2017.12.30(土)
さっそく「Google Map」を起動。
この駅周辺は、松戸市の『八柱駅』のように道路が錯綜していません。
駅前でナビを見たら、そのまま行けそうでしたが……。
いちおう、確認のためにナビを見ながら歩き出します。

↑「み」
売物件を発見。
わざわざ写真を撮ったのは、敷地の狭さに驚いたからだと思います。
うちの玄関前くらいしかありません。
更地にすると、思いのほか敷地が小さかったんだと感じるものですけど。
この家を売りに出した人も……。
こんな狭いところに住んでたのかと、驚いたんじゃないでしょうか。
しかし、こんな敷地に一軒家を建てるメリットって、あるんですかね?
マンションの方が、よほどいいと思いますが。

↑「み」
道路を横断したようです。
歩道に咲いてる黄色い花は、キンシバイの園芸品種『ヒペリカムヒデコート』だと思います。
樹名板がなく、確認できませんでしたが。
咲き始めたばかりの花が、雨に濡れて綺麗でした。

↑「み」

↑「み」。サツキツツジの花が散りかけてます。東京は早いですね。
この画像の撮影時刻は、11:48分。
電車が『お花茶屋駅』に着いたのが、11:37分でした。
迷うことなく、無事到着しました。
予定表では、11:50分に着くことになってました。
わずか2分ですが、再び貯金が出来ました。
『葛飾区郷土と天文の博物館』は、葛飾区立の博物館です。
入館料は何と、高校生以上が100円。
小中学生は、50円です。
『天文』とあるように、プラネタリウムもあります。
ただし、観覧は別料金になります。
高校生以上、350円。
小中学生、100円です。

わたしは、プラネタリウムを見ると必ず寝てしまうので、今回は観覧しません。

↑「み」。童顔なんだから、ヒゲはやめてほしい。
ロビーを入ったところ。
泉麻人の講演ポスターでした。
この人のエッセイは、よく読みました。
中でも、↓『大東京バス案内(講談社文庫)』は、何度か読み返しました。
↑残念ながら、新刊では買えないようです。
東京でバス散歩するときの参考にさせていただいてます。
泉さんは、東京生まれの東京育ち。
子供のころの話を読むと、わたしとの環境の違いをつくずくと感じます。
わたしも東京に生まれ育ってたら、どんな人生だったんだろうと思います。
これから住む気にはなれませんが、子供のころなら住みたかったです。
講演を聴きたかったのですが、7月1日じゃどうしようもありません。

↑「み」
常設展示の『郷土展示室』。
↓葛飾区は、水に囲まれた土地です。

しかし、今気づいたのですが……。
川を帆船で航行したのでしょうか。
横から風が吹いたら……。
落語の『船徳』みたいに、岸にぶつかってしまうのでは?
良い風のときだけ帆をあげて、普段は櫓で漕いだんですかね?
↓それにしても、『船徳』と云えば、古今亭志ん朝。
上手かったですよね。
享年63(肝臓癌)。
生きてれば、今年79歳。
ものすごい芸が見れてたかも知れません。
たぶん、父親の「志ん生」を継いでたでしょうね。

↑「み」
農具です。
昔の葛飾で使われてた道具でしょう。
例によって、説明書きを読んでないので、推測でしか書けませんが。
「葛飾」の入る印象的な句があります。
●葛飾や桃の籬(まがき)も水田べり【水原秋桜子】
句集『葛飾』に収められた代表的な句です。

句集『葛飾』の発刊は、1930(昭和5)年。
このころの葛飾には、まだ水郷の景色が広がってたのでしょうか。

↑常磐線『金町駅』の北側には、広大な『都立水元公園』が広がります。水郷の名残りを感じられると思います。
なお、秋桜子は、一高から東大医学部を出た俊才です。
今はどうか知りませんが、昔は、俳句をたしなむお医者さんが多かったようです。
新潟大学医学部も、中田瑞穂が赴任して以来、さかんになったようです。
現在でも、医学部俳句部というのがあるみたいです。
ほかの学部と医学部は別の場所にあるので、医学部だけの部なんでしょうね。

↑「み」
足踏みの水車です。
田んぼに水を入れるのに使われたんだと思います。

ということは、用水路より、田んぼが高いからですかね?
↓それらしい絵が見つかりました。

現在、わたしが住む地域で、このような水車は使われてません。
ま、全国的に無いでしょうね。
田んぼに水を入れるには……。
用水路と田んぼの間にある堰を外すだけだと思います。
つまり、用水路の水面の方が高いわけです。
田んぼの方が高いということは……。
低湿地帯だからでしょうか。
田んぼが低いと稲が水浸しになるので……。
田面は土を盛って高くしてある。
なので、用水路より高い田んぼに水を揚げるためには、水車が必要。
ということですかね?

↑「み」
でたー!
わたしの大好物、肥たごです(食べるわけではありませんが)。
おととし行った『江戸東京博物館』では、その重さを体感してきました。

↑担げます(女性は、わたしではありません)。
上の肥たご群を見て不思議だったのは、奥の大きな樽です。
これが一杯になったら、牛馬でさえ運べないでしょう。
これは何に使われたかと云うと……。
船です。
下肥の運搬船があったわけです。

↑これは、昭和20年代(葛飾区を流れる綾瀬川)。樽ではなく、船体自体に積みこんだのでしょう。
で、都市部の各地に寄港しては、肥たごで運ばれてきた下肥を、この大樽に移した。
都市部で下肥を満載した船は、農村の水路に入って、農民に売って歩いたのでしょう。
農民も、多少のお金を払ってでも、下肥を在所で手に入れられれば……。
自ら都市部を回って収集する手間が省けます。
つまり、下肥運搬業は、立派な産業として成り立ってたわけです。

↑「み」
『母屋と水塚』のジオラマです。
この模型、妙なところにお気づきでしょう。
藁葺き屋根が、農家の『母屋』だと思います。
なんだか、縄文時代の竪穴式住居みたいですよね。

↑滋賀県蒲生郡竜王町(復元です)。
つまり、屋根の下の部分が低い。
ていうか、ほとんどないです。
↓ある部分をアップにすると、その理由がわかります。

↑「み」
人が舟に乗ってます。
つまり、一面の茶色は、土の庭ではなく……。
泥水なんです。
早い話、洪水のときの風景。
舟は、右の『母屋』から、奥の建物に向かってます。
奥の建物が、『水塚』です。
ここには、人が2人立ってます。
つまり、水面より高い位置にいるわけです。
土盛りして建物を建ててあるんですね。
倉庫兼、洪水時の避難所だったわけです。
各家の敷地内に、洪水の避難所があったと云うことです。
今の住宅事情では、とうてい考えられないことですが……。
昔は治水が進んでないので、たびたび洪水に襲われたのでしょう。
公共的な避難所は無かったでしょうし。
しかし……。
ここで、ギモンがひとつ。
母屋自体を、土盛りした上に建てられなかったのでしょうか?
低地では、土の入手が大変なのでしょうか。
ここでまた、ちょっと脱線。
東京湾は、埋め立てで土地がどんどん広がっています。

↑クリックすると大きくなります。
最近では、大田区と江東区が、土地の帰属を巡って対立し……。
とうとう、大田区が都の調停を拒否。
江東区を訴えたそうです。

↑しかし、これって「調停」と云えるんですかね? 大田区が怒るのも無理ない気が……。
で、この海の埋め立てですが……。
日本人は、不思議にも感じません。
山から土を持ってきて、海に投入し……。
あたらしい土地を作るわけです。

↑沖縄県名護市の大浦湾。
でもこれは、土が取れる山がある国だから出来ることなんです。
たとえば、オランダ。

「世界は神が作ったが、オランダはオランダ人が作った」と云われる土地。
つまり、海の干拓により作られた国なのです。
しかし!
オランダには山がありません。

海を一面埋める土は、手に入らないのです。
そしたら、どうするか?
まず、貴重な土を使い、海を細い堤防で囲みます。
そして、内側の海水を抜くのです。
つまり、海底だったところが新しい土地となります。
もちろん、高さは海面下になりますから……。
排水設備が最も重要。
オランダと云えば風車ですよね。

実はあれ、排水機なのです。
あと、これを象徴する有名な小説があります。
メアリー・メイプス・ドッジの『ハンス・ブリンカーの物語』。
堤防に空いた穴を発見した少年が……。
堤防の決壊を防ぐため、穴に腕を突っこみ、そのまま凍死するというお話。

↑少年の銅像が立ってます。口に手を当ててるのは、大人を呼んでるんです。でも、その声が届くことはありませんでした。
オランダの干拓地の構造を考えれば、堤防の決壊がどれほど恐ろしいことかわかります。
堤防が決壊すれば、そこは再び海の底になってしまうのです。
脱線を終わります。

↑「み」
さて、これから先が、この『葛飾区郷土と天文の博物館』に来た目的になります。
常設展示『郷土展示室』の中の「蘇る昭和30年代の葛飾」という展示です。
もう1度、今年の単独旅行のコンセプトを確認しましょう。
『路線バスと昭和を巡る旅』でしたね。
この展示は、戦後の葛飾の花形産業であったボルト・ナット製造工場と、昭和30年代の住居が再現してあるコーナーです。
再現と云っても、ジオラマではありませんよ。
ここもまた、実物大です。
と、ここで気づいたことがひとつあります。
“実物大”ということについてです。
↓『松戸市立博物館』の『常盤平団地』もそうでした。

↑「み」
わたしは単純に、実物大で再現するなんてスゴいなぁと感心してました。
でも、よく考えたら、実物大と云うことは……。
昔使われてた家具や調度を集めてくれば、そのまんま再現パーツとして使えるわけです。
これがジオラマだったら、ぜんぶ手作りしなければなりません。

↑戸塚恵子さん作。
こっちの方が、よほど大変です。
さて、続けましょう。
上の写真は、左手が住居、右手が工場になります。
別棟になってたんですね。
おそらく、工場からかなりの騒音が出たでしょうからね。
この家の家族構成は……。
工場を経営する両親、2人兄妹の子供、祖父の計5人家族です。
テレビを買ったばかりのころという設定です。
それでは、見ていきましょう。

↑「み」
工場の中です。
労災の臭いがプンプンしますね。
毎日、1本ずつくらい、指が飛んでたんじゃないでしょうか。

↑適切に冷却すれば、8時間まで再接着可能だそうです。

↑「み」
これは、住居棟の玄関です。
机がありますが、子供の学習用ではなく……。
ここで、工場の事務を執ってたんだと思います。
机左の黒電話も、工場と住居の兼用でしょう。

↑「み」
前の写真の机の前のアップです。
ボルトやナットのサイズ表のようです。
注文を受けるときの確認用でしょうか。
これだけボロボロだと云うことは……。
実際に使われてたものかも知れません。

↑「み」
玄関から、茶の間を見たところ。
職人さんも、ここで昼食を摂ったのかも知れませんね。
右下、ガラス戸に立てかけられた札には、「ご自由にお入り下さい」と書いてあります。
てなわけで、上がらせてもらいました。

↑「み」
茶の間から、台所を覗いたところです。

↑「み」
茶の間のテレビです。
室内アンテナのようですね。
こんなので映ったんでしょうか。

↑「み」
台所の奥から、勝手口を見たところ。

↑「み」
台所の流しです。
「人研ぎ(じんとぎ・人造石研ぎ出し)」のようです。
こういうのを見ると……。
↓同時代の『常盤平団地』が、いかに最先端の設備だったかよくわかります。

↑「み」

↑「み」
でたー。
和式トイレです。
しかし、男性用小便器がないということは……。
男性は、立ってやってたわけです。
まさか、しゃがんではしないでしょう。
飛び散りがスゴかったでしょうね。

↑埼玉県越生町にある小便小僧(噴き出してるのは川の水だそうです)。
↓トイレの場所は、冷蔵庫の真ん前。

↑「み」
トイレはもちろん、汲み取りです。
トイレの真ん前に冷蔵庫はどうかと思いますが……。
ほかに置き場所も無いのでしょう。

↑「み」
2畳の部屋です。
こんな家に、女中部屋があるわけありません。
お爺ちゃんが寝たんでしょうか?
狭くて落ち着きそうです。
よく眠れたでしょう。
こういう部屋を書斎にしたいものです。
手前の畳に、座卓と座布団。
奥の畳に、万年床。
良さげじゃ~。

↑「み」
布団は重そうですね。
でも、わたしは、重たい布団が嫌いではありません。

落ち着きますよ。
今は、羽毛布団で寝てますが。
ちょっと蹴っただけで飛んでしまうのが難点です。

↑「み」
冬用の半天でしょうか?
それにしては、ペラペラですね。
綿が入ってないようです。
下にあるテーブルのようなのは、ミシンだと思います。
本体は、上蓋の中に収納できる仕組みなのでしょう。
ミシンを使わないときは、子供が勉強机にしてるのかも?
↓ミシンの上の紙は教材かと思って、拡大してみたら違いました。

↑「み」
やっぱり、ミシンでしたね。
かかってる衣服は着れるようです。
気づきませんでした。
ハンガーがいやに新しいと思ったら、試着用の衣服だったんですね。

↑「み」
おー、すげー。
ピアノ(オルガン?)がありました。
おとっつあん、儲けてますね。
右手が玄関です。
しかし、工場にピアノ。
素晴らしい騒音環境ですね。

↑「み」
茶の間から玄関を見下ろしたところ。
お母さんは、この机で事務を執ってたのでしょう。
右からは、工場の騒音。
左からは、子供のピアノ。
さぞ、イライラしたでしょうね。

電話が架かってきても、子供がピアノを止めなかったりしたら……。
送話口を押さえて怒鳴ったんじゃないですか。
わたしには、こうした下町暮らしは、ぜったいに無理だと思います。

↑「み」
これは、外ですね。
縁側があります。
夏は、ここに座ってお酒を飲みたいところですが……。
たぶん、蚊がひどかったと思います。

↑こんなに可愛くはありません。
右手の地面に並ぶ板は、どぶ板だと思います。
ボーフラのアジトだったでしょう。
鉢物は、朝顔のようです。
入谷の朝顔市で買ったんでしょうか?
「恐れ入谷の鬼子母神」でお馴染みの真源寺で、七夕ころに開かれる市です。

↑1鉢、2,000円のようです。ま、比較的良心的なお値段じゃないですか。気分が良ければ、わたしも買うかもしれません。

↑「み」
路地のどぶ板です。
候補者が、こういうところまで入りこんで支持を訴える選挙手法を……。
「どぶ板選挙」と呼ぶわけです。

↑田中角栄先生です。曰く「歩いた家の数しか票は出ない。手を握った数しか票は出ない」。選挙の神様でした。

↑「み」
トイレの窓です。
下の細長い窓は、掃除用の掃き出し窓。
出歯亀が、ここから覗くわけです。

↑元祖『出歯亀(出っ歯の亀太郎)』。風呂専門だったんですかね? 出所後、すぐ覗いて逮捕の記事。
この窓の下にある、四角い板は、汲み取り口ですね。

↑「み」
バキュームカーではなく、柄杓で汲んでた時代のようです。

↑買われて帰った家で、汲み取りに使われると知った柄杓の気持ちは、いかばかりでしょうか。
わたしは、こういうタイプの汲み取り口は、実際に見たことはありません。
↓わが家も昔は汲み取りでしたが、汲み取り口は地面の上にあったと思います。

↑掃き出し窓との位置関係も、こんな感じでした。
そう云えば最近、バキュームカーを見ませんね。
最後に見たのがいつか、思い出せないほどです。
わたしが小学校のころは、まだ、帰り道でときおり出会いました。
見ると、親指を握ったんじゃなかったでしょうか。
霊柩車でしたかね?

↑アラブの富豪が日本でこれを見て、「ジャパニーズ・デラックス・カー」と叫び、購入を熱望したとか(聞いた話や)。
汲んでるときは、ホースが生き物のようにのたうってたのを覚えてます。

↑まさに、蛇踊りのごとしでした。
先日、メル友と汲み取り時代の話をしたことがあります。
その人は、大阪府堺市の方。
で、汲み取りは、呼ばなくても定期的に来たんだそうです。
これには驚きました。
うちは、一杯になると、電話で呼んだんです。
堺方式では、1回いくらと決まってたようです。
定期的に来れば、汲む量もほぼ同じでしょうからね。
うちの場合は、汲んだ量に応じて、料金を払ってたと思います。
汲み取り屋(業者を、こう呼んでました)が、量を書いた伝票を置いていきましたから。
タンクに、目盛りが付いてたんでしょうかね?
汲む前にメモして、汲んだ後の量から引いて算出したんでしょうか?

↑画像発見!(松江市のホームページ)。超絶アバウトそうな目盛りですが。
でも、汲む前にメモし忘れることだってあったはず。
そういうときは、適当な数字を書いたんじゃないでしょうか。
経験を積めば、だいたい何リットルってわかるんでしょうね。
その伝票は、学校から帰ると、たいがい玄関の下駄箱の上に置かれたままでした。
お金は、そのとき、現金で払ったんですかね?
お釣りは貰いたくないですよね。
細かい小銭を用意して、きっちりの金額で払いたいです。

↑お釣り用のこういう缶を、わが家で見た記憶は無いですが。
伝票にも触りたくないので、下駄箱に置かせて放っておいたんだと思います。
ゴミ捨てに行くときに、ゴミ袋越しに掴んで袋に入れたんじゃないですか。
なくてはならない商売なのに、やはり好かれていなかったのは仕方のないことでしょう。

↑「み」
縁側から茶の間を覗いたところ。
↓縁側の下に、七輪が収納してあります。

↑「み」
こんなところに突っこんであるということは……。
料理用ではなく、暖房用だったのじゃないでしょうか?
夏場は不要なので、ここに仕舞われてるわけです。
暖房と云っても、主暖房ではなく、手あぶり程度でしょうが。
網を載せて、お餅を焼いたりしたのかも知れません。
↓でも、普通は火鉢を使いますよね。

↑昭和26年の新潟市(現・中央区)。寒かったでしょうね。
ほんとに冬の暖房として七輪を使ったか、ちょっと自信がなくなりました。
ひょっとしたら、魚は外で焼いたんでしょうか。

↑サンマを焼いてるところ。
台所で焼いたら、家中が煙りだらけになるでしょうから。
縁側の沓脱ぎ石の上で焼いたのかも知れません。

↑「み」
建物脇にあった展示品です。
葛飾区は、玩具産業が盛んだったようです。
誰もが聞いたことがある玩具メーカーに、『タカラトミー』があります。
1955(昭和30)年、葛飾区本田宝木塚町(ほんだほうきづかちょう)で……。
『(有)佐藤ビニール工業所』が創業されました。
創業者は、佐藤安太(1924年~)。
安太、31歳のときです。
この会社が、後の『タカラトミー』となります。
“タカラ”は、地名にある“宝”から取られたそうです。
『(有)佐藤ビニール工業所』は……。
1960(昭和35)年に発売した『ダッコちゃん』でブレイクします。

↑浮き輪代わりにもなったのでしょうか?
その後、1967(昭和42)年に出した『リカちゃん』で……。
おもちゃ業界をリードする地位は、不動のものとなりました。
現在の本社は、葛飾区立石にあります。

本田宝木塚町(ほんだほうきづかちょう)は、その後、宝町に改名されてます。

↑「み」
縁台と将棋盤。
そう言えば、この家には、お風呂がありませんでした。
みんな、銭湯に通ったんでしょうね。

↑「み」。昨年訪ねた『江戸東京たてもの園』の『子宝湯(足立区千住元町から移築)』。
ひょっとしたら、工場の工員さんも、銭湯に行ってから帰ったかも。
銭湯帰りに、この縁台で将棋を指すこともあったのでしょう。
ぜったい、蚊に食われます。

↑村田英雄『王将』のモデルとなった坂田三吉は、縁台将棋で強くなったそうです。

↑「み」
奥に自転車があります。
お爺ちゃんが、酔っ払い運転をしたかも知れません。

↑瓶を持ったままは乗らないでしょうが。
頑丈一辺倒ですね。
荷台に、子供を載せたりもしたでしょう。
座布団を敷かなければ、お尻が痛かったはず。

↑昭和の蕎麦屋。驚異的なスキルです。そもそも、どうやって積むんでしょう?

↑「み」
三輪自動車です。
ダイハツのミゼット。
軽自動車です。
1957(昭和32)年から1972(昭和47)年まで販売されてたそうです。
15年間ですね。
顔がカエルみたいで、とても可愛いです。
↑走行してる様子。かなりやかましいです。
でも、なんで三輪である必要があったんでしょう。
調べてみたら、法制度の有利性があったことがひとつ。
戦前は何と、三輪は無免許で乗れたそうです。
もちろん、戦後はダメですが。
あとは、前輪がひとつということで……。
ハンドルを切るステアリングの構造が簡単なため、コストが抑えられたそうです。
当然、小廻りも効きますから、路地裏のようなところまで、配達で入って行けました。
欠点はもちろん、安定性の悪さ。
カーブで、よく転けたそうです。
実際、安定性の悪さは、↑の動画でもよくわかります。
しかし、自動車という乗り物ですが……。
考えてみれば、機構的にはものすごく単純ですよね。
早い話、前のタイヤが左右に動くだけでしょ。

こんな機械が、なんで最低100万円もするんですか。
1,000万円の高級車なんて、考えられませんよ。

↑レクサス LX570(トヨタ)。11,150,000円(税込)。これより高い国産車も、4車種くらいあるようです。
自動車に比べたら、農業機械や建設機械は、実に複雑な可動部を有します。
↓バックホーなんか、いったい何カ所が動くんでしょう。

とにかく、自動車の値段は、もっと下げられるはず。
若者の車離れが進んでるそうですが……。
購入して維持していく出費がバカらしいという気持ちはわかります。
地方では、乗らずには生活できないという事情もありますが……。
カーシェアリングやコミュニティバスなどの仕組みが充実していけば、個人で所有する人は減っていくでしょう。

さて、話に戻りましょう。

↑「み」
可愛いので、もう1枚、撮りました。
手前の木箱は、ゴミ箱でしょう。

↑「み」
最後に、遠景を1枚。
ミゼットは、大事にされてたんだなぁという気がします。
なぜか、東北の『曲り家(まがりや)』を連想してしまいました。

東北の家では、大事な労働力である馬を、室内で飼ってたんです。

↑『遠野ふるさと村(岩手県遠野市)』という施設です(入場料、大人520円)。
これで、ボルト・ナット工場一家の写真は終わりです。

↑「み」
水郷葛飾に伝わる、魚採りの道具。
職業としての漁ではなく、遊び兼自給用で使ったものなんでしょうね。
↓奥の細長いものは、ウナギとドジョウ用の罠で、『ウナギドウ』。

↑「み」
ドジョウが水面に出て空気を吸うのは、呼吸のためではないそうです。

↑おっさん顔です。いわゆる、どじょうヒゲ。
空気を吸って、お尻から泡を出し、腸を掃除してるのだとか。
空気呼吸は必要ないので、冬期は泥の中で冬眠できます。

↑あわれ……。
手前の瓶のようなものでは、ハゼを採ったようです。
『セルビン』と書いてあるみたいです。
説明書きは写ってましたが、残念ながら読めませんでした。
要は、中にエサを入れておき……。
入れるけど出れない仕組みを作れば良いようです。

「セル」は、セルロイドの略でしょうか?
現在は、ペットボトルを使えば、子供でも作れます。

↑簡単に出られそうですが、透明だとわからないんですかね?

↑「み」
休憩用(?)のソファー越しに、植栽スペースが見えます。
↓『ヘデラ・カナリエンシス』というウコギ科の蔓植物。

↑「み」
これ、うちの庭の裏手にもはびこってます。
まったく陽の当たらないところに、ポット苗を1株だけ植えたんです。
それが、あっという間に広がり、大群落を成してしまいました。
繁殖力には、猛烈なものがあります。
蔓を伸ばして這い回り、地面に接した蔓から根を出して定着します。
ただ、登坂力は大したことありません。
ここでも、数カ所からは立ちあがってますけどね。
これがナツヅタ(ブドウ科)だったら大変です。

↑名前のとおり、落葉性です。真っ赤な紅葉が美しいです(童謡『まっかな秋』)。
あっという間に、タイル壁など見えなくなってしまいます。
登坂力は強烈。
ガラス面も登ります。
別荘地などで、これを外壁に這わせてると……。
留守の間に、窓を覆われてしまうことさえあります。

↑「み」
ロッカーもあり、使わせてもらいました。
100円玉を入れて施錠しますが、解錠すれば戻ってきます。
さて、『葛飾区郷土と天文の博物館』の写真は、これでお終いです。
ロッカーの写真を撮ったのが、12:07分。
↓入口のサツキツツジの写真が、11:48分でした。

↑「み」
滞在時間、19分。
別に、急いで見たつもりはないんですけどね。
予定では、ここでの見学時間に30分を取ってありました。
11:50~12:20分まで。
10分ほど、貯金が出来たことになります。

↑博物館の全貌です。立派ですね。中央上部のドームは、プラネタリウムです。
さて。
お昼時です。
普通の人なら、ここで昼食にするでしょう。
でも、わたしは昼食を摂らないので、このまま次の施設に向かいます。
実はわたしが、普段の生活でも昼食を摂らなくなったのは……。
東京に遊びに来たときの経験からなんです。
昔は、普通に昼食を摂ってました。
ていうか、摂るものだと思って、疑問を持たなかったんです。
でも、これがなかなかハードルが高い。
この駅周辺は、松戸市の『八柱駅』のように道路が錯綜していません。
駅前でナビを見たら、そのまま行けそうでしたが……。
いちおう、確認のためにナビを見ながら歩き出します。

↑「み」
売物件を発見。
わざわざ写真を撮ったのは、敷地の狭さに驚いたからだと思います。
うちの玄関前くらいしかありません。
更地にすると、思いのほか敷地が小さかったんだと感じるものですけど。
この家を売りに出した人も……。
こんな狭いところに住んでたのかと、驚いたんじゃないでしょうか。
しかし、こんな敷地に一軒家を建てるメリットって、あるんですかね?
マンションの方が、よほどいいと思いますが。

↑「み」
道路を横断したようです。
歩道に咲いてる黄色い花は、キンシバイの園芸品種『ヒペリカムヒデコート』だと思います。
樹名板がなく、確認できませんでしたが。
咲き始めたばかりの花が、雨に濡れて綺麗でした。

↑「み」

↑「み」。サツキツツジの花が散りかけてます。東京は早いですね。
この画像の撮影時刻は、11:48分。
電車が『お花茶屋駅』に着いたのが、11:37分でした。
迷うことなく、無事到着しました。
予定表では、11:50分に着くことになってました。
わずか2分ですが、再び貯金が出来ました。
『葛飾区郷土と天文の博物館』は、葛飾区立の博物館です。
入館料は何と、高校生以上が100円。
小中学生は、50円です。
『天文』とあるように、プラネタリウムもあります。
ただし、観覧は別料金になります。
高校生以上、350円。
小中学生、100円です。

わたしは、プラネタリウムを見ると必ず寝てしまうので、今回は観覧しません。

↑「み」。童顔なんだから、ヒゲはやめてほしい。
ロビーを入ったところ。
泉麻人の講演ポスターでした。
この人のエッセイは、よく読みました。
中でも、↓『大東京バス案内(講談社文庫)』は、何度か読み返しました。
![]() 【中古】 大東京バス案内(ガイド) / 泉 麻人 / 講談社 [文庫]【メール便送料無料】【あす楽対応】 |
↑残念ながら、新刊では買えないようです。
東京でバス散歩するときの参考にさせていただいてます。
泉さんは、東京生まれの東京育ち。
子供のころの話を読むと、わたしとの環境の違いをつくずくと感じます。
わたしも東京に生まれ育ってたら、どんな人生だったんだろうと思います。
これから住む気にはなれませんが、子供のころなら住みたかったです。
講演を聴きたかったのですが、7月1日じゃどうしようもありません。

↑「み」
常設展示の『郷土展示室』。
↓葛飾区は、水に囲まれた土地です。

しかし、今気づいたのですが……。
川を帆船で航行したのでしょうか。
横から風が吹いたら……。
落語の『船徳』みたいに、岸にぶつかってしまうのでは?
良い風のときだけ帆をあげて、普段は櫓で漕いだんですかね?
↓それにしても、『船徳』と云えば、古今亭志ん朝。
上手かったですよね。
享年63(肝臓癌)。
生きてれば、今年79歳。
ものすごい芸が見れてたかも知れません。
たぶん、父親の「志ん生」を継いでたでしょうね。

↑「み」
農具です。
昔の葛飾で使われてた道具でしょう。
例によって、説明書きを読んでないので、推測でしか書けませんが。
「葛飾」の入る印象的な句があります。
●葛飾や桃の籬(まがき)も水田べり【水原秋桜子】
句集『葛飾』に収められた代表的な句です。

句集『葛飾』の発刊は、1930(昭和5)年。
このころの葛飾には、まだ水郷の景色が広がってたのでしょうか。

↑常磐線『金町駅』の北側には、広大な『都立水元公園』が広がります。水郷の名残りを感じられると思います。
なお、秋桜子は、一高から東大医学部を出た俊才です。
今はどうか知りませんが、昔は、俳句をたしなむお医者さんが多かったようです。
新潟大学医学部も、中田瑞穂が赴任して以来、さかんになったようです。
現在でも、医学部俳句部というのがあるみたいです。
ほかの学部と医学部は別の場所にあるので、医学部だけの部なんでしょうね。

↑「み」
足踏みの水車です。
田んぼに水を入れるのに使われたんだと思います。

ということは、用水路より、田んぼが高いからですかね?
↓それらしい絵が見つかりました。

現在、わたしが住む地域で、このような水車は使われてません。
ま、全国的に無いでしょうね。
田んぼに水を入れるには……。
用水路と田んぼの間にある堰を外すだけだと思います。
つまり、用水路の水面の方が高いわけです。
田んぼの方が高いということは……。
低湿地帯だからでしょうか。
田んぼが低いと稲が水浸しになるので……。
田面は土を盛って高くしてある。
なので、用水路より高い田んぼに水を揚げるためには、水車が必要。
ということですかね?

↑「み」
でたー!
わたしの大好物、肥たごです(食べるわけではありませんが)。
おととし行った『江戸東京博物館』では、その重さを体感してきました。

↑担げます(女性は、わたしではありません)。
上の肥たご群を見て不思議だったのは、奥の大きな樽です。
これが一杯になったら、牛馬でさえ運べないでしょう。
これは何に使われたかと云うと……。
船です。
下肥の運搬船があったわけです。

↑これは、昭和20年代(葛飾区を流れる綾瀬川)。樽ではなく、船体自体に積みこんだのでしょう。
で、都市部の各地に寄港しては、肥たごで運ばれてきた下肥を、この大樽に移した。
都市部で下肥を満載した船は、農村の水路に入って、農民に売って歩いたのでしょう。
農民も、多少のお金を払ってでも、下肥を在所で手に入れられれば……。
自ら都市部を回って収集する手間が省けます。
つまり、下肥運搬業は、立派な産業として成り立ってたわけです。

↑「み」
『母屋と水塚』のジオラマです。
この模型、妙なところにお気づきでしょう。
藁葺き屋根が、農家の『母屋』だと思います。
なんだか、縄文時代の竪穴式住居みたいですよね。

↑滋賀県蒲生郡竜王町(復元です)。
つまり、屋根の下の部分が低い。
ていうか、ほとんどないです。
↓ある部分をアップにすると、その理由がわかります。

↑「み」
人が舟に乗ってます。
つまり、一面の茶色は、土の庭ではなく……。
泥水なんです。
早い話、洪水のときの風景。
舟は、右の『母屋』から、奥の建物に向かってます。
奥の建物が、『水塚』です。
ここには、人が2人立ってます。
つまり、水面より高い位置にいるわけです。
土盛りして建物を建ててあるんですね。
倉庫兼、洪水時の避難所だったわけです。
各家の敷地内に、洪水の避難所があったと云うことです。
今の住宅事情では、とうてい考えられないことですが……。
昔は治水が進んでないので、たびたび洪水に襲われたのでしょう。
公共的な避難所は無かったでしょうし。
しかし……。
ここで、ギモンがひとつ。
母屋自体を、土盛りした上に建てられなかったのでしょうか?
低地では、土の入手が大変なのでしょうか。
ここでまた、ちょっと脱線。
東京湾は、埋め立てで土地がどんどん広がっています。

↑クリックすると大きくなります。
最近では、大田区と江東区が、土地の帰属を巡って対立し……。
とうとう、大田区が都の調停を拒否。
江東区を訴えたそうです。

↑しかし、これって「調停」と云えるんですかね? 大田区が怒るのも無理ない気が……。
で、この海の埋め立てですが……。
日本人は、不思議にも感じません。
山から土を持ってきて、海に投入し……。
あたらしい土地を作るわけです。

↑沖縄県名護市の大浦湾。
でもこれは、土が取れる山がある国だから出来ることなんです。
たとえば、オランダ。

「世界は神が作ったが、オランダはオランダ人が作った」と云われる土地。
つまり、海の干拓により作られた国なのです。
しかし!
オランダには山がありません。

海を一面埋める土は、手に入らないのです。
そしたら、どうするか?
まず、貴重な土を使い、海を細い堤防で囲みます。
そして、内側の海水を抜くのです。
つまり、海底だったところが新しい土地となります。
もちろん、高さは海面下になりますから……。
排水設備が最も重要。
オランダと云えば風車ですよね。

実はあれ、排水機なのです。
あと、これを象徴する有名な小説があります。
メアリー・メイプス・ドッジの『ハンス・ブリンカーの物語』。
堤防に空いた穴を発見した少年が……。
堤防の決壊を防ぐため、穴に腕を突っこみ、そのまま凍死するというお話。

↑少年の銅像が立ってます。口に手を当ててるのは、大人を呼んでるんです。でも、その声が届くことはありませんでした。
オランダの干拓地の構造を考えれば、堤防の決壊がどれほど恐ろしいことかわかります。
堤防が決壊すれば、そこは再び海の底になってしまうのです。
脱線を終わります。

↑「み」
さて、これから先が、この『葛飾区郷土と天文の博物館』に来た目的になります。
常設展示『郷土展示室』の中の「蘇る昭和30年代の葛飾」という展示です。
もう1度、今年の単独旅行のコンセプトを確認しましょう。
『路線バスと昭和を巡る旅』でしたね。
この展示は、戦後の葛飾の花形産業であったボルト・ナット製造工場と、昭和30年代の住居が再現してあるコーナーです。
再現と云っても、ジオラマではありませんよ。
ここもまた、実物大です。
と、ここで気づいたことがひとつあります。
“実物大”ということについてです。
↓『松戸市立博物館』の『常盤平団地』もそうでした。

↑「み」
わたしは単純に、実物大で再現するなんてスゴいなぁと感心してました。
でも、よく考えたら、実物大と云うことは……。
昔使われてた家具や調度を集めてくれば、そのまんま再現パーツとして使えるわけです。
これがジオラマだったら、ぜんぶ手作りしなければなりません。

↑戸塚恵子さん作。
こっちの方が、よほど大変です。
さて、続けましょう。
上の写真は、左手が住居、右手が工場になります。
別棟になってたんですね。
おそらく、工場からかなりの騒音が出たでしょうからね。
この家の家族構成は……。
工場を経営する両親、2人兄妹の子供、祖父の計5人家族です。
テレビを買ったばかりのころという設定です。
それでは、見ていきましょう。

↑「み」
工場の中です。
労災の臭いがプンプンしますね。
毎日、1本ずつくらい、指が飛んでたんじゃないでしょうか。

↑適切に冷却すれば、8時間まで再接着可能だそうです。

↑「み」
これは、住居棟の玄関です。
机がありますが、子供の学習用ではなく……。
ここで、工場の事務を執ってたんだと思います。
机左の黒電話も、工場と住居の兼用でしょう。

↑「み」
前の写真の机の前のアップです。
ボルトやナットのサイズ表のようです。
注文を受けるときの確認用でしょうか。
これだけボロボロだと云うことは……。
実際に使われてたものかも知れません。

↑「み」
玄関から、茶の間を見たところ。
職人さんも、ここで昼食を摂ったのかも知れませんね。
右下、ガラス戸に立てかけられた札には、「ご自由にお入り下さい」と書いてあります。
てなわけで、上がらせてもらいました。

↑「み」
茶の間から、台所を覗いたところです。

↑「み」
茶の間のテレビです。
室内アンテナのようですね。
こんなので映ったんでしょうか。

↑「み」
台所の奥から、勝手口を見たところ。

↑「み」
台所の流しです。
「人研ぎ(じんとぎ・人造石研ぎ出し)」のようです。
こういうのを見ると……。
↓同時代の『常盤平団地』が、いかに最先端の設備だったかよくわかります。

↑「み」

↑「み」
でたー。
和式トイレです。
しかし、男性用小便器がないということは……。
男性は、立ってやってたわけです。
まさか、しゃがんではしないでしょう。
飛び散りがスゴかったでしょうね。

↑埼玉県越生町にある小便小僧(噴き出してるのは川の水だそうです)。
↓トイレの場所は、冷蔵庫の真ん前。

↑「み」
トイレはもちろん、汲み取りです。
トイレの真ん前に冷蔵庫はどうかと思いますが……。
ほかに置き場所も無いのでしょう。

↑「み」
2畳の部屋です。
こんな家に、女中部屋があるわけありません。
お爺ちゃんが寝たんでしょうか?
狭くて落ち着きそうです。
よく眠れたでしょう。
こういう部屋を書斎にしたいものです。
手前の畳に、座卓と座布団。
奥の畳に、万年床。
良さげじゃ~。

↑「み」
布団は重そうですね。
でも、わたしは、重たい布団が嫌いではありません。

落ち着きますよ。
今は、羽毛布団で寝てますが。
ちょっと蹴っただけで飛んでしまうのが難点です。

↑「み」
冬用の半天でしょうか?
それにしては、ペラペラですね。
綿が入ってないようです。
下にあるテーブルのようなのは、ミシンだと思います。
本体は、上蓋の中に収納できる仕組みなのでしょう。
ミシンを使わないときは、子供が勉強机にしてるのかも?
↓ミシンの上の紙は教材かと思って、拡大してみたら違いました。

↑「み」
やっぱり、ミシンでしたね。
かかってる衣服は着れるようです。
気づきませんでした。
ハンガーがいやに新しいと思ったら、試着用の衣服だったんですね。

↑「み」
おー、すげー。
ピアノ(オルガン?)がありました。
おとっつあん、儲けてますね。
右手が玄関です。
しかし、工場にピアノ。
素晴らしい騒音環境ですね。

↑「み」
茶の間から玄関を見下ろしたところ。
お母さんは、この机で事務を執ってたのでしょう。
右からは、工場の騒音。
左からは、子供のピアノ。
さぞ、イライラしたでしょうね。

電話が架かってきても、子供がピアノを止めなかったりしたら……。
送話口を押さえて怒鳴ったんじゃないですか。
わたしには、こうした下町暮らしは、ぜったいに無理だと思います。

↑「み」
これは、外ですね。
縁側があります。
夏は、ここに座ってお酒を飲みたいところですが……。
たぶん、蚊がひどかったと思います。

↑こんなに可愛くはありません。
右手の地面に並ぶ板は、どぶ板だと思います。
ボーフラのアジトだったでしょう。
鉢物は、朝顔のようです。
入谷の朝顔市で買ったんでしょうか?
「恐れ入谷の鬼子母神」でお馴染みの真源寺で、七夕ころに開かれる市です。

↑1鉢、2,000円のようです。ま、比較的良心的なお値段じゃないですか。気分が良ければ、わたしも買うかもしれません。

↑「み」
路地のどぶ板です。
候補者が、こういうところまで入りこんで支持を訴える選挙手法を……。
「どぶ板選挙」と呼ぶわけです。

↑田中角栄先生です。曰く「歩いた家の数しか票は出ない。手を握った数しか票は出ない」。選挙の神様でした。

↑「み」
トイレの窓です。
下の細長い窓は、掃除用の掃き出し窓。
出歯亀が、ここから覗くわけです。

↑元祖『出歯亀(出っ歯の亀太郎)』。風呂専門だったんですかね? 出所後、すぐ覗いて逮捕の記事。
この窓の下にある、四角い板は、汲み取り口ですね。

↑「み」
バキュームカーではなく、柄杓で汲んでた時代のようです。

↑買われて帰った家で、汲み取りに使われると知った柄杓の気持ちは、いかばかりでしょうか。
わたしは、こういうタイプの汲み取り口は、実際に見たことはありません。
↓わが家も昔は汲み取りでしたが、汲み取り口は地面の上にあったと思います。

↑掃き出し窓との位置関係も、こんな感じでした。
そう云えば最近、バキュームカーを見ませんね。
最後に見たのがいつか、思い出せないほどです。
わたしが小学校のころは、まだ、帰り道でときおり出会いました。
見ると、親指を握ったんじゃなかったでしょうか。
霊柩車でしたかね?

↑アラブの富豪が日本でこれを見て、「ジャパニーズ・デラックス・カー」と叫び、購入を熱望したとか(聞いた話や)。
汲んでるときは、ホースが生き物のようにのたうってたのを覚えてます。

↑まさに、蛇踊りのごとしでした。
先日、メル友と汲み取り時代の話をしたことがあります。
その人は、大阪府堺市の方。
で、汲み取りは、呼ばなくても定期的に来たんだそうです。
これには驚きました。
うちは、一杯になると、電話で呼んだんです。
堺方式では、1回いくらと決まってたようです。
定期的に来れば、汲む量もほぼ同じでしょうからね。
うちの場合は、汲んだ量に応じて、料金を払ってたと思います。
汲み取り屋(業者を、こう呼んでました)が、量を書いた伝票を置いていきましたから。
タンクに、目盛りが付いてたんでしょうかね?
汲む前にメモして、汲んだ後の量から引いて算出したんでしょうか?

↑画像発見!(松江市のホームページ)。超絶アバウトそうな目盛りですが。
でも、汲む前にメモし忘れることだってあったはず。
そういうときは、適当な数字を書いたんじゃないでしょうか。
経験を積めば、だいたい何リットルってわかるんでしょうね。
その伝票は、学校から帰ると、たいがい玄関の下駄箱の上に置かれたままでした。
お金は、そのとき、現金で払ったんですかね?
お釣りは貰いたくないですよね。
細かい小銭を用意して、きっちりの金額で払いたいです。

↑お釣り用のこういう缶を、わが家で見た記憶は無いですが。
伝票にも触りたくないので、下駄箱に置かせて放っておいたんだと思います。
ゴミ捨てに行くときに、ゴミ袋越しに掴んで袋に入れたんじゃないですか。
なくてはならない商売なのに、やはり好かれていなかったのは仕方のないことでしょう。

↑「み」
縁側から茶の間を覗いたところ。
↓縁側の下に、七輪が収納してあります。

↑「み」
こんなところに突っこんであるということは……。
料理用ではなく、暖房用だったのじゃないでしょうか?
夏場は不要なので、ここに仕舞われてるわけです。
暖房と云っても、主暖房ではなく、手あぶり程度でしょうが。
網を載せて、お餅を焼いたりしたのかも知れません。
↓でも、普通は火鉢を使いますよね。

↑昭和26年の新潟市(現・中央区)。寒かったでしょうね。
ほんとに冬の暖房として七輪を使ったか、ちょっと自信がなくなりました。
ひょっとしたら、魚は外で焼いたんでしょうか。

↑サンマを焼いてるところ。
台所で焼いたら、家中が煙りだらけになるでしょうから。
縁側の沓脱ぎ石の上で焼いたのかも知れません。

↑「み」
建物脇にあった展示品です。
葛飾区は、玩具産業が盛んだったようです。
誰もが聞いたことがある玩具メーカーに、『タカラトミー』があります。
1955(昭和30)年、葛飾区本田宝木塚町(ほんだほうきづかちょう)で……。
『(有)佐藤ビニール工業所』が創業されました。
創業者は、佐藤安太(1924年~)。
安太、31歳のときです。
この会社が、後の『タカラトミー』となります。
“タカラ”は、地名にある“宝”から取られたそうです。
『(有)佐藤ビニール工業所』は……。
1960(昭和35)年に発売した『ダッコちゃん』でブレイクします。

↑浮き輪代わりにもなったのでしょうか?
その後、1967(昭和42)年に出した『リカちゃん』で……。
おもちゃ業界をリードする地位は、不動のものとなりました。
現在の本社は、葛飾区立石にあります。

本田宝木塚町(ほんだほうきづかちょう)は、その後、宝町に改名されてます。

↑「み」
縁台と将棋盤。
そう言えば、この家には、お風呂がありませんでした。
みんな、銭湯に通ったんでしょうね。

↑「み」。昨年訪ねた『江戸東京たてもの園』の『子宝湯(足立区千住元町から移築)』。
ひょっとしたら、工場の工員さんも、銭湯に行ってから帰ったかも。
銭湯帰りに、この縁台で将棋を指すこともあったのでしょう。
ぜったい、蚊に食われます。

↑村田英雄『王将』のモデルとなった坂田三吉は、縁台将棋で強くなったそうです。

↑「み」
奥に自転車があります。
お爺ちゃんが、酔っ払い運転をしたかも知れません。

↑瓶を持ったままは乗らないでしょうが。
頑丈一辺倒ですね。
荷台に、子供を載せたりもしたでしょう。
座布団を敷かなければ、お尻が痛かったはず。

↑昭和の蕎麦屋。驚異的なスキルです。そもそも、どうやって積むんでしょう?

↑「み」
三輪自動車です。
ダイハツのミゼット。
軽自動車です。
1957(昭和32)年から1972(昭和47)年まで販売されてたそうです。
15年間ですね。
顔がカエルみたいで、とても可愛いです。
↑走行してる様子。かなりやかましいです。
でも、なんで三輪である必要があったんでしょう。
調べてみたら、法制度の有利性があったことがひとつ。
戦前は何と、三輪は無免許で乗れたそうです。
もちろん、戦後はダメですが。
あとは、前輪がひとつということで……。
ハンドルを切るステアリングの構造が簡単なため、コストが抑えられたそうです。
当然、小廻りも効きますから、路地裏のようなところまで、配達で入って行けました。
欠点はもちろん、安定性の悪さ。
カーブで、よく転けたそうです。
実際、安定性の悪さは、↑の動画でもよくわかります。
しかし、自動車という乗り物ですが……。
考えてみれば、機構的にはものすごく単純ですよね。
早い話、前のタイヤが左右に動くだけでしょ。

こんな機械が、なんで最低100万円もするんですか。
1,000万円の高級車なんて、考えられませんよ。

↑レクサス LX570(トヨタ)。11,150,000円(税込)。これより高い国産車も、4車種くらいあるようです。
自動車に比べたら、農業機械や建設機械は、実に複雑な可動部を有します。
↓バックホーなんか、いったい何カ所が動くんでしょう。

とにかく、自動車の値段は、もっと下げられるはず。
若者の車離れが進んでるそうですが……。
購入して維持していく出費がバカらしいという気持ちはわかります。
地方では、乗らずには生活できないという事情もありますが……。
カーシェアリングやコミュニティバスなどの仕組みが充実していけば、個人で所有する人は減っていくでしょう。

さて、話に戻りましょう。

↑「み」
可愛いので、もう1枚、撮りました。
手前の木箱は、ゴミ箱でしょう。

↑「み」
最後に、遠景を1枚。
ミゼットは、大事にされてたんだなぁという気がします。
なぜか、東北の『曲り家(まがりや)』を連想してしまいました。

東北の家では、大事な労働力である馬を、室内で飼ってたんです。

↑『遠野ふるさと村(岩手県遠野市)』という施設です(入場料、大人520円)。
これで、ボルト・ナット工場一家の写真は終わりです。

↑「み」
水郷葛飾に伝わる、魚採りの道具。
職業としての漁ではなく、遊び兼自給用で使ったものなんでしょうね。
↓奥の細長いものは、ウナギとドジョウ用の罠で、『ウナギドウ』。

↑「み」
ドジョウが水面に出て空気を吸うのは、呼吸のためではないそうです。

↑おっさん顔です。いわゆる、どじょうヒゲ。
空気を吸って、お尻から泡を出し、腸を掃除してるのだとか。
空気呼吸は必要ないので、冬期は泥の中で冬眠できます。

↑あわれ……。
手前の瓶のようなものでは、ハゼを採ったようです。
『セルビン』と書いてあるみたいです。
説明書きは写ってましたが、残念ながら読めませんでした。
要は、中にエサを入れておき……。
入れるけど出れない仕組みを作れば良いようです。

「セル」は、セルロイドの略でしょうか?
現在は、ペットボトルを使えば、子供でも作れます。

↑簡単に出られそうですが、透明だとわからないんですかね?

↑「み」
休憩用(?)のソファー越しに、植栽スペースが見えます。
↓『ヘデラ・カナリエンシス』というウコギ科の蔓植物。

↑「み」
これ、うちの庭の裏手にもはびこってます。
まったく陽の当たらないところに、ポット苗を1株だけ植えたんです。
それが、あっという間に広がり、大群落を成してしまいました。
繁殖力には、猛烈なものがあります。
蔓を伸ばして這い回り、地面に接した蔓から根を出して定着します。
ただ、登坂力は大したことありません。
ここでも、数カ所からは立ちあがってますけどね。
これがナツヅタ(ブドウ科)だったら大変です。

↑名前のとおり、落葉性です。真っ赤な紅葉が美しいです(童謡『まっかな秋』)。
あっという間に、タイル壁など見えなくなってしまいます。
登坂力は強烈。
ガラス面も登ります。
別荘地などで、これを外壁に這わせてると……。
留守の間に、窓を覆われてしまうことさえあります。

↑「み」
ロッカーもあり、使わせてもらいました。
100円玉を入れて施錠しますが、解錠すれば戻ってきます。
さて、『葛飾区郷土と天文の博物館』の写真は、これでお終いです。
ロッカーの写真を撮ったのが、12:07分。
↓入口のサツキツツジの写真が、11:48分でした。

↑「み」
滞在時間、19分。
別に、急いで見たつもりはないんですけどね。
予定では、ここでの見学時間に30分を取ってありました。
11:50~12:20分まで。
10分ほど、貯金が出来たことになります。

↑博物館の全貌です。立派ですね。中央上部のドームは、プラネタリウムです。
さて。
お昼時です。
普通の人なら、ここで昼食にするでしょう。
でも、わたしは昼食を摂らないので、このまま次の施設に向かいます。
実はわたしが、普段の生活でも昼食を摂らなくなったのは……。
東京に遊びに来たときの経験からなんです。
昔は、普通に昼食を摂ってました。
ていうか、摂るものだと思って、疑問を持たなかったんです。
でも、これがなかなかハードルが高い。