2018.9.2(日)
ということで、事前に駅員さんに確認しておくことにしました。
若いころのわたしは、小心かつシャイで……。
駅員さんに、何か質問するなどということは、とうてい出来ませんでした。
ずけずけと尋ねてるおばちゃんを見て、心底恐れ入っていたものです。

しかし、歳と共に、わたしもおばちゃんになりつつあるようで……。
わからないときは、平気でものを尋ねられるようになってきました。
で、納得するまで追求するつもりで……。
ある日の朝、普段より2本早い電車で『新潟駅』に降り立ちました。
実は、もうひとつ、探索したいことがあったんです。
今回の高架化で、在来線の5番ホームと新幹線の11番ホームが向かい合ったんです。
すなわち、在来線と新幹線が対面ホームで乗り換えられることになったわけ。

今年の高架化のときには、『いなほ』と新幹線の乗り換えが便利になると、やたらと宣伝してました。
『いなほ』は、『新潟駅』から白新線・羽越線経由で、山形県『酒田駅』を通り秋田県『秋田駅』までを繋ぐ特急です。

しかし、東京方面から、『新潟駅』で『いなほ』に乗り換えて『秋田駅』まで行く人は、まずいないでしょう。
秋田新幹線があるからです。

実際、『酒田駅』止まりの『いなほ』もたくさんあります。

↑7本中4本が、『酒田駅』止まりでした。
『いなほ』には……。
新潟県『村上駅』とか、山形県『鶴岡駅』『酒田駅』へ行く人たちがたくさん乗るんですかね。
でも、『新潟駅』での乗り換えが便利になったことで……。
そんなに恩恵を受ける人が多くいるのか、少々疑問ではあります。
で、ある日の朝。
まず、乗り換え用の自動改札機を間近で見るために、5番線ホームに行ってみました。
わたしが、朝夕使う列車は、3番線ホームから発着します。
なので、その3・4番線ホームからは、隣の5・11番線ホームが見透せるんです。

↑右側が4番線。並んだ線路が5番線。5番線の反対側に、新幹線の11番線ホームがあるのです。
4番線か5番線に列車が入っていれば見透せませんが……。
松本清張の『点と線』とは大違いで、見透せない時間の方が遙かに少ないのです。

↑『点と線』。今年、再読しました。面白かったです。13番線ホームから15番線ホームを見通せるのは、1日のうちでたったの4分という設定でした。
5番線と11番線の間には、自動改札機があります。
遠目で見た限りでは、普通の改札機に見えました。
でも、やはり間近で見てみたい。
というわけで、5番ホームにあがってみました。

↑左にあるのが、5番線と11番線の間の改札機。5番線に列車が入ってます。その隣に列車が入ってるのが4番線です。
すると、ホームには若い駅員さんが立ってました。
改札機の向こうを覗きこむと、新潟では見慣れない柵がありました。

近年、東京に行ったとき、初めて見たものです。
すなわち、11番線側の新幹線の乗降口前を、ホームドアが塞いでるわけです。
この時間、新幹線は入ってなかったので、当然、ホームドアは閉じてました。
どうも、簡単には乗り換えが出来ない雰囲気を感じたので……。
若い駅員さんに、聞いてみることにしました。
↑これは『中川家』礼二です。
当日、わたしが乗って来るつもりの在来線は、5番線に着くんです。
新幹線は、11番線から発車します。
まさしく、この自動改札機を通れば……。
階段の昇降をせずに、新幹線への乗り換えが出来るわけです。

↑奥が新幹線、手前がハマナス色(E653系)の『いなほ』。
で、その確認のための質問をしてみたわけです。
答えは……。
妙に歯切れの悪いものでした。
この5番線と11番線は、本来、『いなほ』の乗り換えのために設計されたものであると。
それでは、在来線の普通列車からの乗り換えは出来ないのかと云うと……。
そうではないようです。
ただし。
ホームドアが開くのが遅いということ。

↑「み」。この日、実際にわたしが撮った画像です。新幹線の手前にホームドアが閉じてるのが見えます。
どういうことかと云うと……。
新幹線の11番線の対面ホームは、12番線です。
通常、11番線の新幹線には、この11・12番線ホームから乗りこむわけです。
しかるに、11番線の新幹線は、11・12番線側のホームと、11・5番線側のホームの間に入線します。
つまり、この2本のホームの間は、列車1台分の幅しかないわけ。

わかりにくいだろうなと思いつつ書いてますが……。
すなわち、この新幹線は、左右両側の扉が開くわけです。
で、わたしの聞き間違いでなければ……。
両側の扉は同時に開くわけではないそうです。
11・12番線側が先に開くんだと。
なんでだかは聞きませんでしたが……。
たぶん、自由席車両に両側の扉から客が殺到したら、具合が良くないということじゃないでしょうか。
というわけで、この駅員さんは正直な方で……。

↑真面目なことはいいことです。ただ、「バカ」の度合いが大きい人が多いことも事実です。
「11・12番線側のホームから乗った方がいいです」という気持ちが、口調に表れてました。
実際、自動改札機の向こう、ホームドア前のスペースを見ると……。
ベンチも無いようです。
こちら側ホームから乗ろうとした乗客は、突っ立ったまま……。
反対側のドアから、どんどん乗りこむ乗客を見守ることになると思います。

↑こういう顔になると思います。
早い話、自由席に乗ろうとする人は、ぜったいに止めた方がいいですね。
素直に、11・12番線側ホームで並びましょう。
さて続いて、肝心のことも質問しました。
つまり、改札階で、在来線と新幹線を繋ぐ乗換改札機の通り方です。
こちらは、明快に応えてくれました。
「最初に新幹線の切符を通し、その後にSuicaをタッチする」ということでした。
聞いて良かったです。
聞かなかったら、わたしはまず、Suicaをタッチしたと思います。
在来線の精算が先だと思うからです。

大いなる啓示を得ることが出来ました。
相手をしてくれた駅員さんにお礼を言い、5番線ホームを後にしました。

↑「み」。わたしが話を聞いた駅員さんが、左上に写ってました。
で、ホームからまた2階の改札階に下りたのですが……。
この日は、いつもより2本前の電車で来てたので、まだ時間に余裕がありました。
改めて、「在来線→新幹線」の乗換改札機の前に立ちます。

↑「み」。このとき撮影した画像です。
「切符→Suica」と手帳に書きこみ……。
切符を通すスリットとSuicaのタッチ位置を確認。

↑「み」。
これでお終いと思ったのですが、改札機の脇に初老に近い駅員が立ってたので……。
もう1度、ダメ押しで同じ質問をしてみました。
若い駅員さんを疑うわけじゃありませんが、万が一ということもあります。
結果は……。
同じでした。
しかし、駅員の態度は大違いでした。
ここにいた初老の駅員は、態度が悪かったです。

↑こんな格好はしてませんでしたが。最近の子供の中には、この姿勢が出来ない子がいるとか。火急の事態で飛び込んだトイレが和式だったら、どうするんですかね?
操作してた携帯から面倒くさそうに目を離し、わたしを見ようともせず、改札機を指さし……。
「切符が先、Suicaをタッチ」。
ぶっきらぼうにそれだけ言うと、再び携帯の操作に戻りました。
↑「ながら携帯」は、きわめて危険です。
腹が立ちましたが、無視されたわけでもないので、頭を下げて引き下がりました。
国鉄時代の生き残りですかね。

東京でも感じたことですが、駅員さんは若い方が愛想が良く親切です。
株式会社の社員として入社し、研修を受けてるからでしょうね。
それに対し、歳を取った社員の中には……。
国鉄臭をプンプンさせてるのが、まだ生息してるということです。

しかし……。
なんで、「切符が先、Suicaをタッチ」なんですかね?
どっちが先でも、両方の行為がされればいいだけですよね。
さて、切符と宿の準備が整い、いよいよ出発日を待つばかりとなりました。
出発日が週間天気予報に載るようになると……。
徐々に、思いがけないお天気に変遷していきました。
どんどん、予報が良くなっていったんです。
ついに、出発日からの両日、新潟も東京も、降水確率がほぼゼロパーセントになりました。
6月下旬。
梅雨の真っ只中ですよ。

↑2018年6月の新潟県(下越)のお天気です。傘マークなしです。こんな6月は滅多にありません。
新潟と東京が、2日続けて晴れなんて日が、そうそうあるとは思えません。

↑同じく、6月の東京のお天気です。後半は、傘なしでしたね。
精進が良かったからでしょうか。
でも、前の2年は、5月後半の日程にもかかわらず、共に雨に祟られてました。
晴れ女というわけでも無いんですよね。

ともあれ、雨が降らないに越したことはありません。
さて、当日です。
月曜を除く平日の朝は、3:30分に起きます。

↑ニワトリも寝てる時間。冬は、ケッコー辛いです。
もちろん、執筆のためです。
でも、この日の執筆は免除。
もちろん、旅行の荷造りをしなければならないからです。
小学校の遠足では、たぶん前日までに荷造りを終え……。
前日の夜は、リュックを枕元に置いて寝たはずです。

↑12日の木曜日。
でも、大人の旅行はそうはいきません。
持って行くものの中には、日常使いのものが数多くあります。

↑こんなにはありませんが。
なので、前日にリュックに詰めておくわけにはいかないのです。
持ち物リストは、パソコンで打ってあります。

↑基本的に、こんな感じです。
毎年、「持って行けば良かった」という品を追加していくので……。
どんどん、増えるばかりです。
近年、必需品となったものの中に、湿布類があります。
1,2枚じゃ足りません。
初日の夜は、風呂上がりに、全身湿布だらけになります。
ツギハギ人間みたいです。

翌日に疲れを持ち越さないようにするためです。
腰に貼る大判の湿布が2枚。
あとは、ふくらはぎや足の裏に貼るサロンパスが大量に必要です。

↑実際、効きます。
足りなくて残念な思いをしたくないので……。
サロンパスはほぼ箱ごとに近い量になります。
パソコンや各種充電器、ケーブル類などは……。
今現在、繋いである配線を外して詰めこまなくてはなりません。
大仕事です。

↑ほぼ、これに近い量になります。
今年はリュックを新しくしたので、何をどこに入れるか、なかなか決まりません。
とくに、パソコンの入れ場所が思いのほか狭くて難渋しました。
ところがこれは、わたしの大失態だったんです。
パソコン用のポケットがちゃんと別にあるのに、そこを見つけられなかったんですね。
つまり、大容量の収納スペースを、ひとつ無駄にしてしまったわけ。
そのため、どうやってもジッパーが締まらなくなりました。
で、雨が降らないという予報を信じ……。
折りたたみ傘を持って行かないことにしました。

↑お気に入りのピンクの傘です(昨年訪ねた『松戸市立博物館』前にて)。
あと、初日の夜に飲む焼酎は、昨年は500mlのペットボトルに家から詰めていったんです。
当日スーパーで買うと、どうしても余ってしまいますから。

↑たいてい、これを買います。一升瓶の半分もあります。全部飲んだら、翌日は重病人状態となります。
でも、これも断念しました。
前のリュックにはあった、ペットボトルの入れ場所が外側に無いんです。

↑こういうやつ。ここに焼酎が入ってるとは、お釈迦様でも気がつくめい。
一瞬、去年までのリュックに詰め替えようかとも思いましたが……。
せっかくこの日のために買ったリュックです。
焼酎は、当日買うことにしました。
さて。
今年は、昨年までにはなかったアイテムが仲間入りしました。
衣類圧縮袋です。

存在は知っていましたが、わたしはずっと、掃除機で空気を吸い出すものとばかり思ってました。
通販の布団用は、そうしてますから。

その方式の場合、家で詰めるときは圧縮できますが……。
向こうから帰るときは、圧縮できないことになります。
というわけで、これまで使ってなかったのです。
でも、100均で見つけた圧縮袋は、掃除機を使わないで圧縮できる仕組みでした。
衣類を入れて密封したら、クルクル丸めるだけ。

これで空気が抜けます。
でも、皺が気になるものは止めた方がいいです。
わたしが使ったのは、まずはヤッケ。
雨が降ったり寒かったりしたときに羽織るために持参します。
折りたたみ傘の持参を諦めたので、ヤッケだけは持って行きたい。
わたしのヤッケは、胸ポケットの中に、ヤッケ本体すべてが収納できるものです。
でも、そうして収納すると、かなり厚みもあり、けっこう嵩張ります。

↑こういう形状にできるわけです。たたみ方が下手なのか、けっこう分厚くなります。
ということで、胸ポケットには収納せず、畳んだだけで圧縮してみました。
見事に、ぺちゃんこになりました。
でも、どうしても皺は寄りますね。

厚みがなくなったので……。
ヤッケは、リュックの背中部分に張りつけるようにして収まりました。
ほんとは、こんな苦労をしなくても、パソコンポケットさえ発見していれば済んだ話でしたが。
荷造り作業を進めます。
わたしは1人で、2階のすべてを使ってます。
10畳と8畳の和室。
8畳くらいの洋間。
あと、ミニキッチンにトイレ。
若夫婦が暮らせるくらいのスペースがあります。
贅沢ですが、わが家には、わたしと母しか住んでないのです。
1階スペースは、すべて母が使ってます。
1階の居室は和洋合わせて5室あります。
それぞれ、仏間、居間、母の寝室、物置、客用寝室として使われてます。
ほかに、キッチンとお風呂とトイレ。
お風呂はもちろん、わたしも使います。
こんな広い家に2人しか住んでないのですから、固定資産税が馬鹿馬鹿しい話です。

↑将来、こんな紙をもらう可能性が無いとは言えません。
母が亡くなったら、売り飛ばそうと思ってます。
家は古いので値はつきませんが、土地が100坪あります。
小さな中古マンションを買えるくらいの価値はあるでしょう。
2DKくらいで十分です。

↑これで十分。しかし、この突出した押し入れ、隣室との境目でしょうか? 天井裏が繋がってそうですよね。
とにかく、戸建て住宅は、手間がかかりすぎです。
夏は草取りに水やり……。

冬は雪かき。

歳を取ったらとても出来なくなります。
マンションなら、こういう労務から解放されるわけです。
管理費は取られますが。
ただし、雪かきから解放されるといっても、新潟に住む気はありません。
冬に晴れる地域がいいです。

でも、東京は論外です。
不動産が高いし、人が多すぎ。

災害が起きたら、誰も助けが来ません。
日本中の人間がボランティアで来ても間に合わないでしょう。
助けを待つ人が多すぎるんです。

でも、移住するなら……。
高齢者に、バスのフリーパスがもらえるところがいいですね。
1日中、路線バスに乗っていられます。

↑大阪府高槻市では、70歳以上であれば市営バス全路線に無料で乗れます。でも、高槻市内ばっかり乗ってたら、飽きるわな。
フリーパスは、大都市しかないようです。
大阪市は、今のところパスをもらえますが……。
将来的には、どうなるかわかりません。
大阪市自体がなくなるかも知れませんから。

↑どうなりますかね?
それに、やっぱり、夏が暑すぎますよ。
猛暑日に熱帯夜が当たり前なんですから。

さて、前置きが長くなりすぎました。
わたしの悪い癖ですね。
出発を急ぎましょう。
荷造りに苦戦しつつも、どうやら時間内には間に合いました。
この日、家を出るのは、8時10分前くらいを予定してました。
いつも、出勤するときに乗る列車のひとつ後の便です。
別に、同じのに乗ってもいいんですけどね。
でも、ちょっと気恥ずかしいじゃないですか。
首都圏などとは違い……。
地方では、同じ時間に、ホームの同じあたりで待ってる人は、だいたいメンバーが決まってるのです。

↑わたしの乗る駅は、ここまで地方色濃厚ではありませんが。
もちろん、会話を交わしたりはしません。
でも、いつもいる人がいないと、ちょっと気になったりします。
風邪でも引いたんだろうか……。
それとも、会社をクビになったんだろうか、とか。

同じ場所で待ってる人たちも、わたしが毎日いることには気づいているはず。
普段の日はもちろん、会社に行く格好をしてます。
スーツなどは着てませんが、それなりの出勤スタイルです。
ところが、この日は違います。
新調したリュックに、足元はスニーカー。

↑さすがに、こんなのは履いてません。
何かあったのか、とか思われる可能性もあります。
もちろん、まったく気づかれない確率の方が大きいことは、わたしも自覚してます。
でも、わたしの方で気になるじゃないですか。
ということで、毎朝乗る列車は、出来れば避けたかったのです。
新幹線の発車時刻は、9:04分です。
指定席ですから、前もって並ぶ必要はない。
9:04分は、いつもなら、もう会社で仕事を始めてる時間です。
なので、1列車遅らせても、悠々と間に合うのです。

↑何の漫画ですかね?
さてさて。
家を出るのは、8:10分ころ。
3:30分に起きてるんですから……。
4時間40分もあります。
これで間に合わなかったら、完全なアホです。

↑まさしくこれです。
朝食も普段どおりの時間に摂りました。

↑この日の朝食……、のわけありません。
シャワーも浴び、この日の投稿も済ませました。
最後に使ったローションやノートパソコン類をリュックに収めると……。
もう、何もすることはありません。

↑何もすることがない方。
デスクトップパソコンでネットをしてみても、気もそぞろです。
呆然と家にいてもしょうがないので、出かけることにしました。
これは、3年前の苦い記憶が蘇ったこともあります。
このときは、高速バスを予約してました。
高速バスは、新潟駅から少し離れた『万代シティバスセンター』というところから出ます。

↑「み」。雨の『万代シティバスセンター』。これは、2年前の画像です。
新潟駅からは歩くつもりで、新潟駅まではJRを使いました。
このJRが、わたしの乗る駅でストップしたまま動かなかったんです。
冷や汗が流れました。

高速バスに間に合うには、けっこうタイトな時間の列車だったからです。
下りるべきか……。
扉からは、次の電車に乗るつもりだった乗客も次々と乗りこんできて……。
このままでは、下りるという判断をしても、それが不可能になりそうでした。

で、思い切って、乗客を掻き分け、駅前からタクシーに乗りこんだのです。

しかし、その日は平日でした。
新潟市街へ向かう道路は渋滞。
線路と平行して走るうち……。
わたしが飛び降りた列車に抜かれました。

↑今はもう、このタイプの列車は見かけなくなりました。
これで間に合わなかったら、踏んだり蹴ったり殴ったりです。
正直に、運転手さんにバス時間を伝えたところ……。
一生懸命、ナビで空いてる道を調べながら走ってくれました。

↑タクシーのナビは進化してるようです。道を熟知したベテランドライバーは、少なくなってるでしょうからね。
まるでアミダクジみたいな経路で、途中からどこを走ってるのかまったくわからなくなりました。
幸い、なんとか10分前くらいにバスセンターに着くことが出来ました。

運転手さんには、万感の感謝をこめて礼を言い、お釣りはもらいませんでした。
250円でしたけど。
さて、家を出るまでの時間が余ったこの日。
もし、漫然と部屋で過ごし、結果、電車が遅れて間に合わなかったりしたら……。
どれほど後悔するかわかりません。

↑このくらい後悔します。
前にも書いたとおり、いつも使う列車に旅姿で乗るのは恥ずかしいので……。

↑夏は暑いでしょうね。宿で洗ったり出来たんでしょうか?
いつも使う列車より、1本早い便に乗ることにしました。
予定してた列車よりは2本早く、13分前の発車になります。
この日も翌日も雨が降らない予報なので、駅までチャリが使えました。

↑こんな雨よけもあるようです。最寄り駅の駐輪場は2段式なので停められませんが。
結局、電車はまったく遅れることもなく、定時に新潟駅に滑りこみました。
ま、世の中こういうものです。
さて。
乗るはずだった2本後の便は、新潟駅の高架ホームの5番線に入線します。
しかし、わたしがこの日乗った便は、地上ホームに入線するんです。

↑左手の高架橋が高架ホームへの線路。電車が走ってるのが地上ホームに続く線路。
5番線から、新幹線の11番線への乗り換えをするつもりはなくなっていたので……。

↑はまなす色の『いなほ』。まだ1度も見たことがありません。1編成しか無いようです。
いっこうにかまいませんが。
地上ホームから、2階の改札階に上がります。
ここから、新幹線への乗換改札で、「切符が先、Suicaをタッチ」をすればいいわけですが……。

↑「み」
止めにしました。
2人の駅員に聞いて、この方法を確認してましたが……。
万万が一ということもあります。
とにかく、旅の初っぱなでつまずきたくないです。

なにより、時間は山ほどあります。
予定より、2本前の列車で来てるんですから。
新幹線の発車まで、50分もあります。
しかも指定席ですから、並ぶ必要もない。

冒険することはありません。
ということで、一旦、改札口を出てしまうことにしました。
何のことはない、「石橋を叩いて渡らない」という仕儀になりました。

在来線の改札を出ましたが、このまま新幹線の改札を通っても、時間がありすぎます。
↓というわけで、2階改札階の外に出て、写真を1枚撮りました。

↑「み」。雨は降ってませんが、梅雨らしい空模様でした。
ここは、『新潟駅』の南口です。
昔は何もなかったところで、新幹線が通ってから整備されました。
小綺麗ですが、商店街も飲み屋街もありません。
左手の先に『ドン・キホーテ』があるくらいですね。

昔は、何度か行きましたが……。
わたしはどうも、あの雑然とした店内が好きではありません。

火事になったらどうすんのという感じですね。
この道路を真っ直ぐ行って、右に曲がると……。
アルビレックス新潟のホーム球場『ビッグスワン』があります。

↑とある転落風景。
もちろん、試合の日は駅からシャトルバスが出ますが……。
4㎞ありませんので、歩いても40分くらいじゃないでしょうか。
アルビレックスがJ1にいたころは……。
対戦相手のサポーターが、応援歌を歌いながら駅から歩いたりしてたそうです。
今はどうかわかりません。
アルビレックスは、もうJ1復帰は無理でしょうね。
むしろ、J3への転落を心配しなければならないような成績です。

さて、外を見てても退屈なことには変わりがありません。
新幹線の改札に来ました。

↑「み」
左側に立ってる女性は、通り方を案内したりする社員でしょうか?
でも、ここに立たせるくらいなら……。
乗り換え改札前で案内するべきだと思うのですが。
人が途切れて、改札がよく見えるタイミングを待ちましたが……。
残念ながら、人通りがひっきりなしで無理でした。
出張帰りらしいサラリーマンが、けっこういましたね。
新潟支社で監査とかをした後、支社の社員の社内接待で飲み……。

その後1泊したのでしょうか。
ま、新潟市のホテルにとってはありがたいことです。
新幹線が出来たおかげで、出張宿泊が激減してしまいましたから。
なにしろ、東京から2時間以内で着いてしまうんですからね。
丸の内からだったりすれば、ほんとに近いですよ。
こんなことから、新潟支社自体を、なくしてしまった会社も多いようです。
これから新幹線を誘致しようとしている地域は……。
新幹線が出来れば、首都圏から人が流れこんでくるという期待が大きいようです。
でも、実際は逆ですからね。
人は、首都圏に吸いあげられてしまいます。

便利なところと、そうでないところが繋がれば……。
人は便利な方に流れてしまうということです。
新潟は、特にそれが顕著でした。
新幹線が出来るまでは、特急『とき』で4時間かかったんです。

往復で8時間です。
つまり、日帰り出張は難しい。
出張してきた人は、新潟の旅館やホテルで1泊します。
当然、泊まる前には、新潟支社の人の案内で、飲食店で夕食です。
出張によって、宿泊施設、飲食店、共に利用があったわけです。

↑新潟駅前にあった『篠田旅館』。新潟市の篠田市長の実家です。出張族によく利用されたとか。平成23年に営業終了。
これが、新幹線だと、片道2時間。
往復で4時間です。
これだと、日帰り出張が出来ちゃうんですよ。

日帰り出張では、新潟で泊まることも飲むこともありません。
でも、支社がそのままなのは、まだいい方です。
2時間で来れるところに、支社を作りますか?
東京の本社か北関東の支社で、十分カバーできるんですよ。

↑高崎は便利ですよね。ここから新幹線で、新潟、長野、富山、金沢の5つの県都に繋がってます。
ということで、支社もなくなる傾向にあります。
残ってるのは、ゼネコンくらいじゃないですか。
国土交通省の区割りでは、新潟は『北陸地方整備局』の管轄です。
新潟県、富山県、石川県が主な所管。
なので、ゼネコンも、新潟市に『北陸支社』を置いてるところが多いんです。
新潟市は、東京から一番近いですから(北陸新幹線が出来る前は特に)。

↑新潟市街です。すぐ近くに大成建設の北信越支店もあります。
話がまた、大幅にずれてますね。
改札前で立ってても仕方ないので、新幹線改札を通りました。
もちろん、何ごとも起きずに、無事、改札内の人となることが出来ました。
↓電光掲示板です。

↑「み」
わたしが乗るのは、上に表示されてる『とき312号』。
東京まで、大宮にしか停まりません。
最速の便です。
東京着は、10:43分。
所要時間、1時間39分です。

この掲示板を撮影した時刻は、8:25分。
発車まで、39分もあります。
こんなに早く来ていては、乗車時間が1時間39分でも意味がない気がしますが……。
ま、気にしないことにしましょう。
↓ヒマなので、銅像を撮影。

↑「み」
↓説明書きです。

↑「み」
ここで、またいらんことを書きます。
植物の雪椿についてです。

雪椿は「新潟県の木」です(「県の花」はチューリップ)。
県外の方は、雪椿に対して、どのようなイメージをお持ちでしょうか?
おそらくは、非常に寒さに強いというイメージなんじゃないでしょうか?
でも、違うんですよ。
雪椿は、冬の間、豪雪地の雪に埋もれて過ごします。
雪の中ってのは、比較的冷たくないんです。
一番大きいのは、風があたらないこと。
風があると、体感温度がまったく違いますからね。
つまり雪椿は、冬の間、厚い雪の布団をかぶって、ぬくぬくと過ごしてるわけです。

なので、雪椿を、北関東などの寒風が吹きすさぶ地域に植えると……。
まず、枯れてしまいます。

↑高崎と渋川は、こんなに離れてますかね?
一般的な椿より、耐寒性はずっと低いんです。
脱線を終わります。
↓また銅像がありました。

↑「み」
局所だけ布に覆われてるのにだけ目が行くのは、わたしだけでしょうか?
ヒジョーに不自然に思えてなりません。
↓説明書きです。

いまいちよくわかりません。
“三”にどういう意味があるんでしょう?
まさか、「三越」の“三”じゃないですよね。
この銅像を寄贈した当時は、『新潟三越』でしたが……。
これが今、『新潟三越伊勢丹』というわけのわからない会社になってます(Wiki)。
デパートは一応、『三越』と『伊勢丹』が別々にあるんですよ。
でも、5年くらいは足を踏み入れてない気がします。

↑新潟の『三越』前にもライオンがいます。この前はよく通るんですけどね。
デパートには、まったく用事がなくなりました。
ところで、『三越』が“三井越後屋”の略称で……。
江戸時代の、いわゆる『越後屋』だったこととは、みなさんご存じでしょうか?

↑期間限定(2005年)で『日本橋三越本店』の斜め前に設置された『三井越後屋ステーション』。
「お主も悪よのう」の『越後屋』です。

『新潟三越』の開店は、1980(昭和55)年。
『三越グループ』が、地元資本の『小林デパート』を吸収し、店名を変えたんです。

↑昭和27年ころの『小林デパート』。てっぺんに“小林”の看板が見えます。
“越後”の地に『三越』がないのはおかしいと思ったわけじゃないでしょう。
なぜなら、『三越』の前身である『越後屋』と新潟は、まったく関係がないからです。
『越後屋』を興したのは、伊勢松坂の商人・三井高利(1622~1694)です。
1673(延宝元)年、江戸日本橋に呉服店『越後屋』を開きます。
間口9尺(2.7メートル)の小さな借り店舗だったそうです。

↑いわゆる「裏店(うらだな)」だと思います。
それではなぜ、伊勢商人の三井高利は、屋号を『伊勢屋』にしなかったのでしょう?
江戸の俗諺に、「伊勢屋稲荷に犬の糞」というのがありました。
江戸に多いものを語呂良く並べた、はやり言葉のようなものです。
早い話、そこら中『伊勢屋』だらけだったわけです。

↑東京お台場にあるスーパー銭湯『大江戸温泉物語』の宿泊施設。
間口9尺の裏店が『伊勢屋』を名乗って呉服を売っても、完全埋没です。
ということで、別の屋号を考えたんだと思います。
では、なぜ『越後屋』にしたかと云うと……。
高利の祖父である高安が、三井越後守(えちごのかみ)を名乗ってたからです。
すなわち、祖父は武士だったんですね。
高利の父である高俊(こちらも読みは“たかとし")が武士を捨て……。
町人となって、商いを始めたんです。
昔の「守(かみ)」や「介(すけ)」は名乗りと云って……。
まった縁もゆかりもない土地の名を名乗れたことは、以前にも書きました。
吉良上野介と群馬県は、何の関係もないのです。

↑月形龍之介演じる吉良上野介。歴代最高の上野介と云われます。
脱線を終わります。
↓ホーム階へのエスカレーターです。

↑「み」
人がいないわけではなく、誰もいないタイミングを待って撮りました。
↓わたしが乗る『とき312号』は、すでに入線してました。

↑「み」
でもまだ、扉は開きません。
この車両は、『東京』を6:08分に出た『とき301号』じゃないでしょうか。
共に10両編成の「E2系」ですから、間違いないと思います。
『とき301号』の新潟着は、8:13分。
わたしが、↑の写真を撮ったのは、8:30分でした。
若いころのわたしは、小心かつシャイで……。
駅員さんに、何か質問するなどということは、とうてい出来ませんでした。
ずけずけと尋ねてるおばちゃんを見て、心底恐れ入っていたものです。

しかし、歳と共に、わたしもおばちゃんになりつつあるようで……。
わからないときは、平気でものを尋ねられるようになってきました。
で、納得するまで追求するつもりで……。
ある日の朝、普段より2本早い電車で『新潟駅』に降り立ちました。
実は、もうひとつ、探索したいことがあったんです。
今回の高架化で、在来線の5番ホームと新幹線の11番ホームが向かい合ったんです。
すなわち、在来線と新幹線が対面ホームで乗り換えられることになったわけ。

今年の高架化のときには、『いなほ』と新幹線の乗り換えが便利になると、やたらと宣伝してました。
『いなほ』は、『新潟駅』から白新線・羽越線経由で、山形県『酒田駅』を通り秋田県『秋田駅』までを繋ぐ特急です。

しかし、東京方面から、『新潟駅』で『いなほ』に乗り換えて『秋田駅』まで行く人は、まずいないでしょう。
秋田新幹線があるからです。

実際、『酒田駅』止まりの『いなほ』もたくさんあります。

↑7本中4本が、『酒田駅』止まりでした。
『いなほ』には……。
新潟県『村上駅』とか、山形県『鶴岡駅』『酒田駅』へ行く人たちがたくさん乗るんですかね。
でも、『新潟駅』での乗り換えが便利になったことで……。
そんなに恩恵を受ける人が多くいるのか、少々疑問ではあります。
で、ある日の朝。
まず、乗り換え用の自動改札機を間近で見るために、5番線ホームに行ってみました。
わたしが、朝夕使う列車は、3番線ホームから発着します。
なので、その3・4番線ホームからは、隣の5・11番線ホームが見透せるんです。

↑右側が4番線。並んだ線路が5番線。5番線の反対側に、新幹線の11番線ホームがあるのです。
4番線か5番線に列車が入っていれば見透せませんが……。
松本清張の『点と線』とは大違いで、見透せない時間の方が遙かに少ないのです。

↑『点と線』。今年、再読しました。面白かったです。13番線ホームから15番線ホームを見通せるのは、1日のうちでたったの4分という設定でした。
5番線と11番線の間には、自動改札機があります。
遠目で見た限りでは、普通の改札機に見えました。
でも、やはり間近で見てみたい。
というわけで、5番ホームにあがってみました。

↑左にあるのが、5番線と11番線の間の改札機。5番線に列車が入ってます。その隣に列車が入ってるのが4番線です。
すると、ホームには若い駅員さんが立ってました。
改札機の向こうを覗きこむと、新潟では見慣れない柵がありました。

近年、東京に行ったとき、初めて見たものです。
すなわち、11番線側の新幹線の乗降口前を、ホームドアが塞いでるわけです。
この時間、新幹線は入ってなかったので、当然、ホームドアは閉じてました。
どうも、簡単には乗り換えが出来ない雰囲気を感じたので……。
若い駅員さんに、聞いてみることにしました。
↑これは『中川家』礼二です。
当日、わたしが乗って来るつもりの在来線は、5番線に着くんです。
新幹線は、11番線から発車します。
まさしく、この自動改札機を通れば……。
階段の昇降をせずに、新幹線への乗り換えが出来るわけです。

↑奥が新幹線、手前がハマナス色(E653系)の『いなほ』。
で、その確認のための質問をしてみたわけです。
答えは……。
妙に歯切れの悪いものでした。
この5番線と11番線は、本来、『いなほ』の乗り換えのために設計されたものであると。
それでは、在来線の普通列車からの乗り換えは出来ないのかと云うと……。
そうではないようです。
ただし。
ホームドアが開くのが遅いということ。

↑「み」。この日、実際にわたしが撮った画像です。新幹線の手前にホームドアが閉じてるのが見えます。
どういうことかと云うと……。
新幹線の11番線の対面ホームは、12番線です。
通常、11番線の新幹線には、この11・12番線ホームから乗りこむわけです。
しかるに、11番線の新幹線は、11・12番線側のホームと、11・5番線側のホームの間に入線します。
つまり、この2本のホームの間は、列車1台分の幅しかないわけ。

わかりにくいだろうなと思いつつ書いてますが……。
すなわち、この新幹線は、左右両側の扉が開くわけです。
で、わたしの聞き間違いでなければ……。
両側の扉は同時に開くわけではないそうです。
11・12番線側が先に開くんだと。
なんでだかは聞きませんでしたが……。
たぶん、自由席車両に両側の扉から客が殺到したら、具合が良くないということじゃないでしょうか。
というわけで、この駅員さんは正直な方で……。

↑真面目なことはいいことです。ただ、「バカ」の度合いが大きい人が多いことも事実です。
「11・12番線側のホームから乗った方がいいです」という気持ちが、口調に表れてました。
実際、自動改札機の向こう、ホームドア前のスペースを見ると……。
ベンチも無いようです。
こちら側ホームから乗ろうとした乗客は、突っ立ったまま……。
反対側のドアから、どんどん乗りこむ乗客を見守ることになると思います。

↑こういう顔になると思います。
早い話、自由席に乗ろうとする人は、ぜったいに止めた方がいいですね。
素直に、11・12番線側ホームで並びましょう。
さて続いて、肝心のことも質問しました。
つまり、改札階で、在来線と新幹線を繋ぐ乗換改札機の通り方です。
こちらは、明快に応えてくれました。
「最初に新幹線の切符を通し、その後にSuicaをタッチする」ということでした。
聞いて良かったです。
聞かなかったら、わたしはまず、Suicaをタッチしたと思います。
在来線の精算が先だと思うからです。

大いなる啓示を得ることが出来ました。
相手をしてくれた駅員さんにお礼を言い、5番線ホームを後にしました。

↑「み」。わたしが話を聞いた駅員さんが、左上に写ってました。
で、ホームからまた2階の改札階に下りたのですが……。
この日は、いつもより2本前の電車で来てたので、まだ時間に余裕がありました。
改めて、「在来線→新幹線」の乗換改札機の前に立ちます。

↑「み」。このとき撮影した画像です。
「切符→Suica」と手帳に書きこみ……。
切符を通すスリットとSuicaのタッチ位置を確認。

↑「み」。
これでお終いと思ったのですが、改札機の脇に初老に近い駅員が立ってたので……。
もう1度、ダメ押しで同じ質問をしてみました。
若い駅員さんを疑うわけじゃありませんが、万が一ということもあります。
結果は……。
同じでした。
しかし、駅員の態度は大違いでした。
ここにいた初老の駅員は、態度が悪かったです。

↑こんな格好はしてませんでしたが。最近の子供の中には、この姿勢が出来ない子がいるとか。火急の事態で飛び込んだトイレが和式だったら、どうするんですかね?
操作してた携帯から面倒くさそうに目を離し、わたしを見ようともせず、改札機を指さし……。
「切符が先、Suicaをタッチ」。
ぶっきらぼうにそれだけ言うと、再び携帯の操作に戻りました。
↑「ながら携帯」は、きわめて危険です。
腹が立ちましたが、無視されたわけでもないので、頭を下げて引き下がりました。
国鉄時代の生き残りですかね。

東京でも感じたことですが、駅員さんは若い方が愛想が良く親切です。
株式会社の社員として入社し、研修を受けてるからでしょうね。
それに対し、歳を取った社員の中には……。
国鉄臭をプンプンさせてるのが、まだ生息してるということです。

しかし……。
なんで、「切符が先、Suicaをタッチ」なんですかね?
どっちが先でも、両方の行為がされればいいだけですよね。
さて、切符と宿の準備が整い、いよいよ出発日を待つばかりとなりました。
出発日が週間天気予報に載るようになると……。
徐々に、思いがけないお天気に変遷していきました。
どんどん、予報が良くなっていったんです。
ついに、出発日からの両日、新潟も東京も、降水確率がほぼゼロパーセントになりました。
6月下旬。
梅雨の真っ只中ですよ。

↑2018年6月の新潟県(下越)のお天気です。傘マークなしです。こんな6月は滅多にありません。
新潟と東京が、2日続けて晴れなんて日が、そうそうあるとは思えません。

↑同じく、6月の東京のお天気です。後半は、傘なしでしたね。
精進が良かったからでしょうか。
でも、前の2年は、5月後半の日程にもかかわらず、共に雨に祟られてました。
晴れ女というわけでも無いんですよね。

ともあれ、雨が降らないに越したことはありません。
さて、当日です。
月曜を除く平日の朝は、3:30分に起きます。

↑ニワトリも寝てる時間。冬は、ケッコー辛いです。
もちろん、執筆のためです。
でも、この日の執筆は免除。
もちろん、旅行の荷造りをしなければならないからです。
小学校の遠足では、たぶん前日までに荷造りを終え……。
前日の夜は、リュックを枕元に置いて寝たはずです。

↑12日の木曜日。
でも、大人の旅行はそうはいきません。
持って行くものの中には、日常使いのものが数多くあります。

↑こんなにはありませんが。
なので、前日にリュックに詰めておくわけにはいかないのです。
持ち物リストは、パソコンで打ってあります。

↑基本的に、こんな感じです。
毎年、「持って行けば良かった」という品を追加していくので……。
どんどん、増えるばかりです。
近年、必需品となったものの中に、湿布類があります。
1,2枚じゃ足りません。
初日の夜は、風呂上がりに、全身湿布だらけになります。
ツギハギ人間みたいです。

翌日に疲れを持ち越さないようにするためです。
腰に貼る大判の湿布が2枚。
あとは、ふくらはぎや足の裏に貼るサロンパスが大量に必要です。

↑実際、効きます。
足りなくて残念な思いをしたくないので……。
サロンパスはほぼ箱ごとに近い量になります。
パソコンや各種充電器、ケーブル類などは……。
今現在、繋いである配線を外して詰めこまなくてはなりません。
大仕事です。

↑ほぼ、これに近い量になります。
今年はリュックを新しくしたので、何をどこに入れるか、なかなか決まりません。
とくに、パソコンの入れ場所が思いのほか狭くて難渋しました。
ところがこれは、わたしの大失態だったんです。
パソコン用のポケットがちゃんと別にあるのに、そこを見つけられなかったんですね。
つまり、大容量の収納スペースを、ひとつ無駄にしてしまったわけ。
そのため、どうやってもジッパーが締まらなくなりました。
で、雨が降らないという予報を信じ……。
折りたたみ傘を持って行かないことにしました。

↑お気に入りのピンクの傘です(昨年訪ねた『松戸市立博物館』前にて)。
あと、初日の夜に飲む焼酎は、昨年は500mlのペットボトルに家から詰めていったんです。
当日スーパーで買うと、どうしても余ってしまいますから。

↑たいてい、これを買います。一升瓶の半分もあります。全部飲んだら、翌日は重病人状態となります。
でも、これも断念しました。
前のリュックにはあった、ペットボトルの入れ場所が外側に無いんです。

↑こういうやつ。ここに焼酎が入ってるとは、お釈迦様でも気がつくめい。
一瞬、去年までのリュックに詰め替えようかとも思いましたが……。
せっかくこの日のために買ったリュックです。
焼酎は、当日買うことにしました。
さて。
今年は、昨年までにはなかったアイテムが仲間入りしました。
衣類圧縮袋です。

存在は知っていましたが、わたしはずっと、掃除機で空気を吸い出すものとばかり思ってました。
通販の布団用は、そうしてますから。

その方式の場合、家で詰めるときは圧縮できますが……。
向こうから帰るときは、圧縮できないことになります。
というわけで、これまで使ってなかったのです。
でも、100均で見つけた圧縮袋は、掃除機を使わないで圧縮できる仕組みでした。
衣類を入れて密封したら、クルクル丸めるだけ。

これで空気が抜けます。
でも、皺が気になるものは止めた方がいいです。
わたしが使ったのは、まずはヤッケ。
雨が降ったり寒かったりしたときに羽織るために持参します。
折りたたみ傘の持参を諦めたので、ヤッケだけは持って行きたい。
わたしのヤッケは、胸ポケットの中に、ヤッケ本体すべてが収納できるものです。
でも、そうして収納すると、かなり厚みもあり、けっこう嵩張ります。

↑こういう形状にできるわけです。たたみ方が下手なのか、けっこう分厚くなります。
ということで、胸ポケットには収納せず、畳んだだけで圧縮してみました。
見事に、ぺちゃんこになりました。
でも、どうしても皺は寄りますね。

厚みがなくなったので……。
ヤッケは、リュックの背中部分に張りつけるようにして収まりました。
ほんとは、こんな苦労をしなくても、パソコンポケットさえ発見していれば済んだ話でしたが。
荷造り作業を進めます。
わたしは1人で、2階のすべてを使ってます。
10畳と8畳の和室。
8畳くらいの洋間。
あと、ミニキッチンにトイレ。
若夫婦が暮らせるくらいのスペースがあります。
贅沢ですが、わが家には、わたしと母しか住んでないのです。
1階スペースは、すべて母が使ってます。
1階の居室は和洋合わせて5室あります。
それぞれ、仏間、居間、母の寝室、物置、客用寝室として使われてます。
ほかに、キッチンとお風呂とトイレ。
お風呂はもちろん、わたしも使います。
こんな広い家に2人しか住んでないのですから、固定資産税が馬鹿馬鹿しい話です。

↑将来、こんな紙をもらう可能性が無いとは言えません。
母が亡くなったら、売り飛ばそうと思ってます。
家は古いので値はつきませんが、土地が100坪あります。
小さな中古マンションを買えるくらいの価値はあるでしょう。
2DKくらいで十分です。

↑これで十分。しかし、この突出した押し入れ、隣室との境目でしょうか? 天井裏が繋がってそうですよね。
とにかく、戸建て住宅は、手間がかかりすぎです。
夏は草取りに水やり……。

冬は雪かき。

歳を取ったらとても出来なくなります。
マンションなら、こういう労務から解放されるわけです。
管理費は取られますが。
ただし、雪かきから解放されるといっても、新潟に住む気はありません。
冬に晴れる地域がいいです。

でも、東京は論外です。
不動産が高いし、人が多すぎ。

災害が起きたら、誰も助けが来ません。
日本中の人間がボランティアで来ても間に合わないでしょう。
助けを待つ人が多すぎるんです。

でも、移住するなら……。
高齢者に、バスのフリーパスがもらえるところがいいですね。
1日中、路線バスに乗っていられます。

↑大阪府高槻市では、70歳以上であれば市営バス全路線に無料で乗れます。でも、高槻市内ばっかり乗ってたら、飽きるわな。
フリーパスは、大都市しかないようです。
大阪市は、今のところパスをもらえますが……。
将来的には、どうなるかわかりません。
大阪市自体がなくなるかも知れませんから。

↑どうなりますかね?
それに、やっぱり、夏が暑すぎますよ。
猛暑日に熱帯夜が当たり前なんですから。

さて、前置きが長くなりすぎました。
わたしの悪い癖ですね。
出発を急ぎましょう。
荷造りに苦戦しつつも、どうやら時間内には間に合いました。
この日、家を出るのは、8時10分前くらいを予定してました。
いつも、出勤するときに乗る列車のひとつ後の便です。
別に、同じのに乗ってもいいんですけどね。
でも、ちょっと気恥ずかしいじゃないですか。
首都圏などとは違い……。
地方では、同じ時間に、ホームの同じあたりで待ってる人は、だいたいメンバーが決まってるのです。

↑わたしの乗る駅は、ここまで地方色濃厚ではありませんが。
もちろん、会話を交わしたりはしません。
でも、いつもいる人がいないと、ちょっと気になったりします。
風邪でも引いたんだろうか……。
それとも、会社をクビになったんだろうか、とか。

同じ場所で待ってる人たちも、わたしが毎日いることには気づいているはず。
普段の日はもちろん、会社に行く格好をしてます。
スーツなどは着てませんが、それなりの出勤スタイルです。
ところが、この日は違います。
新調したリュックに、足元はスニーカー。

↑さすがに、こんなのは履いてません。
何かあったのか、とか思われる可能性もあります。
もちろん、まったく気づかれない確率の方が大きいことは、わたしも自覚してます。
でも、わたしの方で気になるじゃないですか。
ということで、毎朝乗る列車は、出来れば避けたかったのです。
新幹線の発車時刻は、9:04分です。
指定席ですから、前もって並ぶ必要はない。
9:04分は、いつもなら、もう会社で仕事を始めてる時間です。
なので、1列車遅らせても、悠々と間に合うのです。

↑何の漫画ですかね?
さてさて。
家を出るのは、8:10分ころ。
3:30分に起きてるんですから……。
4時間40分もあります。
これで間に合わなかったら、完全なアホです。

↑まさしくこれです。
朝食も普段どおりの時間に摂りました。

↑この日の朝食……、のわけありません。
シャワーも浴び、この日の投稿も済ませました。
最後に使ったローションやノートパソコン類をリュックに収めると……。
もう、何もすることはありません。

↑何もすることがない方。
デスクトップパソコンでネットをしてみても、気もそぞろです。
呆然と家にいてもしょうがないので、出かけることにしました。
これは、3年前の苦い記憶が蘇ったこともあります。
このときは、高速バスを予約してました。
高速バスは、新潟駅から少し離れた『万代シティバスセンター』というところから出ます。

↑「み」。雨の『万代シティバスセンター』。これは、2年前の画像です。
新潟駅からは歩くつもりで、新潟駅まではJRを使いました。
このJRが、わたしの乗る駅でストップしたまま動かなかったんです。
冷や汗が流れました。

高速バスに間に合うには、けっこうタイトな時間の列車だったからです。
下りるべきか……。
扉からは、次の電車に乗るつもりだった乗客も次々と乗りこんできて……。
このままでは、下りるという判断をしても、それが不可能になりそうでした。

で、思い切って、乗客を掻き分け、駅前からタクシーに乗りこんだのです。

しかし、その日は平日でした。
新潟市街へ向かう道路は渋滞。
線路と平行して走るうち……。
わたしが飛び降りた列車に抜かれました。

↑今はもう、このタイプの列車は見かけなくなりました。
これで間に合わなかったら、踏んだり蹴ったり殴ったりです。
正直に、運転手さんにバス時間を伝えたところ……。
一生懸命、ナビで空いてる道を調べながら走ってくれました。

↑タクシーのナビは進化してるようです。道を熟知したベテランドライバーは、少なくなってるでしょうからね。
まるでアミダクジみたいな経路で、途中からどこを走ってるのかまったくわからなくなりました。
幸い、なんとか10分前くらいにバスセンターに着くことが出来ました。

運転手さんには、万感の感謝をこめて礼を言い、お釣りはもらいませんでした。
250円でしたけど。
さて、家を出るまでの時間が余ったこの日。
もし、漫然と部屋で過ごし、結果、電車が遅れて間に合わなかったりしたら……。
どれほど後悔するかわかりません。

↑このくらい後悔します。
前にも書いたとおり、いつも使う列車に旅姿で乗るのは恥ずかしいので……。

↑夏は暑いでしょうね。宿で洗ったり出来たんでしょうか?
いつも使う列車より、1本早い便に乗ることにしました。
予定してた列車よりは2本早く、13分前の発車になります。
この日も翌日も雨が降らない予報なので、駅までチャリが使えました。

↑こんな雨よけもあるようです。最寄り駅の駐輪場は2段式なので停められませんが。
結局、電車はまったく遅れることもなく、定時に新潟駅に滑りこみました。
ま、世の中こういうものです。
さて。
乗るはずだった2本後の便は、新潟駅の高架ホームの5番線に入線します。
しかし、わたしがこの日乗った便は、地上ホームに入線するんです。

↑左手の高架橋が高架ホームへの線路。電車が走ってるのが地上ホームに続く線路。
5番線から、新幹線の11番線への乗り換えをするつもりはなくなっていたので……。

↑はまなす色の『いなほ』。まだ1度も見たことがありません。1編成しか無いようです。
いっこうにかまいませんが。
地上ホームから、2階の改札階に上がります。
ここから、新幹線への乗換改札で、「切符が先、Suicaをタッチ」をすればいいわけですが……。

↑「み」
止めにしました。
2人の駅員に聞いて、この方法を確認してましたが……。
万万が一ということもあります。
とにかく、旅の初っぱなでつまずきたくないです。

なにより、時間は山ほどあります。
予定より、2本前の列車で来てるんですから。
新幹線の発車まで、50分もあります。
しかも指定席ですから、並ぶ必要もない。

冒険することはありません。
ということで、一旦、改札口を出てしまうことにしました。
何のことはない、「石橋を叩いて渡らない」という仕儀になりました。

在来線の改札を出ましたが、このまま新幹線の改札を通っても、時間がありすぎます。
↓というわけで、2階改札階の外に出て、写真を1枚撮りました。

↑「み」。雨は降ってませんが、梅雨らしい空模様でした。
ここは、『新潟駅』の南口です。
昔は何もなかったところで、新幹線が通ってから整備されました。
小綺麗ですが、商店街も飲み屋街もありません。
左手の先に『ドン・キホーテ』があるくらいですね。

昔は、何度か行きましたが……。
わたしはどうも、あの雑然とした店内が好きではありません。

火事になったらどうすんのという感じですね。
この道路を真っ直ぐ行って、右に曲がると……。
アルビレックス新潟のホーム球場『ビッグスワン』があります。

↑とある転落風景。
もちろん、試合の日は駅からシャトルバスが出ますが……。
4㎞ありませんので、歩いても40分くらいじゃないでしょうか。
アルビレックスがJ1にいたころは……。
対戦相手のサポーターが、応援歌を歌いながら駅から歩いたりしてたそうです。
今はどうかわかりません。
アルビレックスは、もうJ1復帰は無理でしょうね。
むしろ、J3への転落を心配しなければならないような成績です。

さて、外を見てても退屈なことには変わりがありません。
新幹線の改札に来ました。

↑「み」
左側に立ってる女性は、通り方を案内したりする社員でしょうか?
でも、ここに立たせるくらいなら……。
乗り換え改札前で案内するべきだと思うのですが。
人が途切れて、改札がよく見えるタイミングを待ちましたが……。
残念ながら、人通りがひっきりなしで無理でした。
出張帰りらしいサラリーマンが、けっこういましたね。
新潟支社で監査とかをした後、支社の社員の社内接待で飲み……。

その後1泊したのでしょうか。
ま、新潟市のホテルにとってはありがたいことです。
新幹線が出来たおかげで、出張宿泊が激減してしまいましたから。
なにしろ、東京から2時間以内で着いてしまうんですからね。
丸の内からだったりすれば、ほんとに近いですよ。
こんなことから、新潟支社自体を、なくしてしまった会社も多いようです。
これから新幹線を誘致しようとしている地域は……。
新幹線が出来れば、首都圏から人が流れこんでくるという期待が大きいようです。
でも、実際は逆ですからね。
人は、首都圏に吸いあげられてしまいます。

便利なところと、そうでないところが繋がれば……。
人は便利な方に流れてしまうということです。
新潟は、特にそれが顕著でした。
新幹線が出来るまでは、特急『とき』で4時間かかったんです。

往復で8時間です。
つまり、日帰り出張は難しい。
出張してきた人は、新潟の旅館やホテルで1泊します。
当然、泊まる前には、新潟支社の人の案内で、飲食店で夕食です。
出張によって、宿泊施設、飲食店、共に利用があったわけです。

↑新潟駅前にあった『篠田旅館』。新潟市の篠田市長の実家です。出張族によく利用されたとか。平成23年に営業終了。
これが、新幹線だと、片道2時間。
往復で4時間です。
これだと、日帰り出張が出来ちゃうんですよ。

日帰り出張では、新潟で泊まることも飲むこともありません。
でも、支社がそのままなのは、まだいい方です。
2時間で来れるところに、支社を作りますか?
東京の本社か北関東の支社で、十分カバーできるんですよ。

↑高崎は便利ですよね。ここから新幹線で、新潟、長野、富山、金沢の5つの県都に繋がってます。
ということで、支社もなくなる傾向にあります。
残ってるのは、ゼネコンくらいじゃないですか。
国土交通省の区割りでは、新潟は『北陸地方整備局』の管轄です。
新潟県、富山県、石川県が主な所管。
なので、ゼネコンも、新潟市に『北陸支社』を置いてるところが多いんです。
新潟市は、東京から一番近いですから(北陸新幹線が出来る前は特に)。

↑新潟市街です。すぐ近くに大成建設の北信越支店もあります。
話がまた、大幅にずれてますね。
改札前で立ってても仕方ないので、新幹線改札を通りました。
もちろん、何ごとも起きずに、無事、改札内の人となることが出来ました。
↓電光掲示板です。

↑「み」
わたしが乗るのは、上に表示されてる『とき312号』。
東京まで、大宮にしか停まりません。
最速の便です。
東京着は、10:43分。
所要時間、1時間39分です。

この掲示板を撮影した時刻は、8:25分。
発車まで、39分もあります。
こんなに早く来ていては、乗車時間が1時間39分でも意味がない気がしますが……。
ま、気にしないことにしましょう。
↓ヒマなので、銅像を撮影。

↑「み」
↓説明書きです。

↑「み」
ここで、またいらんことを書きます。
植物の雪椿についてです。

雪椿は「新潟県の木」です(「県の花」はチューリップ)。
県外の方は、雪椿に対して、どのようなイメージをお持ちでしょうか?
おそらくは、非常に寒さに強いというイメージなんじゃないでしょうか?
でも、違うんですよ。
雪椿は、冬の間、豪雪地の雪に埋もれて過ごします。
雪の中ってのは、比較的冷たくないんです。
一番大きいのは、風があたらないこと。
風があると、体感温度がまったく違いますからね。
つまり雪椿は、冬の間、厚い雪の布団をかぶって、ぬくぬくと過ごしてるわけです。

なので、雪椿を、北関東などの寒風が吹きすさぶ地域に植えると……。
まず、枯れてしまいます。

↑高崎と渋川は、こんなに離れてますかね?
一般的な椿より、耐寒性はずっと低いんです。
脱線を終わります。
↓また銅像がありました。

↑「み」
局所だけ布に覆われてるのにだけ目が行くのは、わたしだけでしょうか?
ヒジョーに不自然に思えてなりません。
↓説明書きです。

いまいちよくわかりません。
“三”にどういう意味があるんでしょう?
まさか、「三越」の“三”じゃないですよね。
この銅像を寄贈した当時は、『新潟三越』でしたが……。
これが今、『新潟三越伊勢丹』というわけのわからない会社になってます(Wiki)。
デパートは一応、『三越』と『伊勢丹』が別々にあるんですよ。
でも、5年くらいは足を踏み入れてない気がします。

↑新潟の『三越』前にもライオンがいます。この前はよく通るんですけどね。
デパートには、まったく用事がなくなりました。
ところで、『三越』が“三井越後屋”の略称で……。
江戸時代の、いわゆる『越後屋』だったこととは、みなさんご存じでしょうか?

↑期間限定(2005年)で『日本橋三越本店』の斜め前に設置された『三井越後屋ステーション』。
「お主も悪よのう」の『越後屋』です。

『新潟三越』の開店は、1980(昭和55)年。
『三越グループ』が、地元資本の『小林デパート』を吸収し、店名を変えたんです。

↑昭和27年ころの『小林デパート』。てっぺんに“小林”の看板が見えます。
“越後”の地に『三越』がないのはおかしいと思ったわけじゃないでしょう。
なぜなら、『三越』の前身である『越後屋』と新潟は、まったく関係がないからです。
『越後屋』を興したのは、伊勢松坂の商人・三井高利(1622~1694)です。
1673(延宝元)年、江戸日本橋に呉服店『越後屋』を開きます。
間口9尺(2.7メートル)の小さな借り店舗だったそうです。

↑いわゆる「裏店(うらだな)」だと思います。
それではなぜ、伊勢商人の三井高利は、屋号を『伊勢屋』にしなかったのでしょう?
江戸の俗諺に、「伊勢屋稲荷に犬の糞」というのがありました。
江戸に多いものを語呂良く並べた、はやり言葉のようなものです。
早い話、そこら中『伊勢屋』だらけだったわけです。

↑東京お台場にあるスーパー銭湯『大江戸温泉物語』の宿泊施設。
間口9尺の裏店が『伊勢屋』を名乗って呉服を売っても、完全埋没です。
ということで、別の屋号を考えたんだと思います。
では、なぜ『越後屋』にしたかと云うと……。
高利の祖父である高安が、三井越後守(えちごのかみ)を名乗ってたからです。
すなわち、祖父は武士だったんですね。
高利の父である高俊(こちらも読みは“たかとし")が武士を捨て……。
町人となって、商いを始めたんです。
昔の「守(かみ)」や「介(すけ)」は名乗りと云って……。
まった縁もゆかりもない土地の名を名乗れたことは、以前にも書きました。
吉良上野介と群馬県は、何の関係もないのです。

↑月形龍之介演じる吉良上野介。歴代最高の上野介と云われます。
脱線を終わります。
↓ホーム階へのエスカレーターです。

↑「み」
人がいないわけではなく、誰もいないタイミングを待って撮りました。
↓わたしが乗る『とき312号』は、すでに入線してました。

↑「み」
でもまだ、扉は開きません。
この車両は、『東京』を6:08分に出た『とき301号』じゃないでしょうか。
共に10両編成の「E2系」ですから、間違いないと思います。
『とき301号』の新潟着は、8:13分。
わたしが、↑の写真を撮ったのは、8:30分でした。