2015.1.24(土)
ド「話を逸らさないでください。
顔や姿をあげつらうのは、とても失礼なことですよ。
間違っても、僕をデブだなんて言わないでください」
み「自分で言ってるではないか」
ド「そもそも、人のこと言える容姿なんですか」
み「失敬千万!」
ド「ほら、容姿を悪し様に言われれば、腹が立つでしょ」
み「じゃ、顔がデカいのは許すとして……。
あのフォームは、いくらなんでも変だろ」
ド「どこがです?」
み「腕ですよ。
あんなに腕が伸びきってたら、強いボールなんて投げられません」
↑これだけ後ろに人が写らない画像ばかりあるということは、いかに人通りが少ないかということです。
ド「ソフトボールのピッチャーは、伸ばした腕から強烈なボールを投げますよ」
↑日本のエース、上野由岐子投手。
↓上野投手の投球練習。
み「ソフトボールは、距離が近いからでしょ。
野球の距離は、どれくらい?
ピッチャープレートとホームベースの間」
ド「18.44メートルです」
み「ソフトボールは?」
ド「確か、女子は、13.11メートルですね」
み「男女で違うの?」
ド「男子は、14.02メートルです」
み「1メートル近くも違うんだ。
野球では、男女の違いは無いの?」
ド「男女の区別は無いですね。
ボーイズリーグや、軟式野球では短くなります」
み「なるほど。
それじゃ、女子のソフトボールと野球じゃ、5メートル33センチも違うじゃない。
水原勇気が、あのフォームで、ホームまで強いボールを投げれるはずは無いのじゃ」
↑ほんと、人がいません。
ド「水原勇気は、そもそも球威で勝負するタイプじゃ無かったはずです」
↑実写版。演じたのは木之内みどり。現在、竹中直人の奥さんです。
み「タイプじゃ無いって言っても、そこそこは投げれなきゃダメでしょ」
ド「左のアンダースローですからね」
ド「左バッターへのワンポイントリリーフならともかく……。
右バッターに、球威勝負は出来ませんよ」
み「左のアンダースローって、あんまりいないの?」
ド「昔、西武に永射保というピッチャーがいました」
ド「彼くらいじゃないかな。
左バッターへのワンポイントでしたけどね」
み「右バッターには、通用しないってわけ?」
ド「見やすいですからね。
左バッターなら、背中の方からボールが出てきますから」
み「そう言えば、高校野球でも見ないよね」
ド「プロ以上に、無理でしょう」
み「なんで?」
ド「高校野球で、ワンポイントリリーフなんて戦法は取れないでしょ。
右バッターでも左バッターでも、続けて投げなきゃならない。
左のアンダースローじゃ、ぜったいに地方予選を勝ち抜けませんよ」
み「じゃ、何で右のアンダースローなら、いるわけ?」
ド「それは、左バッターより、右バッターの数が多いからです。
でも今は、アンダースロー自体が、少なくなってます。
ロッテの渡辺俊介が、アメリカの独立リーグに行ってしまいましたから……」
↑スゴいフォームです。
ド「現在のプロ野球では、西武の牧田和久だけです」
み「そんなら、歴史上、最強のアンダースローって誰?」
ド「阪急の山田久志が、284勝を上げてます」
ド「勝ち星でトップです」
み「何でそんなに勝てたわけ?」
ド「球自体、速かったそうですよ。
150キロ近く出てたとか」
↑これはもう、晩年でしょうか。あまり速くは見えません。
み「スゴいじゃない
アンダーで、最速?」
ド「杉浦忠というピッチャーも、スゴかったらしいですよ」
ド「下手投げという感じじゃなかったみたいです。
手首が上を向いて立ってたそうですから」
↑ここからどうやって、リリースまで持っていったんでしょう?
み「どういうこと?」
ド「彼は、もともと、オーバースローのピッチャーだったんです。
立教大学1年生のとき、肩を壊し、アンダースローに転向してます。
大学時代、通算で36勝してますが、このうちの28勝を、アンダースローに転向してから上げてます」
み「立教ってのは、珍しいよね」
ド「立教の投手では、勝利数でトップですね」
み「いつぐらいの人なの?
立教って言えば、長嶋だけど」
ド「同級生ですよ。
同じく、昭和33年にプロ入りしてます」
↑左から、長嶋、杉浦、本屋敷。立教三羽烏と云われたそうです。
み「どこに入ったの?」
ド「南海ホークスです」
み「長嶋は、巨人だよね」
↑デビュー戦で長嶋は、国鉄の金田に4打席連続三振を喫します。でも、決して当てに来なかった長嶋に、金田は空恐ろしいものを感じたとか。
み「指名順では、どっちが先だったの?」
ド「指名って、当時はドラフトなんかありませんよ。
行きたい球団と契約出来ました」
み「それじゃ、何で南海なんかに入ったんだ?
長嶋と一緒に、巨人にも行けたんでしょ?」
ド「学生時代、南海が、栄養費と称して、お金を渡してたらしいです。
立教の2学年先輩に、大沢啓二がいるんです」
み「元日本ハム監督の?」
ド「そうそう。
親分ですね」
ド「卒業して南海に入団した大沢が、2人にお金を渡してたそうです」
み「そういうのって、違反じゃないの?」
ド「当時は大丈夫だったみたいですよ。
道義的問題はともかく」
み「さっき、2人って言ったよね。
それじゃ、長嶋ももらってたわけ?」
ド「ですね」
↑立教大学合宿所にて。左から、長嶋、杉浦、本屋敷。
み「もらってながら、入団は巨人?」
ド「ま、あの人らしいとも言えるんじゃないですか。
もっとも、プロ入りした後、もらったお金と同額を返したらしいですが」
み「同額って、お金の価値は、大学時代とプロに入ってからじゃ、大違いじゃないの」
↑左が杉浦。
ド「ま、確かに。
それに、学生時代の栄養費は、プロに入るための身体を作ったわけですからね」
↑浦和学院の寮の食事だそうです。問題ありじゃないの?
み「どーも、巨人に入る選手は、お金にまつわるダーティな雰囲気があるよね。
桑田とか」
ド「彼は、自分で稼いだお金を、自分ですっちゃっただけですから、別に悪くないでしょ」
み「イメージ的に。
あと、江川なんかもいたじゃない」
↑“空白の一日”をついて、巨人と電撃契約。
ド「彼は、お金が問題だったわけじゃないでしょ」
み「でも、ダーティーじゃないの」
ド「結局、巨人の選手が嫌いなんじゃないですか?」
み「江川の身代わりで阪神に行った小林投手は、早死にしちゃったよね」
ド「心筋梗塞だったようですね。
享年、57」
み「しんみり……。
話を戻そう。
杉浦の入団後は、どうだったわけ?」
ド「入団した年は、27勝してます」
み「どひゃー。
今じゃありえねー数字」
ド「2年目は、さらにスゴかった。
なんと、38勝4敗でした」
み「ますます、ありえねー」
ド「投球回数、371回。
奪三振、336」
み「ほぼ、1イニングに1個、取ってるわけか」
ド「アンダースローの投手としては、非常に多い数字です。
しかも、フォアボールを、35個しか出してない」
み「にゃにー。
投球回数が、371回なんでしょ。
35÷371×9=0.85!
1試合で、1個出すか出さないかじゃない」
ド「ま、驚異的なコントロールですね」
み「そのほかの数字は?」
ド「19完投、9完封。
防御率、1.40。
54イニング2/3連続無失点」
み「54イニングって、6試合じゃん。
先発投手だったんでしょ?」
ド「そうです」
み「じゃ、ほとんど、6試合連続完封ってことじゃない」
今だったら、漫画でしかありえない」
↑この時点では、オーバースローのように見えます。
ド「でも、漫画よりすごかったのが、その年の日本シリーズです」
み「ま、それだけ勝てば、リーグ優勝するわな」
ド「ペナントレースの成績は、88勝42敗4分」
み「2勝1敗のペースだね」
ド「2位の毎日大映に、6ゲーム差をつけての優勝です」
み「案外、差がつかなかったじゃないの?」
ド「そうですね。
2位、毎日大映の成績は、82勝48敗6分。
ぶっちぎりで優勝してもおかしくない数字でした」
み「セ・リーグは?」
ド「巨人です。
こちらもシーズンの成績は、77勝48敗5分」
ド「同率2位の大阪(後の阪神)と中日に、13ゲーム差をつけての圧勝でした」
↑6月25日、展覧試合で、長嶋が阪神村山からサヨナラホームランを打った年です。
み「長嶋も1年目から活躍したんだよね」
ド「昭和33年の新人王は、パ・リーグが杉浦、セ・リーグが長嶋でした」
み「そして、その2年目!
日本シリーズでの、因縁の対決」
み「監督は誰の時代?」
ド「巨人は、水原茂」
↑高松中央公園に立つ銅像。
ド「南海は、鶴岡一人です」
↑監督として23年間指揮を取り、通算1,773勝。監督としての最多勝記録です。
み「そして、その結果は!」
ド「南海の圧勝でした。
4タテです」
↑この年、日本シリーズを制したときのペナント。
み「うーむ。
そりゃ、気分いいな。
杉浦が活躍したんだね?」
ド「第1戦、10対7、南海の勝ち。
勝利投手、杉浦。
第2戦、6対3、南海の勝ち。
勝利投手、杉浦。
第3戦、3対2、南海の勝ち。
勝利投手、杉浦。
第4戦、3対0、南海の勝ち。
勝利投手……。
杉浦」
み「ちょっと、待たんかい。
杉浦は、先発投手だったんでしょ?」
ド「そうです」
み「4試合連続先発したってこと?」
ド「第2戦だけ、リリーフですね。
あとは、ぜんぶ先発」
み「点数を見ると、尻上がりに調子を上げてった感じだね」
ド「10月24日、第1戦、大阪球場。
杉浦は、8回まで投げて3失点。
9回は7点差でしたから、杉浦を温存するために、リリーフを送ったんです。
でも、巨人に4点返され、ヒヤヒヤの逃げ切りでした。
これで鶴岡監督は、杉浦以外じゃ通用しないと思ったんじゃないですか?」
み「さすがに、次の試合は先発させなかったわけね」
ド「10月25日、第2戦、大阪球場。
巨人が初回に長嶋の2ランで先制したんですが……。
その後は、スクイズの失敗なんかで、追加点を取れませんでした。
そうこうするうち、南海が4回に集中打で逆転したんです。
で、温存してた杉浦を、5回から投入。
巨人の反撃を1点に押さえて投げ切りました」
み「第3戦からは、巨人の本拠地に行くわけだね?」
ド「そうです。
10月27日、第3戦、後楽園球場」
み「果たして、その結果は!」
ド「結果は、もうわかってるじゃないですか」
み「盛り上げてるの!」
ド「ありがとうございます。
杉浦が先発しました」
み「ありえねー」
ド「巨人が初回、長嶋の適時打で1点先制します。
しかし南海は、2回表、ヒットで出塁した杉浦を1塁に置き……。
キャッチャー野村が、逆転の2ランホームランを打ちました」
み「野村って、あのノムさん?」
ド「そうです」
↑これは、昭和40年の写真。この年、三冠王を取ったそうです。なお、抱いてる子供はご子息ですが、“カツノリ”では無いそうです。
ド「野村は、シリーズ4試合、全イニングでマスクを被ってます」
み「攻撃の時も?」
ド「攻撃の時は被ってません」
み「続けてちょ」
ド「杉浦の力投で、そのまま南海が逃げ切るかと思われたんですが……。
9回裏の巨人。
坂崎に起死回生の同点ホームランが出ます」
↑坂崎一彦(1938年1月5日~2014年1月28日)。
み「2対2ね」
ド「しかし、10回表に、再び南海が勝ち越します。
その裏を、杉浦が抑え切り、南海の勝利」
み「完投しちゃったわけ?」
ド「142球、10回完投です」
み「暴挙だぜ。
そして、ついに最終戦」
ド「第4戦は、雨で1日順延されました。
この順延が無ければ、先発は杉浦じゃなかったかも知れません」
み「1日順延って……。
142球投げて、その翌々日だぞ」
ド「10月29日、第4戦、後楽園球場」
み「杉浦、先発のわけね?」
ド「そうです」
み「第4戦、巨人は0点だよね。
まさか……」
ド「杉浦は巨人打線を寄せ付けず、散発の5安打に抑えきり……。
完封してます」
み「やっぱり。
まさに鬼神と化して、巨人の前に立ちはだかったって感じだね」
ド「4連戦、4連投、4連勝。
シーズンMVPも取ってましたが……。
もちろん、シリーズでもMVPでした。
南海が初めて日本シリーズで巨人と対戦してから8年……。
5回目の挑戦で勝ち取った日本一に、大阪市民は熱狂します」
み「でしょうな」
ド「シリーズ終了翌々日の10月31日。
秋晴れの下、優勝パレードが大阪で行われました。
沿道には市民20万人が集まり、『御堂筋パレード』と呼ばれたそうです」
み「人間の一生で、こんなことがあるのかっていう1週間だったね」
ド「ですよね。
漫画でも、こんなストーリーは書けません」
み「杉浦は結局、生涯で何勝してるの?」
ド「187勝です」
み「200勝、出来なかったわけか」
ド「入団後、3年間の成績は、27勝、38勝、31勝。
3年間で、96勝してるんです。
4年目の5月に100勝を上げてますが……。
シーズン30勝以上は、2年目、3年目だけでした」
み「4年目は何勝?」
ド「20勝です」
み「今なら、大エースの成績だよ」
ド「実働は、13年。
前半の7年で、164勝してるんですが……。
後半の6年は、23勝でした」
み「やっぱり、酷使だよな」
ド「4年目も、20勝はしましたが……。
速球は影を潜めてしまったそうです。
カーブでカウントを稼ぎ、シュートで詰まらせるというピッチング。
実はシーズン前から、右腕に違和感が生じていたんです。
20勝を上げた試合で……。
鶴岡監督に『腕に感覚がない』と言い、初めて自らマウンドを降り、リリーフを仰いだそうです。
病院で診断を受けたところ……。
結果は、動脈閉塞。
毛細血管も切れてたそうで、右腕は真っ白。
即、手術となりました。
手術は成功しましたが、もう球速は戻らなかったそうです」
み「なんか……。
言葉が無いね。
投げさせすぎだよ、鶴岡!
『一将功成りて万骨枯る』ってこのことだろ」
ド「ま、相当に無理のあるフォームでもありましたから。
『手首を立てたアンダースロー』と云われてたんです」
み「どういうこと?」
ド「ぼくも、見たわけじゃないですけどね。
アンダースローなのに、手首が上を向いて立ってたそうです」
↑やっぱり、この瞬間のことを云うのでしょうか?
み「そんなフォームで投げれるの?」
ド「とにかく、手首のスナップが強烈だったそうです。
リリースで手首を返す瞬間の『パッコーン』という音が、ベンチまで聞こえたとか」
み「うーむ。
まったく想像できない」
ド「上体を真横に倒したまま、オーバースローで投げる感じじゃないですか」
み「そんな投げ方、普通、出来んだろ」
ド「ま、出来ませんね。
あんなフォームは、誰にも真似できないと思います」
み「ふむ。
世に、孤高という言葉があるが……。
まさにそれだな。
自分の技術を、誰にも伝えられないわけだ」
ド「ですね」
み「引退後は、ピッチングコーチなんか、したの?」
ド「3年くらい、したようです」
み「南海で?」
ド「いえ。
近鉄バファローズですね」
み「何でまた?」
ド「当時の近鉄監督だった西本幸雄は、立教出身なんです」
み「なるほど。
でも、自分と同じタイプのピッチャーなんて、いないだろ?」
ド「鈴木啓示なんかを指導したようです」
み「その人、アンダースロー?」
ド「知りませんか?
最後の300勝投手です」
↑9位、梶本隆夫投手の254勝255敗というのもスゴいですね。
ド「左のオーバースロー」
み「真逆じゃん」
ド「なまじ似てない方が、指導しやすかったんじゃないですか」
み「指導者としては、それだけ?」
ド「南海の監督をしてます。
ちょうど、南海がダイエーに身売りをするころです。
最初の3年が南海。
最後の1年がダイエー」
↑次の監督は、田淵幸一。その次が、梶本隆夫でした。そしてその次が、王貞治。
み「てことは、ダイエーの初代監督じゃない?」
ド「そうなりますね。
南海としての最後のホームゲームでは、試合後のセレモニーで……。
ファンに、『九州に行ってまいります』との言葉を残したそうです」
み「ふむ。
監督としては、どうだったの?」
ド「ま、監督の場合、選手に恵まれるかどうかという巡り合わせもありますからね」
み「芳しくなかったわけね」
ド「4年間、すべてBクラスでした。
4位が2回。
あとは、5位と6位です。
一度も勝率5割を上回ることは出来ませんでした」
み「にゃるほど。
現役時代とは、大違いというわけか。
現役の前半では、山のようにタイトルを取ったんだろうね」
ド「それが、そうでもないんです。
最多勝は、1回ですし。
2年目の38勝のとき」
み「ちょっと待て。
確か、1年目が27勝で、3年目も31勝だよね」
ド「あと、20勝以上を、もう2回達成してます」
み「それでも、最多勝じゃなかったわけ?」
ド「27勝のときは、西鉄の稲尾が33勝でした。
31勝のときも、大毎の小野が33勝」
み「はぁ」
ド「最優秀防御率も、2年目の1回だけです。
1.40」
み「先発投手で、1.40なんて、今じゃ考えられませんぜ」
ド「ですね。
杉浦でも、1点台は、この年だけです。
後は、1年目と3年目が、共に2.05ですね」
み「2.05でも取れない?」
ド「1年目は、西鉄の稲尾が1.42。
3年目は、大毎の小野が1.98」
み「はぁ」
ド「最多奪三振が2回。
2年目と3年目。
それぞれ、336と317です。
タイトルは、これだけですね」
み「はぁ」
ド「タイトル以外の表彰も、案外少ないです。
もちろん、新人王は取ってますが……。
2年目に、MVPと最優秀投手とベストナイン、日本シリーズのMVPと最優秀投手。
これらをみんな取りましたが、すべて、この年、1年だけの受賞でした」
み「翌年の31勝でも取れない……」
ド「もちろん、野球殿堂入りはしてます。
1995年」
↑東京ドームにある『野球殿堂博物館』に飾られたレリーフ。
み「ふむ。
記録より記憶に残る選手ってことだね」
ド「2年目の輝きが、強烈すぎましたよね。
まさに、一瞬の光芒というやつでしょう」
み「うーぬ。
でも、テレビで見ないよね。
長嶋と同い年なんでしょ。
長嶋って、何年生まれ?」
ド「1935(昭和10)年です」
み「2015年で、ちょうど80歳か。
さすがにもう、監督は無理だろうけど……。
でも、野村の方が上でしょ?
2年目のシリーズで、全試合マスクを被ったってことは……。
杉浦が入ってきたときは、すでにレギュラーキャッチャーってことだよね」
ド「同い年ですよ。
野村克也は高卒で入ってますから……。
入団は4年早いことになります」
↑野村は、京丹後市にある京都府立峰山高校から、南海にテスト生として入団しました。契約金は、ゼロだったそうです。
み「同い年か……。
そんなら、まだ老けこむ歳じゃないよな。
ひょっとして、もう亡くなってる?」
ド「はい。
早死にでした。
2001年、66歳で死去」
↑亡くなる前日の写真。プロ野球マスターリーグ『大阪ロマンズ』の監督代行を務めました。右腕が細いのが切ないです。
み「死因は?」
ド「心筋梗塞です」
み「にゃに!
小林繁も心筋梗塞だったよね」
ド「確かに」
み「アンダースローってのは、心臓に負担がかかるんじゃないか?」
ド「さー」
み「里中は、心臓が痛いとか言ってなかった?」
↑『水島新司まんがストリート』の里中。やっぱり、変。
ド「縁起悪いこと言わないでください。
そんな話、聞いたことないです」
み「里中が死んだら、わたしに一報してくれ」
ド「死にませんって」
み「そんなこと言うて、君ら、けっこう歳じゃろ?」
ド「最初のころは、時代設定がリアルタイムだったみたいですが……。
その後、曖昧になったようです。
リアルと連載は、だんだんずれちゃいますからね」
み「それは、わたしも良くわかる。
『由美美弥』もそうだけど、この『東北に行こう!』でもそうだから。
連載の方は、いっこうに時間が経たないのに……。
リアルの時間は、飛ぶように過ぎ去ってく。
『ドカベン』の最初の時代設定は、いつごろだったの?」
ド「連載の初っ端に、ボクが明訓高校に入学するんですが……。
その年の夏の甲子園が、第56回大会となってます」
み「第56回って、何年よ?」
ド「1974年ですね。
昭和49年」
↑優勝は、千葉県代表の銚子商業。このサインって、高校生の自筆? 上手すぎだろ。
み「にゃにー。
1974年に高校入学ってことは、生まれは、その16年前だから……。
1958年!
これって、昭和33年?」
ド「そうなりますね」
み「てことは、今、いくつよ?
げ。
2015年で、57歳じゃん。
チミ、もうすぐ還暦?」
↑今や、還暦は、まだ現役!
ド「漫画の主人公は、歳を取らないんです」
み「ま、わたしの『由美美弥』もそうだけどね」
ド「『古町通』のオブジェも、同じです」
み「あ、それについての恨み事を言いに出てきたんだったな」
ド「オバケみたいに言わないでください」
み「しかし、あの通りも寂れたものよの。
人通り、無いでしょ?」
ド「確かに……。
首都圏とは違いますね。
ちょっと、駅から離れすぎてますよね」
み「そこなのよ。
新潟駅まで、歩けば30分もかかっちゃう」
み「古町で飲んだら、帰りはどうしてもタクシー。
会社の接待なら、経費で落とせるだろうけど……。
個人的にはね。
飲み代にタクシー代も加算されるわけだから」
↑これは、古町界隈にいるという噂の『ベロ(自転車)タクシー』。でも、走ってる所を、1度も見たことがありません。料金は、普通のタクシーより高いようです(参照)。
ド「どうして、あんなに駅から離れたところに繁華街が出来たんですか?」
み「話が逆だよ。
駅は、後に出来たの。
古町が栄えてた昔は、舟運の時代。
信濃川が、交通の大動脈だったわけ」
ド「でも、川とも微妙に離れてますよね」
み「それは、川が細くなっちゃったんだよ」
ド「なんでです?
どうやったら、そんなに痩せられるんです?」
み「食いついて来たな。
チミも、やっぱり痩せたい?」
ド「やっぱり、現役を引退したら、節制しないと」
み「とにかく、食事を減らすべき」
ド「……」
み「黙るな。
相撲取りなんかでも、引退しても食生活が変わらないって人もいるらしい。
運動量が落ちてるのに、同じ量食べてるから、ますます太っちゃう」
↑元大関小錦。このころは、300キロあったそうです。
み「ていうか、不健康な太り方になっちゃうから……。
早死にが多いんだよ」
↑なんと、150キロのダイエットに成功。
み「そうそう。
チミのアダ名をもらった香川伸行も死んじゃったでしょ?」
ド「ですね」
み「彼は、何年生まれよ?」
ド「1961年です」
み「チミより、3つ下か。
とすれば、2015年でも、54歳じゃない。
いつ亡くなったのよ?」
ド「2014年です」
み「享年、53」
ド「誕生日前でしたから、52ですね」
み「若すぎだろ。
死因は?」
ド「心筋梗塞」
み「にゃにー。
里中に続き、ドカベン香川も心筋梗塞!」
ド「里中は生きてますって」
み「ほかに、誰が心筋梗塞なんだっけ?」
ド「杉浦忠と小林繁でしょ」
み「あ、そうか。
アンダースロー繋がりだったな。
心筋梗塞といえば、サッカーにもいたよね」
ド「あぁ。
松本山雅の、松田直樹ですね」
み「彼、いくつだったの?」
ド「34歳だったそうです」
み「早すぎるよな」
ド「現役でしたからね。
練習中に倒れたそうです」
み「心筋梗塞……。
やっぱ、怖いよな」
ド「そう言えば、イヤに心筋梗塞に拘りますね」
み「実は……。
人ごとじゃ無いのよ」
ド「ご家族とか?」
み「うんにゃ。
わたし自身」
ド「倒れたことでもあるんですか?」
↑心筋梗塞で亡くなった安西マリアさん。ご自分で119番通報したそうです。人ごとじゃありません。
み「まだ、そこまでいってないわい。
でも、何年か前の健康診断で……。
心電図が引っかかった。
下壁梗塞疑いって」
ド「大変じゃないですか。
どうしたんです?」
み「もちろん、かかりつけのクリニックに行って相談した。
じゃ、もう一度測ってみましょうって、その場で再検査してもらったんだ」
ド「結果は?」
み「なんか、期待してる顔だな」
ド「そんなことありません」
み「そもそも、チミは感情がわかりづらいんだよ。
目に白目が無いから」
ド「そういうキャラなんだから、仕方ないです。
で、どうだったんです?」
み「異常なし」
ド「なんだったんでしょうね?」
み「その年は、会社の健診先が切り替わった年なのよ。
で、その年の健診では……。
前の健診先ではなんとも無かったのに、悪い値が出たりしたって社員がけっこういたわけ」
ド「検査方法とか、変わったんですかね?」
み「前の健診先は、健診専門の健康センターみたいなところだったの。
それが、新しい健診先は、病院よ。
それが、どうも怪しい」
ド「何でです?」
み「悪い結果を出して、病院に客として呼びこもうという……」
ド「そりゃ、ブラックすぎでしょ。
ほとんど犯罪ですよ」
み「わたし的には、自覚症状もまったくなかったし……。
再検査の『異常なし』を信じることにした。
その後、しばらくは何とも無かったの」
ド「ところが……」
み「身を乗り出すな!」
ド「すみません。
人の病気の話って、スゴく聞きたくなりますよね」
み「人の不幸は蜜の味って言うからね」
↑これは、壇蜜。
ド「症状が出たわけですね」
み「そうなのよ。
最初は、普通にお布団で寝てるときだった。
急に、心臓の動悸が早くなったの。
それも、すっごい軽い感じの鼓動。
トトトトトって、上っ面だけ叩いてる感じ」
み「と同時に、全身に冷や汗が噴き出した」
ド「ほー」
み「乗り出すなと言うに!」
ド「でも、大丈夫だったんですよね。
今、こうして生きてるわけですから」
み「苦しさってのは、ぜんぜん無いのよ。
ただ、鼓動が早くなって、冷や汗が出るだけ。
でも、気味悪さは、十二分だった」
ド「救急車を呼んだとか?」
み「そこまでする感じじゃないよ。
しばらくしたら収まったから、そのまま寝てしまった」
ド「目が覚めないかも知れないじゃないですか」
ド「意識があるうちに、救急車を呼んだ方がいいですよ」
顔や姿をあげつらうのは、とても失礼なことですよ。
間違っても、僕をデブだなんて言わないでください」
み「自分で言ってるではないか」
ド「そもそも、人のこと言える容姿なんですか」
み「失敬千万!」
ド「ほら、容姿を悪し様に言われれば、腹が立つでしょ」
み「じゃ、顔がデカいのは許すとして……。
あのフォームは、いくらなんでも変だろ」
ド「どこがです?」
み「腕ですよ。
あんなに腕が伸びきってたら、強いボールなんて投げられません」
↑これだけ後ろに人が写らない画像ばかりあるということは、いかに人通りが少ないかということです。
ド「ソフトボールのピッチャーは、伸ばした腕から強烈なボールを投げますよ」
↑日本のエース、上野由岐子投手。
↓上野投手の投球練習。
み「ソフトボールは、距離が近いからでしょ。
野球の距離は、どれくらい?
ピッチャープレートとホームベースの間」
ド「18.44メートルです」
み「ソフトボールは?」
ド「確か、女子は、13.11メートルですね」
み「男女で違うの?」
ド「男子は、14.02メートルです」
み「1メートル近くも違うんだ。
野球では、男女の違いは無いの?」
ド「男女の区別は無いですね。
ボーイズリーグや、軟式野球では短くなります」
み「なるほど。
それじゃ、女子のソフトボールと野球じゃ、5メートル33センチも違うじゃない。
水原勇気が、あのフォームで、ホームまで強いボールを投げれるはずは無いのじゃ」
↑ほんと、人がいません。
ド「水原勇気は、そもそも球威で勝負するタイプじゃ無かったはずです」
↑実写版。演じたのは木之内みどり。現在、竹中直人の奥さんです。
み「タイプじゃ無いって言っても、そこそこは投げれなきゃダメでしょ」
ド「左のアンダースローですからね」
ド「左バッターへのワンポイントリリーフならともかく……。
右バッターに、球威勝負は出来ませんよ」
み「左のアンダースローって、あんまりいないの?」
ド「昔、西武に永射保というピッチャーがいました」
ド「彼くらいじゃないかな。
左バッターへのワンポイントでしたけどね」
み「右バッターには、通用しないってわけ?」
ド「見やすいですからね。
左バッターなら、背中の方からボールが出てきますから」
み「そう言えば、高校野球でも見ないよね」
ド「プロ以上に、無理でしょう」
み「なんで?」
ド「高校野球で、ワンポイントリリーフなんて戦法は取れないでしょ。
右バッターでも左バッターでも、続けて投げなきゃならない。
左のアンダースローじゃ、ぜったいに地方予選を勝ち抜けませんよ」
み「じゃ、何で右のアンダースローなら、いるわけ?」
ド「それは、左バッターより、右バッターの数が多いからです。
でも今は、アンダースロー自体が、少なくなってます。
ロッテの渡辺俊介が、アメリカの独立リーグに行ってしまいましたから……」
↑スゴいフォームです。
ド「現在のプロ野球では、西武の牧田和久だけです」
み「そんなら、歴史上、最強のアンダースローって誰?」
ド「阪急の山田久志が、284勝を上げてます」
ド「勝ち星でトップです」
み「何でそんなに勝てたわけ?」
ド「球自体、速かったそうですよ。
150キロ近く出てたとか」
↑これはもう、晩年でしょうか。あまり速くは見えません。
み「スゴいじゃない
アンダーで、最速?」
ド「杉浦忠というピッチャーも、スゴかったらしいですよ」
ド「下手投げという感じじゃなかったみたいです。
手首が上を向いて立ってたそうですから」
↑ここからどうやって、リリースまで持っていったんでしょう?
み「どういうこと?」
ド「彼は、もともと、オーバースローのピッチャーだったんです。
立教大学1年生のとき、肩を壊し、アンダースローに転向してます。
大学時代、通算で36勝してますが、このうちの28勝を、アンダースローに転向してから上げてます」
み「立教ってのは、珍しいよね」
ド「立教の投手では、勝利数でトップですね」
み「いつぐらいの人なの?
立教って言えば、長嶋だけど」
ド「同級生ですよ。
同じく、昭和33年にプロ入りしてます」
↑左から、長嶋、杉浦、本屋敷。立教三羽烏と云われたそうです。
み「どこに入ったの?」
ド「南海ホークスです」
み「長嶋は、巨人だよね」
↑デビュー戦で長嶋は、国鉄の金田に4打席連続三振を喫します。でも、決して当てに来なかった長嶋に、金田は空恐ろしいものを感じたとか。
み「指名順では、どっちが先だったの?」
ド「指名って、当時はドラフトなんかありませんよ。
行きたい球団と契約出来ました」
み「それじゃ、何で南海なんかに入ったんだ?
長嶋と一緒に、巨人にも行けたんでしょ?」
ド「学生時代、南海が、栄養費と称して、お金を渡してたらしいです。
立教の2学年先輩に、大沢啓二がいるんです」
み「元日本ハム監督の?」
ド「そうそう。
親分ですね」
ド「卒業して南海に入団した大沢が、2人にお金を渡してたそうです」
み「そういうのって、違反じゃないの?」
ド「当時は大丈夫だったみたいですよ。
道義的問題はともかく」
み「さっき、2人って言ったよね。
それじゃ、長嶋ももらってたわけ?」
ド「ですね」
↑立教大学合宿所にて。左から、長嶋、杉浦、本屋敷。
み「もらってながら、入団は巨人?」
ド「ま、あの人らしいとも言えるんじゃないですか。
もっとも、プロ入りした後、もらったお金と同額を返したらしいですが」
み「同額って、お金の価値は、大学時代とプロに入ってからじゃ、大違いじゃないの」
↑左が杉浦。
ド「ま、確かに。
それに、学生時代の栄養費は、プロに入るための身体を作ったわけですからね」
↑浦和学院の寮の食事だそうです。問題ありじゃないの?
み「どーも、巨人に入る選手は、お金にまつわるダーティな雰囲気があるよね。
桑田とか」
ド「彼は、自分で稼いだお金を、自分ですっちゃっただけですから、別に悪くないでしょ」
み「イメージ的に。
あと、江川なんかもいたじゃない」
↑“空白の一日”をついて、巨人と電撃契約。
ド「彼は、お金が問題だったわけじゃないでしょ」
み「でも、ダーティーじゃないの」
ド「結局、巨人の選手が嫌いなんじゃないですか?」
み「江川の身代わりで阪神に行った小林投手は、早死にしちゃったよね」
ド「心筋梗塞だったようですね。
享年、57」
み「しんみり……。
話を戻そう。
杉浦の入団後は、どうだったわけ?」
ド「入団した年は、27勝してます」
み「どひゃー。
今じゃありえねー数字」
ド「2年目は、さらにスゴかった。
なんと、38勝4敗でした」
み「ますます、ありえねー」
ド「投球回数、371回。
奪三振、336」
み「ほぼ、1イニングに1個、取ってるわけか」
ド「アンダースローの投手としては、非常に多い数字です。
しかも、フォアボールを、35個しか出してない」
み「にゃにー。
投球回数が、371回なんでしょ。
35÷371×9=0.85!
1試合で、1個出すか出さないかじゃない」
ド「ま、驚異的なコントロールですね」
み「そのほかの数字は?」
ド「19完投、9完封。
防御率、1.40。
54イニング2/3連続無失点」
み「54イニングって、6試合じゃん。
先発投手だったんでしょ?」
ド「そうです」
み「じゃ、ほとんど、6試合連続完封ってことじゃない」
今だったら、漫画でしかありえない」
↑この時点では、オーバースローのように見えます。
ド「でも、漫画よりすごかったのが、その年の日本シリーズです」
み「ま、それだけ勝てば、リーグ優勝するわな」
ド「ペナントレースの成績は、88勝42敗4分」
み「2勝1敗のペースだね」
ド「2位の毎日大映に、6ゲーム差をつけての優勝です」
み「案外、差がつかなかったじゃないの?」
ド「そうですね。
2位、毎日大映の成績は、82勝48敗6分。
ぶっちぎりで優勝してもおかしくない数字でした」
み「セ・リーグは?」
ド「巨人です。
こちらもシーズンの成績は、77勝48敗5分」
ド「同率2位の大阪(後の阪神)と中日に、13ゲーム差をつけての圧勝でした」
↑6月25日、展覧試合で、長嶋が阪神村山からサヨナラホームランを打った年です。
み「長嶋も1年目から活躍したんだよね」
ド「昭和33年の新人王は、パ・リーグが杉浦、セ・リーグが長嶋でした」
み「そして、その2年目!
日本シリーズでの、因縁の対決」
み「監督は誰の時代?」
ド「巨人は、水原茂」
↑高松中央公園に立つ銅像。
ド「南海は、鶴岡一人です」
↑監督として23年間指揮を取り、通算1,773勝。監督としての最多勝記録です。
み「そして、その結果は!」
ド「南海の圧勝でした。
4タテです」
↑この年、日本シリーズを制したときのペナント。
み「うーむ。
そりゃ、気分いいな。
杉浦が活躍したんだね?」
ド「第1戦、10対7、南海の勝ち。
勝利投手、杉浦。
第2戦、6対3、南海の勝ち。
勝利投手、杉浦。
第3戦、3対2、南海の勝ち。
勝利投手、杉浦。
第4戦、3対0、南海の勝ち。
勝利投手……。
杉浦」
み「ちょっと、待たんかい。
杉浦は、先発投手だったんでしょ?」
ド「そうです」
み「4試合連続先発したってこと?」
ド「第2戦だけ、リリーフですね。
あとは、ぜんぶ先発」
み「点数を見ると、尻上がりに調子を上げてった感じだね」
ド「10月24日、第1戦、大阪球場。
杉浦は、8回まで投げて3失点。
9回は7点差でしたから、杉浦を温存するために、リリーフを送ったんです。
でも、巨人に4点返され、ヒヤヒヤの逃げ切りでした。
これで鶴岡監督は、杉浦以外じゃ通用しないと思ったんじゃないですか?」
み「さすがに、次の試合は先発させなかったわけね」
ド「10月25日、第2戦、大阪球場。
巨人が初回に長嶋の2ランで先制したんですが……。
その後は、スクイズの失敗なんかで、追加点を取れませんでした。
そうこうするうち、南海が4回に集中打で逆転したんです。
で、温存してた杉浦を、5回から投入。
巨人の反撃を1点に押さえて投げ切りました」
み「第3戦からは、巨人の本拠地に行くわけだね?」
ド「そうです。
10月27日、第3戦、後楽園球場」
み「果たして、その結果は!」
ド「結果は、もうわかってるじゃないですか」
み「盛り上げてるの!」
ド「ありがとうございます。
杉浦が先発しました」
み「ありえねー」
ド「巨人が初回、長嶋の適時打で1点先制します。
しかし南海は、2回表、ヒットで出塁した杉浦を1塁に置き……。
キャッチャー野村が、逆転の2ランホームランを打ちました」
み「野村って、あのノムさん?」
ド「そうです」
↑これは、昭和40年の写真。この年、三冠王を取ったそうです。なお、抱いてる子供はご子息ですが、“カツノリ”では無いそうです。
ド「野村は、シリーズ4試合、全イニングでマスクを被ってます」
み「攻撃の時も?」
ド「攻撃の時は被ってません」
み「続けてちょ」
ド「杉浦の力投で、そのまま南海が逃げ切るかと思われたんですが……。
9回裏の巨人。
坂崎に起死回生の同点ホームランが出ます」
↑坂崎一彦(1938年1月5日~2014年1月28日)。
み「2対2ね」
ド「しかし、10回表に、再び南海が勝ち越します。
その裏を、杉浦が抑え切り、南海の勝利」
み「完投しちゃったわけ?」
ド「142球、10回完投です」
み「暴挙だぜ。
そして、ついに最終戦」
ド「第4戦は、雨で1日順延されました。
この順延が無ければ、先発は杉浦じゃなかったかも知れません」
み「1日順延って……。
142球投げて、その翌々日だぞ」
ド「10月29日、第4戦、後楽園球場」
み「杉浦、先発のわけね?」
ド「そうです」
み「第4戦、巨人は0点だよね。
まさか……」
ド「杉浦は巨人打線を寄せ付けず、散発の5安打に抑えきり……。
完封してます」
み「やっぱり。
まさに鬼神と化して、巨人の前に立ちはだかったって感じだね」
ド「4連戦、4連投、4連勝。
シーズンMVPも取ってましたが……。
もちろん、シリーズでもMVPでした。
南海が初めて日本シリーズで巨人と対戦してから8年……。
5回目の挑戦で勝ち取った日本一に、大阪市民は熱狂します」
み「でしょうな」
ド「シリーズ終了翌々日の10月31日。
秋晴れの下、優勝パレードが大阪で行われました。
沿道には市民20万人が集まり、『御堂筋パレード』と呼ばれたそうです」
み「人間の一生で、こんなことがあるのかっていう1週間だったね」
ド「ですよね。
漫画でも、こんなストーリーは書けません」
み「杉浦は結局、生涯で何勝してるの?」
ド「187勝です」
み「200勝、出来なかったわけか」
ド「入団後、3年間の成績は、27勝、38勝、31勝。
3年間で、96勝してるんです。
4年目の5月に100勝を上げてますが……。
シーズン30勝以上は、2年目、3年目だけでした」
み「4年目は何勝?」
ド「20勝です」
み「今なら、大エースの成績だよ」
ド「実働は、13年。
前半の7年で、164勝してるんですが……。
後半の6年は、23勝でした」
み「やっぱり、酷使だよな」
ド「4年目も、20勝はしましたが……。
速球は影を潜めてしまったそうです。
カーブでカウントを稼ぎ、シュートで詰まらせるというピッチング。
実はシーズン前から、右腕に違和感が生じていたんです。
20勝を上げた試合で……。
鶴岡監督に『腕に感覚がない』と言い、初めて自らマウンドを降り、リリーフを仰いだそうです。
病院で診断を受けたところ……。
結果は、動脈閉塞。
毛細血管も切れてたそうで、右腕は真っ白。
即、手術となりました。
手術は成功しましたが、もう球速は戻らなかったそうです」
み「なんか……。
言葉が無いね。
投げさせすぎだよ、鶴岡!
『一将功成りて万骨枯る』ってこのことだろ」
ド「ま、相当に無理のあるフォームでもありましたから。
『手首を立てたアンダースロー』と云われてたんです」
み「どういうこと?」
ド「ぼくも、見たわけじゃないですけどね。
アンダースローなのに、手首が上を向いて立ってたそうです」
↑やっぱり、この瞬間のことを云うのでしょうか?
み「そんなフォームで投げれるの?」
ド「とにかく、手首のスナップが強烈だったそうです。
リリースで手首を返す瞬間の『パッコーン』という音が、ベンチまで聞こえたとか」
み「うーむ。
まったく想像できない」
ド「上体を真横に倒したまま、オーバースローで投げる感じじゃないですか」
み「そんな投げ方、普通、出来んだろ」
ド「ま、出来ませんね。
あんなフォームは、誰にも真似できないと思います」
み「ふむ。
世に、孤高という言葉があるが……。
まさにそれだな。
自分の技術を、誰にも伝えられないわけだ」
ド「ですね」
み「引退後は、ピッチングコーチなんか、したの?」
ド「3年くらい、したようです」
み「南海で?」
ド「いえ。
近鉄バファローズですね」
み「何でまた?」
ド「当時の近鉄監督だった西本幸雄は、立教出身なんです」
み「なるほど。
でも、自分と同じタイプのピッチャーなんて、いないだろ?」
ド「鈴木啓示なんかを指導したようです」
み「その人、アンダースロー?」
ド「知りませんか?
最後の300勝投手です」
↑9位、梶本隆夫投手の254勝255敗というのもスゴいですね。
ド「左のオーバースロー」
み「真逆じゃん」
ド「なまじ似てない方が、指導しやすかったんじゃないですか」
み「指導者としては、それだけ?」
ド「南海の監督をしてます。
ちょうど、南海がダイエーに身売りをするころです。
最初の3年が南海。
最後の1年がダイエー」
↑次の監督は、田淵幸一。その次が、梶本隆夫でした。そしてその次が、王貞治。
み「てことは、ダイエーの初代監督じゃない?」
ド「そうなりますね。
南海としての最後のホームゲームでは、試合後のセレモニーで……。
ファンに、『九州に行ってまいります』との言葉を残したそうです」
み「ふむ。
監督としては、どうだったの?」
ド「ま、監督の場合、選手に恵まれるかどうかという巡り合わせもありますからね」
み「芳しくなかったわけね」
ド「4年間、すべてBクラスでした。
4位が2回。
あとは、5位と6位です。
一度も勝率5割を上回ることは出来ませんでした」
み「にゃるほど。
現役時代とは、大違いというわけか。
現役の前半では、山のようにタイトルを取ったんだろうね」
ド「それが、そうでもないんです。
最多勝は、1回ですし。
2年目の38勝のとき」
み「ちょっと待て。
確か、1年目が27勝で、3年目も31勝だよね」
ド「あと、20勝以上を、もう2回達成してます」
み「それでも、最多勝じゃなかったわけ?」
ド「27勝のときは、西鉄の稲尾が33勝でした。
31勝のときも、大毎の小野が33勝」
み「はぁ」
ド「最優秀防御率も、2年目の1回だけです。
1.40」
み「先発投手で、1.40なんて、今じゃ考えられませんぜ」
ド「ですね。
杉浦でも、1点台は、この年だけです。
後は、1年目と3年目が、共に2.05ですね」
み「2.05でも取れない?」
ド「1年目は、西鉄の稲尾が1.42。
3年目は、大毎の小野が1.98」
み「はぁ」
ド「最多奪三振が2回。
2年目と3年目。
それぞれ、336と317です。
タイトルは、これだけですね」
み「はぁ」
ド「タイトル以外の表彰も、案外少ないです。
もちろん、新人王は取ってますが……。
2年目に、MVPと最優秀投手とベストナイン、日本シリーズのMVPと最優秀投手。
これらをみんな取りましたが、すべて、この年、1年だけの受賞でした」
み「翌年の31勝でも取れない……」
ド「もちろん、野球殿堂入りはしてます。
1995年」
↑東京ドームにある『野球殿堂博物館』に飾られたレリーフ。
み「ふむ。
記録より記憶に残る選手ってことだね」
ド「2年目の輝きが、強烈すぎましたよね。
まさに、一瞬の光芒というやつでしょう」
み「うーぬ。
でも、テレビで見ないよね。
長嶋と同い年なんでしょ。
長嶋って、何年生まれ?」
ド「1935(昭和10)年です」
み「2015年で、ちょうど80歳か。
さすがにもう、監督は無理だろうけど……。
でも、野村の方が上でしょ?
2年目のシリーズで、全試合マスクを被ったってことは……。
杉浦が入ってきたときは、すでにレギュラーキャッチャーってことだよね」
ド「同い年ですよ。
野村克也は高卒で入ってますから……。
入団は4年早いことになります」
↑野村は、京丹後市にある京都府立峰山高校から、南海にテスト生として入団しました。契約金は、ゼロだったそうです。
み「同い年か……。
そんなら、まだ老けこむ歳じゃないよな。
ひょっとして、もう亡くなってる?」
ド「はい。
早死にでした。
2001年、66歳で死去」
↑亡くなる前日の写真。プロ野球マスターリーグ『大阪ロマンズ』の監督代行を務めました。右腕が細いのが切ないです。
み「死因は?」
ド「心筋梗塞です」
み「にゃに!
小林繁も心筋梗塞だったよね」
ド「確かに」
み「アンダースローってのは、心臓に負担がかかるんじゃないか?」
ド「さー」
み「里中は、心臓が痛いとか言ってなかった?」
↑『水島新司まんがストリート』の里中。やっぱり、変。
ド「縁起悪いこと言わないでください。
そんな話、聞いたことないです」
み「里中が死んだら、わたしに一報してくれ」
ド「死にませんって」
み「そんなこと言うて、君ら、けっこう歳じゃろ?」
ド「最初のころは、時代設定がリアルタイムだったみたいですが……。
その後、曖昧になったようです。
リアルと連載は、だんだんずれちゃいますからね」
み「それは、わたしも良くわかる。
『由美美弥』もそうだけど、この『東北に行こう!』でもそうだから。
連載の方は、いっこうに時間が経たないのに……。
リアルの時間は、飛ぶように過ぎ去ってく。
『ドカベン』の最初の時代設定は、いつごろだったの?」
ド「連載の初っ端に、ボクが明訓高校に入学するんですが……。
その年の夏の甲子園が、第56回大会となってます」
み「第56回って、何年よ?」
ド「1974年ですね。
昭和49年」
↑優勝は、千葉県代表の銚子商業。このサインって、高校生の自筆? 上手すぎだろ。
み「にゃにー。
1974年に高校入学ってことは、生まれは、その16年前だから……。
1958年!
これって、昭和33年?」
ド「そうなりますね」
み「てことは、今、いくつよ?
げ。
2015年で、57歳じゃん。
チミ、もうすぐ還暦?」
↑今や、還暦は、まだ現役!
ド「漫画の主人公は、歳を取らないんです」
み「ま、わたしの『由美美弥』もそうだけどね」
ド「『古町通』のオブジェも、同じです」
み「あ、それについての恨み事を言いに出てきたんだったな」
ド「オバケみたいに言わないでください」
み「しかし、あの通りも寂れたものよの。
人通り、無いでしょ?」
ド「確かに……。
首都圏とは違いますね。
ちょっと、駅から離れすぎてますよね」
み「そこなのよ。
新潟駅まで、歩けば30分もかかっちゃう」
み「古町で飲んだら、帰りはどうしてもタクシー。
会社の接待なら、経費で落とせるだろうけど……。
個人的にはね。
飲み代にタクシー代も加算されるわけだから」
↑これは、古町界隈にいるという噂の『ベロ(自転車)タクシー』。でも、走ってる所を、1度も見たことがありません。料金は、普通のタクシーより高いようです(参照)。
ド「どうして、あんなに駅から離れたところに繁華街が出来たんですか?」
み「話が逆だよ。
駅は、後に出来たの。
古町が栄えてた昔は、舟運の時代。
信濃川が、交通の大動脈だったわけ」
ド「でも、川とも微妙に離れてますよね」
み「それは、川が細くなっちゃったんだよ」
ド「なんでです?
どうやったら、そんなに痩せられるんです?」
み「食いついて来たな。
チミも、やっぱり痩せたい?」
ド「やっぱり、現役を引退したら、節制しないと」
み「とにかく、食事を減らすべき」
ド「……」
み「黙るな。
相撲取りなんかでも、引退しても食生活が変わらないって人もいるらしい。
運動量が落ちてるのに、同じ量食べてるから、ますます太っちゃう」
↑元大関小錦。このころは、300キロあったそうです。
み「ていうか、不健康な太り方になっちゃうから……。
早死にが多いんだよ」
↑なんと、150キロのダイエットに成功。
み「そうそう。
チミのアダ名をもらった香川伸行も死んじゃったでしょ?」
ド「ですね」
み「彼は、何年生まれよ?」
ド「1961年です」
み「チミより、3つ下か。
とすれば、2015年でも、54歳じゃない。
いつ亡くなったのよ?」
ド「2014年です」
み「享年、53」
ド「誕生日前でしたから、52ですね」
み「若すぎだろ。
死因は?」
ド「心筋梗塞」
み「にゃにー。
里中に続き、ドカベン香川も心筋梗塞!」
ド「里中は生きてますって」
み「ほかに、誰が心筋梗塞なんだっけ?」
ド「杉浦忠と小林繁でしょ」
み「あ、そうか。
アンダースロー繋がりだったな。
心筋梗塞といえば、サッカーにもいたよね」
ド「あぁ。
松本山雅の、松田直樹ですね」
み「彼、いくつだったの?」
ド「34歳だったそうです」
み「早すぎるよな」
ド「現役でしたからね。
練習中に倒れたそうです」
み「心筋梗塞……。
やっぱ、怖いよな」
ド「そう言えば、イヤに心筋梗塞に拘りますね」
み「実は……。
人ごとじゃ無いのよ」
ド「ご家族とか?」
み「うんにゃ。
わたし自身」
ド「倒れたことでもあるんですか?」
↑心筋梗塞で亡くなった安西マリアさん。ご自分で119番通報したそうです。人ごとじゃありません。
み「まだ、そこまでいってないわい。
でも、何年か前の健康診断で……。
心電図が引っかかった。
下壁梗塞疑いって」
ド「大変じゃないですか。
どうしたんです?」
み「もちろん、かかりつけのクリニックに行って相談した。
じゃ、もう一度測ってみましょうって、その場で再検査してもらったんだ」
ド「結果は?」
み「なんか、期待してる顔だな」
ド「そんなことありません」
み「そもそも、チミは感情がわかりづらいんだよ。
目に白目が無いから」
ド「そういうキャラなんだから、仕方ないです。
で、どうだったんです?」
み「異常なし」
ド「なんだったんでしょうね?」
み「その年は、会社の健診先が切り替わった年なのよ。
で、その年の健診では……。
前の健診先ではなんとも無かったのに、悪い値が出たりしたって社員がけっこういたわけ」
ド「検査方法とか、変わったんですかね?」
み「前の健診先は、健診専門の健康センターみたいなところだったの。
それが、新しい健診先は、病院よ。
それが、どうも怪しい」
ド「何でです?」
み「悪い結果を出して、病院に客として呼びこもうという……」
ド「そりゃ、ブラックすぎでしょ。
ほとんど犯罪ですよ」
み「わたし的には、自覚症状もまったくなかったし……。
再検査の『異常なし』を信じることにした。
その後、しばらくは何とも無かったの」
ド「ところが……」
み「身を乗り出すな!」
ド「すみません。
人の病気の話って、スゴく聞きたくなりますよね」
み「人の不幸は蜜の味って言うからね」
↑これは、壇蜜。
ド「症状が出たわけですね」
み「そうなのよ。
最初は、普通にお布団で寝てるときだった。
急に、心臓の動悸が早くなったの。
それも、すっごい軽い感じの鼓動。
トトトトトって、上っ面だけ叩いてる感じ」
み「と同時に、全身に冷や汗が噴き出した」
ド「ほー」
み「乗り出すなと言うに!」
ド「でも、大丈夫だったんですよね。
今、こうして生きてるわけですから」
み「苦しさってのは、ぜんぜん無いのよ。
ただ、鼓動が早くなって、冷や汗が出るだけ。
でも、気味悪さは、十二分だった」
ド「救急車を呼んだとか?」
み「そこまでする感じじゃないよ。
しばらくしたら収まったから、そのまま寝てしまった」
ド「目が覚めないかも知れないじゃないですか」
ド「意識があるうちに、救急車を呼んだ方がいいですよ」