2018.10.13(土)
男は、女の顔に自らの顔を寄せていた。
しかしその動作は、決して取り乱したものではなかった。
頬を女の鼻下に寄せたのは、呼吸を確認したのだろう。
顔を起こし、手の平を首筋にあてている。
脈を取ったようだ。
うなずくと、開いた手の平で女の脇腹をなぞっていた。
由美が蹴りを入れた箇所だった。
骨折などを探っているように見えた。
目撃者がいたのでは、いっそうこのままでは立ち去れない。
「あ、あの。
大丈夫ですか?」
「あ、ええ。
気絶しているだけです」
「すいません。
でも、この女性が迫って来たので……」
「わかってます。
あなたに罪はありません。
けしかけたのは、わたしなんですから」
男は女の顔を見下ろしたまま、由美に応対していた。
街灯の明かりが、男の頭にあたっていた。
白髪だった。
よく言えば、ロマンスグレーだろう。
しかし、櫛も入れてないようなボサボサの髪で、頭頂部は地肌が透けていた。
女と同年代、あるいはもう少し上かも知れない。
「救急車、呼ばなくていいですか?」
「大丈夫です。
ていうか、呼ばれて困るのはわたしらです。
こんな格好で運ばれたら、隊員に何て思われます?」
「着替えは……」
「はは。
アパートからこの格好で来たんです。
実は、わたしも同じ姿なんですよ。
コートの裾から出てるの、ズボンに見えますけど、レッグカバーなんです。
雨のとき、裾が濡れないように履くやつです。
つまり、膝から上は全裸なんです。
2人してこの姿で、病院に行くわけにはいきませんよ。
ご覧のとおり、初老の変態カップルです。
こういう人気のない暗がりだからこそ、出来る所業です。
皎々と照明の降り注ぐ病院に、この出 で立 ちで引き出されたら、あまりにも悲惨です」
「わたしがここで見てますから……。
着替えを取ってこられたらいかがですか?
近くなんですよね?」
「確かに。
でも、ほんとに大丈夫です。
ほら、こんな穏やかな顔をしてる。
失礼ながらあなた、空手かなんか?」
「拳法です」
「ひょっとして、山本先生の?」
「あ、そうです」
「やっぱり。
あの中段回し蹴りは、あの先生の得意技でしたから」
しかしその動作は、決して取り乱したものではなかった。
頬を女の鼻下に寄せたのは、呼吸を確認したのだろう。
顔を起こし、手の平を首筋にあてている。
脈を取ったようだ。
うなずくと、開いた手の平で女の脇腹をなぞっていた。
由美が蹴りを入れた箇所だった。
骨折などを探っているように見えた。
目撃者がいたのでは、いっそうこのままでは立ち去れない。
「あ、あの。
大丈夫ですか?」
「あ、ええ。
気絶しているだけです」
「すいません。
でも、この女性が迫って来たので……」
「わかってます。
あなたに罪はありません。
けしかけたのは、わたしなんですから」
男は女の顔を見下ろしたまま、由美に応対していた。
街灯の明かりが、男の頭にあたっていた。
白髪だった。
よく言えば、ロマンスグレーだろう。
しかし、櫛も入れてないようなボサボサの髪で、頭頂部は地肌が透けていた。
女と同年代、あるいはもう少し上かも知れない。
「救急車、呼ばなくていいですか?」
「大丈夫です。
ていうか、呼ばれて困るのはわたしらです。
こんな格好で運ばれたら、隊員に何て思われます?」
「着替えは……」
「はは。
アパートからこの格好で来たんです。
実は、わたしも同じ姿なんですよ。
コートの裾から出てるの、ズボンに見えますけど、レッグカバーなんです。
雨のとき、裾が濡れないように履くやつです。
つまり、膝から上は全裸なんです。
2人してこの姿で、病院に行くわけにはいきませんよ。
ご覧のとおり、初老の変態カップルです。
こういう人気のない暗がりだからこそ、出来る所業です。
皎々と照明の降り注ぐ病院に、この
「わたしがここで見てますから……。
着替えを取ってこられたらいかがですか?
近くなんですよね?」
「確かに。
でも、ほんとに大丈夫です。
ほら、こんな穏やかな顔をしてる。
失礼ながらあなた、空手かなんか?」
「拳法です」
「ひょっとして、山本先生の?」
「あ、そうです」
「やっぱり。
あの中段回し蹴りは、あの先生の得意技でしたから」
コメント一覧
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1. Mikiko- 2018/10/13 07:37
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今日は何の日
10月13日は、 上田敏の訳詩集『海潮音』が、本郷書院から刊行された日。
1905(明治38)年のことでした(今から113年前)。
有名な訳詞があります。
●「山のあなた」カアル・ブッセ
山のあなたの空遠く
「幸(さいはひ)」住むと人のいふ。
噫(ああ)、われひとゝ尋(と)めゆきて、
涙さしぐみ、かへりきぬ。
山のあなたになほ遠く
「幸(さいはひ)」住むと人のいふ。
この詩を有名にしたのは、落語家の三代目『三遊亭圓歌(1929~2017)』。
新作落語『授業中』で、この「山のあなた」を取り上げ、爆発的な人気を博したそうです。
この訳詞が「山のかなた」だったら……。
『授業中』という落語も生まれず、カアル・ブッセという名がこれほど知られることはなかったでしょう。
なにしろ、母国ドイツでは、ほとんど知られてない詩人のようですから。
ところで、最近の落語家で、新作を作ってやってる人っているんですかね?
ま、わたしが落語に疎いから知らないだけかも知れませんが。
続きは次のコメントで。
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2. Mikiko- 2018/10/13 07:37
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今日は何の日(つづき)
●「落葉」ポオル・ヴェルレエヌ
秋の日の
ヴィオロンの
ためいきの
身にしみて
ひたぶるに
うら悲し。
鐘のおとに
胸ふたぎ
色かへて
涙ぐむ
過ぎし日の
おもひでや。
げにわれは
うらぶれて
こゝかしこ
さだめなく
とび散らふ
落葉かな。
冒頭の三行を読んだだけで……。
「いやぁ、文学ってほんとうにいいもんですね(口調・水野晴郎)」と心から思います。
●「春の朝」ロバアト・ブラウニング
時は春、
日は朝(あした)、
朝(あした)は七時、
片岡(かたをか)に露みちて、
揚雲雀(あげひばり)なのりいで、
蝸牛(かたつむり)枝に這ひ、
神、そらに知ろしめす。
すべて世は事も無し。
一瞬、『枕草子』のパクリじゃねえのと感じますが……。
ロバアト・ブラウニングが、『枕草子』を読んでたとは思えません。
むしろ、時を超え地を超えた詩人同士の感性が呼応したと云うべきなのでしょう。
『海潮音』、確か文庫で持ってたはずです。
探してみなくては。
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3. 手羽崎 鶏造- 2018/10/13 10:13
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落語の世界では、新作というか「創作落語」が
今、ブームです。立川志の輔、桂文枝 両師匠が
東西の旗頭だと思います。
古典落語は若い頃からやっておられたのですが、
素材を現代に求めて、若い層からの支持も得て
います。YouTubeでも観ることが出来ます。
一方で、古典落語を大事にされている一門も
もちろん健在なことは言うまでもありません。
ネタに現代的な機微は入れておられます。
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4. Mikiko- 2018/10/13 18:11
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立川志の輔
『ガッテン!』でしか見たことありません。
落語もやってるんですね。
新作と古典、両方あるからいいんでしょうね。
わたしとしては、新作古典(?)のようなものがあればいいと思います。
新しい江戸話を創るわけです。