2013.2.16(土)
み「ま、休んで正解だよ。
まー、実に感心するほど面白くない小説。
冒頭だけは、強烈だけど」
律「どういう風に?」
み「城崎温泉に行った理由が、冒頭の1行に書いてあるんだけど……。
なんと!
電車にはねられた養生だって」
律「よく無事だったわね」
み「死ぬだろ、普通」
律「それからどうなるの?」
み「蜂が死んでました」
律「何それ?」
み「それしか覚えてない。
読むのも書くのも、お互いに時間の無駄だろって感じだったね」
律「ヒドいこと言うのね。
有名な小説家じゃないの」
↑67歳だそうです。老けてますねー。
み「巨匠は腐してもいいの。
わたしが何を言おうが、向こうの評価が変わるわけ無いんだから」
食「『余部鉄橋』を続けていいですか?」
み「おう。
続けたまえ」
食「なんか……。
引っかかりますが、あえてスルーして続けます。
『余部鉄橋』があるのは、兵庫県美方郡香美町の香住区になります」
み「区?
なんでそんなとこに区が付くんだ?」
食「合併ですよ。
“区”は、地域自治区のことです」
み「なにそれ?」
食「合併特例のひとつです。
市町村が、その区域内の地域に、市町村長の権限に属する事務を分掌させ……。
地域住民の意見を反映させつつ、これを処理させるため設置する自治・行政組織のことを云います」
み「↑Wikiからコピペしたな」
食「旧町名は、城崎郡香住町です」
み「郡が変わったってこと?」
食「ですね。
日本海に面した地域です。
『余部鉄橋』が架かるのは、山陰本線になります」
み「おー。
山陰本線。
旅情を感じる線名だねぇ」
↑雨の滝山信号場(鳥取市)
み「乗ったこと無いけど。
でも、日本海側が山陰で、反対側が山陽ってのは……。
ちょっと引っかかるよな。
裏日本と表日本みたいで」
食「冬のお天気からいくと、まさに名前そのものですよ」
み「確かになぁ」
食「お日さまは、山の南側を通るわけですから……。
陽のあたる側が“山陽で”、反対側が“山陰”ってのは、理にかなってますよ」
み「山のすぐ裏側は、影になるかも知れないけど……。
日本海側まで影になるわけじゃないだろ」
食「そりゃそうですけど」
み「そもそも、大昔は、表日本と裏日本は、真逆だったんだよ」
律「どうして?
日本列島が裏返しだったの?」
み「そんなわけないでしょ。
日本海側が、中国や朝鮮との交易の窓口だったから」
律「太平洋側は、アメリカなんかの窓口でしょ?」
み「あのね。
大昔って言ったでしょ。
昔の航海術じゃ、太平洋を渡ることなんか出来なかったの」
み「つまり、太平洋側では、『海=地の果て』だったわけ。
その点、日本海は、よその国までも繋がる交通路だった」
み「古代出雲を始め……。
日本海側が、まさに“表日本”として栄えてたんだよ」
↑古代出雲大社の想像図
律「へー」
食「あの。
話題が、あまりにも遼遠になってますけど。
そろそろ、『余部鉄橋』、進めていいですか?」
↑古代出雲大社に似てませんか?
み「おぅ、そうじゃった。
進めたまえ。
そもそも、いつごろ出来た橋なんだ?」
食「1912年、明治45年ですね」
み「てことは、ほぼ100年?」
食「運用期間、98年でした」
み「惜しい。
もう2年、待てなかったものかね?」
食「98年間も保ったこと自体、奇跡に近いんじゃないですか。
日本海が真ん前にあるんですよ」
食「冬場、鉄橋には、容赦なく潮風が吹き付けます」
み「そうか。
鉄は錆びるんだよね」
↑余部鉄橋の橋梁です。
み「何か秘密があるの?」
食「秘密なんかありません。
保守、保守、また保守です。
人間が手をかけ続けて、そこまで保たせたんです。
保守を怠ってたら、いったい何年保ったか。
なにしろ、完成からたった3年で、塗装を直さなきゃならなかったくらいなんですよ。
5年目からは、腐食した部品の交換が始まりました」
食「その5年目からは、橋守(はしもり)が置かれたんです」
み「橋守って……。
また、古典的な呼び名だね。
『余部鉄橋』専属なわけ?」
食「そうです。
橋の下の作業小屋に詰めて、保守作業にあたったんです」
み「そういう人たちのお陰で……。
海っぱたの鉄橋が、98年も保ったわけか。
それだけ、大事な橋だったんだね」
食「この『余部鉄橋』が出来るまでは……。
舞鶴から境までは、鉄道連絡船が繋いでたんです」
【阪鶴丸】舞鶴・夕方4時発 → 境・午前8時着
【第二阪鶴丸】境・昼2時半発 → 舞鶴・午前8時着
↑上りと下りで、1時間半も違います。対馬海流を考えれば、もっと違うってことじゃないのか? なぜじゃ?
食「京都を出て、出雲に着くまで、24時間19分もかかってました。
それが、『余部鉄橋』のおかげで、12時間49分に短縮されたんです」
み「丸一昼夜が、半日になったってわけか」
食「そうです」
み「でも、いくら保守をしても……。
100年の記念日を迎えさせられないほど……。
老朽化が進んだってこと?」
食「ま、保守が追いつかなくなってきたというのは、間違いないでしょうけど。
例の橋守も、昭和38年までで廃止されましたし」
み「何で廃止するわけ?
経年劣化を考えれば……。
むしろ、増員が必要でしょ」
食「いや。
保守自体は、もちろん行われてます。
『余部鉄橋』の専属じゃなくなっただけで。
保線区に引き継がれてますね」
み「ふーん。
引き継がれたってことは……。
橋守の人って、国鉄の職員じゃなかったの?」
食「いえ。
職員ですよ。
最初は、建設時の塗装を請け負った日本ペイントの社員が、鉄道院に採用となり……。
食「橋守を勤めたそうです」
み「鉄道院?
鉄道省じゃないの?」
食「鉄道省は、1920年、大正6年からです。
その前身が、鉄道院になります」
↑ウォルサム製の公式時計(1912年)
み「なるほど。
『第2小入川橋梁』のころは、すでに鉄道省になってたわけか」
食「そうです。
で、橋守に話を戻しますが……。
昭和38年まで、代々6人の方が、橋守として錆と戦い続けたんですよ」
↑歴代の橋守
み「なんで廃止しちゃったかねー。
なんか納得出来ないけど」
食「やっぱり、ひとつの橋に専属ってのは……。
予算とかの査定が厳しくなると、難しくなったんじゃないですか」
み「また金の話か」
食「時代に合わなくなったってことでしょうね。
あと、橋の掛け替えが急がれたのには……。
実は、老朽化以上に大きな理由があるんです」
み「なんじゃい」
食「昭和61年に、列車の転落事故がありましてね」
食「ご存知ですか?」
み「おー。
事故の報道自体は、覚えてないけどね。
でも、事故の影響は、今、身に沁みて味わってる」
律「どういうこと?」
み「あの事故のお陰で……。
新潟でも、冬のダイヤが当てにならなくなったの」
↑雪の新潟駅
律「何で新潟のダイヤに影響するのよ?」
み「列車の運行基準が変わったんだよ。
今は、風速20メートル以上で、徐行運転になるからね。
徐行って、何キロなの?」
食「時速25キロです」
み「それじゃ、ダイヤが乱れるわけだ。
さらに、風速25メートルになると……。
運転見合わせだよ」
↑風速46メートル。さすがにこれはヤバい。
食「『余部鉄橋』では、さらに厳しく……。
風速20メートルで、運行停止になりました。
これによって、冬場の定時性が、著しく低下することとなりました。
はっきり言って……。
通勤通学の足としては、まったく当てにならなくなったんです。
年間300本以上の列車が運休になりましたから」
み「しかし、何でこう一律に止めてしまうのかね?
すべての路線で、同じ規則にするのは間違っとる。
止めるかどうかは、人が判断すればいいだろ」
食「責任重大ですよ」
み「それが職責というもんだろ。
数字だけで運用するなら……。
人間なんかいらんわい。
みんな機械にしてしまえばいい」
律「また、極論言うんだから」
食「一律に止めるようになったのは、事故原因と大いに関係してるんですが……。
それは、おいおい語らせていただきます」
み「大きく出たな。
そう言えば、以前……。
メジャーリーガーに、カタラナートという選手がいたな」
律「メジャーリーグなんて、見てるの?」
み「見てないわい。
ニュースのスポーツコーナーで聞いたの。
確か、イチローと首位打者を争ってたんだよ。
それで、朝のニュースでも、名前が出てきたんだと思う。
誰かが、ダジャレを言ってたし」
律「どんな?」
み「どんなって、何の捻りもなく、そのままだよ。
『カタラナートについて、語らなーといけません』とか」
律「……」
み「絶句するでしょ。
誰が言ったんだったかな?
ジョー小泉か?」
食「ジョー小泉は、ボクシングでしょ」
み「でも、テレビであんなダジャレ言うヤツ……。
ジョー小泉くらいしか考えられないけどね」
食「話を、戻しますね」
み「おぉ。
カタラナートいけませんか?」
食「ぜひ、語らせてください」
み「どこまで語った?」
食「日常的な足として、鉄道を利用してる人にとって……。
『余部鉄橋』の架け替えは、まさに悲願だったというところからです」
み「なるほど。
あと2年で100年なのになんて言ってるのは……。
毎日利用してない人間の発想ってことだね。
逆に云えば、98年もよく保ったよ」
食「建設当時の部材の精度が非常に高く……。
最後まで、狂いが生じなかったそうです」
み「おー、スゴいじゃないか。
明治の日本」
食「残念ながら……。
部材はアメリカ製です」
み「ありゃ、そう。
でもそれを、98年も保つ橋として組み上げたのは……。
日本人でしょ?」
食「もちろん、そうです」
み「手抜き工事で経費を浮かそうなんて発想は……。
誰ひとり持ってなかったんだろうね」
食「ものすごい橋を作るという誇りのもと……。
関わった人全員が、全力で取り組んだでしょうね」
↑建設当時の写真
み「その橋の寿命を縮めたのが……。
老朽化じゃなくて、運行規則の変更だったってのは、皮肉な話だね。
原因となった事故って、どういうものだったのよ?」
食「事故の発生は……。
1986年、昭和61年でした」
み「え、そんな昔だったの?
それじゃ、覚えてないはずだ。
まだ、電車利用してないころだもん」
律「わたしは、まだ生まれてなかったかも」
み「この女はほっといて、話えお進めてちょうだい」
律「なんでよ!」
食「それでは、改めまして……。
語らせていただきます」
時は!」
み「♪元禄15年~」
↓『俵星玄蕃』、ぜひお聞きください。
食「違います。
いきなり腰を折らないでください」
み「力が入りすぎだろ。
講談じゃないんだから」
↑田代まさしではない。田辺一鶴という講談師です(故人)。
食「力を抜いてなんか語れない事故です。
あれは、昭和61年も押し詰まった、12月28日のことでした。
時刻は、13時25分。
日本海からの風速33メートルの突風に煽られ……。
客車の全車両が、橋の真ん中から転落したんです」
み「あの橋、高さってどれくらい?」
食「41.5メートルです」
↑橋梁を渡る列車から撮影。
み「『第2小入川橋梁』より……。
えーと、17メートルも高いわけか」
食「ビルの12階くらいですね」
↑『凌雲閣』こと、浅草十二階。尖塔があるので、高さは52メートルだったそうです。
み「そこから、列車が真っ逆さま?」
食「そうです」
み「大惨事じゃないの」
食「6名の死者が出てます」
み「え?
たった、6名?
何でよ?
何両が落ちたの?」
食「7両でした」
み「それが、ビルの12階の高さから、真っ逆さまに落ちたんでしょ?
福知山線級の事故じゃない」
食「回送列車だったんです」
み「なんだ!
それを早く言えよ」
食「でも、福知山線の事故と、妙な暗合があるんです」
み「どんな?」
食「回送される前の客車列車は、『みやび』と名付けられた臨時列車でした。
買い物ツアー客なんかを載せたお座敷列車だったんですが……。
この列車の始発が……。
福知山駅だったんです」
み「うわ。
ちょっと鳥肌立った」
食「でしょう。
福知山駅を、朝の9時26分に出発し……。
11時49分、鉄橋手前の香住駅で、すべての乗客を降ろします。
その後、橋を渡った浜坂駅に回送するため、香住駅を13時15分に発車しました」
み「で、13時25分、『余部鉄橋』に差し掛かったわけだね」
食「そうです」
み「もし仮に……。
その臨時列車が、乗客を載せたまま『余部鉄橋』を渡ってたら……」
↑余部鉄橋を渡る『みやび』。
律「怖いわね」
み「臨時列車には、何人乗ってたの?」
食「174名です」
み「ひえー。
それで、7両も繋いでたのか。
それが落ちてたら、大変な事故だったね」
食「それだけ乗客が多ければ、落ちなかったかも知れません」
み「何でよ?」
食「回送列車が落ちたのは、空荷で軽かったからだと思います。
実際、落ちたのは客車だけで……。
先頭のディーゼル機関車だけは、橋梁に残りましたから」
↑電化区間を走る『みやび』。デビューから1年も経たない、真新しい車両でした。
み「引っ張られて落ちなかったのかね?
ディーゼル機関車って、そんなに重いの?」
食「『DD51』でしたから」
み「おー、『DD51』か!」
食「ご存じですか?」
み「知らいでか。
オレンジ色の憎いヤツよ」
食「北海道では、ロイヤルブルーに装って……。
トワイライトエクスプレスを引いてますよ」
み「重連だろ」
食「詳しいですね」
み「『DD51』に関しては、ちょーっとばかしうるさいのだ」
律「『DD51』って、何よ?
『D51』の間違いじゃないの?」
み「これだから、素人は……」
み「そもそも、『D51』の“D”って、どういう意味か知ってる?」
律「そのくらい知ってるわよ。
デコイチの“D”でしょ?」
み「アホか!
逆だろ。
『D51』だから、デゴイチなの!
って、あんたさっき、デコイチって言わなかった?」
律「デコイチでしょ?」
み「濁れよ!
デコじゃなくて、デゴ」
律「デコよ」
み「それじゃ、D58はデコッパチか?」
律「そんなこと言ってないでしょ。
デコですよね?」
食「両方使われてます。
現場では、“デコイチ”って呼んでたみたいですよ(参照)」
律「ほらみなさい」
み「くっそー。
その現場は間違っとる。
それじゃ、“D”の意味はわかったの?」
律「知らないわよ」
み「それじゃぁ、教えてつかわそう。
“D”ってのは、動輪の数を表してるわけ」
律「動輪の“D”?」
み「ちぎゃう!
動輪は日本語だろ!
そもそも、動輪ってなんだかわかる?
機関車の脇に付いてるでっかい車輪のことよ。
“A”なら、1つ。
“B”だと、2つ。
“C”は、3つ」
↑『ばんえつ物語号』の『C57』。
み「そして、“D”が4つなの」
↑『D51』。
律「“Z”なら、26ってことね」
み「そんなムカデみたいな機関車があるか!」
↑アメリカには、こんな機関車も。
み「そしたら……。
『DD51』に付く、もう一つの“D”は何でしょう?
数字には関係なくて、単に英単語の頭文字よ。
簡単でしょ?」
律「デンジャラス?」
み「デンジャラスなのは、おまえじゃ!
ディーゼルの“D”だろ!」
食「ほんとに詳しいですね」
み「ちなみに、電気機関車は“Electric”で“E”なのじゃ」
食「いや、驚いたな」
み「思い知ったか。
ハーレクインに聞いたのではないぞ。
最初から知っておったのだ」
律「鼻の穴、膨らませすぎ」
食「話を続けていいですか?」
み「続けたまえ」
食「恐れ入ります。
そんなわけで……。
機関車だけ橋の上に残り……。
客車はすべて転落したわけです」
み「回送列車で軽かったからだったな」
食「一概には言えませんけど……。
そういう可能性もあるということです」
み「でも、逆に……。
回送列車だったら、6人も亡くなったってのが不思議だけど」
律「運転手さんは、ご無事だったんでしょ?
機関車は落ちなかったんだから」
食「はい。
列車に乗ってた方で亡くなられたのは、車掌さんお一人でした」
み「じゃ、あとの5名の人は?」
食「鉄橋の真下にあった、カニ加工場の従業員です。
すべて、地元の主婦の方たちでした」
み「それは……。
切ないなぁ。
でも、どういう経緯で、事故が起きたのよ?
風速、何メートルだっけ?」
食「最大風速は、33メートルだったようです」
み「当時でも、停止しなきゃならん風でしょ?」
食「25メートル以上で、運行停止でした」
み「何で、そういうことになったわけ?」
食「風速25メートルを示す警報は、2回鳴ってました」
↑イメージです。
み「でも、停止しなかった?」
食「当時は、警報が鳴っても……。
列車への停止指示は、司令室の判断で行ってたんです」
み「司令室が、停止指示を出さなかったわけ?」
食「経緯はこうです。
1回目の警報が鳴ったのは、13時10分でした。
臨時列車『みやび』は、まだ終点の香住駅ですね」
↑カニが名物なのがわかります。お客さんは、正月用の海産物を買いに来たんでしょう。
食「司令室は、香住駅に風速を問い合わせました」
み「風速は、香住駅で測ってるわけ?」
食「違います。
鉄橋中央の両側に、自動風速発信器が設置されてました。
この風速計が25メートルを超えると、福知山鉄道管理局の司令室に赤ランプが点灯し……」
↑福知山鉄道管理局庁舎(現・JR西日本福知山ビル)
食「警報が鳴る仕組みです」
み「警報は、鳴ったんでしょ?
何で、香住駅に風速を問い合わせる必要があるのよ?」
食「あ、司令室では警報が鳴るだけで、風速は表示されないんです。
風速が表示されるのは、香住駅なんです」
み「なんか……。
『もう少し頑張りましょう』ってシステムだわね。
で、香住駅の回答はどうだったわけ?」
食「風速は20メートルで、異常なしとの回答でした」
み「警報が鳴ったときだけ……。
瞬間的に、25メートルを超えたってこと?」
食「でしょうね。
問い合わせたときは、すでに風速が落ちてたわけです。
で、回送を待つ『みやび』は、まだ香住駅に止まったままでしたし……。
反対側から来る列車も無かったことから、様子を見ることにしたんです」
み「うーむ。
あながち、頭ごなしには責められない対応だわな」
食「で、そうこうしてるうちに、2回目の警報が鳴りました。
時間は、13時25分です。
回送列車となった『みやび』は、10分前に香住駅を発車し……。
すでに、鉄橋の直前まで来てました。
司令室は、もう停止命令を出しても間に合わないと判断し……。
信号を操作しませんでした」
み「本来は、どういう方法で列車が止めらことになってたわけ?」
食「鉄橋の両端に、『特殊信号発光機』というのが設置されてます」
↑余部鉄橋の画像ではありません。
食「五角形をしていて、5つの赤灯が付いてます。
司令室が、これを遠隔操作します。
すると、信号の赤いランプがぐるぐる回って、危険を知らせるわけです」
み「つまり、鉄橋に進入しようとしてた回送列車に対しては……。
この信号を作動させなかったということ?」
食「そうです。
運転手は、警報信号が点灯してないことを確認し……。
鉄橋に進入しました」
み「間が悪いっちゃ、それまでだけど……」
食「結果は、あまりにも厳しかったわけです。
この経緯を受けて……。
運行停止の判断を司令室が行うというシステムは、廃止されました」
み「機械の警報が鳴ったら、即停止というわけ?」
食「そういうことです。
風速発信器と信号を直結しました。
間に、人の判断が介在しないようにしたんです」
み「あのときも……。
最初の警報で信号が点灯してれば、事故は起きなかったわけだ」
食「そういうことです。
もっとも、あの事故の後は……。
警報が鳴ったら即止めるようにしてたでしょうから……。
事実上、警報即停止で運用されてたんじゃないですか?」
み「自分の判断間違いで、事故が起きたら……。
責任重大だもんね」
食「実際、あの事故で列車を停止させなかった責任を問われ……。
福知山司令室の指令長と指令員3名に、有罪判決が下ってます」
み「ひょえー。
それじゃもう、警報が出ても止めない指令員なんか、いるわけないわな」
食「そういうことです」
律「風って怖いのね。
遅れるくらい、我慢しなくちゃ」
↑雪の新潟駅。
み「人ごとだと思って。
朝の5分、10分は、身を削られるような時間なの」
律「最初から早めに出ればいいじゃない」
み「人のこと言えるのか。
東日本大震災のとき、酔っ払って出勤出来なかったくせに」
律「あれは、もともと非番の日だったでしょ!
み「さいざんすか。
まぁ、ええわ。
しかし……。
風速33メートルって、そんなにスゴい風なのかね?
電車がひっくり返るほどの。
台風のときは、そのくらいの風、普通に吹くよね」
み「でも、電車が飛ばされたなんてニュース、聞かないけど」
律「だから、そういう風のときは、運転停止なんでしょ?」
み「停止してても、飛ばされることに変わりはないんじゃないの?」
律「そんなら、何のために止めるのよ?」
み「乗客を降ろすためじゃないの?」
律「どうして降ろしちゃうのよ。
乗ったままの方が、飛ばされにくいんじゃなかった?」
み「乗客を重しに使うわけ?」
律「だって、『余部鉄橋』の事故も……。
お客さんが乗ってなかったから飛ばされたんでしょ?」
食「実は……。
転覆の原因については、別の意見があるんです。
計算上では……。
風速33メートルの風で、客車が転覆することは有り得ないそうですから」
み「有り得ないって、実際、有り得たわけでしょ」
食「橋の上のレールなんですが……。
風向きとは逆に、海側に向かって曲がってたそうなんです」
↑この画像では、わかりませんね。でも、レールが4本に見えるのはなぜ?
み「どういうこと?」
食「単純に、風圧で転覆したんじゃない可能性があります」
み「さっぱりわからん」
食「フラッター現象って、御存知ですか?」
み「ご存知ない」
食「風や気流のエネルギーを受けて起こる、破壊的な振動のことで……。
航空機の安全性で、よく問題にされます。
翼で起きた振動が増幅されて、最終的に翼の破壊に至る現象です」
み「それが、『余部鉄橋』に起きたっていうわけ?
その、フリッパー現象」
食「フラッター現象です」
み「なぜに?
設計ミス?」
↑絶対設計ミス(中国成都)。
食「いえ。
それはありません。
でも、設計ミスからフラッター現象を起こし……。
橋自体が崩落した、有名な事故があります。
ご存知ですか?」
み「日本で?」
食「アメリカです。
1940年でした。
ワシントン州、タコマ市の湾口に架けられた、『タコマナローズ橋』と云います」
↑マリナーズの本拠地、シアトルの近くです。
食「鉄橋ではなく、道路橋ですね。
全長1,600メートル。
建設当時は世界3位の長さでした」
み「どういう設計ミス?」
食「コストを浮かせるために、橋桁を薄くした軽量設計が採用されたんです」
み「設計は姉歯か?」
食「アメリカ人のモイセイフという人でしたが……。
橋梁設計の第一人者でした。
構造計算を誤魔化したわけではなく……。
当時最新の橋梁理論では、十分、強度は確保されてると判断されてたんです」
み「その理論が間違ってたということ?」
食「ま、そうなりますね。
建設してるときから、揺れたそうです。
それも、尋常な揺れ方じゃない。
たわみ、ねじれるんです。
路面のうねりが、はっきりわかるほどでした」
み「何で中止しなかったかね?」
食「ま、これは世界共通なんでしょうけど……。
一旦走りだした公共事業は、途中で止めるのが難しいってことじゃないですか」
み「そのまま完成させちゃった?」
食「そうです。
でも、揺れ対策として、ダンパーやケーブルが設置されてます」
み「揺れは収まったの?」
食「ダメでした。
竣工後も派手に揺れ続け……。
ロデオになぞらえて、“Galloping Gertie(馬乗りガーティ)”とあだ名されました」
食「なにしろ、運転してて“橋酔い”するほどだったそうです。
橋を使わず、遠回りする人も多かったと云います」
み「で、とうとう落ちた?」
食「開通からわずか4ヶ月後の、1940年11月7日でした。
風速が、19メートルに達した途端……」
み「19メートル?
JRなら、徐行さえしない風速じゃん」
食「上下の振動から、ねじれるような揺れに変わりました」
食「これが、1時間ほど続いた後……。
突如、桁が崩壊し、橋ごと落下したんです」
み「1,600メートルの橋が落ちたら……。
大惨事じゃない」
食「死者は、ゼロでした」
み「何でよ?」
食「見た目、明らかに危ないんで……。
全員、橋の袂に避難済みだったんです」
み「そんなにわかりやすいほど揺れてたの?」
食「この橋の崩落が有名なのは……。
一部始終が、映像に収められてるからです」
み「誰が撮ってたのよ。
戦前でしょ?
映像用カメラを持ち歩いてる人なんて、いないだろうに」
まー、実に感心するほど面白くない小説。
冒頭だけは、強烈だけど」
律「どういう風に?」
み「城崎温泉に行った理由が、冒頭の1行に書いてあるんだけど……。
なんと!
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み「死ぬだろ、普通」
律「それからどうなるの?」
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律「何それ?」
み「それしか覚えてない。
読むのも書くのも、お互いに時間の無駄だろって感じだったね」
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有名な小説家じゃないの」
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なんでそんなとこに区が付くんだ?」
食「合併ですよ。
“区”は、地域自治区のことです」
み「なにそれ?」
食「合併特例のひとつです。
市町村が、その区域内の地域に、市町村長の権限に属する事務を分掌させ……。
地域住民の意見を反映させつつ、これを処理させるため設置する自治・行政組織のことを云います」
み「↑Wikiからコピペしたな」
食「旧町名は、城崎郡香住町です」
み「郡が変わったってこと?」
食「ですね。
日本海に面した地域です。
『余部鉄橋』が架かるのは、山陰本線になります」
み「おー。
山陰本線。
旅情を感じる線名だねぇ」
↑雨の滝山信号場(鳥取市)
み「乗ったこと無いけど。
でも、日本海側が山陰で、反対側が山陽ってのは……。
ちょっと引っかかるよな。
裏日本と表日本みたいで」
食「冬のお天気からいくと、まさに名前そのものですよ」
み「確かになぁ」
食「お日さまは、山の南側を通るわけですから……。
陽のあたる側が“山陽で”、反対側が“山陰”ってのは、理にかなってますよ」
み「山のすぐ裏側は、影になるかも知れないけど……。
日本海側まで影になるわけじゃないだろ」
食「そりゃそうですけど」
み「そもそも、大昔は、表日本と裏日本は、真逆だったんだよ」
律「どうして?
日本列島が裏返しだったの?」
み「そんなわけないでしょ。
日本海側が、中国や朝鮮との交易の窓口だったから」
律「太平洋側は、アメリカなんかの窓口でしょ?」
み「あのね。
大昔って言ったでしょ。
昔の航海術じゃ、太平洋を渡ることなんか出来なかったの」
み「つまり、太平洋側では、『海=地の果て』だったわけ。
その点、日本海は、よその国までも繋がる交通路だった」
み「古代出雲を始め……。
日本海側が、まさに“表日本”として栄えてたんだよ」
↑古代出雲大社の想像図
律「へー」
食「あの。
話題が、あまりにも遼遠になってますけど。
そろそろ、『余部鉄橋』、進めていいですか?」
↑古代出雲大社に似てませんか?
み「おぅ、そうじゃった。
進めたまえ。
そもそも、いつごろ出来た橋なんだ?」
食「1912年、明治45年ですね」
み「てことは、ほぼ100年?」
食「運用期間、98年でした」
み「惜しい。
もう2年、待てなかったものかね?」
食「98年間も保ったこと自体、奇跡に近いんじゃないですか。
日本海が真ん前にあるんですよ」
食「冬場、鉄橋には、容赦なく潮風が吹き付けます」
み「そうか。
鉄は錆びるんだよね」
↑余部鉄橋の橋梁です。
み「何か秘密があるの?」
食「秘密なんかありません。
保守、保守、また保守です。
人間が手をかけ続けて、そこまで保たせたんです。
保守を怠ってたら、いったい何年保ったか。
なにしろ、完成からたった3年で、塗装を直さなきゃならなかったくらいなんですよ。
5年目からは、腐食した部品の交換が始まりました」
食「その5年目からは、橋守(はしもり)が置かれたんです」
み「橋守って……。
また、古典的な呼び名だね。
『余部鉄橋』専属なわけ?」
食「そうです。
橋の下の作業小屋に詰めて、保守作業にあたったんです」
み「そういう人たちのお陰で……。
海っぱたの鉄橋が、98年も保ったわけか。
それだけ、大事な橋だったんだね」
食「この『余部鉄橋』が出来るまでは……。
舞鶴から境までは、鉄道連絡船が繋いでたんです」
【阪鶴丸】舞鶴・夕方4時発 → 境・午前8時着
【第二阪鶴丸】境・昼2時半発 → 舞鶴・午前8時着
↑上りと下りで、1時間半も違います。対馬海流を考えれば、もっと違うってことじゃないのか? なぜじゃ?
食「京都を出て、出雲に着くまで、24時間19分もかかってました。
それが、『余部鉄橋』のおかげで、12時間49分に短縮されたんです」
み「丸一昼夜が、半日になったってわけか」
食「そうです」
み「でも、いくら保守をしても……。
100年の記念日を迎えさせられないほど……。
老朽化が進んだってこと?」
食「ま、保守が追いつかなくなってきたというのは、間違いないでしょうけど。
例の橋守も、昭和38年までで廃止されましたし」
み「何で廃止するわけ?
経年劣化を考えれば……。
むしろ、増員が必要でしょ」
食「いや。
保守自体は、もちろん行われてます。
『余部鉄橋』の専属じゃなくなっただけで。
保線区に引き継がれてますね」
み「ふーん。
引き継がれたってことは……。
橋守の人って、国鉄の職員じゃなかったの?」
食「いえ。
職員ですよ。
最初は、建設時の塗装を請け負った日本ペイントの社員が、鉄道院に採用となり……。
食「橋守を勤めたそうです」
み「鉄道院?
鉄道省じゃないの?」
食「鉄道省は、1920年、大正6年からです。
その前身が、鉄道院になります」
↑ウォルサム製の公式時計(1912年)
み「なるほど。
『第2小入川橋梁』のころは、すでに鉄道省になってたわけか」
食「そうです。
で、橋守に話を戻しますが……。
昭和38年まで、代々6人の方が、橋守として錆と戦い続けたんですよ」
↑歴代の橋守
み「なんで廃止しちゃったかねー。
なんか納得出来ないけど」
食「やっぱり、ひとつの橋に専属ってのは……。
予算とかの査定が厳しくなると、難しくなったんじゃないですか」
み「また金の話か」
食「時代に合わなくなったってことでしょうね。
あと、橋の掛け替えが急がれたのには……。
実は、老朽化以上に大きな理由があるんです」
み「なんじゃい」
食「昭和61年に、列車の転落事故がありましてね」
食「ご存知ですか?」
み「おー。
事故の報道自体は、覚えてないけどね。
でも、事故の影響は、今、身に沁みて味わってる」
律「どういうこと?」
み「あの事故のお陰で……。
新潟でも、冬のダイヤが当てにならなくなったの」
↑雪の新潟駅
律「何で新潟のダイヤに影響するのよ?」
み「列車の運行基準が変わったんだよ。
今は、風速20メートル以上で、徐行運転になるからね。
徐行って、何キロなの?」
食「時速25キロです」
み「それじゃ、ダイヤが乱れるわけだ。
さらに、風速25メートルになると……。
運転見合わせだよ」
↑風速46メートル。さすがにこれはヤバい。
食「『余部鉄橋』では、さらに厳しく……。
風速20メートルで、運行停止になりました。
これによって、冬場の定時性が、著しく低下することとなりました。
はっきり言って……。
通勤通学の足としては、まったく当てにならなくなったんです。
年間300本以上の列車が運休になりましたから」
み「しかし、何でこう一律に止めてしまうのかね?
すべての路線で、同じ規則にするのは間違っとる。
止めるかどうかは、人が判断すればいいだろ」
食「責任重大ですよ」
み「それが職責というもんだろ。
数字だけで運用するなら……。
人間なんかいらんわい。
みんな機械にしてしまえばいい」
律「また、極論言うんだから」
食「一律に止めるようになったのは、事故原因と大いに関係してるんですが……。
それは、おいおい語らせていただきます」
み「大きく出たな。
そう言えば、以前……。
メジャーリーガーに、カタラナートという選手がいたな」
律「メジャーリーグなんて、見てるの?」
み「見てないわい。
ニュースのスポーツコーナーで聞いたの。
確か、イチローと首位打者を争ってたんだよ。
それで、朝のニュースでも、名前が出てきたんだと思う。
誰かが、ダジャレを言ってたし」
律「どんな?」
み「どんなって、何の捻りもなく、そのままだよ。
『カタラナートについて、語らなーといけません』とか」
律「……」
み「絶句するでしょ。
誰が言ったんだったかな?
ジョー小泉か?」
食「ジョー小泉は、ボクシングでしょ」
み「でも、テレビであんなダジャレ言うヤツ……。
ジョー小泉くらいしか考えられないけどね」
食「話を、戻しますね」
み「おぉ。
カタラナートいけませんか?」
食「ぜひ、語らせてください」
み「どこまで語った?」
食「日常的な足として、鉄道を利用してる人にとって……。
『余部鉄橋』の架け替えは、まさに悲願だったというところからです」
み「なるほど。
あと2年で100年なのになんて言ってるのは……。
毎日利用してない人間の発想ってことだね。
逆に云えば、98年もよく保ったよ」
食「建設当時の部材の精度が非常に高く……。
最後まで、狂いが生じなかったそうです」
み「おー、スゴいじゃないか。
明治の日本」
食「残念ながら……。
部材はアメリカ製です」
み「ありゃ、そう。
でもそれを、98年も保つ橋として組み上げたのは……。
日本人でしょ?」
食「もちろん、そうです」
み「手抜き工事で経費を浮かそうなんて発想は……。
誰ひとり持ってなかったんだろうね」
食「ものすごい橋を作るという誇りのもと……。
関わった人全員が、全力で取り組んだでしょうね」
↑建設当時の写真
み「その橋の寿命を縮めたのが……。
老朽化じゃなくて、運行規則の変更だったってのは、皮肉な話だね。
原因となった事故って、どういうものだったのよ?」
食「事故の発生は……。
1986年、昭和61年でした」
み「え、そんな昔だったの?
それじゃ、覚えてないはずだ。
まだ、電車利用してないころだもん」
律「わたしは、まだ生まれてなかったかも」
み「この女はほっといて、話えお進めてちょうだい」
律「なんでよ!」
食「それでは、改めまして……。
語らせていただきます」
時は!」
み「♪元禄15年~」
↓『俵星玄蕃』、ぜひお聞きください。
食「違います。
いきなり腰を折らないでください」
み「力が入りすぎだろ。
講談じゃないんだから」
↑田代まさしではない。田辺一鶴という講談師です(故人)。
食「力を抜いてなんか語れない事故です。
あれは、昭和61年も押し詰まった、12月28日のことでした。
時刻は、13時25分。
日本海からの風速33メートルの突風に煽られ……。
客車の全車両が、橋の真ん中から転落したんです」
み「あの橋、高さってどれくらい?」
食「41.5メートルです」
↑橋梁を渡る列車から撮影。
み「『第2小入川橋梁』より……。
えーと、17メートルも高いわけか」
食「ビルの12階くらいですね」
↑『凌雲閣』こと、浅草十二階。尖塔があるので、高さは52メートルだったそうです。
み「そこから、列車が真っ逆さま?」
食「そうです」
み「大惨事じゃないの」
食「6名の死者が出てます」
み「え?
たった、6名?
何でよ?
何両が落ちたの?」
食「7両でした」
み「それが、ビルの12階の高さから、真っ逆さまに落ちたんでしょ?
福知山線級の事故じゃない」
食「回送列車だったんです」
み「なんだ!
それを早く言えよ」
食「でも、福知山線の事故と、妙な暗合があるんです」
み「どんな?」
食「回送される前の客車列車は、『みやび』と名付けられた臨時列車でした。
買い物ツアー客なんかを載せたお座敷列車だったんですが……。
この列車の始発が……。
福知山駅だったんです」
み「うわ。
ちょっと鳥肌立った」
食「でしょう。
福知山駅を、朝の9時26分に出発し……。
11時49分、鉄橋手前の香住駅で、すべての乗客を降ろします。
その後、橋を渡った浜坂駅に回送するため、香住駅を13時15分に発車しました」
み「で、13時25分、『余部鉄橋』に差し掛かったわけだね」
食「そうです」
み「もし仮に……。
その臨時列車が、乗客を載せたまま『余部鉄橋』を渡ってたら……」
↑余部鉄橋を渡る『みやび』。
律「怖いわね」
み「臨時列車には、何人乗ってたの?」
食「174名です」
み「ひえー。
それで、7両も繋いでたのか。
それが落ちてたら、大変な事故だったね」
食「それだけ乗客が多ければ、落ちなかったかも知れません」
み「何でよ?」
食「回送列車が落ちたのは、空荷で軽かったからだと思います。
実際、落ちたのは客車だけで……。
先頭のディーゼル機関車だけは、橋梁に残りましたから」
↑電化区間を走る『みやび』。デビューから1年も経たない、真新しい車両でした。
み「引っ張られて落ちなかったのかね?
ディーゼル機関車って、そんなに重いの?」
食「『DD51』でしたから」
み「おー、『DD51』か!」
食「ご存じですか?」
み「知らいでか。
オレンジ色の憎いヤツよ」
食「北海道では、ロイヤルブルーに装って……。
トワイライトエクスプレスを引いてますよ」
み「重連だろ」
食「詳しいですね」
み「『DD51』に関しては、ちょーっとばかしうるさいのだ」
律「『DD51』って、何よ?
『D51』の間違いじゃないの?」
み「これだから、素人は……」
み「そもそも、『D51』の“D”って、どういう意味か知ってる?」
律「そのくらい知ってるわよ。
デコイチの“D”でしょ?」
み「アホか!
逆だろ。
『D51』だから、デゴイチなの!
って、あんたさっき、デコイチって言わなかった?」
律「デコイチでしょ?」
み「濁れよ!
デコじゃなくて、デゴ」
律「デコよ」
み「それじゃ、D58はデコッパチか?」
律「そんなこと言ってないでしょ。
デコですよね?」
食「両方使われてます。
現場では、“デコイチ”って呼んでたみたいですよ(参照)」
律「ほらみなさい」
み「くっそー。
その現場は間違っとる。
それじゃ、“D”の意味はわかったの?」
律「知らないわよ」
み「それじゃぁ、教えてつかわそう。
“D”ってのは、動輪の数を表してるわけ」
律「動輪の“D”?」
み「ちぎゃう!
動輪は日本語だろ!
そもそも、動輪ってなんだかわかる?
機関車の脇に付いてるでっかい車輪のことよ。
“A”なら、1つ。
“B”だと、2つ。
“C”は、3つ」
↑『ばんえつ物語号』の『C57』。
み「そして、“D”が4つなの」
↑『D51』。
律「“Z”なら、26ってことね」
み「そんなムカデみたいな機関車があるか!」
↑アメリカには、こんな機関車も。
み「そしたら……。
『DD51』に付く、もう一つの“D”は何でしょう?
数字には関係なくて、単に英単語の頭文字よ。
簡単でしょ?」
律「デンジャラス?」
み「デンジャラスなのは、おまえじゃ!
ディーゼルの“D”だろ!」
食「ほんとに詳しいですね」
み「ちなみに、電気機関車は“Electric”で“E”なのじゃ」
食「いや、驚いたな」
み「思い知ったか。
ハーレクインに聞いたのではないぞ。
最初から知っておったのだ」
律「鼻の穴、膨らませすぎ」
食「話を続けていいですか?」
み「続けたまえ」
食「恐れ入ります。
そんなわけで……。
機関車だけ橋の上に残り……。
客車はすべて転落したわけです」
み「回送列車で軽かったからだったな」
食「一概には言えませんけど……。
そういう可能性もあるということです」
み「でも、逆に……。
回送列車だったら、6人も亡くなったってのが不思議だけど」
律「運転手さんは、ご無事だったんでしょ?
機関車は落ちなかったんだから」
食「はい。
列車に乗ってた方で亡くなられたのは、車掌さんお一人でした」
み「じゃ、あとの5名の人は?」
食「鉄橋の真下にあった、カニ加工場の従業員です。
すべて、地元の主婦の方たちでした」
み「それは……。
切ないなぁ。
でも、どういう経緯で、事故が起きたのよ?
風速、何メートルだっけ?」
食「最大風速は、33メートルだったようです」
み「当時でも、停止しなきゃならん風でしょ?」
食「25メートル以上で、運行停止でした」
み「何で、そういうことになったわけ?」
食「風速25メートルを示す警報は、2回鳴ってました」
↑イメージです。
み「でも、停止しなかった?」
食「当時は、警報が鳴っても……。
列車への停止指示は、司令室の判断で行ってたんです」
み「司令室が、停止指示を出さなかったわけ?」
食「経緯はこうです。
1回目の警報が鳴ったのは、13時10分でした。
臨時列車『みやび』は、まだ終点の香住駅ですね」
↑カニが名物なのがわかります。お客さんは、正月用の海産物を買いに来たんでしょう。
食「司令室は、香住駅に風速を問い合わせました」
み「風速は、香住駅で測ってるわけ?」
食「違います。
鉄橋中央の両側に、自動風速発信器が設置されてました。
この風速計が25メートルを超えると、福知山鉄道管理局の司令室に赤ランプが点灯し……」
↑福知山鉄道管理局庁舎(現・JR西日本福知山ビル)
食「警報が鳴る仕組みです」
み「警報は、鳴ったんでしょ?
何で、香住駅に風速を問い合わせる必要があるのよ?」
食「あ、司令室では警報が鳴るだけで、風速は表示されないんです。
風速が表示されるのは、香住駅なんです」
み「なんか……。
『もう少し頑張りましょう』ってシステムだわね。
で、香住駅の回答はどうだったわけ?」
食「風速は20メートルで、異常なしとの回答でした」
み「警報が鳴ったときだけ……。
瞬間的に、25メートルを超えたってこと?」
食「でしょうね。
問い合わせたときは、すでに風速が落ちてたわけです。
で、回送を待つ『みやび』は、まだ香住駅に止まったままでしたし……。
反対側から来る列車も無かったことから、様子を見ることにしたんです」
み「うーむ。
あながち、頭ごなしには責められない対応だわな」
食「で、そうこうしてるうちに、2回目の警報が鳴りました。
時間は、13時25分です。
回送列車となった『みやび』は、10分前に香住駅を発車し……。
すでに、鉄橋の直前まで来てました。
司令室は、もう停止命令を出しても間に合わないと判断し……。
信号を操作しませんでした」
み「本来は、どういう方法で列車が止めらことになってたわけ?」
食「鉄橋の両端に、『特殊信号発光機』というのが設置されてます」
↑余部鉄橋の画像ではありません。
食「五角形をしていて、5つの赤灯が付いてます。
司令室が、これを遠隔操作します。
すると、信号の赤いランプがぐるぐる回って、危険を知らせるわけです」
み「つまり、鉄橋に進入しようとしてた回送列車に対しては……。
この信号を作動させなかったということ?」
食「そうです。
運転手は、警報信号が点灯してないことを確認し……。
鉄橋に進入しました」
み「間が悪いっちゃ、それまでだけど……」
食「結果は、あまりにも厳しかったわけです。
この経緯を受けて……。
運行停止の判断を司令室が行うというシステムは、廃止されました」
み「機械の警報が鳴ったら、即停止というわけ?」
食「そういうことです。
風速発信器と信号を直結しました。
間に、人の判断が介在しないようにしたんです」
み「あのときも……。
最初の警報で信号が点灯してれば、事故は起きなかったわけだ」
食「そういうことです。
もっとも、あの事故の後は……。
警報が鳴ったら即止めるようにしてたでしょうから……。
事実上、警報即停止で運用されてたんじゃないですか?」
み「自分の判断間違いで、事故が起きたら……。
責任重大だもんね」
食「実際、あの事故で列車を停止させなかった責任を問われ……。
福知山司令室の指令長と指令員3名に、有罪判決が下ってます」
み「ひょえー。
それじゃもう、警報が出ても止めない指令員なんか、いるわけないわな」
食「そういうことです」
律「風って怖いのね。
遅れるくらい、我慢しなくちゃ」
↑雪の新潟駅。
み「人ごとだと思って。
朝の5分、10分は、身を削られるような時間なの」
律「最初から早めに出ればいいじゃない」
み「人のこと言えるのか。
東日本大震災のとき、酔っ払って出勤出来なかったくせに」
律「あれは、もともと非番の日だったでしょ!
み「さいざんすか。
まぁ、ええわ。
しかし……。
風速33メートルって、そんなにスゴい風なのかね?
電車がひっくり返るほどの。
台風のときは、そのくらいの風、普通に吹くよね」
み「でも、電車が飛ばされたなんてニュース、聞かないけど」
律「だから、そういう風のときは、運転停止なんでしょ?」
み「停止してても、飛ばされることに変わりはないんじゃないの?」
律「そんなら、何のために止めるのよ?」
み「乗客を降ろすためじゃないの?」
律「どうして降ろしちゃうのよ。
乗ったままの方が、飛ばされにくいんじゃなかった?」
み「乗客を重しに使うわけ?」
律「だって、『余部鉄橋』の事故も……。
お客さんが乗ってなかったから飛ばされたんでしょ?」
食「実は……。
転覆の原因については、別の意見があるんです。
計算上では……。
風速33メートルの風で、客車が転覆することは有り得ないそうですから」
み「有り得ないって、実際、有り得たわけでしょ」
食「橋の上のレールなんですが……。
風向きとは逆に、海側に向かって曲がってたそうなんです」
↑この画像では、わかりませんね。でも、レールが4本に見えるのはなぜ?
み「どういうこと?」
食「単純に、風圧で転覆したんじゃない可能性があります」
み「さっぱりわからん」
食「フラッター現象って、御存知ですか?」
み「ご存知ない」
食「風や気流のエネルギーを受けて起こる、破壊的な振動のことで……。
航空機の安全性で、よく問題にされます。
翼で起きた振動が増幅されて、最終的に翼の破壊に至る現象です」
み「それが、『余部鉄橋』に起きたっていうわけ?
その、フリッパー現象」
食「フラッター現象です」
み「なぜに?
設計ミス?」
↑絶対設計ミス(中国成都)。
食「いえ。
それはありません。
でも、設計ミスからフラッター現象を起こし……。
橋自体が崩落した、有名な事故があります。
ご存知ですか?」
み「日本で?」
食「アメリカです。
1940年でした。
ワシントン州、タコマ市の湾口に架けられた、『タコマナローズ橋』と云います」
↑マリナーズの本拠地、シアトルの近くです。
食「鉄橋ではなく、道路橋ですね。
全長1,600メートル。
建設当時は世界3位の長さでした」
み「どういう設計ミス?」
食「コストを浮かせるために、橋桁を薄くした軽量設計が採用されたんです」
み「設計は姉歯か?」
食「アメリカ人のモイセイフという人でしたが……。
橋梁設計の第一人者でした。
構造計算を誤魔化したわけではなく……。
当時最新の橋梁理論では、十分、強度は確保されてると判断されてたんです」
み「その理論が間違ってたということ?」
食「ま、そうなりますね。
建設してるときから、揺れたそうです。
それも、尋常な揺れ方じゃない。
たわみ、ねじれるんです。
路面のうねりが、はっきりわかるほどでした」
み「何で中止しなかったかね?」
食「ま、これは世界共通なんでしょうけど……。
一旦走りだした公共事業は、途中で止めるのが難しいってことじゃないですか」
み「そのまま完成させちゃった?」
食「そうです。
でも、揺れ対策として、ダンパーやケーブルが設置されてます」
み「揺れは収まったの?」
食「ダメでした。
竣工後も派手に揺れ続け……。
ロデオになぞらえて、“Galloping Gertie(馬乗りガーティ)”とあだ名されました」
食「なにしろ、運転してて“橋酔い”するほどだったそうです。
橋を使わず、遠回りする人も多かったと云います」
み「で、とうとう落ちた?」
食「開通からわずか4ヶ月後の、1940年11月7日でした。
風速が、19メートルに達した途端……」
み「19メートル?
JRなら、徐行さえしない風速じゃん」
食「上下の振動から、ねじれるような揺れに変わりました」
食「これが、1時間ほど続いた後……。
突如、桁が崩壊し、橋ごと落下したんです」
み「1,600メートルの橋が落ちたら……。
大惨事じゃない」
食「死者は、ゼロでした」
み「何でよ?」
食「見た目、明らかに危ないんで……。
全員、橋の袂に避難済みだったんです」
み「そんなにわかりやすいほど揺れてたの?」
食「この橋の崩落が有名なのは……。
一部始終が、映像に収められてるからです」
み「誰が撮ってたのよ。
戦前でしょ?
映像用カメラを持ち歩いてる人なんて、いないだろうに」