2018.8.6(月)
で、ホームからまた2階の改札階に下りたのですが……。
この日は、いつもより2本前の電車で来てたので、まだ時間に余裕がありました。
改めて、「在来線→新幹線」の乗換改札機の前に立ちます。
↑「み」。このとき撮影した画像です。
「切符→Suica」と手帳に書きこみ……。
切符を通すスリットとSuicaのタッチ位置を確認。
↑「み」。
これでお終いと思ったのですが、改札機の脇に初老に近い駅員が立ってたので……。
もう1度、ダメ押しで同じ質問をしてみました。
若い駅員さんを疑うわけじゃありませんが、万が一ということもあります。
結果は……。
同じでした。
しかし、駅員の態度は大違いでした。
ここにいた初老の駅員は、態度が悪かったです。
↑こんな格好はしてませんでしたが。最近の子供の中には、この姿勢が出来ない子がいるとか。火急の事態で飛び込んだトイレが和式だったら、どうするんですかね?
操作してた携帯から面倒くさそうに目を離し、わたしを見ようともせず、改札機を指さし……。
「切符が先、Suicaをタッチ」。
ぶっきらぼうにそれだけ言うと、再び携帯の操作に戻りました。
↑「ながら携帯」は、きわめて危険です。
腹が立ちましたが、無視されたわけでもないので、頭を下げて引き下がりました。
国鉄時代の生き残りですかね。
東京でも感じたことですが、駅員さんは若い方が愛想が良く親切です。
株式会社の社員として入社し、研修を受けてるからでしょうね。
それに対し、歳を取った社員の中には……。
国鉄臭をプンプンさせてるのが、まだ生息してるということです。
しかし……。
なんで、「切符が先、Suicaをタッチ」なんですかね?
どっちが先でも、両方の行為がされればいいだけですよね。
さて、切符と宿の準備が整い、いよいよ出発日を待つばかりとなりました。
出発日が週間天気予報に載るようになると……。
徐々に、思いがけないお天気に変遷していきました。
どんどん、予報が良くなっていったんです。
ついに、出発日からの両日、新潟も東京も、降水確率がほぼゼロパーセントになりました。
6月下旬。
梅雨の真っ只中ですよ。
↑2018年6月の新潟県(下越)のお天気です。傘マークなしです。こんな6月は滅多にありません。
新潟と東京が、2日続けて晴れなんて日が、そうそうあるとは思えません。
↑同じく、6月の東京のお天気です。後半は、傘なしでしたね。
この日は、いつもより2本前の電車で来てたので、まだ時間に余裕がありました。
改めて、「在来線→新幹線」の乗換改札機の前に立ちます。
↑「み」。このとき撮影した画像です。
「切符→Suica」と手帳に書きこみ……。
切符を通すスリットとSuicaのタッチ位置を確認。
↑「み」。
これでお終いと思ったのですが、改札機の脇に初老に近い駅員が立ってたので……。
もう1度、ダメ押しで同じ質問をしてみました。
若い駅員さんを疑うわけじゃありませんが、万が一ということもあります。
結果は……。
同じでした。
しかし、駅員の態度は大違いでした。
ここにいた初老の駅員は、態度が悪かったです。
↑こんな格好はしてませんでしたが。最近の子供の中には、この姿勢が出来ない子がいるとか。火急の事態で飛び込んだトイレが和式だったら、どうするんですかね?
操作してた携帯から面倒くさそうに目を離し、わたしを見ようともせず、改札機を指さし……。
「切符が先、Suicaをタッチ」。
ぶっきらぼうにそれだけ言うと、再び携帯の操作に戻りました。
↑「ながら携帯」は、きわめて危険です。
腹が立ちましたが、無視されたわけでもないので、頭を下げて引き下がりました。
国鉄時代の生き残りですかね。
東京でも感じたことですが、駅員さんは若い方が愛想が良く親切です。
株式会社の社員として入社し、研修を受けてるからでしょうね。
それに対し、歳を取った社員の中には……。
国鉄臭をプンプンさせてるのが、まだ生息してるということです。
しかし……。
なんで、「切符が先、Suicaをタッチ」なんですかね?
どっちが先でも、両方の行為がされればいいだけですよね。
さて、切符と宿の準備が整い、いよいよ出発日を待つばかりとなりました。
出発日が週間天気予報に載るようになると……。
徐々に、思いがけないお天気に変遷していきました。
どんどん、予報が良くなっていったんです。
ついに、出発日からの両日、新潟も東京も、降水確率がほぼゼロパーセントになりました。
6月下旬。
梅雨の真っ只中ですよ。
↑2018年6月の新潟県(下越)のお天気です。傘マークなしです。こんな6月は滅多にありません。
新潟と東京が、2日続けて晴れなんて日が、そうそうあるとは思えません。
↑同じく、6月の東京のお天気です。後半は、傘なしでしたね。
コメント一覧
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1. Mikiko- 2018/08/06 07:28
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今日は何の日
8月6日は、『広島平和記念日』。
1945(昭和20)年8月6日(今から73年前)午前8時15分……。
アメリカ軍のB29爆撃機が、広島市上空で世界初の原子爆弾を投下しました。
死者14万人。
爆心地から500メートル以内での被爆者は、98~99パーセントが死亡。
500メートルから1キロメートル以内での被爆者では、約90パーセントが死亡。
書いてて気が重くなってきます。
わたしは、広島に行ったことがありません。
1度は行かなければならない土地だとは思っています。
8月6日に広島、9日に長崎。
次は新潟市だと噂されてました。
8月13日。
新潟市街からは人の姿が消え、ゴーストタウンのようになったそうです。
県が知事布告を発令し、新潟市民の強制疎開を命じたからです。
当時、新潟港は朝鮮半島からの物資を受け入れる拠点港でした。
戦争末期、太平洋側の航路が保てなくなり……。
日本への物資受け入れ窓口として、新潟港の重要性が高まってました。
続きは次のコメントで。
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2. Mikiko- 2018/08/06 07:29
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今日は何の日(つづき)
8月1日には、新潟県下第2の都市、長岡市が空襲され、市街地の8割が焼失してました。
しかし、新潟市はほとんど無傷。
原爆の威力を検証するため、わざと無傷で残されてると囁かれてました。
実際、これは事実だったのです。
7月25日の時点で、新潟市は原爆投下候補の4つの候補地の一つに挙げられていました。
アメリカ軍の参謀総長代理トーマス・ハンディから、カール・スパーツ将軍にあてた書簡には以下のように書かれてたのです。
『第20航空軍第509混成部隊は、1945年8月3日ごろ以降、目視による爆撃が可能な天候になり次第速やかに、次の目標、広島・小倉・新潟・長崎の一つに最初の特殊爆弾を投下せよ』
しかしこの後、8月2日の作戦命令では……。
『第一目標:広島』、『第二目標:小倉』、『第三目標:長崎』となり、新潟は目標から外されていました。
アメリカ軍の資料では、新潟が目標から外された理由が、↓のように記述されています。
『新潟は工業が集中している地区と小さな工場を含んだ居住地域とが互いに遠く離れているため、この種の攻撃のためには不適当である』
可住地面積が広いため、人がばらけて住んでたからですかね?
しかし、この文章を読むと、明らかに一般市民の殺傷を企図していたことがわかります。
新潟に原爆が落ちてたら……。
今、わたしはここに存在してません。