2012.3.3(土)
み「ややこしすぎる!」
律「円という単位しか知らない今の日本人が、江戸時代に行ったら……。
パニックになるんじゃない?」
み「だよね」
老「さらに、金・銀・銅の異なる貨幣間の交換となると……。
さらにややこしい。
交換比率は、毎日相場が立って変化しとったからの。
この交換業務を行ったのが、『両替商』じゃ」
老「銀行の祖先じゃの」
↑両替商の看板(左)と銀行を表す地図記号(右)
み「ということです」
律「結局、いくらなのよ?」
み「いくらにしますか?」
律「よーし。
それじゃ、大負けに負けて……。
一文!
これ以下は無いんですからね。
どうだ、参ったか!」
み「ちーっとも、参りませんな」
律「なんでよ!
これより下は、タダじゃないの。
無料だったってこと?」
み「まだまだ」
律「タダより下は無いでしょ」
↑これは「ダダ」
み「ありますよー。
つまり……。
お金を払って持ってってもらったわけじゃないの。
逆よ。
お金をもらってたの」
律「へ?
するってえとなにかい?」
み「何で急に江戸っ子になるのよ」
律「不思議なことに出会うと……。
人は江戸っ子になるものよ」
み「なるかい!」
律「だってさ。
お金を払って、下の物を集めてたってことでしょ?」
み「左様です」
律「何でよ?
あ。
まさか……。
そんなわけないわよね」
み「ありません」
律「まだ何も言ってないじゃないの」
み「目を見れば……。
考えが大外れしてるのが、よくわかる。
ま、とりあえず言ったんさい」
律「つまり……。
言いにくいわね」
み「キョロキョロしなくて大丈夫。
誰も聞いてないって」
律「つまり……。
大金持ちのスカトロジストが……」
↑ドバイの大金持ち所蔵
律「金に明かして、下の物を買い集めてるとか」
み「……」
律「どう?
当たり?」
み「集めてどうすんのよ?」
律「うーん。
浴びるとか?」
み「やめんか!
呆れ返った女だね。
小説家になれるよ」
↑わたしは読んでません!(読んでるヒマもないのじゃ)
律「じゃ、なんなのよー?
もう降参だから、教えて」
み「集めてるのは、お百姓さんだって言ったでしょ。
そもそも、どっからこの話になったと思うの?」
律「どっからだっけ?」
み「『最高級有機質肥料』でしょ」
律「あ」
み「やっと思い出したようね。
つまり、人糞は肥料だったわけ」
律「それで、下肥えを集めてたってこと?
いったい、いくら払ったの?」
み「そんなに気になる?」
律「だって。
お金もらえるんならさ。
毎朝流してるの、もったいないじゃない」
み「せこ……。
実際には……。
お金じゃなくて、野菜なんかを置いてったみたい」
み「まさしく、リサイクルよね。
下肥えで育てた野菜を、お返しするんだから。
“リサイクル”という観点から云うと……。
江戸時代は、今とは比べものにならないほど、進んでたってことよ」
↑残念ながら、読んでません
律「なるほど。
今は下水に流して、処分しちゃうんだもんね」
律「その……、肥料船、だっけ?」
み「“肥やし舟”」
律「それって、いつごろまであったの?」
み「昭和30年代くらいまでじゃないかな」
↓浮かんでるのが“肥やし舟”
↑火事場見物のようです
み「無くなったのは……。
幹線としての役割が、堀から道路に移ったころだね。
“肥やし舟”は、バキュームカーに取って代わられた」
律「リサイクルもされなくなった?」
み「リサイクルは、もっと前からされなくなってた。
大正ころかな。
化学肥料が普及し始めたんだね」
律「下肥として利用されなくなったのなら……。
“肥やし舟”は、誰が運行してたのよ」
み「また、さりげなく洒落を言う。
“運行”だなんて」
律「偶然です!」
み「もう一度、さかのぼって説明すると……。
江戸時代は、個々の農家が集めに来てたわけだ」
律「うんうん」
み「また、洒落を言う」
律「言ってないって!
話を進めてよ」
み「はいはい。
それが、明治になると……。
糞尿を集める専門業者が現れたわけ。
つまり、街中で糞尿を買い集め……。
それを、農村に持って行って売るんだね」
律「そういう商売が成り立ったわけね」
み「新潟の町中から出た糞尿は……。
評判高かったそうよ。
いいもの食べてるからって」
み「でも、ま……。
楽な商売じゃなかっただろうことは、想像できるけどね。
堀際の家だけ汲んでたわけじゃないんだから」
律「どうやったの?
ホースで吸い上げるわけじゃないんでしょ」
み「バキュームカーじゃないんだから。
そんな動力、ありますかって」
↑ミニカーになると、なぜかカッコ良い(欲しくないけど)
律「馬に引かせる?」
み「あのね……。
その馬は、どうやって運んでくるのよ?
舟に馬なんか乗せたら……。
それだけで、重量オーバーでしょ」
律「じゃ、どうすんの?」
み「人力運搬に決まってるでしょ。
肥たごよ、肥たご」
み「二斗桶を2つ、天秤棒の前後に吊るして運んだの」
律「二斗って、どのくらいよ?」
み「一斗は、十升でしょ。
つまり、二斗は、一升の20倍。
1.8リットル×20は?」
律「えーっと。
……、36?
36リットル!」
み「そう。
それを2つ下げてるわけだから……。
72リットルだよね。
中身が水でも、72キロあるわけだよ」
律「2リットル入りのペットボトル、36本……」
み「固形物が多かったら……。
いったいどれくらいあったんだろ」
律「過酷なお仕事ね」
↑江戸東京博物館では、実際の重さを体感できます
↓上手な担ぎ方
み「汲んでからもタイヘンなんだよ。
信濃川の川岸に、長舟がもやってあるの。
その舟の大樽に、移し替えなきゃならない」
律「なんでよ?」
み「堀に入りこめるような小舟じゃ、積める量もたかが知れてるでしょ。
そのまま売りに行ったら……。
新潟の町と農村を、頻繁に往復しなきゃなんない。
大量に積んで帰らなきゃ、効率が悪いわけ。
で、掘割に散った小舟から、大舟に移し替えるわけね。
大舟の樽は、直径六尺あったそうよ」
律「横幅が、1.8メートルってこと?」
み「左様です」
↑これは味噌樽ですが、大きさはだいたいこのくらい
律「詰め替えるのも、人力?」
み「あたぼーよ。
動力なんか、ありませんて」
律「つくずく、過酷なお仕事ね」
み「ま、こういう人たちがいたからこそ……。
リサイクル社会が成り立ってたわけね」
律「その事業が廃れたのは……。
化学肥料ってことね」
み「左様です。
化学肥料の登場により……。
糞尿を買い集めて農家に売るという商売は、成り立たなくなってしまったの。
大正時代のことよ。
江戸時代から続いてきたリサイクルの環が……。
プツンと切れたわけだね」
律「その後の処理はどうしたのよ?
肥料への用途は無くなっても……。
下の物は出続けるわけでしょ」
み「もちろんです。
昭和になっても、汲み取り業自体は、そのまま継続されたんだよ。
ただし今度は、料金を取って引き取るという業態になったわけ」
律「なるほど。
お金をもらう相手が、農家から汲み取り先に変わったわけか。
町の人だって、お金を取られるならお断り、なんて言えないもんね」
み「そういうこと」
律「でもさ。
汲んだあとは、どうしたのよ。
もう、農家には売れないんでしょ?」
み「どうしたと思う?」
律「処分場……、なんて無いのよね?」
み「いやいや。
広大な処分場があったわけよ」
律「どこに?」
み「海。
信濃川から海に出て……。
沖合いで捨てた」
律「汚い!」
み「すべての生命を産んだ母なる海が……」
み「不肖の子らの排泄物を、飲みこんでくれたってわけね」
律「いつごろまで、そんなことしてたのよ?」
み「だから、昭和30年代まで。
昭和39年に、新潟国体があったんだよ」
↑東京オリンピックではありません。新潟国体の開会式です。
み「それを見据えたインフラ整備で……。
掘割が、みんな埋められちゃったからね。
以後、下水道が普及するまでは、バキュームカーの時代ね」
律「しかし……。
いくら住んでる町とは云え……。
異様に詳しいよね。
どういうわけ?」
み「わたしの叔父に、こういうのを調べるのが好きな人がいるんだよ。
いわゆる講釈師ね。
『講釈師、見てきたようにモノを言い』」
老「それを言うなら、『見てきたようなウソを言い』じゃ」
み「そうだっけ?
一応、ウソは言ってないと思うけど。
いずれにしろ、マスミンタイプだね」
老「わしは、見てないことも、ウソも言いませんぞ」
み「はいはい。
何の話だったっけ?」
律「お酒の銘柄。
読み方でしょ」
み「あ、そうだった。
マスミン。
どう、『ひりょうせん』?」
老「長々と講釈してくれたが……。
ハズレじゃ」
み「じゃぁ……。
飛良泉(ひりょういずみ)?」
老「いいかげん、肥料から離れなさい。
しかし、かなり惜しい」
↑間違い方が一貫しており、感心させられます
み「なるほど。
『泉』は“いずみ”でいいわけね。
ずばり!
飛良泉(とびらいずみ)!」
老「うーむ。
逸れてしまったのぅ」
み「え~。
降参。
教えてよ」
老「これは……。
飛良泉(ひらいずみ)と読む」
み「読めんだろ!」
老「それでは、解説しよう」
み「せんでいい」
老「お前さまも、長々と喋ったではないか。
しかも、酒の場にふさわしくない話を」
み「それじゃ、解説聞く代わりに、このお酒おごって」
老「普通、解説を聞くほうが奢るものじゃ」
律「Mikiちゃん、お聞きしましょう」
み「じゃ、先生おごって」
律「どうして、自腹で飲もうとしないのよ?」
み「だって。
1合、980円だよ」
み「もし、口に合わなかったら……。
ショックが大きすぎるよ」
律「じゃ、1杯だけ頼んで、半分こしよう」
み「一合の半分って……。
五勺?」
み「せこー」
律「せこいのはあんたでしょ!」
み「まあいいや。
聞いてあげるから、語ったんさい」
老「お許しが出ましたかな?」
み「特に許す」
老「いちいち偉そうじゃな。
まぁ、いい。
この酒蔵の創業は、長享元年」
み「“ちょーきょー”と言われてもねー」
律「日本史の女王じゃなかったの?」
み「年号まで覚えてるかい。
ま、明治より前であることは確かだね」
律「あたりまえでしょ!」
み「そうだなー。
江戸中期くらい?」
老「ぜんぜんハズレじゃ」
み「くっそー。
幕末の方に、“ちょーきょー”なんて年号、聞かないな。
それじゃ、もっと前か。
元禄以前?」
老「もっとじゃ」
み「うそ。
江戸の前になっちゃうじゃない」
老「長享元年は、1487年。
室町時代の中期になる。
江戸幕府が開かれるのが、1603年じゃから……。
それより、116年も前のこと。
足利義政が銀閣寺を建立したころなんじゃよ」
み「ひぇ……」
老「創業から、五百二十余年。
今の当主が、確か26代目じゃなかったかな」
み「それって……。
異常に古くない?」
老「もちろん、東北では一番古い。
全国でも3番目じゃな」
み「げ。
まだ古いところがあるの?」
老「全国で2番目に古いのが……。
茨城県笠間市にある『須藤本家』じゃ」
老「創業はなんと、永治元年」
み「“えいじ”って、いつの年号よ?
室町時代より、古いわけよね」
律「はいはい。
わたしが当てます」
み「ハズレです」
律「まだ、何も言ってないじゃない!」
み「目を見れば……。
的を大きく外してるのが、はっきりわかる」
律「失礼ね。
当ててやるから」
み「じゃ、言ったんさい」
律「えーっとね。
縄文時代?」
み「……」
律「ほら当たった」
み「マスミン、どうぞ続けてちょうだい」
律「何でよ!」
み「あのね。
縄文時代に、文字なんてなかったの。
文字が無けりゃ、年号があるわけないでしょ」
律「そうなの?」
み「縄文の後の、弥生時代でも無かったんだよ」
み「卑弥呼は、知ってるでしょ?」
律「もちろん」
み「彼女のことは……。
中国の『魏志倭人伝』に、わずかに記述があるだけ」
律「邪馬台国よね」
み「左様です。
何で、日本に卑弥呼の記録が無いと思う?」
律「過去の歴史が消された」
み「ふむ。
発想はいいけどね。
でも、残念ながらハズレです。
卑弥呼の時代には、まだ文字が無かったからなの」
律「そうなんだ」
み「同じころの中国は、三国志の時代よ」
み「日本なんか、さぞや野蛮国に見えたろうね。
『魏志倭人伝』の正式名称は、『魏書東夷伝倭人条』だけど……」
み「この『夷』ってのは、“えびす”のことで、蔑称だからね。
中国は、自らを『華夏(華やかで盛んな国)』と呼び……。
まわりの国は……。
『東夷西戎北狄南蛮(とういせいじゅうほくてきなんばん)』って呼んでたんだよ」
み「“戎(じゅう)”も“狄(てき)”も“蛮(ばん)”も、みんな蔑称。
中華思想って知ってる?
ラーメンの話じゃないわよ。
世界の中心に中国があって、その周りに野蛮国があるっていう考え」
み「ま、その当時は、ほぼ正解だったけどね」
律「ふーん。
ちょっと悔しいわね」
み「卑弥呼は、魏に朝献の使者を派遣して……。
皇帝から『親魏倭王』の金印を授かつてる」
み「そのときの、卑弥呼の貢物を見ると……。
日本が、まさしく未開国だったのがよくわかるよ。
卑弥呼が献上したのは、“生口10人”と布」
律「セイコーって、何よ。
なんか、ヤラシイ」
み「ばかもん!
あんたの頭の中のほうがヤラシイわい。
生口は、生きた口って書くの。
つまり、人間のこと」
律「人間を貢物にしたの?」
み「早い話、奴隷だわね」
↑ファラオの奴隷(ジョン・コリア画)
律「ヒドいじゃない!」
み「そーゆー倫理観念が生じる以前の時代だったということでしょ。
だから!
卑弥呼が生まれる遙か前の縄文時代に、『永治』なんて年号があるわけないの」
律「じゃ、室町時代の前って、ほかに何があるのよ?」
み「先生の頭の中では……。
室町の前が、縄文だったわけね」
律「日本史は選択科目じゃなかったんだから、仕方ないでしょ」
み「室町時代の前は、鎌倉時代。
その前が、平安時代。
さらにその前が、奈良時代。
あとは、飛鳥時代、古墳時代、弥生時代、縄文時代、旧石器時代よ」
律「ふーむ。
そのどれかであるわけね」
み「せいぜい鎌倉時代でしょ」
み「それ以上古いわけないよ」
老「残念ながら……。
ハズレじゃ。
正解は、平安時代」
老「1141年じゃよ」
み「って……。
今から、何年前よ?」
律「……870年?」
み「マジすげー」
律「870年間、一度も潰れなかったってことよね」
↑純米大吟醸と純米吟醸しか造ってないそうです
み「だよね。
縁起良すぎじゃん。
会社設立するときには……。
この酒蔵のお酒、神棚にあげたらいいよね」
律「でも、ここでも、2位なんでしょ」
み「あ、そうか。
マスミン、降参だから、1位はズバッと教えて」
老「1位の創業年は、貞観元年」
み「だから!
その、“ジョーガン”ってのが、わからんでしょ!」
老「859年じゃ」
み「9世紀?」
老「それでも、同じ平安時代じゃがな」
み「今から……。
1,150年以上前か。
ちょっと想像もつかないね」
律「どこの酒蔵なんです?」
老「春日大社の酒殿(さかどの)じゃよ」
↑建物は、1632年(寛永9年)の再建(重要文化財)
老「現在でも、春日祭で供えられるお神酒が造られとる」
み「そのお神酒って、買えるの?」
老「まさに神に供えるためのお酒じゃ。
人の飲むものではない」
み「やっぱり。
それじゃ、買えるお酒を造ってる蔵では……。
茨城の須藤本家が一番古いわけだ」
老「そうなるな。
ま、春日大社の1位は、別格あつかいじゃな」
み「新潟の蔵元で、古いところって無いの?」
律「そうね。
4位以下も気になるわよね」
み「それでは、発表します!
デケデケデケデケデケデケデケデケ」
律「何よ、それ?」
み「ドラムロールの音」
律「ぜんぜんそう聞こえないんだけど」
み「心で聞きなさい」
み「第4位は!」
老「兵庫県は神戸市。
剣菱酒造」
み「剣菱ってお酒は、聞いたことある」
み「創業は、いつ?」
老「飛良泉から遅れること、18年。
永正2年。
1505年じゃな」
み「さらに発表を続けます。
デケデケデケデケデケデケデケデケ」
律「それは、もういい!」
み「それでは!
第5位!」
律「普通、下の方から発表するんじゃないの?」
み「仕方ないじゃん。
先にベスト3を発表しちゃったんだから。
ほれ、第5位は?」
老「滋賀県は長浜市(旧・木之本町)。
山路酒造。
創業は、天文元年。
これも室町時代。
1532年じゃな」
み「第6位!」
老「新潟県は長岡市」
み「でたー!
新潟、6位入賞です!
どこよ?」
老「吉乃川酒造。
天文17年創業。
同じく室町。
1548年」
み「おー。
聞いたことありまくり。
馴染みの名前だよ。
飲んだ覚え無いけど」
律「何で飲まないの?」
み「誰もくれないんだもの」
律「買えばいいでしょうに」
み「買うにはお金がいるでしょうに。
誰か、贈ってくれんかのー。
先生、今年のお歳暮、吉乃川にして」
律「何で、川崎から新潟宛に、新潟のお酒を贈らなきゃなんないのよ」
み「気にするでない」
律「マスミンさん、ランキング続けてください」
み「ごまかしおって。
案外ケチなんだから。
マスミン、あとはもうズラズラーっと並べちゃっていいよ。
新潟がもう出たから」
老「現金なもんじゃな。
それじゃ、いきますぞ」
み「第7位!」
老「兵庫県伊丹市、小西酒造。
天文19年(1550年)創業」
み「第8位!」
老「長野県長野市、千野酒造場。
天文24年(1555年)創業」
み「第9位!」
老「山形県鶴岡市、羽根田酒造。
文禄元年(1592年)創業。
ここからは、安土桃山時代になる」
み「第10位!」
老「山形県大蔵村、小屋酒造。
慶長元年(1596年)創業」
み「すげー。
10位まで出ても、まだ江戸時代に入んないよ」
律「ちょっと。
記念すべき800回のコメントとしては、ちょっと手抜きなんじゃないの?」
み「許せ。
リアルタイムの話になるが……。
いつまでも暑くて、バテ気味なのじゃ」
律「去年は、もっと暑かったんじゃない?」
み「外気は暑かったかも知れんが……。
会社も電車も図書館も、冷房が効いてた。
ところが今年は、それが全部暑いのよ。
図書館が暑いのが、特に辛い。
倒れないのが不思議なくらい。
冬のほうが、よっぽどマシじゃ」
律「愚痴ってもしょうがないでしょ。
政治家が言うには、“未曾有の国難”なんだから。
お話を戻しましょう。
江戸時代まで、あと何年?」
み「えーっと、7年か」
律「ベスト10までいっちゃったけど……。
いっそのこと、江戸前の蔵元、みんな出しちゃえば」
み「そういうの、“江戸前”って云わんだろ。
でも、それもそうだね。
マスミン、並べちゃってちょうだい。
江戸前蔵。
第11位!」
老「東京都千代田区、豊島屋本店。
同じく、慶長元年(1596年)創業」
み「おー。
東京からランクインですね。
これがホントの江戸前だ」
律「江戸前って、どういう意味なの?」
み「本来は、江戸城の前ってこと。
昔は、江戸城のすぐ前まで海だったの」
↑赤い線が、昔の海岸線
み「そこで捕れた魚が、江戸前よ」
み「ランキングを続けます。
第12位!」
老「山形県米沢市、小嶋総本店。
慶長2年(1597年)創業」
み「まだあるのかよ。
第13位!」
老「東京都渋谷区、養命酒製造。
慶長7年(1602年)創業」
み「養命酒って、あの薬用養命酒?」
老「そうじゃよ」
み「ばあちゃんの部屋の茶箪笥にあった。
薄暗い和室に、年代物の茶箪笥」
み「養命酒の瓶が、妙に似合ってたな。
思い出すなぁ。
子供のころ、せがんで飲ませてもらったもんだ。
小ちゃいコップで飲むんだよ」
み「そんなに古い会社だったとはね。
まさか、渋谷にあったとは思わなんだ」
老「ここだけが、日本酒ではない酒造所じゃな」
み「まだ続くわけね。
それじゃ、第14位!」
老「高知県佐川町、司牡丹酒造。
慶長8年(1603年)創業」
老「ここまでが、江戸以前になる」
律「すご~い。
14軒も」
み「ま、トップの春日大社は別格だから……。
事実上は、13だけどね。
でも、古い酒蔵が、ここまで残ってるとは思わなかった」
律「円という単位しか知らない今の日本人が、江戸時代に行ったら……。
パニックになるんじゃない?」
み「だよね」
老「さらに、金・銀・銅の異なる貨幣間の交換となると……。
さらにややこしい。
交換比率は、毎日相場が立って変化しとったからの。
この交換業務を行ったのが、『両替商』じゃ」
老「銀行の祖先じゃの」
↑両替商の看板(左)と銀行を表す地図記号(右)
み「ということです」
律「結局、いくらなのよ?」
み「いくらにしますか?」
律「よーし。
それじゃ、大負けに負けて……。
一文!
これ以下は無いんですからね。
どうだ、参ったか!」
み「ちーっとも、参りませんな」
律「なんでよ!
これより下は、タダじゃないの。
無料だったってこと?」
み「まだまだ」
律「タダより下は無いでしょ」
↑これは「ダダ」
み「ありますよー。
つまり……。
お金を払って持ってってもらったわけじゃないの。
逆よ。
お金をもらってたの」
律「へ?
するってえとなにかい?」
み「何で急に江戸っ子になるのよ」
律「不思議なことに出会うと……。
人は江戸っ子になるものよ」
み「なるかい!」
律「だってさ。
お金を払って、下の物を集めてたってことでしょ?」
み「左様です」
律「何でよ?
あ。
まさか……。
そんなわけないわよね」
み「ありません」
律「まだ何も言ってないじゃないの」
み「目を見れば……。
考えが大外れしてるのが、よくわかる。
ま、とりあえず言ったんさい」
律「つまり……。
言いにくいわね」
み「キョロキョロしなくて大丈夫。
誰も聞いてないって」
律「つまり……。
大金持ちのスカトロジストが……」
↑ドバイの大金持ち所蔵
律「金に明かして、下の物を買い集めてるとか」
み「……」
律「どう?
当たり?」
み「集めてどうすんのよ?」
律「うーん。
浴びるとか?」
み「やめんか!
呆れ返った女だね。
小説家になれるよ」
↑わたしは読んでません!(読んでるヒマもないのじゃ)
律「じゃ、なんなのよー?
もう降参だから、教えて」
み「集めてるのは、お百姓さんだって言ったでしょ。
そもそも、どっからこの話になったと思うの?」
律「どっからだっけ?」
み「『最高級有機質肥料』でしょ」
律「あ」
み「やっと思い出したようね。
つまり、人糞は肥料だったわけ」
律「それで、下肥えを集めてたってこと?
いったい、いくら払ったの?」
み「そんなに気になる?」
律「だって。
お金もらえるんならさ。
毎朝流してるの、もったいないじゃない」
み「せこ……。
実際には……。
お金じゃなくて、野菜なんかを置いてったみたい」
み「まさしく、リサイクルよね。
下肥えで育てた野菜を、お返しするんだから。
“リサイクル”という観点から云うと……。
江戸時代は、今とは比べものにならないほど、進んでたってことよ」
↑残念ながら、読んでません
律「なるほど。
今は下水に流して、処分しちゃうんだもんね」
律「その……、肥料船、だっけ?」
み「“肥やし舟”」
律「それって、いつごろまであったの?」
み「昭和30年代くらいまでじゃないかな」
↓浮かんでるのが“肥やし舟”
↑火事場見物のようです
み「無くなったのは……。
幹線としての役割が、堀から道路に移ったころだね。
“肥やし舟”は、バキュームカーに取って代わられた」
律「リサイクルもされなくなった?」
み「リサイクルは、もっと前からされなくなってた。
大正ころかな。
化学肥料が普及し始めたんだね」
律「下肥として利用されなくなったのなら……。
“肥やし舟”は、誰が運行してたのよ」
み「また、さりげなく洒落を言う。
“運行”だなんて」
律「偶然です!」
み「もう一度、さかのぼって説明すると……。
江戸時代は、個々の農家が集めに来てたわけだ」
律「うんうん」
み「また、洒落を言う」
律「言ってないって!
話を進めてよ」
み「はいはい。
それが、明治になると……。
糞尿を集める専門業者が現れたわけ。
つまり、街中で糞尿を買い集め……。
それを、農村に持って行って売るんだね」
律「そういう商売が成り立ったわけね」
み「新潟の町中から出た糞尿は……。
評判高かったそうよ。
いいもの食べてるからって」
み「でも、ま……。
楽な商売じゃなかっただろうことは、想像できるけどね。
堀際の家だけ汲んでたわけじゃないんだから」
律「どうやったの?
ホースで吸い上げるわけじゃないんでしょ」
み「バキュームカーじゃないんだから。
そんな動力、ありますかって」
↑ミニカーになると、なぜかカッコ良い(欲しくないけど)
律「馬に引かせる?」
み「あのね……。
その馬は、どうやって運んでくるのよ?
舟に馬なんか乗せたら……。
それだけで、重量オーバーでしょ」
律「じゃ、どうすんの?」
み「人力運搬に決まってるでしょ。
肥たごよ、肥たご」
み「二斗桶を2つ、天秤棒の前後に吊るして運んだの」
律「二斗って、どのくらいよ?」
み「一斗は、十升でしょ。
つまり、二斗は、一升の20倍。
1.8リットル×20は?」
律「えーっと。
……、36?
36リットル!」
み「そう。
それを2つ下げてるわけだから……。
72リットルだよね。
中身が水でも、72キロあるわけだよ」
律「2リットル入りのペットボトル、36本……」
み「固形物が多かったら……。
いったいどれくらいあったんだろ」
律「過酷なお仕事ね」
↑江戸東京博物館では、実際の重さを体感できます
↓上手な担ぎ方
み「汲んでからもタイヘンなんだよ。
信濃川の川岸に、長舟がもやってあるの。
その舟の大樽に、移し替えなきゃならない」
律「なんでよ?」
み「堀に入りこめるような小舟じゃ、積める量もたかが知れてるでしょ。
そのまま売りに行ったら……。
新潟の町と農村を、頻繁に往復しなきゃなんない。
大量に積んで帰らなきゃ、効率が悪いわけ。
で、掘割に散った小舟から、大舟に移し替えるわけね。
大舟の樽は、直径六尺あったそうよ」
律「横幅が、1.8メートルってこと?」
み「左様です」
↑これは味噌樽ですが、大きさはだいたいこのくらい
律「詰め替えるのも、人力?」
み「あたぼーよ。
動力なんか、ありませんて」
律「つくずく、過酷なお仕事ね」
み「ま、こういう人たちがいたからこそ……。
リサイクル社会が成り立ってたわけね」
律「その事業が廃れたのは……。
化学肥料ってことね」
み「左様です。
化学肥料の登場により……。
糞尿を買い集めて農家に売るという商売は、成り立たなくなってしまったの。
大正時代のことよ。
江戸時代から続いてきたリサイクルの環が……。
プツンと切れたわけだね」
律「その後の処理はどうしたのよ?
肥料への用途は無くなっても……。
下の物は出続けるわけでしょ」
み「もちろんです。
昭和になっても、汲み取り業自体は、そのまま継続されたんだよ。
ただし今度は、料金を取って引き取るという業態になったわけ」
律「なるほど。
お金をもらう相手が、農家から汲み取り先に変わったわけか。
町の人だって、お金を取られるならお断り、なんて言えないもんね」
み「そういうこと」
律「でもさ。
汲んだあとは、どうしたのよ。
もう、農家には売れないんでしょ?」
み「どうしたと思う?」
律「処分場……、なんて無いのよね?」
み「いやいや。
広大な処分場があったわけよ」
律「どこに?」
み「海。
信濃川から海に出て……。
沖合いで捨てた」
律「汚い!」
み「すべての生命を産んだ母なる海が……」
み「不肖の子らの排泄物を、飲みこんでくれたってわけね」
律「いつごろまで、そんなことしてたのよ?」
み「だから、昭和30年代まで。
昭和39年に、新潟国体があったんだよ」
↑東京オリンピックではありません。新潟国体の開会式です。
み「それを見据えたインフラ整備で……。
掘割が、みんな埋められちゃったからね。
以後、下水道が普及するまでは、バキュームカーの時代ね」
律「しかし……。
いくら住んでる町とは云え……。
異様に詳しいよね。
どういうわけ?」
み「わたしの叔父に、こういうのを調べるのが好きな人がいるんだよ。
いわゆる講釈師ね。
『講釈師、見てきたようにモノを言い』」
老「それを言うなら、『見てきたようなウソを言い』じゃ」
み「そうだっけ?
一応、ウソは言ってないと思うけど。
いずれにしろ、マスミンタイプだね」
老「わしは、見てないことも、ウソも言いませんぞ」
み「はいはい。
何の話だったっけ?」
律「お酒の銘柄。
読み方でしょ」
み「あ、そうだった。
マスミン。
どう、『ひりょうせん』?」
老「長々と講釈してくれたが……。
ハズレじゃ」
み「じゃぁ……。
飛良泉(ひりょういずみ)?」
老「いいかげん、肥料から離れなさい。
しかし、かなり惜しい」
↑間違い方が一貫しており、感心させられます
み「なるほど。
『泉』は“いずみ”でいいわけね。
ずばり!
飛良泉(とびらいずみ)!」
老「うーむ。
逸れてしまったのぅ」
み「え~。
降参。
教えてよ」
老「これは……。
飛良泉(ひらいずみ)と読む」
み「読めんだろ!」
老「それでは、解説しよう」
み「せんでいい」
老「お前さまも、長々と喋ったではないか。
しかも、酒の場にふさわしくない話を」
み「それじゃ、解説聞く代わりに、このお酒おごって」
老「普通、解説を聞くほうが奢るものじゃ」
律「Mikiちゃん、お聞きしましょう」
み「じゃ、先生おごって」
律「どうして、自腹で飲もうとしないのよ?」
み「だって。
1合、980円だよ」
み「もし、口に合わなかったら……。
ショックが大きすぎるよ」
律「じゃ、1杯だけ頼んで、半分こしよう」
み「一合の半分って……。
五勺?」
み「せこー」
律「せこいのはあんたでしょ!」
み「まあいいや。
聞いてあげるから、語ったんさい」
老「お許しが出ましたかな?」
み「特に許す」
老「いちいち偉そうじゃな。
まぁ、いい。
この酒蔵の創業は、長享元年」
み「“ちょーきょー”と言われてもねー」
律「日本史の女王じゃなかったの?」
み「年号まで覚えてるかい。
ま、明治より前であることは確かだね」
律「あたりまえでしょ!」
み「そうだなー。
江戸中期くらい?」
老「ぜんぜんハズレじゃ」
み「くっそー。
幕末の方に、“ちょーきょー”なんて年号、聞かないな。
それじゃ、もっと前か。
元禄以前?」
老「もっとじゃ」
み「うそ。
江戸の前になっちゃうじゃない」
老「長享元年は、1487年。
室町時代の中期になる。
江戸幕府が開かれるのが、1603年じゃから……。
それより、116年も前のこと。
足利義政が銀閣寺を建立したころなんじゃよ」
み「ひぇ……」
老「創業から、五百二十余年。
今の当主が、確か26代目じゃなかったかな」
み「それって……。
異常に古くない?」
老「もちろん、東北では一番古い。
全国でも3番目じゃな」
み「げ。
まだ古いところがあるの?」
老「全国で2番目に古いのが……。
茨城県笠間市にある『須藤本家』じゃ」
老「創業はなんと、永治元年」
み「“えいじ”って、いつの年号よ?
室町時代より、古いわけよね」
律「はいはい。
わたしが当てます」
み「ハズレです」
律「まだ、何も言ってないじゃない!」
み「目を見れば……。
的を大きく外してるのが、はっきりわかる」
律「失礼ね。
当ててやるから」
み「じゃ、言ったんさい」
律「えーっとね。
縄文時代?」
み「……」
律「ほら当たった」
み「マスミン、どうぞ続けてちょうだい」
律「何でよ!」
み「あのね。
縄文時代に、文字なんてなかったの。
文字が無けりゃ、年号があるわけないでしょ」
律「そうなの?」
み「縄文の後の、弥生時代でも無かったんだよ」
み「卑弥呼は、知ってるでしょ?」
律「もちろん」
み「彼女のことは……。
中国の『魏志倭人伝』に、わずかに記述があるだけ」
律「邪馬台国よね」
み「左様です。
何で、日本に卑弥呼の記録が無いと思う?」
律「過去の歴史が消された」
み「ふむ。
発想はいいけどね。
でも、残念ながらハズレです。
卑弥呼の時代には、まだ文字が無かったからなの」
律「そうなんだ」
み「同じころの中国は、三国志の時代よ」
み「日本なんか、さぞや野蛮国に見えたろうね。
『魏志倭人伝』の正式名称は、『魏書東夷伝倭人条』だけど……」
み「この『夷』ってのは、“えびす”のことで、蔑称だからね。
中国は、自らを『華夏(華やかで盛んな国)』と呼び……。
まわりの国は……。
『東夷西戎北狄南蛮(とういせいじゅうほくてきなんばん)』って呼んでたんだよ」
み「“戎(じゅう)”も“狄(てき)”も“蛮(ばん)”も、みんな蔑称。
中華思想って知ってる?
ラーメンの話じゃないわよ。
世界の中心に中国があって、その周りに野蛮国があるっていう考え」
み「ま、その当時は、ほぼ正解だったけどね」
律「ふーん。
ちょっと悔しいわね」
み「卑弥呼は、魏に朝献の使者を派遣して……。
皇帝から『親魏倭王』の金印を授かつてる」
み「そのときの、卑弥呼の貢物を見ると……。
日本が、まさしく未開国だったのがよくわかるよ。
卑弥呼が献上したのは、“生口10人”と布」
律「セイコーって、何よ。
なんか、ヤラシイ」
み「ばかもん!
あんたの頭の中のほうがヤラシイわい。
生口は、生きた口って書くの。
つまり、人間のこと」
律「人間を貢物にしたの?」
み「早い話、奴隷だわね」
↑ファラオの奴隷(ジョン・コリア画)
律「ヒドいじゃない!」
み「そーゆー倫理観念が生じる以前の時代だったということでしょ。
だから!
卑弥呼が生まれる遙か前の縄文時代に、『永治』なんて年号があるわけないの」
律「じゃ、室町時代の前って、ほかに何があるのよ?」
み「先生の頭の中では……。
室町の前が、縄文だったわけね」
律「日本史は選択科目じゃなかったんだから、仕方ないでしょ」
み「室町時代の前は、鎌倉時代。
その前が、平安時代。
さらにその前が、奈良時代。
あとは、飛鳥時代、古墳時代、弥生時代、縄文時代、旧石器時代よ」
律「ふーむ。
そのどれかであるわけね」
み「せいぜい鎌倉時代でしょ」
み「それ以上古いわけないよ」
老「残念ながら……。
ハズレじゃ。
正解は、平安時代」
老「1141年じゃよ」
み「って……。
今から、何年前よ?」
律「……870年?」
み「マジすげー」
律「870年間、一度も潰れなかったってことよね」
↑純米大吟醸と純米吟醸しか造ってないそうです
み「だよね。
縁起良すぎじゃん。
会社設立するときには……。
この酒蔵のお酒、神棚にあげたらいいよね」
律「でも、ここでも、2位なんでしょ」
み「あ、そうか。
マスミン、降参だから、1位はズバッと教えて」
老「1位の創業年は、貞観元年」
み「だから!
その、“ジョーガン”ってのが、わからんでしょ!」
老「859年じゃ」
み「9世紀?」
老「それでも、同じ平安時代じゃがな」
み「今から……。
1,150年以上前か。
ちょっと想像もつかないね」
律「どこの酒蔵なんです?」
老「春日大社の酒殿(さかどの)じゃよ」
↑建物は、1632年(寛永9年)の再建(重要文化財)
老「現在でも、春日祭で供えられるお神酒が造られとる」
み「そのお神酒って、買えるの?」
老「まさに神に供えるためのお酒じゃ。
人の飲むものではない」
み「やっぱり。
それじゃ、買えるお酒を造ってる蔵では……。
茨城の須藤本家が一番古いわけだ」
老「そうなるな。
ま、春日大社の1位は、別格あつかいじゃな」
み「新潟の蔵元で、古いところって無いの?」
律「そうね。
4位以下も気になるわよね」
み「それでは、発表します!
デケデケデケデケデケデケデケデケ」
律「何よ、それ?」
み「ドラムロールの音」
律「ぜんぜんそう聞こえないんだけど」
み「心で聞きなさい」
み「第4位は!」
老「兵庫県は神戸市。
剣菱酒造」
み「剣菱ってお酒は、聞いたことある」
み「創業は、いつ?」
老「飛良泉から遅れること、18年。
永正2年。
1505年じゃな」
み「さらに発表を続けます。
デケデケデケデケデケデケデケデケ」
律「それは、もういい!」
み「それでは!
第5位!」
律「普通、下の方から発表するんじゃないの?」
み「仕方ないじゃん。
先にベスト3を発表しちゃったんだから。
ほれ、第5位は?」
老「滋賀県は長浜市(旧・木之本町)。
山路酒造。
創業は、天文元年。
これも室町時代。
1532年じゃな」
み「第6位!」
老「新潟県は長岡市」
み「でたー!
新潟、6位入賞です!
どこよ?」
老「吉乃川酒造。
天文17年創業。
同じく室町。
1548年」
み「おー。
聞いたことありまくり。
馴染みの名前だよ。
飲んだ覚え無いけど」
律「何で飲まないの?」
み「誰もくれないんだもの」
律「買えばいいでしょうに」
み「買うにはお金がいるでしょうに。
誰か、贈ってくれんかのー。
先生、今年のお歳暮、吉乃川にして」
律「何で、川崎から新潟宛に、新潟のお酒を贈らなきゃなんないのよ」
み「気にするでない」
律「マスミンさん、ランキング続けてください」
み「ごまかしおって。
案外ケチなんだから。
マスミン、あとはもうズラズラーっと並べちゃっていいよ。
新潟がもう出たから」
老「現金なもんじゃな。
それじゃ、いきますぞ」
み「第7位!」
老「兵庫県伊丹市、小西酒造。
天文19年(1550年)創業」
み「第8位!」
老「長野県長野市、千野酒造場。
天文24年(1555年)創業」
み「第9位!」
老「山形県鶴岡市、羽根田酒造。
文禄元年(1592年)創業。
ここからは、安土桃山時代になる」
み「第10位!」
老「山形県大蔵村、小屋酒造。
慶長元年(1596年)創業」
み「すげー。
10位まで出ても、まだ江戸時代に入んないよ」
律「ちょっと。
記念すべき800回のコメントとしては、ちょっと手抜きなんじゃないの?」
み「許せ。
リアルタイムの話になるが……。
いつまでも暑くて、バテ気味なのじゃ」
律「去年は、もっと暑かったんじゃない?」
み「外気は暑かったかも知れんが……。
会社も電車も図書館も、冷房が効いてた。
ところが今年は、それが全部暑いのよ。
図書館が暑いのが、特に辛い。
倒れないのが不思議なくらい。
冬のほうが、よっぽどマシじゃ」
律「愚痴ってもしょうがないでしょ。
政治家が言うには、“未曾有の国難”なんだから。
お話を戻しましょう。
江戸時代まで、あと何年?」
み「えーっと、7年か」
律「ベスト10までいっちゃったけど……。
いっそのこと、江戸前の蔵元、みんな出しちゃえば」
み「そういうの、“江戸前”って云わんだろ。
でも、それもそうだね。
マスミン、並べちゃってちょうだい。
江戸前蔵。
第11位!」
老「東京都千代田区、豊島屋本店。
同じく、慶長元年(1596年)創業」
み「おー。
東京からランクインですね。
これがホントの江戸前だ」
律「江戸前って、どういう意味なの?」
み「本来は、江戸城の前ってこと。
昔は、江戸城のすぐ前まで海だったの」
↑赤い線が、昔の海岸線
み「そこで捕れた魚が、江戸前よ」
み「ランキングを続けます。
第12位!」
老「山形県米沢市、小嶋総本店。
慶長2年(1597年)創業」
み「まだあるのかよ。
第13位!」
老「東京都渋谷区、養命酒製造。
慶長7年(1602年)創業」
み「養命酒って、あの薬用養命酒?」
老「そうじゃよ」
み「ばあちゃんの部屋の茶箪笥にあった。
薄暗い和室に、年代物の茶箪笥」
み「養命酒の瓶が、妙に似合ってたな。
思い出すなぁ。
子供のころ、せがんで飲ませてもらったもんだ。
小ちゃいコップで飲むんだよ」
み「そんなに古い会社だったとはね。
まさか、渋谷にあったとは思わなんだ」
老「ここだけが、日本酒ではない酒造所じゃな」
み「まだ続くわけね。
それじゃ、第14位!」
老「高知県佐川町、司牡丹酒造。
慶長8年(1603年)創業」
老「ここまでが、江戸以前になる」
律「すご~い。
14軒も」
み「ま、トップの春日大社は別格だから……。
事実上は、13だけどね。
でも、古い酒蔵が、ここまで残ってるとは思わなかった」