2012.12.29(土)
刑「結構です。
で、船室まで、持っていったわけですな?」
孃「だいぶ具合が悪そうなお声でしたし……」
孃「浴衣に着替えた後なので……」
孃「出来れば持ってきてもらえないかとおっしゃられて」
刑「なるほど。
で、部屋まで持っていった」
↑これは、佐渡汽船の特等室。船室ドアの画像って、無いものですね。
孃「はい」
刑「ところが……。
せっかく部屋まで持っていったのに……。
今度は断ったんですよね」
孃「どうやら大丈夫そうだと」
孃「お酒を飲んでるので……。
酔い止めを飲み合わせると、翌朝辛いかも知れないと言われまして」
刑「で、持ち帰った?」
孃「はい」
部「やっぱり、完璧じゃありませんか。
鉄壁のアリバイですよ」
↑鉄壁の守り
刑「待ちたまえ」
部「まだですか?
出港しちゃいますよ」
刑「その男……。
実際に、浴衣に着替えてましたか?」
孃「さぁ」
刑「さぁ?
戸口で話したんじゃないですか?」
孃「お話は、ドア越しでした」
刑「ということは……。
顔は見てない?」
孃「はい」
刑「すなわち……。
その男の姿を見たのは、出港前だけで……。
フェリーが出てからは、電話とドア越しの声だけということですかね?」
孃「そうなります」
刑「ほら、みたまえ。
これのどこが鉄壁なんだ?」
部「だって、電話は部屋からだし……。
ドア越しにも、声を聞いたわけでしょ?
それなら、その船室にいたということじゃないですか?」
刑「人がいなくても、声だけなら出せるだろ」
部「どうやってです?」
刑「例えば、録音機とか」
部「じゃ、その部屋には……。
録音機を操作する共犯者がいたということですか?」
刑「そうなるね」
部「でも、録音した声で、会話まで出来るかな?」
部「予想外のことを聞かれたりしたら、万事休すですよ」
刑「どうでした?
話が噛み合わなかったり……」
刑「向こうだけが一方的にしゃべったりしませんでしたか?」
孃「いいえ。
変な感じはしませんでした」
部「あ、そうだ!
ヘリウムガスだ」
部「あれを吸うと、声が変わるんですよ。
パーティグッズなんかで売ってます」
部「あの声なら、誰だか区別つきませんよ。
その男、異様に高い声じゃありませんでした?」
孃「いいえ」
刑「バカかね、キミは。
フロントにそんな声の男が現れたら、思い切り怪しいだろ」
部「じゃ、どうやったんですか?」
刑「キミが考えたまえ」
部「そんなこと言われたって……。
やっぱり、本人がいたんじゃありませんか?
あ、電話だ」
部「ちょっと失礼します。
もしもし、ボクですが……。
あぁっ!
こっ、これだぁぁぁぁぁぁぁ」
刑「何ごとかね?
大声を出して」
部「わかりましたよ。
会話のトックリ……」
部「じゃなくて、トリックが!
これを使ったんです」
刑「そんなもので、どうすると云うんだ?」
部「長さんもいい加減、スマホにしましょうよ。
今どき携帯なんて、電車の中で出すのも恥ずかしいですよ」
刑「長さんは止めなさいと言ってるだろ。
それより、電話はいいのかね?」
部「あんまりびっくりして、切っちゃいました。
そんなことより、トリックを聞いてくださいよ」
刑「1,000円くれたら、聞いてやる」
部「何でですか!
とにかく、喋らせてもらいます。
ドア越しに、この人と話してたのは、スマホだったんです」
刑「スマホからの声が、ドア越しに届くのかい?」
部「相変わらず、機械に疎いんだから。
ハンズフリーで、通話が出来るキットがあるんですよ」
刑「あぁ。
車の中で電話する?」
部「もちろん、そういう使い方も出来ます。
でも、家から電話するときでも、スマホを耳に当てなくてもいいから……。
ながら通話が出来て、便利なんですよ」
刑「“ながら通話”とは、何かね?」
部「何かをしながら、通話が出来るということです」
↑顔の産毛を抜かれながら通話。ハンズフリーではありませんが。
刑「相手に失礼じゃないか。
昔は、電話機を耳に当てながら、最敬礼したりしたものだ」
部「電話機を耳に当てるんですか?」
刑「当たり前だろ」
部「耳に当てるのは、受話器だと思いますが」
↑鳴門の焼肉屋『じゅわっち』
刑「揚げ足を取るんじゃないよ」
刑「さっさと説明したまえ」
部「まだ説明が必要ですか?
ハンズフリーキットというのは……。
早い話、マイクとスピーカーのセットです」
部「つまり、ドア越しの声でも……」
↑この画像の意味を知りたい方は、こちらへ。
部「マイクが拾ってくれますから、十分聞こえます。
スマホから出る声も、スピーカーが拡声してくれますから……。
ドア越しの人にも聞こえるんです」
刑「ほー。
つまり、共犯者が……。
ドア越しに、スマホに繋いだハンズフリーセットを持ってたと言うんだね」
↑これもハンズフリーキット。手探りでボタンを押すんでしょうか?
部「その通りです。
もちろん、フロントに架けた電話も、このやり方です」
刑「スマホを通して、船室の電話からフロントと話した」
部「そうです。
スマホの向こうの犯人は、新潟の陸の上にいたはずです」
刑「新潟にはどうやって降りた?
新潟から乗って、新潟で降りたチケットの半券は無かったんだろ?」
部「共犯者が、敦賀から乗ってたんです」
部「共犯者は、敦賀・新潟間のチケットを持ってます。
犯人は……。
新潟・秋田間のチケットを持ち、新潟から乗りこむ」
部「で、フロントでこの人に顔を印象づけた後……」
部「共犯者とチケットを交換する。
犯人は、敦賀からのチケットで、何くわぬ顔で新潟港に降り立ったんです」
部「共犯者は、新潟からのチケットを持ち、予約した船室に入る」
部「船が出港した後……。
共犯者は、フロントに電話を架けた。
しかし、この人としゃべてったのは……」
刑「ハンズフリーに繋いだスマホということだね」
部「スマホの向こうの犯人は、新潟の陸の上です。
さらに、ご丁寧にも……。
その電話で、この人をドアの向こうまで呼んだ」
刑「なるほど。
アリバイは崩れたね」
部「すぐにしょっ引きましょう」
刑「まだ証拠が無い」
部「通話記録を押さえればいいですよ」
刑「あの犯人が、そんな証拠を残すかね。
普段使ってるスマホから架けたとは思えないけどね」
部「自信過剰のヤツほど、相手を舐めてミスをします」
部「当たってみる価値は、十分ありますよ。
早く行きましょう」
刑「ところで、キミ。
さっきの電話、折り返さなくていいのかね?」
部「したくありません」
刑「どうして?」
部「ビキニ刑事からでした」
刑「また架かってくるぞ。
電源を切りたまえ。
待てよ……」
部「どうしたんです?」
刑「ここは、船の上だね」
部「当たり前じゃないですか」
刑「今は、港にいるから、電話が通じたわけだ」
部「港にいるからって、どういうことです?」
刑「出港して沖に出たら、通じないんじゃないのか?」
部「まさか、そんな。
根本から覆すようなこと、言わないでくださいよ」
部「すみません。
航行中、スマホは繋がりますか?」
孃「航路によります」
部「航路とは?」
孃「例えば、敦賀から苫小牧の直行便では……」
孃「ほとんど繋がりません。
沖合を航行するからです。
でも、あの便は、新潟、秋田に寄港しますので……」
孃「港の前後では、繋がります」
刑「繋がるのは、新潟を出てから、どのくらいです?」
孃「1時間くらいでしょうか」
刑「あの日、船室に薬を持ってったのは……」
刑「新潟を出てから、どのくらい後でしたか?」
孃「30分くらいだったと思います」
部「よっしゃー!」
部「決まりいぃ」
刑「おそらくあいつは……。
そういうこともまで調べてたんだろうね」
部「で、電話でのアリバイ工作を終えると……。
車を飛ばして、秋田へ向かった。
高速の監視カメラに写ってませんかね?」
刑「高速は通じてないよ」
部「あ、そうか」
刑「下道を、慎重に運転しても……。
時間は十分にある」
↑国道7号(山形県酒田市付近)
部「秋田に着いて、犯行に及んだわけですね」
刑「その後、フェリー乗り場に向かい……」
刑「何食わぬ顔で、下船客に紛れた。
あとは、わたしに話した通りだろう」
部「何を話したんです?」
刑「得々と語ってくれたよ。
フェリー乗り場近くからバスで行ける、健康ランドのことを」
部「そっちは、実際に行ってたわけですね」
刑「あの口調なら、間違いないね。
裏を取るだけ、無駄足だよ」
部「でも、トリックがわかったんだから、こっちのものです。
すぐにしょっ引きましょう」
刑「証拠は、何ひとつないぞ。
あ、そうだ。
あの日の半券ですが……。
敦賀から乗って、新潟で降りたチケットは残ってますか?」
孃「はい」
刑「そのチケットに、あいつの指紋が残ってれば決定的だけどね」
部「可能性は……」
刑「大いに低いがね」
部「でも、共犯者の指紋は残ってるかも知れませんよ。
まだ、手袋をするには早い時期ですから」
刑「そうだな。
待てよ。
犯人から受け取った新潟乗船のチケットに……。
共犯者が、うっかり指紋を付けて無いとも限らない」
部「そっちには、犯人の指紋は残ってていいわけですよね」
刑「むしろ、積極的に付けただろうね」
刑「自分の指紋の付いたチケットが、秋田港で見つかれば……。
アリバイの裏付けになるからね」
部「じゃ、そっちのチケットは、すぐに特定できますね。
犯人の指紋が付いてるチケットを探せばいいんだから」
刑「そして、そのチケットに、乗務員以外の指紋が付いてたら……」
部「それが、共犯者の指紋である可能性が高い」
刑「もし、敦賀から乗って新潟で下船したチケットに……。
同じ指紋が付いてたら?」
部「それが、共犯者の使ったチケットということですね」
刑「そうなれば、面白いことになる。
すなわち、『敦賀→新潟』間のチケットと『新潟→秋田』間のチケットに……。
同じ人物の指紋が付いてる、ということだからね」
部「共犯者を特定できれば、自供に追いこめますよ」
刑「よし、行くぞ」
と、2人の刑事は、船側のタラップを駆け下りて行ったのであった。
おしまい。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
律「ちょっと。
“おしまい”って何よ。
まだ、犯人逮捕に至ってないでしょ」
↑日光江戸村です
み「アリバイの謎が解けたら……。
あとは、エンディングまで一直線だよ」
律「早い話、何も考えて無いわけね」
み「そもそも、どういう事件だったかも考えてない」
律「どこからこういう話になったの?」
食「フェリーを、アリバイに使えるかってことからですよ」
み「新潟から秋田に行くのに……。
どの交通機関を使うと早いかってことだったんじゃない?」
食「しかしながら、高速道路も通じてないし……。
もちろん、航空路もない」
み「JR以外で路線があるのは……。
フェリーだけ」
食「でも、フェリーは電車より遅いんだから問題外、ってことになったんですよ」
み「だけど逆に、そのフェリーに乗ってたというアリバイさえ作れれば……。
犯行には十分な時間が手に入るわけだ」
み「天才だなぁ」
律「その部分だけしか考えてないじゃない」
み「あのトリックが、このドラマの肝じゃないの。
スマホのハンズフリーキットを使った電話のトリックなんて、これまであった?」
律「さぁ。
あったんじゃないの?」
み「なんでよ!」
律「あんたが考えることくらい、誰か考えてるわよ」
み「そんなことは、にゃー」
み「スマホが急速に普及して、どんどん活用グッズが開発されたからこそ……。
高性能なハンズフリーキットなんてのが、売られるようになったのです」
み「つまり、アリバイに使えるみたいな機器が出回ったのは、最近のことなのです。
だから、まだドラマで取り上げられてない可能性もある」
律「小説であるかもよ?」
み「たしかにね。
でも、小説で、そういう最新機器を扱うのは、危険が大きい」
律「なんで?」
み「今は最新でも、数年経てばもっと画期的なシステムが出来てるかも知れないでしょ」
↑画期的!『ハンズフリー傘』
食「つまり、数年後には……。
その最新機器を描いた部分は、陳腐化してしまうということですね」
↑コンピューターが吐き出した紙テープを読むシーン。お茶の水博士もやってます。
み「左様じゃ。
しかもそれを、アリバイ作りなんていう話の肝に据えてあった日には……」
↑熊の胆。干からびたおたまじゃくしみたいですね。
み「後で、そこだけ書き換えるわけにもいかなくなる。
陳腐化した時点で、もう再販は無しだね」
律「あんたの話じゃ、初版も無しでしょ」
↑太宰治の初版本(復刻)
み「あちゃー。
こりゃ1本取られましたな」
律「呆れた話」
み「さて、諸君。
旅を続けようではないか。
今、どこだに?」
食「八森の手前です」
み「ウソこけ!
『日本海航路殺人事件』を始める前と一緒じゃないか。
あれから、ぜんぜん進んでないわけないだろ。
今ごろ、青森に着いてたっておかしくないわい」
食「旅行記ですので。
すっ飛ばすわけにはいかないです」
み「そういう都合で時間をねじ曲げて、いいと思ってるのか」
食「それが、フィクションの良かところじゃごわせんか」
み「何で熊本弁になるんだ?」
食「鹿児島弁です」
↑こんなに貧相な裸でいいのか?
食「作者に成り代わり、空気を改めようとしてるんです」
食「ほら、もうすぐ八森駅を通過しますよ」
み「通過なの?」
食「はい、通過しました」
食「横光利一の小説(『頭ならびに腹』)冒頭に……」
食「“沿線の小駅は石のやうに黙殺された”という有名なフレーズがありますね」
み「小駅でもなかったぞ」
律「けっこう立派だったわよね」
み「大きな駅なのに、何で停まらないわけ?」
食「前にもあったでしょ。
沢目駅」
み「何だっけ?」
食「商工会館が同居してた駅です」
「あぁ。
あの手の駅なわけね。
ここは、何が同居してるの?」
食「商工会議所です」
食「遠目に見ると、立派な駅ですが……。
実際には、無人駅なんです」
食「でも、いつか縁があったら、下りてみてください。
階段が面白いんです」
み「怪談が面白くてどうする。
怖いもんだろ」
食「怖くありませんよ」
み「せっかくボケたんだから、ツッこめよ」
食「あえてスルーします」
食「また脇道に逸れますから。
進めますよ。
列車の通ったホームからは、駅舎が下に見えたでしょ?
従って、駅からホームまで、長い階段があるんです」
み「それのどこが面白いんだ?」
食「木製なんです」
食「さらに冬場は……。
強風を避けるために、木造の囲いがされるんですよ。
けっこうシュールな階段です」
食「筒井康隆の小説に出てきそうな。
ほら、どこまでも畳の間が続く小説があったでしょ(『遠い座敷』)」
↑石見銀山にある熊谷家住宅(国の重要文化財)
み「あったあった。
次々と襖を開けて、進んでいくんだよね。
和風のああいうシュールな話って、記憶に残るよな。
ほら、半村良にあったじゃん」
み「タンスに載る話」
食「ありましたね。
『能登怪異譚』のひとつです(『箪笥』)」
食「あれは、傑作です」
み「自分が夢で見たみたいに、身に残るよね。
記憶の沼に沈んでたのが……」
み「ときおり浮かんでくる感じ」
律「妙に文学的じゃない」
み「ま、わたしの原点は、そういった幻想小説だからね」
み「ところで、半村良というペンネームの由来、知ってる?」
「知らないわよ」
み「イーデス・ハンソンって外人がいるでしょ」
律「最近、あんまり見ないけどね」
み「その人のファンだったんだって」
律「それがどう繋がるのよ?」
み「名前をもらったんだよ。
“半村”を音読みすれば、“ハンソン”でしょうが」
律「“良”は、どうなるの?
どう読んだって、イーデスにならないでしょ」
み「なります。
“良いです”で、“イーデス”」
律「あきれた。
ダジャレじゃないの」
律「今、思いついたんでしょ?」
み「違わい。
友だちから聞いた」
↑わたしにも、このようなころがあった。
律「いんちき臭い話」
み「裏は取っておらんが」
食「ピピー」
み「なんだよ!
いきなり、笛なんか吹いて。
何でそんなの持ってるんだ?」
食「ホイッスルは、常に持ってます。
遭難したときとかにも、救助を呼べるでしょ」
み「そうなんですか」
食「言うと思った」
み「何で、いきなり吹くかと聞いておる」
↑犬笛
律「話題が、五能線からズレそうになったら、吹くことにします。
脱線予防です」
み「今、脱線した?」
食「してたでしょ。
イーデス・ハンソンの話になってたじゃないですか」
み「誰がそんな話始めたんだ」
食「あなたしかいないでしょ。
『能登怪異譚』からですよ」
み「でもそれって、八森駅の階段が筒井康隆の小説に出てきそうだって……」
み「チミが言ったからだろ」
食「ボクのせいですか?」
み「反省せよ」
食「納得出来ないけど……。
まぁ、いいです。
取りあえず、八森駅に戻りますよ。
今でこそ無人駅になっちゃいましたけど……。
昔は賑やかだったんですよ。
特に冬場」
み「何でよ?」
食「覚えてないんですか。
♪キタカサッサー。
♪ヨイナ。
♪秋田名物」
み「♪八森ハタハタ」
食「それです」
み「わかった。
ハタハタが、切符持って汽車に乗ったんだ」
食「なわけないでしょ。
ハタハタ漁の最盛期には、貨車いっぱいに積まれて出荷されたそうです」
み「ほー。
そのために作られた駅なの?」
食「そういうわけじゃありません。
実はこの八森、鉱山で栄えた町なんです。
江戸時代には、銀山奉行が置かれてました」
↑『八森銀山砒通附繪圖面』
み「銀が出たのか」
食「金・銀・銅、すべて出たそうです」
食「なかでも銀の生産高は、日本屈指の量を誇ってたとか」
食「明治時代には……。
鉱山労働者が、1,300人以上いたんですよ」
↑これは、佐渡金山の人形です。
み「今もやってるの?」
食「残念ながら、昭和40年代に閉山してます」
食「あ、そうそう。
その鉱山の名前ですが……。
出発の“発”に、盛岡の“盛”と書いて……。
発盛(はっせい)鉱業所と云います」
食「これって、“はつもり”とも読めるでしょ」
み「ふーん。
ハタハタは知ってたけど……。
鉱山は意外であったな。
でも、どっちも無くなって、無人駅か」
↑八森駅に進入する『急行 津軽』(1983年)。
で、船室まで、持っていったわけですな?」
孃「だいぶ具合が悪そうなお声でしたし……」
孃「浴衣に着替えた後なので……」
孃「出来れば持ってきてもらえないかとおっしゃられて」
刑「なるほど。
で、部屋まで持っていった」
↑これは、佐渡汽船の特等室。船室ドアの画像って、無いものですね。
孃「はい」
刑「ところが……。
せっかく部屋まで持っていったのに……。
今度は断ったんですよね」
孃「どうやら大丈夫そうだと」
孃「お酒を飲んでるので……。
酔い止めを飲み合わせると、翌朝辛いかも知れないと言われまして」
刑「で、持ち帰った?」
孃「はい」
部「やっぱり、完璧じゃありませんか。
鉄壁のアリバイですよ」
↑鉄壁の守り
刑「待ちたまえ」
部「まだですか?
出港しちゃいますよ」
刑「その男……。
実際に、浴衣に着替えてましたか?」
孃「さぁ」
刑「さぁ?
戸口で話したんじゃないですか?」
孃「お話は、ドア越しでした」
刑「ということは……。
顔は見てない?」
孃「はい」
刑「すなわち……。
その男の姿を見たのは、出港前だけで……。
フェリーが出てからは、電話とドア越しの声だけということですかね?」
孃「そうなります」
刑「ほら、みたまえ。
これのどこが鉄壁なんだ?」
部「だって、電話は部屋からだし……。
ドア越しにも、声を聞いたわけでしょ?
それなら、その船室にいたということじゃないですか?」
刑「人がいなくても、声だけなら出せるだろ」
部「どうやってです?」
刑「例えば、録音機とか」
部「じゃ、その部屋には……。
録音機を操作する共犯者がいたということですか?」
刑「そうなるね」
部「でも、録音した声で、会話まで出来るかな?」
部「予想外のことを聞かれたりしたら、万事休すですよ」
刑「どうでした?
話が噛み合わなかったり……」
刑「向こうだけが一方的にしゃべったりしませんでしたか?」
孃「いいえ。
変な感じはしませんでした」
部「あ、そうだ!
ヘリウムガスだ」
部「あれを吸うと、声が変わるんですよ。
パーティグッズなんかで売ってます」
部「あの声なら、誰だか区別つきませんよ。
その男、異様に高い声じゃありませんでした?」
孃「いいえ」
刑「バカかね、キミは。
フロントにそんな声の男が現れたら、思い切り怪しいだろ」
部「じゃ、どうやったんですか?」
刑「キミが考えたまえ」
部「そんなこと言われたって……。
やっぱり、本人がいたんじゃありませんか?
あ、電話だ」
部「ちょっと失礼します。
もしもし、ボクですが……。
あぁっ!
こっ、これだぁぁぁぁぁぁぁ」
刑「何ごとかね?
大声を出して」
部「わかりましたよ。
会話のトックリ……」
部「じゃなくて、トリックが!
これを使ったんです」
刑「そんなもので、どうすると云うんだ?」
部「長さんもいい加減、スマホにしましょうよ。
今どき携帯なんて、電車の中で出すのも恥ずかしいですよ」
刑「長さんは止めなさいと言ってるだろ。
それより、電話はいいのかね?」
部「あんまりびっくりして、切っちゃいました。
そんなことより、トリックを聞いてくださいよ」
刑「1,000円くれたら、聞いてやる」
部「何でですか!
とにかく、喋らせてもらいます。
ドア越しに、この人と話してたのは、スマホだったんです」
刑「スマホからの声が、ドア越しに届くのかい?」
部「相変わらず、機械に疎いんだから。
ハンズフリーで、通話が出来るキットがあるんですよ」
刑「あぁ。
車の中で電話する?」
部「もちろん、そういう使い方も出来ます。
でも、家から電話するときでも、スマホを耳に当てなくてもいいから……。
ながら通話が出来て、便利なんですよ」
刑「“ながら通話”とは、何かね?」
部「何かをしながら、通話が出来るということです」
↑顔の産毛を抜かれながら通話。ハンズフリーではありませんが。
刑「相手に失礼じゃないか。
昔は、電話機を耳に当てながら、最敬礼したりしたものだ」
部「電話機を耳に当てるんですか?」
刑「当たり前だろ」
部「耳に当てるのは、受話器だと思いますが」
↑鳴門の焼肉屋『じゅわっち』
刑「揚げ足を取るんじゃないよ」
刑「さっさと説明したまえ」
部「まだ説明が必要ですか?
ハンズフリーキットというのは……。
早い話、マイクとスピーカーのセットです」
部「つまり、ドア越しの声でも……」
↑この画像の意味を知りたい方は、こちらへ。
部「マイクが拾ってくれますから、十分聞こえます。
スマホから出る声も、スピーカーが拡声してくれますから……。
ドア越しの人にも聞こえるんです」
刑「ほー。
つまり、共犯者が……。
ドア越しに、スマホに繋いだハンズフリーセットを持ってたと言うんだね」
↑これもハンズフリーキット。手探りでボタンを押すんでしょうか?
部「その通りです。
もちろん、フロントに架けた電話も、このやり方です」
刑「スマホを通して、船室の電話からフロントと話した」
部「そうです。
スマホの向こうの犯人は、新潟の陸の上にいたはずです」
刑「新潟にはどうやって降りた?
新潟から乗って、新潟で降りたチケットの半券は無かったんだろ?」
部「共犯者が、敦賀から乗ってたんです」
部「共犯者は、敦賀・新潟間のチケットを持ってます。
犯人は……。
新潟・秋田間のチケットを持ち、新潟から乗りこむ」
部「で、フロントでこの人に顔を印象づけた後……」
部「共犯者とチケットを交換する。
犯人は、敦賀からのチケットで、何くわぬ顔で新潟港に降り立ったんです」
部「共犯者は、新潟からのチケットを持ち、予約した船室に入る」
部「船が出港した後……。
共犯者は、フロントに電話を架けた。
しかし、この人としゃべてったのは……」
刑「ハンズフリーに繋いだスマホということだね」
部「スマホの向こうの犯人は、新潟の陸の上です。
さらに、ご丁寧にも……。
その電話で、この人をドアの向こうまで呼んだ」
刑「なるほど。
アリバイは崩れたね」
部「すぐにしょっ引きましょう」
刑「まだ証拠が無い」
部「通話記録を押さえればいいですよ」
刑「あの犯人が、そんな証拠を残すかね。
普段使ってるスマホから架けたとは思えないけどね」
部「自信過剰のヤツほど、相手を舐めてミスをします」
部「当たってみる価値は、十分ありますよ。
早く行きましょう」
刑「ところで、キミ。
さっきの電話、折り返さなくていいのかね?」
部「したくありません」
刑「どうして?」
部「ビキニ刑事からでした」
刑「また架かってくるぞ。
電源を切りたまえ。
待てよ……」
部「どうしたんです?」
刑「ここは、船の上だね」
部「当たり前じゃないですか」
刑「今は、港にいるから、電話が通じたわけだ」
部「港にいるからって、どういうことです?」
刑「出港して沖に出たら、通じないんじゃないのか?」
部「まさか、そんな。
根本から覆すようなこと、言わないでくださいよ」
部「すみません。
航行中、スマホは繋がりますか?」
孃「航路によります」
部「航路とは?」
孃「例えば、敦賀から苫小牧の直行便では……」
孃「ほとんど繋がりません。
沖合を航行するからです。
でも、あの便は、新潟、秋田に寄港しますので……」
孃「港の前後では、繋がります」
刑「繋がるのは、新潟を出てから、どのくらいです?」
孃「1時間くらいでしょうか」
刑「あの日、船室に薬を持ってったのは……」
刑「新潟を出てから、どのくらい後でしたか?」
孃「30分くらいだったと思います」
部「よっしゃー!」
部「決まりいぃ」
刑「おそらくあいつは……。
そういうこともまで調べてたんだろうね」
部「で、電話でのアリバイ工作を終えると……。
車を飛ばして、秋田へ向かった。
高速の監視カメラに写ってませんかね?」
刑「高速は通じてないよ」
部「あ、そうか」
刑「下道を、慎重に運転しても……。
時間は十分にある」
↑国道7号(山形県酒田市付近)
部「秋田に着いて、犯行に及んだわけですね」
刑「その後、フェリー乗り場に向かい……」
刑「何食わぬ顔で、下船客に紛れた。
あとは、わたしに話した通りだろう」
部「何を話したんです?」
刑「得々と語ってくれたよ。
フェリー乗り場近くからバスで行ける、健康ランドのことを」
部「そっちは、実際に行ってたわけですね」
刑「あの口調なら、間違いないね。
裏を取るだけ、無駄足だよ」
部「でも、トリックがわかったんだから、こっちのものです。
すぐにしょっ引きましょう」
刑「証拠は、何ひとつないぞ。
あ、そうだ。
あの日の半券ですが……。
敦賀から乗って、新潟で降りたチケットは残ってますか?」
孃「はい」
刑「そのチケットに、あいつの指紋が残ってれば決定的だけどね」
部「可能性は……」
刑「大いに低いがね」
部「でも、共犯者の指紋は残ってるかも知れませんよ。
まだ、手袋をするには早い時期ですから」
刑「そうだな。
待てよ。
犯人から受け取った新潟乗船のチケットに……。
共犯者が、うっかり指紋を付けて無いとも限らない」
部「そっちには、犯人の指紋は残ってていいわけですよね」
刑「むしろ、積極的に付けただろうね」
刑「自分の指紋の付いたチケットが、秋田港で見つかれば……。
アリバイの裏付けになるからね」
部「じゃ、そっちのチケットは、すぐに特定できますね。
犯人の指紋が付いてるチケットを探せばいいんだから」
刑「そして、そのチケットに、乗務員以外の指紋が付いてたら……」
部「それが、共犯者の指紋である可能性が高い」
刑「もし、敦賀から乗って新潟で下船したチケットに……。
同じ指紋が付いてたら?」
部「それが、共犯者の使ったチケットということですね」
刑「そうなれば、面白いことになる。
すなわち、『敦賀→新潟』間のチケットと『新潟→秋田』間のチケットに……。
同じ人物の指紋が付いてる、ということだからね」
部「共犯者を特定できれば、自供に追いこめますよ」
刑「よし、行くぞ」
と、2人の刑事は、船側のタラップを駆け下りて行ったのであった。
おしまい。
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律「ちょっと。
“おしまい”って何よ。
まだ、犯人逮捕に至ってないでしょ」
↑日光江戸村です
み「アリバイの謎が解けたら……。
あとは、エンディングまで一直線だよ」
律「早い話、何も考えて無いわけね」
み「そもそも、どういう事件だったかも考えてない」
律「どこからこういう話になったの?」
食「フェリーを、アリバイに使えるかってことからですよ」
み「新潟から秋田に行くのに……。
どの交通機関を使うと早いかってことだったんじゃない?」
食「しかしながら、高速道路も通じてないし……。
もちろん、航空路もない」
み「JR以外で路線があるのは……。
フェリーだけ」
食「でも、フェリーは電車より遅いんだから問題外、ってことになったんですよ」
み「だけど逆に、そのフェリーに乗ってたというアリバイさえ作れれば……。
犯行には十分な時間が手に入るわけだ」
み「天才だなぁ」
律「その部分だけしか考えてないじゃない」
み「あのトリックが、このドラマの肝じゃないの。
スマホのハンズフリーキットを使った電話のトリックなんて、これまであった?」
律「さぁ。
あったんじゃないの?」
み「なんでよ!」
律「あんたが考えることくらい、誰か考えてるわよ」
み「そんなことは、にゃー」
み「スマホが急速に普及して、どんどん活用グッズが開発されたからこそ……。
高性能なハンズフリーキットなんてのが、売られるようになったのです」
み「つまり、アリバイに使えるみたいな機器が出回ったのは、最近のことなのです。
だから、まだドラマで取り上げられてない可能性もある」
律「小説であるかもよ?」
み「たしかにね。
でも、小説で、そういう最新機器を扱うのは、危険が大きい」
律「なんで?」
み「今は最新でも、数年経てばもっと画期的なシステムが出来てるかも知れないでしょ」
↑画期的!『ハンズフリー傘』
食「つまり、数年後には……。
その最新機器を描いた部分は、陳腐化してしまうということですね」
↑コンピューターが吐き出した紙テープを読むシーン。お茶の水博士もやってます。
み「左様じゃ。
しかもそれを、アリバイ作りなんていう話の肝に据えてあった日には……」
↑熊の胆。干からびたおたまじゃくしみたいですね。
み「後で、そこだけ書き換えるわけにもいかなくなる。
陳腐化した時点で、もう再販は無しだね」
律「あんたの話じゃ、初版も無しでしょ」
↑太宰治の初版本(復刻)
み「あちゃー。
こりゃ1本取られましたな」
律「呆れた話」
み「さて、諸君。
旅を続けようではないか。
今、どこだに?」
食「八森の手前です」
み「ウソこけ!
『日本海航路殺人事件』を始める前と一緒じゃないか。
あれから、ぜんぜん進んでないわけないだろ。
今ごろ、青森に着いてたっておかしくないわい」
食「旅行記ですので。
すっ飛ばすわけにはいかないです」
み「そういう都合で時間をねじ曲げて、いいと思ってるのか」
食「それが、フィクションの良かところじゃごわせんか」
み「何で熊本弁になるんだ?」
食「鹿児島弁です」
↑こんなに貧相な裸でいいのか?
食「作者に成り代わり、空気を改めようとしてるんです」
食「ほら、もうすぐ八森駅を通過しますよ」
み「通過なの?」
食「はい、通過しました」
食「横光利一の小説(『頭ならびに腹』)冒頭に……」
食「“沿線の小駅は石のやうに黙殺された”という有名なフレーズがありますね」
み「小駅でもなかったぞ」
律「けっこう立派だったわよね」
み「大きな駅なのに、何で停まらないわけ?」
食「前にもあったでしょ。
沢目駅」
み「何だっけ?」
食「商工会館が同居してた駅です」
「あぁ。
あの手の駅なわけね。
ここは、何が同居してるの?」
食「商工会議所です」
食「遠目に見ると、立派な駅ですが……。
実際には、無人駅なんです」
食「でも、いつか縁があったら、下りてみてください。
階段が面白いんです」
み「怪談が面白くてどうする。
怖いもんだろ」
食「怖くありませんよ」
み「せっかくボケたんだから、ツッこめよ」
食「あえてスルーします」
食「また脇道に逸れますから。
進めますよ。
列車の通ったホームからは、駅舎が下に見えたでしょ?
従って、駅からホームまで、長い階段があるんです」
み「それのどこが面白いんだ?」
食「木製なんです」
食「さらに冬場は……。
強風を避けるために、木造の囲いがされるんですよ。
けっこうシュールな階段です」
食「筒井康隆の小説に出てきそうな。
ほら、どこまでも畳の間が続く小説があったでしょ(『遠い座敷』)」
↑石見銀山にある熊谷家住宅(国の重要文化財)
み「あったあった。
次々と襖を開けて、進んでいくんだよね。
和風のああいうシュールな話って、記憶に残るよな。
ほら、半村良にあったじゃん」
み「タンスに載る話」
食「ありましたね。
『能登怪異譚』のひとつです(『箪笥』)」
食「あれは、傑作です」
み「自分が夢で見たみたいに、身に残るよね。
記憶の沼に沈んでたのが……」
み「ときおり浮かんでくる感じ」
律「妙に文学的じゃない」
み「ま、わたしの原点は、そういった幻想小説だからね」
み「ところで、半村良というペンネームの由来、知ってる?」
「知らないわよ」
み「イーデス・ハンソンって外人がいるでしょ」
律「最近、あんまり見ないけどね」
み「その人のファンだったんだって」
律「それがどう繋がるのよ?」
み「名前をもらったんだよ。
“半村”を音読みすれば、“ハンソン”でしょうが」
律「“良”は、どうなるの?
どう読んだって、イーデスにならないでしょ」
み「なります。
“良いです”で、“イーデス”」
律「あきれた。
ダジャレじゃないの」
律「今、思いついたんでしょ?」
み「違わい。
友だちから聞いた」
↑わたしにも、このようなころがあった。
律「いんちき臭い話」
み「裏は取っておらんが」
食「ピピー」
み「なんだよ!
いきなり、笛なんか吹いて。
何でそんなの持ってるんだ?」
食「ホイッスルは、常に持ってます。
遭難したときとかにも、救助を呼べるでしょ」
み「そうなんですか」
食「言うと思った」
み「何で、いきなり吹くかと聞いておる」
↑犬笛
律「話題が、五能線からズレそうになったら、吹くことにします。
脱線予防です」
み「今、脱線した?」
食「してたでしょ。
イーデス・ハンソンの話になってたじゃないですか」
み「誰がそんな話始めたんだ」
食「あなたしかいないでしょ。
『能登怪異譚』からですよ」
み「でもそれって、八森駅の階段が筒井康隆の小説に出てきそうだって……」
み「チミが言ったからだろ」
食「ボクのせいですか?」
み「反省せよ」
食「納得出来ないけど……。
まぁ、いいです。
取りあえず、八森駅に戻りますよ。
今でこそ無人駅になっちゃいましたけど……。
昔は賑やかだったんですよ。
特に冬場」
み「何でよ?」
食「覚えてないんですか。
♪キタカサッサー。
♪ヨイナ。
♪秋田名物」
み「♪八森ハタハタ」
食「それです」
み「わかった。
ハタハタが、切符持って汽車に乗ったんだ」
食「なわけないでしょ。
ハタハタ漁の最盛期には、貨車いっぱいに積まれて出荷されたそうです」
み「ほー。
そのために作られた駅なの?」
食「そういうわけじゃありません。
実はこの八森、鉱山で栄えた町なんです。
江戸時代には、銀山奉行が置かれてました」
↑『八森銀山砒通附繪圖面』
み「銀が出たのか」
食「金・銀・銅、すべて出たそうです」
食「なかでも銀の生産高は、日本屈指の量を誇ってたとか」
食「明治時代には……。
鉱山労働者が、1,300人以上いたんですよ」
↑これは、佐渡金山の人形です。
み「今もやってるの?」
食「残念ながら、昭和40年代に閉山してます」
食「あ、そうそう。
その鉱山の名前ですが……。
出発の“発”に、盛岡の“盛”と書いて……。
発盛(はっせい)鉱業所と云います」
食「これって、“はつもり”とも読めるでしょ」
み「ふーん。
ハタハタは知ってたけど……。
鉱山は意外であったな。
でも、どっちも無くなって、無人駅か」
↑八森駅に進入する『急行 津軽』(1983年)。