2014.2.22(土)
律「また、キセルで帰る?」
食「とすれば……。
とりあえず、牟岐線で1駅先の『南小松島』まで行くわけですね。
で、一旦改札を出て、『中田(ちゅうでん)』までの切符を買う」
律「また筆談?」
↑こんな製品もありました。2,835円はお手頃価格ですね。
食「『南小松島』は、駅員さんがいますよ。
券売機はあるのかな?」
↑『南小松島駅』は、小松島市の中心駅だそうです。左端に見えるのが、券売機みたいですね。
み「なんでそんなややこしいことをするのだ?」
食「だって、帰るんでしょ?
『南小松島』から、隣の『中田(ちゅうでん)』までの切符を持って……」
食「五能線の『中田(なかた)』まで戻るんです」
↑あたりには田んぼしかありません(詳しくはこちらを)。
み「また、乗るのきゃー」
食「当たり前です。
あ、待てよ。
そんなことしなくても、『中田(ちゅうでん)』で改札を出なきゃいいんだ。
そのまま反対方向の列車に乗って、五能線の『中田(なかた)』まで戻るんです。
今度は、正々堂々と出れますよ。
正真正銘の『中田(なかた)』までの切符なんだから」
み「日付が違うだろ」
食「ほー。
そこに気づくとは大したものです」
み「当たり前じゃ」
食「キロ数が100㎞までの場合、切符の有効期限は1日です。
それじゃ、101㎞以上のときの有効期限の算出方法を知ってますか?」
み「そんなもん、知ってる方がおかしいわい」
食「『キロ数÷200+1日』なんですよ。
小数点以下は切り上げです。
ちなみに、『陸奥森田』から『中田(ちゅうでん)』までは、1,357キロですから……。
8日ですね」
み「『中田(なかた)』までなら、1日だろ」
食「大丈夫。
『中田(なかた)』は無人駅ですから」
↑駅舎に見えたのは単なる待合室で、乗客はこの階段からホームに登るようです。早い話、フリーパスですね。
み「待て。
根本的におかしいぞ」
食「何がです?」
み「『中田(ちゅうでん)』で改札を出ないんなら……。
何のためにここまで来たんだ?」
食「それはもちろん……。
鉄道に乗るためです。
目的地なんていりません。
乗ること自体が目的なんですから」
↑美しき“乗り鉄”、伊藤桃(青森県出身のタレント)。バリバリの“鉄子”だそうす。
み「そんな崇高な目的があるんなら……。
キセルすな!」
↑奇祭『きせる祭』。茨城県の加波山神社(かばさんじんじゃ)は、たばこの神さま。このキセル、長さ2.5メートル、重さ60キロだそうです。
食「あなたが企てたんでしょ」
み「とにかく、もう鈍行に乗るのはごめんだ。
改札を出て、立ち食いそば以外のものを食べる」
食「それじゃ、そろそろリアルの旅に戻りますか」
み「ふー。
空想だけでこれだけ疲れるんだから……。
実際にやったら、ぜったいにリタイアしてるな」
食「どのあたりです?」
み「『新津』かな」
↑『新津駅』では、のんびりと遊ぶ【ばんえつ物語号】が見られます。
み「そこで降りて、家に帰る」
食「だらしないですね」
み「それがまっとうな人間の神経なの。
さて、ここ、どこだっけ?」
食「やだなぁ。
『中田(なかた)駅』を出たところじゃありませんか」
↑五能線側面展望『陸奥森田→木造』(『中田駅』通過は、2:28くらい)。
み「そんなわけないだろ!
これだけ長々と話してて」
食「ですから……」
み「融通無碍はもういい」
食「ま、少し車窓を堪能しましょう。
ここはまさしく、津軽平野の真ん中です」
↑田んぼの向こうに岩木山。まさに、日本の風景ですね。
み「なんにもない」
食「田んぼがあるじゃないですか」
み「そう言えば……。
『つがるロマン』ってお米が、わたしが行くスーパーに売ってるんだよ」
↑先日も買ってきました。5キロで1,500円(税込)。安い!
食「お味は?」
み「言っちゃなんだけど、普通に美味しい。
わたしの舌じゃ、コシヒカリと区別できんかった」
律「この田んぼも、『つがるロマン』かしら?」
食「かもしれませんね」
律「どこまでも続く田んぼと、岩木山。
ほんとにロマンの古里ね」
み「あんたは、観光協会の回し者か。
冬の風景を見ないから、そんなことが言えるんじゃ」
律「見たの?」
み「見なくてもわかるわい。
この田んぼを、地吹雪が通り過ぎるに違いない」
↑津軽平野の地吹雪。
み「ホワイトアウトの恐怖は、味わった者しかわからん。
特に、クルマ運転してるときに遭うと、ほぼパニクる」
食「どうなるんですか?」
み「どうもこうも、窓の外は全部真っ白」
↑マジで怖いです。胃の腑を鷲掴みされるような恐怖を感じます。
み「雪の層が覆ってるんだから、ライト点けてもほとんど見通せない。
路肩には除雪された雪がうず高く積もってるから、車を寄せて停めるわけにもいかない。
かと言って、道路の真ん中で停めるわけにもいかない。
ダンプにでも追突されたら、一巻の終わりだからね。
もう、運を天に任せて進むしかないわけ」
律「そんなとき、車で出なきゃいいのに」
み「急変するの。
お天気が」
律「そんなとこ、住まなきゃいいのに」
み「あんたね。
それを言っちゃあおしめいよ」
食「寅さんですか」
↑『男はつらいよ』。お盆と正月、年に2回公開されてました。
み「ほれ、次は何駅だ?
減速してきたぞ。
停まるんでねえの?」
食「前の停車駅『陸奥森田』から2駅目ですが……。
停車します」
み「『陸奥森田』から、何分?」
食「5分ですね」
み「その間に、『徳島』まで行ってきたのか」
食「それを言っちゃあおしめいよ」
み「声色を作るな。
気色悪い。
ほれ、何駅だ?」
食「今度の駅名も、ある程度全国区じゃないですか。
聞いたことあると思いますよ。
『木造(きづくり)』です」
み「おー、あるある。
“もくぞう”って書くんだよね。
『木造駅』って、“もくぞうえき”と読んでしまうよな」
食「読みませんよ」
み「なんでじゃ!」
食「知ってますから。
元々は、作物の“作”の字を宛てて、『木作』と書いたようです」
み「どういう由来?」
食「弘前藩主の津軽信牧(のぶひら)が、亀ケ岡に城を築く際……。
湿地に木材を敷いて運搬路としたことが語源だと云われてます(諸説あるようです)」
↑これは、『尾瀬ヶ原』に敷かれた木道。
み「なるほど。
この真っ平らな田んぼは、元々は湿地か」
↑津軽平野を流れる岩木川。注いでいるのは海ではなく、十三湖です。遠く見えるのは、独立峰岩木山。
み「亀田郷に似てるな。
なんか、親近感が湧いてきたぞ」
食「ここは、時間があったら、ぜひ降りていただきたい駅なんですが……。
残念ながら、1分停車じゃ無理ですね。
3分あればな」
み「たった3分じゃ、どこにも行けんだろ」
食「いえ。
駅の表側を見るだけですから」
み「そんなとこ見てどうする」
食「見る価値ありますって。
今、検索してお見せしますから……。
ほら、あった」
み「なんじゃこりゃー」
↑日本人が見ても驚きですが……。外人が見たら、びっくら仰天でしょうね。
食「日本で一番有名な土偶じゃないですか?
遮光器土偶と呼ばれてます。
愛称は、“しゃこちゃん”。
列車の到着時と発車時に、目が光るんですよ」
↑あまり派手には光らないようです。
み「しかし……。
よくまぁ、JRがこんなの作ったね。
バカでかくないか?」
食「17メートルあるそうです」
↑酔っ払ってるとき見たら、自らのアル中を疑うと思います。
み「5階建てビルくらいだな。
JRのどっから予算が出たんだ?」
食「作ったのは、JRじゃありません。
木造町です。
この建物は、『木造ふれ愛センター』って云う施設なんです」
み「なるほど。
駅と地域の施設が合体したパターン、前にもあったな。
でも、こんなの作る予算、よく議会が通したね」
食「財源は例の、竹下さんの『ふるさと創生資金』ですよ」
↑ちなみに、全員B型だそうです。
み「あぁ。
あの、1億ずつ、ばら撒いたっていう?」
食「そうそう」
み「てことは、出来たのは、バブルのころ?」
食「と思います。
調べてみましょう。
えーっと。
『ふるさと創生資金』が、ばら撒かれたのは……。
1989年から90年ですね」
み「まさに、バブルの真っ盛りだな」
↑けっこう面白かったです。
食「その資金で、『木造ふれ愛センター』を兼ねた駅舎が建てられたわけです」
み「あの事業のおかげで……。
日本中に、珍スポットが誕生したんだよね」
食「ちなみに青森県では……。
黒石市で、『純金製こけし』」
食「そして、おいらせ町では、例の『自由の女神』」
み「あれも、創生資金か!
金塊買ったとこもあったよね」
食「えーっと。
あ、ありました。
兵庫県の津名郡津名町。
今は、淡路市になってますね。
でも、買ったのではなく、1億円を保証金にして、レンタルしたそうです。
2010年に返却し、保証金は返って来てます」
み「なんだ、買ったんじゃないのか。
でも、1億円を預金しといて、後で引き出して使うのと一緒だな。
頭いいね」
食「レンタルでなく、ほんとに金を買ってたら……。
2億円で売却できたそうです。
金価格が高騰しましたから」
み「あっちゃー。
惜しいな。
妙なとこで小ズルく立ちまわって、1億年儲けそこなったか」
レンタル料金分だけ、目減りしちゃってるしな」
食「でも、その分くらいの元は取ったと思いますよ。
展示会場には、日本中から見物客が殺到したらしいですから」
食「わずか1ヶ月で、町の人口の3倍の、5万人もの入場者があったとか。
展示されたのは、『町立静(しずか)の里公園資料館』だそうですが……」
↑今は、淡路市立になってるようです。
食「“静か”どころか“大騒ぎ”になったってわけです」
み「そのころで言えば、フィーバーってやつだな」
↑ジョン・トラボルタのダンスシーン。古き良き時代哉。
律「それ、今でも使ってる人がいるわよ。
うちの先生とか」
み「信じがたいセンス。
あ、見学料取れば、レンタル料金は埋められるか」
↑2つに見えますが、鏡に映っているのです。
食「見学無料だったそうです」
み「惜しいではないか。
1人100円取っても、1ヶ月50万だよ。
レンタル料くらい出たろうに」
食「ま、見物料で回収しなくても、廻りまわって帰ってくるんじゃないですか」
み「どういうこと?」
食「資料館の売店コーナーでは、金箔入りの飴や金イオン入りの石鹸……」
↑妙に安いとこがそそられます。これなら、近所に配れますよね。
食「金塊を模したチョコレート、ティッシュケース、貯金箱などが売られてたそうですし……」
食「会場近くの飲食店では、『金箔うどん』がメニューになったりしたそうです(残念ながら画像が見つかりませんでした)。
そういうとこに、見物客がお金を落としてくれれば……。
税金になって村に戻ってくるわけですからね」
み「しかし、なんでそこまで人が来るかわからん。
金塊なんか見て、どうなるってもんでもないでしょ」
食「当時の町長が、アイデアマンだったんですよ。
普通の頭なら、ガラスケースとかに入れて、見学させるでしょ?
でも、津名町は違った。
“むきみ”で置いて、見物客に自由に触らせたんです」
↑ベッカム様も触った!
食「しかも、休日には町長自らが傍らに立って……。
『どうぞ金塊に触ってください。触ると幸福になれます』と宣伝したそうです」
み「大した町長だな。
でも、そんな展示して、盗まれる心配は無かったのかね?」
食「実際、怪盗ルパンを名乗る人物からは……。
『金塊をいただく』という予告状も来たそうです」
↑ルパンがいませんが。
み「1億円の金塊って、どのくらいの大きさ?」
食「当時で、縦10センチ、横20センチだそうです」
み「小さ!
片手で盗めるじゃん」
食「無理ですよ」
み「なんで!」
食「純金ですから……。
重さは、63キロもあります」
み「どしえー。
金って、そんなに重いの」
食「比重は、鉄の約2.5倍ですから」
み「握力が63キロ以上ないと、片手では持てんというわけか」
↑握力といえばこの人。100キロまで計れる握力計が振り切れたそうです。
食「ま、今なら、金価格が高騰してますから……。
片手で持てるくらいになっちゃってますけどね」
み「でもその予告状……。
話題作りに、町長が自分で書いたんじゃないか?」
食「あり得ないことも無いですね。
そもそも、一億円の使い道を巡って紛糾する町議会に……。
金塊購入を匿名で投書したのは、当の町長だったそうですから」
↑町長在任は、7期26年。合併を見届けて退任。2008年死去。
み「わはは」
食「町の幹部職員は、大顰蹙だったそうです。
『金塊を買うなんてみっともない』って」
み「さもありなん」
食「でも、議会が議決してしまいました。
案を出したのが町長だってわかったんでしょうね。
町長の案を通せば、議会が責任を取らなくて済みますから」
み「町民にも愛された、名物町長だったんだな」
食「とにかく、発想が面白い人だったようです。
平成元年の大晦日には……。
金塊を小槌で叩き、その音を町中にスピーカーで流して……」
食「除夜の鐘代わりにしたそうです」
み「大した、たまげた。
平成の大合併は……。
そういう愛すべき首長たちも、リストラしちゃったというわけだね。
1億円の面白い使い道、まだ無かったっけ?」
食「確か、宝くじを買った自治体があったはずです」
み「どこじゃい?」
食「うーん。
検索してもヒットしないな。
どこかの村だったと思うんですが。
テレビでも取りあげられたと聞きました。
なにしろ、単に買うんじゃなくて……。
わざわざ、東京まで買いに来たそうです。
しかも!
その道中がスゴかった。
大道具小道具を取り揃え、衣装まで作って……。
幟旗を立て、大名行列かチンドン屋みたいな格好で練り歩いて来たそうです」
↑想像図。
み「発想がスゴい!
それで、1億円分買って帰ったわけ?」
食「いえ。
少しずつ、毎年買いに来たそうです。
『今年もやってきました~』とか言って」
み「陽気でいいではないか」
食「目的は、宝くじを買うことではなく……。
過疎化の進む村の名を、全国に知らしめるためだったそうです」
み「なるほど。
話題作りか。
頭いいね」
食「毎年のようにテレビで取りあげられたそうですから……。
広告費として使ったと思えば、大成功だったんじゃないですか」
律「で、宝くじの方は当たったんですか?」
食「ダメだったようですね。
結局、1億円全部使い果たして終わり、ってことだったとか」
律「でも、潔い使い方じゃないの。
聞いてて、スカッとする」
み「もっとない?
面白い使い方したとこ」
食「えーっと。
あ、秋田県で強烈なところがありました。
仙北郡の仙南村。
今は、美郷町になってます。
ここはなんと!
村営のキャバレーを作ったそうです」
↑イメージです。なぜか、画像が見当たりません。
み「どっひゃー!」
食「田んぼの真ん中に、白亜の殿堂が出現したそうです」
↑なぜか画像がヒットしません。代わりに載せた画像は、かつて新潟市にあった『キャバレー香港』。日本海側最大と云われてたそうです。一度行ってみたかった。
み「なんでまた、そんな発想が?」
食「実はですね、人口9,000人の仙南村には、食堂は2軒あったんですが……。
お酒を飲める店が、1軒も無かったそうです」
↑2004年、合併して美郷町となる直前の仙南村。人口8,000人。平安時代の『後三年の役』の戦場だったそうです。
み「居酒屋も?」
食「もちろん。
バーもスナックも、パブもキャバレーもありませんでした」
み「なんでまた?」
食「仙南村の北は、大曲市。
南は横手市」
食「ともにJRの駅を中心に、それなりの盛り場があります。
仙南村は、ちょうどその真ん中に位置してるんです」
み「みんな家飲みか?
若者は、そうはいかんだろ?」
食「タクシーで3,000円かかる、大曲や横手まで行ってたようです」
み「3,000円もあれば、そこそこ飲めるぞ」
食「『地元に飲み屋を!』というのは、村の若者たちの悲願だったそうです」
み「それで、一気にキャバレー?」
食「村としても……。
村内に若者の集まれる場所が無いことが、若者流出の原因のひとつと案じてたそうです」
み「で、渡りに船?」
律「棚から牡丹餅?」
食「降って湧いたように、村に1億円が転がりこむことになった」
み「それで、キャバレーか。
スゴい発想だね。
過激サービスもあったわけ?」
食「あなた、誤解してません?」
み「なにを?
キャバレーと云えば、お触りくらいじゃすまないだろ」
食「あなたの頭の中にあるのは、ピンサロでしょ」
食「『キャバレー』って、ミュージカルにもあるじゃないですか」
食「いかがわしいサービスはなしです」
み「なんだつまらん」
食「そもそも、村がピンサロ経営なんて出来るわけないですよ」
み「でも、女の子くらいいるだろ。
どういうのを集めたの?」
食「村の食堂の主婦が、ママに据えられたそうです」
↑こちらは、食堂のおばちゃんをしながら『松本清張賞』を受賞した山口恵以子さん。頭が下がります。
み「げ。
一気に期待度ダウン」
食「美人だったそうですよ」
み「ほかの女の子は?」
食「さー。
その情報は、ちょっと見つかりませんね。
あとは、ウェイターだけじゃないですか?」
み「そんなキャバレーがあるかい。
誰も来んぞ」
食「連日、盛況だったそうですよ」
み「ほかに酒場が無いから?」
食「それもあるでしょうし……。
何しろ、若者を集めて、出会いの場にするのが村の目的ですから……。
採算度外視!
若者の懐にやさしい価格設定!」
食「おまいは客引きか」
↑横浜中華街の看板。栗の押し売りって……。売られたくは無いが、一度見てみたい。
食「実際、ビールの中瓶が400円。
オールドをキープしても、4,000円だったそうです」
み「ほー。
それって、安いのか?」
食「近くに飲み屋があったら、抗議が来るでしょうね。
民業圧迫だって」
↑こちらは、那覇市の飲み屋さんです。やっぱり、400円なら安いんでしょうね?
み「ふーん。
でも、飲むだけじゃ、若者は満足せんだろ。
お触り無しなんだから、ほかに何か売り物がなけりゃ」
食「もちろんです。
村の力の入れようは相当なもので……。
1億円のほかに、3千万も村費を注ぎこんだそうですから。
カラオケ装置だけで、2千万したそうです」
み「なんともはや。
生バンド呼んだほうが、安いんでないの?」
食「確かに。
でも、話題性は抜群でした。
全国の自治体から視察者が殺到し、マスコミの取材もスゴかったそうです」
み「だろうな。
今もあるの?」
食「いえ。
閉鎖されたそうです」
↑実際の画像ではありません。
み「なんでまた?
村で唯一の飲み屋なんでしょ?
若者の殿堂になってるんじゃないの?」
食「それです。
村の目的とは異なる方向に行ってしまったんですね」
み「どういうこと?」
食「客層です。
豪華なカラオケ設備に熱狂したのは、若者ではなく……。
中高年だったんです」
↑山科にあります。
み「それは、なんとなくわかる」
食「彼らが連日押しかけ、代わる代わる演歌を歌いあげました。
なにしろ、人口比から云えば、圧倒的に中高年層が多いわけですからね」
↑これは、2012年の江戸川区のグラフ。仙南村では、もっと上が膨らんでると思います。
み「しかもたぶん、傍若無人だよな」
食「なまじ性能の良いカラオケだったので……。
もの凄い音量なわけです。
会話は、ほぼ不可能だったそうです」
↑わたしは、掃除機の音が大嫌い。掃除が嫌いなのは、そのせいかと。
み「出会いの場どころじゃないな」
食「店からは、次第に若者の姿が消えていったそうです」
み「彼らの行き先は?」
食「また、大曲や横手に戻っていったんですね」
み「残るは、中高年」
食「あと、冬場の出稼ぎの間は、嫁と姑の交歓の場となってたようです」
み「いずれにしろ、当初の目的からは大きく外れてしまったわけだな」
食「採算度外視だったのは、若者を村に定着させるという目的があったからです」
み「で、閉鎖?」
食「ですね。
それ以上、村費を注ぎこむ意味がありませんから」
み「うーむ。
やはり、バブルの徒花であったか。
でも、広告費と考えれば、あながち丸損じゃなかったよね」
食「ま、楽しい使い方だったんじゃないですか」
み「まぁな」
食「で、この“しゃこちゃん”です。
これはこれで、ずーっと残ってるという点では、いい使い方だったんじゃないですか?」
↑遠くからも、大いに目立ちます。
み「『ふるさと創生事業』の記念碑みたいなもんだな」
食「ですね」
律「でもほんと、愛嬌のある顔よね。
漫画チックで」
み「宇宙人説があったよね」
食「ですね。
ほかにも、超古代文明の宇宙服説もありました」
食「あと、古代核戦争で使われた防護服だとか」
み「デニケンだな。
でも、目に見えるのは、雪中で目を保護する遮光器なんだろ?」
食「イヌイットが、雪中で付ける遮光器に似てることは確かです」
食「でも今は、目の誇大表現だと云われてるようです」
↑『津軽亀ケ岡焼』一戸広臣さん制作。
み「ま、確かにデザイン的ではあるけどね。
でも、目をデフォルメする場合、こんなふうになるかね?」
食「そうですよね。
ほかの部分は、これほど強烈にデフォルメされてませんよね」
み「この頭は、なんなんだ?」
み「大阪のおばさんに、こんな髪型の人、いそうだけど」
律「女性なの?」
食「そう云われてます」
み「あ、これおっぱいか。
こっちは、バカに控えめだな」
み「コインやで~」
食「古すぎです。
ま、腰は大きく張り出してますけどね」
み「上着のデザインじゃないの?
でもこれ、左足がもげてるね。
完全な形のは、出てないの?」
食「完全な状態では、出土しないようです。
必ずどこか、欠損してます。
でも、土中で壊れたって感じじゃなく……。
明らかに、毀損されてから埋められてますね」
↑ミロのヴィーナスには、元々腕があったとか。腕の付け根にホゾ穴があるそうです。腕だけではなく、この像は、いくつかのパーツから組み立てられてるそうです。
み「なんでじゃ?」
食「何かの儀式で使われるとき、切断されたんじゃないかと云われてます」
み「切られた方の部分は、出てこないの?」
食「さー。
ちょっと、記述は無いみたいです」
み「きっと、粉々に砕かれて、みんなで食べたんだよ。
団子とかに一緒に入れて」
律「どうして食べるのよ?」
み「食べるってことは、パワーを取り込むことでしょ」
律「美味しくないと思うわ。
土のお団子なんて」
み「味の問題ではない。
でもさすがに、土だけじゃ食べにくいだろうから……。
栃餅かなんかに混ぜたんでないの?」
↑鳥取県は倉吉産。餅米と一緒に蒸し、杵で搗いてるそうです。
食「そういえば、縄文クッキーとかも、ありましたよね」
み「あった、あった」
↑どう見ても、動物の糞ですねー。詳しくは、こちらを。
み「団子より、クッキーの方がいいかな。
元々、焼き物なんだから。
トッピングにパラパラっと、土の粉を振るくらいにすれば、そんなに食べにくくないだろ。
今度、やってみるか?
遮光器土偶、どっかで貸してくれないか?」
食「ダメだと思います」
み「この土偶の出た遺跡って、何てとこだっけ?」
食「教科書で習ったと思いますよ」
み「ど忘れじゃ」
食「亀ヶ岡遺跡です」
み「おー、それそれ。
いつごろ発見された遺跡なの?」
食「江戸時代初期には発見されてたそうです。
江戸になって間もない、1623年(元和9年)に書かれた日記に……。
『ここより奇代の瀬戸物を掘し』と書かれてるそうです。
菅江真澄も書いてるようですね」
↑そうとう歩きまわってますね。徒歩なんだからスゴいよな。
み「おー、マスミンまで来てたのか。
物好きじゃのー」
食「ま、江戸時代では当然のことながら……。
大規模に乱掘されて、江戸、長崎などに売り飛ばされてます。
優れた芸術品として、文人墨客には珍重されたそうですから」
み「さもありなん。
長崎に行ってるってことは、海外にも流出してるな」
食「ですね。
遺跡の学術的な発掘は、明治22年が最初のようです。
その後の調査で、縄文時代晩期を代表する遺跡であることが確かめられてます。
昭和19年には、国の史跡に指定されました」
み「昭和19年ってのが、スゴいね。
『木造駅』のモデルになった遮光器土偶は、どこに収蔵されてるんだ?」
食「東京の国立博物館です」
↑思ったより小さいです。ま、『木造駅』が大きすぎるんですが。
み「なんだ。
『木造町』には無いの」
食「今は、『つがる市』ですけどね。
重要文化財に指定されてますから」
み「『つがる市』に取り戻す運動とか、起こせばいいのに」
食「管理や防犯にお金がかかりますから……。
市は、取り戻したくないと思います」
み「あらそう。
亀ヶ岡遺跡って、駅から近いの?」
食「えーっと。
地図を見ると、かなり離れてますね。
七里長浜という海岸近くです」
み「縄文時代は、住みやすい場所だったの?」
食「当時は、暖かかったんじゃないですか」
↑縄文時代は、今より1~2度気温が高く、海面も2~3メートル高かったそうです(『縄文海進』と呼ばれてます)。画像は、そのころの海水面を再現した関東平野のシミュレーション。
食「江戸時代は、七里長浜の砂丘からの飛砂で、不毛の地だったみたいですね。
1682年、津軽藩四代藩主信政の時代に、藩の事業として新田開発に取り組んだそうです。
砂丘に植林をして飛砂を防ごうとしたんですが、困難を極めたとか」
↑現在は、見事な保安林が形成されています(屏風山保安林)。
み「さもありなん。
新潟の西海岸もそうだったらしいから。
てことは、遺跡のほかには何もない所か?」
食「何もない所が見どころでしょう。
亀ヶ岡遺跡から南に少し行ったところに、ベンセ湿原というところがあります」
↑ほかに何も無さそうな気配マンマンです。
食「面積は、23ヘクタール。
湿原植物の宝庫だそうです。
6月上旬から咲くニッコウキスゲは見ものだとか」
↑遠く霞むのは岩木山
食「一面の湿原が、黄金色に染まります」
↑臨死体験で見そうな光景です。
み「23ヘクタールって、23万平方メートルだろ。
7万坪じゃん。
『深川洲崎十万坪』より狭いではないか」
食「江戸時代と比べてもしょうがないですよ」
み「いまいち、触肢が動かん。
坪1,000円として、7千万か。
高い!」
食「買う気ですか」
み「坪1円なら買う」
食「売りませんって。
駐車場や展望台もありますし……」
食「湿原には木道も渡してあります」
↑タヌキも利用してます。
食「普通の格好で行っても大丈夫ですよ」
み「北海道の原生花園というところに行ったことがあるんだが……。
とにかく、何も無くて驚いた」
食「とすれば……。
とりあえず、牟岐線で1駅先の『南小松島』まで行くわけですね。
で、一旦改札を出て、『中田(ちゅうでん)』までの切符を買う」
律「また筆談?」
↑こんな製品もありました。2,835円はお手頃価格ですね。
食「『南小松島』は、駅員さんがいますよ。
券売機はあるのかな?」
↑『南小松島駅』は、小松島市の中心駅だそうです。左端に見えるのが、券売機みたいですね。
み「なんでそんなややこしいことをするのだ?」
食「だって、帰るんでしょ?
『南小松島』から、隣の『中田(ちゅうでん)』までの切符を持って……」
食「五能線の『中田(なかた)』まで戻るんです」
↑あたりには田んぼしかありません(詳しくはこちらを)。
み「また、乗るのきゃー」
食「当たり前です。
あ、待てよ。
そんなことしなくても、『中田(ちゅうでん)』で改札を出なきゃいいんだ。
そのまま反対方向の列車に乗って、五能線の『中田(なかた)』まで戻るんです。
今度は、正々堂々と出れますよ。
正真正銘の『中田(なかた)』までの切符なんだから」
み「日付が違うだろ」
食「ほー。
そこに気づくとは大したものです」
み「当たり前じゃ」
食「キロ数が100㎞までの場合、切符の有効期限は1日です。
それじゃ、101㎞以上のときの有効期限の算出方法を知ってますか?」
み「そんなもん、知ってる方がおかしいわい」
食「『キロ数÷200+1日』なんですよ。
小数点以下は切り上げです。
ちなみに、『陸奥森田』から『中田(ちゅうでん)』までは、1,357キロですから……。
8日ですね」
み「『中田(なかた)』までなら、1日だろ」
食「大丈夫。
『中田(なかた)』は無人駅ですから」
↑駅舎に見えたのは単なる待合室で、乗客はこの階段からホームに登るようです。早い話、フリーパスですね。
み「待て。
根本的におかしいぞ」
食「何がです?」
み「『中田(ちゅうでん)』で改札を出ないんなら……。
何のためにここまで来たんだ?」
食「それはもちろん……。
鉄道に乗るためです。
目的地なんていりません。
乗ること自体が目的なんですから」
↑美しき“乗り鉄”、伊藤桃(青森県出身のタレント)。バリバリの“鉄子”だそうす。
み「そんな崇高な目的があるんなら……。
キセルすな!」
↑奇祭『きせる祭』。茨城県の加波山神社(かばさんじんじゃ)は、たばこの神さま。このキセル、長さ2.5メートル、重さ60キロだそうです。
食「あなたが企てたんでしょ」
み「とにかく、もう鈍行に乗るのはごめんだ。
改札を出て、立ち食いそば以外のものを食べる」
食「それじゃ、そろそろリアルの旅に戻りますか」
み「ふー。
空想だけでこれだけ疲れるんだから……。
実際にやったら、ぜったいにリタイアしてるな」
食「どのあたりです?」
み「『新津』かな」
↑『新津駅』では、のんびりと遊ぶ【ばんえつ物語号】が見られます。
み「そこで降りて、家に帰る」
食「だらしないですね」
み「それがまっとうな人間の神経なの。
さて、ここ、どこだっけ?」
食「やだなぁ。
『中田(なかた)駅』を出たところじゃありませんか」
↑五能線側面展望『陸奥森田→木造』(『中田駅』通過は、2:28くらい)。
み「そんなわけないだろ!
これだけ長々と話してて」
食「ですから……」
み「融通無碍はもういい」
食「ま、少し車窓を堪能しましょう。
ここはまさしく、津軽平野の真ん中です」
↑田んぼの向こうに岩木山。まさに、日本の風景ですね。
み「なんにもない」
食「田んぼがあるじゃないですか」
み「そう言えば……。
『つがるロマン』ってお米が、わたしが行くスーパーに売ってるんだよ」
↑先日も買ってきました。5キロで1,500円(税込)。安い!
食「お味は?」
み「言っちゃなんだけど、普通に美味しい。
わたしの舌じゃ、コシヒカリと区別できんかった」
律「この田んぼも、『つがるロマン』かしら?」
食「かもしれませんね」
律「どこまでも続く田んぼと、岩木山。
ほんとにロマンの古里ね」
み「あんたは、観光協会の回し者か。
冬の風景を見ないから、そんなことが言えるんじゃ」
律「見たの?」
み「見なくてもわかるわい。
この田んぼを、地吹雪が通り過ぎるに違いない」
↑津軽平野の地吹雪。
み「ホワイトアウトの恐怖は、味わった者しかわからん。
特に、クルマ運転してるときに遭うと、ほぼパニクる」
食「どうなるんですか?」
み「どうもこうも、窓の外は全部真っ白」
↑マジで怖いです。胃の腑を鷲掴みされるような恐怖を感じます。
み「雪の層が覆ってるんだから、ライト点けてもほとんど見通せない。
路肩には除雪された雪がうず高く積もってるから、車を寄せて停めるわけにもいかない。
かと言って、道路の真ん中で停めるわけにもいかない。
ダンプにでも追突されたら、一巻の終わりだからね。
もう、運を天に任せて進むしかないわけ」
律「そんなとき、車で出なきゃいいのに」
み「急変するの。
お天気が」
律「そんなとこ、住まなきゃいいのに」
み「あんたね。
それを言っちゃあおしめいよ」
食「寅さんですか」
↑『男はつらいよ』。お盆と正月、年に2回公開されてました。
み「ほれ、次は何駅だ?
減速してきたぞ。
停まるんでねえの?」
食「前の停車駅『陸奥森田』から2駅目ですが……。
停車します」
み「『陸奥森田』から、何分?」
食「5分ですね」
み「その間に、『徳島』まで行ってきたのか」
食「それを言っちゃあおしめいよ」
み「声色を作るな。
気色悪い。
ほれ、何駅だ?」
食「今度の駅名も、ある程度全国区じゃないですか。
聞いたことあると思いますよ。
『木造(きづくり)』です」
み「おー、あるある。
“もくぞう”って書くんだよね。
『木造駅』って、“もくぞうえき”と読んでしまうよな」
食「読みませんよ」
み「なんでじゃ!」
食「知ってますから。
元々は、作物の“作”の字を宛てて、『木作』と書いたようです」
み「どういう由来?」
食「弘前藩主の津軽信牧(のぶひら)が、亀ケ岡に城を築く際……。
湿地に木材を敷いて運搬路としたことが語源だと云われてます(諸説あるようです)」
↑これは、『尾瀬ヶ原』に敷かれた木道。
み「なるほど。
この真っ平らな田んぼは、元々は湿地か」
↑津軽平野を流れる岩木川。注いでいるのは海ではなく、十三湖です。遠く見えるのは、独立峰岩木山。
み「亀田郷に似てるな。
なんか、親近感が湧いてきたぞ」
食「ここは、時間があったら、ぜひ降りていただきたい駅なんですが……。
残念ながら、1分停車じゃ無理ですね。
3分あればな」
み「たった3分じゃ、どこにも行けんだろ」
食「いえ。
駅の表側を見るだけですから」
み「そんなとこ見てどうする」
食「見る価値ありますって。
今、検索してお見せしますから……。
ほら、あった」
み「なんじゃこりゃー」
↑日本人が見ても驚きですが……。外人が見たら、びっくら仰天でしょうね。
食「日本で一番有名な土偶じゃないですか?
遮光器土偶と呼ばれてます。
愛称は、“しゃこちゃん”。
列車の到着時と発車時に、目が光るんですよ」
↑あまり派手には光らないようです。
み「しかし……。
よくまぁ、JRがこんなの作ったね。
バカでかくないか?」
食「17メートルあるそうです」
↑酔っ払ってるとき見たら、自らのアル中を疑うと思います。
み「5階建てビルくらいだな。
JRのどっから予算が出たんだ?」
食「作ったのは、JRじゃありません。
木造町です。
この建物は、『木造ふれ愛センター』って云う施設なんです」
み「なるほど。
駅と地域の施設が合体したパターン、前にもあったな。
でも、こんなの作る予算、よく議会が通したね」
食「財源は例の、竹下さんの『ふるさと創生資金』ですよ」
↑ちなみに、全員B型だそうです。
み「あぁ。
あの、1億ずつ、ばら撒いたっていう?」
食「そうそう」
み「てことは、出来たのは、バブルのころ?」
食「と思います。
調べてみましょう。
えーっと。
『ふるさと創生資金』が、ばら撒かれたのは……。
1989年から90年ですね」
み「まさに、バブルの真っ盛りだな」
↑けっこう面白かったです。
食「その資金で、『木造ふれ愛センター』を兼ねた駅舎が建てられたわけです」
み「あの事業のおかげで……。
日本中に、珍スポットが誕生したんだよね」
食「ちなみに青森県では……。
黒石市で、『純金製こけし』」
食「そして、おいらせ町では、例の『自由の女神』」
み「あれも、創生資金か!
金塊買ったとこもあったよね」
食「えーっと。
あ、ありました。
兵庫県の津名郡津名町。
今は、淡路市になってますね。
でも、買ったのではなく、1億円を保証金にして、レンタルしたそうです。
2010年に返却し、保証金は返って来てます」
み「なんだ、買ったんじゃないのか。
でも、1億円を預金しといて、後で引き出して使うのと一緒だな。
頭いいね」
食「レンタルでなく、ほんとに金を買ってたら……。
2億円で売却できたそうです。
金価格が高騰しましたから」
み「あっちゃー。
惜しいな。
妙なとこで小ズルく立ちまわって、1億年儲けそこなったか」
レンタル料金分だけ、目減りしちゃってるしな」
食「でも、その分くらいの元は取ったと思いますよ。
展示会場には、日本中から見物客が殺到したらしいですから」
食「わずか1ヶ月で、町の人口の3倍の、5万人もの入場者があったとか。
展示されたのは、『町立静(しずか)の里公園資料館』だそうですが……」
↑今は、淡路市立になってるようです。
食「“静か”どころか“大騒ぎ”になったってわけです」
み「そのころで言えば、フィーバーってやつだな」
↑ジョン・トラボルタのダンスシーン。古き良き時代哉。
律「それ、今でも使ってる人がいるわよ。
うちの先生とか」
み「信じがたいセンス。
あ、見学料取れば、レンタル料金は埋められるか」
↑2つに見えますが、鏡に映っているのです。
食「見学無料だったそうです」
み「惜しいではないか。
1人100円取っても、1ヶ月50万だよ。
レンタル料くらい出たろうに」
食「ま、見物料で回収しなくても、廻りまわって帰ってくるんじゃないですか」
み「どういうこと?」
食「資料館の売店コーナーでは、金箔入りの飴や金イオン入りの石鹸……」
↑妙に安いとこがそそられます。これなら、近所に配れますよね。
食「金塊を模したチョコレート、ティッシュケース、貯金箱などが売られてたそうですし……」
食「会場近くの飲食店では、『金箔うどん』がメニューになったりしたそうです(残念ながら画像が見つかりませんでした)。
そういうとこに、見物客がお金を落としてくれれば……。
税金になって村に戻ってくるわけですからね」
み「しかし、なんでそこまで人が来るかわからん。
金塊なんか見て、どうなるってもんでもないでしょ」
食「当時の町長が、アイデアマンだったんですよ。
普通の頭なら、ガラスケースとかに入れて、見学させるでしょ?
でも、津名町は違った。
“むきみ”で置いて、見物客に自由に触らせたんです」
↑ベッカム様も触った!
食「しかも、休日には町長自らが傍らに立って……。
『どうぞ金塊に触ってください。触ると幸福になれます』と宣伝したそうです」
み「大した町長だな。
でも、そんな展示して、盗まれる心配は無かったのかね?」
食「実際、怪盗ルパンを名乗る人物からは……。
『金塊をいただく』という予告状も来たそうです」
↑ルパンがいませんが。
み「1億円の金塊って、どのくらいの大きさ?」
食「当時で、縦10センチ、横20センチだそうです」
み「小さ!
片手で盗めるじゃん」
食「無理ですよ」
み「なんで!」
食「純金ですから……。
重さは、63キロもあります」
み「どしえー。
金って、そんなに重いの」
食「比重は、鉄の約2.5倍ですから」
み「握力が63キロ以上ないと、片手では持てんというわけか」
↑握力といえばこの人。100キロまで計れる握力計が振り切れたそうです。
食「ま、今なら、金価格が高騰してますから……。
片手で持てるくらいになっちゃってますけどね」
み「でもその予告状……。
話題作りに、町長が自分で書いたんじゃないか?」
食「あり得ないことも無いですね。
そもそも、一億円の使い道を巡って紛糾する町議会に……。
金塊購入を匿名で投書したのは、当の町長だったそうですから」
↑町長在任は、7期26年。合併を見届けて退任。2008年死去。
み「わはは」
食「町の幹部職員は、大顰蹙だったそうです。
『金塊を買うなんてみっともない』って」
み「さもありなん」
食「でも、議会が議決してしまいました。
案を出したのが町長だってわかったんでしょうね。
町長の案を通せば、議会が責任を取らなくて済みますから」
み「町民にも愛された、名物町長だったんだな」
食「とにかく、発想が面白い人だったようです。
平成元年の大晦日には……。
金塊を小槌で叩き、その音を町中にスピーカーで流して……」
食「除夜の鐘代わりにしたそうです」
み「大した、たまげた。
平成の大合併は……。
そういう愛すべき首長たちも、リストラしちゃったというわけだね。
1億円の面白い使い道、まだ無かったっけ?」
食「確か、宝くじを買った自治体があったはずです」
み「どこじゃい?」
食「うーん。
検索してもヒットしないな。
どこかの村だったと思うんですが。
テレビでも取りあげられたと聞きました。
なにしろ、単に買うんじゃなくて……。
わざわざ、東京まで買いに来たそうです。
しかも!
その道中がスゴかった。
大道具小道具を取り揃え、衣装まで作って……。
幟旗を立て、大名行列かチンドン屋みたいな格好で練り歩いて来たそうです」
↑想像図。
み「発想がスゴい!
それで、1億円分買って帰ったわけ?」
食「いえ。
少しずつ、毎年買いに来たそうです。
『今年もやってきました~』とか言って」
み「陽気でいいではないか」
食「目的は、宝くじを買うことではなく……。
過疎化の進む村の名を、全国に知らしめるためだったそうです」
み「なるほど。
話題作りか。
頭いいね」
食「毎年のようにテレビで取りあげられたそうですから……。
広告費として使ったと思えば、大成功だったんじゃないですか」
律「で、宝くじの方は当たったんですか?」
食「ダメだったようですね。
結局、1億円全部使い果たして終わり、ってことだったとか」
律「でも、潔い使い方じゃないの。
聞いてて、スカッとする」
み「もっとない?
面白い使い方したとこ」
食「えーっと。
あ、秋田県で強烈なところがありました。
仙北郡の仙南村。
今は、美郷町になってます。
ここはなんと!
村営のキャバレーを作ったそうです」
↑イメージです。なぜか、画像が見当たりません。
み「どっひゃー!」
食「田んぼの真ん中に、白亜の殿堂が出現したそうです」
↑なぜか画像がヒットしません。代わりに載せた画像は、かつて新潟市にあった『キャバレー香港』。日本海側最大と云われてたそうです。一度行ってみたかった。
み「なんでまた、そんな発想が?」
食「実はですね、人口9,000人の仙南村には、食堂は2軒あったんですが……。
お酒を飲める店が、1軒も無かったそうです」
↑2004年、合併して美郷町となる直前の仙南村。人口8,000人。平安時代の『後三年の役』の戦場だったそうです。
み「居酒屋も?」
食「もちろん。
バーもスナックも、パブもキャバレーもありませんでした」
み「なんでまた?」
食「仙南村の北は、大曲市。
南は横手市」
食「ともにJRの駅を中心に、それなりの盛り場があります。
仙南村は、ちょうどその真ん中に位置してるんです」
み「みんな家飲みか?
若者は、そうはいかんだろ?」
食「タクシーで3,000円かかる、大曲や横手まで行ってたようです」
み「3,000円もあれば、そこそこ飲めるぞ」
食「『地元に飲み屋を!』というのは、村の若者たちの悲願だったそうです」
み「それで、一気にキャバレー?」
食「村としても……。
村内に若者の集まれる場所が無いことが、若者流出の原因のひとつと案じてたそうです」
み「で、渡りに船?」
律「棚から牡丹餅?」
食「降って湧いたように、村に1億円が転がりこむことになった」
み「それで、キャバレーか。
スゴい発想だね。
過激サービスもあったわけ?」
食「あなた、誤解してません?」
み「なにを?
キャバレーと云えば、お触りくらいじゃすまないだろ」
食「あなたの頭の中にあるのは、ピンサロでしょ」
食「『キャバレー』って、ミュージカルにもあるじゃないですか」
食「いかがわしいサービスはなしです」
み「なんだつまらん」
食「そもそも、村がピンサロ経営なんて出来るわけないですよ」
み「でも、女の子くらいいるだろ。
どういうのを集めたの?」
食「村の食堂の主婦が、ママに据えられたそうです」
↑こちらは、食堂のおばちゃんをしながら『松本清張賞』を受賞した山口恵以子さん。頭が下がります。
み「げ。
一気に期待度ダウン」
食「美人だったそうですよ」
み「ほかの女の子は?」
食「さー。
その情報は、ちょっと見つかりませんね。
あとは、ウェイターだけじゃないですか?」
み「そんなキャバレーがあるかい。
誰も来んぞ」
食「連日、盛況だったそうですよ」
み「ほかに酒場が無いから?」
食「それもあるでしょうし……。
何しろ、若者を集めて、出会いの場にするのが村の目的ですから……。
採算度外視!
若者の懐にやさしい価格設定!」
食「おまいは客引きか」
↑横浜中華街の看板。栗の押し売りって……。売られたくは無いが、一度見てみたい。
食「実際、ビールの中瓶が400円。
オールドをキープしても、4,000円だったそうです」
み「ほー。
それって、安いのか?」
食「近くに飲み屋があったら、抗議が来るでしょうね。
民業圧迫だって」
↑こちらは、那覇市の飲み屋さんです。やっぱり、400円なら安いんでしょうね?
み「ふーん。
でも、飲むだけじゃ、若者は満足せんだろ。
お触り無しなんだから、ほかに何か売り物がなけりゃ」
食「もちろんです。
村の力の入れようは相当なもので……。
1億円のほかに、3千万も村費を注ぎこんだそうですから。
カラオケ装置だけで、2千万したそうです」
み「なんともはや。
生バンド呼んだほうが、安いんでないの?」
食「確かに。
でも、話題性は抜群でした。
全国の自治体から視察者が殺到し、マスコミの取材もスゴかったそうです」
み「だろうな。
今もあるの?」
食「いえ。
閉鎖されたそうです」
↑実際の画像ではありません。
み「なんでまた?
村で唯一の飲み屋なんでしょ?
若者の殿堂になってるんじゃないの?」
食「それです。
村の目的とは異なる方向に行ってしまったんですね」
み「どういうこと?」
食「客層です。
豪華なカラオケ設備に熱狂したのは、若者ではなく……。
中高年だったんです」
↑山科にあります。
み「それは、なんとなくわかる」
食「彼らが連日押しかけ、代わる代わる演歌を歌いあげました。
なにしろ、人口比から云えば、圧倒的に中高年層が多いわけですからね」
↑これは、2012年の江戸川区のグラフ。仙南村では、もっと上が膨らんでると思います。
み「しかもたぶん、傍若無人だよな」
食「なまじ性能の良いカラオケだったので……。
もの凄い音量なわけです。
会話は、ほぼ不可能だったそうです」
↑わたしは、掃除機の音が大嫌い。掃除が嫌いなのは、そのせいかと。
み「出会いの場どころじゃないな」
食「店からは、次第に若者の姿が消えていったそうです」
み「彼らの行き先は?」
食「また、大曲や横手に戻っていったんですね」
み「残るは、中高年」
食「あと、冬場の出稼ぎの間は、嫁と姑の交歓の場となってたようです」
み「いずれにしろ、当初の目的からは大きく外れてしまったわけだな」
食「採算度外視だったのは、若者を村に定着させるという目的があったからです」
み「で、閉鎖?」
食「ですね。
それ以上、村費を注ぎこむ意味がありませんから」
み「うーむ。
やはり、バブルの徒花であったか。
でも、広告費と考えれば、あながち丸損じゃなかったよね」
食「ま、楽しい使い方だったんじゃないですか」
み「まぁな」
食「で、この“しゃこちゃん”です。
これはこれで、ずーっと残ってるという点では、いい使い方だったんじゃないですか?」
↑遠くからも、大いに目立ちます。
み「『ふるさと創生事業』の記念碑みたいなもんだな」
食「ですね」
律「でもほんと、愛嬌のある顔よね。
漫画チックで」
み「宇宙人説があったよね」
食「ですね。
ほかにも、超古代文明の宇宙服説もありました」
食「あと、古代核戦争で使われた防護服だとか」
み「デニケンだな。
でも、目に見えるのは、雪中で目を保護する遮光器なんだろ?」
食「イヌイットが、雪中で付ける遮光器に似てることは確かです」
食「でも今は、目の誇大表現だと云われてるようです」
↑『津軽亀ケ岡焼』一戸広臣さん制作。
み「ま、確かにデザイン的ではあるけどね。
でも、目をデフォルメする場合、こんなふうになるかね?」
食「そうですよね。
ほかの部分は、これほど強烈にデフォルメされてませんよね」
み「この頭は、なんなんだ?」
み「大阪のおばさんに、こんな髪型の人、いそうだけど」
律「女性なの?」
食「そう云われてます」
み「あ、これおっぱいか。
こっちは、バカに控えめだな」
み「コインやで~」
食「古すぎです。
ま、腰は大きく張り出してますけどね」
み「上着のデザインじゃないの?
でもこれ、左足がもげてるね。
完全な形のは、出てないの?」
食「完全な状態では、出土しないようです。
必ずどこか、欠損してます。
でも、土中で壊れたって感じじゃなく……。
明らかに、毀損されてから埋められてますね」
↑ミロのヴィーナスには、元々腕があったとか。腕の付け根にホゾ穴があるそうです。腕だけではなく、この像は、いくつかのパーツから組み立てられてるそうです。
み「なんでじゃ?」
食「何かの儀式で使われるとき、切断されたんじゃないかと云われてます」
み「切られた方の部分は、出てこないの?」
食「さー。
ちょっと、記述は無いみたいです」
み「きっと、粉々に砕かれて、みんなで食べたんだよ。
団子とかに一緒に入れて」
律「どうして食べるのよ?」
み「食べるってことは、パワーを取り込むことでしょ」
律「美味しくないと思うわ。
土のお団子なんて」
み「味の問題ではない。
でもさすがに、土だけじゃ食べにくいだろうから……。
栃餅かなんかに混ぜたんでないの?」
↑鳥取県は倉吉産。餅米と一緒に蒸し、杵で搗いてるそうです。
食「そういえば、縄文クッキーとかも、ありましたよね」
み「あった、あった」
↑どう見ても、動物の糞ですねー。詳しくは、こちらを。
み「団子より、クッキーの方がいいかな。
元々、焼き物なんだから。
トッピングにパラパラっと、土の粉を振るくらいにすれば、そんなに食べにくくないだろ。
今度、やってみるか?
遮光器土偶、どっかで貸してくれないか?」
食「ダメだと思います」
み「この土偶の出た遺跡って、何てとこだっけ?」
食「教科書で習ったと思いますよ」
み「ど忘れじゃ」
食「亀ヶ岡遺跡です」
み「おー、それそれ。
いつごろ発見された遺跡なの?」
食「江戸時代初期には発見されてたそうです。
江戸になって間もない、1623年(元和9年)に書かれた日記に……。
『ここより奇代の瀬戸物を掘し』と書かれてるそうです。
菅江真澄も書いてるようですね」
↑そうとう歩きまわってますね。徒歩なんだからスゴいよな。
み「おー、マスミンまで来てたのか。
物好きじゃのー」
食「ま、江戸時代では当然のことながら……。
大規模に乱掘されて、江戸、長崎などに売り飛ばされてます。
優れた芸術品として、文人墨客には珍重されたそうですから」
み「さもありなん。
長崎に行ってるってことは、海外にも流出してるな」
食「ですね。
遺跡の学術的な発掘は、明治22年が最初のようです。
その後の調査で、縄文時代晩期を代表する遺跡であることが確かめられてます。
昭和19年には、国の史跡に指定されました」
み「昭和19年ってのが、スゴいね。
『木造駅』のモデルになった遮光器土偶は、どこに収蔵されてるんだ?」
食「東京の国立博物館です」
↑思ったより小さいです。ま、『木造駅』が大きすぎるんですが。
み「なんだ。
『木造町』には無いの」
食「今は、『つがる市』ですけどね。
重要文化財に指定されてますから」
み「『つがる市』に取り戻す運動とか、起こせばいいのに」
食「管理や防犯にお金がかかりますから……。
市は、取り戻したくないと思います」
み「あらそう。
亀ヶ岡遺跡って、駅から近いの?」
食「えーっと。
地図を見ると、かなり離れてますね。
七里長浜という海岸近くです」
み「縄文時代は、住みやすい場所だったの?」
食「当時は、暖かかったんじゃないですか」
↑縄文時代は、今より1~2度気温が高く、海面も2~3メートル高かったそうです(『縄文海進』と呼ばれてます)。画像は、そのころの海水面を再現した関東平野のシミュレーション。
食「江戸時代は、七里長浜の砂丘からの飛砂で、不毛の地だったみたいですね。
1682年、津軽藩四代藩主信政の時代に、藩の事業として新田開発に取り組んだそうです。
砂丘に植林をして飛砂を防ごうとしたんですが、困難を極めたとか」
↑現在は、見事な保安林が形成されています(屏風山保安林)。
み「さもありなん。
新潟の西海岸もそうだったらしいから。
てことは、遺跡のほかには何もない所か?」
食「何もない所が見どころでしょう。
亀ヶ岡遺跡から南に少し行ったところに、ベンセ湿原というところがあります」
↑ほかに何も無さそうな気配マンマンです。
食「面積は、23ヘクタール。
湿原植物の宝庫だそうです。
6月上旬から咲くニッコウキスゲは見ものだとか」
↑遠く霞むのは岩木山
食「一面の湿原が、黄金色に染まります」
↑臨死体験で見そうな光景です。
み「23ヘクタールって、23万平方メートルだろ。
7万坪じゃん。
『深川洲崎十万坪』より狭いではないか」
食「江戸時代と比べてもしょうがないですよ」
み「いまいち、触肢が動かん。
坪1,000円として、7千万か。
高い!」
食「買う気ですか」
み「坪1円なら買う」
食「売りませんって。
駐車場や展望台もありますし……」
食「湿原には木道も渡してあります」
↑タヌキも利用してます。
食「普通の格好で行っても大丈夫ですよ」
み「北海道の原生花園というところに行ったことがあるんだが……。
とにかく、何も無くて驚いた」