2018.10.14(日)
ここは、『成願寺』というお寺です。
↓『鍋島家』の墓所があるようです。
↑「み」。クリックすると、大きい画像が見られます。
化け猫騒動で有名な、佐賀の『鍋島家』ですね。
↑化け猫、扇風機に立つ。覗きでしょうか?
都心部にあった寺が、関東大震災か何かで移転してきたのかと思いましたが……。
そうではないようです。
中野区にある大名家の墓所は、この『成願寺』だけとのこと。
↑けっこう派手なお寺ですね。
鈴木九郎という紀州出身の商人が、この地にやって来ました。
室町時代のことです。
商売は成功し、「中野長者」と呼ばれるようになり……。
今の『成願寺』の地に邸宅を構えていたそうです。
↑さっき渡った神田川に架かる橋が『長者橋』だったみたいです。
しかし、可愛がっていた一人娘の小笹が、わずか18歳で亡くなってしまいます。
悲嘆にくれた九郎は、残りの人生を仏門で生きることを決意し……。
小田原の『最乗寺』の春屋宗能の教えを受け、名を正蓮と改めて僧侶となります。
邸宅は寺院に変えました。
1438年のことです。
寺名は当初、娘の戒名からとった『正観寺』でしたが、江戸時代に『成願寺』と改められたそうです。
幕末には一時、『新撰組』の近藤勇とその家族がここに身を寄せていたとか。
↑近藤勇。やっぱり迫力ありますね。
江戸時代、中野区の辺りは中野郷と呼ばれ……。
中野、本郷、雑色、江古田、片山、上高田、新井、上沼袋、下沼袋、上鷺宮、下鷺宮の11村に分かれてたそうです。
1695(元禄8)年、「生類憐れみの令」に関連して、中野村内(現・中野4丁目付近)に野犬を収容する犬小屋が作られました。
犬小屋と云っても、ポチが一匹入ってるような小屋ではありません。
16万坪あったそうです。
52万8千㎡です。
√で開くと、約727メートル。
真四角だったとして、一辺が727メートルということです。
不動産屋の計算方法でいくと、80メートルで徒歩1分ですから……。
一辺を歩くのに、9分かかります。
一周するだけで、36分ですね。
↑実際には真四角ではありません。
犬小屋は中野だけでなく、大久保と四谷にもありました。
中野の犬小屋には、8万2千匹の犬が収容されたそうです。
↑中野区役所前にある、『お囲いの犬の像』。
↓『鍋島家』の墓所があるようです。
↑「み」。クリックすると、大きい画像が見られます。
化け猫騒動で有名な、佐賀の『鍋島家』ですね。
↑化け猫、扇風機に立つ。覗きでしょうか?
都心部にあった寺が、関東大震災か何かで移転してきたのかと思いましたが……。
そうではないようです。
中野区にある大名家の墓所は、この『成願寺』だけとのこと。
↑けっこう派手なお寺ですね。
鈴木九郎という紀州出身の商人が、この地にやって来ました。
室町時代のことです。
商売は成功し、「中野長者」と呼ばれるようになり……。
今の『成願寺』の地に邸宅を構えていたそうです。
↑さっき渡った神田川に架かる橋が『長者橋』だったみたいです。
しかし、可愛がっていた一人娘の小笹が、わずか18歳で亡くなってしまいます。
悲嘆にくれた九郎は、残りの人生を仏門で生きることを決意し……。
小田原の『最乗寺』の春屋宗能の教えを受け、名を正蓮と改めて僧侶となります。
邸宅は寺院に変えました。
1438年のことです。
寺名は当初、娘の戒名からとった『正観寺』でしたが、江戸時代に『成願寺』と改められたそうです。
幕末には一時、『新撰組』の近藤勇とその家族がここに身を寄せていたとか。
↑近藤勇。やっぱり迫力ありますね。
江戸時代、中野区の辺りは中野郷と呼ばれ……。
中野、本郷、雑色、江古田、片山、上高田、新井、上沼袋、下沼袋、上鷺宮、下鷺宮の11村に分かれてたそうです。
1695(元禄8)年、「生類憐れみの令」に関連して、中野村内(現・中野4丁目付近)に野犬を収容する犬小屋が作られました。
犬小屋と云っても、ポチが一匹入ってるような小屋ではありません。
16万坪あったそうです。
52万8千㎡です。
√で開くと、約727メートル。
真四角だったとして、一辺が727メートルということです。
不動産屋の計算方法でいくと、80メートルで徒歩1分ですから……。
一辺を歩くのに、9分かかります。
一周するだけで、36分ですね。
↑実際には真四角ではありません。
犬小屋は中野だけでなく、大久保と四谷にもありました。
中野の犬小屋には、8万2千匹の犬が収容されたそうです。
↑中野区役所前にある、『お囲いの犬の像』。
コメント一覧
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1. Mikiko- 2018/10/14 07:48
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化け猫騒動
この話は、『東北に行こう!』の中で、けっこう詳しく書いてます。
ここのコメントとしてそのまま載っけようかと思ったのですが……。
あまりにも蛇足だらけの文章で、換骨奪胎すると何も残らなそうなので止めました。
それでも興味のある方は、『東北に行こう・総集編118(https://mikikosroom.com/archives/4739038.html)』をご覧下さい。
なお、猫が行灯の油を舐めたのは、魚油が使われてたからと云われてます。
実際、魚油は魚臭かったそうです。
蝋燭に比べると、かなり暗かったようですが……。
蝋燭は贅沢品でした。
江戸時代は、暗くなったら寝るというのが基本でした。
でも、なぜ中野にあった『成願寺』が、『鍋島家』の墓所になったのでしょう?
ちょっと(軽~く)調べたところによると……。
『鍋島家』と云っても、分家のようです。
『蓮池鍋島家』だとか。
蓮池は、佐賀市の東部に当たるようです。
分家と云っても立派な大名で、5万2600石だったそうです。
続きは次のコメントで。
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2. Mikiko- 2018/10/14 07:49
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化け猫騒動(つづき)
その『蓮池鍋島家』の四大藩主『鍋島直恒』は……。
1749(寛延2)年 、麻布龍土町 (港区) の藩邸で病死します。
で、『衾村(ふすまむら・目黒区)』に葬られたそうです。
目黒区の環七から西側全域が、『衾村』だったようです。
東急東横線の『都立大学』駅を中心とするエリアですね。
麻布龍土町は、今の六本木7丁目。
『六本木ヒルズ』の麓あたり。
至近の駅は、地下鉄の『六本木』。
ちなみに、『六本木』と『都立大学』は……。
日比谷線と東横線を乗り継いで、14分くらいです。
今だから近いですが、江戸時代は歩きですからね。
けっこう歩きでがあったはずです。
その墓所が、さらに中野に移ったわけです。
移った理由は、ざっと調べただけではわかりませんでした。
中野区にある大名の墓所はここだけだそうですから……。
何か特別なわけがあったはずだと思うのですが。
衾村の何という寺院に葬られたのかもわかりません。
名前が載ってないということは、消滅したのかも知れません。
うーむ。
衾村の謎の寺と『成願寺』に移転するまでのいきさつの方が、面白そうですよね。