2018.10.20(土)
ある夜、日本橋の番所に投げ文による通報があった。内容は呉服問屋を営む伊勢屋の長女ありさ(二十歳)が、番頭の俊吉と密かに情を重ねているというものである。
当時「密通」は婚姻関係を結ばない全ての性的関係を指し、公認の遊郭などでの「密通」を除いて、訴えに基づき厳しい刑事罰とされた。もしこれが事実であれば、伝馬町の牢屋に設けられた仕置場で斬首刑に処せられる。
普段番所での犯人取り調べは担当の同心がその任務を遂行していたが、この日は珍しく同心の上司に当たる与力の黒山左内が詰め掛けていた。
この黒山左内という男、奉行所内での受けもよく表向きは実直で通っていたが、こと女性に関しては異常なほどの色好みで、これと思った女性が現れるとありとあらゆる策を講じて毒牙にかけるという悪鬼のような男であった。つまり一度この黒山に見初められたが最後、見初められた女性は『蛇に睨まれた蛙』となっていた。
ありさが初めて黒山の屋敷を訪れたのは二ヵ月前のことであった。父親の勘兵衛が風邪をこじらせて寝込んでいたため、父親の代理で黒山の屋敷へ反物を届けに訪れたところを、主の黒山に見初められたのが運のつきであった。黒山は早速ありさを屋敷の女中として奉公に差し出すよう父親に命じたが、ありさはこれを頑なに拒んだ。
ありさが命に背いたことで黒山は激昂したが、いかな町奉行直近の与力といえども、商家の娘をむりやり女中奉公させるような強引な手立てはとれなかった。それでも諦めきれない黒山は日々考えをめぐらせ、そのすえ、彼の脳裏にひとつの妙策が閃いた。
土間の
同心の小菅を真ん中に岡っ引きの源五郎と下っ引きがありさを取り囲み、厳しく問い詰めていた。
「早く正直に吐いちまいなよ。その方が楽になるってもんだぜ」
源五郎は十手でありさの頬をぺたぺたと叩き凄んでみせた。
「俊吉とはそんな関係じゃありません! お願いです、信じてください!」
「ちぇっ、まだしらばっくれるつもりかよ~? 仕方ねえなあ、ちょっとばかし痛い目に遭わなきゃ吐かねえようだなあ。旦那、この女、大人しそうに見えて案外強情なようで。どうです? 笞打ちにしましょうか?」
「どうしても白状しないとあればやむを得ぬか。よし支度しろ」
「へえ」
「合点だ!」
源五郎たちはすぐさま笞打ちの準備を始めた。
「笞打ち」とは棒でひっぱたくだけの単純な拷問で、囚人の上半身を裸にしてから両腕を縄できつく縛り上げ、動けないようにその縄を二人の男が引っ張る。これだけでも相当に苦痛であり泣き喚くものもいるほどだ。縛り上げが終わると箒尻(竹を麻で補強した棒)で肩の辺りを思い切り叩く。二人で叩くこともあり、しばらく叩かれた容疑者は血が滲むこともあったという。
一度は捕縄を解かれたありさだったが、すぐに両側から取り押さえられ衣を毟り取られた。
「いやですっ! やめてください!」
「おい! 女! 大人しくしなっ!」
上半身の着衣がずれ白の襦袢姿になったとき、奥から凄みの効いた声が聞こえて来た。
「待て!」
小菅たちは驚いて声のする方向に目をやった。
奥からは与力の黒山左内がゆっくりと現れた。
「あっ、黒山様、ごくろうさまです」
小菅たちは慇懃に挨拶をした。
「ほほう、この女、伊勢屋の娘だそうじゃな」
「はい、左様でございます」
「伊勢屋は屋敷の出入り商人なんじゃ」
「左様でございますか?」
「この者の父は知らぬ者でもないので、まあ、大目に見てやれ」
「ははっ」
「で、どのような咎じゃ」
黒山は何食わぬ顔をして尋ねた。
小菅は黒山にありさの罪状を一部始終克明に説明した。
「ふうむ。そう言う事情であれば例え伊勢屋の娘であったとしても捨て置くわけには参らぬのう。密通は重罪じゃからのう。で、このありさとやらは番頭とは情を通じていないと言い張るのか?」
「はい。証拠があるにも拘わらず、番頭とは関係がないと言い張っております」
「証拠があるのか?」
「はい、二人の外での逢う瀬を目撃した者がおりまして」
「嘘です! 番頭と外で逢ったことなど一度もありません!」
「おまえは黙っておれ!」
「与力様! 信じてください! 本当に、本当に番頭の俊吉とは関係ありません!」
よもや黒山のはかりごととは知らないありさは、上役の黒山にすがるように訴えた。
直に与力に訴えかけたありさを小菅は激しく叱りつけた。
「黙れと言うに!」
小菅の平手打ちがありさの頬にさく裂した。
「うっ!」
「やめろ。女を傷つけてはならぬ」
「はぁ、しかし」
「このような美しい女を傷つけるのは惜しい限りじゃ。ふふふ、そうは思わぬか? それに当方の屋敷出入りの伊勢屋と言うことある」
「はぁ」
「されど、罪は罪。ご法度に
「はぁ、ではいかに?」
黒山は小菅を傍に呼び寄せ、小声で何やら耳打ちをした。
「はぁ……はぁ……ほほう……それはなかなかの名案でございますなあ」
小菅はにやりと口元を緩め、源五郎たちを準備に取り掛からせた。
コメント一覧
-
––––––
1. Mikiko- 2018/10/20 07:55
-
あぁ時代劇
Shyrockさまから、連載ものの投稿をいただきました。
今シリーズは、時代劇です。
『八十八十郎劇場』が終わって以来、久々の時代劇になります。
さて、「第一話」投稿にあたり、原稿を読ませていただいたわけですが……。
「あれ?」と思う箇所があったんです。
↓この一文です。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++
当時「密通」は婚姻関係を結ばない全ての性的関係を指し、公認の遊郭などでの「密通」を除いて、訴えに基づき厳しい刑事罰とされた。もしこれが事実であれば、伝馬町の牢屋に設けられた仕置場で斬首刑に処せられる。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++
この後の方の文章、「伝馬町の牢屋に設けられた仕置場で斬首刑に処せられる」という部分。
「伝馬町の牢屋」は、正式名称は『伝馬町牢屋敷』。
ここは、刑が宣告されまで罪人が留置される場所で、すなわち「留置場」です。
斬首刑が宣告されれば……。
小塚原や鈴ヶ森の刑場に引き立てられ、そこで刑の執行が行われたはず。
と思い、Shyrockさんに「おかしいんじゃないの」というメールをしようとしましたが……。
ふと、思いとどまりました。
続きは次のコメントで。
-
––––––
2. Mikiko- 2018/10/20 07:56
-
あぁ時代劇(つづき)
Shyrockさんが、これほど自信満々で書いてるからには、やっぱり確認が必要だと思ったんです。
で、ネットを探してみました。
いやー、すぐにメールしなくて良かったです。
『日本で本当に行われていた恐るべき拷問と処刑の歴史(https://books.rakuten.co.jp/rb/13290940/)』という書籍の中に、↓の一文があったんです。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++
例えば、江戸時代の日本橋付近にあった『伝馬町牢屋敷』では、敷地内に処刑場(御仕置場)が設けられて、通常の「斬首刑」(打ち首)はそこで行われていた。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++
↓電子書籍でも覗けます。
https://books.google.co.jp/books?id=pfpdDAAAQBAJ&pg=PT283&dq=%E6%95%B7%E5%9C%B0%E5%86%85%E3%81%AB%E5%87%A6%E5%88%91%E5%A0%B4&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwie76mPg4jeAhWNFIgKHaHaCxQQ6AEIJzAA#v=onepage&q=%E6%95%B7%E5%9C%B0%E5%86%85%E3%81%AB%E5%87%A6%E5%88%91%E5%A0%B4&f=false
続きはさらにのコメントで。
-
––––––
3. Mikiko- 2018/10/20 07:56
-
あぁ時代劇(つづきのつづき)
『安政の大獄』で投獄された吉田松陰も……。
この『伝馬町牢屋敷』に併設された処刑場で斬首されたそうです。
いやー。
自分の無知が恐ろしくなりました。
で、Shyrockさんは、ちゃんとこのことを知っておられたわけですから……。
改めて、「感服つかまつった」由のメールをしました。
ところが!
↓帰ってきた返信は思いがけないものでした。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++
正直言いまして刑場の存在を忘れていました。
確かに牢屋で死刑はしないのが一般的ですよね。
でもMikiko様が調べてくださって、助け船まで出してくださって(笑)
まさか牢屋内に仕置き場がったとは。よく分かりましたね。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++
知らんかったんかい!
正しい方に書き間違うという、恐るべき能力に感服いたしました。
わたしなら絶対、「鈴ヶ森の刑場で斬首刑」と書いてましたね。
しかし……。
やっぱり、時代劇は怖いです。
調べ出すと、泥沼に嵌まりそうです。
-
––––––
4. Shyrock- 2018/10/20 11:15
-
知らんかったんや~!(笑)
いや、面目ないです。
Mikiko様にご教示いただかなかったら、おそらくそのままだったでしょう。
時代劇を書く場合、時代背景はきっちり調べるようにしているのですが、
処刑場所に関しては完全にとんでました。
寄稿作品をきっちりと熟読くださって助言までくださるMikiko様に
改めてすごい人だな~って感じました。
ところで時代劇って現代劇を書くときより数倍エネルギーを使いますね。
やっぱり知らないことが多いからでしょうか。
書く限りいい加減なことは書きたくないですしね。
以前ある官能作家さんが書かれた「くのいち」作品を読んだことがあるのですが、
何故かパンツが登場したので目が点になったのを憶えています。
わが国で女性のパンツ(ショーツ)は白木屋デパートの火災以降に普及したことが、
有名ですのにね。
ほんと時代劇って難しいですね。
-
––––––
5. Mikiko- 2018/10/20 12:38
-
いやいや
おかげで、わたしもひとつ重要な知識を得ることが出来ました。
テレビ時代劇でも、さすがにNHKの大河は時代考証してるのでしょうが……。
民放の捕物帖とかはいい加減だったみたいですね。
典型が、居酒屋の場面。
たいがい、今と同じようなテーブル式です。
さすがに、背もたれのある椅子ではなく、樽とかですけどね。
でも、そういう居酒屋は、江戸時代、存在しなかったそうです。
客は畳に直に座り……。
料理や酒も、お盆に載ったまま畳に直に置かれたようです。
わらじ履きで急ぎの人などは、上がり框に腰掛けたまま飲食したみたいです。
なお、テレビ時代劇の居酒屋シーン。
聞いた話です。
下っ引き同士が、テーブルで向かい合って飲んでるシーン。
相手に酌をしてもらった方が……。
「おー、サンキュー、サンキュー」と言ったとか。
あくまで、聞いた話です。
-
––––––
6. Shyrock- 2018/10/20 18:49
-
そういえば民放時代劇の居酒屋(飯屋?)の場面でテーブルが置いてあったように記憶しています。
脚本家が無責任なのかプロデューサーが無知なのかは分かりませんが(あるいはわざと今風にしているのか)
確かに時代考証が甘い気がしますね。ドラマ名はあえて言いませんが。
それから時代劇小説を書く場合、一番頭を悩ますのが言葉遣いですね。特に武家及びその奥方の言葉ですね。
ただし官能小説の場合、あまり堅苦しい書き過ぎると興味が削がれてしまう可能性があるので、
さじ加減が難しいように思います。
-
––––––
7. 手羽崎 鶏造- 2018/10/20 19:15
-
時代劇ではないのですが、NHKの
「朝ドラ」は、戦争時代を経た作品が
少なくありません。
それはいいのですが、近頃、とみに
綺麗で、整った、オシャレっぽい日本軍(兵)の軍服、
ありえないカラフルなモンペなど、悲惨な戦争を
リアルに描いていない「時代考証」が気になります。
-
––––––
8. Mikiko- 2018/10/21 07:53
-
Shyrockさん&手羽崎鶏造さん
> Shyrockさん
確かに、セリフまで時代考証をしてしまうと……。
視聴者は、戸惑うでしょうね。
いわゆる女言葉は、明治以降の女学校教育の中で生まれたものだそうです。
江戸時代は、男も女も、同じしゃべり方をしてたみたいです。
でもこれだと、小説も困ります。
どっちがしゃべったのか、いちいち説明書きを入れなきゃなりませんから。
もっとも、実際のしゃべり方は、文献としては残ってないそうです。
残ってる文献は、文語の文章だけですから。
> 手羽崎鶏造さん
現在放送中の朝ドラは昔ながらのテイストで、古くからの朝ドラファンには好評のようです。
今がちょうど戦争時代なんじゃないですか。
予告編でチラッと見ました。
主人公が思いを寄せる男性が、憲兵に掴まってました。
確かに、誰もツギのあたった服を着てませんよね。
部屋の中なんかも、異様に小綺麗です。
ちゃぶ台には、傷ひとつありません。
畳も、毛羽立ってないし。
展示施設みたいではあります。