヨゴ』をおすすめします。
↑ちとお高いですが、「株立ち(苗を根元で寄せ植えて育てたもの)」が見栄えがいいです。
成長が遅く、日陰にも強い樹木です。
↓風に戦いで葉が特徴的な音を立てるのが、名前の由来です。
↓「山手通り」との交差点まで来ました。
↑「み」
↓右手に見える道路標識をアップにします。
↑「み」
「山手通り」というのは、もちろん通称です。
正式名称は『東京都道317号環状六号線』でした。
国道ではありません。
品川区から板橋区に至る都道です。
↑こんな路線図しかありませんでした。下端が品川区、上端が板橋区です。JR山手線の西半分の外側という感じですかね。
↓これからわたしが向かう板橋方面です。
↑「み」
頭上の支柱は、『首都高速中央環状線』です。
↓横断歩道を渡り、右折した直後です。
↑「み」
地図で確認すると、『東京オペラシティ』という文化施設前のようです。
築山のように斜面をつくり、ツツジを植えてあります。
花どきは見事でしょうね。
↓「山手通り」の反対側。
↑「み」
壁面を緑で覆った建物です。
オペラシティの築山と云い、建築費に余裕が感じられます。
新潟あたりだと、箱物を作るだけで精一杯で、外構にはほとんどお金がかけられてません。
ていうか、躯体の建築途中で食いこんだ費用を……。
最後に施工される外構予算を削って、帳尻を合わせてるんじゃないかという気さえします。
こういう植栽を見ても、東京と地方の格差を感じますね。
まさしく、東京一極集中ですよ。
と思って、壁面植栽の建物を「Google マップ」で調べてみたら……。
↓『首都高速道路(株)西新宿凍結防止材製造施設』となってました。
どうやら、壁面緑化技術のPR的な施工のようですね。
↓もう少し歩いたら、壁面緑化された橋脚を発見。
↑「み」
なるほど。
こういうかたちで使うんですね。
↓植物をズームします。
↑「み」
ウコギ科の『ヘデラカナリエンシス』のようです。
かなり大ぶりな葉です。
なぜ知ってるかというと、わが家の庭に生えてるからです。
和名は『オカメヅタ』ですが……。
ホームセンターなどでは、『アイビー』と称されて売られてます。
↑“アイビールック”のアイビーです。レンガ造りの校舎に蔦(アイビー)が繁る、アメリカのエリート大学発祥のファッション。
かなり前、ポット苗を1鉢買い、何を植えても育たない裏庭に植えました。
↑まさしくこんな感じ。
わが家の裏庭は、陽がほとんど当たらない砂地です。
こういうところで育つ植物は滅多にありません。
陽あたりの悪いところで育つ植物は少なくありませんが……。
たいがい、乾燥に弱いです。
↑わたしは『ヤブコウジ』が好きで、これも植えたのですが、いつの間にか消えてしまいました。
日当たりの悪い場所は湿ってる場合が多いので、ジメジメした環境に適応してるわけです。
逆に、お日様が好きな植物は、乾燥に強いです。
陽が当たる場所は、乾燥してしまう場合が多いからです。
↑『マツバギク』。肉厚な葉に水分を貯めることができるので、乾燥に強いです。逆に、日陰や多湿な場所では育ちません。
うちの裏庭のように……。
陽があたらないのに、砂地で乾燥しがちという場所では、なかなか適応出来る植物はありません。
こういうところでも育つのが、ヘデラ類(『ヘデラカナリエンシス』や『ヘデラヘリックス』)です。
↑こちらは『ヘデラヘリックス』の斑入りの品種。葉は、『ヘデラカナリエンシス』よりずっと小さいです。
ヘデラ類には、『ナツヅタ』のような登坂力はありません。
地面に蔓を伸ばして広がります。
↑『ヘデラヘリックス』のポット苗です。
で、葉っぱの出てるところが地面に着くと、そこから根を出すのです。
広範囲に根を張ることが出来るので、地表面の水分をことごとく吸えるわけです。
↓現在、わが家の裏庭は、完全に『ヘデラカナリエンシス』に占領されてしまいました。
↑初公開、わが家の裏庭です。ここには、日陰に強いさまざまな植物を植えてました。でも、すべて滅び、ヘデラだけが残ったのです。登坂力の弱いヘデラは、ブロック塀に這いあがることはできません。
ところで、登坂力の強くないヘデラ類を壁面緑化に使うためには……。
壁面に張りつける技術が必要なはずです。
逆に、登坂力が強いのは『ナツヅタ』です。
これは、高速道路などで使われてます。
↓甲子園の蔦もこれです。
地面に株を植えれば、ツルツルのコンクリートでも平気で登っていきます。
コンクリートどころか、ガラス面さえ登ります。
なので、別荘などにうっかり植えて、一夏使わなかったりすると……。
窓ガラスが覆われてしまうことさえあります。
↑東京都狛江市のスーパー『オーケーストア』。普通に営業してるそうです。一見の価値がありますね。
で、ヘデラ類とナツヅタですが……。
種類が違います。
ヘデラ類は、ウコギ科。
『ナツヅタ』は、ブドウ科です。
特徴の決定的な違いは……。
ヘデラ類は常緑で、『ナツヅタ』はその名のとおり落葉であることです。
『ナツヅタ』の真っ赤な紅葉はほんとに見事です。
↑北海道函館市『金森赤レンガ倉庫群』。
↓童謡にもありますよね。
↑『まっかな秋』。
でも、その紅葉が終わると大量の落ち葉を降らせ……。
↓冬は丸坊主になってしまいます。
これは、景観的には弱点です。
ヘデラ類は冬でも青々としてますし、一時に一挙に葉を落とすことがありません。
管理も楽なわけです。
ということで最近は、ヘデラ類が使われることが多いみたいですね。
↓さっきとは別の部分をアップ。
↑「み」
穴が空いてます。
ここに苗を植えてるわけです。
これなら、登坂力は関係ありません。
でも、初期費用はナツヅタより遙かに多くかかります。
ナツヅタは地面に一列に植えておけば、勝手に登っていってくれるからです。
ヘデラは、壁面全体に植えなければなりません。
でも、植えた当初から、ほぼ完成状態となります。
予算さえ潤沢であれば、断然ヘデラの方が見栄えが良いです。
↓ちょうどお昼どきでしたが、人通りはまばらです。
↑「み」
↓すごい形のビルを発見。
↑「み」
中に入ってみたかったですが、もちろんそんな度胸はありません。
↓シャッターが切れてしまったようです。
↑「み」。こんな写真を意図的に撮るわけありません。
↓新宿駅前とは大違いな人通り。
↑「み」
↓目的の建物に到着。
↑「み」
わたしが東京で、最後に住んでたマンションです。
家具付きのワンルームでした。
窓を開けると、「山手通り」の車の音がうるさかったです。
撮影時刻は、12:16分。
『新宿駅南口』の写真は、11:39分でした。
37分もかかってます。
写真を撮りながら歩いたこともあるでしょうが……。
『新宿中央公園』を突っ切るルートなら、ずっと早く着いてたはずです。
↓半地下(?)になった店舗。
↑「み」
わたしが住んでたころは、貸しビデオ屋だった気がします。
借りたことはありませんでしたので、はっきりとは覚えてませんが。
↓マンションの裏手。
↑「み」
荒廃化が進みつつあるようです。
わたしが住んでたころでも……。
明らかに新宿勤めらしいフィリピーナ系の女性を多く見かけました。
↑歌舞伎町です。後ろの外階段がヤバそうな雰囲気を醸し出してます。
そういう女性たちの寮みたいになってたんじゃないですかね。
↓恐るべき居室がありました。
↑「み」
死体でもありそうです。
↓やっぱり治安が良くないんでしょうね。
↑「み」
↓これは、「山手通り」を挟んだ反対側。
↑「み」
まったく見覚えのある建物がありません。
↓さらば、わたしの東京時代。
↑「み」
まったく懐かしさを感じなかったのが、われながら不思議でした。
↓しばらく行くと、見覚えのあるスタンドを発見。
↑「み」
わたしのいたころは、歩道はこんな綺麗なブロック舗装じゃなかった気がします。
なんでこのスタンドに覚えがあるかというと……。
この前をボーッと歩いてたら……。
スタンドから出ようとする車に、いきなりクラクションを鳴らされて飛びあがったことがあるからです。
↑このくらい驚きました。
車を見ると黒いベンツで、運転してるのは明らかにその筋の人でした。
↑でも、スタンドから出て来たと言うことは、運転係の下っ端でしょうね。
もちろん、大急ぎで避けましたよ。
どーも、ベンツには良い印象がありません。
↓「山手通り」と「方南通り」が交わる『清水橋』の交差点です。
↑「み」
一瞬、鳥居かと思いました。
構造物を建築中なのかという気もしましたが……。
工事中の防護柵のようなものはありません。
↓「Google マップ」で見てみました。
交差点をぐるっと回ってるようです。
この写真を撮ったときは、まったく気づきませんでした。
↓どうやら、「サインリング」というタイプの信号のようです。
信号や標識をここにすべて並べ、景観に統一性を持たせるのが目的のようです。
早い話……。
利点は、デザイン面だけみたいです。
↓こちらは、西新宿にある「サインリング」。
完全な輪になってます。
でも、『清水橋』のは切れ切れですよね。
予算の関係上?
↓『中野区』との区界まで来ました。
↑「み」
塔が立ってますね。
どうも、塔を見ると気になります。
↓「Google」の地図を調べてみました。
換気塔のようです。
「山手通り」のこの部分の下には、都営地下鉄大江戸線が通ってます。
この地下鉄の換気塔かと思ったんですが……。
違ってました。
この下には、首都高速中央環状新宿線の『山手トンネル』も通ってたんです。
その換気塔でした。
高さは、45メートル。
『山手トンネル』は全長18.2㎞で、道路トンネルとしては日本最長だとか。
それどころか、世界2位だそうです。
道路トンネルはやっぱり、換気システムが重要になりますからね。
長いトンネルは造りづらいのでしょう。
全線開通は、2015(平成27)年3月7日だそうです。
↓イタズラ描きなんでしょうね。
↑「み」
いったい何の構造物だったか記憶にありません。
でも、真っ白く滑らかで、いかにも何か描いてくださいと言ってるようです。
通りがかったヤンキー方面の人たちは、創作意欲をかき立てられるのでしょう。
↑「み」
これは、どういう意味でしょう?
「ものすごい努力」ということか、「無駄な努力」と言うことか……。
判断に苦しみます。
どっちにも取れると云うことでしょうか。
しかしそれを、ステッカーにする意図は何?
↑たぶんこれ。
どうも気になるので、「Google」のストリートビューを探してみました。
↓発見しました。
自販機の空き缶入れのようです。
なんで真っ白にしたんですかね?
落書きされるのを狙ってたとしたら、大したものですが。
↓神田川を渡ります。
↑「み」
↓高いコンクリート護岸で囲われた、東京らしい川です。
↑「み」
大雨のときは、どのくらいまで水位が上がるんですかね。
落ちたら、ウォータースライダーのように流されるでしょうね。
岸に掴まりどころもありませんから、助かる見こみは無いに等しいと思われます。
↓鉄柵の中に、可憐な花。
↑「み」
↓アップにします。
↑「み」
↓『アガパンサス』です。
涼しげな青い花を咲かせます。
↓『アガパンサス』から続くのは、竹垣でした。
↑「み」
ここは、『成願寺』というお寺です。
↓『鍋島家』の墓所があるようです。
↑「み」。クリックすると、大きい画像が見られます。
化け猫騒動で有名な、佐賀の『鍋島家』ですね。
↑化け猫、扇風機に立つ。覗きでしょうか?
都心部にあった寺が、関東大震災か何かで移転してきたのかと思いましたが……。
そうではないようです。
中野区にある大名家の墓所は、この『成願寺』だけとのこと。
↑けっこう派手なお寺ですね。
鈴木九郎という紀州出身の商人が、この地にやって来ました。
室町時代のことです。
商売は成功し、「中野長者」と呼ばれるようになり……。
今の『成願寺』の地に邸宅を構えていたそうです。
↑さっき渡った神田川に架かる橋が『長者橋』だったみたいです。
しかし、可愛がっていた一人娘の小笹が、わずか18歳で亡くなってしまいます。
悲嘆にくれた九郎は、残りの人生を仏門で生きることを決意し……。
小田原の『最乗寺』の春屋宗能の教えを受け、名を正蓮と改めて僧侶となります。
邸宅は寺院に変えました。
1438年のことです。
寺名は当初、娘の戒名からとった『正観寺』でしたが、江戸時代に『成願寺』と改められたそうです。
幕末には一時、『新撰組』の近藤勇とその家族がここに身を寄せていたとか。
↑近藤勇。やっぱり迫力ありますね。
江戸時代、中野区の辺りは中野郷と呼ばれ……。
中野、本郷、雑色、江古田、片山、上高田、新井、上沼袋、下沼袋、上鷺宮、下鷺宮の11村に分かれてたそうです。
1695(元禄8)年、「生類憐れみの令」に関連して、中野村内(現・中野4丁目付近)に野犬を収容する犬小屋が作られました。
犬小屋と云っても、ポチが一匹入ってるような小屋ではありません。
16万坪あったそうです。
52万8千㎡です。
√で開くと、約727メートル。
真四角だったとして、一辺が727メートルということです。
不動産屋の計算方法でいくと、80メートルで徒歩1分ですから……。
一辺を歩くのに、9分かかります。
一周するだけで、36分ですね。
↑実際には真四角ではありません。
犬小屋は中野だけでなく、大久保と四谷にもありました。
中野の犬小屋には、8万2千匹の犬が収容されたそうです。
↑中野区役所前にある、『お囲いの犬の像』。
江戸のはやり言葉に、「伊勢屋、稲荷に、犬の糞」というのがありました。
江戸に溢れてるものを並べた言葉です。
それだけ野良犬がいたわけです。
犬は多産で安産だといいますからね。
あっという間に増えるのでしょう。
今も妊婦さんが、「戌の日」に安産祈願に行きますが……。
これは、多産でお産の軽い犬にあやかるためです。
若かりしころの10年間の記憶が詰まった街です。
こっ恥ずかしい記憶も多く、忘れたい街でもありますが……。
同時に、胸の奥がキュンと痛くなるような街でもあります。
街というか、大都会ですけどね。
田舎から出て来た人が、初めて渋谷の街に行ったとき……。
今日は祭りなんだなと思ったそうです。
余りにも人が多かったからですね。
↑渋谷のスクランブル交差点。わたしが初めて勤めた街で、この交差点は毎日渡ってました。
それほどまでに、地方人からすると……。
生まれ育った場所とは似ても似つかぬ異国なわけです。
さて。
『新宿』。
この街の周辺には、東京での4カ所目の居住地と3つめに勤めた会社がありました。
わたしにとって『新宿』は、東京で一番なじみ深い場所と言ってもいいのです。
で、3つめに勤めた会社は、新宿駅の南口を出てすぐのところにありました。
『新宿駅南口』は、よくテレビ中継される場所です。
台風などで電車が止まったりすると、改札口が映されたりします。
南口の改札を出ると、視界が広々と開けました。
なぜなら、そこは『新宿陸橋』という跨線橋の上にあるからです。
改札を出て、甲州街道を渡ると、陸橋の上からたくさんの線路が見下ろせました。
↑まさしくこれです。縦に走る道路が甲州街道。道路の右側が『新宿駅南口』です。
ところが!
その見晴らしが、まったく利かない。
目の前に、どーんと建物が建ってます。
そう云えば最近……。
こんなのが出来たというニュースを聞いた覚えがあります。
高速バスのターミナルです。
『バスタ新宿』。
名前の安易さも腹立たしい。
わたしの思い出の風景を奪いおって。
それよりなにより、人が多い!
とにかく、外人が多いです。
何ごと?、と思うほど。
↑横断歩道の人の密度はかなりのものです。
しかし、呆然と立っていてはお上りさん丸出しなので、とにかく歩き出します。
↓横断歩道の向こう側から、南口を振り返って撮影。
↑「み」
この改札口が、よくテレビに映るところです。
構内に入った水を、駅員さんが掻き出したりしてますよね。
↑まさしくこれです。
この日も当然、会社の住所は「Google マップ」に入れて来ました。
スマホからナビを起動します。
↑こんな感じで、現在位置から目的地までの経路を表示させることが出来ます。
しかし……。
ぜんぜんわかりません。
ナビの画面は、当然、2次元の平面です。
ところが、この南口のあたりは、やたらと立体的なんです。
↑手前のスクエアな構造物が、高速バスターミナルの『バスタ新宿』です。線路の上に建ってるわけです。
目の前の景色とナビの地図を関係づけて見ることが……。
わたしには出来ませんでした。
↑ほんとにこんな心境でした。
元の会社は、『新宿駅南口』を出て数分しかかからなかったはず。
ところが、同じところをぐるぐる回ってるのか、さっぱり目的地に近づきません。
狸にでも化かされてる感じでした。
↑八畳敷きで漁をする狸。歌川国芳です。こんな絵、誰が買うんですかね?
とにかく、見覚えのある景色がひとつもないんです。
初めて来た場所としか思えません。
でもようやく……。
ナビの目的地への距離が、「ゼロ」になる地点にたどり着きました。
新宿駅南口前の横断歩道を渡ったのが、11:13分。
「ゼロ」の地点にたどり着いたのが、11:36分。
23分も彷徨してたことになります。
まっすぐ行けば、4分くらいなはずなんです。
↓その場所の写真です。
↑「み」
これは、わたしの勤めた会社があった建物ではありません。
建て替えられてたんです。
わたしにとっては想定外でした。
なぜなら、出発前に「Google マップ」のストリートビューで確認してたんですから。
確かに、わたしの勤めてた建物がありました。
入口の佇まいにも、はっきりと記憶が残ってました。
だから、何のギモンも抱かず、目的地に向かったわけです。
これを書くにあたり、再度ストリートビューを覗いてみたら……。
もう、現在の状態になってました。
これを見てたら、行かなかったんですけどね。
東京の場合、ストリートビューはあてにならないことがある……。
これは、肝に銘じておかなくてはなりません。
街の変化が、ストリートビューの更新サイクルを上回ってるんです。
↑ストリートビューに映りこんだ2本足の猫。一時騒然となったようですが、フォトショップでの加工だったみたいです。
呆然としつつ、駅に戻ります。
↓初めて、見覚えのある景色に出会いました。
↑「み」
左側の陸橋を支える橋脚です。
このコンクリートの感じには見覚えがありました。
↓再び『新宿駅南口』に戻りました。
↑「み」。右手が『新宿駅』。道路を渡った側が『バスタ新宿』です。
『過去を巡る旅』、次に訪ねるのは、東京で最後に住んだマンションです。
現存してることは、「Google」の地図で確認済みです。
マンションの名前も載ってましたから……。
こちらは、行ってみたら無かったということはあり得ません。
さっき行った会社は、わたしが勤務してるときに別の場所に移転したので……。
地図に社名が載ってないのはあたりまえだったんです。
さて、出発です。
でも、電車には乗りません。
歩いて行きます。
さっきの会社にも、マンションから歩いて通ってました。
当初は、その当時通ったルートを探すつもりでした。
『新宿中央公園』を通り、住宅街の細い道を抜けるルートでした。
途中に、漫画家の“つのだじろう”さんの自宅がありました。
表札が出てました。
↑読んだことありませんが、面白そうですね。
でも、さっきの彷徨で、すっかりナビに自信を無くしてました。
ていうか、もうナビを見る気にもならなかったんです。
ということで、絶対に間違わないルートで行くことにしました。
↑の甲州街道を真っ直ぐ行って、山手通りで右折するだけです。
マンションは山手通りに面して建ってました。
↑の『新宿駅南口』に戻った写真の撮影時刻は、11:39分でした。
甲州街道を歩き出します。
とにかく人が多いです。
↓歩き出して4分後の写真。
↑「み」
歩道の一部が駐輪場になってます。
↓そこここにありました。
↑「み」
↓もちろん、有料でした。
↑「み」
↓『新宿区』が設置してるようですね。
↑「み」
↓2時間無料で、10時間までなら100円です。
↑「み」。
これなら通勤で使っても、1日100円で済みます。
バスを往復で使えば、420円。
自転車の方が、ずっと安上がりですね。
だからでしょうが、どこの駐輪場も、ほぼ満杯でした。
↓『富山化学』を発見。
↑「み」。本社です。
こんなところにあったのか。
この会社とわたしに、特別な関係があるわけではありません。
株を買ってたんです。
何で買ったかは忘れましたが……。
買った途端、新製品か何かの材料が出て急騰したんです。
大喜びで買い増したら……。
そこが天井でした。
↑まさしくこれでした。
結局、大損だったと思います。
そもそも、所在地さえ把握してない会社の株を買うなんてのが論外です。
てっきり、富山県にあると思ってました(よく調べたら、富山市発祥で、工場や研究所は富山市にありました)。
↓次の写真。
↑「み」
↓『文化学園大学』です。
↑「み」
昔は、『文化服装学院』でした。
その後、『文化女子大学』になり……。
2011年に、『文化学園大学』に名称変更してます。
もちろん、共学化のためです。
なお、同じ敷地内に、今も『文化服装学院』という専門学校があるようです。
よくわかりません。
わたしの中学時代の同級生のひとりが、『文化女子大学』に進学しました。
1度だけ同窓会で会ったのですが、すっかり垢抜けてて驚きました。
↑こんな感じ。誰ですか、これ?
もともと可愛いかったのですが、まったく以前とはステージが違う美人になってました。
並んで写真を撮られるのが、ちと情けないほどでした。
↓お店の前に、小洒落た植栽を発見。
↑「み」
普通、こんな細い木は、支柱をしなければ立ってられません。
ということは、地下支柱を使ってるはずです。
↓土の下で根鉢を固定するタイプの支柱です。
地上にする支柱は竹ですが……。
地下支柱は、ある程度の自重が必要なので、金属だと思います。
もちろん竹とは、材料費も施工費も大違いです。
↓根元を保護する金属製のグレーチングも、かなりの値段なはず。
↑根元の土が踏み固められると、樹木の根は呼吸できなくなります。これを防ぐため、保護板を被せるのです。
この木1本植えるのに、おそらく数万円がかかってるでしょう。
↓近づいて樹名板を確認して、ちょっとびっくり。
↑「み」
『アオダモ』でした。
野球好きの方は、聞いたことがあると思います。
木製バットの材料として有名ですね。
なぜ『アオダモ』が、バットの材料にいいかと言うと……。
成長が遅いからです。
成長が遅いと言うことは、年輪の幅が狭い。
↑「3」がアオダモ。「5」のヒノキと比べるとはっきりわかります。
すなわち、材が密になり、堅いわけです。
『アオダモ』は、それに加えて粘りがあるため、バット材としては最適なわけです。
↑高いっす。中国産アオダモでもこの値段。折ったら泣くしかないですね。アマは、金属バットを使いましょう。
そのほかにも、スキーの板やテニスのラケットなどに使われるそうです。
寒冷地では、より成長が遅くなるので、北海道産が最適とされてます。
しかし、計画的な植林がなされてこなかったため……。
現在では、高品質な材の確保が困難になっているとか。
↑北海道に広く拡がる落葉広葉樹林。こういう天然林の中に『アオダモ』は生えてます。
しかし、このお店って、スポーツ店だったでしょうか?
植栽にばかり目が行って、お店の中はまったく見てませんでした。
↓後ろのガラスに、店名が写ってました。
↑「み」
店名がわかりました。
『Knoten Cafe』ですね。
『メルセデス・ベンツ西新宿』に併設されたカフェでした。
↑今春オープンしたばかりでした。
でもなんで、『アオダモ』なんでしょうね?
『アオダモ』というのは、一般的にこういう使われ方をする樹木とは思えません。
“knoten"は、ドイツ語で“結び目"だそうです。
結び目みたいな形にして焼きあげたパンを云うようです(参照)。
『アオダモ』とは関係ないみたいですね。
ここを設計したのは、『ジオプラス』という設計事務所でした。
特に、野球とも北海道とも関係なさそうです。
『アオダモ』を選んだのは、成長が遅いからじゃないでしょうか。
お店のショーウィンドウ前で、すぐにデカくなられたら困りますから。
『アオダモ』は落葉樹ですから、冬期には丸坊主になります。
なので、こういうところには常緑樹が使われるのが一般的です。
成長の遅い常緑樹もたくさんあります。
落葉樹を選んだのは、季節感をより演出したかったからでしょうか。
『アオダモ』は幹肌も綺麗なので、冬期にそれを見せる意図もあるのかも知れません。
↑雨に濡れると、さらに青みがかります。『アオダモ』の名は、そこから来てます。
もし、店舗前のワンポイントなどに常緑樹を使うなら……。
『ソヨゴ』をおすすめします。
↑ちとお高いですが、「株立ち(苗を根元で寄せ植えて育てたもの)」が見栄えがいいです。
成長が遅く、日陰にも強い樹木です。
↓風に戦いで葉が特徴的な音を立てるのが、名前の由来です。
↓「山手通り」との交差点まで来ました。
↑「み」
↓右手に見える道路標識をアップにします。
↑「み」
「山手通り」というのは、もちろん通称です。
正式名称は『東京都道317号環状六号線』でした。
国道ではありません。
品川区から板橋区に至る都道です。
↑こんな路線図しかありませんでした。下端が品川区、上端が板橋区です。JR山手線の西半分の外側という感じですかね。
↓これからわたしが向かう板橋方面です。
↑「み」
頭上の支柱は、『首都高速中央環状線』です。
↓横断歩道を渡り、右折した直後です。
↑「み」
地図で確認すると、『東京オペラシティ』という文化施設前のようです。
築山のように斜面をつくり、ツツジを植えてあります。
花どきは見事でしょうね。
↓「山手通り」の反対側。
↑「み」
壁面を緑で覆った建物です。
オペラシティの築山と云い、建築費に余裕が感じられます。
新潟あたりだと、箱物を作るだけで精一杯で、外構にはほとんどお金がかけられてません。
ていうか、躯体の建築途中で食いこんだ費用を……。
最後に施工される外構予算を削って、帳尻を合わせてるんじゃないかという気さえします。
こういう植栽を見ても、東京と地方の格差を感じますね。
まさしく、東京一極集中ですよ。
と思って、壁面植栽の建物を「Google マップ」で調べてみたら……。
↓『首都高速道路(株)西新宿凍結防止材製造施設』となってました。
どうやら、壁面緑化技術のPR的な施工のようですね。
↓もう少し歩いたら、壁面緑化された橋脚を発見。
↑「み」
なるほど。
こういうかたちで使うんですね。
↓植物をズームします。
↑「み」
ウコギ科の『ヘデラカナリエンシス』のようです。
かなり大ぶりな葉です。
なぜ知ってるかというと、わが家の庭に生えてるからです。
和名は『オカメヅタ』ですが……。
ホームセンターなどでは、『アイビー』と称されて売られてます。
↑“アイビールック”のアイビーです。レンガ造りの校舎に蔦(アイビー)が繁る、アメリカのエリート大学発祥のファッション。
かなり前、ポット苗を1鉢買い、何を植えても育たない裏庭に植えました。
↑まさしくこんな感じ。
わが家の裏庭は、陽がほとんど当たらない砂地です。
こういうところで育つ植物は滅多にありません。
陽あたりの悪いところで育つ植物は少なくありませんが……。
たいがい、乾燥に弱いです。
↑わたしは『ヤブコウジ』が好きで、これも植えたのですが、いつの間にか消えてしまいました。
日当たりの悪い場所は湿ってる場合が多いので、ジメジメした環境に適応してるわけです。
逆に、お日様が好きな植物は、乾燥に強いです。
陽が当たる場所は、乾燥してしまう場合が多いからです。
↑『マツバギク』。肉厚な葉に水分を貯めることができるので、乾燥に強いです。逆に、日陰や多湿な場所では育ちません。
うちの裏庭のように……。
陽があたらないのに、砂地で乾燥しがちという場所では、なかなか適応出来る植物はありません。
こういうところでも育つのが、ヘデラ類(『ヘデラカナリエンシス』や『ヘデラヘリックス』)です。
↑こちらは『ヘデラヘリックス』の斑入りの品種。葉は、『ヘデラカナリエンシス』よりずっと小さいです。
ヘデラ類には、『ナツヅタ』のような登坂力はありません。
地面に蔓を伸ばして広がります。
↑『ヘデラヘリックス』のポット苗です。
で、葉っぱの出てるところが地面に着くと、そこから根を出すのです。
広範囲に根を張ることが出来るので、地表面の水分をことごとく吸えるわけです。
↓現在、わが家の裏庭は、完全に『ヘデラカナリエンシス』に占領されてしまいました。
↑初公開、わが家の裏庭です。ここには、日陰に強いさまざまな植物を植えてました。でも、すべて滅び、ヘデラだけが残ったのです。登坂力の弱いヘデラは、ブロック塀に這いあがることはできません。
ところで、登坂力の強くないヘデラ類を壁面緑化に使うためには……。
壁面に張りつける技術が必要なはずです。
逆に、登坂力が強いのは『ナツヅタ』です。
これは、高速道路などで使われてます。
↓甲子園の蔦もこれです。
地面に株を植えれば、ツルツルのコンクリートでも平気で登っていきます。
コンクリートどころか、ガラス面さえ登ります。
なので、別荘などにうっかり植えて、一夏使わなかったりすると……。
窓ガラスが覆われてしまうことさえあります。
↑東京都狛江市のスーパー『オーケーストア』。普通に営業してるそうです。一見の価値がありますね。
で、ヘデラ類とナツヅタですが……。
種類が違います。
ヘデラ類は、ウコギ科。
『ナツヅタ』は、ブドウ科です。
特徴の決定的な違いは……。
ヘデラ類は常緑で、『ナツヅタ』はその名のとおり落葉であることです。
『ナツヅタ』の真っ赤な紅葉はほんとに見事です。
↑北海道函館市『金森赤レンガ倉庫群』。
↓童謡にもありますよね。
↑『まっかな秋』。
でも、その紅葉が終わると大量の落ち葉を降らせ……。
↓冬は丸坊主になってしまいます。
これは、景観的には弱点です。
ヘデラ類は冬でも青々としてますし、一時に一挙に葉を落とすことがありません。
管理も楽なわけです。
ということで最近は、ヘデラ類が使われることが多いみたいですね。
↓さっきとは別の部分をアップ。
↑「み」
穴が空いてます。
ここに苗を植えてるわけです。
これなら、登坂力は関係ありません。
でも、初期費用はナツヅタより遙かに多くかかります。
ナツヅタは地面に一列に植えておけば、勝手に登っていってくれるからです。
ヘデラは、壁面全体に植えなければなりません。
でも、植えた当初から、ほぼ完成状態となります。
予算さえ潤沢であれば、断然ヘデラの方が見栄えが良いです。
↓ちょうどお昼どきでしたが、人通りはまばらです。
↑「み」
↓すごい形のビルを発見。
↑「み」
中に入ってみたかったですが、もちろんそんな度胸はありません。
↓シャッターが切れてしまったようです。
↑「み」。こんな写真を意図的に撮るわけありません。
↓新宿駅前とは大違いな人通り。
↑「み」
↓目的の建物に到着。
↑「み」
わたしが東京で、最後に住んでたマンションです。
家具付きのワンルームでした。
窓を開けると、「山手通り」の車の音がうるさかったです。
撮影時刻は、12:16分。
『新宿駅南口』の写真は、11:39分でした。
37分もかかってます。
写真を撮りながら歩いたこともあるでしょうが……。
『新宿中央公園』を突っ切るルートなら、ずっと早く着いてたはずです。
↓半地下(?)になった店舗。
↑「み」
わたしが住んでたころは、貸しビデオ屋だった気がします。
借りたことはありませんでしたので、はっきりとは覚えてませんが。
↓マンションの裏手。
↑「み」
荒廃化が進みつつあるようです。
わたしが住んでたころでも……。
明らかに新宿勤めらしいフィリピーナ系の女性を多く見かけました。
↑歌舞伎町です。後ろの外階段がヤバそうな雰囲気を醸し出してます。
そういう女性たちの寮みたいになってたんじゃないですかね。
↓恐るべき居室がありました。
↑「み」
死体でもありそうです。
↓やっぱり治安が良くないんでしょうね。
↑「み」
↓これは、「山手通り」を挟んだ反対側。
↑「み」
まったく見覚えのある建物がありません。
↓さらば、わたしの東京時代。
↑「み」
まったく懐かしさを感じなかったのが、われながら不思議でした。
↓しばらく行くと、見覚えのあるスタンドを発見。
↑「み」
わたしのいたころは、歩道はこんな綺麗なブロック舗装じゃなかった気がします。
なんでこのスタンドに覚えがあるかというと……。
この前をボーッと歩いてたら……。
スタンドから出ようとする車に、いきなりクラクションを鳴らされて飛びあがったことがあるからです。
↑このくらい驚きました。
車を見ると黒いベンツで、運転してるのは明らかにその筋の人でした。
↑でも、スタンドから出て来たと言うことは、運転係の下っ端でしょうね。
もちろん、大急ぎで避けましたよ。
どーも、ベンツには良い印象がありません。
↓「山手通り」と「方南通り」が交わる『清水橋』の交差点です。
↑「み」
一瞬、鳥居かと思いました。
構造物を建築中なのかという気もしましたが……。
工事中の防護柵のようなものはありません。
↓「Google マップ」で見てみました。
交差点をぐるっと回ってるようです。
この写真を撮ったときは、まったく気づきませんでした。
↓どうやら、「サインリング」というタイプの信号のようです。
信号や標識をここにすべて並べ、景観に統一性を持たせるのが目的のようです。
早い話……。
利点は、デザイン面だけみたいです。
↓こちらは、西新宿にある「サインリング」。
完全な輪になってます。
でも、『清水橋』のは切れ切れですよね。
予算の関係上?
↓『中野区』との区界まで来ました。
↑「み」
塔が立ってますね。
どうも、塔を見ると気になります。
↓「Google」の地図を調べてみました。
換気塔のようです。
「山手通り」のこの部分の下には、都営地下鉄大江戸線が通ってます。
この地下鉄の換気塔かと思ったんですが……。
違ってました。
この下には、首都高速中央環状新宿線の『山手トンネル』も通ってたんです。
その換気塔でした。
高さは、45メートル。
『山手トンネル』は全長18.2㎞で、道路トンネルとしては日本最長だとか。
それどころか、世界2位だそうです。
道路トンネルはやっぱり、換気システムが重要になりますからね。
長いトンネルは造りづらいのでしょう。
全線開通は、2015(平成27)年3月7日だそうです。
↓イタズラ描きなんでしょうね。
↑「み」
いったい何の構造物だったか記憶にありません。
でも、真っ白く滑らかで、いかにも何か描いてくださいと言ってるようです。
通りがかったヤンキー方面の人たちは、創作意欲をかき立てられるのでしょう。
↑「み」
これは、どういう意味でしょう?
「ものすごい努力」ということか、「無駄な努力」と言うことか……。
判断に苦しみます。
どっちにも取れると云うことでしょうか。
しかしそれを、ステッカーにする意図は何?
↑たぶんこれ。
どうも気になるので、「Google」のストリートビューを探してみました。
↓発見しました。
自販機の空き缶入れのようです。
なんで真っ白にしたんですかね?
落書きされるのを狙ってたとしたら、大したものですが。
↓神田川を渡ります。
↑「み」
↓高いコンクリート護岸で囲われた、東京らしい川です。
↑「み」
大雨のときは、どのくらいまで水位が上がるんですかね。
落ちたら、ウォータースライダーのように流されるでしょうね。
岸に掴まりどころもありませんから、助かる見こみは無いに等しいと思われます。
↓鉄柵の中に、可憐な花。
↑「み」
↓アップにします。
↑「み」
↓『アガパンサス』です。
涼しげな青い花を咲かせます。
↓『アガパンサス』から続くのは、竹垣でした。
↑「み」
ここは、『成願寺』というお寺です。
↓『鍋島家』の墓所があるようです。
↑「み」。クリックすると、大きい画像が見られます。
化け猫騒動で有名な、佐賀の『鍋島家』ですね。
↑化け猫、扇風機に立つ。覗きでしょうか?
都心部にあった寺が、関東大震災か何かで移転してきたのかと思いましたが……。
そうではないようです。
中野区にある大名家の墓所は、この『成願寺』だけとのこと。
↑けっこう派手なお寺ですね。
鈴木九郎という紀州出身の商人が、この地にやって来ました。
室町時代のことです。
商売は成功し、「中野長者」と呼ばれるようになり……。
今の『成願寺』の地に邸宅を構えていたそうです。
↑さっき渡った神田川に架かる橋が『長者橋』だったみたいです。
しかし、可愛がっていた一人娘の小笹が、わずか18歳で亡くなってしまいます。
悲嘆にくれた九郎は、残りの人生を仏門で生きることを決意し……。
小田原の『最乗寺』の春屋宗能の教えを受け、名を正蓮と改めて僧侶となります。
邸宅は寺院に変えました。
1438年のことです。
寺名は当初、娘の戒名からとった『正観寺』でしたが、江戸時代に『成願寺』と改められたそうです。
幕末には一時、『新撰組』の近藤勇とその家族がここに身を寄せていたとか。
↑近藤勇。やっぱり迫力ありますね。
江戸時代、中野区の辺りは中野郷と呼ばれ……。
中野、本郷、雑色、江古田、片山、上高田、新井、上沼袋、下沼袋、上鷺宮、下鷺宮の11村に分かれてたそうです。
1695(元禄8)年、「生類憐れみの令」に関連して、中野村内(現・中野4丁目付近)に野犬を収容する犬小屋が作られました。
犬小屋と云っても、ポチが一匹入ってるような小屋ではありません。
16万坪あったそうです。
52万8千㎡です。
√で開くと、約727メートル。
真四角だったとして、一辺が727メートルということです。
不動産屋の計算方法でいくと、80メートルで徒歩1分ですから……。
一辺を歩くのに、9分かかります。
一周するだけで、36分ですね。
↑実際には真四角ではありません。
犬小屋は中野だけでなく、大久保と四谷にもありました。
中野の犬小屋には、8万2千匹の犬が収容されたそうです。
↑中野区役所前にある、『お囲いの犬の像』。
江戸のはやり言葉に、「伊勢屋、稲荷に、犬の糞」というのがありました。
江戸に溢れてるものを並べた言葉です。
それだけ野良犬がいたわけです。
犬は多産で安産だといいますからね。
あっという間に増えるのでしょう。
今も妊婦さんが、「戌の日」に安産祈願に行きますが……。
これは、多産でお産の軽い犬にあやかるためです。