2013.10.20(日)
み「つまりあれか。
スキーを揃えて立ってるとき……。
板が前後にずるっと滑って、前後大股開きになったみたいに?」
食「ま、そんなものです。
格好良く例えれば、ジャンプのテレマーク姿勢ですかね」
食「もっとも、かなり短い板じゃなければ、互い違いになるまでは開けませんけど」
み「なんで、ズレてるわけよ?」
食「だから、タブレット交換のためです」
み「まず、そこから説明せい」
食「要は、単線区間で列車をすれ違わせるためのルールなわけです。
すれ違いが出来るように、複線化した駅が、A駅、B駅、C駅とあるとします」
み「昔、そんな歌があったな」
↑2012年2月『バラエティー生活笑百科(NHK)』出演時。
食「応対してるとまた話がズレるので、続けさせていただきます。
で、AーB区間、BーC区間を走るためには……。
その区間の通行手形を持ってなきゃダメなんです」
み「それが、タブレット?」
食「そうです」
↑タブレットを持つ『ひこにゃん』
ここから、タブレットを用いた列車すれ違いの方法を説明しようとしますが……。
はなはだ怪しいものです。
仕組みを説明するサイトはたくさんあったのですが……。
ひとつとして理解できませんでしたので。
↑言ってること、わかります? 実はこれ、模型のお話でした。
こんな状態で説明すべきではないと思いますが……。
始めてしまったので、このまま進めます。
間違ってる可能性がありますので、人にはしゃべらないように。
食「A→Bを走ってきた列車は、B駅に止まって……。
BーC区間の通行手形を待ちます。
そこへ、B←Cを走ってきた列車が着きます。
で、互いの通行手形を交換して初めて……。
さらに先の区間に進入できるわけです。
わかります?」
↑江戸時代の通行手形と云うと、木札のようなものと思われがちですが……。実際には書状でした。
み「なんとなく。
でも、相手が来なかったら、ずーっと待ってるわけ?」
↑紙風船です。
食「来るようにダイヤが組んであります」
↑架空の都市に鉄道を走らせ、ダイヤまで作ってる人がいました(こちら)。
み「あらそう。
ま、それはわかったことにしよう。
でも、それと、ホームが互い違いになってることと……」
↑明知鉄道(旧国鉄・明知線)『岩村駅(岐阜県恵那市)』
み「何か関係あるわけ」
食「大ありです。
向かい合ってる普通のホームの場合を考えてください。
上りと下りの列車は、反対方向を向いて止まります」
み「あたりまえじゃ」
食「じゃ、運転席は、ホームのどことどこになります?」
み「運転席がホームにあるか!
東能代駅じゃあるまいし」
↑東能代駅の待合室。懐かしいですね~。
食「そうじゃなくてね。
運転席は、進行方向の一番前になるでしょ」
み「わたしをバカだと思ってるな?」
食「思ってませんって。
つまり、並行したホームの場合……。
上り下りの運転席は、ホームの両端になっちゃうんです」
み「なっちゃってもいいじゃん」
食「いいじゃんじゃなくて……。
遠いでしょ。
タブレット交換するのに」
み「遠いったって、何百メートルも離れてるわけじゃないだろ。
単線区間の車両なんて短いんだし」
↑函館駅に入る『北斗星』。12両編成。全長250メートルくらい? こんなに長ければ大変でしょう。
み「そもそも、列車ダイヤだって、1時間に1本もないんだから……。
運転士が亀だって間に合うよ」
↑タブレット交換のために改造された亀運転士
食「鉄道全盛期は、少しでも早く交換する必要性があったということです。
で、上下線の運転席を最短距離にするために……。
ホームが千鳥に置かれたわけです。
これによって、運転席同士が、向き合うような位置で停車できます。
その運転席の停車位置を挟んで、ホームを横断する踏切が作られており……。
迅速なタブレット交換を可能にしてるんです」
↑タブレット交換に走る駅員さん(秋田県・由利高原鉄道)
食「おわかりですか?」
み「納得いかん。
乗り換えに、延々と歩かにゃならん駅もあるってのに……」
食「なんで、運転士だけ楽していいわけ?」
み「だから……。
楽するためじゃなくてですね。
より効率的な運行を目的として……」
現在も、当然、単線区間はたくさん残ってます。
でも、タブレット交換が行われてる区間は、JRでは無くなってしまったそうです。
それでは、どうやってすれ違いを行ってるかですが……。
たぶん、信号とか回路とかで自動でやってるんだと思います。
興味がおありの方は、Wiki『閉塞(鉄道)』をお読みください。
わたしは、読んで理解できた箇所が、1行もありませんでした。
律「そう言えば、海岸の景色が変わってますわね」
食「『八森』からはずっと、岩の海岸線でしたが……。
さっきの『北金ヶ沢』で終わりです」
↑五能線側面展望『千畳敷→鰺ヶ沢』。なんと、『北金ヶ沢駅』で、運転停車してます(5:45くらい)。
食「あ、次の駅を通過します」
み「今、通過した?」
食「通過しました。
『陸奥柳田駅』です」
み「ものの見事に、何もない駅だったな。
名物はあるの?」
食「この駅に関しては……。
ちょっと思い浮かびません」
↑臭そうなトイレがあります。ぜひ保存してほしいものです。
み「それは気の毒じゃないか。
何か語れ」
食「と言われても……。
あ、そうだ。
この山側に、種里城跡というのがあります」
食「一ツ森という山の中腹です」
↑う~ん。行きたくない。
み「どういう城跡?」
食「津軽藩の始祖、大浦光信が、久慈から入府して築いた山城です」
み「いつごろの話よ?」
食「築城は、1491年ですね。
光信は、津軽統一を志しますが……。
果たせませんでした。
1526年、この地で亡くなってます。
光信の遺志により……。
甲冑を身につけた立ち姿で埋葬されたそうです」
み「結局、津軽統一は果たされたわけ?」
食「統一がなったのは、光信から5代後の為信のとき。
1589年ですね。
豊臣秀吉から、津軽支配を承認されました。
光信が種里に入ってから、98年後のことです。
城跡のすぐ脇に、『光信公の館』という施設が建てられてます」
↑『光信公の館』。ほんとにこんな座敷だったんでしょうかね? 15世紀末ですよ。
食「発掘調査の出土品などが展示されてます」
み「うーむ。
夜に行ったら、ぜったい何か出るな」
食「あ、もうすぐ赤石川を渡ります」
食「白神山地から北に下る川の中では……。
最も流域面積の大きい川です」
↑アマゾン川。流域面積は世界最大。
み「それがよくわからん。
“流域面積”って、どういう面積を云うの?」
律「水面の面積じゃないの?」
み「測りづらいだろ。
そもそも、どうやって測るんだ?」
律「地図からでいいじゃない」
み「あんなクネクネ曲がってるのを、どうやって測るのよ?」
律「きっと、そういう機械があるのよ。
『川の面積測り器』」
み「あるかい!」
↑面積の測定に使われる、プラニメーターという器械。建設会社時代、測定の手伝いをさせられたことがあります。ぜんぜん、自動じゃありません。線の曲がるポイントごとに、クリックしていきます。
食「流域面積の意味を知ってる方は、案外多くないかも知れませんね」
み「そのエラソーな顔は、ボクは知ってますって言いたいわけ?」
食「知ってることは事実です」
み「説明してみい」
食「流域面積ってのは、言ってみれば陣取り合戦なんです」
み「なんじゃそれ?」
食「地図上で、ある地点について考えます。
その地点に雨が降ったら、雨水は最終的にどの川に流れこむか。
河川Aに流れこむなら、その地点は河川Aの陣地ということです。
つまりこれが、その河川の“流域にある”ということなんです」
食「このように、雨が降ると河川Aに流れこむ地点を地図上で塗りつぶした面積を、河川Aの流域面積と云うんです」
み「ほー、それは知らなんだ。
つまり、日本のどの地点を取っても、必ずどれかの川の陣地に入ってるってこと?
じゃ、日本の川の流域面積をすべて足すと……。
日本の面積になるわけか」
食「ところが、そうはいきません」
み「なんでじゃ!」
食「地点によっては、降った雨が、2つの川に流れて行くこともあるからです」
み「そういう場合はどうするんだ?
陣地争いは。
川同士で合戦するのか?
これがホントの『川中島の戦い』」
食「それが言いたかったわけですね」
み「続けてよし」
食「川同士で合戦はしません。
その地点は、2つの川の流域とされるんです」
み「おー、平和的だね。
人間もそうあってほしいものじゃ」
食「複数の河川の共有陣地となる地点があるわけですから……。
日本中の流域面積の総和は、日本の面積を上回るんですよ」
み「ほー。
これはおもろいことを聞いた」
食「これは、社会科の先生でも、意外と知らないみたいです」
み「本日から、『流域面積初段』を名乗るが良い」
食「そんなもの、名乗ってどうするんです」
み「黒帯を締めて川を渡れるのじゃ」
↑弱々しい!
食「いりませんって。
あ、そんなこと言ってるうちに……。
ほんとに川を渡りますよ。
赤石川橋梁です」
食「久しぶりに長い橋梁になります。
長さ165メートル。
追良瀬川橋梁の127メートルよりずっと長いですよ」
み「今まで見た中で一番長い?」
食「いえ。
一番長いのは、能代の米代川橋梁です。
516メートルありましたから、別格です」
み「そんなとこ、渡ったか?」
食「たった2時間前ですよ」
み「何年も経った気がする」
食「バカなこと言ってないで、山側を見てください。
ほら、谷の奥に、綺麗な形の山が見えるでしょ」
み「おー。
何山じゃ?」
食「お相撲さんの四股名にもありますよ」
み「曙?」
食「山じゃないでしょ」
み「武蔵丸?」
食「山じゃありませんって」
み「貴乃花?」
食「例える力士名が古いんじゃないですか?」
み「今はぜんぜん見ないから、わからん。
でも、“山”が付く相撲取りって、少なくなったよね」
食「ですかね」
み「これは、女の子の名前に“子”が付かなくなったのと同じ現象か?」
食「ま、これも流行りなんでしょうね。
ほら、はっきり見えましたよ」
み「おー、美麗かな、美麗かな。
まごうかたなく、火山だな。
ナントカ富士だろ?」
食「津軽富士です」
み「相撲取りの名前ねぇ。
津軽山?」
食「そんな力士、いませんって。
岩木山です」
み「おー、あのデコッパチくんか。
無思慮な押し相撲の」
食「それは、失礼ですよ。
岩木山は青森大学出です」
食「駅を通過します。
『陸奥赤石駅』です」
↑夏が似合いそうな駅ですね。
み「ま、良くも悪くも、平均的な駅ですな」
食「評論家みたいですね」
み「おやおや。
また山を登りはじめたぞ」
食「ここからは、20‰(パーミル)の上り勾配です」
食「段丘面を登って、次の町には、背後の山から近づきます。
『深浦』以来の停車駅です」
み「何て駅?」
食「聞いたことあると思いますよ。
『鰺ヶ沢』です」
み「おー、魚臭そうな名前じゃ」
↑美味しそうですね。でも、これ食ってゲロ吐くと、気分は最悪だと思います。
食「『津軽四浦』のひとつになります」
み「『深浦』もそうだったよね。
あと2つって、どこだっけ?」
食「『深浦』のとき、言いましたよ。
もう忘れたんですか?」
み「何ヶ月も前の気がする」
食「『青森』と『十三(とさ)』です。
いずれも、北前船の寄港地として賑わった港です」
み「『鰺ヶ沢』ってことは……。
当然、鯵が捕れたんだよね」
食「入江にアジの大群が押し寄せ……。
水面が盛りあがって見えたそうです」
み「毎日、アジフライか?」
↑アジフライは、わたしの大好物のひとつ。なんで、あんなに美味しいんでしょう。
食「アジだけじゃなくて、ニシンやハタハタも大量に捕れたそうです。
生のままだと出荷が間に合わなくて……。
ニシンやイワシは、肥料用の魚粕に加工して出荷したそうです」
み「もったいねー。
でも、今は廃れちゃったわけでしょ」
食「ま、昔ほどじゃありませんが……。
漁業が盛んなことに変わりありません。
ていうか、港は、ほぼ漁港の機能だけになっちゃいましたけど」
み「てことは……。
昔は、漁港以外の機能もあったわけ?」
食「大ありです。
さっき、『津軽四浦』のひとつだったって言ったでしょ」
食「鰺ヶ沢港は、商港だったんですよ」
食「津軽藩の御用港でしたから。
港の近くには、年貢米を収める御蔵がありました」
食「年貢米は、西廻り航路で下関を周り……。
大阪まで運ばれて、そこで売られたわけです」
食「年貢米は、藩の財政の根幹です。
それだけ重要な港だったってことです。
もちろん、出るだけじゃなくて、入る船もたくさんいました。
呉服から、畳表、農具、陶器、さまざまな各地の特産品が荷揚げされました。
美術品や、上方文化も伝わってきます。
宝暦年間(1751~1764)には、廻船問屋が12軒も軒を連ねてたそうです」
み「なるほそ。
陸上交通の発達によって……。
商港としての機能は衰退してしまったってことね。
ま、新潟もそうだけど……。
北前船で栄えた港は、多かれ少なかれ、同じ道をたどったというわけだね」
↑新潟市に残る明治期の廻船問屋『旧小澤家住宅』
み「じゃ、今は、漁業だけの町?」
↑鰺ヶ沢漁港から臨む岩木山。絵のように見えますが、写真です。
食「いえいえ。
漁業はもちろんですが……。
最近は、豊かな自然を活かした観光の町です。
これは、五能線の西海岸に共通したことですが……。
海と山の観光が、両方楽しめるんです」
み「山が迫ってるからね」
食「そうです。
同じ町で、海釣りと渓流釣りが、両方出来るんですよ」
↑赤石川渓流
食「赤石川渓流の『金アユ』は、特に有名です」
み「金で出来たアユか?」
↑山口県の防府天満宮が所蔵する『純金製の鮎』
食「出来てるわけないでしょ。
魚体が金色を帯びてるんです。
アユのほかにも、イワナ、ヤマメの宝庫です」
↑上が『ヤマメ』で、下が『イワナ』。
み「わかった。
『銀イワナ』に『銅ヤマメ』だな」
↑札幌オリンピック『70メートル級純ジャンプ』で、日本勢が金銀銅を独占。
食「そんな都合よくいきませんよ。
イワナやヤマメは普通の色です。」
み「なんで、アユだけ金色になるわけ?」
食「わかりませんけど……。
赤石川に含まれる黄鉄鉱が、体内に吸収されるんじゃないかと云われてます」
↑黄鉄鉱(鉄と硫黄からなる鉱物)
み「そんなら、アユだけじゃなくて、ほかの魚も金色になるはずでしょ」
食「うーん。
ひょっとしたら、餌となるコケが関係してるんじゃないですか?
黄鉄鉱を吸収するのは、コケなのかも知れません」
み「あ、そうか。
アユだけが、そのコケを食べるってわけか」
み「イワナやヤマメは、流れてくる虫とかを食べるんだもんね」
↑だから、毛鉤で釣れるのです。
み「でも、表面の金色なんて、焼いたらわからんくなるだろ」
食「釣り師だけが知る醍醐味でしょう」
み「降りて釣ってみるか」
食「残念ながら……。
解禁は、9月末までです」
み「ありゃそう」
食「釣りは無理でも……。
トレッキングなんてのはどうです?」
み「山歩き?」
食「イマイチですか?」
み「イマサンくらいだね。
籠に乗せてくれる?」
食「山道で籠なんて、乗ってる方が大変ですよ。
大丈夫。
山道と言っても、遊歩道が整備されてますから」
食「足元は安心ですが、遊歩道を囲む林は、ブナの原生林です。
『ミニ白神』と呼ばれてます」
み「イマヨンくらいに下がった」
食「なんでです?」
み「チャチそうじゃん」
食「とんでもない。
白神山地のうち、世界遺産に登録されてる区域には、人は踏み込むことが出来ないんですよ」
食「この『ミニ白神』は、遊歩道を歩きながら、白神の奥地と同様の原生林を楽しめるんです。
なぜなら!」
み「力が入りすぎなんじゃないの」
食「藩政時代……。
この辺りは、水源の保全のため、樹木の伐採が厳しく禁じられてたからです。
なので、樹齢300年以上のブナが、生い繁ってるわけです。
登録地とほとんど同じ状態の原生林を、目の当たりに出来るんです」
み「そこまで行くのが大変なんでないの?」
食「駅から、『くろもり館』というトレッキングの拠点施設まで、シャトルバスが出てます」
食「30分くらいかな」
み「ほー。
それはお手軽だな」
食「行くなら今ですよ。
雪が積もった時点で、閉鎖しちゃいますから」
み「いつごろよ?」
食「その年によって違いますけど……。
早ければ10月中です」
み「やっぱり、そうとう積もるわけ?」
食「翌年のオープンは、ゴールデンウィーク前くらいですかね」
み「半年閉まってるのか」
食「雪解けのブナ林は、ほんとに綺麗らしいです」
↑2013年5月11日。まだ雪が残ってます。
み「行ってないわけね」
食「寒いのは、イマイチ……」
み「新潟には、その名も『美人林』という有名なブナ林がある」
律「また自慢する」
み「自慢することが、たくさんある県なのじゃ」
食「『美人林』の写真は、ボクも見たことがあります。
幻想的な風景ですよね」
↑おとぎの森のようです。
み「えへん」
食「『ミニ白神』からは少し外れますが……。
鰺ヶ沢にも、ぜひ見ていただきたいブナがあります」
み「美人か?」
食「“マザーツリー”と呼ばれてます」
食「樹齢400年」
み「熟女だな」
食「高さ30メートル。
胸高幹周4.7メートル」
食「こんなすごい木が、バス停のすぐ側に立ってるんです」
↑1日2便。乗り遅れたら死にます。
み「おー。
車で行って見てこれるってのはいいね」
↑ツキノワグマ生息地です。頭から食われます。
食「ぜひ、自分の足でも歩いてくださいよ」
み「そのセリフ、そのままチミに返すわ。
歩いてないだろ?」
食「いつか、歩こうかな、と」
み「今、歩かんかい」
食「リタイアして、ヒマになったら歩きます」
み「その時にはもう、歩けなくなってるかも知れないぞ」
食「嫌なこと言わないでくださいよ」
み「その体型のままだと……。
痛風か糖尿、どっちかになっておる」
↑ウガンダさんの命日に集まった予備軍たち。
食「そうならないよう、節制します」
み「おやつに駅弁食ってて、どこが節制じゃ」
食「旅行中くらい、見逃してください。
唯一の楽しみなんですから」
み「いつもは、食ってないとでも言うのか?」
食「おやつに駅弁は食べてません」
み「我慢できるのか?」
食「ハンバーガーを食べてます」
み「何にもならん!」
食「節制の話は、止めときましょう。
楽しい話題じゃないですから。
あ、少しだけ歩くのに、最適なスポットがあります」
み「なんじゃい」
スキーを揃えて立ってるとき……。
板が前後にずるっと滑って、前後大股開きになったみたいに?」
食「ま、そんなものです。
格好良く例えれば、ジャンプのテレマーク姿勢ですかね」
食「もっとも、かなり短い板じゃなければ、互い違いになるまでは開けませんけど」
み「なんで、ズレてるわけよ?」
食「だから、タブレット交換のためです」
み「まず、そこから説明せい」
食「要は、単線区間で列車をすれ違わせるためのルールなわけです。
すれ違いが出来るように、複線化した駅が、A駅、B駅、C駅とあるとします」
み「昔、そんな歌があったな」
↑2012年2月『バラエティー生活笑百科(NHK)』出演時。
食「応対してるとまた話がズレるので、続けさせていただきます。
で、AーB区間、BーC区間を走るためには……。
その区間の通行手形を持ってなきゃダメなんです」
み「それが、タブレット?」
食「そうです」
↑タブレットを持つ『ひこにゃん』
ここから、タブレットを用いた列車すれ違いの方法を説明しようとしますが……。
はなはだ怪しいものです。
仕組みを説明するサイトはたくさんあったのですが……。
ひとつとして理解できませんでしたので。
↑言ってること、わかります? 実はこれ、模型のお話でした。
こんな状態で説明すべきではないと思いますが……。
始めてしまったので、このまま進めます。
間違ってる可能性がありますので、人にはしゃべらないように。
食「A→Bを走ってきた列車は、B駅に止まって……。
BーC区間の通行手形を待ちます。
そこへ、B←Cを走ってきた列車が着きます。
で、互いの通行手形を交換して初めて……。
さらに先の区間に進入できるわけです。
わかります?」
↑江戸時代の通行手形と云うと、木札のようなものと思われがちですが……。実際には書状でした。
み「なんとなく。
でも、相手が来なかったら、ずーっと待ってるわけ?」
↑紙風船です。
食「来るようにダイヤが組んであります」
↑架空の都市に鉄道を走らせ、ダイヤまで作ってる人がいました(こちら)。
み「あらそう。
ま、それはわかったことにしよう。
でも、それと、ホームが互い違いになってることと……」
↑明知鉄道(旧国鉄・明知線)『岩村駅(岐阜県恵那市)』
み「何か関係あるわけ」
食「大ありです。
向かい合ってる普通のホームの場合を考えてください。
上りと下りの列車は、反対方向を向いて止まります」
み「あたりまえじゃ」
食「じゃ、運転席は、ホームのどことどこになります?」
み「運転席がホームにあるか!
東能代駅じゃあるまいし」
↑東能代駅の待合室。懐かしいですね~。
食「そうじゃなくてね。
運転席は、進行方向の一番前になるでしょ」
み「わたしをバカだと思ってるな?」
食「思ってませんって。
つまり、並行したホームの場合……。
上り下りの運転席は、ホームの両端になっちゃうんです」
み「なっちゃってもいいじゃん」
食「いいじゃんじゃなくて……。
遠いでしょ。
タブレット交換するのに」
み「遠いったって、何百メートルも離れてるわけじゃないだろ。
単線区間の車両なんて短いんだし」
↑函館駅に入る『北斗星』。12両編成。全長250メートルくらい? こんなに長ければ大変でしょう。
み「そもそも、列車ダイヤだって、1時間に1本もないんだから……。
運転士が亀だって間に合うよ」
↑タブレット交換のために改造された亀運転士
食「鉄道全盛期は、少しでも早く交換する必要性があったということです。
で、上下線の運転席を最短距離にするために……。
ホームが千鳥に置かれたわけです。
これによって、運転席同士が、向き合うような位置で停車できます。
その運転席の停車位置を挟んで、ホームを横断する踏切が作られており……。
迅速なタブレット交換を可能にしてるんです」
↑タブレット交換に走る駅員さん(秋田県・由利高原鉄道)
食「おわかりですか?」
み「納得いかん。
乗り換えに、延々と歩かにゃならん駅もあるってのに……」
食「なんで、運転士だけ楽していいわけ?」
み「だから……。
楽するためじゃなくてですね。
より効率的な運行を目的として……」
現在も、当然、単線区間はたくさん残ってます。
でも、タブレット交換が行われてる区間は、JRでは無くなってしまったそうです。
それでは、どうやってすれ違いを行ってるかですが……。
たぶん、信号とか回路とかで自動でやってるんだと思います。
興味がおありの方は、Wiki『閉塞(鉄道)』をお読みください。
わたしは、読んで理解できた箇所が、1行もありませんでした。
律「そう言えば、海岸の景色が変わってますわね」
食「『八森』からはずっと、岩の海岸線でしたが……。
さっきの『北金ヶ沢』で終わりです」
↑五能線側面展望『千畳敷→鰺ヶ沢』。なんと、『北金ヶ沢駅』で、運転停車してます(5:45くらい)。
食「あ、次の駅を通過します」
み「今、通過した?」
食「通過しました。
『陸奥柳田駅』です」
み「ものの見事に、何もない駅だったな。
名物はあるの?」
食「この駅に関しては……。
ちょっと思い浮かびません」
↑臭そうなトイレがあります。ぜひ保存してほしいものです。
み「それは気の毒じゃないか。
何か語れ」
食「と言われても……。
あ、そうだ。
この山側に、種里城跡というのがあります」
食「一ツ森という山の中腹です」
↑う~ん。行きたくない。
み「どういう城跡?」
食「津軽藩の始祖、大浦光信が、久慈から入府して築いた山城です」
み「いつごろの話よ?」
食「築城は、1491年ですね。
光信は、津軽統一を志しますが……。
果たせませんでした。
1526年、この地で亡くなってます。
光信の遺志により……。
甲冑を身につけた立ち姿で埋葬されたそうです」
み「結局、津軽統一は果たされたわけ?」
食「統一がなったのは、光信から5代後の為信のとき。
1589年ですね。
豊臣秀吉から、津軽支配を承認されました。
光信が種里に入ってから、98年後のことです。
城跡のすぐ脇に、『光信公の館』という施設が建てられてます」
↑『光信公の館』。ほんとにこんな座敷だったんでしょうかね? 15世紀末ですよ。
食「発掘調査の出土品などが展示されてます」
み「うーむ。
夜に行ったら、ぜったい何か出るな」
食「あ、もうすぐ赤石川を渡ります」
食「白神山地から北に下る川の中では……。
最も流域面積の大きい川です」
↑アマゾン川。流域面積は世界最大。
み「それがよくわからん。
“流域面積”って、どういう面積を云うの?」
律「水面の面積じゃないの?」
み「測りづらいだろ。
そもそも、どうやって測るんだ?」
律「地図からでいいじゃない」
み「あんなクネクネ曲がってるのを、どうやって測るのよ?」
律「きっと、そういう機械があるのよ。
『川の面積測り器』」
み「あるかい!」
↑面積の測定に使われる、プラニメーターという器械。建設会社時代、測定の手伝いをさせられたことがあります。ぜんぜん、自動じゃありません。線の曲がるポイントごとに、クリックしていきます。
食「流域面積の意味を知ってる方は、案外多くないかも知れませんね」
み「そのエラソーな顔は、ボクは知ってますって言いたいわけ?」
食「知ってることは事実です」
み「説明してみい」
食「流域面積ってのは、言ってみれば陣取り合戦なんです」
み「なんじゃそれ?」
食「地図上で、ある地点について考えます。
その地点に雨が降ったら、雨水は最終的にどの川に流れこむか。
河川Aに流れこむなら、その地点は河川Aの陣地ということです。
つまりこれが、その河川の“流域にある”ということなんです」
食「このように、雨が降ると河川Aに流れこむ地点を地図上で塗りつぶした面積を、河川Aの流域面積と云うんです」
み「ほー、それは知らなんだ。
つまり、日本のどの地点を取っても、必ずどれかの川の陣地に入ってるってこと?
じゃ、日本の川の流域面積をすべて足すと……。
日本の面積になるわけか」
食「ところが、そうはいきません」
み「なんでじゃ!」
食「地点によっては、降った雨が、2つの川に流れて行くこともあるからです」
み「そういう場合はどうするんだ?
陣地争いは。
川同士で合戦するのか?
これがホントの『川中島の戦い』」
食「それが言いたかったわけですね」
み「続けてよし」
食「川同士で合戦はしません。
その地点は、2つの川の流域とされるんです」
み「おー、平和的だね。
人間もそうあってほしいものじゃ」
食「複数の河川の共有陣地となる地点があるわけですから……。
日本中の流域面積の総和は、日本の面積を上回るんですよ」
み「ほー。
これはおもろいことを聞いた」
食「これは、社会科の先生でも、意外と知らないみたいです」
み「本日から、『流域面積初段』を名乗るが良い」
食「そんなもの、名乗ってどうするんです」
み「黒帯を締めて川を渡れるのじゃ」
↑弱々しい!
食「いりませんって。
あ、そんなこと言ってるうちに……。
ほんとに川を渡りますよ。
赤石川橋梁です」
食「久しぶりに長い橋梁になります。
長さ165メートル。
追良瀬川橋梁の127メートルよりずっと長いですよ」
み「今まで見た中で一番長い?」
食「いえ。
一番長いのは、能代の米代川橋梁です。
516メートルありましたから、別格です」
み「そんなとこ、渡ったか?」
食「たった2時間前ですよ」
み「何年も経った気がする」
食「バカなこと言ってないで、山側を見てください。
ほら、谷の奥に、綺麗な形の山が見えるでしょ」
み「おー。
何山じゃ?」
食「お相撲さんの四股名にもありますよ」
み「曙?」
食「山じゃないでしょ」
み「武蔵丸?」
食「山じゃありませんって」
み「貴乃花?」
食「例える力士名が古いんじゃないですか?」
み「今はぜんぜん見ないから、わからん。
でも、“山”が付く相撲取りって、少なくなったよね」
食「ですかね」
み「これは、女の子の名前に“子”が付かなくなったのと同じ現象か?」
食「ま、これも流行りなんでしょうね。
ほら、はっきり見えましたよ」
み「おー、美麗かな、美麗かな。
まごうかたなく、火山だな。
ナントカ富士だろ?」
食「津軽富士です」
み「相撲取りの名前ねぇ。
津軽山?」
食「そんな力士、いませんって。
岩木山です」
み「おー、あのデコッパチくんか。
無思慮な押し相撲の」
食「それは、失礼ですよ。
岩木山は青森大学出です」
食「駅を通過します。
『陸奥赤石駅』です」
↑夏が似合いそうな駅ですね。
み「ま、良くも悪くも、平均的な駅ですな」
食「評論家みたいですね」
み「おやおや。
また山を登りはじめたぞ」
食「ここからは、20‰(パーミル)の上り勾配です」
食「段丘面を登って、次の町には、背後の山から近づきます。
『深浦』以来の停車駅です」
み「何て駅?」
食「聞いたことあると思いますよ。
『鰺ヶ沢』です」
み「おー、魚臭そうな名前じゃ」
↑美味しそうですね。でも、これ食ってゲロ吐くと、気分は最悪だと思います。
食「『津軽四浦』のひとつになります」
み「『深浦』もそうだったよね。
あと2つって、どこだっけ?」
食「『深浦』のとき、言いましたよ。
もう忘れたんですか?」
み「何ヶ月も前の気がする」
食「『青森』と『十三(とさ)』です。
いずれも、北前船の寄港地として賑わった港です」
み「『鰺ヶ沢』ってことは……。
当然、鯵が捕れたんだよね」
食「入江にアジの大群が押し寄せ……。
水面が盛りあがって見えたそうです」
み「毎日、アジフライか?」
↑アジフライは、わたしの大好物のひとつ。なんで、あんなに美味しいんでしょう。
食「アジだけじゃなくて、ニシンやハタハタも大量に捕れたそうです。
生のままだと出荷が間に合わなくて……。
ニシンやイワシは、肥料用の魚粕に加工して出荷したそうです」
み「もったいねー。
でも、今は廃れちゃったわけでしょ」
食「ま、昔ほどじゃありませんが……。
漁業が盛んなことに変わりありません。
ていうか、港は、ほぼ漁港の機能だけになっちゃいましたけど」
み「てことは……。
昔は、漁港以外の機能もあったわけ?」
食「大ありです。
さっき、『津軽四浦』のひとつだったって言ったでしょ」
食「鰺ヶ沢港は、商港だったんですよ」
食「津軽藩の御用港でしたから。
港の近くには、年貢米を収める御蔵がありました」
食「年貢米は、西廻り航路で下関を周り……。
大阪まで運ばれて、そこで売られたわけです」
食「年貢米は、藩の財政の根幹です。
それだけ重要な港だったってことです。
もちろん、出るだけじゃなくて、入る船もたくさんいました。
呉服から、畳表、農具、陶器、さまざまな各地の特産品が荷揚げされました。
美術品や、上方文化も伝わってきます。
宝暦年間(1751~1764)には、廻船問屋が12軒も軒を連ねてたそうです」
み「なるほそ。
陸上交通の発達によって……。
商港としての機能は衰退してしまったってことね。
ま、新潟もそうだけど……。
北前船で栄えた港は、多かれ少なかれ、同じ道をたどったというわけだね」
↑新潟市に残る明治期の廻船問屋『旧小澤家住宅』
み「じゃ、今は、漁業だけの町?」
↑鰺ヶ沢漁港から臨む岩木山。絵のように見えますが、写真です。
食「いえいえ。
漁業はもちろんですが……。
最近は、豊かな自然を活かした観光の町です。
これは、五能線の西海岸に共通したことですが……。
海と山の観光が、両方楽しめるんです」
み「山が迫ってるからね」
食「そうです。
同じ町で、海釣りと渓流釣りが、両方出来るんですよ」
↑赤石川渓流
食「赤石川渓流の『金アユ』は、特に有名です」
み「金で出来たアユか?」
↑山口県の防府天満宮が所蔵する『純金製の鮎』
食「出来てるわけないでしょ。
魚体が金色を帯びてるんです。
アユのほかにも、イワナ、ヤマメの宝庫です」
↑上が『ヤマメ』で、下が『イワナ』。
み「わかった。
『銀イワナ』に『銅ヤマメ』だな」
↑札幌オリンピック『70メートル級純ジャンプ』で、日本勢が金銀銅を独占。
食「そんな都合よくいきませんよ。
イワナやヤマメは普通の色です。」
み「なんで、アユだけ金色になるわけ?」
食「わかりませんけど……。
赤石川に含まれる黄鉄鉱が、体内に吸収されるんじゃないかと云われてます」
↑黄鉄鉱(鉄と硫黄からなる鉱物)
み「そんなら、アユだけじゃなくて、ほかの魚も金色になるはずでしょ」
食「うーん。
ひょっとしたら、餌となるコケが関係してるんじゃないですか?
黄鉄鉱を吸収するのは、コケなのかも知れません」
み「あ、そうか。
アユだけが、そのコケを食べるってわけか」
み「イワナやヤマメは、流れてくる虫とかを食べるんだもんね」
↑だから、毛鉤で釣れるのです。
み「でも、表面の金色なんて、焼いたらわからんくなるだろ」
食「釣り師だけが知る醍醐味でしょう」
み「降りて釣ってみるか」
食「残念ながら……。
解禁は、9月末までです」
み「ありゃそう」
食「釣りは無理でも……。
トレッキングなんてのはどうです?」
み「山歩き?」
食「イマイチですか?」
み「イマサンくらいだね。
籠に乗せてくれる?」
食「山道で籠なんて、乗ってる方が大変ですよ。
大丈夫。
山道と言っても、遊歩道が整備されてますから」
食「足元は安心ですが、遊歩道を囲む林は、ブナの原生林です。
『ミニ白神』と呼ばれてます」
み「イマヨンくらいに下がった」
食「なんでです?」
み「チャチそうじゃん」
食「とんでもない。
白神山地のうち、世界遺産に登録されてる区域には、人は踏み込むことが出来ないんですよ」
食「この『ミニ白神』は、遊歩道を歩きながら、白神の奥地と同様の原生林を楽しめるんです。
なぜなら!」
み「力が入りすぎなんじゃないの」
食「藩政時代……。
この辺りは、水源の保全のため、樹木の伐採が厳しく禁じられてたからです。
なので、樹齢300年以上のブナが、生い繁ってるわけです。
登録地とほとんど同じ状態の原生林を、目の当たりに出来るんです」
み「そこまで行くのが大変なんでないの?」
食「駅から、『くろもり館』というトレッキングの拠点施設まで、シャトルバスが出てます」
食「30分くらいかな」
み「ほー。
それはお手軽だな」
食「行くなら今ですよ。
雪が積もった時点で、閉鎖しちゃいますから」
み「いつごろよ?」
食「その年によって違いますけど……。
早ければ10月中です」
み「やっぱり、そうとう積もるわけ?」
食「翌年のオープンは、ゴールデンウィーク前くらいですかね」
み「半年閉まってるのか」
食「雪解けのブナ林は、ほんとに綺麗らしいです」
↑2013年5月11日。まだ雪が残ってます。
み「行ってないわけね」
食「寒いのは、イマイチ……」
み「新潟には、その名も『美人林』という有名なブナ林がある」
律「また自慢する」
み「自慢することが、たくさんある県なのじゃ」
食「『美人林』の写真は、ボクも見たことがあります。
幻想的な風景ですよね」
↑おとぎの森のようです。
み「えへん」
食「『ミニ白神』からは少し外れますが……。
鰺ヶ沢にも、ぜひ見ていただきたいブナがあります」
み「美人か?」
食「“マザーツリー”と呼ばれてます」
食「樹齢400年」
み「熟女だな」
食「高さ30メートル。
胸高幹周4.7メートル」
食「こんなすごい木が、バス停のすぐ側に立ってるんです」
↑1日2便。乗り遅れたら死にます。
み「おー。
車で行って見てこれるってのはいいね」
↑ツキノワグマ生息地です。頭から食われます。
食「ぜひ、自分の足でも歩いてくださいよ」
み「そのセリフ、そのままチミに返すわ。
歩いてないだろ?」
食「いつか、歩こうかな、と」
み「今、歩かんかい」
食「リタイアして、ヒマになったら歩きます」
み「その時にはもう、歩けなくなってるかも知れないぞ」
食「嫌なこと言わないでくださいよ」
み「その体型のままだと……。
痛風か糖尿、どっちかになっておる」
↑ウガンダさんの命日に集まった予備軍たち。
食「そうならないよう、節制します」
み「おやつに駅弁食ってて、どこが節制じゃ」
食「旅行中くらい、見逃してください。
唯一の楽しみなんですから」
み「いつもは、食ってないとでも言うのか?」
食「おやつに駅弁は食べてません」
み「我慢できるのか?」
食「ハンバーガーを食べてます」
み「何にもならん!」
食「節制の話は、止めときましょう。
楽しい話題じゃないですから。
あ、少しだけ歩くのに、最適なスポットがあります」
み「なんじゃい」