2018.5.14(月)
婆「次、『どうや地獄』」
み「“どうや”って、何や?」
婆「“どう”は、金属の“銅”じゃろ。
精錬を生業としたものたちであろうな。
弘前には、『銅屋町(どうやまち)』という地名もある」
み「もちっと、地獄らしい地獄はおませんのか?」
婆「それなら、ここじゃろ。
『血の池地獄』」
み「は?
どこが、血の池なんすか?
透明ではないか」
婆「ほー。
これが透明に見えるなら、さほど罪科は重くないかも知れんな。
罪人には、真っ赤に見えるというで」
み「お主にも、そう見えるんじゃな」
婆「見えるかい。
時折、酸化鉄の具合で赤くなるんじゃ」
↑売ってました。手作りの化粧品や石けんなどの色付けに使うそうです。
婆「昔は、常時赤かったんじゃがな。
最近は、滅多に赤くならんわい」
み「貧弱!」
婆「何がじゃ」
み「テーマパークとしては、別府温泉の足元にも及ばんな」
↑別府温泉の『血の池地獄』。規模が段違い。面積は、1,300m2もあります(小学校のプール、4.3個分)。
婆「『恐山』は、テーマパークではないわ」
み「ま、入山料、500円ですからな。
こんなもんでげしょう。
あとは?」
婆「最後に、『延命地蔵尊』にお参りして行きなされ」
み「どこじゃい?」
婆「あの小高い丘におわしますぞ」
み「あ、見えた」
婆「足元には、石が積まれておるでな。
お側まで行くのは、ちと難しいが」
↑一瞬、ゴミの山かと思いました。
み「そんなら、ここでよかろ。
なんまいだなんまいだ」
↑カワウソです。
み「“どうや”って、何や?」
婆「“どう”は、金属の“銅”じゃろ。
精錬を生業としたものたちであろうな。
弘前には、『銅屋町(どうやまち)』という地名もある」
み「もちっと、地獄らしい地獄はおませんのか?」
婆「それなら、ここじゃろ。
『血の池地獄』」
み「は?
どこが、血の池なんすか?
透明ではないか」
婆「ほー。
これが透明に見えるなら、さほど罪科は重くないかも知れんな。
罪人には、真っ赤に見えるというで」
み「お主にも、そう見えるんじゃな」
婆「見えるかい。
時折、酸化鉄の具合で赤くなるんじゃ」
↑売ってました。手作りの化粧品や石けんなどの色付けに使うそうです。
婆「昔は、常時赤かったんじゃがな。
最近は、滅多に赤くならんわい」
み「貧弱!」
婆「何がじゃ」
み「テーマパークとしては、別府温泉の足元にも及ばんな」
↑別府温泉の『血の池地獄』。規模が段違い。面積は、1,300m2もあります(小学校のプール、4.3個分)。
婆「『恐山』は、テーマパークではないわ」
み「ま、入山料、500円ですからな。
こんなもんでげしょう。
あとは?」
婆「最後に、『延命地蔵尊』にお参りして行きなされ」
み「どこじゃい?」
婆「あの小高い丘におわしますぞ」
み「あ、見えた」
婆「足元には、石が積まれておるでな。
お側まで行くのは、ちと難しいが」
↑一瞬、ゴミの山かと思いました。
み「そんなら、ここでよかろ。
なんまいだなんまいだ」
↑カワウソです。
コメント一覧
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1. Mikiko- 2018/05/14 07:33
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今日は何の日
『種痘記念日』。
1796年(日本では、11代将軍家斉の治世)5月14日(今から222年前)……。
イギリスの外科医ジェンナーが、初めて種痘の接種に成功しました。
種痘が登場する以前、天然痘は最も恐れられた病気の一つでした。
全身に化膿性の発疹ができるため、運良く治った人でもあばた面になってしまいましたから。
以前から、一度天然痘に罹った人は、2度とこの病気にならないことは知られてました。
また、ジェンナーは、乳絞りの女性から、牛痘にかかると天然痘には罹からないことを聞いてました。
そこで、牛痘にかかった乳絞りの女性の水疱から採った膿を、8歳の男児の腕に接種してみました。
男児は10日後に発症しましたがすぐに治癒し、その後天然痘を接種しても感染しませんでした。
この実験は、学会には認められませんでしたが……。
ジェンナーは貧しい人たちに無料で種痘を行い、次第に認められるようになったそうです。
日本ではようやく、1870(明治3)年に『種痘法』が制定され……。
天然痘に対する予防接種が始まりました。
当初は、「疱瘡牛の膿を植えるのだから、牛になる」というデマが広がったとか。
でもやっぱり、天然痘への恐怖の方が強かったので、普及していったのでしょうね。
江戸時代、天然痘は、結核や癩病より恐れられてたそうです。
たとえ命が助かっても、顔貌が著しく損なわれてしまいますから……。
人生が変わってしまったんでしょうね。
特に女性は深刻です。
種痘の普及以降、天然痘による死亡者は劇的に減少し……。
1979(昭和54)年10月、世界保健機構(WHO)によって根絶が確認されました。