2014.3.15(土)
食「小清水原生花園なら、ボクも行きました」
食「網走のそばですよね」
み「網走刑務所は面白かったけど……」
↑伝説の脱獄囚、白鳥由栄を模した人形。鉄格子に味噌汁を吹きつけ続け、錆びさせて脱獄したそうです。
み「原生花園はいただけまへんでしたな。
だだっ広いだけ」
↑わたしが行ったときは、花がもっと少なかった。
食「小清水原生花園は、275ヘクタールあるそうです」
み「83万坪か」
食「どうして、いちいち坪に換算するんです?」
み「日本人は、坪!」
食「換算しても買えませんよ」
み「坪10銭なら、8万3千円じゃん」
食「売りませんって」
み「湿原はもうよし。
ほかに何かない?」
食「ベンセ湿原近くの海岸に、世界最大規模の埋没林があるそうです」
↑見たからどうというものでは無さそうです。
食「約2万8千年前の針葉樹林が、環境の急変で水没し……。
その後、砂に埋もれ、根が腐らずに残ったんだとか」
み「なんか、殺伐としたものばっかりだな。
薄ら寒くなる。
あ、そうそう。
忘れるとこだった。
温泉は無いの?
日帰り温泉」
食「えーっと。
ありましたありました。
これは、『木造駅』の近くですね。
その名も、『しゃこちゃん温泉』」
み「でたー!
すんばらしいネーミングではないか」
食「“しゃこちゃん”というのは、もともと、昭和63年に開かれた青函博覧会のマスコットだったそうです」
↑これが“しゃこちゃん”だ!
み「さて、一番大事な入浴料金はいくら?」
食「大人320円ですね」
み「安い!」
食「食塩泉で、湯冷めしないそうですよ」
み「駅近くなら、便利だよな」
食「9時から22時までやってますから、使い勝手もいいですね。
ジャグジーや打たせ湯、岩風呂にサウナもあるようです」
み「個室は?」
食「残念ながら……。
無いようですね。
大広間なら、入浴料と込みで、500円になります」
↑こちらは、脱衣室内にあるリラックスルーム。無料です。
み「大広間って、何があるの?」
食「カラオケがありました」
み「いらんわ」
食「なんと、ダンスフロアもありました」
み「いらんちゅうに。
酒は出るのか?」
食「ロビーに、軽食コーナーがあるみたいですが……」
↑左が大広間、右がロビーにある軽食コーナー。
食「蕎麦やうどんだけのようですね。
大広間へは、基本、持ち込みじゃないですか?」
み「ひとりで行っても、することないな」
食「ま、そうでしょうね。
ホールでは、おじいさんが将棋を指してるそうです」
↑ここは、大広間では無いようです。
み「なるほど。
ほぼ、雰囲気はわかった」
律「あ、大きな川」
食「これが岩木川です」
食「『つがる市』とは、ここでお別れ。
川を渡ると、『五所川原市』に入ります」
み「いつの間に発車してたんだ?」
食「しゃべってる間です」
み「わたしに断りも無しにか」
食「普通、断りませんよ」
み「しかし、久しぶりに長い橋梁だな」
食「『岩木川橋梁』です」
食「長さ、370メートル。
『能代』を出たあと渡った『米代川橋梁』に次ぐ長さですね」
↑『米代川橋梁』を渡ったのは、1023回のこと(2012年7月22日)。
律「広々として、気持ちがいいわね」
食「右に岩木山、左に津軽平野。
津軽の広さを実感できる場所です」
↑岩木川橋梁を渡る『くまげら』。
み「岩木川は、この近くで日本海に出るの?」
食「いえ。
七里長浜の海岸とは、平行するように北上し……。
ここから20キロほど北で、十三湖(じゅうさんこ)に注ぎこみます」
み「うーむ。
旅情をそそられる湖名じゃの」
食「十三湖にはかつて、十三湊(とさみなと)という貿易都市があったそうです」
み「いつごろよ?」
食「鎌倉から室町にかけてのようです。
西の堺と並ぶ巨大都市だったとか」
↑『市浦歴史民俗資料館』
み「過去形ということは……。
その後、廃れてしまったということだな」
食「大津波で湖底に沈んだと云われてますね」
↑中国浙江省千島湖に沈む古城。
み「遺跡も無し?」
食「いろいろと謎が多く、歴史ファンにも注目されてたみたいですが……。
最近になって、遺跡が出たそうです」
↑十三湊遺跡の紹介動画がありました。
み「そうか。
出たのか。
渟足柵(ぬたりのき)も出てくれないかな」
食「あぁ、教科書に載ってましたね。
新潟市なんでしょ?
場所が特定されてないんですか?」
み「中央区から東区にかけて、沼垂(ぬったり)の付いた地名がある」
↑東区でも探してますね。
なんと!
↓東区は、『渟足柵探索プロジェクト』にマスコットキャラクターまで作ってました(知らなかった……)。
愛称は、『ぬたりん』(笑うな)。
本名は、『渟足柵造(ぬたりさくぞう)』(笑うな)。
詳しくは、こちらを。
律「それじゃ、そこにあったんでしょ?」
み「にゃい」
律「どうしてよ?」
み「新潟平野にはの……。
信濃川と阿賀野川という、2本の暴れ川があっての」
↑戦国時代ころの新潟市。
律「なんでそんな口調になるの?」
み「いにしえを語らんと欲すれば、自然とこういう口調になるのじゃ」
↑と、マスミンも言っております。
律「ならないわよ」
み「黙らっしゃい!
よいか。
その2本の暴れ川は、洪水の度に川筋を変えてしまうのじゃ。
町だったところも、容赦なく水の中に削り落とされてしまう。
なので、沼垂の町ってのは……。
町ごと、何度も移転してるわけ。
『沼垂』という地名だけ背負ってね」
↑昭和9年の地図。
食「ははぁ。
今の沼垂は、昔の沼垂の場所じゃないってことですね」
み「左様じゃ」
↑1640年から1684年の間に、4回移転してます。⑤が現在の沼垂です。
食「話を戻していいですか?」
み「左様せい」
食「徳川家綱ですか」
み「ほー、知っておるの」
食「老中とかが意向を聞いても、“さようせい”としか言わなかったんですよね」
み「付いた異名が、“左様せい様”」
律「そんなのが殿様じゃ、滅びるわけよ」
み「家綱は、4代将軍だよ。
徳川の世は、このあと、200年も続いたの。
むしろ、あれだけデカい組織になってしまうと……。
トップは暗愚な方が、安定して回るってことじゃない?
なまじ才気があると、返ってウマくいかないって」
律「そんなものかしら」
み「家来にとっては、バカ殿が一番なの」
↑決してバカではなかったという逸話も残ってます。
み「さて、十三湖の話だったな。
かつての貿易港としての面影は、少しは残ってるわけ?」
食「明治に入って、蒸気船になってからは急速に寂れたようです」
↑明治初期に作られたと思われる大皿。当時では、斬新な図柄だったんでしょうね。右下の建物は、灯台だそうです。
み「なんで、蒸気船だとダメなわけ?」
食「海から湖への入口は、砂が溜まって浅くなってるんです。
蒸気船だと、船底が着いちゃって通れないというわけです」
み「なるほど。
そのあたりは、新潟港と似てるな」
食「信濃川の河口なら大丈夫でしょう。
あんなに広いじゃないですか」
み「それが、素人の赤坂見附じゃ。
上流から運ばれてくる砂が山になって、浅くなってる場所があるの。
しかも!
上流に降る雨の具合で川の流量が変わると……。
その砂の山が動くんだよ。
朝と夕方で、まったく水深が違ったりする。
砂山の頂上は、人の背が立つくらいの浅さ。
そこへ船が乗りあげたら、動けなくなるわけ。
今でこそ、浚渫で水深を保ってるけど……」
み「江戸時代は、そんな土木技術も無かったからね」
食「へー。
それでよく、港として存続できましたね」
み「新潟の港には、『水戸教』という専門の水先案内人がいたの」
食「“みときょう”って、どんな字を書くんですか?」
み「“みと”は、水戸黄門の『水戸』。
“きょう”は、教えるだね」
食「ははぁ。
『水戸教』ですか。
なんだか、茨城の宗教みたいですね」
↑関係ありませんが、サービスカット。ご存知『水戸黄門』、由美かおるさんの入浴シーン。
み「もともとは、“みとおしえ”と読んだとか」
食「でも、どうして新潟で“水戸”なんです?
茨城から招いたのかな?」
み「そうではない。
川の河口のことを、“水戸”と云ったのじゃ。
つまり、河口の水先を教える案内人だから、『水戸教』」
食「いまもいるんですか?」
み「いるわけないだろ。
江戸時代から、昭和の始めくらいまでのまでの話」
律「昭和までいたんだ」
み「日和山(ひよりやま)って聞いたことある?」
食「ポピュラーな地名ですよね。
海辺の町に行くと、かなりの頻度であります」
↑こちらは、仙台市にあった日和山。東日本大震災の津波により、山体が消失したそうです。
み「日和(ひより)ってのは、お天気のことなんだよ」
食「あぁ。
『良いお日和で』とか云いますね」
み「それそれ。
本来は、海上のお天気のことだったらしい。
海の近くの小高い丘に登って、お天気を見てたわけだな」
↑新潟市に今もある日和山。標高27メートル。
み「昔の船じゃ、嵐にでも遭ったら、ひとたまりもないからね」
これがいわゆる、日和見(ひよりみ)」
↑日和見といえば、洞ヶ峠の筒井順慶が有名です。
律「へー。
よく当たったのかしら?」
み「人の命がかかってるんだから、そりゃ精度も高かったでしょうね」
↑新潟市の日和山に残る『方角石』。
み「明治になると、測候所も出来たわけ」
↑昭和3年ころの新潟測候所。
み「でも、遠足なんかのときは……。
『水戸教』に、お天気を聞きに行く人が多かったって」
↑昭和24年ころの新潟測候所。海岸侵食のため、海中に没しました。
食「それは面白いですね」
み「で、新潟では、日和山でお天気も見てたわけだけど……。
『水戸教』の仕事も同時にしてた。
つまり、港に入って来る廻船が見えると……。
小舟で漕ぎ出して迎えに行くわけ」
↑明治初期の新潟港。櫓に登ってる人が、水戸教だと思います。河口を行き交う船も見えます。
食「なるほど。
小舟で先導して、港に入れるわけですね」
み「いやいや。
水の下の砂山は複雑でね。
慣れない船頭じゃ、とてもかわせない」
食「じゃ、どうするんです?」
み「船に乗り移って、船頭に代わって舵を取るんだよ」
食「へー。
格好いいな」
律「十三湖にも、そういう人たちがいればよかったのにね」
み「十三湖から海へは、船が通れるくらいの深さのところは無かったの?」
食「無かったんでしょうね」
食「湖自体の水深も、最大で3メートルくらいだそうですし」
み「なるほど。
湖底を丸ごと浚渫しなきゃならんってことか」
食「とても無理です」
み「一旦、ほかの港に役割を渡してしまったら……。
もう、繁栄を取り戻すことは出来ないというわけだね」
↑こんな都市が、ほんとにあったんでしょうか。マジで見てみたいです。
食「繁栄は失いましたが……。
“しじみ”が残ってます」
み「なんじゃそれ?」
食「十三湖のしじみは有名なんですよ。
汽水湖ですから」
↑十三湖のしじみ漁。こんな人生もありかなって思います。
食「ちょっと検索してみます。
水揚げは、年間2,000トンだそうです。
でも、捕れる量だけで有名なんじゃありません。
十三湖のしじみは、粒が大きくて泥臭さが無いそうです」
食「あー、食べたくなってきた。
お店も検索してみます。
えーっと。
あ、ここが良さそうだ。
『しじみ亭奈良屋』」
食「しじみらーめんに……」
↑基本は『塩』。美味しそうですね~。
食「しじみスパゲティ」
↑青しそ風味だそうです。
食「しじみ釜めし」
↑注文を受けてから炊くそうで、炊きあがりまで25分かかります。時間が限られてる場合は要注意。
食「値段も安いです。
スパゲティなんて、580円ですよ。
らーめんが690円、釜めしでも735円ですね」
↑PDFファイルで御覧ください。
み「うーむ。
どれか1品なんて、迷っちゃうな」
律「違うの注文して、分けっこすればいいのよ」
み「2人ならね。
1人旅だと、それが出来ないのが辛いよね」
食「全部注文して、食べればいいじゃないですか」
み「お前と一緒にすな」
食「あ、そういう場合の、お勧めメニューがありました。
その名も、“しじみづくし”」
食「ミニ釜めしに、ミニらーめん、ミニチャウダーにバター炒め。
さらに、佃煮、しじみ汁。
しじみの南蛮漬け、しじみ味噌。
これだけ揃って、1,500円。
どうです?」
み「うーむ。
それだけしじみを食べれば……。
その夜の酒は無敵だな」
食「しじみは、肝臓にいいそうですね」
律「お昼に食べただけで効くわけないわ。
でも、しじみが栄養的に優れてるのは確かよね。
ビタミン、カルシウム、鉄分、グリコーゲン、タウリン。
いずれも大量に含まれてるから」
み「うーむ、美味しい上に身体にもいい。
最高ではないか。
しじみって、いつ行っても食べれるの?」
食「季節ものじゃ無いでしょう。
魚と違って、ずっとそこにいるわけですから。
いちおう旬は、産卵期を迎える夏だそうです。
6月後半から8月ころ。
でも、1~2月の寒しじみも、身が締まって美味しいそうです」
↑漁師のみなさんに感謝!
み「わたしゃ、冬に食べたいね。
窓の外を吹きすさぶ風音を聞きながら……。
熱燗で“しじみづくし”」
↑“しじみづくし”を食べて出る貝殻の量!
み「帰りたくなくなるな。
泊まれるの?」
食「残念ながら、料理だけです」
み「十三湖へは、このまま五能線で行けるのか?」
食「ダメです。
ぜんぜん方向が違います。
五能線は、次の『五所川原』から南に向かいますから」
み「そっちに行く線はないのけ?」
食「『五所川原』からは、津軽鉄道が北へ伸びてます。
でも、終点の『津軽中里』まで行っても、湖には届きません」
食「バスの便も良くないようですね。
タクシーを使えば別ですけど。
バスならむしろ、『五所川原』から乗った方が便利なようです」
『津軽中里』から十三湖を目指した人の旅行記がありました(こちら)。
み「なんか、最果ての雰囲気だね」
食「その先はもう、竜飛崎ですから」
み「十三湖も、『五所川原市』にあるの?」
食「確かそうです」
み「『五所川原』って、この次の駅だろ?」
食「ですよ」
み「竜飛崎の方まで市域が広がってるって……。
どんだけデカい市なんだ?」
食「ちょっと、待ってください。
そう言われてみると、自信が無くなってくるな。
今、検索してみます。
うーむ。
市の面積は、404.56km2ですね」
み「とりわけデカくは無いではないか。
細長いのか?」
食「ははぁ。
わかりました。
今の『五所川原市』は、平成17年に合併して出来たものです。
『五所川原市』『北津軽郡金木町』『北津軽郡市浦村』が新設合併したんですね」
み「親切な合併って、どういうことだ?」
食「いや、そうでなくて。
編入合併ではなく、合併して新規に設立されたということです」
み「なるほど。
『金木町』って、太宰の出身地だろ?」
食「ですね」
み「なんか、プライド高そうだもんな」
食「事情は良くわかりませんがね。
で、合併した『市浦村』に、十三湖があるんですが……」
食「ここが、見事に飛び地なんですよ」
食「間に、『北津軽郡中泊町』が入ってます。
しかも!
この『中泊町』も飛び地合併してます。
北津軽郡の『中里町』と『小泊村』がひとつになって、『中泊町』ってわけです」
食「南から順番に云うと……。
まず、『五所川原市』があって、その北に旧中里町の『中泊町』。
その北に旧市浦村の『五所川原市』、さらにその北には旧小泊村の『中泊町』というわけです」
み「仲、悪いんだ」
食「ま、良いとは言えないんでしょうね」
み「やっぱ、蝦夷の血を引くから?」
食「問題発言のような気がします」
み「昔、サントリーの社長が同じこと言って、問題になったよな」
食「ありましたね。
東北は蝦夷の地とか言ったんですよね」
調べてみると、実際にはこう言ったそうです。
「仙台遷都などアホなことを考えてる人がおるそうやけど、(中略)東北は熊襲の産地。文化的程度も極めて低い(昭和63年2月28日/TBS系列「JNN報道特集」にて)。
言ったのは、当時、大阪商工会議所会頭だった佐治敬三(大阪生まれの大阪育ち。大阪大学卒)。
この発言がきっかけで、東北では、サントリーの不買運動が起こったそうです。
熊襲は九州の勢力であり、図らずも無知までさらけ出してしまったという顛末です。
↑たしかに、心に響きましたわな。
み「ま、関西の人にとっては、そういうイメージなんだろうね。
『木造』から『五所川原』まで、どのくらい?」
食「6分ほどになります」
み「すぐではないか。
停まるよね?」
食「もちろんです。
『五所川原駅』は、五能線で唯一の終日社員配置駅ですから」
み「唯一ってのが、返ってスゴいわ」
食「ま、さっきも言いましたけど、津軽鉄道の『津軽五所川原駅』が隣接してますしね」
↑こちらはまた、風情ありすぎ。1人旅でこんな駅を見ると、家に帰りたくなるんじゃないでしょうか。
み「いちおう、ターミナル駅ということか。
人口は、どのくらいなの?」
食「えーっと。
今、調べます。
5万6千人ですね」
み「ふむ。
青森でそれくらいいれば、大した市ではないか」
↑駅前通りです。
食「微妙にバカにしてません?」
み「気のせいじゃ」
食「青森県内では、6番目の人口になります」
み「うそ。
もっと人の多い市が、5つもあるの!」
食「やっぱり、バカにしてますね。
青森市、八戸市、弘前市、十和田市、むつ市の次です」
み「へー。
八戸って、弘前より大きいんだ」
食「これは、ボクも知りませんでした」
み「五所川原の名物は……。
やっぱり相撲か?」
食「それ、『うっちゃれ五所瓦』からの連想でしょ」
食「有名な力士は出てないみたいですね。
あ、アマチュアに大物がいました。
田中英壽」
み「知らんぞ」
食「日大出身の元アマチュア横綱ですよ。
日大相撲部の監督もしましたし……。
なんと今は、日大の理事長らしいです」
↑田中理事長と遠藤関。どちらも、怖いですね。
み「相撲取りの理事長って、相撲協会だけかと思った」
食「それは、プロの大相撲でしょ」
↑怖さでは1枚上の、北の湖理事長。
み「相撲が名物で無ければ……。
ほかに、何の名物があるんだ?
リンゴ?」
食「やっぱり、微妙にバカにしてませんか?
確かに、米とリンゴの産地ですけど」
↑果肉まで赤いリンゴ。その名も『御所川原』。
み「あ、あとシジミだろ。
十三湖の」
食「それがありましたね。
旧市浦村ですけどね」
み「五所川原は、米とリンゴとシジミの町。
どんとはらい」
食「まだ払わないでください。
最近復活した名物があるんですよ」
み「なんじゃい?」
食「ねぷたです」
↑ありがちな連想。
み「青森ならどこにでもあるんじゃないの?」
食「五所川原のねぷたは、立佞武多(たちねぷた)と言われてて……。
青森、弘前と並び称されてるんですよ。
立佞武多という名のとおり、立ってるんです。
高さは、22メートルもあるそうです」
み「にゃにー。
22メートルって、ビルの6階くらいあるじゃん。
さっき、復活したとか言ってたけど……。
こんな高さ、最近の技術だから出来るんだろ?」
食「いえいえ。
昔からデカかったそうです。
1830年代の天保年間には……。
14~16メートルのねぷたが運行された記録があるそうです。
あと、明治2年には、20メートルのねぷたを100人で担いだ記録もあるとか」
↑いつごろの写真かわかりません。構造的に危うい気がしますよね。
み「スゴいじゃん。
でも、復活って言うからには、一度廃れたわけだろ?
なんで?」
食「大正末期までは、まさしく隆盛を極めたそうですが……。
やがて姿を消してしまったのは、まさしく、その高さゆえなんです」
み「どゆこと?」
食「電線ですよ。
町中に電線が張り巡らせられるようになって……。
ねぷたの運行が出来なくなったんです」
↑これは東京ですが。
み「あちゃー。
インフラが整備されるのと引き換えに……」
↑これはインドです。こういうのを“整備”と云うのだろうか……。
み「町の名物が失われてしまったってわけか。
でも、それが復活したってのはどういう経緯?」
食「偶然がきっかけです。
平成5年(1993年)のこと。
市内の民家で、先祖の遺品を整理してたところ……。
明治大正期の立佞武多の設計図が発見されたんです」
食「で、これを元に、立佞武多を復活させようと有志が立ち上がった。
そしてついに、平成8年(1996年)、80年ぶりに復活したんです」
み「電線はどうしたんだ?」
食「もちろん、市内は電線があって引き回せませんから……。
岩木川の河川敷で運行されたそうです」
↑これは、平成21年11月12日、天皇陛下即位20年をお祝いするパレードで披露されたもの。
み「なるほど。
でも、やっぱりねぷたは、町中を引き回さにゃね」
食「ま、関わった人は、みんなそういう思いだったでしょうね」
み「今も、河川敷で運行されてるの?」
食「当初は、たった1回だけの復活のはずだったんですよ。
しかし……」
み「てことは、続いてるわけだな」
食「しかも、河川敷ではありません。
町中です」
み「にゃに。
電線はどうしたんだ?」
食「市民の願いに、市が応えたかたちですね。
電線を地中に埋めるインフラ整備が行われたんです」
↑ご覧のとおり!
み「そりゃスゴいわ。
役所の職員も、ねぷたを見て血が滾ったんじゃないの?」
食「でしょうね。
市民と行政が一体にならなきゃできない事業でしょう。
平成10年からは……。
五所川原の夏を彩る祭りとして、毎年運行されることになりました」
み「22メートルのねぷたが、市内を練り歩くわけだな」
律「見てみたいわね」
み「祭りは、いつなの?」
食「8月の4日~8日にかけてですね」
み「あちゃー。
新潟まつりと、時期的に重なっちゃうな」
食「立佞武多だけなら、お祭りじゃなくても見れます」
み「どこで?」
食「『立佞武多の館』ってのがあるんですよ」
↑洒落た建物です。
食「そこに、3台の立佞武多が収められてます」
食「立佞武多は、3年で引退だそうで……。
毎年、1台ずつ更新されます。
館内では、新作の製作や、2,3年目の立佞武多の修復も行なわれてます。
作業を、間近で見学できるかもしれませんよ」
食「あと、見るだけじゃなくて……。
紙を貼ったり、色を塗ったりの製作体験も出来るみたいです」
食「図面に、自分が作業した部分を示した証明書も発行されるそうです」
み「なるほど。
自分にとっての、いい土産になるね」
食「あ、家へのお土産なら、いいのがあります」
み「なんじゃい」
食「『金魚ねぷた』です」
食「1,000円で、製作体験が出来ます」
み「ほー。
さっきの、立佞武多の製作体験はいくらなんだ?」
食「タダです」
み「へ。
それは、スゴいじゃん」
食「ま、手伝ってもらってるという建前ですからね。
それに、入館料が600円しますし」
み「あらそう」
食「『金魚ねぷた』、お土産にお勧めですよ。
可愛いですから。
ほら」
律「あら、ほんと。
可愛いわ」
み「確かに可愛いが、これ、折りたためるの?」
食「さー」
み「このまま持って帰るの、大変だぜ」
律「それもそうね。
バッグに入れたら、潰れちゃうわね」
み「こんな華奢なの、宅配便でも送れないしな」
↑このようにして持ち運ぶほか無いようです。
食「そんなら、最上階のレストランだけでも楽しみましょう」
み「ほー。
そんなのがあるんだ」
食「展望ラウンジ『春楡(はるにれ)』です」
↑セルフサービス、良いじゃありませんか。無駄な人件費がかかってません。
食「岩木山や津軽平野が一望できます」
↑こちらは岩木山。前方の町並みはイマイチですが。
み「料理はどうなの?」
食「ホタテやハタハタを使った郷土の味覚『おらほの定食』がお勧めです。
1,380円」
↑これを昼に食うか? ぜったい、熱燗だろ。
み「ま、ハレの日のお昼だね。
毎日は食えんわな」
食「網走のそばですよね」
み「網走刑務所は面白かったけど……」
↑伝説の脱獄囚、白鳥由栄を模した人形。鉄格子に味噌汁を吹きつけ続け、錆びさせて脱獄したそうです。
み「原生花園はいただけまへんでしたな。
だだっ広いだけ」
↑わたしが行ったときは、花がもっと少なかった。
食「小清水原生花園は、275ヘクタールあるそうです」
み「83万坪か」
食「どうして、いちいち坪に換算するんです?」
み「日本人は、坪!」
食「換算しても買えませんよ」
み「坪10銭なら、8万3千円じゃん」
食「売りませんって」
み「湿原はもうよし。
ほかに何かない?」
食「ベンセ湿原近くの海岸に、世界最大規模の埋没林があるそうです」
↑見たからどうというものでは無さそうです。
食「約2万8千年前の針葉樹林が、環境の急変で水没し……。
その後、砂に埋もれ、根が腐らずに残ったんだとか」
み「なんか、殺伐としたものばっかりだな。
薄ら寒くなる。
あ、そうそう。
忘れるとこだった。
温泉は無いの?
日帰り温泉」
食「えーっと。
ありましたありました。
これは、『木造駅』の近くですね。
その名も、『しゃこちゃん温泉』」
み「でたー!
すんばらしいネーミングではないか」
食「“しゃこちゃん”というのは、もともと、昭和63年に開かれた青函博覧会のマスコットだったそうです」
↑これが“しゃこちゃん”だ!
み「さて、一番大事な入浴料金はいくら?」
食「大人320円ですね」
み「安い!」
食「食塩泉で、湯冷めしないそうですよ」
み「駅近くなら、便利だよな」
食「9時から22時までやってますから、使い勝手もいいですね。
ジャグジーや打たせ湯、岩風呂にサウナもあるようです」
み「個室は?」
食「残念ながら……。
無いようですね。
大広間なら、入浴料と込みで、500円になります」
↑こちらは、脱衣室内にあるリラックスルーム。無料です。
み「大広間って、何があるの?」
食「カラオケがありました」
み「いらんわ」
食「なんと、ダンスフロアもありました」
み「いらんちゅうに。
酒は出るのか?」
食「ロビーに、軽食コーナーがあるみたいですが……」
↑左が大広間、右がロビーにある軽食コーナー。
食「蕎麦やうどんだけのようですね。
大広間へは、基本、持ち込みじゃないですか?」
み「ひとりで行っても、することないな」
食「ま、そうでしょうね。
ホールでは、おじいさんが将棋を指してるそうです」
↑ここは、大広間では無いようです。
み「なるほど。
ほぼ、雰囲気はわかった」
律「あ、大きな川」
食「これが岩木川です」
食「『つがる市』とは、ここでお別れ。
川を渡ると、『五所川原市』に入ります」
み「いつの間に発車してたんだ?」
食「しゃべってる間です」
み「わたしに断りも無しにか」
食「普通、断りませんよ」
み「しかし、久しぶりに長い橋梁だな」
食「『岩木川橋梁』です」
食「長さ、370メートル。
『能代』を出たあと渡った『米代川橋梁』に次ぐ長さですね」
↑『米代川橋梁』を渡ったのは、1023回のこと(2012年7月22日)。
律「広々として、気持ちがいいわね」
食「右に岩木山、左に津軽平野。
津軽の広さを実感できる場所です」
↑岩木川橋梁を渡る『くまげら』。
み「岩木川は、この近くで日本海に出るの?」
食「いえ。
七里長浜の海岸とは、平行するように北上し……。
ここから20キロほど北で、十三湖(じゅうさんこ)に注ぎこみます」
み「うーむ。
旅情をそそられる湖名じゃの」
食「十三湖にはかつて、十三湊(とさみなと)という貿易都市があったそうです」
み「いつごろよ?」
食「鎌倉から室町にかけてのようです。
西の堺と並ぶ巨大都市だったとか」
↑『市浦歴史民俗資料館』
み「過去形ということは……。
その後、廃れてしまったということだな」
食「大津波で湖底に沈んだと云われてますね」
↑中国浙江省千島湖に沈む古城。
み「遺跡も無し?」
食「いろいろと謎が多く、歴史ファンにも注目されてたみたいですが……。
最近になって、遺跡が出たそうです」
↑十三湊遺跡の紹介動画がありました。
み「そうか。
出たのか。
渟足柵(ぬたりのき)も出てくれないかな」
食「あぁ、教科書に載ってましたね。
新潟市なんでしょ?
場所が特定されてないんですか?」
み「中央区から東区にかけて、沼垂(ぬったり)の付いた地名がある」
↑東区でも探してますね。
なんと!
↓東区は、『渟足柵探索プロジェクト』にマスコットキャラクターまで作ってました(知らなかった……)。
愛称は、『ぬたりん』(笑うな)。
本名は、『渟足柵造(ぬたりさくぞう)』(笑うな)。
詳しくは、こちらを。
律「それじゃ、そこにあったんでしょ?」
み「にゃい」
律「どうしてよ?」
み「新潟平野にはの……。
信濃川と阿賀野川という、2本の暴れ川があっての」
↑戦国時代ころの新潟市。
律「なんでそんな口調になるの?」
み「いにしえを語らんと欲すれば、自然とこういう口調になるのじゃ」
↑と、マスミンも言っております。
律「ならないわよ」
み「黙らっしゃい!
よいか。
その2本の暴れ川は、洪水の度に川筋を変えてしまうのじゃ。
町だったところも、容赦なく水の中に削り落とされてしまう。
なので、沼垂の町ってのは……。
町ごと、何度も移転してるわけ。
『沼垂』という地名だけ背負ってね」
↑昭和9年の地図。
食「ははぁ。
今の沼垂は、昔の沼垂の場所じゃないってことですね」
み「左様じゃ」
↑1640年から1684年の間に、4回移転してます。⑤が現在の沼垂です。
食「話を戻していいですか?」
み「左様せい」
食「徳川家綱ですか」
み「ほー、知っておるの」
食「老中とかが意向を聞いても、“さようせい”としか言わなかったんですよね」
み「付いた異名が、“左様せい様”」
律「そんなのが殿様じゃ、滅びるわけよ」
み「家綱は、4代将軍だよ。
徳川の世は、このあと、200年も続いたの。
むしろ、あれだけデカい組織になってしまうと……。
トップは暗愚な方が、安定して回るってことじゃない?
なまじ才気があると、返ってウマくいかないって」
律「そんなものかしら」
み「家来にとっては、バカ殿が一番なの」
↑決してバカではなかったという逸話も残ってます。
み「さて、十三湖の話だったな。
かつての貿易港としての面影は、少しは残ってるわけ?」
食「明治に入って、蒸気船になってからは急速に寂れたようです」
↑明治初期に作られたと思われる大皿。当時では、斬新な図柄だったんでしょうね。右下の建物は、灯台だそうです。
み「なんで、蒸気船だとダメなわけ?」
食「海から湖への入口は、砂が溜まって浅くなってるんです。
蒸気船だと、船底が着いちゃって通れないというわけです」
み「なるほど。
そのあたりは、新潟港と似てるな」
食「信濃川の河口なら大丈夫でしょう。
あんなに広いじゃないですか」
み「それが、素人の赤坂見附じゃ。
上流から運ばれてくる砂が山になって、浅くなってる場所があるの。
しかも!
上流に降る雨の具合で川の流量が変わると……。
その砂の山が動くんだよ。
朝と夕方で、まったく水深が違ったりする。
砂山の頂上は、人の背が立つくらいの浅さ。
そこへ船が乗りあげたら、動けなくなるわけ。
今でこそ、浚渫で水深を保ってるけど……」
み「江戸時代は、そんな土木技術も無かったからね」
食「へー。
それでよく、港として存続できましたね」
み「新潟の港には、『水戸教』という専門の水先案内人がいたの」
食「“みときょう”って、どんな字を書くんですか?」
み「“みと”は、水戸黄門の『水戸』。
“きょう”は、教えるだね」
食「ははぁ。
『水戸教』ですか。
なんだか、茨城の宗教みたいですね」
↑関係ありませんが、サービスカット。ご存知『水戸黄門』、由美かおるさんの入浴シーン。
み「もともとは、“みとおしえ”と読んだとか」
食「でも、どうして新潟で“水戸”なんです?
茨城から招いたのかな?」
み「そうではない。
川の河口のことを、“水戸”と云ったのじゃ。
つまり、河口の水先を教える案内人だから、『水戸教』」
食「いまもいるんですか?」
み「いるわけないだろ。
江戸時代から、昭和の始めくらいまでのまでの話」
律「昭和までいたんだ」
み「日和山(ひよりやま)って聞いたことある?」
食「ポピュラーな地名ですよね。
海辺の町に行くと、かなりの頻度であります」
↑こちらは、仙台市にあった日和山。東日本大震災の津波により、山体が消失したそうです。
み「日和(ひより)ってのは、お天気のことなんだよ」
食「あぁ。
『良いお日和で』とか云いますね」
み「それそれ。
本来は、海上のお天気のことだったらしい。
海の近くの小高い丘に登って、お天気を見てたわけだな」
↑新潟市に今もある日和山。標高27メートル。
み「昔の船じゃ、嵐にでも遭ったら、ひとたまりもないからね」
これがいわゆる、日和見(ひよりみ)」
↑日和見といえば、洞ヶ峠の筒井順慶が有名です。
律「へー。
よく当たったのかしら?」
み「人の命がかかってるんだから、そりゃ精度も高かったでしょうね」
↑新潟市の日和山に残る『方角石』。
み「明治になると、測候所も出来たわけ」
↑昭和3年ころの新潟測候所。
み「でも、遠足なんかのときは……。
『水戸教』に、お天気を聞きに行く人が多かったって」
↑昭和24年ころの新潟測候所。海岸侵食のため、海中に没しました。
食「それは面白いですね」
み「で、新潟では、日和山でお天気も見てたわけだけど……。
『水戸教』の仕事も同時にしてた。
つまり、港に入って来る廻船が見えると……。
小舟で漕ぎ出して迎えに行くわけ」
↑明治初期の新潟港。櫓に登ってる人が、水戸教だと思います。河口を行き交う船も見えます。
食「なるほど。
小舟で先導して、港に入れるわけですね」
み「いやいや。
水の下の砂山は複雑でね。
慣れない船頭じゃ、とてもかわせない」
食「じゃ、どうするんです?」
み「船に乗り移って、船頭に代わって舵を取るんだよ」
食「へー。
格好いいな」
律「十三湖にも、そういう人たちがいればよかったのにね」
み「十三湖から海へは、船が通れるくらいの深さのところは無かったの?」
食「無かったんでしょうね」
食「湖自体の水深も、最大で3メートルくらいだそうですし」
み「なるほど。
湖底を丸ごと浚渫しなきゃならんってことか」
食「とても無理です」
み「一旦、ほかの港に役割を渡してしまったら……。
もう、繁栄を取り戻すことは出来ないというわけだね」
↑こんな都市が、ほんとにあったんでしょうか。マジで見てみたいです。
食「繁栄は失いましたが……。
“しじみ”が残ってます」
み「なんじゃそれ?」
食「十三湖のしじみは有名なんですよ。
汽水湖ですから」
↑十三湖のしじみ漁。こんな人生もありかなって思います。
食「ちょっと検索してみます。
水揚げは、年間2,000トンだそうです。
でも、捕れる量だけで有名なんじゃありません。
十三湖のしじみは、粒が大きくて泥臭さが無いそうです」
食「あー、食べたくなってきた。
お店も検索してみます。
えーっと。
あ、ここが良さそうだ。
『しじみ亭奈良屋』」
食「しじみらーめんに……」
↑基本は『塩』。美味しそうですね~。
食「しじみスパゲティ」
↑青しそ風味だそうです。
食「しじみ釜めし」
↑注文を受けてから炊くそうで、炊きあがりまで25分かかります。時間が限られてる場合は要注意。
食「値段も安いです。
スパゲティなんて、580円ですよ。
らーめんが690円、釜めしでも735円ですね」
↑PDFファイルで御覧ください。
み「うーむ。
どれか1品なんて、迷っちゃうな」
律「違うの注文して、分けっこすればいいのよ」
み「2人ならね。
1人旅だと、それが出来ないのが辛いよね」
食「全部注文して、食べればいいじゃないですか」
み「お前と一緒にすな」
食「あ、そういう場合の、お勧めメニューがありました。
その名も、“しじみづくし”」
食「ミニ釜めしに、ミニらーめん、ミニチャウダーにバター炒め。
さらに、佃煮、しじみ汁。
しじみの南蛮漬け、しじみ味噌。
これだけ揃って、1,500円。
どうです?」
み「うーむ。
それだけしじみを食べれば……。
その夜の酒は無敵だな」
食「しじみは、肝臓にいいそうですね」
律「お昼に食べただけで効くわけないわ。
でも、しじみが栄養的に優れてるのは確かよね。
ビタミン、カルシウム、鉄分、グリコーゲン、タウリン。
いずれも大量に含まれてるから」
み「うーむ、美味しい上に身体にもいい。
最高ではないか。
しじみって、いつ行っても食べれるの?」
食「季節ものじゃ無いでしょう。
魚と違って、ずっとそこにいるわけですから。
いちおう旬は、産卵期を迎える夏だそうです。
6月後半から8月ころ。
でも、1~2月の寒しじみも、身が締まって美味しいそうです」
↑漁師のみなさんに感謝!
み「わたしゃ、冬に食べたいね。
窓の外を吹きすさぶ風音を聞きながら……。
熱燗で“しじみづくし”」
↑“しじみづくし”を食べて出る貝殻の量!
み「帰りたくなくなるな。
泊まれるの?」
食「残念ながら、料理だけです」
み「十三湖へは、このまま五能線で行けるのか?」
食「ダメです。
ぜんぜん方向が違います。
五能線は、次の『五所川原』から南に向かいますから」
み「そっちに行く線はないのけ?」
食「『五所川原』からは、津軽鉄道が北へ伸びてます。
でも、終点の『津軽中里』まで行っても、湖には届きません」
食「バスの便も良くないようですね。
タクシーを使えば別ですけど。
バスならむしろ、『五所川原』から乗った方が便利なようです」
『津軽中里』から十三湖を目指した人の旅行記がありました(こちら)。
み「なんか、最果ての雰囲気だね」
食「その先はもう、竜飛崎ですから」
み「十三湖も、『五所川原市』にあるの?」
食「確かそうです」
み「『五所川原』って、この次の駅だろ?」
食「ですよ」
み「竜飛崎の方まで市域が広がってるって……。
どんだけデカい市なんだ?」
食「ちょっと、待ってください。
そう言われてみると、自信が無くなってくるな。
今、検索してみます。
うーむ。
市の面積は、404.56km2ですね」
み「とりわけデカくは無いではないか。
細長いのか?」
食「ははぁ。
わかりました。
今の『五所川原市』は、平成17年に合併して出来たものです。
『五所川原市』『北津軽郡金木町』『北津軽郡市浦村』が新設合併したんですね」
み「親切な合併って、どういうことだ?」
食「いや、そうでなくて。
編入合併ではなく、合併して新規に設立されたということです」
み「なるほど。
『金木町』って、太宰の出身地だろ?」
食「ですね」
み「なんか、プライド高そうだもんな」
食「事情は良くわかりませんがね。
で、合併した『市浦村』に、十三湖があるんですが……」
食「ここが、見事に飛び地なんですよ」
食「間に、『北津軽郡中泊町』が入ってます。
しかも!
この『中泊町』も飛び地合併してます。
北津軽郡の『中里町』と『小泊村』がひとつになって、『中泊町』ってわけです」
食「南から順番に云うと……。
まず、『五所川原市』があって、その北に旧中里町の『中泊町』。
その北に旧市浦村の『五所川原市』、さらにその北には旧小泊村の『中泊町』というわけです」
み「仲、悪いんだ」
食「ま、良いとは言えないんでしょうね」
み「やっぱ、蝦夷の血を引くから?」
食「問題発言のような気がします」
み「昔、サントリーの社長が同じこと言って、問題になったよな」
食「ありましたね。
東北は蝦夷の地とか言ったんですよね」
調べてみると、実際にはこう言ったそうです。
「仙台遷都などアホなことを考えてる人がおるそうやけど、(中略)東北は熊襲の産地。文化的程度も極めて低い(昭和63年2月28日/TBS系列「JNN報道特集」にて)。
言ったのは、当時、大阪商工会議所会頭だった佐治敬三(大阪生まれの大阪育ち。大阪大学卒)。
この発言がきっかけで、東北では、サントリーの不買運動が起こったそうです。
熊襲は九州の勢力であり、図らずも無知までさらけ出してしまったという顛末です。
↑たしかに、心に響きましたわな。
み「ま、関西の人にとっては、そういうイメージなんだろうね。
『木造』から『五所川原』まで、どのくらい?」
食「6分ほどになります」
み「すぐではないか。
停まるよね?」
食「もちろんです。
『五所川原駅』は、五能線で唯一の終日社員配置駅ですから」
み「唯一ってのが、返ってスゴいわ」
食「ま、さっきも言いましたけど、津軽鉄道の『津軽五所川原駅』が隣接してますしね」
↑こちらはまた、風情ありすぎ。1人旅でこんな駅を見ると、家に帰りたくなるんじゃないでしょうか。
み「いちおう、ターミナル駅ということか。
人口は、どのくらいなの?」
食「えーっと。
今、調べます。
5万6千人ですね」
み「ふむ。
青森でそれくらいいれば、大した市ではないか」
↑駅前通りです。
食「微妙にバカにしてません?」
み「気のせいじゃ」
食「青森県内では、6番目の人口になります」
み「うそ。
もっと人の多い市が、5つもあるの!」
食「やっぱり、バカにしてますね。
青森市、八戸市、弘前市、十和田市、むつ市の次です」
み「へー。
八戸って、弘前より大きいんだ」
食「これは、ボクも知りませんでした」
み「五所川原の名物は……。
やっぱり相撲か?」
食「それ、『うっちゃれ五所瓦』からの連想でしょ」
食「有名な力士は出てないみたいですね。
あ、アマチュアに大物がいました。
田中英壽」
み「知らんぞ」
食「日大出身の元アマチュア横綱ですよ。
日大相撲部の監督もしましたし……。
なんと今は、日大の理事長らしいです」
↑田中理事長と遠藤関。どちらも、怖いですね。
み「相撲取りの理事長って、相撲協会だけかと思った」
食「それは、プロの大相撲でしょ」
↑怖さでは1枚上の、北の湖理事長。
み「相撲が名物で無ければ……。
ほかに、何の名物があるんだ?
リンゴ?」
食「やっぱり、微妙にバカにしてませんか?
確かに、米とリンゴの産地ですけど」
↑果肉まで赤いリンゴ。その名も『御所川原』。
み「あ、あとシジミだろ。
十三湖の」
食「それがありましたね。
旧市浦村ですけどね」
み「五所川原は、米とリンゴとシジミの町。
どんとはらい」
食「まだ払わないでください。
最近復活した名物があるんですよ」
み「なんじゃい?」
食「ねぷたです」
↑ありがちな連想。
み「青森ならどこにでもあるんじゃないの?」
食「五所川原のねぷたは、立佞武多(たちねぷた)と言われてて……。
青森、弘前と並び称されてるんですよ。
立佞武多という名のとおり、立ってるんです。
高さは、22メートルもあるそうです」
み「にゃにー。
22メートルって、ビルの6階くらいあるじゃん。
さっき、復活したとか言ってたけど……。
こんな高さ、最近の技術だから出来るんだろ?」
食「いえいえ。
昔からデカかったそうです。
1830年代の天保年間には……。
14~16メートルのねぷたが運行された記録があるそうです。
あと、明治2年には、20メートルのねぷたを100人で担いだ記録もあるとか」
↑いつごろの写真かわかりません。構造的に危うい気がしますよね。
み「スゴいじゃん。
でも、復活って言うからには、一度廃れたわけだろ?
なんで?」
食「大正末期までは、まさしく隆盛を極めたそうですが……。
やがて姿を消してしまったのは、まさしく、その高さゆえなんです」
み「どゆこと?」
食「電線ですよ。
町中に電線が張り巡らせられるようになって……。
ねぷたの運行が出来なくなったんです」
↑これは東京ですが。
み「あちゃー。
インフラが整備されるのと引き換えに……」
↑これはインドです。こういうのを“整備”と云うのだろうか……。
み「町の名物が失われてしまったってわけか。
でも、それが復活したってのはどういう経緯?」
食「偶然がきっかけです。
平成5年(1993年)のこと。
市内の民家で、先祖の遺品を整理してたところ……。
明治大正期の立佞武多の設計図が発見されたんです」
食「で、これを元に、立佞武多を復活させようと有志が立ち上がった。
そしてついに、平成8年(1996年)、80年ぶりに復活したんです」
み「電線はどうしたんだ?」
食「もちろん、市内は電線があって引き回せませんから……。
岩木川の河川敷で運行されたそうです」
↑これは、平成21年11月12日、天皇陛下即位20年をお祝いするパレードで披露されたもの。
み「なるほど。
でも、やっぱりねぷたは、町中を引き回さにゃね」
食「ま、関わった人は、みんなそういう思いだったでしょうね」
み「今も、河川敷で運行されてるの?」
食「当初は、たった1回だけの復活のはずだったんですよ。
しかし……」
み「てことは、続いてるわけだな」
食「しかも、河川敷ではありません。
町中です」
み「にゃに。
電線はどうしたんだ?」
食「市民の願いに、市が応えたかたちですね。
電線を地中に埋めるインフラ整備が行われたんです」
↑ご覧のとおり!
み「そりゃスゴいわ。
役所の職員も、ねぷたを見て血が滾ったんじゃないの?」
食「でしょうね。
市民と行政が一体にならなきゃできない事業でしょう。
平成10年からは……。
五所川原の夏を彩る祭りとして、毎年運行されることになりました」
み「22メートルのねぷたが、市内を練り歩くわけだな」
律「見てみたいわね」
み「祭りは、いつなの?」
食「8月の4日~8日にかけてですね」
み「あちゃー。
新潟まつりと、時期的に重なっちゃうな」
食「立佞武多だけなら、お祭りじゃなくても見れます」
み「どこで?」
食「『立佞武多の館』ってのがあるんですよ」
↑洒落た建物です。
食「そこに、3台の立佞武多が収められてます」
食「立佞武多は、3年で引退だそうで……。
毎年、1台ずつ更新されます。
館内では、新作の製作や、2,3年目の立佞武多の修復も行なわれてます。
作業を、間近で見学できるかもしれませんよ」
食「あと、見るだけじゃなくて……。
紙を貼ったり、色を塗ったりの製作体験も出来るみたいです」
食「図面に、自分が作業した部分を示した証明書も発行されるそうです」
み「なるほど。
自分にとっての、いい土産になるね」
食「あ、家へのお土産なら、いいのがあります」
み「なんじゃい」
食「『金魚ねぷた』です」
食「1,000円で、製作体験が出来ます」
み「ほー。
さっきの、立佞武多の製作体験はいくらなんだ?」
食「タダです」
み「へ。
それは、スゴいじゃん」
食「ま、手伝ってもらってるという建前ですからね。
それに、入館料が600円しますし」
み「あらそう」
食「『金魚ねぷた』、お土産にお勧めですよ。
可愛いですから。
ほら」
律「あら、ほんと。
可愛いわ」
み「確かに可愛いが、これ、折りたためるの?」
食「さー」
み「このまま持って帰るの、大変だぜ」
律「それもそうね。
バッグに入れたら、潰れちゃうわね」
み「こんな華奢なの、宅配便でも送れないしな」
↑このようにして持ち運ぶほか無いようです。
食「そんなら、最上階のレストランだけでも楽しみましょう」
み「ほー。
そんなのがあるんだ」
食「展望ラウンジ『春楡(はるにれ)』です」
↑セルフサービス、良いじゃありませんか。無駄な人件費がかかってません。
食「岩木山や津軽平野が一望できます」
↑こちらは岩木山。前方の町並みはイマイチですが。
み「料理はどうなの?」
食「ホタテやハタハタを使った郷土の味覚『おらほの定食』がお勧めです。
1,380円」
↑これを昼に食うか? ぜったい、熱燗だろ。
み「ま、ハレの日のお昼だね。
毎日は食えんわな」