2018.2.24(土)

↑「み」。
ホームの端っこまで行って、よその新幹線を撮りました。
東海道山陽新幹線だと思います。
撮影時刻、13:46分。

↑「み」
北陸新幹線です。
トカゲ顔が特徴の「E7系」です。
上越新幹線も、近い将来、この車両に入れ替わるそうです。
楽しみのひとつは、グランクラス。

↑ひとり掛けの座席は魅力です。
1度くらいは、乗ってみたいものです。
番線表示を見ると、22番線のようです。

↑「み」。
該当する北陸新幹線は、13:52分発『かがやき533号』金沢行きですね。
この写真の撮影時刻は、東海道山陽新幹線を撮った時刻と同じでした。
おそらく、北陸新幹線の先頭車両を撮るために、ホームの端っこまで行ったのでしょう。

↑「み」
これもほぼ同時刻、13:47分の撮影。
手前の線路は……。
乗車を諦めた13:40分発の『とき332号』が出たあとの23番線です。
↓時刻表の『東京駅』構内図を見ると、23番線の向こうは、14番線でした。

東海道山陽新幹線のホームです。
時刻表を調べたところ……。
14番線から出る新幹線は、14:03分発の『ひかり 475号』岡山行きのようです。
やっぱり、なんとなく垢抜けて見えますね。

↑「み」
『かがやき533号』の胴体部分。
シンボルマークは、「E7系」の“7”の文字をデザイン化したものだそうです。

↑「み」
電光掲示板に、わたしの乗る『Maxとき 325号』が表示されました。
まだ、先に2本あります。

↑「み」
『かがやき533号』をしつこく撮影。

↑「み」
グランクラスの窓かも知れません。
残念ながら、反射してまったく内部は写ってません。

↑「み」
グランクラスの乗車口です。

↑「み」
写真はたいがいにして、ホームに並びます。
なんと、1番先頭です。
こんなところに並んだことがないので、ちょっとドギマギします。
ここなら、いくらなんでも窓際に座れないことはありません。
グランクラスの乗降口の写真は、13:52分の撮影。
『かがやき533号』の発車時刻でした。
おそらく、『かがやき533号』を見送った後、すぐに所定位置に並んだのでしょう。
22番線からは、14:24分発の『はくたか 567号』が先発します。

↑北陸新幹線の愛称別停車駅。
もう列に並んでたので、この列車は撮影出来ませんでした。
出来ないことはないでしょうが、動けない状態では、望むアングルでは撮れません。
並んだ場所には「先発」と書いてありますから、『はくたか 567号』が出た後の撮影ですね。
撮影時刻は、14:27分になってました。

↑「み」
ついに、わたしの乗る『Maxとき 325号』が入ってきました。
撮影時刻は、14:30分。
折り返し運転でしょうから、まだ車内清掃が続いており、乗りこめません。
そう云えば、新幹線の清掃チームの働きぶりは、「奇跡の7分間」と呼ばれ、世界的に有名だそうです。
どこかの国のお偉いさんが新幹線車両の視察に来て、この清掃作業を目の当たりにして……。
「車両より、このシステムがほしい」と言ったとか。

↑「み」
乗りこみました。
この撮影角度からわかるように、2階の窓際です。
見晴らしは抜群。
1時間待った甲斐があったというものです。
でも、ひとつ驚いたことがあります。
わたしの後ろには、かなりの数の人が並んでたんですが……。
なんと、全員が席についても、まだ2階の窓際の席には空きがあったんです。
改めて『Maxとき』のキャパシティを実感しました。
「E4系」の定員は、1,634名(16両編成)。

↑「み」。8両編成が2つ繋がります。クリックすると、大きい画像が見られます。
高速車両としては世界最大の定員数を誇ります。

↑でも、1階は虐げられてますね。ほとんど地下です。
しかい、そんな大きなキャパが必要なのは……。
今は、盆と正月だけになってしまったのでしょう。
『Maxとき』の後釜となる「E7系」の定員は924人(12両編成)。

↑「み」。もちろん、2階はありません。クリックすると、大きい画像が見られます。
これに変わってからは、『上野駅』で並んだら……。
窓際どころか、座席に座れない恐れもあるでしょう。

↑「み」
発車しました。
さらば東京、また来る日まで。
わたしが健康で、また来年、来られますように。
そして東京が、北朝鮮のミサイルや東海地震で破壊されてませんように。

↑「み」
『上野駅』に着きました。
地下駅です。
当初、上越新幹線を『上野駅』に停車させる予定はなかったそうです。
あとから計画変更されたので、地上には場所がなかったんでしょうね。
東北、上越新幹線は、『上野駅』発着にこだわったんでしょうか。
意味ありませんよ。
『東京-上野』間は、わずか5分です。

↑「み」
まだ『大宮駅』の手前です。

↑「み」
これもまだ、『大宮駅』手前。
塔のように見えるのは何かなと思い、いろいろ調べたらやっとわかりました。
東京都北区志茂にある、東京都北清掃工場の煙突でした(参照)。
高さ、120メートル。
立派ですね。

↑「み」
まだ、『大宮駅』の手前です。
一瞬、スタジアムかと思いましたが……。
それにしては、細長い。
地図で確認したら、『東京外環自動車道』でした。

↑近未来的風景ですね。

↑「み」
どこの駅かわかりません。
まだ、『大宮駅』手前です。
撮影時刻は、15:01分。
発車21分後です。

↑「み」
新幹線同士のすれ違い。
ピンボケではありません。
高速なのでぶれてるのです。
車内の窓枠などは、ぶれてません。

↑「み」
『大宮駅』に停車するところだと思います。
都会ですね。
『さいたま市』の人口は、『広島市』を抜き、『京都市』に迫ります。
近い将来、逆転するんじゃないでしょうか。
『京都市』の人口は、年々減少してますから。

↑「み」
15:10分の撮影。
『大宮駅』を発車して、4分後です。
ところどころに鬱蒼たる林が残り、武蔵野の名残りを留めてます。

↑「み」
15:11分の撮影。
静かな郊外の住宅地といった感じ。

↑「み」
15:13分の撮影。
田んぼが見えてきました。
稲は、はっきりと確認できません。
田植えが終わったばかりのようです。
↓前日、行きの新幹線から撮った新潟平野の田んぼです。

↑「み」
撮影時刻からすると、『新潟駅』を発車し、まだ『燕三条駅』に着かないあたりです。
こちらは、稲の緑が確認できます。
田植えの後、根付いた稲が成長してるわけです。
新潟の方が、関東より田植えが早いことがはっきりとわかります。
コシヒカリは早稲(わせ)なんです。
田植えは、ゴールデンウィーク中が最盛期。
ゴールデンウィークのころは、まだ水が冷たく、ほんとはもっと遅く植えた方がいいのです。

↑こういう呼びかけもされてます。
でも、専業農家がほとんどいなくなった今は、休日に植えざるを得ません。
なにもゴールデンウィークにこだわらず、土日に植えればいいと思えるかも知れませんが……。
田植えは、稲刈りより重労働なんです。
育苗箱で育てた稲をトラックに積んで、田んぼまで運び……。

育苗箱から剥がしたマット状の苗を、田植機にセットする作業を繰り返さなければなりません。

これを夫婦2人で行うのは、かなり大変です。

↑1枚、7.5㎏もあります。これが、300~400枚もあるのです。
できれば、手伝いがほしい。
育苗箱の積み下ろしなら、誰でも出来ます。
つまり、ゴールデンウィークであれば……。
都会に出てる息子家族が帰省して来るわけです。
そのときなら、手伝ってもらえる。
息子にとっても、自分の子供に農業体験をさせられる良い機会になります。

↑機械では植えにくい、コーナー部分の手植え。
というわけで、新潟の田植えはゴールデンウィークに行われるのです。

↑「み」
畑が見えてきました。
関東平野と云えば、田んぼより畑のイメージがあります。
黒々として、よく肥えてそうな土です。

↑関東ローム層の最上部は、腐植を含んだ黒土です。
雨上がりで、土の匂いまで感じられそうです。
良い景色ですね。
なお、上の写真は、15:14分の撮影でした。
14:40分の発車から、ずっと車窓の写真を撮り続けてましたが……。
ようやく気が済んだようです。
景色が変わり栄えしなくなったこともあります。
ここからは、例によって、お土産の写真を撮り始めてます。
すでに本文中で紹介しておりますが、もう1度おさらいをしたいと思います。

↑「み」
まずは、『あけぼの』のヘッドマークをかたどった「しおり」。
茶色が入ってるのが、瑪瑙っぽくて気に入りました。
なお、下のトナカイ模様は、持って行ったポーチで、お土産とは関係ありません。
写真映えがすると思い、敷いてみました。

↑「み」
続いては、こちら。
『松戸市立博物館』のお土産です。
リュックに無造作に詰めたので、袋に皺が出来てしまいました。
こういうことを防げるという点では、キャリーバッグの方が優れてますね。

↑「み」
中身は、キーホルダーです。
かたどってるのは、馬と埴輪。
松戸に人が住み始めたのは約3万年前、旧石器時代のこと。
古墳時代の遺跡からは、埴輪などが出土してるようです。
馬のキーホルダーは母にやり、わたしは埴輪を取りました。
わたしもほんとうは馬が良かったのですが……。
母は、埴輪を喜ばないと思ったので。
わたしは、こういうのをバッグにぶら下げるのは好みでないので……。
今のところ、机の前に下がってます。

↑「み」
これは、最後の『荒川ふるさと文化館』で買った冊子。
ぜんぜん興味がないので、中身を見ることもなく、母にあげました。

↑「み」
『高崎駅』です。
『高崎市』は、人口37万人。
群馬県の県庁所在地は、『前橋市』ですが……。
人口は、33万人。
『高崎市』の方が、人口で勝ってます。
交通の便という点では、『高崎市』の圧勝です。
『高崎駅』には、東北新幹線、上越新幹線、長野新幹線が通ってます。

『高崎市』と『前橋市』は、境界を接してます。

合併すれば、人口は70万人を超えますから、政令指定都市になれます。
そうしないのは、やはり仲が悪いからなんでしょうか。
でも、埼玉県では、『浦和市』と『大宮市』などが合併して、『さいたま市』になってますよね。

『さいたま市』の発展は、目を見張るものがあります。
やっぱり、上州という土地柄では、「大同団結」は無理なんですかね。


↑「み」
『高崎駅』を出ると、景色は一気にひなびてきます。
まだ『上毛高原駅』の手前です。

↑「み」
『上毛高原駅』です。
雨まで降ってきました。
この後、上越新幹線は、『大清水トンネル』に入ります。

↑「み」
『大清水トンネル』を出ました。
撮影時刻を見たら、16:09分。
すでに、『越後湯沢駅』を過ぎてます。
これが冬だと、景色が激変してるんですけどね。
↓川端康成『雪国』の冒頭。
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国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。
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この、「信号所」とは、いったい何でしょう?
調べてみると、現在の『土樽駅』のようです。
『雪国』が書かれたのは、昭和9(1934)年から昭和12(1937)年にかけてだそうです。
「国境の長いトンネル」である『清水トンネル』は、昭和6(1931)年の開通。
トンネルは単線です。
トンネルを出たところに、上下線の行き違いのための「信号所」がありました。
それが、『土樽信号場』です。
本来は駅ではありませんでしたが……。
昭和8(1933)年からは、スキーの季節中に限り、仮乗降場扱いで旅客営業を開始してたそうです。
上記『雪国』の冒頭は、↓に繋がります。
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向側の座席から娘が立って来て、島村の前のガラス窓を落した。雪の冷気が流れこんだ。娘は窓いっぱいに乗り出して、遠くへ叫ぶように、「駅長さあん、駅長さあん。」明りをさげてゆっくり雪を踏んで来た男は、襟巻で鼻の上まで包み、耳に帽子の毛皮を垂れていた。
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旅客営業をしてたので、「信号所」に駅長がいたわけです。
なお、『土樽信号所』が正式な駅になったのは、昭和16(1941)年1月10日のこと。
『土樽駅』の誕生です。
住所は、新潟県南魚沼郡湯沢町。
現在の『土樽駅』は無人駅ですので、「駅長さん」はいません。

↑現在の『土樽駅』。普通の駅ですね。
『清水トンネル』の反対側を出た駅は、『土合(どあい)駅』。

↑こちらは、かなり強烈。ホームから地上に出るまで、10分くらい階段を上らなくてはならないようです。
住所は、群馬県利根郡みなかみ町です。
まさしく、『清水トンネル』は、「国境の長いトンネル」だったわけです。
といっても、今の上越線の普通列車では、2駅間の所要時間は8分程度です。

↑「み」
16:14分の撮影。
もう、『浦佐駅』を過ぎてますね。
前方に見える川は、魚野川です。
信濃川の支流のひとつで、長岡市東川口(旧・北魚沼郡川口町)で信濃川に合流します。

↑「み」
16:22分。
もう『長岡駅』の手前です。
田植えからしばらく経ち、稲は順調に葉を伸ばしてます。

↑「み」
16:30分。
『長岡駅』を出ました。
変わり栄えのしない景色が、延々と続きます。
新潟平野の穀倉地帯が、いかに広いかわかります。

↑「み」
16:35分。
『燕三条駅』に着きました。
燕市と三条市の市境に位置する駅です。
所在地は北側の燕市・南側の三条市にまたがってます。

なお、登記上は駅長室のある三条市を所在地としています。
ちなみに、すぐ近くの北陸自動車道のインターチェンジは……。
『三条燕インターチェンジ』。

三条市の面積は、431.97km2。
人口は、9万7千人。
燕市の面積は、110.96km2
人口は、7万8千人。
人口は三条市が勝ってますが、人口密度なら燕市です。
仲の悪さは、『月曜から夜更かし』でも取りあげられました(くわしくは、こちら)。


↑「み」
16:41分。
『新潟駅』到着まで、あと8分。
まだ田園風景が続いてます。

↑「み」
16:46分。
『新潟駅』到着まで、3分。
ここは、信濃川。
思いのほか、細い流れです。
燕市の大河津分水路で、信濃川は、その流れの大半を海に落としてます(参照)。
薄緑色の橋脚の橋は、国道8号の新潟バイパスに架かる道路橋です。
国道8号は、新潟市と京都市を繋ぐ、かつての北陸道。

現在も、輸送の大動脈です。
この冬(2018年)の豪雪では、福井県内で多くの車が立ち往生しました。


↑「み」
16:48分。
『新潟駅』到着まで、1分。
ようやく、都市の風景になってきました。
ここらは、新潟市中心部からは、少し離れてます。
↓新潟市中心部の古町地区は、奥に見える高層ビルあたりになります。

↑「み」

↑「み」
到着しました。
16:49分。
時刻表どおりです。
短い旅行の終わりは、いつもながら切ないものがあります。
楽しい旅は、ほんとに一瞬で終わってしまいます。
昨日の朝、わくわくして乗りこんだのが、もう遠い昔のようです。

↑「み」
16:50分。
改札に向かいます。
この旅行、最後の写真です。
さて。
最後に、今回の旅行の反省を少々。
今回の旅のコンセプトは、『路線バスと昭和を巡る旅』でした。
まず、第1日目。
正直、この日は失敗でした。
爆弾騒ぎによるダイヤの混乱はありましたが……。
予定した時間に遅れることなく、青梅市の『昭和レトロ商品博物館』に着きました。

↑「み」
しかし、この施設が、予想以上にショボかった。

↑「み」。なぜか2階は、雪女の展示。
ま、それはいいとして……。
次の、路線バスが、ちょっと想定外でした。
『青梅車庫』から『花小金井』を繋ぐ、【都営バス[梅70]】。

↑「み」。『青梅車庫』には、当然のことながら、バスがたくさん。
所要時間、1時間36分。
さぞかし、楽しいバスの旅になると思ってたのです……。
ところが、案に相違して、これが退屈。
景色が変わり栄えしなかったんです。

↑「み」。綺麗に手入れされたお庭は見事でしたが。
東京郊外の住宅地の景色は、新潟の路線バスと大差ありませんでした。
で、車中、ノートパソコンを取り出したりして時間を潰すはめに。
この日は、この後、さらに2本の路線バスを乗り継ぐ予定でしたが……。
気力がすっかり失せてしまい、バスは取りやめ。
結局、予定よりずっと早い時間に松戸のホテルに着いてしまいました。

↑「み」。『松戸シティーホテルSENDAN-YA』。
でも、2日目は、ほとんど予定どおりスケジュールをこなし……。
半日あまりで、3施設を回り切ることが出来ました。

↑「み」。『松戸市立博物館』の『常盤平団地』の展示は見事でした。お勧めします。
結局のところ、『昭和を巡る旅』は成功でしたが……。
『路線バス』は失敗というのが、偽らざる総括となるでしょう。
でも、なんやかや言っても、楽しかったことは確かです。
クライマックスはやっぱり、初日の夜の晩餐ですね。
ビールと掻き揚げ、最高でした。

↑「み」。今夜は最高!
さて、今年はどこに行こうかな?
たぶん、また東京になると思います。
なにしろ、まだまだ見てない面白そうな施設が、山のようにあるんですから。
期待しててください。
単独旅行、ほんとに楽しいです!