2018.5.8(火)
あなたからの衝撃のメールが届いたのは、2018年2月9日午後3:09分のことでした。
『骨髄腫』。
想像してもいなかった病名でした。
そのときのメールでは、入院は数日先とのことでした。
しかし、その日の夜、再度メールが届き……。
入院が翌日の午前になったことを告げられました。
メールの末尾にあった「まことに残念無念です」という言葉が胸に刺さり、わたしの方が動転してしまいました。
「明日、白山神社に参って、お札とお守りを受けてくるから大丈夫」と返信するのがやっとでした。
翌日の2月10日は、雪深かったですが、不思議と良いお天気でした。
↓そのときの写真です。

最初のメールでは、モバイル環境を持たず、PCもデスクトップなので、入院後はスマホを契約するというお話をされてました。
↓なので、受けてきたお守りは、『Mikiko's Room』のスマホ用トップ画面に掲示しました。

スマホから『Mikiko's Room』にコメントが入れられることを確認し、あなたからのコメントを待ちました。
しかし、コメントは入りませんでした。
最後のメールで、わたしのメールアドレスも改めて記載し、紙ベースでメモして欲しい由、お願いしました。
しかし、メールも届きません。
最初のメールでは、入院治療は1ヶ月かかるとのことでした。
入院直前、2月10日の朝8:37分には、気丈にもコメントを入れてくださいました。
↓そのときのコメント全文です。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++


しばらく入院することになりました。
春場所が始まる頃には戻って来られると思います。
ということで『アイリスの匣』も、次週より休載させていただきます。
すんまへん。よろしゅうに。
〔♪しばし別れの涙がにじむ~HQ〕
++++++++++++++++++++++++++++++++++++
春場所は3月11日に始まりましたが、退院の連絡は届きませんでした。
メールもありません。
春場所が終わり、サクラが咲いて、散って……。
夏日のニュースが流れ、そして、田んぼに水が張られる季節になりました。
もうすぐ、夏場所が始まります。
最後のメールから、3ヶ月が経ってしまいました。
やはり、もう諦めるしかないのでしょうか。
『骨髄腫』という病気。
最初は怖くて、調べることも出来ませんでした。
でも、何らかの救いを求めて、調べてみました。
結果……。
やはり、厳しい病気であるという現実を突きつけられてしまいました。
あなたの病名は、『多発性骨髄腫』だったのでしょう。
様々な症状が出る病気のようです。
思えば、あなたが最初の入院をされたのが、2013年の4月。
5年前です。
今から思えば、このとき入院することになった症状の原因も、『多発性骨髄腫』だったんじゃないでしょうか?
でもわたしは、まったく深刻には捉えられませんでした。
わたしの求めに応じ、『潜入突撃レポート「大病院の闇を探る!」』の連載もしてくださいました。
どうしてこのとき、もっと真剣に考え、全身の精密検査を勧めてあげられなかったのか、無念でなりません。
唯一の望みは、あなたへのメールが、まだ宛先不明にならないということです。
返事はありませんが。
メールが届くと云うことは、インターネットの契約が維持されているというです。
でも、インターネットは、ケーブルテレビの契約とセットだと伺ってました。
ということは、ケーブルテレビが解約されない限り、ネットも解約されないということです。
ご家族が、そのままテレビの契約を続けられていれば、ネット環境も維持されているわけですね。
とにかく、わたしとしては待つしかないのですが……。
『アイリス』の愛読者に何も公表せず、ずっとこのままにしておくことは出来ません。
どこかで、区切りを付ける必要があると思いました。
ということで、この一文をしたためることにしました。
これを書こうと決意した日の夜……。
鴨居に載せてあったイタコのフィギュアが、わたしの布団に落ちてました。
あなたからの、何かのメッセージだったのでしょうか。
あなたが、初めてコメントを入れて下さったのは……。
2010年9月11日19時32分。
『由美と美弥子 537回』。
7年半前のことでした。
その後、あなたとほかの読者との間で齟齬が生じ、それについての謝罪メールをいただいたことから、メールのやりとりも始まりました。
そして、初投稿となる原稿をいただき……。
『読者の部屋』に掲載させていただいたのが、『日本酒を飲もう!(Ⅰ)』
2010年11月14日でした。
こちらは、エッセイでしたが……。
その1年後、2011年11月8日からは、小説『風楡の季節』の連載が始まります。
読者の方が小説を書き始め、それを連載して下さるというのは、ほんとうに嬉しい出来事でした。
楽しい日々が続きました。
2018年の2月8日までは。
あっという間の7年半でした。
あなたは、矢沢永吉と同い年ということでしたから……。
お別れのときが、いつか必ず来ることは、頭の隅ではわかってはいました。
でも、こんなに早く、突然なことだとは思ってもいませんでした。
わたしの覚悟も出来ないうちに、遠いところへ旅立ってしまわれました。
『Mikiko's Room』に、大切な時間をたくさん使わせてしまいましたね。
もっとほかにやりたいことがあったんじゃないかと思うと、胸が裂かれる気がします。
わたしもいつか、そちらに参ります。
そのときまでには、わたしの手で『アイリス』を完結させたいと思っています。
先の展開は、まったく聞いておりませんので、ずいぶん見当違いのストーリーになってしまうかも知れませんが。
わたしがそちらに行ったら、ぜひ感想を聞かせてほしいです。
わたしはビビリで方向音痴なので、そのときは必ず迎えに出てくださいね。
お願いします。
仏像を、1体購入しました。
チベットの仏像です。
お顔を存じませんが、イメージの中のお顔に似てました。
ヒゲがお茶目な地蔵菩薩さまです。
早くに父を亡くしたわたしにとって、あなたは父のイメージに重なる存在でした。
仏像は、わたしの枕元に鎮座いただいています。
どうか、見守って下さい。
ゴールデンウィークには、花壇に大輪のヒマワリの種を撒きました。
真夏、あなたの大きな笑顔に出会えますように。
この文章を書くのは、ほんとに辛いことでした。
最期に、この一文をしたためることにした、一番の理由で締めくくりたいと思います。
それは、あなたへのお礼が、一度も言えていなかったことです。
これだけが、今でもほんとうに残念でなりません。
だから……。
遅きに失してしまいましたが、改めて言わせていただきます。
ハーレクインさん!
一緒に笑ってくれて、ありがとう!
一緒に走ってくれて、ありがとう!
ときには怒ってくれて、ありがとう!
いっぱい遊んでくれて、ありがとう!
あなたと出会えたことは、わたしの人生の最大の喜びでした。
わたしがそちらに行くまで、しばしのお別れです。
待っていてください。
また、たくさん楽しい話をしましょう。
ありがとう!
ほんとうにありがとう!
涙が止まらないよ……。
Mikiko
あなたからの衝撃のメールが届いたのは、2018年2月9日午後3:09分のことでした。
『骨髄腫』。
想像してもいなかった病名でした。
そのときのメールでは、入院は数日先とのことでした。
しかし、その日の夜、再度メールが届き……。
入院が翌日の午前になったことを告げられました。
メールの末尾にあった「まことに残念無念です」という言葉が胸に刺さり、わたしの方が動転してしまいました。
「明日、白山神社に参って、お札とお守りを受けてくるから大丈夫」と返信するのがやっとでした。
翌日の2月10日は、雪深かったですが、不思議と良いお天気でした。
↓そのときの写真です。

最初のメールでは、モバイル環境を持たず、PCもデスクトップなので、入院後はスマホを契約するというお話をされてました。
↓なので、受けてきたお守りは、『Mikiko's Room』のスマホ用トップ画面に掲示しました。

スマホから『Mikiko's Room』にコメントが入れられることを確認し、あなたからのコメントを待ちました。
しかし、コメントは入りませんでした。
最後のメールで、わたしのメールアドレスも改めて記載し、紙ベースでメモして欲しい由、お願いしました。
しかし、メールも届きません。
最初のメールでは、入院治療は1ヶ月かかるとのことでした。
入院直前、2月10日の朝8:37分には、気丈にもコメントを入れてくださいました。
↓そのときのコメント全文です。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++


しばらく入院することになりました。
春場所が始まる頃には戻って来られると思います。
ということで『アイリスの匣』も、次週より休載させていただきます。
すんまへん。よろしゅうに。
〔♪しばし別れの涙がにじむ~HQ〕
++++++++++++++++++++++++++++++++++++
春場所は3月11日に始まりましたが、退院の連絡は届きませんでした。
メールもありません。
春場所が終わり、サクラが咲いて、散って……。
夏日のニュースが流れ、そして、田んぼに水が張られる季節になりました。
もうすぐ、夏場所が始まります。
最後のメールから、3ヶ月が経ってしまいました。
やはり、もう諦めるしかないのでしょうか。
『骨髄腫』という病気。
最初は怖くて、調べることも出来ませんでした。
でも、何らかの救いを求めて、調べてみました。
結果……。
やはり、厳しい病気であるという現実を突きつけられてしまいました。
あなたの病名は、『多発性骨髄腫』だったのでしょう。
様々な症状が出る病気のようです。
思えば、あなたが最初の入院をされたのが、2013年の4月。
5年前です。
今から思えば、このとき入院することになった症状の原因も、『多発性骨髄腫』だったんじゃないでしょうか?
でもわたしは、まったく深刻には捉えられませんでした。
わたしの求めに応じ、『潜入突撃レポート「大病院の闇を探る!」』の連載もしてくださいました。
どうしてこのとき、もっと真剣に考え、全身の精密検査を勧めてあげられなかったのか、無念でなりません。
唯一の望みは、あなたへのメールが、まだ宛先不明にならないということです。
返事はありませんが。
メールが届くと云うことは、インターネットの契約が維持されているというです。
でも、インターネットは、ケーブルテレビの契約とセットだと伺ってました。
ということは、ケーブルテレビが解約されない限り、ネットも解約されないということです。
ご家族が、そのままテレビの契約を続けられていれば、ネット環境も維持されているわけですね。
とにかく、わたしとしては待つしかないのですが……。
『アイリス』の愛読者に何も公表せず、ずっとこのままにしておくことは出来ません。
どこかで、区切りを付ける必要があると思いました。
ということで、この一文をしたためることにしました。
これを書こうと決意した日の夜……。
鴨居に載せてあったイタコのフィギュアが、わたしの布団に落ちてました。
あなたからの、何かのメッセージだったのでしょうか。
あなたが、初めてコメントを入れて下さったのは……。
2010年9月11日19時32分。
『由美と美弥子 537回』。
7年半前のことでした。
その後、あなたとほかの読者との間で齟齬が生じ、それについての謝罪メールをいただいたことから、メールのやりとりも始まりました。
そして、初投稿となる原稿をいただき……。
『読者の部屋』に掲載させていただいたのが、『日本酒を飲もう!(Ⅰ)』
2010年11月14日でした。
こちらは、エッセイでしたが……。
その1年後、2011年11月8日からは、小説『風楡の季節』の連載が始まります。
読者の方が小説を書き始め、それを連載して下さるというのは、ほんとうに嬉しい出来事でした。
楽しい日々が続きました。
2018年の2月8日までは。
あっという間の7年半でした。
あなたは、矢沢永吉と同い年ということでしたから……。
お別れのときが、いつか必ず来ることは、頭の隅ではわかってはいました。
でも、こんなに早く、突然なことだとは思ってもいませんでした。
わたしの覚悟も出来ないうちに、遠いところへ旅立ってしまわれました。
『Mikiko's Room』に、大切な時間をたくさん使わせてしまいましたね。
もっとほかにやりたいことがあったんじゃないかと思うと、胸が裂かれる気がします。
わたしもいつか、そちらに参ります。
そのときまでには、わたしの手で『アイリス』を完結させたいと思っています。
先の展開は、まったく聞いておりませんので、ずいぶん見当違いのストーリーになってしまうかも知れませんが。
わたしがそちらに行ったら、ぜひ感想を聞かせてほしいです。
わたしはビビリで方向音痴なので、そのときは必ず迎えに出てくださいね。
お願いします。
仏像を、1体購入しました。
チベットの仏像です。
お顔を存じませんが、イメージの中のお顔に似てました。
ヒゲがお茶目な地蔵菩薩さまです。
早くに父を亡くしたわたしにとって、あなたは父のイメージに重なる存在でした。
仏像は、わたしの枕元に鎮座いただいています。
どうか、見守って下さい。
ゴールデンウィークには、花壇に大輪のヒマワリの種を撒きました。
真夏、あなたの大きな笑顔に出会えますように。
この文章を書くのは、ほんとに辛いことでした。
最期に、この一文をしたためることにした、一番の理由で締めくくりたいと思います。
それは、あなたへのお礼が、一度も言えていなかったことです。
これだけが、今でもほんとうに残念でなりません。
だから……。
遅きに失してしまいましたが、改めて言わせていただきます。
ハーレクインさん!
一緒に笑ってくれて、ありがとう!
一緒に走ってくれて、ありがとう!
ときには怒ってくれて、ありがとう!
いっぱい遊んでくれて、ありがとう!
あなたと出会えたことは、わたしの人生の最大の喜びでした。
わたしがそちらに行くまで、しばしのお別れです。
待っていてください。
また、たくさん楽しい話をしましょう。
ありがとう!
ほんとうにありがとう!
涙が止まらないよ……。
Mikiko
コメント一覧
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1. 手羽崎 鶏造- 2018/05/08 09:36
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私は 奇跡を信じます。
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2. Mikiko- 2018/05/08 19:50
-
そうですね
「勝手に殺してんじゃねーよ」ってね。
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3. 八十郎- 2018/05/08 20:29
-
Mikikoさんの記述から、私がこちらに伺うようになったのはハーレクインさんが最初に書き込みを始められるようになったほぼ一年後だということを知りました。
当時投稿についてMikikoさんとのやり取りで
”朝一番からパソコンの前で待ち構えてる方がいらっしゃる方がいる”、という話がありました。
単に名前を伏せただけで、それが貴方だということは明らかでした。
沢山の時間をここでお使いになったかもしれませんが、たぶん貴方が一番ここで楽しい時間を過ごされた方だと思います。
そして私が投稿を始めて、Mikikoさんより早く、度々貴方は一番にコメントを入れてくださいました。
”おお、柔道か・・”
風楡の季節が始まった時、私はそう思いました。
つい昨日のことのようです。
私は何故か、とても感受性の強い方だと思いました。
ちょっとお休みが長かったので、恥ずかしいですか?
ゆっくりお休みされてからでいいです。
突然でいいです。
私の投稿に、また一番にコメを入れてください。
では、お待ちしていますよ。
八十八十郎
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4. Mikiko- 2018/05/09 07:23
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かつて……
「コメントビッグバン」と自負した時期がありました。
コメントが、流星雨のように入ってた時代。
まさに、熱に浮かされた季節でした。
今思えば……。
あの時期が、『Mikiko's Room』の“青春時代”だったのでしょう。
2度と戻らない、大切な季節。
記憶を抱きしめて生きていきます。
でも、静かな余生も、良きものにしたいとも思ってます。
のんびりと、窓辺で揺り椅子に凭れながら。
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5. 雅之- 2018/05/09 18:37
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2017・10月コメントにお邪魔した雅之です。
帰宅して驚きました
ハーレクイン先生が天国に召されたこと、、誠に悲しく、
悲しみにうち拉がれる想いです。
・・先生、永い間たくさんの親しみも感じる、楽しいコメントも、ありがとうございました。・・・・。
・・誠に、、誠に、ありがとうございました。
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6. Mikiko- 2018/05/09 20:02
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確か……
ハーレクインさんと同世代でいらっしゃいましたね。
わたしが「鈴木雅之じゃないですよね?」と言ったら……。
ハーレクインさんが、「今井雅之と思った」と返されたのでした。
以後も、ずっと読んでてくださったんですね。
嬉しいです。
これからも、気が向いたときで結構ですので、ぜひコメントを入れて下さいませ。