2018.5.11(金)
万里亜が、頭上の拍手を保ったまま身を翻し、スタジオの隅までステップした。
そこには、前回も使われたディスコライトが設置されている。
会員たちの視線が、万里亜の背中に集まる。
全員の期待のベクトルが、完全に一方向を指しているのが実感できた。
そしてスタジオは、過たずその期待を予兆させる色彩に変貌した。
ディスコライトが回り始めたのだ。
赤い花、青い花。
黄色い花。
ピンクにオレンジ。
そして白。
無数の花の連なりが、壁から天井、そして床を、シームレスに流れ渡る。
定位置に戻った万里亜も、花の帯に包まれた。
顔にも流れるライトのせいで、その表情は読みづらい。
能面めいた瓜実顔は、何を考えているのだろう。
美弥子は、万里亜の顔を盗み見ながら、ボトルを配って回った。
今日は、ボトルの消費スピードが、いっそう早いようだ。
味も濃くなっている感じがする。
会員の慣れに従って、万里亜が調合を変えているのかも知れない。
そしてほどなく……。
万里亜がジャージを脱いだ。
大きく頭上に放りあげる。
水色のジャージは、宙で大きく広がり……。
連なり尾を引く光の玉に撃たれ、床に落ちた。
待ちかねていたように、会員たちもジャージを脱いだ。
美弥子は、大忙しで拾って回る。
千葉でのバイトを思い出すようだった。
屈んだときには、もう汗が床に滴った。
今日の展開は早かった。
そして、ちょっと違っていた。
万里亜が、スポブラを抜きあげたのだ。
前回は、ジャージのパンツが先だった。
トップレスとなった万里亜の姿は……。
長い脚のブーツカットと対比して、異様に魅惑的だった。
腰が細い。
会員たちに迷いはなかった。
全員が万里亜に従い、スポブラを脱ぎ捨てた。
さまざまな形状のトップレスの背中が連なる。
中でも、ほのかの背中は特殊だった。
細くて長いのだ。
早い話、胴長だった。
本人は気にしているかも知れないが、そのシルエットは決して醜いものではなかった。
むしろ、浮世絵の女性を見るように扇情的だった。
そこには、前回も使われたディスコライトが設置されている。
会員たちの視線が、万里亜の背中に集まる。
全員の期待のベクトルが、完全に一方向を指しているのが実感できた。
そしてスタジオは、過たずその期待を予兆させる色彩に変貌した。
ディスコライトが回り始めたのだ。
赤い花、青い花。
黄色い花。
ピンクにオレンジ。
そして白。
無数の花の連なりが、壁から天井、そして床を、シームレスに流れ渡る。
定位置に戻った万里亜も、花の帯に包まれた。
顔にも流れるライトのせいで、その表情は読みづらい。
能面めいた瓜実顔は、何を考えているのだろう。
美弥子は、万里亜の顔を盗み見ながら、ボトルを配って回った。
今日は、ボトルの消費スピードが、いっそう早いようだ。
味も濃くなっている感じがする。
会員の慣れに従って、万里亜が調合を変えているのかも知れない。
そしてほどなく……。
万里亜がジャージを脱いだ。
大きく頭上に放りあげる。
水色のジャージは、宙で大きく広がり……。
連なり尾を引く光の玉に撃たれ、床に落ちた。
待ちかねていたように、会員たちもジャージを脱いだ。
美弥子は、大忙しで拾って回る。
千葉でのバイトを思い出すようだった。
屈んだときには、もう汗が床に滴った。
今日の展開は早かった。
そして、ちょっと違っていた。
万里亜が、スポブラを抜きあげたのだ。
前回は、ジャージのパンツが先だった。
トップレスとなった万里亜の姿は……。
長い脚のブーツカットと対比して、異様に魅惑的だった。
腰が細い。
会員たちに迷いはなかった。
全員が万里亜に従い、スポブラを脱ぎ捨てた。
さまざまな形状のトップレスの背中が連なる。
中でも、ほのかの背中は特殊だった。
細くて長いのだ。
早い話、胴長だった。
本人は気にしているかも知れないが、そのシルエットは決して醜いものではなかった。
むしろ、浮世絵の女性を見るように扇情的だった。
コメント一覧
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1. Mikiko- 2018/05/11 07:23
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今日は何の日
『鵜飼開き』。
岐阜県を流れる長良川の鵜飼は、5月11日から10月15日まで行われます。
中秋の名月と増水時を除いて、毎夜行われるそうです。
中秋の名月を休む理由はわかってないみたいです。
伝統的な公休日だそうです。
たぶん、この夜は、川面に映る名月を乱さないよう、鵜飼を休んだんじゃないですかね?
現在の長良川の鵜飼は、漁業として行われてはいません。
観光イベントとしての意味合いが大きいことは確かですが……。
それがすべてではありません。
期間中、8回の鵜飼は、宮内庁の御料場で行われる『御料鵜飼』です。
そのとき獲れた鮎は、皇室に献上されるのはもちろん、明治神宮や伊勢神宮へも奉納されます。
長良川の鵜匠は、『宮内庁式部職鵜匠』という職名を持つのだそうです。
続きは次のコメントで。
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2. Mikiko- 2018/05/11 07:23
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今日は何の日(続き)
松尾芭蕉は、1688(貞享5)年に岐阜を訪れ、長良川の鵜飼を見物してます。
「奥の細道」の旅に出る前年のことです。
↓そのとき詠んだ句です。
●おもしろうてやがて悲しき鵜舟(うぶね)かな
芭蕉の句の中で、とても好きな句のひとつです。
この句は、だいたい↓のような解釈がなされているようです。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++
かがり火の下、にぎやかに行われる鵜飼いはまことに面白い。
だが鵜飼いが終わり、かがり火が消えて鵜舟が去ってしまうと、たまらなく悲しい気持ちになる。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++
しかし、ほんとうにそうでしょうか。
わたしは……。
芭蕉は、にぎやかな鵜飼の最中に、「悲しみ」を覚えたんだと思います。
鵜に呑まれた鮎は、ほどなくその生を終えます。
水を潜る鵜もまた、短い命を生きてます。
そして、鵜を操る鵜匠……。
かがり火の中、歓声をあげてる客たち……。
そして、それを見ている芭蕉自身。
ことごとくが、死にゆく身です。
芭蕉は、自分を含めて、ここにいるすべての存在が悲しく思えたんじゃないでしょか。
しかし、「悲し」はまた、「愛(かな)し」に通ずる言葉でもあります。
悲しいと同時に、抱きしめたいほど愛しかったのでしょうね。
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3. yumi- 2018/05/11 19:29
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連休に初めてコメさせていただいたユミです
仕事から帰り、主人は帰宅が少し遅くなる故、ホッと一息でデスクの前に座り、ページを開けば・・・・・なんと、、
ハーレクインさんがお亡くなりになられた・・・。
・・とても悲しく、、残念の気持ちでいっぱいです。
mikiko様のお気持ち
”お星さまになったハーレクインさん”で十分すぎるくらい
伝わってきます。
先生のコメントの中にはいつも学識や知識が感じられ、あのような軽快さや、時には毒舌をも感じるのは、その人柄故と、、対等に渡り合うには気後れさえもする方でしたね。
以前のコメを見て、、問いかければ今にも、、応えてくださるような、・・・・。
・・まだしばらくは、コメントログに残ることでしょう・・。
・・・先生、ありがとうございました。
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4. Mikiko- 2018/05/11 19:46
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ありがとうございます
温かいお言葉、故人もさぞ喜んでいることと思います。
なんか、喪主の挨拶みたいですね。
ハーレクインさんは、大学受験予備校の生物の講師でした。
わたしも、能力はなかったですが、頭の構造は理系のつもりなので……。
やり合うのは、ほんとに楽しかったです。
今は、感謝の気持ちでいっぱいです。