2013.3.2(土)
食「ワシントン大学の研究チームが、ずっと橋の振動調査をしてたんですよ。
で、その日、揺れが異常な様相を呈してきたのを見て……。
急遽、近くのカメラ店から、映画用のカメラを借りてきたんです。
結果、スゴい映像が撮れたわけですね。
この映像記録によって……。
構造物が風を受けた時の振動についての研究が、一気に進展することになりました」
↓それでは、映像を御覧ください。
↑これは一番短い映像。ロングバージョンもたくさんあります(こちら)。
み「『余部鉄橋』は、風速33メートルでも落ちなかったんだから……。
大したもんだよな。
設計したのは、アメリカ人?」
食「アメリカ人技師ポール・L・ウォルフェルと、鉄道院の古川晴一技師の共同設計です」
↑古川晴一技師
み「おー。
スゴいスゴい。
でもさっき、列車が転覆した原因については……。
風圧以外の意見があるって言ってたよね?
それって、橋自体に問題があったってことじゃないの?
『タコマナローズ橋』みたいに。
やっぱり、設計ミス?」
食「確かに、橋の方に問題があったという意見です。
でも決して、設計ミスということではありません」
み「どういうことよ?」
食「『余部鉄橋』は、昭和30年代から40年代にかけて、大規模な補強工事を施されてるんです。
部材の交換が行われたわけですが……。
その際、もともとは溝形鋼や山形鋼で構成されてた水平材と斜材が……」
↑左:溝形鋼/右:山形鋼
食「すべて、H形鋼に置き換えられました」
食「その結果、縦横の剛性バランスが崩れてしまった可能性があるらしいんです。
さらに、橋脚基礎をコンクリートで巻き立てたため……。
撓み量が減少し、フラッター現象を起こしやすくなった」
み「なるほど。
柳の枝みたいに撓って、風を受け流してたのが……」
み「撓らなくなってたってこと?」
食「そうです。
撓らずに、ガタガタ揺れるようになった。
そこへ、ディーゼル機関車が進入します」
食「重量のある機関車が、揺れで蛇行動を起こし……。
レールが歪んだ。
そこへ、軽い客車が乗り上げ……。
脱輪。
それに引きずられた客車が次々と脱線し、車体が傾く。
そこに……」
み「突風が吹きつけた!」
食「可能性としては……」
み「あり得るじゃん」
食「でも、この意見は、指令員の裁判でも取り上げられず……。
事故の調査報告書でも、一切触れられてません」
み「なんでよ?」
食「わかりません。
でも、事故原因が、過去の補強工事にあるかも知れないってことになれば……。
調査が難航するのは目に見えてますからね」
み「目をつぶった?」
食「ま、ボクには何とも言えません」
み「あ、わかった」
食「ホントですか?」
み「事故原因が、橋脚の構造によるものだってことになったら……。
風速によって、一律に運行規制する根拠がなくなるじゃん。
下手すりゃ、橋脚や高架ごとに、構造計算しなきゃならんよ」
食「構造計算書なら、残ってるはずです」
↑『第三音更川橋梁(北海道上士幌町・1936年建設)』の構造計算書。
み「その後の補修や老朽化で、数値が変わってるでしょ。
『余部鉄橋』だって、そうだったはず」
食「ぜんぶ調べ直すんですか?」
み「当然じゃ。
で、一番弱い場所を基準に、規制値を決めたら……。
それこそ、風速15メートルくらいで止めなきゃならない路線だって出てくるかも。
そんなことになったら、まともな運行なんて出来なくなる」
み「と言って、架け替えになれば、莫大な費用が必要になるし……」
食「列車の転覆が、単純に風圧によって起こったということにすれば……。
一律な風速規制だけで済む?」
み「どうじゃ?」
食「穿ちすぎだと思いますが……。
全否定も出来ないかも知れません」
み「これに決まりです」
食「あなたが決めてどうするんです」
み「でもさ、新しい橋は……。
当然、20メートルでは止めないんでしょ?」
食「風速30メートルまで運行可能となってます」
み「何でよ?
ほかの路線と一律に、25メートルになるんじゃないの?」
食「あの橋あたりでは、25メートルなんて珍しくありませんからね。
25メートルで規制したら……。
何のために架け替えたかわからなくなります」
み「納得できんのぅ。
新しい橋は、コンクリートなんでしょ?」
食「そうです」
み「コンクリートの方が、風に強いわけ?」
食「ていうか、橋の両サイドに、高さ1.7メートルの暴風壁が設置されたんです」
み「にゃにー。
てことは、景色が見えないってことじゃないの?」
食「防風壁は、透明アクリル製です」
み「なんだ。
それを早く言え」
律「新しい橋は、前の橋の近くに造られたんですか?」
食「並んでますね」
食「山側に8メートルしか離れてません」
↑防風壁の向うに見えるのが、旧橋。
食「トンネルを出て、すぐ橋ですから、くっつけて作らざるを得ないんです。
それでも、前の橋ではトンネルから直線だったのが……。
新しい橋では、S字カーブになっちゃってます」
み「古い橋は、そのまま保存されるんでしょ?」
食「いえ、それは無理です」
み「なんでじゃ?
重要な土木遺産じゃないか」
食「維持費にどれくらいかかると思ってるんですか。
新橋への架け替えは、維持費を節減する目的もあるわけですから……。
古い橋をそのままにしておくなんて、あり得ませんよ」
み「もったいないだろ。
98年も保たせた橋を。
代々の橋守も泣いてると思うぞ」
食「こればっかりは、無理ですよ。
でも、1部は保存されることになりました。
餘部駅側の3本の橋脚と桁が残され……。
鉄橋展望台『空の駅』として保存される予定です」
↑『空の駅』は、今春(2013年)完成予定だそうです。
↓現在は、このようになってます。
み「ふーん。
ま、仕方ないか」
食「あ、そうそう。
その餘部駅ですけどね。
『余部鉄橋』、正式には『余部橋梁』ですが……。
その“あまるべ”と、字が違うんです。
駅の“あまる”は、旧字なんですよ」
み「なぜに?」
食「実は、兵庫県の姫路から、岡山県の新見を繋ぐ『姫新線』という路線があります」
み「おー。
これはまた、オーソドックスな命名法だね」
食「その、姫路から2つ目に、『余部(よべ)』という駅があるんですよ」
食「読み方は違いますが、字は、鉄橋の『余部(あまるべ)』と同じです」
み「なるほど。
そうしないと……。
近い方の『余部』の切符を買って、遠い方の『余部』に行くヤツがいないとも限らないわけだな」
↑これは入場券ですが。
食「ま、実際にいるかは疑問ですが……。
面倒のタネは、事前に取り除いておくに限ります」
み「てことは、旧字の『餘部駅』の方が、新しいわけね」
食「開業は、昭和34年でした」
み「鉄橋が出来てから、ずいぶん経ってからなんだね」
食「それまで近隣の住民は……。
『鎧(よろい)駅』まで、橋の上を歩いて行かなきゃならなかったんです」
み「どしえー。
マジで?
怖すぎだろ。
九重の吊り橋と良い勝負じゃない」
み「強風が吹いたら、持ってかれるんじゃないの?
そもそも、線路なんか歩いていいの?」
食「もちろん、列車の合間を縫って歩いたんです」
み「そんなことは、当たり前じゃ!
鉄橋の上で列車が来たらどうする!
ピストン堀口じゃあるまいし」
律「なによ、その人?」
み「知らないの?、ピストン堀口。
ボクサーだよ」
み「鉄橋で、電車に轢かれて死んだんだって」
律「どうして?」
み「飲んだ帰り、線路を歩いてたそうな。
で、橋の向こうから列車が来るのが見えたけど……。
自分の方が先に、鉄橋の向こうまで駆け抜けられると思ったんだとか」
律「気持ちは……。
少しわかるわ」
み「わかるんかい!」
律「酔っぱらいってのは、そういうものよ。
万能感ってやつ?
でも、ちょっと無謀すぎたわね」
み「にわかには信じられん話よ。
なにしろ、本人は死んじゃったんだから……。
真相は、闇の中」
食「その話、聞いたことありますよ」
み「おー。
ボクシングまでカバーしてるのか?」
食「いえ、そうじゃありません。
鉄橋絡みの話だったからです」
み「じゃ、真相も知ってる?」
食「知りません」
み「なんだよ」
食「鉄橋の逸話については、石原慎太郎がそう書いてるんでしたよね。
人から聞いた話として」
み「やっぱ、小説家の作り話かね?」
食「にわかには信じられない話ですよ。
少なくとも、その話を石原にした人も、石原自身も……。
あの鉄橋を見たことが無いんじゃないですか?」
み「どういうこと?」
食「あの鉄橋……。
正式な名称を、馬入川(ばにゅうがわ)橋梁と言います」
み「母乳川なんて、聞いたことが無いけど」
食「ワザと間違えましたね。
馬入川(ばにゅうがわ)です。
馬が入る川と書きます」
み「ぜんぜん知らん川だけど」
食「通称ですから。
本当の名前は、相模川です。
山梨県の山中湖を水源とする一級河川ですよ」
食「昔から、東海道の難所のひとつでした。
江戸時代は、橋もありませんし」
食「流域面積では、大井川を凌ぐ大河ですからね。
今でも、神奈川県東部の水瓶です。
この川、上流の山梨県では、桂川と呼ばれ……。
河口近くになると、馬入川と呼ばれてるんです」
み「信濃川が、長野県で千曲川と呼ばれてるようなもの?」
食「ですね。
馬入川(ばにゅうがわ)と云う名前が付いた謂われも面白いですよ」
み「ほー。
語ってみんしゃい」
食「時は、鎌倉時代に遡ります」
み「ストップ!」
食「何です?」
み「ここで、先生に問題です」
律「いきなり、何よ?」
み「鎌倉幕府が開かれたのは、西暦何年でしょうか?」
律「日本史は受験科目じゃなかったけど……。
そのくらい知ってるわよ」
み「言ったんさい」
律「『いい国作ろう鎌倉幕府』でしょ」
律「1192年よ」
み「ブッブー。
もう、ど真ん中の答えで嬉しくなっちゃう」
律「なんでよ!
そう習ったわよ」
み「歳がバレますぜ、先生。
今は、違うの。
1185年に変更になってるのよ」
み「な?」
食「ですね」
律「いつ変わったのよ。
第一、どうして過去のことが変更になるの?
あ、わかった。
誰かが、タイムマシンに乗って、過去を作り変えてしまったんだ」
み「アホか。
解釈が変わっただけでしょ。
とにかく、今は、1185年。
『いい箱(1185)作ろう、鎌倉幕府』」
律「箱作ってどうするのよ」
み「わたしに言わないでちょうだい」
食「進めていいですか?」
み「進めたまえ」
食「この川の下流に、国指定の史跡『旧相模川橋脚』というのがあるんですが……。
関東大震災のときに突然、畑の中から、7本の檜(ひのき)丸太が突き出したんですよ」
↑もちろん、レプリカです(茅ヶ崎市下町屋1丁目)。
食「直径60センチもある丸太でした。
その後の調査で、この丸太は……。
1198年に架けられた橋脚だとわかったんです」
み「頼朝が架けたの?」
食「いえ、架けたのは、頼朝の妻、政子の妹の夫です」
み「ややこしい!」
食「稲毛三郎重成と云う人なんですが……。
妻の供養に架けた橋だったそうです」
食「で、この橋の開通式で大事件が起こったんですよ」
み「なんじゃい」
食「頼朝が、騎馬で橋を渡ってるときでした。
突然、馬が暴れだし……。
頼朝を載せたまま、川に飛び込んだんです」
↑こんなふうにはいかなかったんでしょうね。
み「げ。
なんでまた?」
食「平家の亡霊が現れたとか……」
食「義経の亡霊が現れたとか、さまざまな説があります。
とにかく、突然馬が、竿立ちになって……」
食「頼朝を道連れに、真っ逆さまに転落したそうです」
み「頼朝は、それで死んだの?」
食「いえ。
命は取り留めたんですが……。
たらふく水を飲んだせいで、17日後に亡くなってます」
み「ほー。
それで、馬入川(ばにゅうがわ)か」
↑『馬入川舟渡しの図』。江戸時代はもちろん、幕府が橋を架けさせなかったのです。
食「そうです」
み「で、にわかには信じられない話ってのは、どういうこと?」
食「相模川は、平塚市と茅ヶ崎市の市境で海に注いでます」
食「東海道本線が渡るのは、この河口近くなんです」
み「何か、不都合でも?」
食「川幅が広いんですよ」
↑真ん中辺で2本並んでるどっちか(両方?)が『馬入川橋梁』。
食「あそこだと、250メートルくらいはあるんじゃないかな。
しかも、鉄橋は、さらにずっと長いわけですよ。
河川敷を跨いでますから」
↑馬入川橋梁を渡る『踊り子』15両編成。
み「どのくらいあるの?」
食「600メートルくらいあると思います」
み「ちょっと待ちたまえ」
食「何ですか?」
み「鎌倉時代に、そんな川に橋なんか架けられたの?
しかも、さっきの話だと、個人が架けたみたいじゃないの」
食「あぁ。
旧橋脚が出たのは、今の馬入川より800メートルくらい東なんです」
み「なにゆえ?」
食「相模川は、昔から暴れ川でしてね。
しょっちゅう、川筋が変わってるんですよ」
↑関東大震災前の相模川河口
み「あ、そういうことか。
それなら、新潟も一緒だ。
信濃川と阿賀野川が暴れまわってたから……。
洪水ごとに川筋が変わってね。
河口近くでは、かつて川底にならなかった土地は無いって言われてる。
だから、渟足柵(ぬたりのき)の遺跡が出ないんだよ」
律「何それ?」
み「日本史の時間、寝てたんじゃないの?」
律「休んだかも」
み「教科書の初っ端の方に出て来たでしょ。
新潟に置かれたという、古代の城柵よ。
今の新潟市中央区沼垂(ぬったり)に、その名が残ってます」
↑貨物駅です(2010年廃止)
律「名前が残ってるなら、そこを掘れば出てくるんじゃないの?」
み「そうはいかんのじゃ」
律「なんでよ?」
み「沼垂という町は……。
洪水が起こって川筋が変わるごとに、町ごと移転して来たのじゃ」
↑天保2年(1682年)の沼垂。このころは、信濃川(左)と阿賀野川(右)が、河口付近で合流してました。
食「沼垂という町名だけ背負って、土地を転々として来たということですか?」
み「さようじゃ。
それゆえ、古代の渟足が、いったいどこにあったのか……。
今となっては、誰ひとり知るよしもない」
↑渟足柵(想像図)
律「なんでそんな口調になるのよ?」
み「ときおり、昔の語り部が憑依するでの」
↑懐かしや、菅江真澄翁
律「気味の悪い女」
み「とにかく、川底にならなかった土地は無いんだから……。
古代の城柵なんて、とっくの昔に海に流されちゃってるわけ」
食「続けて、よろしいですか?」
み「おぅ」
食「鎌倉時代の川は、治水なんかされてないでしょうから……。
たぶん、支流とかがいっぱいあったんじゃないですか?」
み「だから、1本の川幅は、比較的狭かった?」
食「そうです。
でも、今の馬入川は違いますよ。
暴れたりしないよう、きっちり管理されてます。
当然、川幅も広い」
↑相模川最下流に架かる『湘南大橋』
み「250メートルね」
食「隅田川が200メートルくらいですから……。
もう一回り広いわけです」
み「鉄橋は、600メートルだっけ?」
食「そうです」
食「石原慎太郎の話によると……。
ピストン堀口は、鉄橋の手前にいたんです。
で、鉄橋の向こうから、貨物列車が走って来るのを目にした」
食「あり得ます?
600メートル先なんですよ」
み「しかも、酔っ払ってるわけだよね」
食「見えたとしたら……。
それはもう、鉄橋のすぐ手前まで列車が来てなきゃおかしい。
堀口は、反対側の袂にいたんですよ。
列車が鉄橋に差し掛かる前に……。
600メートルの鉄橋を駆け抜けるなんて、出きっこないじゃないですか」
み「ま、出来ると思ったんじゃないすか。
そういう人だったんでしょ?」
食「現役時代のスタミナは、驚異的だったそうですけどね」
み「お。
逸話がありそうだな」
食「練習で、ミット打ちの連打を10分続けても、息ひとつ上がらなかったそうです」
み「てことは、3分間のラウンド中、ずっと打ち続けることくらい、何でもないってことだね」
食「実際、相手をロープ際に追い詰めての連打は凄まじかったそうです。
堀口の猛ラッシュが始まると……。
会場中から『ワッショイ、ワッショイ』の大合唱が沸き起こったとか」
み「人気選手だったわけだね。
世界チャンピオンには、なれたの?」
食「残念ながら」
み「なんで?」
食「全盛期が、第2次世界大戦と重なっちゃったんです。
別の時代なら、間違いなくなってたでしょう。
生涯成績は、138勝24敗14引き分け。
実に、176試合もやってるんですよ」
み「多いわけ?」
食「今なら考えられません。
18歳でプロデビューし、引退したのは、36歳。
実働17年間ですから、年間10試合以上やってるってことです」
み「で、亡くなったのは、いくつ?」
食「引退してから、わずか半年後のことでした」
み「あちゃー。
やっぱ、パンチでそうとうダメージ受けてたんだよ」
食「鉄橋の逸話がほんとなら、あり得ますね」
み「運転士の証言は取れてないわけ?」
食「轢いた人に取材するわけですか?
国鉄が許可しないでしょう」
み「石原慎太郎が聞いてもか?
しかし、慎太郎も詰めが甘いのぅ。
聞き書きだけじゃなく、自分の足で取材しろっての」
律「そういうのを、天に唾するってのよ」
み「何でよ!」
律「あんたの旅行記、全部ネットからのコピペじゃないの」
み「それは……。
先立つものがないんだから、仕方ないでしょ」
み「あー、運転士の話、聞きたかったな」
律「どうして?」
み「だって、見えたはずだよね。
夜でも、ライト点けてるんだから」
律「その人、電車に向かって走って来たの?」
み「知らないわよ。
でも、もしそうだったら……。
運転士は、夢にうなされたろうね。
真正面から、エイトマンみたいに人が突っこんでくるわけだから」
律「何よ?、エイトマンって」
み「知らないの?
昔のアニメのヒーローよ。
ものすごく早く走れるの。
足が消えちゃうんだから」
律「幽霊じゃないの」
み「足のないピストン堀口も、鉄橋にさまよってるかも」
律「やめてよ」
食「エイトマンに変身する主人公の名前、知ってますか?」
み「そこまで知らんわい」
食「東八郎っていうんですよ」
↑普段は私立探偵です。
み「八郎だから、エイトマン?
安易すぎだろ。
でも、聞いたことある名前だな」
食「コメディアンにいました。
アズマックスのお父さんですね」
み「ふーん。
どっちが先だったの?」
食「エイトマンに決まってますよ。
ヒーローに、コメディアンの名前付けるわけないでしょ。
エイトマンは確か、平井和正の原作だったと思います」
食「そろそろ、『餘部駅』に戻っていいですか?」
み「おー。
まだ、『餘部駅』に停まったままだったか」
↑なぜ無いのだ!
み「進めたまえ」
食「『餘部駅』が出来たきっかけは、町村合併でした。
昭和30年に、余部村が、香住町と合併したんです。
それまで、余部村には、余部中学校があったんですが……。
町村合併により、香住第一中学校に統合されてしまいました。
で、旧余部村の中学生は……。
毎日線路を歩いて、香住に通学しなければならなくなったんです」
↑右端の側道を歩いたんでしょうね。
み「鉄橋の上を、毎日?」
食「そうです」
み「『余部鉄橋』って、何メートルだったっけ?」
食「310メートルです」
み「新潟の萬代橋とおんなじくらいじゃん」
↑萬代橋(橋長306.9メートル・昭和4年竣工・国の重要文化財)
み「歩いたらけっこうな距離あるよ。
足元も悪いだろうし。
冬は、強風が吹き付けるわけでしょ」
み「わたしなら、ぜったい登校拒否だわ」
食「何度も何度も陳情して……。
ようやく旧余部村側に駅が出来ることになったんです」
食「地元の人にとって、鉄橋は、決してありがたいものだけではなかったですから……。
駅も作らなかったってのは、ちょっとヒドすぎでしたよ」
み「ありがたくないって、どういう意味?」
食「まずは、騒音ですね。
鉄橋は、軌道がスケスケですから」
食「真下の住宅では、相当うるさかったみたいです」
食「あとは、落下物。
ボルトやナットなどの部品類」
食「冬場は、つららや雪庇」
み「つららは怖いなぁ」
み「40メートルの高さから降ってきたら……。
ほとんど凶器だよ」
食「たまに、自殺者も」
み「どしえー」
食「あと、なんといってもやっかいなのは……。
鉄錆です。
車が真っ赤になっちゃうそうです」
み「あ、それわかる。
新潟の駐車場なんか、消雪パイプを設置してるとこも多いんだけど……。
パイプに鉄管を使ってるとこは、要注意なんだよ」
律「なんで?」
み「錆の混ざった水が出るから」
み「月極駐車場なんかだと……。
下の方が錆色になっちゃてる車も見かける。
白い車は、特に要注意だよ。
しかし、上から降って来るってのもタイヘンだよな。
毎日シートかけなきゃならんぞ」
律「茶色い車にすればいいんじゃない?」
↑ルノーのカングー。気になる車のひとつです。
み「投げやりじゃないですか」
律「だって、毎日シートかけるなんて、面倒くさくて出来っこないわ」
み「ま、それは言えてますな。
つまり鉄橋は……。
地元にとっては、大迷惑建造物でもあったってことだね」
食「そうです」
み「それで、駅も造らないなんてのは……。
人の道に外れとる!」
食「ようやく、町村合併から4年後……。
駅の設置が決定されました。
駅までの道と、プラットホームの材料にするため……。
地元の子供たちが、海岸から石を運びあげたそうです」
↑建設工事の様子を描いた壁画(『餘部駅』にあるそうです)
み「おー」
律「胸を打つエピソードだわ」
食「この餘部駅の裏山に、展望台がありましてね。
絶好の撮影ポイントになってます」
食「日本海を背景にして、余部鉄橋の全貌が入るんです。
『余部鉄橋』の定番写真は、ここから撮ったものなんですよ」
み「撮ってきた?
展望台から見える新しい橋」
食「いえ、まだです。
展望台は、架け替え工事中、閉鎖されてましたから。
でも、ようやく、来月の3日(2010年11月)、一般公開されます」
み「行くわけね?」
食「もちろんですよ」
み「あ、そうそう。
前の橋で迷惑してた、騒音や落下物はどうなったの?」
食「前の橋は、下がスケスケでしたが……。
新しい橋は、ちゃんと底があって、バラスト軌道になってます」
み「バラスト軌道って、何?」
食「砕石が敷かれてるってことです」
み「おー、そうなのか」
律「“サイセキ”って何よ」
み「線路の下に、石が敷いてあるでしょ」
律「あぁ、砂利のこと」
み「砂利ではない。
岩を砕いた石です」
律「おんなじじゃないの」
み「違います。
砂利は、角が丸くなってるでしょ」
み「あれじゃ、石同士が噛み合わないから……。
すぐ崩れてしまうわけ。
その点、砕石は尖った角同士が噛み合うから、しっかりとした路盤になるの」
食「詳しいですね」
み「建設会社にいたからな」
食「砕石を敷くことにより、騒音も軽減されました」
み「コンクリート橋なら、ボルトとかも落ちてこないよな」
食「ですね。
錆も降らなくなります」
み「つららや雪庇は?」
食「雪は、軌道脇に貯雪スペースが設けられました」
↑側道みたいに見えるのがそれでしょか?
食「除雪作業で、橋の下に雪を落とさずに済みます。
積雪、116センチまで大丈夫だそうです。
つららも、ほとんど大丈夫じゃないですか?
前の橋は、橋上の水分が下に抜けちゃいましたから、つららも出来やすかったでしょうけど……。
今度の橋は、それがありませんから」
み「なるほど。
いいことづくめみたいだね」
食「ま、見た目の風情から……。
前の橋を懐かしむ人もいるでしょうが」
み「地元の苦労をわかっとらん!」
食「鉄道マニアの悪いところは、そのへんのとこですね」
み「一度、行ってみにゃならんな。
視察に」
食「新しい橋も、シンプルで美しいですよ。
風景に、十分溶けこんでると重います」
み「設計は日本人?」
食「もちろんです
ジェイアール西日本コンサルタンツの技師長、北後征雄でした。
ここにも、ひとつドラマがあります」
み「何よ?」
食「北後は、大腸癌を宣告されて、入院してしまうんです。
しかし、部下の持ってくる図面に、病室で目を通し……。
責任者としての署名を続けます。
しかし……。
2008年6月10日。
橋の完成を見ることなく、亡くなりました」
み「うーん。
なんか、映画に出来そうな物語だな」
律「『余部鉄橋物語』?」
み「そうそう」
↑醤油に先を越されてました!
み「『あやめ物語』とは大違いだ」
食「何ですか、それ?」
み「知らなくていい。
没になった題名だから」
で、その日、揺れが異常な様相を呈してきたのを見て……。
急遽、近くのカメラ店から、映画用のカメラを借りてきたんです。
結果、スゴい映像が撮れたわけですね。
この映像記録によって……。
構造物が風を受けた時の振動についての研究が、一気に進展することになりました」
↓それでは、映像を御覧ください。
↑これは一番短い映像。ロングバージョンもたくさんあります(こちら)。
み「『余部鉄橋』は、風速33メートルでも落ちなかったんだから……。
大したもんだよな。
設計したのは、アメリカ人?」
食「アメリカ人技師ポール・L・ウォルフェルと、鉄道院の古川晴一技師の共同設計です」
↑古川晴一技師
み「おー。
スゴいスゴい。
でもさっき、列車が転覆した原因については……。
風圧以外の意見があるって言ってたよね?
それって、橋自体に問題があったってことじゃないの?
『タコマナローズ橋』みたいに。
やっぱり、設計ミス?」
食「確かに、橋の方に問題があったという意見です。
でも決して、設計ミスということではありません」
み「どういうことよ?」
食「『余部鉄橋』は、昭和30年代から40年代にかけて、大規模な補強工事を施されてるんです。
部材の交換が行われたわけですが……。
その際、もともとは溝形鋼や山形鋼で構成されてた水平材と斜材が……」
↑左:溝形鋼/右:山形鋼
食「すべて、H形鋼に置き換えられました」
食「その結果、縦横の剛性バランスが崩れてしまった可能性があるらしいんです。
さらに、橋脚基礎をコンクリートで巻き立てたため……。
撓み量が減少し、フラッター現象を起こしやすくなった」
み「なるほど。
柳の枝みたいに撓って、風を受け流してたのが……」
み「撓らなくなってたってこと?」
食「そうです。
撓らずに、ガタガタ揺れるようになった。
そこへ、ディーゼル機関車が進入します」
食「重量のある機関車が、揺れで蛇行動を起こし……。
レールが歪んだ。
そこへ、軽い客車が乗り上げ……。
脱輪。
それに引きずられた客車が次々と脱線し、車体が傾く。
そこに……」
み「突風が吹きつけた!」
食「可能性としては……」
み「あり得るじゃん」
食「でも、この意見は、指令員の裁判でも取り上げられず……。
事故の調査報告書でも、一切触れられてません」
み「なんでよ?」
食「わかりません。
でも、事故原因が、過去の補強工事にあるかも知れないってことになれば……。
調査が難航するのは目に見えてますからね」
み「目をつぶった?」
食「ま、ボクには何とも言えません」
み「あ、わかった」
食「ホントですか?」
み「事故原因が、橋脚の構造によるものだってことになったら……。
風速によって、一律に運行規制する根拠がなくなるじゃん。
下手すりゃ、橋脚や高架ごとに、構造計算しなきゃならんよ」
食「構造計算書なら、残ってるはずです」
↑『第三音更川橋梁(北海道上士幌町・1936年建設)』の構造計算書。
み「その後の補修や老朽化で、数値が変わってるでしょ。
『余部鉄橋』だって、そうだったはず」
食「ぜんぶ調べ直すんですか?」
み「当然じゃ。
で、一番弱い場所を基準に、規制値を決めたら……。
それこそ、風速15メートルくらいで止めなきゃならない路線だって出てくるかも。
そんなことになったら、まともな運行なんて出来なくなる」
み「と言って、架け替えになれば、莫大な費用が必要になるし……」
食「列車の転覆が、単純に風圧によって起こったということにすれば……。
一律な風速規制だけで済む?」
み「どうじゃ?」
食「穿ちすぎだと思いますが……。
全否定も出来ないかも知れません」
み「これに決まりです」
食「あなたが決めてどうするんです」
み「でもさ、新しい橋は……。
当然、20メートルでは止めないんでしょ?」
食「風速30メートルまで運行可能となってます」
み「何でよ?
ほかの路線と一律に、25メートルになるんじゃないの?」
食「あの橋あたりでは、25メートルなんて珍しくありませんからね。
25メートルで規制したら……。
何のために架け替えたかわからなくなります」
み「納得できんのぅ。
新しい橋は、コンクリートなんでしょ?」
食「そうです」
み「コンクリートの方が、風に強いわけ?」
食「ていうか、橋の両サイドに、高さ1.7メートルの暴風壁が設置されたんです」
み「にゃにー。
てことは、景色が見えないってことじゃないの?」
食「防風壁は、透明アクリル製です」
み「なんだ。
それを早く言え」
律「新しい橋は、前の橋の近くに造られたんですか?」
食「並んでますね」
食「山側に8メートルしか離れてません」
↑防風壁の向うに見えるのが、旧橋。
食「トンネルを出て、すぐ橋ですから、くっつけて作らざるを得ないんです。
それでも、前の橋ではトンネルから直線だったのが……。
新しい橋では、S字カーブになっちゃってます」
み「古い橋は、そのまま保存されるんでしょ?」
食「いえ、それは無理です」
み「なんでじゃ?
重要な土木遺産じゃないか」
食「維持費にどれくらいかかると思ってるんですか。
新橋への架け替えは、維持費を節減する目的もあるわけですから……。
古い橋をそのままにしておくなんて、あり得ませんよ」
み「もったいないだろ。
98年も保たせた橋を。
代々の橋守も泣いてると思うぞ」
食「こればっかりは、無理ですよ。
でも、1部は保存されることになりました。
餘部駅側の3本の橋脚と桁が残され……。
鉄橋展望台『空の駅』として保存される予定です」
↑『空の駅』は、今春(2013年)完成予定だそうです。
↓現在は、このようになってます。
み「ふーん。
ま、仕方ないか」
食「あ、そうそう。
その餘部駅ですけどね。
『余部鉄橋』、正式には『余部橋梁』ですが……。
その“あまるべ”と、字が違うんです。
駅の“あまる”は、旧字なんですよ」
み「なぜに?」
食「実は、兵庫県の姫路から、岡山県の新見を繋ぐ『姫新線』という路線があります」
み「おー。
これはまた、オーソドックスな命名法だね」
食「その、姫路から2つ目に、『余部(よべ)』という駅があるんですよ」
食「読み方は違いますが、字は、鉄橋の『余部(あまるべ)』と同じです」
み「なるほど。
そうしないと……。
近い方の『余部』の切符を買って、遠い方の『余部』に行くヤツがいないとも限らないわけだな」
↑これは入場券ですが。
食「ま、実際にいるかは疑問ですが……。
面倒のタネは、事前に取り除いておくに限ります」
み「てことは、旧字の『餘部駅』の方が、新しいわけね」
食「開業は、昭和34年でした」
み「鉄橋が出来てから、ずいぶん経ってからなんだね」
食「それまで近隣の住民は……。
『鎧(よろい)駅』まで、橋の上を歩いて行かなきゃならなかったんです」
み「どしえー。
マジで?
怖すぎだろ。
九重の吊り橋と良い勝負じゃない」
み「強風が吹いたら、持ってかれるんじゃないの?
そもそも、線路なんか歩いていいの?」
食「もちろん、列車の合間を縫って歩いたんです」
み「そんなことは、当たり前じゃ!
鉄橋の上で列車が来たらどうする!
ピストン堀口じゃあるまいし」
律「なによ、その人?」
み「知らないの?、ピストン堀口。
ボクサーだよ」
み「鉄橋で、電車に轢かれて死んだんだって」
律「どうして?」
み「飲んだ帰り、線路を歩いてたそうな。
で、橋の向こうから列車が来るのが見えたけど……。
自分の方が先に、鉄橋の向こうまで駆け抜けられると思ったんだとか」
律「気持ちは……。
少しわかるわ」
み「わかるんかい!」
律「酔っぱらいってのは、そういうものよ。
万能感ってやつ?
でも、ちょっと無謀すぎたわね」
み「にわかには信じられん話よ。
なにしろ、本人は死んじゃったんだから……。
真相は、闇の中」
食「その話、聞いたことありますよ」
み「おー。
ボクシングまでカバーしてるのか?」
食「いえ、そうじゃありません。
鉄橋絡みの話だったからです」
み「じゃ、真相も知ってる?」
食「知りません」
み「なんだよ」
食「鉄橋の逸話については、石原慎太郎がそう書いてるんでしたよね。
人から聞いた話として」
み「やっぱ、小説家の作り話かね?」
食「にわかには信じられない話ですよ。
少なくとも、その話を石原にした人も、石原自身も……。
あの鉄橋を見たことが無いんじゃないですか?」
み「どういうこと?」
食「あの鉄橋……。
正式な名称を、馬入川(ばにゅうがわ)橋梁と言います」
み「母乳川なんて、聞いたことが無いけど」
食「ワザと間違えましたね。
馬入川(ばにゅうがわ)です。
馬が入る川と書きます」
み「ぜんぜん知らん川だけど」
食「通称ですから。
本当の名前は、相模川です。
山梨県の山中湖を水源とする一級河川ですよ」
食「昔から、東海道の難所のひとつでした。
江戸時代は、橋もありませんし」
食「流域面積では、大井川を凌ぐ大河ですからね。
今でも、神奈川県東部の水瓶です。
この川、上流の山梨県では、桂川と呼ばれ……。
河口近くになると、馬入川と呼ばれてるんです」
み「信濃川が、長野県で千曲川と呼ばれてるようなもの?」
食「ですね。
馬入川(ばにゅうがわ)と云う名前が付いた謂われも面白いですよ」
み「ほー。
語ってみんしゃい」
食「時は、鎌倉時代に遡ります」
み「ストップ!」
食「何です?」
み「ここで、先生に問題です」
律「いきなり、何よ?」
み「鎌倉幕府が開かれたのは、西暦何年でしょうか?」
律「日本史は受験科目じゃなかったけど……。
そのくらい知ってるわよ」
み「言ったんさい」
律「『いい国作ろう鎌倉幕府』でしょ」
律「1192年よ」
み「ブッブー。
もう、ど真ん中の答えで嬉しくなっちゃう」
律「なんでよ!
そう習ったわよ」
み「歳がバレますぜ、先生。
今は、違うの。
1185年に変更になってるのよ」
み「な?」
食「ですね」
律「いつ変わったのよ。
第一、どうして過去のことが変更になるの?
あ、わかった。
誰かが、タイムマシンに乗って、過去を作り変えてしまったんだ」
み「アホか。
解釈が変わっただけでしょ。
とにかく、今は、1185年。
『いい箱(1185)作ろう、鎌倉幕府』」
律「箱作ってどうするのよ」
み「わたしに言わないでちょうだい」
食「進めていいですか?」
み「進めたまえ」
食「この川の下流に、国指定の史跡『旧相模川橋脚』というのがあるんですが……。
関東大震災のときに突然、畑の中から、7本の檜(ひのき)丸太が突き出したんですよ」
↑もちろん、レプリカです(茅ヶ崎市下町屋1丁目)。
食「直径60センチもある丸太でした。
その後の調査で、この丸太は……。
1198年に架けられた橋脚だとわかったんです」
み「頼朝が架けたの?」
食「いえ、架けたのは、頼朝の妻、政子の妹の夫です」
み「ややこしい!」
食「稲毛三郎重成と云う人なんですが……。
妻の供養に架けた橋だったそうです」
食「で、この橋の開通式で大事件が起こったんですよ」
み「なんじゃい」
食「頼朝が、騎馬で橋を渡ってるときでした。
突然、馬が暴れだし……。
頼朝を載せたまま、川に飛び込んだんです」
↑こんなふうにはいかなかったんでしょうね。
み「げ。
なんでまた?」
食「平家の亡霊が現れたとか……」
食「義経の亡霊が現れたとか、さまざまな説があります。
とにかく、突然馬が、竿立ちになって……」
食「頼朝を道連れに、真っ逆さまに転落したそうです」
み「頼朝は、それで死んだの?」
食「いえ。
命は取り留めたんですが……。
たらふく水を飲んだせいで、17日後に亡くなってます」
み「ほー。
それで、馬入川(ばにゅうがわ)か」
↑『馬入川舟渡しの図』。江戸時代はもちろん、幕府が橋を架けさせなかったのです。
食「そうです」
み「で、にわかには信じられない話ってのは、どういうこと?」
食「相模川は、平塚市と茅ヶ崎市の市境で海に注いでます」
食「東海道本線が渡るのは、この河口近くなんです」
み「何か、不都合でも?」
食「川幅が広いんですよ」
↑真ん中辺で2本並んでるどっちか(両方?)が『馬入川橋梁』。
食「あそこだと、250メートルくらいはあるんじゃないかな。
しかも、鉄橋は、さらにずっと長いわけですよ。
河川敷を跨いでますから」
↑馬入川橋梁を渡る『踊り子』15両編成。
み「どのくらいあるの?」
食「600メートルくらいあると思います」
み「ちょっと待ちたまえ」
食「何ですか?」
み「鎌倉時代に、そんな川に橋なんか架けられたの?
しかも、さっきの話だと、個人が架けたみたいじゃないの」
食「あぁ。
旧橋脚が出たのは、今の馬入川より800メートルくらい東なんです」
み「なにゆえ?」
食「相模川は、昔から暴れ川でしてね。
しょっちゅう、川筋が変わってるんですよ」
↑関東大震災前の相模川河口
み「あ、そういうことか。
それなら、新潟も一緒だ。
信濃川と阿賀野川が暴れまわってたから……。
洪水ごとに川筋が変わってね。
河口近くでは、かつて川底にならなかった土地は無いって言われてる。
だから、渟足柵(ぬたりのき)の遺跡が出ないんだよ」
律「何それ?」
み「日本史の時間、寝てたんじゃないの?」
律「休んだかも」
み「教科書の初っ端の方に出て来たでしょ。
新潟に置かれたという、古代の城柵よ。
今の新潟市中央区沼垂(ぬったり)に、その名が残ってます」
↑貨物駅です(2010年廃止)
律「名前が残ってるなら、そこを掘れば出てくるんじゃないの?」
み「そうはいかんのじゃ」
律「なんでよ?」
み「沼垂という町は……。
洪水が起こって川筋が変わるごとに、町ごと移転して来たのじゃ」
↑天保2年(1682年)の沼垂。このころは、信濃川(左)と阿賀野川(右)が、河口付近で合流してました。
食「沼垂という町名だけ背負って、土地を転々として来たということですか?」
み「さようじゃ。
それゆえ、古代の渟足が、いったいどこにあったのか……。
今となっては、誰ひとり知るよしもない」
↑渟足柵(想像図)
律「なんでそんな口調になるのよ?」
み「ときおり、昔の語り部が憑依するでの」
↑懐かしや、菅江真澄翁
律「気味の悪い女」
み「とにかく、川底にならなかった土地は無いんだから……。
古代の城柵なんて、とっくの昔に海に流されちゃってるわけ」
食「続けて、よろしいですか?」
み「おぅ」
食「鎌倉時代の川は、治水なんかされてないでしょうから……。
たぶん、支流とかがいっぱいあったんじゃないですか?」
み「だから、1本の川幅は、比較的狭かった?」
食「そうです。
でも、今の馬入川は違いますよ。
暴れたりしないよう、きっちり管理されてます。
当然、川幅も広い」
↑相模川最下流に架かる『湘南大橋』
み「250メートルね」
食「隅田川が200メートルくらいですから……。
もう一回り広いわけです」
み「鉄橋は、600メートルだっけ?」
食「そうです」
食「石原慎太郎の話によると……。
ピストン堀口は、鉄橋の手前にいたんです。
で、鉄橋の向こうから、貨物列車が走って来るのを目にした」
食「あり得ます?
600メートル先なんですよ」
み「しかも、酔っ払ってるわけだよね」
食「見えたとしたら……。
それはもう、鉄橋のすぐ手前まで列車が来てなきゃおかしい。
堀口は、反対側の袂にいたんですよ。
列車が鉄橋に差し掛かる前に……。
600メートルの鉄橋を駆け抜けるなんて、出きっこないじゃないですか」
み「ま、出来ると思ったんじゃないすか。
そういう人だったんでしょ?」
食「現役時代のスタミナは、驚異的だったそうですけどね」
み「お。
逸話がありそうだな」
食「練習で、ミット打ちの連打を10分続けても、息ひとつ上がらなかったそうです」
み「てことは、3分間のラウンド中、ずっと打ち続けることくらい、何でもないってことだね」
食「実際、相手をロープ際に追い詰めての連打は凄まじかったそうです。
堀口の猛ラッシュが始まると……。
会場中から『ワッショイ、ワッショイ』の大合唱が沸き起こったとか」
み「人気選手だったわけだね。
世界チャンピオンには、なれたの?」
食「残念ながら」
み「なんで?」
食「全盛期が、第2次世界大戦と重なっちゃったんです。
別の時代なら、間違いなくなってたでしょう。
生涯成績は、138勝24敗14引き分け。
実に、176試合もやってるんですよ」
み「多いわけ?」
食「今なら考えられません。
18歳でプロデビューし、引退したのは、36歳。
実働17年間ですから、年間10試合以上やってるってことです」
み「で、亡くなったのは、いくつ?」
食「引退してから、わずか半年後のことでした」
み「あちゃー。
やっぱ、パンチでそうとうダメージ受けてたんだよ」
食「鉄橋の逸話がほんとなら、あり得ますね」
み「運転士の証言は取れてないわけ?」
食「轢いた人に取材するわけですか?
国鉄が許可しないでしょう」
み「石原慎太郎が聞いてもか?
しかし、慎太郎も詰めが甘いのぅ。
聞き書きだけじゃなく、自分の足で取材しろっての」
律「そういうのを、天に唾するってのよ」
み「何でよ!」
律「あんたの旅行記、全部ネットからのコピペじゃないの」
み「それは……。
先立つものがないんだから、仕方ないでしょ」
み「あー、運転士の話、聞きたかったな」
律「どうして?」
み「だって、見えたはずだよね。
夜でも、ライト点けてるんだから」
律「その人、電車に向かって走って来たの?」
み「知らないわよ。
でも、もしそうだったら……。
運転士は、夢にうなされたろうね。
真正面から、エイトマンみたいに人が突っこんでくるわけだから」
律「何よ?、エイトマンって」
み「知らないの?
昔のアニメのヒーローよ。
ものすごく早く走れるの。
足が消えちゃうんだから」
律「幽霊じゃないの」
み「足のないピストン堀口も、鉄橋にさまよってるかも」
律「やめてよ」
食「エイトマンに変身する主人公の名前、知ってますか?」
み「そこまで知らんわい」
食「東八郎っていうんですよ」
↑普段は私立探偵です。
み「八郎だから、エイトマン?
安易すぎだろ。
でも、聞いたことある名前だな」
食「コメディアンにいました。
アズマックスのお父さんですね」
み「ふーん。
どっちが先だったの?」
食「エイトマンに決まってますよ。
ヒーローに、コメディアンの名前付けるわけないでしょ。
エイトマンは確か、平井和正の原作だったと思います」
食「そろそろ、『餘部駅』に戻っていいですか?」
み「おー。
まだ、『餘部駅』に停まったままだったか」
↑なぜ無いのだ!
み「進めたまえ」
食「『餘部駅』が出来たきっかけは、町村合併でした。
昭和30年に、余部村が、香住町と合併したんです。
それまで、余部村には、余部中学校があったんですが……。
町村合併により、香住第一中学校に統合されてしまいました。
で、旧余部村の中学生は……。
毎日線路を歩いて、香住に通学しなければならなくなったんです」
↑右端の側道を歩いたんでしょうね。
み「鉄橋の上を、毎日?」
食「そうです」
み「『余部鉄橋』って、何メートルだったっけ?」
食「310メートルです」
み「新潟の萬代橋とおんなじくらいじゃん」
↑萬代橋(橋長306.9メートル・昭和4年竣工・国の重要文化財)
み「歩いたらけっこうな距離あるよ。
足元も悪いだろうし。
冬は、強風が吹き付けるわけでしょ」
み「わたしなら、ぜったい登校拒否だわ」
食「何度も何度も陳情して……。
ようやく旧余部村側に駅が出来ることになったんです」
食「地元の人にとって、鉄橋は、決してありがたいものだけではなかったですから……。
駅も作らなかったってのは、ちょっとヒドすぎでしたよ」
み「ありがたくないって、どういう意味?」
食「まずは、騒音ですね。
鉄橋は、軌道がスケスケですから」
食「真下の住宅では、相当うるさかったみたいです」
食「あとは、落下物。
ボルトやナットなどの部品類」
食「冬場は、つららや雪庇」
み「つららは怖いなぁ」
み「40メートルの高さから降ってきたら……。
ほとんど凶器だよ」
食「たまに、自殺者も」
み「どしえー」
食「あと、なんといってもやっかいなのは……。
鉄錆です。
車が真っ赤になっちゃうそうです」
み「あ、それわかる。
新潟の駐車場なんか、消雪パイプを設置してるとこも多いんだけど……。
パイプに鉄管を使ってるとこは、要注意なんだよ」
律「なんで?」
み「錆の混ざった水が出るから」
み「月極駐車場なんかだと……。
下の方が錆色になっちゃてる車も見かける。
白い車は、特に要注意だよ。
しかし、上から降って来るってのもタイヘンだよな。
毎日シートかけなきゃならんぞ」
律「茶色い車にすればいいんじゃない?」
↑ルノーのカングー。気になる車のひとつです。
み「投げやりじゃないですか」
律「だって、毎日シートかけるなんて、面倒くさくて出来っこないわ」
み「ま、それは言えてますな。
つまり鉄橋は……。
地元にとっては、大迷惑建造物でもあったってことだね」
食「そうです」
み「それで、駅も造らないなんてのは……。
人の道に外れとる!」
食「ようやく、町村合併から4年後……。
駅の設置が決定されました。
駅までの道と、プラットホームの材料にするため……。
地元の子供たちが、海岸から石を運びあげたそうです」
↑建設工事の様子を描いた壁画(『餘部駅』にあるそうです)
み「おー」
律「胸を打つエピソードだわ」
食「この餘部駅の裏山に、展望台がありましてね。
絶好の撮影ポイントになってます」
食「日本海を背景にして、余部鉄橋の全貌が入るんです。
『余部鉄橋』の定番写真は、ここから撮ったものなんですよ」
み「撮ってきた?
展望台から見える新しい橋」
食「いえ、まだです。
展望台は、架け替え工事中、閉鎖されてましたから。
でも、ようやく、来月の3日(2010年11月)、一般公開されます」
み「行くわけね?」
食「もちろんですよ」
み「あ、そうそう。
前の橋で迷惑してた、騒音や落下物はどうなったの?」
食「前の橋は、下がスケスケでしたが……。
新しい橋は、ちゃんと底があって、バラスト軌道になってます」
み「バラスト軌道って、何?」
食「砕石が敷かれてるってことです」
み「おー、そうなのか」
律「“サイセキ”って何よ」
み「線路の下に、石が敷いてあるでしょ」
律「あぁ、砂利のこと」
み「砂利ではない。
岩を砕いた石です」
律「おんなじじゃないの」
み「違います。
砂利は、角が丸くなってるでしょ」
み「あれじゃ、石同士が噛み合わないから……。
すぐ崩れてしまうわけ。
その点、砕石は尖った角同士が噛み合うから、しっかりとした路盤になるの」
食「詳しいですね」
み「建設会社にいたからな」
食「砕石を敷くことにより、騒音も軽減されました」
み「コンクリート橋なら、ボルトとかも落ちてこないよな」
食「ですね。
錆も降らなくなります」
み「つららや雪庇は?」
食「雪は、軌道脇に貯雪スペースが設けられました」
↑側道みたいに見えるのがそれでしょか?
食「除雪作業で、橋の下に雪を落とさずに済みます。
積雪、116センチまで大丈夫だそうです。
つららも、ほとんど大丈夫じゃないですか?
前の橋は、橋上の水分が下に抜けちゃいましたから、つららも出来やすかったでしょうけど……。
今度の橋は、それがありませんから」
み「なるほど。
いいことづくめみたいだね」
食「ま、見た目の風情から……。
前の橋を懐かしむ人もいるでしょうが」
み「地元の苦労をわかっとらん!」
食「鉄道マニアの悪いところは、そのへんのとこですね」
み「一度、行ってみにゃならんな。
視察に」
食「新しい橋も、シンプルで美しいですよ。
風景に、十分溶けこんでると重います」
み「設計は日本人?」
食「もちろんです
ジェイアール西日本コンサルタンツの技師長、北後征雄でした。
ここにも、ひとつドラマがあります」
み「何よ?」
食「北後は、大腸癌を宣告されて、入院してしまうんです。
しかし、部下の持ってくる図面に、病室で目を通し……。
責任者としての署名を続けます。
しかし……。
2008年6月10日。
橋の完成を見ることなく、亡くなりました」
み「うーん。
なんか、映画に出来そうな物語だな」
律「『余部鉄橋物語』?」
み「そうそう」
↑醤油に先を越されてました!
み「『あやめ物語』とは大違いだ」
食「何ですか、それ?」
み「知らなくていい。
没になった題名だから」