2018.5.27(日)
み「傘立てがある」

↑こういう写真を撮られる方は、実に希少です。文章も行き届いており、とても参考になりました。
律「それがどうしたっていうの?」
み「同じ柄の傘があるな。
これ、宿の傘じゃないの」
律「そうかもね」
み「帰りに1本もらっていこう」
律「やめなさい」
み「ほら、スリッパがずらっとならんでるでないの」

み「間違いなく旅館だよ」

律「『脚下照顧(きゃっかしょうこ)』って読むのかしら?」
み「早い話、段差があるから気をつけなされということでないの」

↑これは、ダンサー。
律「じゃ、どうしてそう書かないのよ」
み「旅館ではなく、宿坊だからじゃ」
律「靴はどうすればいいのかしら?」
み「あそこに入れるんでないの」

律「あれが靴箱?
立派すぎるんじゃない?」
み「お骨でも入ってそうだよな」

↑こちら、納骨堂です(愛知県岡崎市『岡崎墓園』)。そっくりな気が……。
み「でも、盗られないかな」
律「鍵がかかるじゃないのよ。
そもそも、あんたの靴なんか盗ってどうするの?」
み「臭いを嗅ぐんでないの?」
律「嗅いだ途端、即死ね」

み「凶器か!
わたしは、『スーパーソックス』を履いてるから大丈夫なの」

律「何それ?」
み「足の臭いが、劇的に抑えられるソックスじゃ」
律「ネーミングが、あまりにも胡散臭いんですけど」
み「まさしくスーパーなんだから、正々堂々と名乗っておるのです」

↑こういう写真を撮られる方は、実に希少です。文章も行き届いており、とても参考になりました。
律「それがどうしたっていうの?」
み「同じ柄の傘があるな。
これ、宿の傘じゃないの」
律「そうかもね」
み「帰りに1本もらっていこう」
律「やめなさい」
み「ほら、スリッパがずらっとならんでるでないの」

み「間違いなく旅館だよ」

律「『脚下照顧(きゃっかしょうこ)』って読むのかしら?」
み「早い話、段差があるから気をつけなされということでないの」

↑これは、ダンサー。
律「じゃ、どうしてそう書かないのよ」
み「旅館ではなく、宿坊だからじゃ」
律「靴はどうすればいいのかしら?」
み「あそこに入れるんでないの」

律「あれが靴箱?
立派すぎるんじゃない?」
み「お骨でも入ってそうだよな」

↑こちら、納骨堂です(愛知県岡崎市『岡崎墓園』)。そっくりな気が……。
み「でも、盗られないかな」
律「鍵がかかるじゃないのよ。
そもそも、あんたの靴なんか盗ってどうするの?」
み「臭いを嗅ぐんでないの?」
律「嗅いだ途端、即死ね」

み「凶器か!
わたしは、『スーパーソックス』を履いてるから大丈夫なの」

律「何それ?」
み「足の臭いが、劇的に抑えられるソックスじゃ」
律「ネーミングが、あまりにも胡散臭いんですけど」
み「まさしくスーパーなんだから、正々堂々と名乗っておるのです」
コメント一覧
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1. Mikiko- 2018/05/27 08:16
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今日は何の日②
5月27日は、『百人一首の日』。
1235(文暦2)年5月27日……。
藤原定家によって、『小倉百人一首』が完成されました。
ただし、この日付は旧暦です。
新暦だと、6月14日になります。
さて、この『小倉百人一首』ですが……。
なぜ、“小倉”なのでしょう?
寡聞にも、わたしは知りませんでした。
どうやら、いろんな人が『百人一首』を選んでるようです。
それらと区別するため……。
藤原定家が最初に選んだ『百人一首』を、『小倉百人一首』と云うんだそうです。
だから、“小倉”ってなんなのよ、ということですよね。
餡子と関係してるのかと思いましたが、ちと違いました。
藤原定家が、京都嵯峨野の『小倉山荘』という別荘で編さんしたからだそうです。
小倉山に由来するのは、餡子も百人一首も一緒でしたが。
息子の妻の父でもあった友人の宇都宮頼綱から……。
別荘の襖に貼る色紙を作ってほしいと頼まれたのがきっかけだとか。
ところで!
この平安時代。
以前にも書きましたが……。
今よりも暑かった時代なんです。
これは、日本だけでなく世界的な現象。
『中世温暖期』と呼ばれてます。
今より、平均気温が3度も高かったとか。
実際、日本の沿岸地域では、平安時代の遺跡があまり出ません。
なぜなら、平安時代は海の底だったからです。
平安時代に普及した建築様式に、寝殿造りがあります。
開口部が大きく、部屋の間仕切りも御簾や屏風。
京都ですよ。
寒さが厳しかったら、とてもこんな造りの住居には住めないはずです。
よほど、夏が酷かったんでしょう。
当然、異常気象が頻発し、疫病も蔓延します。
平安人が、あれほど怨霊を恐れたのは、このためなんです。
スーパーセルなんて見たら、祟りとしか思えませんよね。
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2. 手羽崎 鶏造- 2018/05/27 18:07
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藤原定家が百人一首を編んだことは
事実のようですが、本人の歌は97番目
にあります。
「来ぬ人を待つ(松)」 以下略。
一見、恋愛歌のようですが、定家には
来ぬ人とは、明確な意思があったようです。
(後鳥羽院のようですね)
ちなみに私は一度、淡路島の「松帆の浦」を
訪ねたことがあります。
彼があの時代、何故、この地や焼き藻塩の
知識があったのか?私にはとてもミステリーでした。
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3. Mikiko- 2018/05/27 18:26
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なるほど
昔の相聞歌は、男女の仲を詠ったものだけじゃないということですか。
BLの可能性は、大いにあったかも知れませんね。
『松帆の浦』の件。
文学青年だったんですね。
関西方面の機微に乏しいので……。
『焼き藻塩』がどれほど人口に膾炙してるものか、よくわかりません。
ネットで引くと、『藻塩せんべい』というのが売られてるようです。
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4. 手羽崎 鶏造- 2018/05/29 00:18
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後鳥羽院と定家はボーイズラブであったとする
管理人様の慧眼には、正直、舌を巻きました。
なるほど、二人の確執には愛情問題があった
とする解釈に、私は賛意です。
ちなみに、定家は、松帆の浦(淡路島の北端)から
西の方向に向かって、即ち、後鳥羽院が北条氏によって流された隠岐の島の方向に向かって、「身も焦がれつつ」と詠んでおります。恋愛歌にしたのは時の権力者
北条氏に悟られないためであったと考えられますね。
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5. 手羽崎 鶏造- 2018/05/29 00:23
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しつこくすみません。
要は、私が何を言いたいかと申すと、
「百人一首」は、映画「ちはやぶる」で
少しブームになっていますが、文芸作品
として見るだけでは惜しく、極めて政治的な
メッセージ性の強い歴史遺産というふうに見ると、
とても面白いと思います。
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6. Mikiko- 2018/05/29 07:16
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定家BL説
手羽先さんが、その見方をされてると思ってました。
『ちはやぶる』。
見たことがありません。
競技カルタは、どーもあの戦闘的な雰囲気が苦手です。
やってるのは、性格的に男性的な女性じゃないでしょうか。
『ちはやぶる』には、GL的な要素は無いんですかね?
昔、『桜の園』という映画がありました。
こちらは演劇部のお話でしたが、GLの気配がありましたね。