2018.5.3(木)
律「あんたにぴったりじゃないの。
ずっとここにいなさいよ」
み「酒のないところには長居せん主義じゃ。
しかし、無限って、ヒドすぎませんか?」
↑この記号は、無限大を表すようです(習った記憶なし)。
み「恩赦とかないわけね?」
↑『感謝祭(11月第4木曜日)』前に恩赦を受ける七面鳥(感謝祭の定番料理は『七面鳥の丸焼き』)。4600万羽中の1羽だそうです。
婆「文字は、有限無限の無限ではないぞ。
“げん”の漢字は、“間(あいだ)”を当てる」
み「どういう意味になるわけ?」
婆「間断が無いという意味の“無間(むげん)”じゃ。
ひっきりなしに苦しみに襲われるわけじゃな」
み「救いがおへんがな。
有限会社にまけてくれ」
婆「有限会社は、廃止された。
新しく設立することはできん」
↑うちと取引がある有限会社は、みーんな有限会社のまんまです。
み「なんでそんなことまで知ってるんじゃ?」
婆「わしのせがれは、司法書士じゃでな。
さて、次に行きますぞ」
↓現在位置は、このあたり。
婆「ここが、慈覚大師を祭る『大師堂』じゃ」
み「ここですか?」
婆「不満か?」
み「しかし、あーた。
仮にも、ここの開祖でしょ?」
婆「仮にもとはなんじゃ!」
み「“堂”って云っても、スカスカの吹きっさらしですがな。
しかも、『無間地獄』のお隣。
ガラガラの岩場の真っ只中ですよ」
婆「慈覚大師さまは、常に苦しむ罪人に寄り添っておられるということじゃ」
み「助けないわけ?」
↑お釈迦様の気まぐれとしか思えません。
婆「罪は罪じゃでな」
み「そんなもんですか」
婆「この裏に、『大師説法之地の碑』があるが、見るか?」
み「こんなとこで、誰に説法したんです?」
↑湯郷温泉(岡山県美作市)にある『円仁法師像』。西国巡礼中の円仁が、白鷺が足の傷を癒しているのを見て、発見したとか。
婆「信者に決まっておる」
み「ほんまですか?
昔は、バスもないわけでしょ。
さっきの、うねうねの山道を延々と登ってくるしかおまへんで」
↑恐山へ続く山道。
婆「当たり前じゃ。
大師のおられたころはもちろんじゃが……。
戦前までは、みんなそうやって登ってきたんじゃ」
↑映画『砂の器』の1シーンです。
み「信仰とは、恐ろしいものですな。
おや?
今も歩いて登ってくる人がいるんでないの?
草鞋がくくりつけてあるぞ」
婆「これは、亡き人が無事にあの世へ旅立てるよう、お供えした草履じゃ」
み「道理で、すり切れてませんな」
婆「表の売店で売っておる」
み「おいくらで?」
婆「わら草履が、600円。
白緒の草履が、800円じゃ」
み「風車の2倍ですな。
これで、『恐山』の焼き印でも入ってれば買うのじゃが。
これじゃ、どこで買ったかわからんではないか。
『網走刑務所』じゃ、刻印入りの雪駄を売っておったぞ」
↑もちろん買って帰りました。母には呆れられ、玄関に出すことを固く禁じられたので、ベランダの水やりに使いました。水には強くないようで、ほどなくバラバラになりました。
婆「刑務所と一緒にするでないわ。
土産に持ち帰る草履ではなく、お供えする草履じゃ」
み「まさか、ここから外して、売店に戻してませんよね?」
婆「つくずく、失敬なやつじゃな。
どうするんじゃ?
『大師説法之地の碑』、見んのか?
ほれ、あそこに見えておる」
み「そんなら、それでいいや。
省略~」
婆「すな!」
み「わたしはまだ、その碑の前に立つ準備が出来ておりません。
修業を積んだ後、拝することにいたします」
↑ほぼ、打たせ湯ですね。これならやってみてもいいです(ただし夏)。
婆「口八丁なやつ。
永遠に拝することなど出来んではないか」
み「決めつけるな!」
婆「まぁ、良い。
それでは、次に行きますぞ。
そちらのお人。
ずいぶん静かじゃが、大丈夫か?」
律「あ、すみません。
やっぱり、この臭いが」
↑恐山の画像ではありません(たぶん)。
婆「毒にあてられたかの」
み「そんなタマじゃおまへんぜ」
婆「お主には聞いておらんわ。
ハンカチを口にあてなされ」
↑猿の頭上の手みたいなのは、煙のようです。姿勢を低くしてハンカチを口にあてるという講義(もちろん、相手は幼稚園児です)。
婆「ガスが溜まってるところもありますでな」
み「わたしのお腹です」
婆「お主も少しは毒にあたらんか」
み「ガイドの言うことか」
婆「ほれ、着きましたぞ」
み「なんか、この景色……。
どこかで見たことがあり申す」
婆「『賽の河原』じゃ」
み「やっぱりー」
婆「親に先立って他界した子供が……。
償いのため小石を積み続ける場所じゃな」
↑修善寺にある『伊豆極楽苑』の展示。幼くして死んだ子が、なんでこんなに丸々と太ってるんですかね?
婆「積み石を完成させると、成仏できると云われておる」
み「でも、あれでしょ。
鬼が来て、崩すんでしょ?」
婆「そうじゃ」
↑救いがないですね。
み「どうしてそういうことしますかね。
地獄に落ちますよ」
婆「鬼は地獄の住人じゃ」
み「それで思い出した」
婆「また脱線か?」
み「祖父ちゃんの葬儀のとき……。
火葬場で、焼きあがりを祖母ちゃんと待ってたの。
そしたら、祖母が懐から熨斗袋を出して、こう言ったわけ」
み「『あの鬼に渡して来てくれ』。
はぁ?、と思いましたよ。
もちろん、鬼なんかどこにもいません。
連れ合いを亡くして、頭が狂ったのかと思った」
律「どういうこと?」
み「祖母の出身地では……。
火葬場の職員を、『鬼』と呼ぶらしいんだ。
火葬場は町営だったから、公務員の『鬼』ですな」
↑『火夫(かふ)』と云うようです。
律「なんか、土俗的な臭いがするわね。
新潟らしい」
み「祖母の出身地は、新潟ではないわ。
栃木県じゃ。
昔は、土葬だった土地柄でね」
み「わたしは一度、母の代参で、祖母の実家の葬儀に出て来たことがある。
山間の部落で、駅から延々とバスに乗ってたどり着いた。
今でも覚えてるけど、バス料金が990円だった。
1000円札を両替して、10円しか手元に残らなかったよ」
↑未だに、これで手間取ってる人がいます。運賃を差し引いたお釣りが出てくると思ってるようです。
律「ほんと、どうしてそんなことだけ覚えてるかしらね。
ケチなんだから」
み「それだけ覚えてるわけではないわ。
お墓が、山の斜面にあったのよ」
↑こんな感じ。拝借画像です。こちらは東北地方みたいですね。
み「雪が残っててね。
フォーマルのパンプスが滑って恐ろしかった」
↑これは楽そうです。
み「ま、わたしが行ったときはさすがに火葬だったんだけど……。
お墓でのしきたりに、土葬時代の名残りを感じたね」
律「どんな?」
み「お墓の林立する中に、ちょっと開けたところがあって……。
土饅頭みたいに土が盛られてるわけ」
み「そこを、参列者が数珠つなぎになって、ぐるぐる回るのよ。
なんか、先祖からの血のつながりみたいなものを感じたよ。
胸が熱くなった」
↑これは胸焼け。
律「殊勝なこと言うじゃないの」
み「これがわたしの真の姿です」
律「そうは思えません」
み「やかまし。
とにかく、狭い斜面でね。
一緒に参列してたおじいさんが教えてくれたんだけど……。
亡骸を横たえては埋められなかったんだって。
だからみんな、樽みたいなのに入って、膝を抱えて埋まってるんだってよ」
み「なんかさ。
それ聞いたら、頭にイメージが浮かんじゃって。
先祖たちが、山の斜面にずらっと並んで……。
体育座りして、同じ方向を見てるのよ」
律「ちょっと、シュールね」
み「だしょー?
なんか、イースター島のモアイ像を連想してしまった」
律「ほんと、連想が突飛なんだから」
婆「そろそろ、説明に移って良いかな」
律「あ、すみません。
また脱線してましたよね」
婆「慣れたようじゃ」
み「ほー、なかなか適応力があるではないか」
婆「ここが、語りの“サワリ”じゃでな」
み「おー。
その“サワリ”は、『おっパブ』のことではあるまいな?」
婆「なんじゃそれは?」
み「『おさわりパブ』のことじゃ。
早い話、女の子の上半身に触り放題の店じゃな」
婆「そんな店が、どこにあるんじゃ?」
み「遙か西方の浄土よ」
↑『九品仏浄真寺(世田谷区)』の『お面かぶり』。信者が臨終の夕べ、阿弥陀さまが二十五の菩薩さまを従えて西方浄土よりお迎えに来るという浄土真宗の教えを行事にしたもの。
婆「浄土にそんなものがあるか!」
み「ここから遙か西方にある、東京とかってことじゃ」
↑こういう店構えのようです。
み「新潟でも、そんな店は聞いたことがないわい。
あ、そうそう」
↑脱線の兆候。
み「西方といえば、最近、気づいたんだけどね。
日本列島の形。
東京のあたりで、曲がってますでしょ。
逆“く”の字に」
律「今に始まったことじゃないじゃない」
み「極端に云うと、東京から東北方面は、北に上がってて……」
み「東京から九州方面は、西に伸びてるわけよ」
律「それがどうかしたの?」
み「早い話」
婆「ちっとも早くないではないか」
み「適応せい!
東北新幹線に乗ると、どんどん北に向かうわけだ。
どんどん寒い地域に行くわけよ。
でも東海道山陽新幹線に乗ると、西に向かうわけだ。
思ったほど、暖かくならない」
律「話が見えないわね」
み「例えば、サクラの咲く季節。
博多から新幹線に乗って、東京に向かっても……。
サクラの開花状況は、ほとんど変わらないんじゃないかな」
律「かも知れないわね。
東京なんか、九州より早かったりするから」
み「だしょ。
ところが、東北新幹線に乗って北に向かったら……。
開花状況は、ぜんぜん違ってるんじゃないの?
東京が散ってしまったころに乗ったら……」
み「列車が進むにつれて、どんどんサクラの花びらが枝に戻ってきて……。
仙台あたりで満開になり、岩手で咲き始め、青森では蕾とかさ」
み「まるで、映像を逆回転するみたいに、季節が戻っていく感じがするんじゃないかな」
律「なるほど。
新幹線は速いから、いっそうそんな感じがするかもね」
み「いつか乗ってみたいな。
その季節の東北新幹線。
4月の中旬くらいかな」
↑遠い目
婆「さて。
よろしいか」
み「おー、待たせたの」
婆「何を偉そうに」
み「次はどこじゃ?」
婆「まだ、ここの説明をしておらんがな」
み「見ればわかりますよ。
『賽の河原』であんしょ」
み「説明も、さっき聞きましたがな。
親に先立って亡くなった子供が、償いのために小石を積むわけでしょ。
でも、イケズな鬼が、その石を崩すわけだ。
納得いきませんな」
婆「何がじゃ?」
み「子供は、自ら死を選んだわけじゃないじゃないの。
死にたくなんかなかったはずですよ。
なんで、死んでまでそんな報いを受けなければならないわけ?」
婆「反抗的じゃな」
婆「親不孝の罪は、それだけ重いということじゃ」
み「だから、本人に責任はないじゃないすか。
そもそも、少年法で罰せられないはず」
婆「地獄に少年法があるか」
み「だいたいやねー」
↑髪型がまともなら、いい男だったんじゃないでしょうか?
婆「なんでいきなり、竹村健一になるんじゃ。
古すぎじゃろ」
↑タモリによる、竹村健一のマネ。
み「それじゃさ。
最近はやりの、虐待はどうなのよ?」
み「虐待で子を殺してしまう親がいるわけよ。
するってえと、なんですか。
親に殺された子も……。
親不孝ってことで、ここで石積みをせにゃならんのですか?」
婆「そういう子は、地蔵菩薩さまがお救いになるわ」
↑『恐山菩提寺』の地蔵菩薩。
み「そしたら、どういう子が石積みするわけ?
親不孝の罪があるとしたら、自殺くらいでしょ。
学校にもあがらないような子が、自殺なんかしますか?」
婆「〽これはこの世のことならず
〽死出の山路の裾野なる
〽さいの河原の物語
〽聞くにつけても哀れなり
〽この世に生まれし甲斐もなく
〽親に先立つありさまは
〽諸事の哀れをとどめたり」
み「いきなりなんじゃ?、そりゃ」
婆「『地蔵和讃』の出だしじゃがな」
↑なんと、CDがありました。
婆「ここが話の“サワリ”じゃと言っとったではないか」
み「これを聞かせようという魂胆だったか。
道理で引っ張ると思った。
じゃ、これで気が済んだであろう。
次に行くぞ」
婆「『地蔵和讃』は、まだまだ延々と続く」
み「ケッコーです。
これって、誰かのギャグだったっけ?」
↑この人じゃないですよね。
律「知らないわよ」
み「ま、タダのガイドの祝儀じゃな。
3番までなら歌ってもよし。
許可する」
婆「いらんわ。
語る相手を間違えたわい」
み「〽間違いはあのとき生まれたっ」
婆「ええい、昭和の歌を歌うな!」
み「お主はさっき、金井克子を歌ったではないか」
婆「“振り”だけじゃ」
婆「まぁ、いい。
それなら、かいつまんで説明してやるわ」
み「これ以上、何を説明するんじゃ?」
婆「『賽の河原』のほんとうの意味に決まっておる」
み「こんな悲惨な話に、意味なんかあるかいな」
婆「あるんじゃ!
良いか。
当たり前のことじゃが、『賽の河原』の説話は……。
生きている人間のためにある。
すなわち、子を失い、嘆き悲しむ親のためにじゃ」
み「救いがなさすぎでしょ。
死んだ子が、河原で石を積んでる話なんて」
婆「なぜ、石を積まねばならん?」
み「早死にして、親不孝したからってんでしょ?
好きで死んだわけじゃないのに。
しかも、石を積みあげて成仏しようとすると……。
鬼が来て、蹴り倒すわけだ」
み「終わりがないじゃないの。
いつまで石を積み続けるわけ?」
婆「石を積むのは、親を悲しませた罰じゃ。
すなわち、親が悲しみ続け、子の死から立ち直れん限り……。
子供は、石を積み続けなければならん」
↑『正観寺(徳島県牟岐町)』の地獄巡り。
み「ひどい話ですじゃ」
婆「逆に考えてみなされ。
親が、我が子の死を受け止め……。
新しい一歩を踏み出したとき、子は石を積みあげることが出来る。
地蔵菩薩さまの暖かい衣に包まれることができるのじゃ。
わかるか?
すなわち、この教えの主旨はこうじゃ。
子供の死を嘆き悲しむ自分から立ち直れない限り……。
死んだ子は、河原で石を積み続けなければならん。
死んだ子は、どれほど嘆いても、もう戻らない。
それなら、一刻も早く、地蔵菩薩さまの元に送ってやるのが親の努めである。
そのためには、おまえが立ち直り、自分の足で歩き出すしかないのじゃぞ」
婆「これが、『賽の河原』のほんとうの意味じゃ」
み「ほー。
語りたがるのがわかりますな。
これこそが、“サワリ”ってことですな」
婆「この意味を聞いて、涙を流す人もおられる。
ぽかーんとしておるのは、お主くらいじゃ」
み「それじゃ、悲しまない親はどうなんすか?
虐待とかで子供を殺した親」
婆「親が悲しまないのなら、子に罪はない。
すなわち、河原で石を積む必要はなく……。
即座に地蔵菩薩さまに救われる」
婆「殺した親はもちろん、無間地獄行きじゃ」
婆「わかったか。
それじゃ、次に行くぞ」
み「その前に補足」
↑これは蛇足。
婆「なんじゃ?」
み「“サワリ”についてである」
婆「それがどうかしたのか?
聞かせどころということではないか」
み「おー、さすがに、亀の甲より年の功」
み「よう知っておるな。
義太夫節なんかでは、“クドキ”とも呼ばれる」
↑義太夫節は、人形浄瑠璃の語りとして成立した三味線音楽です。創始者は、竹本義太夫(1651~1714)。
み「歌謡曲では、“サビ”とも云うな」
婆「それがどうしたんじゃ?」
み「ところが現在では、そういう意味に解してない者がはなはだ多い」
律「それ、聞いたことがあるわ。
最初の部分が、“サワリ”だと思ってる人が多いってことでしょ」
↑やっぱり、「おさわり」からの連想でしょうね。
み「そうそう。
今では、6割の人がそう思ってるらしい」
婆「仕方あるまい。
言葉は生き物じゃ。
意味が転じていくのも、生きている証拠ではないか」
み「さすが、寿命が近いと達観しておるな」
婆「誰が寿命じゃ。
あと、50年は生きるわい」
み「欲張りすぎだろ。
130歳は」
婆「誰が80じゃ。
まだ、70になったばかりじゃ」
↑沢田研二(ジュリー)です。今年70歳。いい歳の取り方じゃないでしょうか。
み「大して違わんではないか」
婆「無礼者。
大違いじゃわ。
さて、次に行きますぞ」
み「どうも『無間地獄』に『賽の河原』と続いちゃ……。
辛気くさくて敵わん。
もうちょっと、ぱーっと愉快なところはないの?
『秘宝館』とか」
↑別府温泉『秘宝館』。なんと、館内写真撮影オッケーだそうです。『単独旅行記』なら、ここだけでそうとう引っ張れます。
婆「恐山にそんなものがあるか!
しかし、地獄があれば、極楽もある。
こっちじゃ」
律「まぁー。
綺麗な湖ですね」
婆「『宇曾利山湖』じゃ。
そしてこの白い砂浜を『極楽浜』と云う」
み「典型的なカルデラ湖ですな」
↑湖は、綺麗なハート型です。ハートの上の窪みに、霊場恐山があるわけです。
み「深さはどれくらい?」
婆「最深部で、23.5メートルじゃ」
み「カルデラ湖にしては、あんまり深くないすね。
流入河川がないのかな?」
婆「外輪山からは、数十本の河川が流れこんでおる。
流出河川は、正津川1本じゃ。
来るときに見んかったかな?
赤い太鼓橋が掛かっておったじゃろう」
↑橋下の杭みたいなのは、水力発電所があったころの導水柵だそうです。
み「三途の川か!」
律「ほんとに綺麗な水ですね」
婆「透明度は、13メートルある」
み「水が綺麗だと云うことは、生物が少ないということじゃな」
婆「ほー。
なかなか物知りではないか」
み「“水清ければ魚棲まず”と云うではないか」
↑餌を与えられる場所なら、清くてもいっこうにかまいません。
婆「なにしろ、PH3.5じゃでな」
↑お酢の一歩手前です。
み「強酸性ではないか。
やっぱり、硫化水素が出てるせいか?」
婆「湖底から噴き出ておる」
↑これが湖底で起こってるわけです。
婆「流れこむ沢にも、PH3以下の強酸性のものがあるしの。
流出河川が正津川1本ということもある」
↑太鼓橋のすぐ下流には、立派なコンクリート橋がかかってます。バスはこの橋を渡るのでしょう。
み「それでは、魚は棲めないであろう」
婆「ところがどっこい。
ウグイが住んでおる」
↑ウグイです。フツーの魚としか言いようがありません。
み「PH3.5にか!」
婆「左様じゃ。
世界中の魚類の中で、最も酸性度の強い湖に棲む魚と云われておる。
ここのウグイには、特殊な塩基細胞がエラにあることが研究によりわかっておる」
↑よーわかりません。
み「魚は、ウグイだけ?」
婆「然り。
これ、ただ1種じゃ」
み「すなわち、敵がいないということね」
婆「鳥にだけ気をつけてればええじゃろう」
↑宇曾利山湖を一周する遊歩道が整備されてます。周辺で確認される鳥類は、コチドリ、ツツドリ、ウグイス、コガラ、アオジ、ベニマシコ、ホオジロ、トビ、エナガ、ヒガラ、コゲラ、ゴジュウカラ、シジュウカラ、カッコウ、キビタキ、キジバト、カワウ、カイツブリ、アオサギ、イソシギ、マガモなど。
み「それじゃ、増えすぎるんじゃないの?
だって、卵を食べる魚がいないんでしょ?」
婆「産卵場所は、ここではない。
中性の流入河川に遡って行われる。
6月になると、沢を遡上する真っ黒な魚群で、川底が見えなくなるほどじゃ」
↑産卵期、オスは婚姻色を纏います。フーツーの魚じゃなくなるわけですね。
み「中性ということは、ほかの魚もいるわけね?」
婆「ニジマスやエゾイワナが生息しておるな」
↑ニジマスです。ほんとに虹色なんですね。
み「わざわざ、卵を食べる敵の多いところで産卵するわけね」
婆「それすなわち、長い年月をかけて、酸性に適応してきたという証しじゃな。
卵や小魚のうちは、まだ適応できないんじゃろ。
成長するに従い、特殊な塩基細胞がエラに増えていくわけじゃ」
み「でも、この強酸性の湖で、何を食べてるんだ?」
婆「ヤゴなどの水生昆虫や、プランクトン、プラナリアは確認されておる」
↑プラナリアは、どこで切れても1匹に再生します。まるごと食べてしまわないで、ちょっとずつ囓ってれば、永遠に餌には困らないですよね。ま、魚には無理でしょうが。
婆「食べ物がなければ、生きていけんわな。
決して豊富ではなかろうが。
食べ物より、敵がいない場所を選んだということじゃな」
律「湖の砂浜に、風車が回ってる風景って、不思議ですよね」
律「なんか、気持ちがしーんとする」
婆「まさに、『極楽浜』じゃな」
律「どうしてこんなに、砂が白いんですか?」
↑こんな風景、世界中でここだけでしょうね。
み「ひょっとして、骨でないの?」
律「また、そういうことを言う」
婆「湖水が強酸性ということと関係しているのかも知れんな」
み「漂白されたって?」
み「ほんまかいな。
これはぜひ、ブラタモリで来てもらわなくてはならんな」
婆「ま、いろいろと難しいじゃろうな。
ここには、切実な思いを抱いて来ておられる方も多いからの」
み「おー、いい東屋があるではないか」
律「ここだけ見ると、南国のビーチみたいね」
み「南国の白砂は、サンゴとかの死骸だよね」
↑西表島の“星の砂”。有孔虫の殻が堆積したものです。
み「てことはやっぱり、ここのも骨でないの?」
律「こんなところにサンゴがあるわけないでしょ」
み「人骨でがすよ」
律「なんでこんなところに人の骨があるわけ?」
み「散骨よ」
み「昔から、ここにはそういう風習があったんでないの?」
律「馬鹿馬鹿しい。
もしそうなら、もう少し大きなカケラがあってもいいはずよ」
律「砂粒しかないじゃないの」
↑実際の『極楽浜』の砂です。持ち帰り禁止の札が立ってるそうです(画像が見つかりませんでした)。
み「食うやつがおるんでごじゃるよ。
毎夜、ここに来て。
地獄をさまよう餓鬼ですな」
み「人骨を拾って食って、砂のうんこをする。
虚しいのぅ」
律「あんたの発想の方が、よっぽど虚しいわ。
綺麗な景色じゃないの」
み「確かに、この東屋でビールが飲めたら、ちょっといいかも知れん。
売りに来んかな?」
↑球場ビール売り子のピットイン。
律「来るわけないでしょ」
み「でも、トイレが遠すぎるわな」
↑間に合いません。
み「砂に掘ってやるか?」
律「猫じゃあるまいし」
↑トイレをしてるわけじゃないようです。
み「ここは、泳げるのけ?」
律「ダメに決まってるじゃないの。
PH3.5なんでしょ」
み「温泉だって、それくらいだろ」
↑『薬師の湯』の実測値。PH2.11!コーラがこのくらいのようです。
婆「泳ぐことは可能じゃろう。
しかし、顔は着けん方がいいな」
律「泳いでみれば?」
み「酸性だろうが、アルカリ性だろうが……。
わたしは、泳げんでな」
↑わたしは海賊じゃないので大丈夫。
み「ライフジャケットの貸し出しは、しておらんのか?」
婆「するかいな」
律「でもほんと、南国の浜辺みたいよね」
↑風車がシュールです。
み「夏だったら、サンダル脱いで浸したくなるだろうね。
あ、また思い出した」
律「脱線注意報発令」
み「ドラマのシーンで……。
男と女が、波打ち際を走る場面があるよね。
女性が、脱いだサンダルを片手に持ってさ」
み「それを、男性が追いかけてる。
〽誰もいない海
〽2人の愛を確かめたくって~
〽あなたの腕をすりぬけてみた~の」
↑南沙織『17才』。色が黒い!
婆「昭和の歌を歌うな!
しかも音痴じゃ」
↑わたしが2次会に行かないのは、この流れを恐れるからです。
ずっとここにいなさいよ」
み「酒のないところには長居せん主義じゃ。
しかし、無限って、ヒドすぎませんか?」
↑この記号は、無限大を表すようです(習った記憶なし)。
み「恩赦とかないわけね?」
↑『感謝祭(11月第4木曜日)』前に恩赦を受ける七面鳥(感謝祭の定番料理は『七面鳥の丸焼き』)。4600万羽中の1羽だそうです。
婆「文字は、有限無限の無限ではないぞ。
“げん”の漢字は、“間(あいだ)”を当てる」
み「どういう意味になるわけ?」
婆「間断が無いという意味の“無間(むげん)”じゃ。
ひっきりなしに苦しみに襲われるわけじゃな」
み「救いがおへんがな。
有限会社にまけてくれ」
婆「有限会社は、廃止された。
新しく設立することはできん」
↑うちと取引がある有限会社は、みーんな有限会社のまんまです。
み「なんでそんなことまで知ってるんじゃ?」
婆「わしのせがれは、司法書士じゃでな。
さて、次に行きますぞ」
↓現在位置は、このあたり。
婆「ここが、慈覚大師を祭る『大師堂』じゃ」
み「ここですか?」
婆「不満か?」
み「しかし、あーた。
仮にも、ここの開祖でしょ?」
婆「仮にもとはなんじゃ!」
み「“堂”って云っても、スカスカの吹きっさらしですがな。
しかも、『無間地獄』のお隣。
ガラガラの岩場の真っ只中ですよ」
婆「慈覚大師さまは、常に苦しむ罪人に寄り添っておられるということじゃ」
み「助けないわけ?」
↑お釈迦様の気まぐれとしか思えません。
婆「罪は罪じゃでな」
み「そんなもんですか」
婆「この裏に、『大師説法之地の碑』があるが、見るか?」
み「こんなとこで、誰に説法したんです?」
↑湯郷温泉(岡山県美作市)にある『円仁法師像』。西国巡礼中の円仁が、白鷺が足の傷を癒しているのを見て、発見したとか。
婆「信者に決まっておる」
み「ほんまですか?
昔は、バスもないわけでしょ。
さっきの、うねうねの山道を延々と登ってくるしかおまへんで」
↑恐山へ続く山道。
婆「当たり前じゃ。
大師のおられたころはもちろんじゃが……。
戦前までは、みんなそうやって登ってきたんじゃ」
↑映画『砂の器』の1シーンです。
み「信仰とは、恐ろしいものですな。
おや?
今も歩いて登ってくる人がいるんでないの?
草鞋がくくりつけてあるぞ」
婆「これは、亡き人が無事にあの世へ旅立てるよう、お供えした草履じゃ」
み「道理で、すり切れてませんな」
婆「表の売店で売っておる」
み「おいくらで?」
婆「わら草履が、600円。
白緒の草履が、800円じゃ」
み「風車の2倍ですな。
これで、『恐山』の焼き印でも入ってれば買うのじゃが。
これじゃ、どこで買ったかわからんではないか。
『網走刑務所』じゃ、刻印入りの雪駄を売っておったぞ」
↑もちろん買って帰りました。母には呆れられ、玄関に出すことを固く禁じられたので、ベランダの水やりに使いました。水には強くないようで、ほどなくバラバラになりました。
婆「刑務所と一緒にするでないわ。
土産に持ち帰る草履ではなく、お供えする草履じゃ」
み「まさか、ここから外して、売店に戻してませんよね?」
婆「つくずく、失敬なやつじゃな。
どうするんじゃ?
『大師説法之地の碑』、見んのか?
ほれ、あそこに見えておる」
み「そんなら、それでいいや。
省略~」
婆「すな!」
み「わたしはまだ、その碑の前に立つ準備が出来ておりません。
修業を積んだ後、拝することにいたします」
↑ほぼ、打たせ湯ですね。これならやってみてもいいです(ただし夏)。
婆「口八丁なやつ。
永遠に拝することなど出来んではないか」
み「決めつけるな!」
婆「まぁ、良い。
それでは、次に行きますぞ。
そちらのお人。
ずいぶん静かじゃが、大丈夫か?」
律「あ、すみません。
やっぱり、この臭いが」
↑恐山の画像ではありません(たぶん)。
婆「毒にあてられたかの」
み「そんなタマじゃおまへんぜ」
婆「お主には聞いておらんわ。
ハンカチを口にあてなされ」
↑猿の頭上の手みたいなのは、煙のようです。姿勢を低くしてハンカチを口にあてるという講義(もちろん、相手は幼稚園児です)。
婆「ガスが溜まってるところもありますでな」
み「わたしのお腹です」
婆「お主も少しは毒にあたらんか」
み「ガイドの言うことか」
婆「ほれ、着きましたぞ」
み「なんか、この景色……。
どこかで見たことがあり申す」
婆「『賽の河原』じゃ」
み「やっぱりー」
婆「親に先立って他界した子供が……。
償いのため小石を積み続ける場所じゃな」
↑修善寺にある『伊豆極楽苑』の展示。幼くして死んだ子が、なんでこんなに丸々と太ってるんですかね?
婆「積み石を完成させると、成仏できると云われておる」
み「でも、あれでしょ。
鬼が来て、崩すんでしょ?」
婆「そうじゃ」
↑救いがないですね。
み「どうしてそういうことしますかね。
地獄に落ちますよ」
婆「鬼は地獄の住人じゃ」
み「それで思い出した」
婆「また脱線か?」
み「祖父ちゃんの葬儀のとき……。
火葬場で、焼きあがりを祖母ちゃんと待ってたの。
そしたら、祖母が懐から熨斗袋を出して、こう言ったわけ」
み「『あの鬼に渡して来てくれ』。
はぁ?、と思いましたよ。
もちろん、鬼なんかどこにもいません。
連れ合いを亡くして、頭が狂ったのかと思った」
律「どういうこと?」
み「祖母の出身地では……。
火葬場の職員を、『鬼』と呼ぶらしいんだ。
火葬場は町営だったから、公務員の『鬼』ですな」
↑『火夫(かふ)』と云うようです。
律「なんか、土俗的な臭いがするわね。
新潟らしい」
み「祖母の出身地は、新潟ではないわ。
栃木県じゃ。
昔は、土葬だった土地柄でね」
み「わたしは一度、母の代参で、祖母の実家の葬儀に出て来たことがある。
山間の部落で、駅から延々とバスに乗ってたどり着いた。
今でも覚えてるけど、バス料金が990円だった。
1000円札を両替して、10円しか手元に残らなかったよ」
↑未だに、これで手間取ってる人がいます。運賃を差し引いたお釣りが出てくると思ってるようです。
律「ほんと、どうしてそんなことだけ覚えてるかしらね。
ケチなんだから」
み「それだけ覚えてるわけではないわ。
お墓が、山の斜面にあったのよ」
↑こんな感じ。拝借画像です。こちらは東北地方みたいですね。
み「雪が残っててね。
フォーマルのパンプスが滑って恐ろしかった」
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↑これは楽そうです。
み「ま、わたしが行ったときはさすがに火葬だったんだけど……。
お墓でのしきたりに、土葬時代の名残りを感じたね」
律「どんな?」
み「お墓の林立する中に、ちょっと開けたところがあって……。
土饅頭みたいに土が盛られてるわけ」
み「そこを、参列者が数珠つなぎになって、ぐるぐる回るのよ。
なんか、先祖からの血のつながりみたいなものを感じたよ。
胸が熱くなった」
↑これは胸焼け。
律「殊勝なこと言うじゃないの」
み「これがわたしの真の姿です」
律「そうは思えません」
み「やかまし。
とにかく、狭い斜面でね。
一緒に参列してたおじいさんが教えてくれたんだけど……。
亡骸を横たえては埋められなかったんだって。
だからみんな、樽みたいなのに入って、膝を抱えて埋まってるんだってよ」
み「なんかさ。
それ聞いたら、頭にイメージが浮かんじゃって。
先祖たちが、山の斜面にずらっと並んで……。
体育座りして、同じ方向を見てるのよ」
律「ちょっと、シュールね」
み「だしょー?
なんか、イースター島のモアイ像を連想してしまった」
律「ほんと、連想が突飛なんだから」
婆「そろそろ、説明に移って良いかな」
律「あ、すみません。
また脱線してましたよね」
婆「慣れたようじゃ」
み「ほー、なかなか適応力があるではないか」
婆「ここが、語りの“サワリ”じゃでな」
み「おー。
その“サワリ”は、『おっパブ』のことではあるまいな?」
婆「なんじゃそれは?」
み「『おさわりパブ』のことじゃ。
早い話、女の子の上半身に触り放題の店じゃな」
婆「そんな店が、どこにあるんじゃ?」
み「遙か西方の浄土よ」
↑『九品仏浄真寺(世田谷区)』の『お面かぶり』。信者が臨終の夕べ、阿弥陀さまが二十五の菩薩さまを従えて西方浄土よりお迎えに来るという浄土真宗の教えを行事にしたもの。
婆「浄土にそんなものがあるか!」
み「ここから遙か西方にある、東京とかってことじゃ」
↑こういう店構えのようです。
み「新潟でも、そんな店は聞いたことがないわい。
あ、そうそう」
↑脱線の兆候。
み「西方といえば、最近、気づいたんだけどね。
日本列島の形。
東京のあたりで、曲がってますでしょ。
逆“く”の字に」
律「今に始まったことじゃないじゃない」
み「極端に云うと、東京から東北方面は、北に上がってて……」
み「東京から九州方面は、西に伸びてるわけよ」
律「それがどうかしたの?」
み「早い話」
婆「ちっとも早くないではないか」
み「適応せい!
東北新幹線に乗ると、どんどん北に向かうわけだ。
どんどん寒い地域に行くわけよ。
でも東海道山陽新幹線に乗ると、西に向かうわけだ。
思ったほど、暖かくならない」
律「話が見えないわね」
み「例えば、サクラの咲く季節。
博多から新幹線に乗って、東京に向かっても……。
サクラの開花状況は、ほとんど変わらないんじゃないかな」
律「かも知れないわね。
東京なんか、九州より早かったりするから」
み「だしょ。
ところが、東北新幹線に乗って北に向かったら……。
開花状況は、ぜんぜん違ってるんじゃないの?
東京が散ってしまったころに乗ったら……」
み「列車が進むにつれて、どんどんサクラの花びらが枝に戻ってきて……。
仙台あたりで満開になり、岩手で咲き始め、青森では蕾とかさ」
み「まるで、映像を逆回転するみたいに、季節が戻っていく感じがするんじゃないかな」
律「なるほど。
新幹線は速いから、いっそうそんな感じがするかもね」
み「いつか乗ってみたいな。
その季節の東北新幹線。
4月の中旬くらいかな」
↑遠い目
婆「さて。
よろしいか」
み「おー、待たせたの」
婆「何を偉そうに」
み「次はどこじゃ?」
婆「まだ、ここの説明をしておらんがな」
み「見ればわかりますよ。
『賽の河原』であんしょ」
み「説明も、さっき聞きましたがな。
親に先立って亡くなった子供が、償いのために小石を積むわけでしょ。
でも、イケズな鬼が、その石を崩すわけだ。
納得いきませんな」
婆「何がじゃ?」
み「子供は、自ら死を選んだわけじゃないじゃないの。
死にたくなんかなかったはずですよ。
なんで、死んでまでそんな報いを受けなければならないわけ?」
婆「反抗的じゃな」
婆「親不孝の罪は、それだけ重いということじゃ」
み「だから、本人に責任はないじゃないすか。
そもそも、少年法で罰せられないはず」
婆「地獄に少年法があるか」
み「だいたいやねー」
↑髪型がまともなら、いい男だったんじゃないでしょうか?
婆「なんでいきなり、竹村健一になるんじゃ。
古すぎじゃろ」
↑タモリによる、竹村健一のマネ。
み「それじゃさ。
最近はやりの、虐待はどうなのよ?」
み「虐待で子を殺してしまう親がいるわけよ。
するってえと、なんですか。
親に殺された子も……。
親不孝ってことで、ここで石積みをせにゃならんのですか?」
婆「そういう子は、地蔵菩薩さまがお救いになるわ」
↑『恐山菩提寺』の地蔵菩薩。
み「そしたら、どういう子が石積みするわけ?
親不孝の罪があるとしたら、自殺くらいでしょ。
学校にもあがらないような子が、自殺なんかしますか?」
婆「〽これはこの世のことならず
〽死出の山路の裾野なる
〽さいの河原の物語
〽聞くにつけても哀れなり
〽この世に生まれし甲斐もなく
〽親に先立つありさまは
〽諸事の哀れをとどめたり」
み「いきなりなんじゃ?、そりゃ」
婆「『地蔵和讃』の出だしじゃがな」
賽の河原地蔵和讃/善光寺和讃詠歌 [旧節御詠歌保存研讃会] |
↑なんと、CDがありました。
婆「ここが話の“サワリ”じゃと言っとったではないか」
み「これを聞かせようという魂胆だったか。
道理で引っ張ると思った。
じゃ、これで気が済んだであろう。
次に行くぞ」
婆「『地蔵和讃』は、まだまだ延々と続く」
み「ケッコーです。
これって、誰かのギャグだったっけ?」
↑この人じゃないですよね。
律「知らないわよ」
み「ま、タダのガイドの祝儀じゃな。
3番までなら歌ってもよし。
許可する」
婆「いらんわ。
語る相手を間違えたわい」
み「〽間違いはあのとき生まれたっ」
婆「ええい、昭和の歌を歌うな!」
み「お主はさっき、金井克子を歌ったではないか」
婆「“振り”だけじゃ」
婆「まぁ、いい。
それなら、かいつまんで説明してやるわ」
み「これ以上、何を説明するんじゃ?」
婆「『賽の河原』のほんとうの意味に決まっておる」
み「こんな悲惨な話に、意味なんかあるかいな」
婆「あるんじゃ!
良いか。
当たり前のことじゃが、『賽の河原』の説話は……。
生きている人間のためにある。
すなわち、子を失い、嘆き悲しむ親のためにじゃ」
み「救いがなさすぎでしょ。
死んだ子が、河原で石を積んでる話なんて」
婆「なぜ、石を積まねばならん?」
み「早死にして、親不孝したからってんでしょ?
好きで死んだわけじゃないのに。
しかも、石を積みあげて成仏しようとすると……。
鬼が来て、蹴り倒すわけだ」
み「終わりがないじゃないの。
いつまで石を積み続けるわけ?」
婆「石を積むのは、親を悲しませた罰じゃ。
すなわち、親が悲しみ続け、子の死から立ち直れん限り……。
子供は、石を積み続けなければならん」
↑『正観寺(徳島県牟岐町)』の地獄巡り。
み「ひどい話ですじゃ」
婆「逆に考えてみなされ。
親が、我が子の死を受け止め……。
新しい一歩を踏み出したとき、子は石を積みあげることが出来る。
地蔵菩薩さまの暖かい衣に包まれることができるのじゃ。
わかるか?
すなわち、この教えの主旨はこうじゃ。
子供の死を嘆き悲しむ自分から立ち直れない限り……。
死んだ子は、河原で石を積み続けなければならん。
死んだ子は、どれほど嘆いても、もう戻らない。
それなら、一刻も早く、地蔵菩薩さまの元に送ってやるのが親の努めである。
そのためには、おまえが立ち直り、自分の足で歩き出すしかないのじゃぞ」
婆「これが、『賽の河原』のほんとうの意味じゃ」
み「ほー。
語りたがるのがわかりますな。
これこそが、“サワリ”ってことですな」
婆「この意味を聞いて、涙を流す人もおられる。
ぽかーんとしておるのは、お主くらいじゃ」
み「それじゃ、悲しまない親はどうなんすか?
虐待とかで子供を殺した親」
婆「親が悲しまないのなら、子に罪はない。
すなわち、河原で石を積む必要はなく……。
即座に地蔵菩薩さまに救われる」
婆「殺した親はもちろん、無間地獄行きじゃ」
婆「わかったか。
それじゃ、次に行くぞ」
み「その前に補足」
↑これは蛇足。
婆「なんじゃ?」
み「“サワリ”についてである」
婆「それがどうかしたのか?
聞かせどころということではないか」
み「おー、さすがに、亀の甲より年の功」
み「よう知っておるな。
義太夫節なんかでは、“クドキ”とも呼ばれる」
↑義太夫節は、人形浄瑠璃の語りとして成立した三味線音楽です。創始者は、竹本義太夫(1651~1714)。
み「歌謡曲では、“サビ”とも云うな」
婆「それがどうしたんじゃ?」
み「ところが現在では、そういう意味に解してない者がはなはだ多い」
律「それ、聞いたことがあるわ。
最初の部分が、“サワリ”だと思ってる人が多いってことでしょ」
↑やっぱり、「おさわり」からの連想でしょうね。
み「そうそう。
今では、6割の人がそう思ってるらしい」
婆「仕方あるまい。
言葉は生き物じゃ。
意味が転じていくのも、生きている証拠ではないか」
み「さすが、寿命が近いと達観しておるな」
婆「誰が寿命じゃ。
あと、50年は生きるわい」
み「欲張りすぎだろ。
130歳は」
婆「誰が80じゃ。
まだ、70になったばかりじゃ」
↑沢田研二(ジュリー)です。今年70歳。いい歳の取り方じゃないでしょうか。
み「大して違わんではないか」
婆「無礼者。
大違いじゃわ。
さて、次に行きますぞ」
み「どうも『無間地獄』に『賽の河原』と続いちゃ……。
辛気くさくて敵わん。
もうちょっと、ぱーっと愉快なところはないの?
『秘宝館』とか」
↑別府温泉『秘宝館』。なんと、館内写真撮影オッケーだそうです。『単独旅行記』なら、ここだけでそうとう引っ張れます。
婆「恐山にそんなものがあるか!
しかし、地獄があれば、極楽もある。
こっちじゃ」
律「まぁー。
綺麗な湖ですね」
婆「『宇曾利山湖』じゃ。
そしてこの白い砂浜を『極楽浜』と云う」
み「典型的なカルデラ湖ですな」
↑湖は、綺麗なハート型です。ハートの上の窪みに、霊場恐山があるわけです。
み「深さはどれくらい?」
婆「最深部で、23.5メートルじゃ」
み「カルデラ湖にしては、あんまり深くないすね。
流入河川がないのかな?」
婆「外輪山からは、数十本の河川が流れこんでおる。
流出河川は、正津川1本じゃ。
来るときに見んかったかな?
赤い太鼓橋が掛かっておったじゃろう」
↑橋下の杭みたいなのは、水力発電所があったころの導水柵だそうです。
み「三途の川か!」
律「ほんとに綺麗な水ですね」
婆「透明度は、13メートルある」
み「水が綺麗だと云うことは、生物が少ないということじゃな」
婆「ほー。
なかなか物知りではないか」
み「“水清ければ魚棲まず”と云うではないか」
↑餌を与えられる場所なら、清くてもいっこうにかまいません。
婆「なにしろ、PH3.5じゃでな」
↑お酢の一歩手前です。
み「強酸性ではないか。
やっぱり、硫化水素が出てるせいか?」
婆「湖底から噴き出ておる」
↑これが湖底で起こってるわけです。
婆「流れこむ沢にも、PH3以下の強酸性のものがあるしの。
流出河川が正津川1本ということもある」
↑太鼓橋のすぐ下流には、立派なコンクリート橋がかかってます。バスはこの橋を渡るのでしょう。
み「それでは、魚は棲めないであろう」
婆「ところがどっこい。
ウグイが住んでおる」
↑ウグイです。フツーの魚としか言いようがありません。
み「PH3.5にか!」
婆「左様じゃ。
世界中の魚類の中で、最も酸性度の強い湖に棲む魚と云われておる。
ここのウグイには、特殊な塩基細胞がエラにあることが研究によりわかっておる」
↑よーわかりません。
み「魚は、ウグイだけ?」
婆「然り。
これ、ただ1種じゃ」
み「すなわち、敵がいないということね」
婆「鳥にだけ気をつけてればええじゃろう」
↑宇曾利山湖を一周する遊歩道が整備されてます。周辺で確認される鳥類は、コチドリ、ツツドリ、ウグイス、コガラ、アオジ、ベニマシコ、ホオジロ、トビ、エナガ、ヒガラ、コゲラ、ゴジュウカラ、シジュウカラ、カッコウ、キビタキ、キジバト、カワウ、カイツブリ、アオサギ、イソシギ、マガモなど。
み「それじゃ、増えすぎるんじゃないの?
だって、卵を食べる魚がいないんでしょ?」
婆「産卵場所は、ここではない。
中性の流入河川に遡って行われる。
6月になると、沢を遡上する真っ黒な魚群で、川底が見えなくなるほどじゃ」
↑産卵期、オスは婚姻色を纏います。フーツーの魚じゃなくなるわけですね。
み「中性ということは、ほかの魚もいるわけね?」
婆「ニジマスやエゾイワナが生息しておるな」
↑ニジマスです。ほんとに虹色なんですね。
み「わざわざ、卵を食べる敵の多いところで産卵するわけね」
婆「それすなわち、長い年月をかけて、酸性に適応してきたという証しじゃな。
卵や小魚のうちは、まだ適応できないんじゃろ。
成長するに従い、特殊な塩基細胞がエラに増えていくわけじゃ」
み「でも、この強酸性の湖で、何を食べてるんだ?」
婆「ヤゴなどの水生昆虫や、プランクトン、プラナリアは確認されておる」
↑プラナリアは、どこで切れても1匹に再生します。まるごと食べてしまわないで、ちょっとずつ囓ってれば、永遠に餌には困らないですよね。ま、魚には無理でしょうが。
婆「食べ物がなければ、生きていけんわな。
決して豊富ではなかろうが。
食べ物より、敵がいない場所を選んだということじゃな」
律「湖の砂浜に、風車が回ってる風景って、不思議ですよね」
律「なんか、気持ちがしーんとする」
婆「まさに、『極楽浜』じゃな」
律「どうしてこんなに、砂が白いんですか?」
↑こんな風景、世界中でここだけでしょうね。
み「ひょっとして、骨でないの?」
律「また、そういうことを言う」
婆「湖水が強酸性ということと関係しているのかも知れんな」
み「漂白されたって?」
み「ほんまかいな。
これはぜひ、ブラタモリで来てもらわなくてはならんな」
婆「ま、いろいろと難しいじゃろうな。
ここには、切実な思いを抱いて来ておられる方も多いからの」
み「おー、いい東屋があるではないか」
律「ここだけ見ると、南国のビーチみたいね」
み「南国の白砂は、サンゴとかの死骸だよね」
↑西表島の“星の砂”。有孔虫の殻が堆積したものです。
み「てことはやっぱり、ここのも骨でないの?」
律「こんなところにサンゴがあるわけないでしょ」
み「人骨でがすよ」
律「なんでこんなところに人の骨があるわけ?」
み「散骨よ」
み「昔から、ここにはそういう風習があったんでないの?」
律「馬鹿馬鹿しい。
もしそうなら、もう少し大きなカケラがあってもいいはずよ」
成人骨格分離模型 ケース入り |
律「砂粒しかないじゃないの」
↑実際の『極楽浜』の砂です。持ち帰り禁止の札が立ってるそうです(画像が見つかりませんでした)。
み「食うやつがおるんでごじゃるよ。
毎夜、ここに来て。
地獄をさまよう餓鬼ですな」
み「人骨を拾って食って、砂のうんこをする。
虚しいのぅ」
律「あんたの発想の方が、よっぽど虚しいわ。
綺麗な景色じゃないの」
み「確かに、この東屋でビールが飲めたら、ちょっといいかも知れん。
売りに来んかな?」
↑球場ビール売り子のピットイン。
律「来るわけないでしょ」
み「でも、トイレが遠すぎるわな」
↑間に合いません。
み「砂に掘ってやるか?」
律「猫じゃあるまいし」
↑トイレをしてるわけじゃないようです。
み「ここは、泳げるのけ?」
律「ダメに決まってるじゃないの。
PH3.5なんでしょ」
み「温泉だって、それくらいだろ」
↑『薬師の湯』の実測値。PH2.11!コーラがこのくらいのようです。
婆「泳ぐことは可能じゃろう。
しかし、顔は着けん方がいいな」
律「泳いでみれば?」
み「酸性だろうが、アルカリ性だろうが……。
わたしは、泳げんでな」
↑わたしは海賊じゃないので大丈夫。
み「ライフジャケットの貸し出しは、しておらんのか?」
婆「するかいな」
律「でもほんと、南国の浜辺みたいよね」
↑風車がシュールです。
み「夏だったら、サンダル脱いで浸したくなるだろうね。
あ、また思い出した」
律「脱線注意報発令」
み「ドラマのシーンで……。
男と女が、波打ち際を走る場面があるよね。
女性が、脱いだサンダルを片手に持ってさ」
み「それを、男性が追いかけてる。
〽誰もいない海
〽2人の愛を確かめたくって~
〽あなたの腕をすりぬけてみた~の」
↑南沙織『17才』。色が黒い!
婆「昭和の歌を歌うな!
しかも音痴じゃ」
↑わたしが2次会に行かないのは、この流れを恐れるからです。