2013.9.21(土)
み「特に許す。
と言うか……。
チミは、タヌキの親戚だから、語る権利がある」
食「なんでボクが親戚なんですか!」
み「その腹を見れば、一目瞭然だろ。
腹鼓、打ってみろ」
食「失礼な」
み「♪ショッショ、しょじょじ」
食「団三郎狸の話をします」
み「ノリが悪いのぅ」
食「佐渡ヶ島には、団三郎狸という、大ダヌキが住んでました。
ある日、キツネと化けくらべをすることになりました」
み「キツネの名前は?」
食「ありません」
み「それは、納得でけんな」
食「曲げて納得してください。
キツネは、嫁入り行列に化けて見せました」
み「おー。
キツネといえば、嫁入り行列じゃのぅ。
新潟県阿賀町の『狐の嫁入り』は、全国的に有名じゃ」
食「キツネが化けた嫁入り行列は、それはそれは見事なものでした。
胸を張るキツネに、団三郎狸は……。
明日、大名行列に化けてみせると約束しました。
翌日、キツネが約束の場所に行ってみると……。
それはそれは見事な大名行列が通りかかりました」
食「あまりの見事さに、キツネもびっくり仰天。
どうやって化けてるのかと不思議に思い、ふらふらと行列に近づきました。
そのとたん、『無礼者!』と一喝され、その場で手討ちにされてしまったのです」
↑“手打ち”違い。
食「実は、その大名行列は、本物だったんですね」
み「待てい」
食「なんです?」
み「おかしいだろ」
食「何がです?」
み「大名行列に決まっておるわ。
チミね。
佐渡ヶ島は、『関ヶ原』以来、ずーっと天領なの。
大名なんていないの。
いるのは佐渡奉行という役人」
↑江戸時代、こーゆー看板は出てませんでした。
食「気づきました?」
み「気づかなきゃバカだっちゅうの」
食「ま、そのへんは、目を瞑ってくださいよ」
み「ならん!
根本的なところじゃないか」
食「このお話は……。
佐渡にタヌキがいるのに、なぜキツネがいないかということを説明してるわけです」
み「さっき、いたじゃないか。
間抜けなヤツが」
食「だから……。
斬り殺されてしまったわけです」
み「キツネが1匹しかいないわけないだろ」
食「動物の出てくる昔話は、そういうものです。
タヌキに化かされたキツネは……。
もう佐渡ヶ島に住まなくなったというわけです」
み「化かす意味が違うではないか。
団三郎は、化かすんじゃなくて……。
騙したわけじゃないの」
食「もともと、タヌキが化かすという言葉は……。
何かに化けるというより、人を化かすといった意味合いだったようです。
これは、実際のタヌキの生態から、言い習わされるようになったみたいです」
み「どういう生態よ?」
食「猟師がタヌキを鉄砲で撃ったとき……」
↑やたらバタ臭いマタギです。
食「タヌキは、バタリとその場に倒れるんです。
ピクリとも動きません」
↑寝てるだけのようです。野生なのに、ずいぶん無防備ですね(参照)。
食「猟師は、一発で仕留めたと思い、とどめを刺すのをやめ……。
鉄砲を肩に担いで、タヌキに近づく。
で、猟師がタヌキに手を伸ばしたとたん……。
タヌキは、突然息を吹き返して逃げていってしまうわけです」
み「タヌキが死んだふりをしてたってわけ?」
食「猟師にしてみれば、まんまと騙されたって思うでしょうね」
み「実際のタヌキに、そんな知能があるの?」
食「自分の意志でやってるわけじゃないんです。
早い話、銃声に驚いて、気絶してしまうんですね」
食「で、猟師が近づいたころに、気絶から醒めるというわけです」
み「ずいぶん都合のいい習性だな」
食「危機に陥ったとき……。
気絶したり、動けなくなったりする動物はけっこういますからね。
ネコが車に轢かれるのも、道路の真ん中で固まってしまう場合が多いからみたいです。
ま、実際、肉食獣は、動くものを攻撃する習性を持ってますからね。
ヘタに動くより、固まった方が、難を逃れられるケースが多いんだと思います」
み「皆まで言うな。
それはつまり、こういうことだな。
危機に際して、固まってしまった個体の生き残る確率が高かった結果……。
今では、そういう習性を持った子孫ばかりになったと」
食「ほー。
ダーウィンをご存知ですね」
み「毎週見てます」
食「それは、『ダーウィンが来た!』でしょ」
↑ネコにもファンは多いようです。
食「とにかく、タヌキが人を化かすという言い伝えは……。
危機に陥ったときのタヌキの習性から来てるわけです。
『狸寝入り』ってのが、まさしくこれですよ」
み「ふーん。
騙すつもりじゃないのに、とんだ誤解ってことか。
でも、『しめしめ、今夜はタヌキ汁か』と思った猟師にしてみれば……。
歯ぎしりもんだろうな」
食「タヌキ汁には、しないと思いますよ」
↑『河口湖天上山公園』にあります。
み「なんでよ?」
食「タヌキの肉は、臭くて食べられたものじゃないそうです」
み「じゃ、何で撃つわけ?」
食「だから、毛皮ですよ。
金箔の槌打ちやフイゴにも使われるわけですから……。
高く売れたと思います」
み「あ、そゆこと。
でも、臭くて食べれないほどなら……。
毛皮に用が無い肉食獣は、タヌキを食べないんじゃないの?」
食「ま、人間と獣では、味覚や臭覚も違うでしょうしね。
ちょっとくらい臭くたって、背に腹は代えられないんじゃないですか」
↑ミントのガムが臭い! でも、もう一度……。
み「ふーん。
それで、狸寝入りの習性が残ってるわけか」
食「でも、佐渡ヶ島では、天敵となる肉食獣がいないみたいですよ」
み「あ、キツネもいないわけだよね。
オオカミは、当然いないし。
でも昔は、いたんじゃないの?
オオカミ」
↑国立科学博物館にあるニホンオオカミの剥製。大きさは、中型犬程度だったそうです。
食「オオカミは……。
難しいんじゃないですか」
み「どうして?」
食「離島では、肉食獣の生息が難しいからです。
実際、キツネだって、日本の島で生息が確認されてるのは……。
利尻島と五島列島くらいだそうです」
↑利尻島の人口は、5,400人ですが、自治体は2つあるそうです。佐渡は、6万人で1つの自治体なのにね。
み「なんで、島にはいないの?」
食「縄張りの問題です」
食「肉食獣が常に獲物にありつくためには……。
かなりな面積の縄張りが必要になります。
近親交配をせずに、種を存続させていくためには……。
ある程度の頭数がいなければなりません。
つまり、狭い面積の島では、肉食獣は種として存続するのが難しいんです」
み「そんなもんかのぅ」
食「その点、タヌキみたいに何でも食べる動物は、縄張りを必要としません。
だから、都会の限られた緑地でも生息が観察されたりするわけです」
↑“鉄”のタヌキ(東京都杉並区『永福町駅(井の頭線)』付近)。側溝に棲んでるとか。
み「ふーん。
てことは、佐渡に島流しになったタヌキは……。
むしろ幸せだったってことか?」
↑八丈島の焼酎です。
食「ですね。
実際、佐渡のタヌキは……。
本土のタヌキより、体格が一回り大きいそうです」
み「ノーノーと暮らしてるわけね」
食「島に住む動物には、『島の法則』ってのがあるんですよ」
み「なんじゃそりゃ?」
食「小さな動物は体が大きくなり、大きな動物は体が小さくなるんです」
み「なぜに!」
食「さっきも言ったように、天敵となる肉食獣がいないわけです。
小動物が、文字通り小さいのは……。
体が小さい方が、天敵から見つかりにくく……。
天敵の手の届かない隙間にも逃げ込みやすいからです」
み「みなまで言うな。
体の小さい個体が生き残る確率が高かったから……。
次第に、種全体の体格が小さくなっていったということだな?」
食「そうです。
しかしながら、島みたいな天敵のいない環境では、体を小さくする必要が無い。
むしろ大きいほうが、餌場の奪い合いなどに勝つわけです」
↑仲良く食べてますが。
み「みなまで言うな!
島では、体の大きい個体が生き残る確率が高かったから……。
次第に、種全体の体格も大きくなっていったということだな?」
食「そうそう」
み「じゃ、大きい動物が小さくなるってのはなぜなんだ?」
↑マグネットだそうです(メタルマグネット 6個入)。
食「地上の動物で、巨体を誇るゾウやサイ、カバなどは、みんな草食です。
彼らは、体を大きくすることによって、肉食獣から襲われにくくなってるわけです」
↑これは水牛(水餃子と語感が似てることを発見)。
み「逆だろ。
体の大きい個体が生き残る確率が高かったから……。
次第に、種全体の体格が大きくなっていったということだ」
食「なんだか、ダーウィン教の信者みたいですね」
↑ナレーションの首藤奈知子アナ。とっても上手です(残念ながら既婚)。
み「新潟支部長です」
食「でも、島みたいに肉食獣のいない環境では……。
身を守るために体を大きくする必要が無い。
むしろ、限られた餌で生きていくためには、体が小さいほうが有利です」
↑肉食獣のいる環境では、体の小さいものは不利。
み「じゃなくて!
体の小さい個体が生き残る確率が高かったから……」
食「わかりました。
新潟支部長に任命します」
み「次の選挙に出ます」
食「幸福実現党には勝ってください」
み「あの党、どのくらいの供託金、没収されてるんだろうね?」
食「さー。
で、わかりました?
『島の法則』」
み「♪奄美、なちかしゃ」
食「それは、『島のブルース』でしょ」
食「とりあえず、タヌキ話はこれまでにしましょう。
もう『千畳敷駅』に差し掛かりますよ」
み「最後にひとつ。
“タヌキ”って名前の語源は?」
食「“田の怪”だそうです。
江戸時代には、歌川国芳などによって、ユーモラスなタヌキが描かれてますが……。
それ以前の鎌倉や室町時代には、人を喰う妖怪として扱われてたそうです」
↑化け狸夫婦(ブラザートムと星野亜希/実写版『ゲゲゲの鬼太郎』より)。
み「よし。
じゃ、八畳敷話はこれまで。
そちは、一気に992畳昇格して……。
『千畳敷』を名乗るがよい」
食「なんでボクが名乗るんです。
あ、ほら列車が速度を緩めましたよ。
窓の外を御覧ください」
み「立った方がいいか?」
食「今度は、こっちの窓でいいんですよ。
海側です」
み「おー。
あれか」
律「見事ね」
み「なんで、こんな地形が出来るんだ?」
食「地震による隆起です」
み「それはいいとして……。
なんでこんなに真っ平なの?」
食「海岸段丘の段丘面が持ち上がったからです」
↑平らになった海面が、隆起によって地上に現れたわけです。
食「この山側に遊歩道がありますから……。
そこから見下ろすと、海岸段丘を観察できます」
み「いつごろの地震よ?」
食「寛政4年、1792年でした。
西津軽地震とも、鰺ヶ沢地震とも呼ばれてます」
み「また江戸時代か。
江戸時代の東北って、地震だらけだね。
しかも、地形が変わるほどの大地震ばっかり。
象潟が隆起した地震って、何年だっけ?」
↑秋田県にかほ市象潟。田んぼの部分は海で、松の生えている丘が、島でした。
食「確か……。
文化元年、1804年です」
み「近いじゃん。
たった12年だよ」
食「ですね。
秋田県から、青森県の日本海側を経て北海道の渡島(おしま)半島までは……」
食「地殻変動の激しい地帯なんです。
寛政4年の地震では、岩盤が2メートルも隆起してます」
み「当時でも、話題になったんだろうね?」
食「珍しがった津軽藩(弘前藩)の殿様が、ここに千畳の畳を敷かせて大宴会を催したそうです」
↑年代から云えば、九代藩主・津軽寧親(やすちか)の時代です。画像は、隠居した文政8年(1825年)に、江戸の人形師に造らせたものだそうです。
み「さすが、江戸時代だね。
今だったら、大ヒンシュクだよ。
県知事が、被災地で宴会なんかしたら」
↑こういう芸はしないと思いますが。
食「県知事と藩主じゃ、ぜんぜん違うでしょ」
み「あ、藩主は選挙じゃないから、民衆の顔色を見る必要が無いわけか」
食「殿様専用の避暑地にして、庶民は近づけさせなかったそうです」
み「なんか、あんまり優秀な殿様じゃなかったみたいだね」
み「しかし、避暑って……。
こんなとこじゃ、暑いだろうに」
食「ま、気分的なものでしょ。
岩の間から、潮が噴き上がったりしますから」
↑AVを見るようでもあります。
食「1992年の平成4年には……。
『隆起生誕200年祭』が取り行われたそうです」
食「隆起当時の宴会を再現するために……。
実際、岩の上に、1,000枚の畳を敷いたとか」
み「いくら平らに近いと言っても……」
み「座りにくかったろうな」
食「1,000人前の西浜膳と、1,000銘柄の日本酒が出され……。
郷土芸能なんかが披露されたそうです」
↑の記述は、こちらのページに記された、↓の文章から書き起こしたものです。
『平成4年には、隆起生誕200年記念祭が行われ、当時の宴を再現し、畳千畳を敷き、千人前の西浜膳と千銘柄の日本酒を集め、大いに賑わったと観光ガイドに記されている』
で、その『西浜膳』なるものの画像を探したんですが……。
なぜか見つかりません。
大間越街道は、西浜街道とも呼ばれたそうですし……。
秋田県の能代から青森県の鰺ヶ沢あたりまでの西海岸が、西浜なんじゃないかと思います。
しかし、『西浜膳』という名称でヒットする画像が無いのです。
なぜじゃ?
み「ひとり、いくら?」
食「さー。
そこまでは」
み「タダで招待するわけ無いよね」
食「それは、無理でしょう」
み「先生は、いくらなら行く?」
律「炎天下に畳敷いて、ご飯食べるんでしょ」
↑あまりの暑さに、明らかに怒ってるアライグマ。
み「炎天下とは限らないでしょ。
季節はいつだったんだ?」
食「そこまで知りませんよ」
み「200周年なら、地震の日なんじゃない?
いつだったの?」
食「和暦で、寛政4年の12月28日。
西暦にすると、1793年2月8日ですね」
み「なんだ。
ほんとなら、『200年記念祭』は、1993年だったんじゃないの」
食「冬にはやれないでしょ」
↑明らかに危険です。
み「だよな。
それで、1992年にしたのか。
いつごろしたんだろう」
食「さー、そこまでは」
み「少しは推理しなさい」
食「材料が無いですよ」
み「年の前半なら、1993年にするはず。
1992年にしたってことは、年の後半だよ。
夏場は、お膳の鮮度が心配だから……。
暑さが収まってからだね。
ま、彼岸以降か」
み「と言っても、あんまり押し詰まると……。
日本海側は、お天気が当てにならなくなる。
やるとしたら……。
10月だな。
そのころの日本海側は……。
1年で一番お天気が安定するんだよ。
昔、野球の日本シリーズは、昼間にやってたの」
↑1985年、阪神が西武を破って日本一。バースが2人いるのかと思いましたが……。ヒゲの外人は、ゲイルというピッチャーのようです。
律「なんで日本シリーズが出てくるのよ?」
み「中学校のころ……。
わたしの前の席の男子が、日本シリーズをラジオで聞いてたんだ。
授業中に」
律「怒られるでしょうが」
み「イヤホンだよ。
制服の内ポケットにラジオを忍ばせて……。
イヤホンのコードを、袖口から出すの。
で、頬杖を付くふりして、聞いてるわけ。
ホームランかなにかで、アナウンサーの声が大きくなると……。
わたしのところまで、微かに聞こえてきた」
律「だから、お天気が、どう関係してるのよ?」
み「お天気が良かったのよ」
律「はぁ?」
み「その時の席は、窓際だったんだけどね。
窓の外は、1点の雲もなく晴れ渡り……。
風もない。
いわゆる日本晴れってやつよ。
日本シリーズをやる時期だから、日本晴れなのかと思ったくらい」
↑新潟県南魚沼市。8月終わりの風景。日本シリーズのころは、とっくに刈り入れが終わってます。
律「たまたまその時晴れただけでしょ」
み「男子が日本シリーズで盛りあがってるときって……。
必ず晴れてた気がするんだ。
ま、新潟は、11月に入ると、一気にお天気が崩れてくるから……」
み「一層、10月の晴れ間が記憶に残ってるのかも知れない。
空を見てると、少し物悲しくなってくる空だね」
律「どうして悲しくなるの?」
み「冬が近いって感じるからよ。
こんなお天気は、もう何日も無いだろうなって」
律「ふーん。
東京じゃ、感じないわね」
み「そりゃそうでしょ。
東京は、冬が一番お天気がいい季節なんだから」
み「東京に住んでた時は、冬が一番好きだった。
冬が近くなってくるとね、空気の匂いが変わるんだよ。
その匂いを嗅ぐと、嬉しかったな。
大好きな冬がやって来るって」
律「寒いじゃないの」
み「東京あたりの寒さは何でもないよ」
↑ロシアの冬。寒さ桁違い。
み「寒けりゃ、何枚でも着ればいいだけ」
↑着ぶくれてるわけじゃありませんが。
み「裸になっても暑い夏より、なんぼかマシだわ」
律「そんなものかしら」
み「太平洋岸で生まれ育った人は、冬の太陽の有り難さがわかってないんだよ」
↑木彫『Soleil 太陽崇拝』馬塲稔郎
み「実際、イギリスとかからの人が、冬の東京に来ると……。
とにかく、お天気に感激するそうよ」
律「ヨーロッパの冬って、暗い感じがするもんね」
↑イギリス・リッチモンドの冬
み「じゃ、新潟はヨーロッパか。
そう言えば、受験で東京に行ったとき……。
あんまり明るくて、身の置きどころが無い感じだった。
日陰を選んで歩いてたわ」
律「お肌には、そっちの方がいいんじゃないの」
み「実際、雪国の人の肌が綺麗だってのは……。
冬のせいだと思うよ。
お日さまがほとんど差さず、窓を結露の雫が伝うほどの高湿度の期間が……。
1年の3分の1もあるわけだからね」
↑新潟県立博物館『雪とくらし』の展示
律「逆に、うらやましいかも」
み「新潟の人は、もっと冬の有り難みを感じるべき?」
律「そうそう」
み「自転車には乗れなくなるし、電車は遅れるし……。
雪かきはせにゃならんし」
み「いいことなんて、何も無いよ」
律「でも、東京に住んでて……。
冬が好きなんて人、あんまり聞かないけど」
み「あのお天気が当たり前だと思ってるから……。
寒いのが気に入らないわけでしょ」
律「実際、寒いわよ。
朝晩」
み「ま、あれだけ晴れりゃ、放射冷却があるからね」
み「でも、昼間はグンと気温が上がるでしょ」
律「そうね。
冬の陽が、部屋の奥まで差しこむから……」
律「昼間は、暖房がいらないくらい」
み「それよ」
律「何が?」
み「新潟にマンションを建てる業者に言いたいことがある」
律「わたしに言ってどうすんのよ」
み「とりあえず、聞かっしゃい。
ええか。
新築マンションのチラシを見ると……。
どれもこれも、リビングが南向きだよ」
み「アホじゃないの」
律「どうして?
それが当たり前でしょ」
み「それは、太平洋側の話。
冬場、部屋の奥まで日が差しこむようにってことでしょ」
律「いいじゃないの。
暖房費が節約出来て」
み「だから!
日本海側は、陽が差さないのよ。
晴れる日なんて、10日に1日もあればいい方。
1ヶ月に2,3日だよ」
↑冬の新潟市街。暗い……。
み「そのために、南側にリビング作って、何の意味があるの?」
律「少しでも節約になるんじゃない?」
み「アホきゃ!
夏のことを考えなさいよ。
南側に窓があったら、暑いじゃないの」
み「冷房費が、どれだけかかると思ってるの。
暖房費の節約分とじゃ、とうてい釣り合わんでしょ」
律「じゃ、北向きに作れって?」
み「さよう。
冬はどうせ陽が当たらないんだから……。
窓はどっちを向いてても、大して変わらんのよ。
ところが、夏場は大違い。
南向きの部屋と北向きの部屋で、どれだけ室温が違うか。
実際、欧米では、リビングを北向きに作るのが当たり前なのよ」
み「南向きにこだわるのは、日本だけ」
律「ほんとに?」
み「ま、欧米には、別の理由もあるんだけどね」
律「なによ?」
み「年代物の家具や絨毯を、大切に使ってる家庭が多いでしょ。
そういうのにとって、一番怖いのは、日焼けよ」
み「だから、リビングに日が入るのを嫌がるわけ。
日本だって、カーテンとかの持ちがぜんぜん違うと思うよ。
北向きと南向きじゃ」
律「それは、あるかもね」
み「新潟では、素晴らしい北向きの座敷が見学できるから……。
ぜひ、真夏に行って、北向きリビングの良さを体感してほしい」
律「住宅展示場?」
み「『旧齋藤家別邸』。
み「新潟の豪商、齋藤家の四代目、齋藤喜十郎が……。
大正7年(1918)、別荘として建てたお屋敷。
最近(2009年)、新潟市が購入して、公開されてるの。
新潟は、北側に海があるでしょ。
その海に沿って、砂丘が連なってる。
で、『旧齋藤家別邸』ってのは、新潟砂丘のすぐ南側にあるお屋敷なの」
み「で、このお屋敷の座敷は、北向き、つまり砂丘に向いて造られてる。
なんでだと思う?」
律「へそ曲がりなんじゃないの。
Mikiちゃんの祖先とか?」
み「そんな屋敷持ちがわたしの祖先だったら、もうちょっと楽に暮らしとるわい。
そうでなくて。
砂丘の斜面に、庭を作ったからよ」
み「つまり、座敷の前に、急斜面の庭があるわけ。
わかるでしょ。
座敷は2階にあるから……(1階にもあります/間取り図)。
斜面の庭が、上から下まで見えるわけ」
み「ま、早い話、庭を見るための座敷なわけよ。
秋の紅葉のときなんか、絵画を立てたようだって」
律「見てないの?」
み「わたしが行ったのは、夏だったの。
そこで、北向きの座敷の素晴らしさに感動したわけよ。
当たり前だけど……。
まったく陽が差しこまないのよ」
↑こちらは、1階の座敷(撮影されたのは9月の日盛り)。
律「そりゃそうでしょうね」
み「窓辺の手すりに凭れて、庭を見てたんだけど、ぜんぜん暑くないわけ」
↑こちらは、2階の座敷(上と同時刻)。
前の2枚の写真は、共にこちらのページから拝借しました。
み「これをあんた、南向きの部屋でやれますか?
窓際なんて、陽が射して暑いったらないでしょ」
↑こちらは、貴船神社近く、貴船川の川床。ここらは涼しいんでしょうかね? 昼食もやってます。
律「そりゃ、暑いでしょうね」
み「地球が温暖化してるんだからさ……。
東京だって、冬より夏の過ごしやすさに力点を置くべきだと思うよ」
↑等々力公園に繁茂するシュロ。
み「北向きと南向きにリビングがあって……。
季節によって使い分けられれば、一番だろうけどさ。
東京でそんなこと、無理でしょ」
↑共同で1つのビルを建てるってのは……。出来ないんでしょうね。
律「ま、そうだわね」
み「北向きの部屋なら、値段も安いだろうし……。
掘り出し物件は、ぜったいあるって」
↑夏は楽だと思います。
み「住んでからの電気代もぜんぜん違うから……。
どれだけお得かわからんくらいよ」
律「ふーん。
一理あるかもね。
今度引っ越すとき、考えてみる」
み「冬場に物件探しちゃダメよ。
暖かそうな部屋を選んじゃうから」
み「真夏に探しなさい」
律「不動産屋みたい。
って、何でこんな話になってるの?」
み「しかとわからぬ」
食「千畳敷の『隆起200年記念祭』が、いつ行われたかって話からです」
み「なるほど。
つまり!
暑くもなく寒くもなく……。
お天気も安定する10月が一番ってことだよ。
雨天中止だろ?」
食「傘さして、お膳は食べれませんよね」
み「お膳の材料は日延べ出来ないだろうから……。
作っちゃうしか無いよね。
雨降ったら、体育館かどっかで食べさせるつもりだったのかね?」
食「そういう話は聞きませんから……。
無事、晴れたんじゃないですか」
み「主催者は、てるてる坊主、1,000個作ったと思う」
み「しかし、使った畳って、新調したのか?」
食「そこまで知りませんよ」
み「古畳じゃ、見栄えがしないよな。
やっぱ、青畳じゃなくちゃ」
み「畳って、海水に濡れても大丈夫なの?」
食「スタイロ畳じゃないですか?」
み「使った後の畳って、どうしたんだろ?
1,000枚だぜ」
食「まったく知りません」
み「使い道が無いなら……。
お膳の料金に加算しなきゃならん。
スタイロ畳って、1枚いくら?」
食「知りませんよ、そんなこと」
み「お膳の値段より高いかも知れんぞ。
ずばり、先生なら、いくら出す?」
律「ご招待なら、ありがたくお受けしますけど……。
自腹ならパスね」
み「どうしてこうケチなのかのぅ」
律「じゃ、あんたはいくら出すの?」
み「うーむ。
350円でどうだ?」
律「そんなわけないでしょ!
牛丼屋じゃ無いんだから」
律「交通費もかかるのよ」
み「チミ、見積もって」
食「わかりませんよ」
み「すぐに投げ出すな。
ひとつひとつ、片付けていけばいいの。
まず、『西浜膳』ってのはなんだ?」
食「あのあたりの伝統料理じゃないですか?」
み「そんなこと、誰でもそう思うわい。
値段を聞いておる」
食「そりゃ、注文によって、ピンキリでしょ」
み「そうか。
どのくらいのお膳かな?
1,000人も呼んどいて、貧相なお膳出すわけにいかんよな」
み「法事でも、最低5,000円でしょ」
律「法事じゃ無いじゃない」
み「ほかに比べるものがわからん。
よし。
3,500円で、5,000円のお膳を発注」
律「ヒドいじゃないの」
み「だって、1,000人前だよ。
これだけ量があれば、単価は下げられるでしょ」
律「1つの業者で出来るわけないわ」
み「ま、1,500円は協賛費ということで。
パンフレットに、タダでお店の名前出してやればいいじゃん。
これで料理は、350万だな」
と言うか……。
チミは、タヌキの親戚だから、語る権利がある」
食「なんでボクが親戚なんですか!」
み「その腹を見れば、一目瞭然だろ。
腹鼓、打ってみろ」
食「失礼な」
み「♪ショッショ、しょじょじ」
食「団三郎狸の話をします」
み「ノリが悪いのぅ」
食「佐渡ヶ島には、団三郎狸という、大ダヌキが住んでました。
ある日、キツネと化けくらべをすることになりました」
み「キツネの名前は?」
食「ありません」
み「それは、納得でけんな」
食「曲げて納得してください。
キツネは、嫁入り行列に化けて見せました」
み「おー。
キツネといえば、嫁入り行列じゃのぅ。
新潟県阿賀町の『狐の嫁入り』は、全国的に有名じゃ」
食「キツネが化けた嫁入り行列は、それはそれは見事なものでした。
胸を張るキツネに、団三郎狸は……。
明日、大名行列に化けてみせると約束しました。
翌日、キツネが約束の場所に行ってみると……。
それはそれは見事な大名行列が通りかかりました」
食「あまりの見事さに、キツネもびっくり仰天。
どうやって化けてるのかと不思議に思い、ふらふらと行列に近づきました。
そのとたん、『無礼者!』と一喝され、その場で手討ちにされてしまったのです」
↑“手打ち”違い。
食「実は、その大名行列は、本物だったんですね」
み「待てい」
食「なんです?」
み「おかしいだろ」
食「何がです?」
み「大名行列に決まっておるわ。
チミね。
佐渡ヶ島は、『関ヶ原』以来、ずーっと天領なの。
大名なんていないの。
いるのは佐渡奉行という役人」
↑江戸時代、こーゆー看板は出てませんでした。
食「気づきました?」
み「気づかなきゃバカだっちゅうの」
食「ま、そのへんは、目を瞑ってくださいよ」
み「ならん!
根本的なところじゃないか」
食「このお話は……。
佐渡にタヌキがいるのに、なぜキツネがいないかということを説明してるわけです」
み「さっき、いたじゃないか。
間抜けなヤツが」
食「だから……。
斬り殺されてしまったわけです」
み「キツネが1匹しかいないわけないだろ」
食「動物の出てくる昔話は、そういうものです。
タヌキに化かされたキツネは……。
もう佐渡ヶ島に住まなくなったというわけです」
み「化かす意味が違うではないか。
団三郎は、化かすんじゃなくて……。
騙したわけじゃないの」
食「もともと、タヌキが化かすという言葉は……。
何かに化けるというより、人を化かすといった意味合いだったようです。
これは、実際のタヌキの生態から、言い習わされるようになったみたいです」
み「どういう生態よ?」
食「猟師がタヌキを鉄砲で撃ったとき……」
↑やたらバタ臭いマタギです。
食「タヌキは、バタリとその場に倒れるんです。
ピクリとも動きません」
↑寝てるだけのようです。野生なのに、ずいぶん無防備ですね(参照)。
食「猟師は、一発で仕留めたと思い、とどめを刺すのをやめ……。
鉄砲を肩に担いで、タヌキに近づく。
で、猟師がタヌキに手を伸ばしたとたん……。
タヌキは、突然息を吹き返して逃げていってしまうわけです」
み「タヌキが死んだふりをしてたってわけ?」
食「猟師にしてみれば、まんまと騙されたって思うでしょうね」
み「実際のタヌキに、そんな知能があるの?」
食「自分の意志でやってるわけじゃないんです。
早い話、銃声に驚いて、気絶してしまうんですね」
食「で、猟師が近づいたころに、気絶から醒めるというわけです」
み「ずいぶん都合のいい習性だな」
食「危機に陥ったとき……。
気絶したり、動けなくなったりする動物はけっこういますからね。
ネコが車に轢かれるのも、道路の真ん中で固まってしまう場合が多いからみたいです。
ま、実際、肉食獣は、動くものを攻撃する習性を持ってますからね。
ヘタに動くより、固まった方が、難を逃れられるケースが多いんだと思います」
み「皆まで言うな。
それはつまり、こういうことだな。
危機に際して、固まってしまった個体の生き残る確率が高かった結果……。
今では、そういう習性を持った子孫ばかりになったと」
食「ほー。
ダーウィンをご存知ですね」
み「毎週見てます」
食「それは、『ダーウィンが来た!』でしょ」
↑ネコにもファンは多いようです。
食「とにかく、タヌキが人を化かすという言い伝えは……。
危機に陥ったときのタヌキの習性から来てるわけです。
『狸寝入り』ってのが、まさしくこれですよ」
み「ふーん。
騙すつもりじゃないのに、とんだ誤解ってことか。
でも、『しめしめ、今夜はタヌキ汁か』と思った猟師にしてみれば……。
歯ぎしりもんだろうな」
食「タヌキ汁には、しないと思いますよ」
↑『河口湖天上山公園』にあります。
み「なんでよ?」
食「タヌキの肉は、臭くて食べられたものじゃないそうです」
み「じゃ、何で撃つわけ?」
食「だから、毛皮ですよ。
金箔の槌打ちやフイゴにも使われるわけですから……。
高く売れたと思います」
み「あ、そゆこと。
でも、臭くて食べれないほどなら……。
毛皮に用が無い肉食獣は、タヌキを食べないんじゃないの?」
食「ま、人間と獣では、味覚や臭覚も違うでしょうしね。
ちょっとくらい臭くたって、背に腹は代えられないんじゃないですか」
↑ミントのガムが臭い! でも、もう一度……。
み「ふーん。
それで、狸寝入りの習性が残ってるわけか」
食「でも、佐渡ヶ島では、天敵となる肉食獣がいないみたいですよ」
み「あ、キツネもいないわけだよね。
オオカミは、当然いないし。
でも昔は、いたんじゃないの?
オオカミ」
↑国立科学博物館にあるニホンオオカミの剥製。大きさは、中型犬程度だったそうです。
食「オオカミは……。
難しいんじゃないですか」
み「どうして?」
食「離島では、肉食獣の生息が難しいからです。
実際、キツネだって、日本の島で生息が確認されてるのは……。
利尻島と五島列島くらいだそうです」
↑利尻島の人口は、5,400人ですが、自治体は2つあるそうです。佐渡は、6万人で1つの自治体なのにね。
み「なんで、島にはいないの?」
食「縄張りの問題です」
食「肉食獣が常に獲物にありつくためには……。
かなりな面積の縄張りが必要になります。
近親交配をせずに、種を存続させていくためには……。
ある程度の頭数がいなければなりません。
つまり、狭い面積の島では、肉食獣は種として存続するのが難しいんです」
み「そんなもんかのぅ」
食「その点、タヌキみたいに何でも食べる動物は、縄張りを必要としません。
だから、都会の限られた緑地でも生息が観察されたりするわけです」
↑“鉄”のタヌキ(東京都杉並区『永福町駅(井の頭線)』付近)。側溝に棲んでるとか。
み「ふーん。
てことは、佐渡に島流しになったタヌキは……。
むしろ幸せだったってことか?」
↑八丈島の焼酎です。
食「ですね。
実際、佐渡のタヌキは……。
本土のタヌキより、体格が一回り大きいそうです」
み「ノーノーと暮らしてるわけね」
食「島に住む動物には、『島の法則』ってのがあるんですよ」
み「なんじゃそりゃ?」
食「小さな動物は体が大きくなり、大きな動物は体が小さくなるんです」
み「なぜに!」
食「さっきも言ったように、天敵となる肉食獣がいないわけです。
小動物が、文字通り小さいのは……。
体が小さい方が、天敵から見つかりにくく……。
天敵の手の届かない隙間にも逃げ込みやすいからです」
み「みなまで言うな。
体の小さい個体が生き残る確率が高かったから……。
次第に、種全体の体格が小さくなっていったということだな?」
食「そうです。
しかしながら、島みたいな天敵のいない環境では、体を小さくする必要が無い。
むしろ大きいほうが、餌場の奪い合いなどに勝つわけです」
↑仲良く食べてますが。
み「みなまで言うな!
島では、体の大きい個体が生き残る確率が高かったから……。
次第に、種全体の体格も大きくなっていったということだな?」
食「そうそう」
み「じゃ、大きい動物が小さくなるってのはなぜなんだ?」
↑マグネットだそうです(メタルマグネット 6個入)。
食「地上の動物で、巨体を誇るゾウやサイ、カバなどは、みんな草食です。
彼らは、体を大きくすることによって、肉食獣から襲われにくくなってるわけです」
↑これは水牛(水餃子と語感が似てることを発見)。
み「逆だろ。
体の大きい個体が生き残る確率が高かったから……。
次第に、種全体の体格が大きくなっていったということだ」
食「なんだか、ダーウィン教の信者みたいですね」
↑ナレーションの首藤奈知子アナ。とっても上手です(残念ながら既婚)。
み「新潟支部長です」
食「でも、島みたいに肉食獣のいない環境では……。
身を守るために体を大きくする必要が無い。
むしろ、限られた餌で生きていくためには、体が小さいほうが有利です」
↑肉食獣のいる環境では、体の小さいものは不利。
み「じゃなくて!
体の小さい個体が生き残る確率が高かったから……」
食「わかりました。
新潟支部長に任命します」
み「次の選挙に出ます」
食「幸福実現党には勝ってください」
み「あの党、どのくらいの供託金、没収されてるんだろうね?」
食「さー。
で、わかりました?
『島の法則』」
み「♪奄美、なちかしゃ」
食「それは、『島のブルース』でしょ」
食「とりあえず、タヌキ話はこれまでにしましょう。
もう『千畳敷駅』に差し掛かりますよ」
み「最後にひとつ。
“タヌキ”って名前の語源は?」
食「“田の怪”だそうです。
江戸時代には、歌川国芳などによって、ユーモラスなタヌキが描かれてますが……。
それ以前の鎌倉や室町時代には、人を喰う妖怪として扱われてたそうです」
↑化け狸夫婦(ブラザートムと星野亜希/実写版『ゲゲゲの鬼太郎』より)。
み「よし。
じゃ、八畳敷話はこれまで。
そちは、一気に992畳昇格して……。
『千畳敷』を名乗るがよい」
食「なんでボクが名乗るんです。
あ、ほら列車が速度を緩めましたよ。
窓の外を御覧ください」
み「立った方がいいか?」
食「今度は、こっちの窓でいいんですよ。
海側です」
み「おー。
あれか」
律「見事ね」
み「なんで、こんな地形が出来るんだ?」
食「地震による隆起です」
み「それはいいとして……。
なんでこんなに真っ平なの?」
食「海岸段丘の段丘面が持ち上がったからです」
↑平らになった海面が、隆起によって地上に現れたわけです。
食「この山側に遊歩道がありますから……。
そこから見下ろすと、海岸段丘を観察できます」
み「いつごろの地震よ?」
食「寛政4年、1792年でした。
西津軽地震とも、鰺ヶ沢地震とも呼ばれてます」
み「また江戸時代か。
江戸時代の東北って、地震だらけだね。
しかも、地形が変わるほどの大地震ばっかり。
象潟が隆起した地震って、何年だっけ?」
↑秋田県にかほ市象潟。田んぼの部分は海で、松の生えている丘が、島でした。
食「確か……。
文化元年、1804年です」
み「近いじゃん。
たった12年だよ」
食「ですね。
秋田県から、青森県の日本海側を経て北海道の渡島(おしま)半島までは……」
食「地殻変動の激しい地帯なんです。
寛政4年の地震では、岩盤が2メートルも隆起してます」
み「当時でも、話題になったんだろうね?」
食「珍しがった津軽藩(弘前藩)の殿様が、ここに千畳の畳を敷かせて大宴会を催したそうです」
↑年代から云えば、九代藩主・津軽寧親(やすちか)の時代です。画像は、隠居した文政8年(1825年)に、江戸の人形師に造らせたものだそうです。
み「さすが、江戸時代だね。
今だったら、大ヒンシュクだよ。
県知事が、被災地で宴会なんかしたら」
↑こういう芸はしないと思いますが。
食「県知事と藩主じゃ、ぜんぜん違うでしょ」
み「あ、藩主は選挙じゃないから、民衆の顔色を見る必要が無いわけか」
食「殿様専用の避暑地にして、庶民は近づけさせなかったそうです」
み「なんか、あんまり優秀な殿様じゃなかったみたいだね」
み「しかし、避暑って……。
こんなとこじゃ、暑いだろうに」
食「ま、気分的なものでしょ。
岩の間から、潮が噴き上がったりしますから」
↑AVを見るようでもあります。
食「1992年の平成4年には……。
『隆起生誕200年祭』が取り行われたそうです」
食「隆起当時の宴会を再現するために……。
実際、岩の上に、1,000枚の畳を敷いたとか」
み「いくら平らに近いと言っても……」
み「座りにくかったろうな」
食「1,000人前の西浜膳と、1,000銘柄の日本酒が出され……。
郷土芸能なんかが披露されたそうです」
↑の記述は、こちらのページに記された、↓の文章から書き起こしたものです。
『平成4年には、隆起生誕200年記念祭が行われ、当時の宴を再現し、畳千畳を敷き、千人前の西浜膳と千銘柄の日本酒を集め、大いに賑わったと観光ガイドに記されている』
で、その『西浜膳』なるものの画像を探したんですが……。
なぜか見つかりません。
大間越街道は、西浜街道とも呼ばれたそうですし……。
秋田県の能代から青森県の鰺ヶ沢あたりまでの西海岸が、西浜なんじゃないかと思います。
しかし、『西浜膳』という名称でヒットする画像が無いのです。
なぜじゃ?
み「ひとり、いくら?」
食「さー。
そこまでは」
み「タダで招待するわけ無いよね」
食「それは、無理でしょう」
み「先生は、いくらなら行く?」
律「炎天下に畳敷いて、ご飯食べるんでしょ」
↑あまりの暑さに、明らかに怒ってるアライグマ。
み「炎天下とは限らないでしょ。
季節はいつだったんだ?」
食「そこまで知りませんよ」
み「200周年なら、地震の日なんじゃない?
いつだったの?」
食「和暦で、寛政4年の12月28日。
西暦にすると、1793年2月8日ですね」
み「なんだ。
ほんとなら、『200年記念祭』は、1993年だったんじゃないの」
食「冬にはやれないでしょ」
↑明らかに危険です。
み「だよな。
それで、1992年にしたのか。
いつごろしたんだろう」
食「さー、そこまでは」
み「少しは推理しなさい」
食「材料が無いですよ」
み「年の前半なら、1993年にするはず。
1992年にしたってことは、年の後半だよ。
夏場は、お膳の鮮度が心配だから……。
暑さが収まってからだね。
ま、彼岸以降か」
み「と言っても、あんまり押し詰まると……。
日本海側は、お天気が当てにならなくなる。
やるとしたら……。
10月だな。
そのころの日本海側は……。
1年で一番お天気が安定するんだよ。
昔、野球の日本シリーズは、昼間にやってたの」
↑1985年、阪神が西武を破って日本一。バースが2人いるのかと思いましたが……。ヒゲの外人は、ゲイルというピッチャーのようです。
律「なんで日本シリーズが出てくるのよ?」
み「中学校のころ……。
わたしの前の席の男子が、日本シリーズをラジオで聞いてたんだ。
授業中に」
律「怒られるでしょうが」
み「イヤホンだよ。
制服の内ポケットにラジオを忍ばせて……。
イヤホンのコードを、袖口から出すの。
で、頬杖を付くふりして、聞いてるわけ。
ホームランかなにかで、アナウンサーの声が大きくなると……。
わたしのところまで、微かに聞こえてきた」
律「だから、お天気が、どう関係してるのよ?」
み「お天気が良かったのよ」
律「はぁ?」
み「その時の席は、窓際だったんだけどね。
窓の外は、1点の雲もなく晴れ渡り……。
風もない。
いわゆる日本晴れってやつよ。
日本シリーズをやる時期だから、日本晴れなのかと思ったくらい」
↑新潟県南魚沼市。8月終わりの風景。日本シリーズのころは、とっくに刈り入れが終わってます。
律「たまたまその時晴れただけでしょ」
み「男子が日本シリーズで盛りあがってるときって……。
必ず晴れてた気がするんだ。
ま、新潟は、11月に入ると、一気にお天気が崩れてくるから……」
み「一層、10月の晴れ間が記憶に残ってるのかも知れない。
空を見てると、少し物悲しくなってくる空だね」
律「どうして悲しくなるの?」
み「冬が近いって感じるからよ。
こんなお天気は、もう何日も無いだろうなって」
律「ふーん。
東京じゃ、感じないわね」
み「そりゃそうでしょ。
東京は、冬が一番お天気がいい季節なんだから」
み「東京に住んでた時は、冬が一番好きだった。
冬が近くなってくるとね、空気の匂いが変わるんだよ。
その匂いを嗅ぐと、嬉しかったな。
大好きな冬がやって来るって」
律「寒いじゃないの」
み「東京あたりの寒さは何でもないよ」
↑ロシアの冬。寒さ桁違い。
み「寒けりゃ、何枚でも着ればいいだけ」
↑着ぶくれてるわけじゃありませんが。
み「裸になっても暑い夏より、なんぼかマシだわ」
律「そんなものかしら」
み「太平洋岸で生まれ育った人は、冬の太陽の有り難さがわかってないんだよ」
↑木彫『Soleil 太陽崇拝』馬塲稔郎
み「実際、イギリスとかからの人が、冬の東京に来ると……。
とにかく、お天気に感激するそうよ」
律「ヨーロッパの冬って、暗い感じがするもんね」
↑イギリス・リッチモンドの冬
み「じゃ、新潟はヨーロッパか。
そう言えば、受験で東京に行ったとき……。
あんまり明るくて、身の置きどころが無い感じだった。
日陰を選んで歩いてたわ」
律「お肌には、そっちの方がいいんじゃないの」
み「実際、雪国の人の肌が綺麗だってのは……。
冬のせいだと思うよ。
お日さまがほとんど差さず、窓を結露の雫が伝うほどの高湿度の期間が……。
1年の3分の1もあるわけだからね」
↑新潟県立博物館『雪とくらし』の展示
律「逆に、うらやましいかも」
み「新潟の人は、もっと冬の有り難みを感じるべき?」
律「そうそう」
み「自転車には乗れなくなるし、電車は遅れるし……。
雪かきはせにゃならんし」
み「いいことなんて、何も無いよ」
律「でも、東京に住んでて……。
冬が好きなんて人、あんまり聞かないけど」
み「あのお天気が当たり前だと思ってるから……。
寒いのが気に入らないわけでしょ」
律「実際、寒いわよ。
朝晩」
み「ま、あれだけ晴れりゃ、放射冷却があるからね」
み「でも、昼間はグンと気温が上がるでしょ」
律「そうね。
冬の陽が、部屋の奥まで差しこむから……」
律「昼間は、暖房がいらないくらい」
み「それよ」
律「何が?」
み「新潟にマンションを建てる業者に言いたいことがある」
律「わたしに言ってどうすんのよ」
み「とりあえず、聞かっしゃい。
ええか。
新築マンションのチラシを見ると……。
どれもこれも、リビングが南向きだよ」
み「アホじゃないの」
律「どうして?
それが当たり前でしょ」
み「それは、太平洋側の話。
冬場、部屋の奥まで日が差しこむようにってことでしょ」
律「いいじゃないの。
暖房費が節約出来て」
み「だから!
日本海側は、陽が差さないのよ。
晴れる日なんて、10日に1日もあればいい方。
1ヶ月に2,3日だよ」
↑冬の新潟市街。暗い……。
み「そのために、南側にリビング作って、何の意味があるの?」
律「少しでも節約になるんじゃない?」
み「アホきゃ!
夏のことを考えなさいよ。
南側に窓があったら、暑いじゃないの」
み「冷房費が、どれだけかかると思ってるの。
暖房費の節約分とじゃ、とうてい釣り合わんでしょ」
律「じゃ、北向きに作れって?」
み「さよう。
冬はどうせ陽が当たらないんだから……。
窓はどっちを向いてても、大して変わらんのよ。
ところが、夏場は大違い。
南向きの部屋と北向きの部屋で、どれだけ室温が違うか。
実際、欧米では、リビングを北向きに作るのが当たり前なのよ」
み「南向きにこだわるのは、日本だけ」
律「ほんとに?」
み「ま、欧米には、別の理由もあるんだけどね」
律「なによ?」
み「年代物の家具や絨毯を、大切に使ってる家庭が多いでしょ。
そういうのにとって、一番怖いのは、日焼けよ」
み「だから、リビングに日が入るのを嫌がるわけ。
日本だって、カーテンとかの持ちがぜんぜん違うと思うよ。
北向きと南向きじゃ」
律「それは、あるかもね」
み「新潟では、素晴らしい北向きの座敷が見学できるから……。
ぜひ、真夏に行って、北向きリビングの良さを体感してほしい」
律「住宅展示場?」
み「『旧齋藤家別邸』。
み「新潟の豪商、齋藤家の四代目、齋藤喜十郎が……。
大正7年(1918)、別荘として建てたお屋敷。
最近(2009年)、新潟市が購入して、公開されてるの。
新潟は、北側に海があるでしょ。
その海に沿って、砂丘が連なってる。
で、『旧齋藤家別邸』ってのは、新潟砂丘のすぐ南側にあるお屋敷なの」
み「で、このお屋敷の座敷は、北向き、つまり砂丘に向いて造られてる。
なんでだと思う?」
律「へそ曲がりなんじゃないの。
Mikiちゃんの祖先とか?」
み「そんな屋敷持ちがわたしの祖先だったら、もうちょっと楽に暮らしとるわい。
そうでなくて。
砂丘の斜面に、庭を作ったからよ」
み「つまり、座敷の前に、急斜面の庭があるわけ。
わかるでしょ。
座敷は2階にあるから……(1階にもあります/間取り図)。
斜面の庭が、上から下まで見えるわけ」
み「ま、早い話、庭を見るための座敷なわけよ。
秋の紅葉のときなんか、絵画を立てたようだって」
律「見てないの?」
み「わたしが行ったのは、夏だったの。
そこで、北向きの座敷の素晴らしさに感動したわけよ。
当たり前だけど……。
まったく陽が差しこまないのよ」
↑こちらは、1階の座敷(撮影されたのは9月の日盛り)。
律「そりゃそうでしょうね」
み「窓辺の手すりに凭れて、庭を見てたんだけど、ぜんぜん暑くないわけ」
↑こちらは、2階の座敷(上と同時刻)。
前の2枚の写真は、共にこちらのページから拝借しました。
み「これをあんた、南向きの部屋でやれますか?
窓際なんて、陽が射して暑いったらないでしょ」
↑こちらは、貴船神社近く、貴船川の川床。ここらは涼しいんでしょうかね? 昼食もやってます。
律「そりゃ、暑いでしょうね」
み「地球が温暖化してるんだからさ……。
東京だって、冬より夏の過ごしやすさに力点を置くべきだと思うよ」
↑等々力公園に繁茂するシュロ。
み「北向きと南向きにリビングがあって……。
季節によって使い分けられれば、一番だろうけどさ。
東京でそんなこと、無理でしょ」
↑共同で1つのビルを建てるってのは……。出来ないんでしょうね。
律「ま、そうだわね」
み「北向きの部屋なら、値段も安いだろうし……。
掘り出し物件は、ぜったいあるって」
↑夏は楽だと思います。
み「住んでからの電気代もぜんぜん違うから……。
どれだけお得かわからんくらいよ」
律「ふーん。
一理あるかもね。
今度引っ越すとき、考えてみる」
み「冬場に物件探しちゃダメよ。
暖かそうな部屋を選んじゃうから」
み「真夏に探しなさい」
律「不動産屋みたい。
って、何でこんな話になってるの?」
み「しかとわからぬ」
食「千畳敷の『隆起200年記念祭』が、いつ行われたかって話からです」
み「なるほど。
つまり!
暑くもなく寒くもなく……。
お天気も安定する10月が一番ってことだよ。
雨天中止だろ?」
食「傘さして、お膳は食べれませんよね」
み「お膳の材料は日延べ出来ないだろうから……。
作っちゃうしか無いよね。
雨降ったら、体育館かどっかで食べさせるつもりだったのかね?」
食「そういう話は聞きませんから……。
無事、晴れたんじゃないですか」
み「主催者は、てるてる坊主、1,000個作ったと思う」
み「しかし、使った畳って、新調したのか?」
食「そこまで知りませんよ」
み「古畳じゃ、見栄えがしないよな。
やっぱ、青畳じゃなくちゃ」
み「畳って、海水に濡れても大丈夫なの?」
食「スタイロ畳じゃないですか?」
み「使った後の畳って、どうしたんだろ?
1,000枚だぜ」
食「まったく知りません」
み「使い道が無いなら……。
お膳の料金に加算しなきゃならん。
スタイロ畳って、1枚いくら?」
食「知りませんよ、そんなこと」
み「お膳の値段より高いかも知れんぞ。
ずばり、先生なら、いくら出す?」
律「ご招待なら、ありがたくお受けしますけど……。
自腹ならパスね」
み「どうしてこうケチなのかのぅ」
律「じゃ、あんたはいくら出すの?」
み「うーむ。
350円でどうだ?」
律「そんなわけないでしょ!
牛丼屋じゃ無いんだから」
律「交通費もかかるのよ」
み「チミ、見積もって」
食「わかりませんよ」
み「すぐに投げ出すな。
ひとつひとつ、片付けていけばいいの。
まず、『西浜膳』ってのはなんだ?」
食「あのあたりの伝統料理じゃないですか?」
み「そんなこと、誰でもそう思うわい。
値段を聞いておる」
食「そりゃ、注文によって、ピンキリでしょ」
み「そうか。
どのくらいのお膳かな?
1,000人も呼んどいて、貧相なお膳出すわけにいかんよな」
み「法事でも、最低5,000円でしょ」
律「法事じゃ無いじゃない」
み「ほかに比べるものがわからん。
よし。
3,500円で、5,000円のお膳を発注」
律「ヒドいじゃないの」
み「だって、1,000人前だよ。
これだけ量があれば、単価は下げられるでしょ」
律「1つの業者で出来るわけないわ」
み「ま、1,500円は協賛費ということで。
パンフレットに、タダでお店の名前出してやればいいじゃん。
これで料理は、350万だな」