2018.4.7(土)
み「なんじゃ、そのポーズは?」
婆「知らんのか?
金井克子の『他人の関係』の振り付けじゃ」
み「昭和の話をすな!」
婆「お主だって、どっぷり昭和じゃろ。
ほれ、行きますぞ」
み「ちょい待て。
両側にある、掘っ立て小屋は、なんじゃ?」
↑3人は「現在位置」のあたりにいます。
婆「湯小屋じゃがな」
み「ひょっとして、温泉か?」
婆「ひょっとしなくてもそうじゃ。
左手前にあるのが、『古滝の湯』。
男湯じゃ。
左奥が、『冷抜(ひえ)の湯』。
こちらは、女湯」
↑ネットでは、男湯・女湯が逆になった情報もあります。不定期で変わってるのかも?
婆「右にあるのが、『薬師の湯』」
み「待て!
男湯と女湯があって、さらにもうひとつあると云うことは……。
混浴じゃな!」
↑ペリー艦隊の『日本遠征記』の挿絵。下田にあった公衆浴場だそうです。ペリー提督は、混浴文化に仰天したとか。
婆「目の色を変えるでないわ。
『薬師の湯』は、男女交代制じゃ」
み「なんじゃ、つまらん」
婆「しかし!
温泉はもうひとつあるぞい」
み「3つしか見えんぞ」
婆「もうひとつは、右手の宿坊の裏手に……。
ぽつんと、離れて建っておる」
み「皆まで言うな!
そこは、間違いなく、混浴じゃな?」
↑1975(昭和50)年の『谷地(やち)温泉(青森県十和田市)』。この密着状況はスゴいです。
婆「そんなに混浴に入りたいか?」
み「入るとは言っておらん。
純真な興味があるだけじゃ」
み「混浴なら……。
わたしが扉を開けても、咎められることはないわけじゃろ?」
婆「そうじゃな」
み「そしたらそこに、素っ裸の殿方がおっても……」
み「わたしは痴漢ではないと云うことではないか」
↑『逢夜雁之声(おうよかりのこえ)』の挿絵(画・歌川豊国)。
婆「頭の中身は、立派な痴漢ではないか。
しかしまぁ、壮年の殿方が入ってる確率は……。
甚だ低いじゃろうな」
み「壮年じゃないと云うことは……。
萎びておるということか?」
婆「何が萎びておるのじゃ?」
み「わかっとるくせに。
ぷぷ」
婆「このおなご、何とかならんか。
そばにおるだけで、罰が当たりそうじゃ」
律「すみませんね。
ほんとに、一度、雷にでも撃たれればいいんだわ」
み「一度撃たれたら、それっきりではないか。
ところで、この温泉の入湯料は、いくらなんじゃ?」
婆「無料じゃ」
み「にゃんとー。
混浴もか?」
婆「左様」
み「萎びたもの、見放題じゃな」
婆「そんなもん、そんなに見たいか?」
み「もちろん、萎びてない方、希望じゃ」
み「しかし、昔はみんな、混浴だったんじゃないのか?」
婆「もちろん、そうじゃろうな。
しかし、昔は……。
男は褌、女は湯文字を着けて入ったそうじゃ。
菅江真澄が随筆に書いておる」
み「おー、マスミン」
↑マスミンこと、菅江真澄です。
み「こんなところまで来ておったのか!」
婆「誰のことを言ってるのか、わかっておるのか?
江戸時代の人じゃぞ」
み「知っとるわい。
湯文字ってのは、腰巻きみたいなもんだよな」
み「そんなのを着けてたんじゃ、身体を洗えないではないか」
婆「ここは、身体を洗うために入る湯ではない。
身を清めるための湯じゃ。
じゃから、お山(『恐山』)に来て、湯に入らない者はおらんかったんじゃ」
み「今も?」
婆「今は、入る人間の方が希れじゃな」
み「うーむ。
タダというのに、大いに惹かれる」
婆「萎びたのにも惹かれるんじゃろ?」
み「あくまで、萎びてない方、希望じゃ」
婆「タオルは持っておるのか?」
み「タオルハンカチなら持っておるが?」
↑結局、高校時代が全盛期だったという選手は、少なからずいるものです。
婆「それで全身を拭くのは難しかろう」
み「備え付けてないのけ?」
婆「タダなんじゃぞ。
そんなものが備え付けてあるわけないわ」
み「うーむ。
入るのは難しいか。
でも、中がどうなってるか、見てみたいもんだな。
女湯なら、咎めもなかろ?
確か、こっちじゃったな?」
婆「わざと間違えておるじゃろ。
そっちは『古滝の湯』で男湯じゃ。
女湯は向こうに見える『冷抜(ひえ)の湯』じゃ」
み「あ、右側のは、男女交代制だったな」
婆「『薬師の湯』はそうじゃ」
み「今はどっちかな?
お、『男湯』と出てるぞ」
み「『男湯』の時間ではないか。
しかし……。
何時から何時までが、『男湯』なんじゃ?」
婆「わからん」
み「なんでわからんのじゃ!
ガイドじゃろ」
実は、これについて、ネットで調べてみたんですが……。
どこにも情報がないのです。
時間制なのか、日にちによるのかわかりませんが……。
そうしたものを書いた貼り紙のようなものは、おそらく、どこにも無いんじゃないでしょうか。
つまり、湯小屋の入口に、『男湯』『女湯』のいずれかの札が掲げられてるだけではないかと。
時間制にすると……。
時間オーバーして入ってる人がいたりして、トラブルが起こりかねません。
特に年寄りは、時間なんてあんまり気にしませんからね。
日替わりにしたら、『薬師の湯』に入れない日に当たってしまうこともあるわけです。
思うに……。
お寺の人が、誰も入っていないときに、札を付け替えているんじゃないでしょうか?
つまり、ある程度の目安はあるものの、厳密な時間制にはなっていない。
だから、あえて公表もしていないんじゃないでしょうか。
婆「ここに『男湯』と掲げてあれば男湯で……。
『女湯』とあれば、女湯じゃ」
み「いい加減な。
入ってる途中で掛け替えられたらマズいではないか」
婆「誰もいないときに、替えてるんじゃろ」
み「あの札は、ひょっとして……。
裏返すと『女湯』になるんじゃないのか?」
↑特命係のです。裏返すと赤字(外出)になります。
婆「何か、悪いことを考えておるじゃろ」
み「あれを『女湯』に裏返して入ったら……。
中に殿方がいても、言い訳が出来るではないか」
婆「確かに、そういう不届き者がおらんとも限らん。
裏返し方式ではないはずじゃ」
み「ほんまかー。
ちょっと見てくるかな」
律「いい加減にしなさい。
ほんと、子供より手間がかかるんだから」
婆「それじゃ、行きますぞ」
律「どうしたのよ」
み「今、あの窓に、人影が見えた」
み「裸の背中じゃった」
婆「湯小屋の中なんじゃから、裸で当然じゃろ」
み「窓の外を誰か通ったら、見られ放題ではないか。
露出狂か?」
婆「恐山温泉では、窓を開けて入らなければならん」
み「なんでじゃー。
露出狂温泉ではないか」
婆「アホなことを言うでないわ。
硫黄泉じゃからじゃ。
入浴中は、換気しなければならんのじゃ」
み「なるほど。
恐山で成仏してしまっては、洒落にならん。
しかし、堂々と露出できるとは……。
恐山は、露出狂の天国じゃな」
婆「後で、いくらでも入りなされ」
み「わたしが露出狂だと言いたいのか?」
婆「そうじゃないのか?」
み「見るのは好むが、見られるのは好まぬ」
婆「ただの痴漢ではないか」
み「やかまし」
婆「ほれ、行きますぞ」
婆「目の前に見えるのが、『地蔵堂本殿』じゃ」
婆「ご本尊の地蔵菩薩がおわしまする」
み「見れるの?」
婆「ダメじゃ」
↑特別にご紹介。衣を着たお地蔵さまです。左に「掌善童子像(仏心を育てる)」、右に「掌悪童子像(煩悩を滅ぼす)」。
み「案外、ケチじゃの」
律「地蔵菩薩って、どういう仏様なんですか?」
婆「こういう質問を待っておった。
サンスクリット語では『クシティガルバ』と云う」
↑クシティガルバ像(チベット製)。日本の地蔵菩薩とは、だいぶ違います。
婆「“クシティ”は大地、“ガルバ”は胎内、子宮の意味で……。
意訳して『地蔵』としておる」
↑意訳とは、原文の一語一語にこだわらず、全体の意味をとって翻訳すること。
み「おー。
地蔵の“蔵”は、内臓の“蔵”だったのか!
ホルモン菩薩じゃな」
↑美味しいんですが、臭いがねー。噛み切れないし。
婆「罰あたりめ。
大地が、全ての命を育む力を蔵するように……。
苦悩する人々を、その無限の大慈悲の心で包みこみ、救うところから名付けられたとされておる」
↑興福寺『木造地蔵菩薩立像(重要文化財)』。
み「内臓で包むわけね。
ソーセージじゃな」
↑翌朝トイレで、これと同じものを見るんじゃないでしょうか。
婆「無視して進める。
日本における民間信仰では、道祖神としての性格を持つ。
道端におわしますじゃろ。
一般に、親しみを込めて“お地蔵さま”と呼ばれておる。
婆「これ以上知りたければ、自分で勉強しなされ」
み「ま、それは端折りましょう」
↑歌川広重『大はしあたけの夕立』の一部。雨に濡れないよう、着物の裾を折って帯に挟むことを“端折る”と云いました。
み「ところで、この恐山は、いつごろ開かれたわけ?」
婆「開山は貞観4年と伝えられる。
西暦862年じゃ。
平安時代初期じゃな」
↑平安時代は、江戸時代よりずっと長かったんですね。
婆「恐山の開祖は、最澄の弟子、円仁と伝えられる」
↑鶴竜?
婆「最澄は、知っておるな?」
み「さいちょう秀樹?」
婆「馬鹿たれ。
天台宗の開祖、伝教大師さまじゃ」
婆「比叡山延暦寺を開かれた」
婆「円仁は、比叡山で最澄から直接教えを受けた弟子じゃ。
のちに、第3代天台座主になられておる。
諡号は、慈覚大師」
み「痔核?
イボ痔だったのか?」
↑AV出演の奥さまに、たまにいらっしゃいます。
婆「黙って、聞かっしゃれ!
円仁は、下野国の豪族の子に生まれた」
↑今の栃木県です。
婆「兄からは儒学を勧められたが……。
早くから仏教に心を寄せ、9歳で、大慈寺に入って修業を始めた」
↑大慈寺は、栃木県栃木市に今もあります。本堂が最近落成したようです。
律「9歳で、自分からお寺に入ったんですか?」
婆「そういうことじゃ」
み「あり得ん。
豪族の子なら、遊んで暮らせたろうに」
婆「歴史に名を残す偉人の行いを……。
自分らと同じ目線で考えてはいけませんぞ。
15歳のとき、唐より最澄が帰国して比叡山延暦寺を開いたと聞くと……。
直ちに比叡山に向かい、最澄に師事した」
↑甲子園でおなじみの『比叡山高校』。延暦寺の経営です。
婆「円仁は、学問と修行に専心し、師の最澄から深く愛された。
最澄が、『止観(しかん)』という高度な概念を学ばせた弟子は、10人おったが……」
婆「最澄の代講を任せられるようになったのは、円仁ひとりじゃった」
み「ちょっと、端折ってくれませんか」
↑端折り方。
婆「忙しないやつ。
仕方がない。
それじゃ、遣唐使船で、唐へ渡る場面から語るか」
み「浪曲師か!」
↑東大出だそうです。
み「もう少しあと!」
婆「最初に渡航を試みたときで、すでに円仁、42歳じゃぞ」
み「80くらいから」
婆「亡くなっておるわ、バカもんが。
とにかく、2度の渡航失敗にもくじけず、ようやく3度目に唐に渡った」
↑こんな船に、150人も乗ってたそうです。成功率は、50%くらいだったとも。
婆「最初に渡航を試みてから2年後、円仁、44歳のおりじゃ。
以来、まったく中国語が話せないというレベルから、約10年間に渡り修業を積んだ。
中国は、とにかく広い」
婆「当然のことながら、当時は、どこへ行くにも自分の足で歩くほかはない。
五台山への巡礼には、58日間かけて、1,270キロを歩きとおした」
律「1日、どれくらい歩いたんですか?」
婆「40㎞は、平気で歩いたそうじゃ」
律「えー。
マラソンと同じくらいじゃないですか」
婆「しかも、毎日じゃぞ」
み「足が磨り減って、半分くらいになってしまうわ」
↑ギリシャの『マラトン』という都市が、“マラソン”の語源です。『マラトン』での戦勝を伝える伝令が『アテネ』までを走り抜き、「われら勝てり」と告げて息絶えたそうです。その距離が、42.195㎞。
婆「1日40㎞を、歩いて移動するということに驚くのは……。
今は、ほかに移動手段があるからじゃ。
当時は歩くしかないのじゃから、選択肢はない。
何の疑問もなく、歩いたはずじゃ」
婆「で、修業も深まったある日のこと。
円仁は、夢を見た。
夢告と云うやつじゃ」
↑これは、夢告とは違いますね。
婆「神仏が夢に現れ……。
直接言葉で意志を伝え、指示を与えるんじゃな」
み「仙人か?」
婆「なんで仙人なんじゃ?
仙人は道教じゃろ」
み「荒川静香が、夢で仙人に教えを受けた」
律「なんでここで、荒川静香が出てくるのよ?」
婆「聞いたことないぞ」
み「トリノオリンピックで金メダルを取る前のことじゃ。
荒川選手は、信州は伊那市のリンクで特訓を重ねていた」
↑わたしは、1度だけ行ったことがあります。市街地を流れる天竜川が見事でした。
み「しかし、なかなか自分の目指す滑りが出来ない」
み「鬱々として眠りに就いたある夜。
リンクで滑っている夢を見た。
リンクは、霧に包まれていた。
昼間の滑り同様、上手く滑れない夢じゃった。
夢の中でも苦闘する荒川選手は……。
霧の中から、近づいてくる人影を見た」
↑これは、ブロッケン現象です。
み「人影は、スケート靴を履いて滑らかに滑ってきた。
ようやく、顔が確認できるところまでやってきたとき……。
荒川選手は、その場で固まってしまった。
人影は、白髪の老人じゃったんじゃ。
しかもその老人は、オレンジ色のチュチュを纏っておった」
婆「変態の話か?」
み「黙って聞かっしゃれ!
凝固する荒川選手の前で老人は、スケート靴を左右180度に開くと……。
両腕を上げ、大きく背を反らせた」
み「信じられないほど美しいポーズじゃった。
老人は、そのポーズのまま、再び霧の中に消えて行った」
律「ちょっと、それって……」
み「黙らっしゃい!
我に帰った荒川選手は、夢の中ですぐさまそのポーズを真似てみた。
観客の喝采が聞こえた。
これで理想の滑りが出来る!
その後、特訓により技を我が物とした荒川選手は……。
伊那で啓示を受けたその技に、『イナバウアー』という名を付けた」
み「その後、この技に磨きをかけ、トリノオリンピックで金メダルを取ったわけじゃ」
み「日本選手のトリノでのメダルは、この荒川選手の金メダル、たった1個だったんじゃからな」
み「彼女はまさしく、日本人にとって、女神となった」
↑左はアメリカ、右はロシアの選手。荒川の長身(166センチ)が際立ちます。
み「どうじゃ」
↓金メダルを獲った、荒川静香のフリーの演技をどうぞ。
婆「そのヨタと、円仁に何の関係があるのじゃ?」
み「夢のお告げじゃろ。
荒川選手の場合は、仙人じゃったが」
婆「変態の老人じゃないのか?」
↑『亀仙人(ドラゴンボール)』です。
み「失敬な!」
婆「よく恥ずかしげもなく、長々とヨタ話が出来るもんじゃ。
そもそも、『イナバウアー』というのは……。
信州の伊那とはまったく関係がないわ」
み「じゃ、何だと言うんじゃ?」
婆「人名ではないか。
体操でも、新しい技には、それを初めて行った選手の名前が付く。
昭和30年代前半に活躍した西ドイツの女子選手に……。
イナ・バウアーがいた」
↑美人ですね。
婆「彼女が開発した技だから、彼女の名前が付いたのじゃ」
み「ぎょぎょ。
なんで、そんなに詳しいんじゃ。
不自然ではないか」
婆「何が不自然じゃ。
ここ青森は、スケートも盛んなんじゃ。
かくいうわたしも、昔はスケート選手じゃった」
み「なに!
まさか、フィギュアではあるまいな。
それは、絶対に許されんぞ。
想像だにしたくないわ」
婆「なんで頭を振っておるんじゃ?」
み「想像した瞬間、脳が爆発してしまう」
↑映画『スキャナーズ』。
み「必死に振り払ってるんではないか」
婆「安心せい。
わたしは、スピードスケートじゃ」
み「まさか、あのぴったりしたユニフォームを着てたんじゃあるまいな」
婆「悪いか」
み「悪い!
あー、想像してしまいそうじゃ」
婆「首を振るな、馬鹿者。
おぬしが、いかに人の話を聞いてないか如実にわかるわい。
さっき、おぬしがイタコのフィギュアがどうのとか言ったときに……」
婆「わたしはスケートなどせんと言っておいたではないか。
わたしが詳しいのは、姪がやってたからじゃ」
み「たばかりおって」
婆「詳しいついでに言うが……。
イナバウアーというのは、背を反らせる技ではない。
足技じゃ」
み「そこまで知っておるのか!」
婆「ボランティアガイドを舐めるでない」
み「関係おまへんがな」
婆「イナバウアーというのは……。
脚を前後に開き、前脚は膝を曲げ、爪先を外に向ける。
後ろ脚は真っ直ぐ伸ばし、これも爪先を外に向ける。
スケートのブレードは180度反対を向き、平行となる。
これによって、真横に滑れるわけじゃ。
イナバウアーとは、こういう技じゃ」
↑これが、本来のイナバウアーです。
み「さて、次に行きますかな」
婆「円仁の話が終わってないわ」
み「まだする気きゃ」
婆「おぬしが、まったく関係のないヨタをかましたからじゃろ。
思いつきだけでしゃべるでない」
↑自分がしなくていい仕事だと、ほんとに好き勝手なことを言います。
み「それがわたしの信条じゃ」
婆「そんな信条があるか。
続けるぞ。
……。
どこまで話したか忘れたではないか!」
み「円仁の夢枕に、カメハメハ大王が立ったというところまでじゃろ」
↑『カメハメハ大王(1758~1819)』像。1810年、ハワイ諸島を統一してハワイ王国を建国し、初代国王となりました。
婆「なんじゃそりゃ?」
み「あ、亀仙人じゃったな。
でもって、円仁に『かめはめ波』を伝授した」
婆「デタラメを、こくな!
黙って聞かっしゃれ。
枕元に立った老翁は、円仁にこう告げた。
『汝、国に帰り、東方行程30余日の所に至れば霊山あり。地蔵大士一体を刻しその地に仏道を広めよ』」
み「ははぁ。
わかったでおます。
この夢の意味」
↑納得したとき、どうしてこの動作をするのでしょう?
婆「だから、夢告じゃ」
み「ちゃいまんがな。
早い話、里心がついたんでしょ。
ホームシックですよ。
日本に帰りたくなったんです」
↑朝、駅のホームで反対方向行きの電車が入ってくると、乗ってしまいたくなります(逆方向は、また空いてるのよ)。
み「でも、志願して遣唐使となり渡った身で、そんなことは言えない。
言うどころか、考えることさえ許されない。
おそらくは円仁自身も……。
自分が日本に帰りたがってるなんて、思ってなかったんじゃないかな。
その無意識下の願望が、夢告という夢になったわけよ」
婆「偉人の言動を、自分の身に引きつけて解釈してはならんと言うに」
み「ま、いいでしょう。
恐山を開いたわけだから、無事日本に帰り着いたわけよね」
婆「簡単には帰れんじゃった」
み「また、海難?」
婆「それ以前の問題じゃ。
唐朝に100度も帰国を願い出るが、すべて却下された」
み「なんでまた?」
婆「高僧となった円仁を手放したくなかったんじゃろう。
しかし、新たに即位した武宗が、道教に傾斜し……」
↑キョンシーは、道教の妖怪です。
婆「『会昌(かいしょう・当時の元号)の廃仏』という宗教弾圧を行った。
これによって、仏教の外国僧が追放されることとなったんじゃ」
婆「こうして、思いがけぬ形で帰国が叶うことになったのじゃ。
円仁、54歳のおりじゃ。
唐には結局、10年いたことになる」
み「船は、どうしたわけ?」
婆「新羅商人の貿易船に便乗させてもらったそうじゃ。
朝鮮半島沿岸を進みながらの90日間の船旅を経て、博多津に到着した。
小型ながら、高速で堅牢な新羅船に驚いたそうじゃ」
み「遣唐使船より、遙かにマシだったわけね。
なんか、今と逆ですな」
↑秋田に漂着した北朝鮮の漁船。こんなので冬の日本海に出るのは、死にに行くようなものです。
婆「帰国した円仁は、夢で告げられた霊山を探し歩いた。
苦労の末、恐山にたどり着いたといわれる」
↑かつては、『宇曾利山(うそりやま)』と呼ばれてました。“ウソリ”はアイヌ語で、入江や湾の意味があるそうです。
み「ま、唐に比べれば狭いでしょうがね。
それでも、博多に着いて、下北半島まで行ったわけね」
み「歩いたんでしょうな?」
婆「歩くほかに方法はない。
円仁が開山したり再興したりしたと伝わる寺は……。
関東に209寺、東北に331寺あるとされる。
浅草の浅草寺もそのひとつじゃ」
↑浅草寺『宝蔵門』。『雷門』から『仲見世』を通った奥にあります。
み「そりゃ、無茶でないの?
何歳で亡くなったんだっけ?」
婆「70歳じゃな」
み「帰国したのが、54歳でしょ。
ということは、16年。
えーと、関東の209と東北の331を足すと……。
540ですよ。
16で割ると、年間33.75。
一ヶ月に3つくらい寺を作った計算になるぞ。
どんなスーパーデベロッパーでも、無理でんがな」
↑バブル絶頂期の日本。ほんとに、24時間戦ってた人もいたかも知れません。
婆「ま、それが伝承というものじゃて。
偉い人が開いた寺となれば、箔が付くわけじゃでな」
み「早い話、恐山も“伝承”のひとつってことね」
婆「ほれ、次に行きますぞ。
日が暮れてしまうがな。
こんなに話が脱線する客は初めてじゃて」
↑脱線注意。
み「お褒めにあずかりまして」
婆「褒めとらんわ」
み「いよいよ参道から外れるわけね。
お、ますます臭いが増して来ましたな。
わたしのおならより強烈じゃわい」
律「あんたのは、臭いより音がスゴいのよ」
み「風圧もスゴいのじゃ。
もうすこし体重が軽かったら、身体が持ちあがってるかも知れん」
↑ほんとに、こんな感じのときがあります。
み「宇宙でやったら、銀河系の彼方に発射されてしまうじゃろう」
み「わたしの切れ痔は、たぶん、おならの威力で切れたんだと思う。
必殺かまいたちじゃ」
律「必殺って、自分が斬られたんじゃないの」
み「そういえば、宇宙服着ておならしたら、臭いんですかね?」
↑おならによる死亡事故(たぶん)。
律「知らないわよ」
婆「着きましたぞ」
み「なんじゃここは。
ひどい岩場ではないか」
律「色が変わってるわね」
婆「硫黄泉の湧出によるものじゃ」
婆「昔は、熱泉が噴きあがってたそうじゃ」
↑アイスランドの間欠泉、『ゲイシール』。迫力が違います。
律「どうして、風車が備えてあるんです?」
婆「恐山では、蝋燭も線香も御法度じゃ。
硫化水素が噴出しておるでな。
着火の恐れがある」
婆「花を備えても、火山ガスですぐに枯れてしまう。
そんなわけで、代わりに風車を備えるわけじゃ。
風車には、風向きを見るという役割もある」
婆「火山ガスの風下に立たないようにな」
み「火山ガスって、具体的な成分はなんなんすか?」
婆「二酸化硫黄じゃ。
別名、亜硫酸ガス。
恐山を参拝したさい、頭痛や倦怠感を覚える者がおる」
婆「これを、霊的現象と考える者がおるが……」
婆「大間違いじゃな」
↑これは、“大間”違い。
婆「有毒ガスによる、軽い中毒症状なんじゃ」
↑侮ってはいけません。ぜんそくの方は発作を起こす場合もあるそうです。
婆「特に、高齢者や身長の低い子供は要注意ですぞ」
み「ふむ。
ま、長く立ち止まるところではないことは確かですな」
律「この風車、どこかで売ってるんですか?」
婆「総門前の売店で売っておる」
↑『明寿屋(みょうじゅや)』さんです。
み「おいくら?」
婆「400円」
み「ほー。
ま、良心的と言えましょうな。
さて、次に行きましょう」
婆「おっと。
わしとしたことが。
ここの名称を言っておらんかったな」
み「名称なんてあるんすか?」
婆「万物にはすべて名前がある。
ここは、『無間地獄』と云う」
婆「生前に大きな罪を犯した者が、永遠の苦しみを受ける地獄じゃ」
婆「知らんのか?
金井克子の『他人の関係』の振り付けじゃ」
み「昭和の話をすな!」
婆「お主だって、どっぷり昭和じゃろ。
ほれ、行きますぞ」
み「ちょい待て。
両側にある、掘っ立て小屋は、なんじゃ?」
↑3人は「現在位置」のあたりにいます。
婆「湯小屋じゃがな」
み「ひょっとして、温泉か?」
婆「ひょっとしなくてもそうじゃ。
左手前にあるのが、『古滝の湯』。
男湯じゃ。
左奥が、『冷抜(ひえ)の湯』。
こちらは、女湯」
↑ネットでは、男湯・女湯が逆になった情報もあります。不定期で変わってるのかも?
婆「右にあるのが、『薬師の湯』」
み「待て!
男湯と女湯があって、さらにもうひとつあると云うことは……。
混浴じゃな!」
↑ペリー艦隊の『日本遠征記』の挿絵。下田にあった公衆浴場だそうです。ペリー提督は、混浴文化に仰天したとか。
婆「目の色を変えるでないわ。
『薬師の湯』は、男女交代制じゃ」
み「なんじゃ、つまらん」
婆「しかし!
温泉はもうひとつあるぞい」
み「3つしか見えんぞ」
婆「もうひとつは、右手の宿坊の裏手に……。
ぽつんと、離れて建っておる」
み「皆まで言うな!
そこは、間違いなく、混浴じゃな?」
↑1975(昭和50)年の『谷地(やち)温泉(青森県十和田市)』。この密着状況はスゴいです。
婆「そんなに混浴に入りたいか?」
み「入るとは言っておらん。
純真な興味があるだけじゃ」
み「混浴なら……。
わたしが扉を開けても、咎められることはないわけじゃろ?」
婆「そうじゃな」
み「そしたらそこに、素っ裸の殿方がおっても……」
み「わたしは痴漢ではないと云うことではないか」
↑『逢夜雁之声(おうよかりのこえ)』の挿絵(画・歌川豊国)。
婆「頭の中身は、立派な痴漢ではないか。
しかしまぁ、壮年の殿方が入ってる確率は……。
甚だ低いじゃろうな」
み「壮年じゃないと云うことは……。
萎びておるということか?」
婆「何が萎びておるのじゃ?」
み「わかっとるくせに。
ぷぷ」
婆「このおなご、何とかならんか。
そばにおるだけで、罰が当たりそうじゃ」
律「すみませんね。
ほんとに、一度、雷にでも撃たれればいいんだわ」
み「一度撃たれたら、それっきりではないか。
ところで、この温泉の入湯料は、いくらなんじゃ?」
婆「無料じゃ」
み「にゃんとー。
混浴もか?」
婆「左様」
み「萎びたもの、見放題じゃな」
婆「そんなもん、そんなに見たいか?」
み「もちろん、萎びてない方、希望じゃ」
み「しかし、昔はみんな、混浴だったんじゃないのか?」
婆「もちろん、そうじゃろうな。
しかし、昔は……。
男は褌、女は湯文字を着けて入ったそうじゃ。
菅江真澄が随筆に書いておる」
み「おー、マスミン」
↑マスミンこと、菅江真澄です。
み「こんなところまで来ておったのか!」
婆「誰のことを言ってるのか、わかっておるのか?
江戸時代の人じゃぞ」
み「知っとるわい。
湯文字ってのは、腰巻きみたいなもんだよな」
み「そんなのを着けてたんじゃ、身体を洗えないではないか」
婆「ここは、身体を洗うために入る湯ではない。
身を清めるための湯じゃ。
じゃから、お山(『恐山』)に来て、湯に入らない者はおらんかったんじゃ」
み「今も?」
婆「今は、入る人間の方が希れじゃな」
み「うーむ。
タダというのに、大いに惹かれる」
婆「萎びたのにも惹かれるんじゃろ?」
み「あくまで、萎びてない方、希望じゃ」
婆「タオルは持っておるのか?」
み「タオルハンカチなら持っておるが?」
↑結局、高校時代が全盛期だったという選手は、少なからずいるものです。
婆「それで全身を拭くのは難しかろう」
み「備え付けてないのけ?」
婆「タダなんじゃぞ。
そんなものが備え付けてあるわけないわ」
み「うーむ。
入るのは難しいか。
でも、中がどうなってるか、見てみたいもんだな。
女湯なら、咎めもなかろ?
確か、こっちじゃったな?」
婆「わざと間違えておるじゃろ。
そっちは『古滝の湯』で男湯じゃ。
女湯は向こうに見える『冷抜(ひえ)の湯』じゃ」
み「あ、右側のは、男女交代制だったな」
婆「『薬師の湯』はそうじゃ」
み「今はどっちかな?
お、『男湯』と出てるぞ」
み「『男湯』の時間ではないか。
しかし……。
何時から何時までが、『男湯』なんじゃ?」
婆「わからん」
み「なんでわからんのじゃ!
ガイドじゃろ」
実は、これについて、ネットで調べてみたんですが……。
どこにも情報がないのです。
時間制なのか、日にちによるのかわかりませんが……。
そうしたものを書いた貼り紙のようなものは、おそらく、どこにも無いんじゃないでしょうか。
つまり、湯小屋の入口に、『男湯』『女湯』のいずれかの札が掲げられてるだけではないかと。
時間制にすると……。
時間オーバーして入ってる人がいたりして、トラブルが起こりかねません。
特に年寄りは、時間なんてあんまり気にしませんからね。
日替わりにしたら、『薬師の湯』に入れない日に当たってしまうこともあるわけです。
思うに……。
お寺の人が、誰も入っていないときに、札を付け替えているんじゃないでしょうか?
つまり、ある程度の目安はあるものの、厳密な時間制にはなっていない。
だから、あえて公表もしていないんじゃないでしょうか。
婆「ここに『男湯』と掲げてあれば男湯で……。
『女湯』とあれば、女湯じゃ」
み「いい加減な。
入ってる途中で掛け替えられたらマズいではないか」
婆「誰もいないときに、替えてるんじゃろ」
み「あの札は、ひょっとして……。
裏返すと『女湯』になるんじゃないのか?」
↑特命係のです。裏返すと赤字(外出)になります。
婆「何か、悪いことを考えておるじゃろ」
み「あれを『女湯』に裏返して入ったら……。
中に殿方がいても、言い訳が出来るではないか」
婆「確かに、そういう不届き者がおらんとも限らん。
裏返し方式ではないはずじゃ」
み「ほんまかー。
ちょっと見てくるかな」
律「いい加減にしなさい。
ほんと、子供より手間がかかるんだから」
婆「それじゃ、行きますぞ」
律「どうしたのよ」
み「今、あの窓に、人影が見えた」
み「裸の背中じゃった」
婆「湯小屋の中なんじゃから、裸で当然じゃろ」
み「窓の外を誰か通ったら、見られ放題ではないか。
露出狂か?」
婆「恐山温泉では、窓を開けて入らなければならん」
み「なんでじゃー。
露出狂温泉ではないか」
婆「アホなことを言うでないわ。
硫黄泉じゃからじゃ。
入浴中は、換気しなければならんのじゃ」
み「なるほど。
恐山で成仏してしまっては、洒落にならん。
しかし、堂々と露出できるとは……。
恐山は、露出狂の天国じゃな」
婆「後で、いくらでも入りなされ」
み「わたしが露出狂だと言いたいのか?」
婆「そうじゃないのか?」
み「見るのは好むが、見られるのは好まぬ」
婆「ただの痴漢ではないか」
み「やかまし」
婆「ほれ、行きますぞ」
婆「目の前に見えるのが、『地蔵堂本殿』じゃ」
婆「ご本尊の地蔵菩薩がおわしまする」
み「見れるの?」
婆「ダメじゃ」
↑特別にご紹介。衣を着たお地蔵さまです。左に「掌善童子像(仏心を育てる)」、右に「掌悪童子像(煩悩を滅ぼす)」。
み「案外、ケチじゃの」
律「地蔵菩薩って、どういう仏様なんですか?」
婆「こういう質問を待っておった。
サンスクリット語では『クシティガルバ』と云う」
↑クシティガルバ像(チベット製)。日本の地蔵菩薩とは、だいぶ違います。
婆「“クシティ”は大地、“ガルバ”は胎内、子宮の意味で……。
意訳して『地蔵』としておる」
↑意訳とは、原文の一語一語にこだわらず、全体の意味をとって翻訳すること。
み「おー。
地蔵の“蔵”は、内臓の“蔵”だったのか!
ホルモン菩薩じゃな」
↑美味しいんですが、臭いがねー。噛み切れないし。
婆「罰あたりめ。
大地が、全ての命を育む力を蔵するように……。
苦悩する人々を、その無限の大慈悲の心で包みこみ、救うところから名付けられたとされておる」
↑興福寺『木造地蔵菩薩立像(重要文化財)』。
み「内臓で包むわけね。
ソーセージじゃな」
↑翌朝トイレで、これと同じものを見るんじゃないでしょうか。
婆「無視して進める。
日本における民間信仰では、道祖神としての性格を持つ。
道端におわしますじゃろ。
一般に、親しみを込めて“お地蔵さま”と呼ばれておる。
婆「これ以上知りたければ、自分で勉強しなされ」
み「ま、それは端折りましょう」
↑歌川広重『大はしあたけの夕立』の一部。雨に濡れないよう、着物の裾を折って帯に挟むことを“端折る”と云いました。
み「ところで、この恐山は、いつごろ開かれたわけ?」
婆「開山は貞観4年と伝えられる。
西暦862年じゃ。
平安時代初期じゃな」
↑平安時代は、江戸時代よりずっと長かったんですね。
婆「恐山の開祖は、最澄の弟子、円仁と伝えられる」
↑鶴竜?
婆「最澄は、知っておるな?」
み「さいちょう秀樹?」
婆「馬鹿たれ。
天台宗の開祖、伝教大師さまじゃ」
婆「比叡山延暦寺を開かれた」
婆「円仁は、比叡山で最澄から直接教えを受けた弟子じゃ。
のちに、第3代天台座主になられておる。
諡号は、慈覚大師」
み「痔核?
イボ痔だったのか?」
↑AV出演の奥さまに、たまにいらっしゃいます。
婆「黙って、聞かっしゃれ!
円仁は、下野国の豪族の子に生まれた」
↑今の栃木県です。
婆「兄からは儒学を勧められたが……。
早くから仏教に心を寄せ、9歳で、大慈寺に入って修業を始めた」
↑大慈寺は、栃木県栃木市に今もあります。本堂が最近落成したようです。
律「9歳で、自分からお寺に入ったんですか?」
婆「そういうことじゃ」
み「あり得ん。
豪族の子なら、遊んで暮らせたろうに」
婆「歴史に名を残す偉人の行いを……。
自分らと同じ目線で考えてはいけませんぞ。
15歳のとき、唐より最澄が帰国して比叡山延暦寺を開いたと聞くと……。
直ちに比叡山に向かい、最澄に師事した」
↑甲子園でおなじみの『比叡山高校』。延暦寺の経営です。
婆「円仁は、学問と修行に専心し、師の最澄から深く愛された。
最澄が、『止観(しかん)』という高度な概念を学ばせた弟子は、10人おったが……」
婆「最澄の代講を任せられるようになったのは、円仁ひとりじゃった」
み「ちょっと、端折ってくれませんか」
↑端折り方。
婆「忙しないやつ。
仕方がない。
それじゃ、遣唐使船で、唐へ渡る場面から語るか」
み「浪曲師か!」
↑東大出だそうです。
み「もう少しあと!」
婆「最初に渡航を試みたときで、すでに円仁、42歳じゃぞ」
み「80くらいから」
婆「亡くなっておるわ、バカもんが。
とにかく、2度の渡航失敗にもくじけず、ようやく3度目に唐に渡った」
↑こんな船に、150人も乗ってたそうです。成功率は、50%くらいだったとも。
婆「最初に渡航を試みてから2年後、円仁、44歳のおりじゃ。
以来、まったく中国語が話せないというレベルから、約10年間に渡り修業を積んだ。
中国は、とにかく広い」
婆「当然のことながら、当時は、どこへ行くにも自分の足で歩くほかはない。
五台山への巡礼には、58日間かけて、1,270キロを歩きとおした」
律「1日、どれくらい歩いたんですか?」
婆「40㎞は、平気で歩いたそうじゃ」
律「えー。
マラソンと同じくらいじゃないですか」
婆「しかも、毎日じゃぞ」
み「足が磨り減って、半分くらいになってしまうわ」
↑ギリシャの『マラトン』という都市が、“マラソン”の語源です。『マラトン』での戦勝を伝える伝令が『アテネ』までを走り抜き、「われら勝てり」と告げて息絶えたそうです。その距離が、42.195㎞。
婆「1日40㎞を、歩いて移動するということに驚くのは……。
今は、ほかに移動手段があるからじゃ。
当時は歩くしかないのじゃから、選択肢はない。
何の疑問もなく、歩いたはずじゃ」
婆「で、修業も深まったある日のこと。
円仁は、夢を見た。
夢告と云うやつじゃ」
↑これは、夢告とは違いますね。
婆「神仏が夢に現れ……。
直接言葉で意志を伝え、指示を与えるんじゃな」
み「仙人か?」
婆「なんで仙人なんじゃ?
仙人は道教じゃろ」
み「荒川静香が、夢で仙人に教えを受けた」
律「なんでここで、荒川静香が出てくるのよ?」
婆「聞いたことないぞ」
み「トリノオリンピックで金メダルを取る前のことじゃ。
荒川選手は、信州は伊那市のリンクで特訓を重ねていた」
↑わたしは、1度だけ行ったことがあります。市街地を流れる天竜川が見事でした。
み「しかし、なかなか自分の目指す滑りが出来ない」
み「鬱々として眠りに就いたある夜。
リンクで滑っている夢を見た。
リンクは、霧に包まれていた。
昼間の滑り同様、上手く滑れない夢じゃった。
夢の中でも苦闘する荒川選手は……。
霧の中から、近づいてくる人影を見た」
↑これは、ブロッケン現象です。
み「人影は、スケート靴を履いて滑らかに滑ってきた。
ようやく、顔が確認できるところまでやってきたとき……。
荒川選手は、その場で固まってしまった。
人影は、白髪の老人じゃったんじゃ。
しかもその老人は、オレンジ色のチュチュを纏っておった」
婆「変態の話か?」
み「黙って聞かっしゃれ!
凝固する荒川選手の前で老人は、スケート靴を左右180度に開くと……。
両腕を上げ、大きく背を反らせた」
み「信じられないほど美しいポーズじゃった。
老人は、そのポーズのまま、再び霧の中に消えて行った」
律「ちょっと、それって……」
み「黙らっしゃい!
我に帰った荒川選手は、夢の中ですぐさまそのポーズを真似てみた。
観客の喝采が聞こえた。
これで理想の滑りが出来る!
その後、特訓により技を我が物とした荒川選手は……。
伊那で啓示を受けたその技に、『イナバウアー』という名を付けた」
み「その後、この技に磨きをかけ、トリノオリンピックで金メダルを取ったわけじゃ」
み「日本選手のトリノでのメダルは、この荒川選手の金メダル、たった1個だったんじゃからな」
み「彼女はまさしく、日本人にとって、女神となった」
↑左はアメリカ、右はロシアの選手。荒川の長身(166センチ)が際立ちます。
み「どうじゃ」
↓金メダルを獲った、荒川静香のフリーの演技をどうぞ。
婆「そのヨタと、円仁に何の関係があるのじゃ?」
み「夢のお告げじゃろ。
荒川選手の場合は、仙人じゃったが」
婆「変態の老人じゃないのか?」
↑『亀仙人(ドラゴンボール)』です。
み「失敬な!」
婆「よく恥ずかしげもなく、長々とヨタ話が出来るもんじゃ。
そもそも、『イナバウアー』というのは……。
信州の伊那とはまったく関係がないわ」
み「じゃ、何だと言うんじゃ?」
婆「人名ではないか。
体操でも、新しい技には、それを初めて行った選手の名前が付く。
昭和30年代前半に活躍した西ドイツの女子選手に……。
イナ・バウアーがいた」
↑美人ですね。
婆「彼女が開発した技だから、彼女の名前が付いたのじゃ」
み「ぎょぎょ。
なんで、そんなに詳しいんじゃ。
不自然ではないか」
婆「何が不自然じゃ。
ここ青森は、スケートも盛んなんじゃ。
かくいうわたしも、昔はスケート選手じゃった」
み「なに!
まさか、フィギュアではあるまいな。
それは、絶対に許されんぞ。
想像だにしたくないわ」
婆「なんで頭を振っておるんじゃ?」
み「想像した瞬間、脳が爆発してしまう」
↑映画『スキャナーズ』。
み「必死に振り払ってるんではないか」
婆「安心せい。
わたしは、スピードスケートじゃ」
み「まさか、あのぴったりしたユニフォームを着てたんじゃあるまいな」
婆「悪いか」
み「悪い!
あー、想像してしまいそうじゃ」
婆「首を振るな、馬鹿者。
おぬしが、いかに人の話を聞いてないか如実にわかるわい。
さっき、おぬしがイタコのフィギュアがどうのとか言ったときに……」
婆「わたしはスケートなどせんと言っておいたではないか。
わたしが詳しいのは、姪がやってたからじゃ」
み「たばかりおって」
婆「詳しいついでに言うが……。
イナバウアーというのは、背を反らせる技ではない。
足技じゃ」
み「そこまで知っておるのか!」
婆「ボランティアガイドを舐めるでない」
み「関係おまへんがな」
婆「イナバウアーというのは……。
脚を前後に開き、前脚は膝を曲げ、爪先を外に向ける。
後ろ脚は真っ直ぐ伸ばし、これも爪先を外に向ける。
スケートのブレードは180度反対を向き、平行となる。
これによって、真横に滑れるわけじゃ。
イナバウアーとは、こういう技じゃ」
↑これが、本来のイナバウアーです。
み「さて、次に行きますかな」
婆「円仁の話が終わってないわ」
み「まだする気きゃ」
婆「おぬしが、まったく関係のないヨタをかましたからじゃろ。
思いつきだけでしゃべるでない」
上司は思いつきでものを言う(集英社新書)[橋本治] |
↑自分がしなくていい仕事だと、ほんとに好き勝手なことを言います。
み「それがわたしの信条じゃ」
婆「そんな信条があるか。
続けるぞ。
……。
どこまで話したか忘れたではないか!」
み「円仁の夢枕に、カメハメハ大王が立ったというところまでじゃろ」
↑『カメハメハ大王(1758~1819)』像。1810年、ハワイ諸島を統一してハワイ王国を建国し、初代国王となりました。
婆「なんじゃそりゃ?」
み「あ、亀仙人じゃったな。
でもって、円仁に『かめはめ波』を伝授した」
婆「デタラメを、こくな!
黙って聞かっしゃれ。
枕元に立った老翁は、円仁にこう告げた。
『汝、国に帰り、東方行程30余日の所に至れば霊山あり。地蔵大士一体を刻しその地に仏道を広めよ』」
み「ははぁ。
わかったでおます。
この夢の意味」
↑納得したとき、どうしてこの動作をするのでしょう?
婆「だから、夢告じゃ」
み「ちゃいまんがな。
早い話、里心がついたんでしょ。
ホームシックですよ。
日本に帰りたくなったんです」
↑朝、駅のホームで反対方向行きの電車が入ってくると、乗ってしまいたくなります(逆方向は、また空いてるのよ)。
み「でも、志願して遣唐使となり渡った身で、そんなことは言えない。
言うどころか、考えることさえ許されない。
おそらくは円仁自身も……。
自分が日本に帰りたがってるなんて、思ってなかったんじゃないかな。
その無意識下の願望が、夢告という夢になったわけよ」
婆「偉人の言動を、自分の身に引きつけて解釈してはならんと言うに」
み「ま、いいでしょう。
恐山を開いたわけだから、無事日本に帰り着いたわけよね」
婆「簡単には帰れんじゃった」
み「また、海難?」
婆「それ以前の問題じゃ。
唐朝に100度も帰国を願い出るが、すべて却下された」
み「なんでまた?」
婆「高僧となった円仁を手放したくなかったんじゃろう。
しかし、新たに即位した武宗が、道教に傾斜し……」
↑キョンシーは、道教の妖怪です。
婆「『会昌(かいしょう・当時の元号)の廃仏』という宗教弾圧を行った。
これによって、仏教の外国僧が追放されることとなったんじゃ」
婆「こうして、思いがけぬ形で帰国が叶うことになったのじゃ。
円仁、54歳のおりじゃ。
唐には結局、10年いたことになる」
み「船は、どうしたわけ?」
婆「新羅商人の貿易船に便乗させてもらったそうじゃ。
朝鮮半島沿岸を進みながらの90日間の船旅を経て、博多津に到着した。
小型ながら、高速で堅牢な新羅船に驚いたそうじゃ」
み「遣唐使船より、遙かにマシだったわけね。
なんか、今と逆ですな」
↑秋田に漂着した北朝鮮の漁船。こんなので冬の日本海に出るのは、死にに行くようなものです。
婆「帰国した円仁は、夢で告げられた霊山を探し歩いた。
苦労の末、恐山にたどり着いたといわれる」
↑かつては、『宇曾利山(うそりやま)』と呼ばれてました。“ウソリ”はアイヌ語で、入江や湾の意味があるそうです。
み「ま、唐に比べれば狭いでしょうがね。
それでも、博多に着いて、下北半島まで行ったわけね」
み「歩いたんでしょうな?」
婆「歩くほかに方法はない。
円仁が開山したり再興したりしたと伝わる寺は……。
関東に209寺、東北に331寺あるとされる。
浅草の浅草寺もそのひとつじゃ」
↑浅草寺『宝蔵門』。『雷門』から『仲見世』を通った奥にあります。
み「そりゃ、無茶でないの?
何歳で亡くなったんだっけ?」
婆「70歳じゃな」
み「帰国したのが、54歳でしょ。
ということは、16年。
えーと、関東の209と東北の331を足すと……。
540ですよ。
16で割ると、年間33.75。
一ヶ月に3つくらい寺を作った計算になるぞ。
どんなスーパーデベロッパーでも、無理でんがな」
↑バブル絶頂期の日本。ほんとに、24時間戦ってた人もいたかも知れません。
婆「ま、それが伝承というものじゃて。
偉い人が開いた寺となれば、箔が付くわけじゃでな」
み「早い話、恐山も“伝承”のひとつってことね」
婆「ほれ、次に行きますぞ。
日が暮れてしまうがな。
こんなに話が脱線する客は初めてじゃて」
↑脱線注意。
み「お褒めにあずかりまして」
婆「褒めとらんわ」
み「いよいよ参道から外れるわけね。
お、ますます臭いが増して来ましたな。
わたしのおならより強烈じゃわい」
律「あんたのは、臭いより音がスゴいのよ」
み「風圧もスゴいのじゃ。
もうすこし体重が軽かったら、身体が持ちあがってるかも知れん」
↑ほんとに、こんな感じのときがあります。
み「宇宙でやったら、銀河系の彼方に発射されてしまうじゃろう」
み「わたしの切れ痔は、たぶん、おならの威力で切れたんだと思う。
必殺かまいたちじゃ」
律「必殺って、自分が斬られたんじゃないの」
み「そういえば、宇宙服着ておならしたら、臭いんですかね?」
↑おならによる死亡事故(たぶん)。
律「知らないわよ」
婆「着きましたぞ」
み「なんじゃここは。
ひどい岩場ではないか」
律「色が変わってるわね」
婆「硫黄泉の湧出によるものじゃ」
婆「昔は、熱泉が噴きあがってたそうじゃ」
↑アイスランドの間欠泉、『ゲイシール』。迫力が違います。
律「どうして、風車が備えてあるんです?」
婆「恐山では、蝋燭も線香も御法度じゃ。
硫化水素が噴出しておるでな。
着火の恐れがある」
婆「花を備えても、火山ガスですぐに枯れてしまう。
そんなわけで、代わりに風車を備えるわけじゃ。
風車には、風向きを見るという役割もある」
婆「火山ガスの風下に立たないようにな」
み「火山ガスって、具体的な成分はなんなんすか?」
婆「二酸化硫黄じゃ。
別名、亜硫酸ガス。
恐山を参拝したさい、頭痛や倦怠感を覚える者がおる」
婆「これを、霊的現象と考える者がおるが……」
婆「大間違いじゃな」
↑これは、“大間”違い。
婆「有毒ガスによる、軽い中毒症状なんじゃ」
↑侮ってはいけません。ぜんそくの方は発作を起こす場合もあるそうです。
婆「特に、高齢者や身長の低い子供は要注意ですぞ」
み「ふむ。
ま、長く立ち止まるところではないことは確かですな」
律「この風車、どこかで売ってるんですか?」
婆「総門前の売店で売っておる」
↑『明寿屋(みょうじゅや)』さんです。
み「おいくら?」
婆「400円」
み「ほー。
ま、良心的と言えましょうな。
さて、次に行きましょう」
婆「おっと。
わしとしたことが。
ここの名称を言っておらんかったな」
み「名称なんてあるんすか?」
婆「万物にはすべて名前がある。
ここは、『無間地獄』と云う」
婆「生前に大きな罪を犯した者が、永遠の苦しみを受ける地獄じゃ」