2012.3.3(土)
み「そんな人……、わたし知らない」
律「頭に来たから……。
その格好のまま、廊下に突き出してやったわ」
み「ヒドいぃぃ」
律「バカね。
そんなことするわけないでしょ。
同伴者にも、恥のとばっちりが来ちゃうじゃない」
み「うぅ。
良かったぁ。
あの……。
そのあと、どうしました?」
律「わたしが相手にしなかったら……。
独り相撲取り始めた。
どことかの神事にあるんだって?」
み「ありますね。
見えない神様と相撲を取る行事」
↑大山祇神社(愛媛県今治市大三島町)の『一人角力』
律「そんなこと解説しながら、一人で騒いでたわよ。
そのうち……。
神様に、上手出し投げを食らって突っ伏したと思ったら……」
律「イビキかきだした」
み「すんませんのぅ。
また介抱してくれたの?」
律「するかい。
ほっといて、お風呂入ったわよ」
み「えー、またSPAに行ったの?」
律「部屋のお風呂」
律「出てみたら、なぜかベッドに這いあがってた」
律「スゴい生命力よね」
↑わが家のガジュマルくん
み「殺さんでくれ」
律「しかもさ。
浴衣は掛けてやったけど……。
袖なんて通してないのよ。
それが、今朝起きたら……。
袖だけ通ってるじゃない。
どんな寝相してるわけ?」
み「やっぱ、たしなみがあるんでしょうね」
律「たしなみがあったら……。
帯を股に締めるか!」
律「とにかく!
朝ごはん食べに行くわよ。
お腹空いてしょうがないわ。
考えてみれば……。
夕べは、大したもの食べて無いんだから」
み「何食べたっけ?」
律「それも覚えてないの?」
み「きりたんぽ鍋、食べたね」
律「弥助蕎麦は?」
み「あ……。
おぼろげに」
律「最後は、お猪口に蕎麦を浸して食べたのよ」
み「そんな食べ方があるの?」
律「あるもんですか。
蕎麦猪口と区別が付かなくなったんでしょ」
律「あ、そうそう、夕べの割り勘分のお金は、財布から頂きましたからね」
み「ウソ!
ひとの財布探ったの!
ヒドい!
どこ?
財布、どこ?」
律「ほら、そこにあるわよ。
テーブルの上」
み「心なしか……。
スゴく薄くなってる」
律「わけないでしょ」
み「1枚、2枚……。
ひょえぇぇぇえぇえぇ。
さ、三十万円も減ってるぅぅ」
律「ウソこきなさい!
あまりにも入ってないから、呆れちゃったわよ」
み「財布に大金入れてたら、危ないでしょ」
律「いいから、早く着替えなさいって」
み「先生、もうお化粧してるの?」
律「当然でしょ。
朝の光は、容赦ありませんからね」
み「わたし、してないんだけど」
律「あんたはいいの。
大して変わらないから」
み「ヒドい!」
律「とにかく、何か着なさい。
顔はどうでもいいけど、その格好じゃ出られないでしょ」
み「えー。
髪もボサボサだし……」
律「そんなら、また浴衣着なおせばいいじゃん。
まだ、身支度前ですってことになるわよ」
み「一人だけ化粧しといて……。
よくそういうことが言えるわ」
結局、浴衣に丹前で、食事に出ることに。
律子先生は、上から下までバッチリ決めてます。
髪には、一本の乱れもありません。
ブーツカットのジーンズで、颯爽と風を切って歩いて行きます。
み「待ってよ。
そんなに早く歩かないで」
律「もたもたしない。
早足!」
み「浴衣の前が割れちゃうでしょ」
律「いっそ、尻端折りしたら?」
み「鬼」
朝食は、レストラン。
もちろん、バイキングです。
律「あー、お腹空いた」
み「納豆、あるかな?」
律「ほら、あそこにあるわよ」
み「おー。
味のりもあった」
律「納豆だの味のりなんか食べないで……。
もっと高そうなもの取ればいいのに」
み「せこ~」
テーブルに隣り合って食べ始めましたが……。
律子先生の健啖ぶりには、呆れました。
食べる機械のようです。
み「……、すごい食欲ですね」
律「だって、美味しいもの。
このご飯、きっと“あきたこまち”の新米よ」
み「味がわかるの?」
律「わかりません。
あっという間に、一杯食べちゃった。
このお茶碗、小さいんじゃないの?
お代りもらってこよーっと」
身を翻す律子先生から……。
石鹸の香りがしました。
旅先にいるんだなぁって、しみじみ感じます。
幸せだなぁ。
律「あんた、何ニヤニヤしながら食べてんの?
気持ち悪い人ね」
み「もうよそってきたの?」
律「大盛りにしてもらっちゃった」
み「スゴ……」
律「病院にいるとね……。
ゆっくり食事なんか摂れないでしょ」
律「だから……。
こういう食事は、ほんとに幸せ」
み「休みの日に、ゆっくり食べればいいじゃん」
律「誰も作ってくれないもん」
み「香純ちゃんは?」
律「なかなかシフトが合わなくてね」
み「自分で作ればいいじゃない」
律「さてと。
お茶をもらって来ようかな」
み「逃げた……」
さてさて。
漁屋酒場の場面では、引っ張ってばっかりいましたので……。
ちょっと、クセが付いてしまったみたいです。
バイキングの朝食までこまごま書いてたら、一向に進みません。
ちょっと、場面を端折りましょう。
と言っても、朝食を終えて部屋に戻ってから。
窓の外から、秋田市街を眺めます。
十分都会ですね。
でも、どこか城下町らしい落ち着きも感じられます。
松江の町でも感じたことですが……。
城下町って、やっぱり住んでみたいなぁ。
律「はに、見てんの?」
妙な発音に振り向くと……。
歯ブラシを咥えた律子先生でした。
み「器用ね」
律「何が?」
み「歯を磨きながら、洗面台の前を離れられる人って……。
ほんと羨ましい」
律「妙なこと言うわね」
み「わたしは、ぜったいムリなのよ」
律「なんで?」
み「口の端から……。
歯磨き粉がだらだら零れて来る」
律「なんで?」
み「知らないわよ」
律「口までブッキーってこと?」
み「やかましい」
律「ところで……。
今日の予定は?」
み「今日は、鉄道の旅」
↑宮脇俊三さんの「最長片道切符」
律「ほー。
そう言えばさ……。
この旅行、まだ電車に乗って無かったわよね」
み「ですね。
フェリーで着いて……」
み「昨日は1日、バスだったもの」
律「秋田駅から乗るの?」
み「はいな。
ばっちり、指定席を取ってありますよ」
律「何時に出るの?」
み「えーっと。
確か、8時24分」
律「ふーん。
けっこう早いのね……。
って!
もう、8時回ってるじゃない!」
み「うそ!」
律「何のんびりしてんのよ!」
み「時計してないもの」
律「そういう問題じゃないでしょ!
指定席がフイになっちゃう!
ちょっと、あんた!
何でまだ浴衣なのよ!」
↑ベルギーの『猫祭り』より
律「さっさと着替えんかい!」
律子先生に怒鳴られまくりながら……。
懸命に着替えます。
確かに、今朝の列車に乗り遅れたら……。
以後の行程が、メチャクチャになっちゃうんです。
でも、それよりなにより……。
この列車に乗ることが、この旅行のキモだったんですから。
乗り遅れるわけにはイカンのです。
律「支度できた?
早く!
出るよ」
み「わたし、うんこ出る」
↑18世紀フランスの版画
律「我慢しなさい!」
み「途中で漏る」
律「お尻の穴なんて、無いと思いなさい」
み「そんな乱暴な!」
律「わたしだって、してないわよ」
み「早くから起きてて、何でしないの?」
律「出ないの。
便秘症」
み「あ……。
由美に渡した下剤は……。
自分用だったのか」
律「ゴチャゴチャ言ってないで……。
早くせい!」
律子先生に襟上を掴まれ……。
部屋から、引き摺り出されてしまいました。
み「オニー!」
あんなに急いでたくせに……。
フロントの精算では、しっかり割前を取られました。
ホテルから飛び出します。
律「こっから秋田駅って、どう行くの?」
み「大通りに出れば、バスがあると思う」
み「バス停までは、ちょっと歩くと思うけど」
律「そんな悠長なこと、言ってられないでしょ。
あ、ラッキー!
あのタクシー、人降ろしてる」
律「あれに乗るよ」
み「さすが架空旅行記、都合がいいね」
律「早く乗れ!」
律子先生に突き飛ばされ、タクシーに転げこみます。
み「乱暴なんだから!」
律「わたしはね……。
遅れるとか、間に合わないとかいう事態が、大っキライなの」
運「あのー。
どごまで行かさっしゃりますか?(←秋田弁・デタラメです)」
み「前のクルマを追って下さい」
み「痛いっ」
律「秋田駅まで。
ものすごく急いでます。
出来るだけ速くお願いします」
み「マッハ3まで、出していいです」
運「新車だけんど、さすがにそこまでは……。
出んごつある」
み「あなた、九州?」
運「わしも、どこだかわがんね。
そんじゃ、行かせてもらいます」
み「どひゃー」
いきなりのGで、座席に押しつけられました。
さすが東北人、律儀ですね。
景色を眺める間もなく、バスは秋田駅に到着しました。
み「このまま、ホームまで行って」
運「そればっかしは……。
ムリじゃ~ん」
み「あんた、何人?」
律「バカ言ってないで、速く!」
タクシーを飛び出し……。
エスカレーターを駆け上がります。
み「し、死ぬ……」
律「乗ってから死んで!
何番線?」
み「わからぬ」
律「ほんとにもう!
あ、あそこに出てる。
8:24発。
3番線よ」
ホームへのエスカレーターを駆け下ります。
発車ベルが鳴ってます。
律「この列車よね?」
み「はひ。
はひ」
ベルが鳴り終わりました。
律「出ないで!
乗ります!」
今にもホイッスルを吹こうとしてた駅員さんが……。
ほっぺたを膨らませたまま、つんのめりました。
さすが、お医者さま。
こういう押しの強さは、流石としか言いようがありません。
わたしひとりなら、黙って乗り遅れてたでしょうね。
ドアから転げ込むと、背中でホイッスルが鳴りました。
律「よし!
突破!!
アドレナリン出まくりだわ」
み「はぁ、はぁ」
律「何へたり込んでんのよ。
情けないわね」
み「どうして……、そんなに元気なの?」
律「このくらいの体力が無けりゃ……。
医者なんか務まらないのよ」
律「席、何号車?」
み「1号車」
律「なんだ、ここじゃん。
ラッキー」
律子先生に引きずられ、ようやく席にたどり着きました。
律「すっごい、豪華なシートね」
律「ここって、グリーン車?」
み「違う」
律「へー。
普通車でこの豪華さは、大したもんだわ。
てことは……。
グリーン車は、このくらい?」
み「グリーン車なんて、付いてません」
律「あら、残念。
でも、普通車でこれなら、グリーン車なんていらないわね。
足元も、広々」
律「さて、どこまで行くのかしら?
この車両の豪華さだと……。
遠距離の特急よね?」
み「ブー。
これは、快速列車です?」
律「はぁ?
快速がこんな車両のわけないでしょ。
毎日、通勤快速乗ってるけど」
み「あ、発車だ」
律「さっきから、ちょっと気になってたけど……。
けっこう音がうるさいわね、この列車」
み「だよね」
律「あ、わかった。
古い車両の、内装だけ綺麗にしたのかも。
それで、快速なのか」
み「違うと思うけどなぁ。
これは、『リゾートしらかみ』っていう、1日3往復の特別列車なんだよ」
律「“リゾート”って、あの“リゾート”?」
み「はいなー」
律「東北で?」
み「東北にも、“リゾート”はあるの!」
↑映画『フラガール』(舞台は福島県、「常磐ハワイアンセンター」)
み「あのさ、五能線って知ってる?」
律「聞いたことあるかも」
み「東北の日本海沿いを走るローカル線で……。
今、すっごい人気なんだよ」
律「なんで?」
み「ほとんどずーっと海岸線を走るから……。
眺望が抜群」
律「なるほど。
でも、なんで特急や急行にしないわけ?」
み「わざと遠回りするから」
律「へ?」
み「この列車、青森まで行くんだけど……。
秋田から青森なら、普通、内陸を通る奥羽本線を使うわけ。
そっちの方が近いから」
み「ところがこの列車は、わざわざ海沿いの五能線経由で行く」
律「どのくらいの遠回り?」
み「60キロくらいかな。
だから、特急や急行には成り得ないの。
でも、小さい駅は飛ばすから、“快速”ってわけよ」
律「ってことは……。
特急料金は?」
み「もちろん、ナシです。
指定席料金の510円だけ」
↑これは、青森発の券
律「それでこの豪華さだったら、人気あるわよね」
み「夏場なんか、まず予約出来ないみたいだね。
旅行会社が、大量に押さえちゃうらしいから」
律「ふーん。
まさしく“リゾート”列車ってことか」
み「わざわざ遠回りして行くんだから……。
ビジネス客は、乗ってないだろうしね」
律「ところでさ。
今、座席の前の方に向けて、走ってるわよね」
み「当り前でしょ」
窓の外は、秋田市街。
列車は、ウィンウィン唸りながら走って行きます。
律「秋田から青森に向かうってことは……。
北の方に走ってるってことよね」
み「当然です」
律「てことは……。
海は、座席の左側に見えるってことでしょ」
み「そうなるよね」
律「ちょっと。
この座席、進行方向の右側じゃない」
み「あ」
律「あ、じゃないわよ。
なんで、左側の席、取らなかったのよ?
あんなに空いてるのに」
↑こんなに空いてることは、実際には無いと思います。
み「おかしいな。
ネットで、A席側が海になるって書いてあったんだけど」
律「D席と見間違えたんじゃないの?」
み「うーん。
でも……。
右側のほうが、ずっと混んでるよね」
律「そう言えばそうね。
なんでだろ?
海側だと、波しぶきがかかるから?」
み「川下りじゃあるまいし……」
↑鬼怒川温泉「鬼怒川ライン下り」
み「第一、窓閉まってるでしょ」
律「とにかく!
せっかくの“リゾート”なんだからさ。
最大の売り物を楽しまない手はないでしょ。
車掌さんが来たら、席、変えてもらいましょう」
み「えー。
そんなこと、できるかな?」
律「できるでしょ。
あんなに空いてるんだから。
あんたじゃ頼りないから……。
わたしが断固、交渉します」
み「お願いだから……。
凄んだりするのは、止めてね」
乗った早々、トラブルの予感……。
やだなぁ。
わたしは、不穏な空気が大の苦手なのだ。
どうか、車掌さんが来ませんように……。
謎「あの~」
突然、後ろから声がかかりました。
み・律「どひゃ」
振り返って、思わず飛び退りました。
律子先生共々、前の座席に張り付きます。
わたしたちの座席の背もたれから……。
巨大な朝日が昇ってました。
み「デカい……」
律「……顔」
謎「すみませ~ん。
驚かせちゃいました?」
よく見れば、人間です。
しかし……。
顔面の面積は、人間離れしてます。
皮を剥いで伸ばしたら……。
八畳敷?
み「な、何か?」
謎「お2人の会話が、ついつい耳に入っちゃいまして。
で、どーしても黙ってられなくなりました」
み「はぁ」
謎「こちらがわの座席で、ぜんぜん大丈夫ですよ。
ばっちり、日本海が波かぶりで見れます」
↑かぶりすぎだろ
み「えー。
どうしてです?」
律「あの。
口の中のもの、飲みこんでからにしてくれません?
さっきから、ご飯粒が飛んでくるんですけど」
謎「すみません。
食後食を食べてまして」
み「食後食?」
謎「ほら、これです。
ご存知でした?
『白神鶏わっぱ』」
謎「けっこう、有名です」
み「お、美味しそうですね」
謎「でしょー。
ちょーっと、彩りは地味ですが……。
中身は、比内地鶏のガラスープで炊き込んだ“あきたこまち”に……。
比内地鶏の肉煮とそぼろ、ハタハタのうま煮、舞茸煮、白神あわび茸煮、じゅんさい酢の物、とんぶり、蜆佃煮、みずの実醤油漬け、人参漬物、いぶりがっこ、という豪華さです」
み「ほー」
謎「ボクは秋田駅で買いましたけど……。
もちろん『しらかみ』の車内でも売ってます。
いかがです?
美味しいですよ」
み「あいにく……。
ホテルで朝食は済ませましたんで」
謎「もちろん済ませましたよー、ボクだって。
こんな時間まで、何も食べないでなんかいられませんからね」
み「てことは……。
ホテルで朝食を済ませ……。
今また、駅弁を食べてる?」
謎「そうです。
だから、食後食って言ったじゃないですか。
駅弁の分量って、おやつにちょうどいいんです」
み「お、おやつって。
まだ、8時半ですけど」
謎「大丈夫。
10時には、また食べますから。
炊き込みご飯に乗った鶏肉が、ほんとにいい味出してます。
まいうー」
よく見ると、ホンジャマカの石塚に似てます。
体型が。
顔の方は、実にシンプルな作り。
バレーボールのてっぺんに……。
ちょっとだけ、毛を載せて……。
簡単な目鼻を書いて……。
メガネを掛ければ出来あがり。
メタルフレームが、ちょっと傾いでます。
律「頭に来たから……。
その格好のまま、廊下に突き出してやったわ」
み「ヒドいぃぃ」
律「バカね。
そんなことするわけないでしょ。
同伴者にも、恥のとばっちりが来ちゃうじゃない」
み「うぅ。
良かったぁ。
あの……。
そのあと、どうしました?」
律「わたしが相手にしなかったら……。
独り相撲取り始めた。
どことかの神事にあるんだって?」
み「ありますね。
見えない神様と相撲を取る行事」
↑大山祇神社(愛媛県今治市大三島町)の『一人角力』
律「そんなこと解説しながら、一人で騒いでたわよ。
そのうち……。
神様に、上手出し投げを食らって突っ伏したと思ったら……」
律「イビキかきだした」
み「すんませんのぅ。
また介抱してくれたの?」
律「するかい。
ほっといて、お風呂入ったわよ」
み「えー、またSPAに行ったの?」
律「部屋のお風呂」
律「出てみたら、なぜかベッドに這いあがってた」
律「スゴい生命力よね」
↑わが家のガジュマルくん
み「殺さんでくれ」
律「しかもさ。
浴衣は掛けてやったけど……。
袖なんて通してないのよ。
それが、今朝起きたら……。
袖だけ通ってるじゃない。
どんな寝相してるわけ?」
み「やっぱ、たしなみがあるんでしょうね」
律「たしなみがあったら……。
帯を股に締めるか!」
律「とにかく!
朝ごはん食べに行くわよ。
お腹空いてしょうがないわ。
考えてみれば……。
夕べは、大したもの食べて無いんだから」
み「何食べたっけ?」
律「それも覚えてないの?」
み「きりたんぽ鍋、食べたね」
律「弥助蕎麦は?」
み「あ……。
おぼろげに」
律「最後は、お猪口に蕎麦を浸して食べたのよ」
み「そんな食べ方があるの?」
律「あるもんですか。
蕎麦猪口と区別が付かなくなったんでしょ」
律「あ、そうそう、夕べの割り勘分のお金は、財布から頂きましたからね」
み「ウソ!
ひとの財布探ったの!
ヒドい!
どこ?
財布、どこ?」
律「ほら、そこにあるわよ。
テーブルの上」
み「心なしか……。
スゴく薄くなってる」
律「わけないでしょ」
み「1枚、2枚……。
ひょえぇぇぇえぇえぇ。
さ、三十万円も減ってるぅぅ」
律「ウソこきなさい!
あまりにも入ってないから、呆れちゃったわよ」
み「財布に大金入れてたら、危ないでしょ」
律「いいから、早く着替えなさいって」
み「先生、もうお化粧してるの?」
律「当然でしょ。
朝の光は、容赦ありませんからね」
み「わたし、してないんだけど」
律「あんたはいいの。
大して変わらないから」
み「ヒドい!」
律「とにかく、何か着なさい。
顔はどうでもいいけど、その格好じゃ出られないでしょ」
み「えー。
髪もボサボサだし……」
律「そんなら、また浴衣着なおせばいいじゃん。
まだ、身支度前ですってことになるわよ」
み「一人だけ化粧しといて……。
よくそういうことが言えるわ」
結局、浴衣に丹前で、食事に出ることに。
律子先生は、上から下までバッチリ決めてます。
髪には、一本の乱れもありません。
ブーツカットのジーンズで、颯爽と風を切って歩いて行きます。
み「待ってよ。
そんなに早く歩かないで」
律「もたもたしない。
早足!」
み「浴衣の前が割れちゃうでしょ」
律「いっそ、尻端折りしたら?」
み「鬼」
朝食は、レストラン。
もちろん、バイキングです。
律「あー、お腹空いた」
み「納豆、あるかな?」
律「ほら、あそこにあるわよ」
み「おー。
味のりもあった」
律「納豆だの味のりなんか食べないで……。
もっと高そうなもの取ればいいのに」
み「せこ~」
テーブルに隣り合って食べ始めましたが……。
律子先生の健啖ぶりには、呆れました。
食べる機械のようです。
み「……、すごい食欲ですね」
律「だって、美味しいもの。
このご飯、きっと“あきたこまち”の新米よ」
み「味がわかるの?」
律「わかりません。
あっという間に、一杯食べちゃった。
このお茶碗、小さいんじゃないの?
お代りもらってこよーっと」
身を翻す律子先生から……。
石鹸の香りがしました。
旅先にいるんだなぁって、しみじみ感じます。
幸せだなぁ。
律「あんた、何ニヤニヤしながら食べてんの?
気持ち悪い人ね」
み「もうよそってきたの?」
律「大盛りにしてもらっちゃった」
み「スゴ……」
律「病院にいるとね……。
ゆっくり食事なんか摂れないでしょ」
律「だから……。
こういう食事は、ほんとに幸せ」
み「休みの日に、ゆっくり食べればいいじゃん」
律「誰も作ってくれないもん」
み「香純ちゃんは?」
律「なかなかシフトが合わなくてね」
み「自分で作ればいいじゃない」
律「さてと。
お茶をもらって来ようかな」
み「逃げた……」
さてさて。
漁屋酒場の場面では、引っ張ってばっかりいましたので……。
ちょっと、クセが付いてしまったみたいです。
バイキングの朝食までこまごま書いてたら、一向に進みません。
ちょっと、場面を端折りましょう。
と言っても、朝食を終えて部屋に戻ってから。
窓の外から、秋田市街を眺めます。
十分都会ですね。
でも、どこか城下町らしい落ち着きも感じられます。
松江の町でも感じたことですが……。
城下町って、やっぱり住んでみたいなぁ。
律「はに、見てんの?」
妙な発音に振り向くと……。
歯ブラシを咥えた律子先生でした。
み「器用ね」
律「何が?」
み「歯を磨きながら、洗面台の前を離れられる人って……。
ほんと羨ましい」
律「妙なこと言うわね」
み「わたしは、ぜったいムリなのよ」
律「なんで?」
み「口の端から……。
歯磨き粉がだらだら零れて来る」
律「なんで?」
み「知らないわよ」
律「口までブッキーってこと?」
み「やかましい」
律「ところで……。
今日の予定は?」
み「今日は、鉄道の旅」
↑宮脇俊三さんの「最長片道切符」
律「ほー。
そう言えばさ……。
この旅行、まだ電車に乗って無かったわよね」
み「ですね。
フェリーで着いて……」
み「昨日は1日、バスだったもの」
律「秋田駅から乗るの?」
み「はいな。
ばっちり、指定席を取ってありますよ」
律「何時に出るの?」
み「えーっと。
確か、8時24分」
律「ふーん。
けっこう早いのね……。
って!
もう、8時回ってるじゃない!」
み「うそ!」
律「何のんびりしてんのよ!」
み「時計してないもの」
律「そういう問題じゃないでしょ!
指定席がフイになっちゃう!
ちょっと、あんた!
何でまだ浴衣なのよ!」
↑ベルギーの『猫祭り』より
律「さっさと着替えんかい!」
律子先生に怒鳴られまくりながら……。
懸命に着替えます。
確かに、今朝の列車に乗り遅れたら……。
以後の行程が、メチャクチャになっちゃうんです。
でも、それよりなにより……。
この列車に乗ることが、この旅行のキモだったんですから。
乗り遅れるわけにはイカンのです。
律「支度できた?
早く!
出るよ」
み「わたし、うんこ出る」
↑18世紀フランスの版画
律「我慢しなさい!」
み「途中で漏る」
律「お尻の穴なんて、無いと思いなさい」
み「そんな乱暴な!」
律「わたしだって、してないわよ」
み「早くから起きてて、何でしないの?」
律「出ないの。
便秘症」
み「あ……。
由美に渡した下剤は……。
自分用だったのか」
律「ゴチャゴチャ言ってないで……。
早くせい!」
律子先生に襟上を掴まれ……。
部屋から、引き摺り出されてしまいました。
み「オニー!」
あんなに急いでたくせに……。
フロントの精算では、しっかり割前を取られました。
ホテルから飛び出します。
律「こっから秋田駅って、どう行くの?」
み「大通りに出れば、バスがあると思う」
み「バス停までは、ちょっと歩くと思うけど」
律「そんな悠長なこと、言ってられないでしょ。
あ、ラッキー!
あのタクシー、人降ろしてる」
律「あれに乗るよ」
み「さすが架空旅行記、都合がいいね」
律「早く乗れ!」
律子先生に突き飛ばされ、タクシーに転げこみます。
み「乱暴なんだから!」
律「わたしはね……。
遅れるとか、間に合わないとかいう事態が、大っキライなの」
運「あのー。
どごまで行かさっしゃりますか?(←秋田弁・デタラメです)」
み「前のクルマを追って下さい」
み「痛いっ」
律「秋田駅まで。
ものすごく急いでます。
出来るだけ速くお願いします」
み「マッハ3まで、出していいです」
運「新車だけんど、さすがにそこまでは……。
出んごつある」
み「あなた、九州?」
運「わしも、どこだかわがんね。
そんじゃ、行かせてもらいます」
み「どひゃー」
いきなりのGで、座席に押しつけられました。
さすが東北人、律儀ですね。
景色を眺める間もなく、バスは秋田駅に到着しました。
み「このまま、ホームまで行って」
運「そればっかしは……。
ムリじゃ~ん」
み「あんた、何人?」
律「バカ言ってないで、速く!」
タクシーを飛び出し……。
エスカレーターを駆け上がります。
み「し、死ぬ……」
律「乗ってから死んで!
何番線?」
み「わからぬ」
律「ほんとにもう!
あ、あそこに出てる。
8:24発。
3番線よ」
ホームへのエスカレーターを駆け下ります。
発車ベルが鳴ってます。
律「この列車よね?」
み「はひ。
はひ」
ベルが鳴り終わりました。
律「出ないで!
乗ります!」
今にもホイッスルを吹こうとしてた駅員さんが……。
ほっぺたを膨らませたまま、つんのめりました。
さすが、お医者さま。
こういう押しの強さは、流石としか言いようがありません。
わたしひとりなら、黙って乗り遅れてたでしょうね。
ドアから転げ込むと、背中でホイッスルが鳴りました。
律「よし!
突破!!
アドレナリン出まくりだわ」
み「はぁ、はぁ」
律「何へたり込んでんのよ。
情けないわね」
み「どうして……、そんなに元気なの?」
律「このくらいの体力が無けりゃ……。
医者なんか務まらないのよ」
律「席、何号車?」
み「1号車」
律「なんだ、ここじゃん。
ラッキー」
律子先生に引きずられ、ようやく席にたどり着きました。
律「すっごい、豪華なシートね」
律「ここって、グリーン車?」
み「違う」
律「へー。
普通車でこの豪華さは、大したもんだわ。
てことは……。
グリーン車は、このくらい?」
み「グリーン車なんて、付いてません」
律「あら、残念。
でも、普通車でこれなら、グリーン車なんていらないわね。
足元も、広々」
律「さて、どこまで行くのかしら?
この車両の豪華さだと……。
遠距離の特急よね?」
み「ブー。
これは、快速列車です?」
律「はぁ?
快速がこんな車両のわけないでしょ。
毎日、通勤快速乗ってるけど」
み「あ、発車だ」
律「さっきから、ちょっと気になってたけど……。
けっこう音がうるさいわね、この列車」
み「だよね」
律「あ、わかった。
古い車両の、内装だけ綺麗にしたのかも。
それで、快速なのか」
み「違うと思うけどなぁ。
これは、『リゾートしらかみ』っていう、1日3往復の特別列車なんだよ」
律「“リゾート”って、あの“リゾート”?」
み「はいなー」
律「東北で?」
み「東北にも、“リゾート”はあるの!」
↑映画『フラガール』(舞台は福島県、「常磐ハワイアンセンター」)
み「あのさ、五能線って知ってる?」
律「聞いたことあるかも」
み「東北の日本海沿いを走るローカル線で……。
今、すっごい人気なんだよ」
律「なんで?」
み「ほとんどずーっと海岸線を走るから……。
眺望が抜群」
律「なるほど。
でも、なんで特急や急行にしないわけ?」
み「わざと遠回りするから」
律「へ?」
み「この列車、青森まで行くんだけど……。
秋田から青森なら、普通、内陸を通る奥羽本線を使うわけ。
そっちの方が近いから」
み「ところがこの列車は、わざわざ海沿いの五能線経由で行く」
律「どのくらいの遠回り?」
み「60キロくらいかな。
だから、特急や急行には成り得ないの。
でも、小さい駅は飛ばすから、“快速”ってわけよ」
律「ってことは……。
特急料金は?」
み「もちろん、ナシです。
指定席料金の510円だけ」
↑これは、青森発の券
律「それでこの豪華さだったら、人気あるわよね」
み「夏場なんか、まず予約出来ないみたいだね。
旅行会社が、大量に押さえちゃうらしいから」
律「ふーん。
まさしく“リゾート”列車ってことか」
み「わざわざ遠回りして行くんだから……。
ビジネス客は、乗ってないだろうしね」
律「ところでさ。
今、座席の前の方に向けて、走ってるわよね」
み「当り前でしょ」
窓の外は、秋田市街。
列車は、ウィンウィン唸りながら走って行きます。
律「秋田から青森に向かうってことは……。
北の方に走ってるってことよね」
み「当然です」
律「てことは……。
海は、座席の左側に見えるってことでしょ」
み「そうなるよね」
律「ちょっと。
この座席、進行方向の右側じゃない」
み「あ」
律「あ、じゃないわよ。
なんで、左側の席、取らなかったのよ?
あんなに空いてるのに」
↑こんなに空いてることは、実際には無いと思います。
み「おかしいな。
ネットで、A席側が海になるって書いてあったんだけど」
律「D席と見間違えたんじゃないの?」
み「うーん。
でも……。
右側のほうが、ずっと混んでるよね」
律「そう言えばそうね。
なんでだろ?
海側だと、波しぶきがかかるから?」
み「川下りじゃあるまいし……」
↑鬼怒川温泉「鬼怒川ライン下り」
み「第一、窓閉まってるでしょ」
律「とにかく!
せっかくの“リゾート”なんだからさ。
最大の売り物を楽しまない手はないでしょ。
車掌さんが来たら、席、変えてもらいましょう」
み「えー。
そんなこと、できるかな?」
律「できるでしょ。
あんなに空いてるんだから。
あんたじゃ頼りないから……。
わたしが断固、交渉します」
み「お願いだから……。
凄んだりするのは、止めてね」
乗った早々、トラブルの予感……。
やだなぁ。
わたしは、不穏な空気が大の苦手なのだ。
どうか、車掌さんが来ませんように……。
謎「あの~」
突然、後ろから声がかかりました。
み・律「どひゃ」
振り返って、思わず飛び退りました。
律子先生共々、前の座席に張り付きます。
わたしたちの座席の背もたれから……。
巨大な朝日が昇ってました。
み「デカい……」
律「……顔」
謎「すみませ~ん。
驚かせちゃいました?」
よく見れば、人間です。
しかし……。
顔面の面積は、人間離れしてます。
皮を剥いで伸ばしたら……。
八畳敷?
み「な、何か?」
謎「お2人の会話が、ついつい耳に入っちゃいまして。
で、どーしても黙ってられなくなりました」
み「はぁ」
謎「こちらがわの座席で、ぜんぜん大丈夫ですよ。
ばっちり、日本海が波かぶりで見れます」
↑かぶりすぎだろ
み「えー。
どうしてです?」
律「あの。
口の中のもの、飲みこんでからにしてくれません?
さっきから、ご飯粒が飛んでくるんですけど」
謎「すみません。
食後食を食べてまして」
み「食後食?」
謎「ほら、これです。
ご存知でした?
『白神鶏わっぱ』」
謎「けっこう、有名です」
み「お、美味しそうですね」
謎「でしょー。
ちょーっと、彩りは地味ですが……。
中身は、比内地鶏のガラスープで炊き込んだ“あきたこまち”に……。
比内地鶏の肉煮とそぼろ、ハタハタのうま煮、舞茸煮、白神あわび茸煮、じゅんさい酢の物、とんぶり、蜆佃煮、みずの実醤油漬け、人参漬物、いぶりがっこ、という豪華さです」
み「ほー」
謎「ボクは秋田駅で買いましたけど……。
もちろん『しらかみ』の車内でも売ってます。
いかがです?
美味しいですよ」
み「あいにく……。
ホテルで朝食は済ませましたんで」
謎「もちろん済ませましたよー、ボクだって。
こんな時間まで、何も食べないでなんかいられませんからね」
み「てことは……。
ホテルで朝食を済ませ……。
今また、駅弁を食べてる?」
謎「そうです。
だから、食後食って言ったじゃないですか。
駅弁の分量って、おやつにちょうどいいんです」
み「お、おやつって。
まだ、8時半ですけど」
謎「大丈夫。
10時には、また食べますから。
炊き込みご飯に乗った鶏肉が、ほんとにいい味出してます。
まいうー」
よく見ると、ホンジャマカの石塚に似てます。
体型が。
顔の方は、実にシンプルな作り。
バレーボールのてっぺんに……。
ちょっとだけ、毛を載せて……。
簡単な目鼻を書いて……。
メガネを掛ければ出来あがり。
メタルフレームが、ちょっと傾いでます。