2018.10.6(土)
ダメだ。
由美は頭を振った。
おかしくなりそうだった。
このまま家に帰ったら、今の妄想にさらに取り憑かれてしまうかも知れない。
玄関を入り、照明を点けた途端……。
目に飛びこむのは、上がり框のすぐ先の廊下で交わる両親。
もちろん、全裸だ。
思えば、両親の裸を見たのは、幼児のころまでだった。
もちろん、お風呂でだ。
目の前で性交する2人は、そのころのままの若い姿をしていた。
仰向けの父に、母が跨がっていた。
後ろ向きの母の尻が、ロデオマシンのごとく振れている。
それを凝視しながら、由美は股間に手を差し入れる。
ダメだダメだ。
手が、ほんとうに動き出しそうだった。
由美は、熱いものに触れたように、手を宙で跳ねあげた。
明らかに挙動不審の女だ。
こんなところを誰かに見られたら、ぜったいに変に思われる。
そうだ。
どこかで夕食を食べていこう。
さっきまでは、お弁当でも買って帰ろうと思っていた。
しかし今、あのマンションにひとりで帰ったら、自分は何をするかわからない。
お店で夕食を摂り、気持ちを切り替えて帰るべきだ。
どこがいいだろう。
ここからだと……。
やはり、あのパスタ屋だ。
道場に通っていたころ……。
両親が遅くなる日などは、そのパスタ屋で夕食を摂ることが多かった。
大盛りを注文しなくても、十分にボリュームのあるパスタだった。
稽古帰りには、うってつけのお店だったのだ。
近道をしよう。
由美は、鬱蒼と樹木の茂る公園に足を踏み入れた。
普通の女の子だったら、入るのを憚ってしまいそうな見通しの利かない公園だった。
しかし、拳法を習っていたころの由美は、躊躇なくその近道を使っていた。
変なヤツが出て来たら退治してやるくらいの驕りもあった。
幸か不幸か、そういう機会には一度も出会わなかったが。
この日の公園にも、誰の姿も見えなかった。
陽はすっかり落ちて、空の一角だけが、ほんのりと青みがかっている。
樹木の輪郭が、影絵みたいに浮かんでいた。
街灯はあるのだが、それもまばらで、しかも茂った樹木が光を遮る。
女性がひとりで通るような道ではない。
由美は、思わず一人笑いを零した。
高校時代の気負った自分が、前を歩いている気がしたのだ。
由美は頭を振った。
おかしくなりそうだった。
このまま家に帰ったら、今の妄想にさらに取り憑かれてしまうかも知れない。
玄関を入り、照明を点けた途端……。
目に飛びこむのは、上がり框のすぐ先の廊下で交わる両親。
もちろん、全裸だ。
思えば、両親の裸を見たのは、幼児のころまでだった。
もちろん、お風呂でだ。
目の前で性交する2人は、そのころのままの若い姿をしていた。
仰向けの父に、母が跨がっていた。
後ろ向きの母の尻が、ロデオマシンのごとく振れている。
それを凝視しながら、由美は股間に手を差し入れる。
ダメだダメだ。
手が、ほんとうに動き出しそうだった。
由美は、熱いものに触れたように、手を宙で跳ねあげた。
明らかに挙動不審の女だ。
こんなところを誰かに見られたら、ぜったいに変に思われる。
そうだ。
どこかで夕食を食べていこう。
さっきまでは、お弁当でも買って帰ろうと思っていた。
しかし今、あのマンションにひとりで帰ったら、自分は何をするかわからない。
お店で夕食を摂り、気持ちを切り替えて帰るべきだ。
どこがいいだろう。
ここからだと……。
やはり、あのパスタ屋だ。
道場に通っていたころ……。
両親が遅くなる日などは、そのパスタ屋で夕食を摂ることが多かった。
大盛りを注文しなくても、十分にボリュームのあるパスタだった。
稽古帰りには、うってつけのお店だったのだ。
近道をしよう。
由美は、鬱蒼と樹木の茂る公園に足を踏み入れた。
普通の女の子だったら、入るのを憚ってしまいそうな見通しの利かない公園だった。
しかし、拳法を習っていたころの由美は、躊躇なくその近道を使っていた。
変なヤツが出て来たら退治してやるくらいの驕りもあった。
幸か不幸か、そういう機会には一度も出会わなかったが。
この日の公園にも、誰の姿も見えなかった。
陽はすっかり落ちて、空の一角だけが、ほんのりと青みがかっている。
樹木の輪郭が、影絵みたいに浮かんでいた。
街灯はあるのだが、それもまばらで、しかも茂った樹木が光を遮る。
女性がひとりで通るような道ではない。
由美は、思わず一人笑いを零した。
高校時代の気負った自分が、前を歩いている気がしたのだ。
コメント一覧
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1. Mikiko- 2018/10/06 07:38
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今日は何の日
10月6日は、『役所改革の日』。
1969(昭和44)年10月6日(今から49年前)……。
千葉県松戸市役所に「すぐやる課」が発足しました。
当時の松本清市長の発案で設置されたもので……。
「すぐやらなければならないもので、すぐやり得るものは、すぐにやります」をモットーに……。
役所の縦割り行政では対応できない仕事に、すぐに出動してすぐに処理し、市民の好評を得ました。
この松本清という名に、おやっと思われた方は多いと思います。
まさしく、この松本清さんは、ドラッグストア『マツモトキヨシ』の創業者でもあります。
経歴を調べてみました。
もっと若くて、存命の方とばかり思ってました。
生まれは、1909(明治42)年。
1973(昭和48)年に、64歳で亡くなってます。
店名が『マツモトキヨシ』に改められたのは、清の死後(1975年)になります。
松戸市長になったのは、『マツモトキヨシ』を創業したずっと後でした。
2期目の市長在任中に、心不全で死去したそうです。
まだまだやりたいことが、たくさんあったでしょうにね。
こういう人にこそ、「惜しい人を亡くしました」と言うべきなのだと思います。
続きは次のコメントで。
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2. Mikiko- 2018/10/06 07:39
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今日は何の日(つづき)
なお、薬屋を興したのは、清が薬学を学んでたからでした。
10代のころから、丁稚奉公しながら薬の勉強を始め……。
1930(昭和5)年、『星製薬商業学校(現・星薬科大学)』を卒業します。
この学校は、「東洋の製薬王」と呼ばれた『星一(ほしはじめ・SF作家『星新一』の実父)』が設立したものです。
卒業し、薬種商免許を取得した清は、1932(昭和7)年、『松本薬舗』を開業します。
しかし突然、戦時中の1942(昭和17)年……。
千葉県東葛飾郡小金町(今の松戸市の一部)の町議会議員になります。
戦後の1947(昭和22)年には、千葉県会議員に初当選します。
実は、この県議会議員こそ、清が一番成りたかった職なのです。
話は、清が小学生のころに遡ります。
清は、貧しい農家に生まれました。
ある日、『視学(現代の教育委員会の指導主事のような職業だそうです)』が、学校に来てました。
いつもふんぞり返っていて、校長も頭が上がらない様子でした。
その『視学』が帰り際のこと。
学校の玄関前で、たまたま所用で来校した県議会議員と鉢合わせになったのです。
『視学』は慌てて道を譲り、頭を垂れました。
それを見た清は……。
校長より偉い『視学』が道を譲る県議会議員とは、なんと凄いのかとびっくり仰天します。
続きはさらに次のコメントで。
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3. Mikiko- 2018/10/06 07:40
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今日は何の日(つづきのつづき)
家に帰った清は母親に、「大きくなったら県議会議員になりたい」と言いました。
母親からは、「バカ言っているんじゃない」と叱られました。
戦後、清が本当に県議会議員になったとき、母親はただただ驚いたそうです。
後に松戸市長になったのは、自らの意思ではありませんでした。
前市長がスキャンダルで引責辞任し、自民党には、後を継ぐ適当な候補者がいませんでした。
当時、千葉1区の衆議院議員だった自民党副総裁『川島正次郎』が、直々に松本を説得し立候補を受諾させたのです。
1969(昭和44)年1月26日、松本清は第9代松戸市長に当選します。
そして、1969(昭和44)年10月6日。
「市役所は、『市民に役立つ・役に立つ人がいる所』」というモットーの元……。
日本初の即応部門「すぐやる課」を設置しました。
当初の職員は、課長と課員1名でした。
ところがこれが全国的に報道されたため……。
発足2日目に44件もの要望が入り、急遽3人増員し、5人態勢となりました。
2017(平成29)年現在では、9人で構成されているそうです。
もちろん、現在も存続してます(https://www.city.matsudo.chiba.jp/shisei/organization/sougouseisakubu/suguyaruka.html)。
2017年度の要望件数は、2,695件。
ひと月に、225件です。
1日10件ですよ。
目が回るような忙しさでしょうね。