2012.3.3(土)
五丁目橋の袂から、川反通りを、ソープ街とは反対側に歩き出します。
律「あんまり、賑やかじゃないわね」
み「ま、時間も早いしね。
それにほら、今日は3連休の中日じゃない」
律「あ、そうか。
つまり、社用族がいない?」
み「それそれ」
律「お店、やってるんでしょうね?」
み「大丈夫。
ホームページに、年中無休って書いてあったもん。
あ、この橋を左折します」
律「五丁目橋の次だから……。
六丁目橋?」
み「ブー。
反対です。
四丁目橋」
律「あらそう。
冗談で言ったのに」
み「一丁目橋まであるみたい。
見に行ってみる?」
律「四丁目橋までで十分。
飲み屋へGO!」
四丁目橋とは反対側、左に折れます。
一方通行の細い小路を抜けると……。
川反通りと平行に走る通りに出ます。
ここを右折。
み「この通りは、『赤れんが館通り』って云うらしいよ」
律「へー。
なんか、昔の少女マンガに出てきそうな名前ね」
み「この先に、『赤れんが郷土館』って資料館があるんだ」
み「旧秋田銀行本店だって。
明治45年(1912年)の完成だから、約100年前の建物だね」
律「面白そう。
行ってみる?」
み「行きたいところだけど……。
開館は、16時半まで」
律「あら残念。
それじゃ、飲み屋に直行ね。
まだ遠いの?」
み「もう着きました。
目の前だよ」
まさしく目の前に、提灯の明かりが、ずらーっと並んでます。
お酒の名前を書いた提灯に、灯がともって綺麗です。
ここが今日の夕食処。
『秋田川反漁屋酒場(あきたかわばたいさりやさかば)』。
律「この提灯って、竿灯のイメージかしら?」
み「なるほど。
そういう発想もありか」
律「秋田の人って、提灯が好きなのかしらね?」
み「そういう噂は聞きませんが」
律「提灯の下にさがってるのは何よ?
蜂の巣?」
み「知らないの?」
律「有名なもの?」
み「教師とか、お医者さんとか……。
“先生”って呼ばれる人たちには……。
常識に乏しい人が多いって聞くけど……。
ほんとだよ」
律「失礼ね。
確かに……。
全否定はできないけど。
麻生元総理が、『医者には社会的な常識が欠落してる人が多い』って言って、怒られてたわね」
み「あれはまさしく、麻生さんが正しい。
あの人は、育ちがいいだけに……。
発言が正直すぎて損してたね」
↑若い!
律「でも、議員さんだって、“先生”って呼ばれるわよ」
み「あ、非常識な先生が、まだあったか。
発言にブレーキがかけられないって点では、議員さんも一緒かもね」
律「だから、この下がってるのは何なの?
鳥の巣?」
み「これは、杉玉と云って……。
文字どおり、杉の葉っぱを玉にしたもの」
律「人間が作るの?」
み「当たり前でしょ」
律「何のために?」
み「酒蔵の軒先に下げる習わしがあるの」
律「へ~。
でも、そろそろ取り替えどきなんじゃない?
まっ茶色よ」
み「新酒が出来ると、取り替えるんだよ。
真新しい緑の杉玉が下がると……。
新酒が出来ましたって合図なわけ」
律「へ~。
面白いわね。
Mikiちゃん、物知り!」
み「えっへん」
律「でも、何で杉の葉っぱを使うわけ?」
み「さ、早く入ろうよ」
律「何でよ~」
み「後で教えてあげる」
律「さては……。
知らないな~」
さっそく暖簾をくぐりましょう。
律「面白そうなお店ね」
み「昔の商家みたいな感じだね」
み「どうする?
お座敷にする?」
み「あっちに、カウンターもあるけど」
律「2人なんだから、カウンターにしない?
脚も楽だし」
み「そうだね」
カウンター席は、お店の一番奥にありました。
席からは、料理人さんの包丁捌きも見えます。
一人で来ても、退屈しないかも。
実際、単独のお客さんが、飛び飛びに座ってます。
律「2つ並んで空いてないみたいね」
み「やっぱ、お座敷にしようか?」
わたしたちの声が聞こえたのでしょうか……。
両脇の空いていたお客さんが、席をひとつ、ずれてくれました。
律「あ、すみませ~ん」
律子先生は、お客さんに頭を下げながら……。
空けてくれた席に、ちゃっかり座っちゃいました。
律「Mikiちゃん、どうしたの?
突っ立ったままで」
わたしの脚は、動きませんでした。
そのお客さんは、着物を着てました。
といっても、着流しではなく……。
袴を穿いてます。
細身の、ズボンみたいな袴です。
『剣客商売』で藤田まことが穿いてたみたいな、軽衫(かるさん)って袴。
後ろ頭は、きれいな白髪。
その上には、茶の湯の師匠が被るみたいな、宗匠帽が載ってます。
み『ま、まさかね……』
律「Mikiちゃんってば!
せっかく席空けてくださったんだから、座りなさいって」
老「ほっほっほ。
“袖すり合うも他生の縁”と言いますぞ。
こんな年寄りと隣合って飲むのも、旅の思い出となりましょう」
おじいさんが、ゆっくりと振り返りました。
↑「秋田県立博物館」菅江真澄資料センターより
み「で、出たぁ~」
律「ちょっと、どうしたのよ?
お知り合い?」
老「はて?
わしは存じませぬが……」
み「す、すっとぼけおって……。
おぬし、す、菅江真澄ではないか。
こんなとこで待ち伏せしてるとは、大胆なヤツ」
老「仇に出会ったようじゃの」
み「似たようなもんだわい。
やぁやぁ、菅江真澄!
ここで逢うたが百年目。
盲亀の浮木優曇華の花咲く今月今夜のこの月を……。
僕の涙で曇らせてみせよう」
律「Mikiちゃん……。
お湯あたりしたんじゃない?」
み「この人、江戸時代の人だよ」
律「恥ずかしいこと言わないでちょうだい。
救急車呼ばれるわよ」
み「寒風山から、ずっとつきまとわれてるんだって」
律「わたしは初対面だけど」
み「最初の時は、時間を止めてたからね。
帰りのバスでは、夢の中に出てきた」
律「いいかげんにしなさい。
ほんっとに、頭どうかしたんじゃないの」
老「面白い娘さんじゃ。
はて。
御新造さんだったかの?」
み「すっとぼけおって。
わたしが独身のことくらい、知ってるくせに。
何しろ、毎朝のオナニー、覗いてたんだからね。
い、痛い痛いっ。
先生、なんで耳引っ張るのよ」
律「ほんとに怒った。
冗談が過ぎるわ。
耳が千切れないうちに、座りなさいよ」
み「痛い痛い。
耳なし芳一じゃないんだから」
み「あ~痛て。
平家の亡霊級の馬鹿力」
律「うるさい。
すみませんね、せっかく席譲ってくださったのに。
普段は、これほど馬鹿じゃないんですけど。
ほんとに、お湯に当たったのかしら?」
老「ほ~。
『華のゆ』ですかな?」
律「え?
どうしてわかるんです?」
み「やっぱり覗いてたなー」
律「こら!
まだ云うか」
老「実は……。
覗いておりました」
律「え!」
老「というのは、もちろん嘘ですが……。
わたしも、さっきまで『華のゆ』を利用しておりましてな。
休憩室で休んでると……」
老「お2人の元気な声が聞こえて来ました。
そのときと、同じお声のようでしたでな」
律「まー。
シャーロック・ホームズみたいですわね」
律「でも、恥ずかしいわ。
何しゃべってたのかしら。
この人、でっかい声出してたから」
み「わたしのせいかよ!
しかし……。
休憩室で、わたしらの声を聞いてるのに……。
ここに先回りして飲んでるってのは、どういうわけ?」
律「そういえば……。
妙ね」
老「それは、わたしも不思議でした。
どこぞに、寄られたのではありませんかな?」
律「あ。
ほら、『四丁目橋』の袂で……。
だいぶ道草食ったじゃない」
み「あっ。
ソープ街か」
老「ほぅ。
それはまた、勇ましい。
温泉の後、ソープにまで行かれたとはの」
↑スケベ椅子と称するそうな
律「行ってません!」
み「覗いてただけ!」
老「なんじゃ。
覗いてたのは、おまえさまの方ではないか」
み「うー。
減らず口めー」
律「Mikiちゃん、店員さんが注文取りに来てるわよ」
み「あ、すみませんね。
さっきから、そこ立ってたの?
あなた、アルバイト?
そう。
おいくつ?
若いわねー」
店「あの……。
ご注文を」
み「はいはい。
もちろん……。
とりあえずビールね」
み「念のために云っておくけど……。
“とりあえず”って銘柄じゃないわよ」
み「ビールにかかる副詞だからね(←副詞は名詞には係らんぞ【HQ先生談】)」
律「飲む前から、絡むんじゃないの!」
み「へいへい。
じゃ、生ビールを2つ。
大ジョッキ、あるよね?」
律「中でいいわよ」
み「そんなの、ひと飲みじゃん。
ノド渇いてんだから。
それとも、中2つずつにする?」
律「恥ずかしい女ね」
み「すっぴんで気取ったってしょうがないでしょ。
知ってる人もいないんだし。
さーて、つまみは何にしようか?」
律「“きりたんぽ鍋”食べるんじゃなかった?」
み「あ、そうだった。
ありますよね?
お勧め?
じゃ、それ2人前。
あと、どうする?
お鍋が煮えるまで、何か頼まなきゃ」
律「ほら、あれも食べるんじゃなかった?
セリオンのお土産屋さんで見たヤツ」
み「なに?」
律「いぶりがっこ」
み「あ、そうか。
じゃ、それ。
“いぶりがっこ”」
み「ありますよね?
お勧め?
なんでもお勧めなんじゃないの?
あと、どうする?
お鍋が煮えるまで、“いぶりがっこ”だけじゃわびしいよな」
律「ほら、あれもあったじゃない。
“しょっつる鍋”」
み「また、鍋?
カウンターに鍋が2つも並んだら、暑苦しいでしょ。
でも、ハタハタは食べてみたいよな。
鍋のほかに、ハタハタ料理ってあります?
え?
塩焼きにお刺身、唐揚げに天ぷら」
上=左:塩焼き(600円)/右:お刺身(650円)
下=左:唐揚げ(500円)/右:天ぷら(650円)
み「お寿司もあるの?」
左:寿司ハタハタ(600円)/右:寿司ハタハタのにぎり(2貫400円)
み「先生、どうする?」
律「Mikiちゃんは、生ものダメなのよね?」
み「わたしは、天ぷらにしようかな。
先生は、お刺身食べれば」
えーっと。
この文章は、秋田川反漁屋酒場さんの『秋田の郷土料理』というページを見ながら書いてるですけど……。
不思議な記述を発見しましたので、ちょっとご紹介します。
「ハタハタのお刺身」の画像です。
「生でお召し上がりください」って、どういうことだ?
秋田では、刺身を生以外で食べる風習があるんでしょうか?
そういえば、「大分に行こう!」で……。
お刺身を炙って食べたよな。
『Mikiちゃん焼き』と名付けたっけ。
秋田には、ほんとにそう言う食べ方でもあるんでしょうか?
ネットを探してみたら……。
「金目鯛の炙り刺身」なるレシピがありました。
秋田じゃないけど。
料理用バーナーで炙るそうです。
さらに、「太刀魚の炙り刺身」なるレシピも。
どうやら、「炙り刺身」という料理は、普通に存在するようです。
考えてみりゃ……。
「高知に行こう!」で、結局食べそこねましたが……。
「鰹のたたき」なんて、「炙り刺身」そのものだよね。
余談でした。
お話を続けます。
律「お刺身ねー。
でも、さっきから気になってるんだけど……。
あの、すみません。
それって、なんですか?」
律子先生が、真澄(?)じいさんのお皿を指さしました。
老「これですかの。
何に見えます?」
律「ポテトチップス、じゃないですよね?」
老「これは、『比内地鶏の鶏皮せんべい』と云います」
律「美味しそう。
これにしよう」
み「夕べ、ニワトリはたらふく食べたろうに」
律「鶏肉の連チャンなら、ぜんぜん平気よ。
コラーゲン、たっぷり取れそうだし」
ということで……。
さっそく、ビールが来ました。
み「デカっ」
律「それじゃ、とりあえず乾杯」
み「何に乾杯?」
律「秋田の夜に」
み「それじゃ……。
かんぱーい」
律「かんぱーい」
み「うめぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ」
律「ヤギか、あんたは」
律「でも、ほんと美味しい」
み「五臓六腑に染み渡るぅぅぅ、ってやつだね」
律「オヤジなんだから。
鼻の下に泡着いてるわよ」
律「サンタクロースみたい。
ちょっと!
手で拭かないの!
おしぼりがあるでしょ」
み「手で拭くのが、生ビールの醍醐味なの」
律「ほんとにもう。
でも、醍醐味ってどういう味なんだろ?」
み「それは……。
マスミンに聞けばわかるよ。
ダテに年取ってないから」
律「マスミンって誰よ?」
み「あなたの隣のおじいさん」
律「何でマスミンなの?」
み「名前が、真澄って云うんだよ。
桑田真澄と同じ字」
み「だから、マスミン」
律「どうして、お名前まで知ってるのよ?」
み「もちろん、名字も知ってるぞ。
菅江」
律「ほんとに知り合いなの?」
み「さっきも言ったでしょ。
寒風山で、さんざんウンチク聞かされたんだから」
律「おかしいじゃない。
わたしは初対面なんだから」
み「ま、わたしが選ばれたってわけだね」
律「ん?
聞き捨てならんことを。
Mikiちゃんとわたしが比べられて……。
Mikiちゃんが選ばれたってこと?」
み「そのとおり」
律「納得いかん」
み「わたしの方が、ウンチクの語り甲斐がありそうだったからでしょ。
先生にウンチク語っても……。
馬の耳に何とやらで、面白くないって思ったんだろ」
律「それはそれで、失礼ね」
み「ねー、マスミン」
老「ほっほっ、ほ。
何のことですかな?」
み「すっとぼけちゃって。
それじゃ、鶏皮が来るまでの場つなぎに……。
とりあえず語っていいよ。
醍醐味の意味」
老「わしの話は、突き出し代わりかの?
まぁ良い。
ツマミのひとつに語って進ぜよう。
『醍醐』というのは、乳製品の熟成度を表す段階のひとつなんじゃよ。
乳製品は……。
熟成に従って、『乳(にゅう)』『酪(らく)』『生酥(しょうそ)』『熟酥(じゅくそ)』『醍醐(だいご)』の五味(ごみ)に分けられた。
あとのものほど美味であったわけじゃな。
すなわち、醍醐味とは、“最高の美味”を意味したわけじゃ」
み「わかった。
バンドのゴダイゴは……。
五番目の醍醐ってことなんじゃないの?」
律「そうなの?
後醍醐天皇から来てると思ってた」
み「そうか。
それもありか。
専門家の意見をどうぞ」
老「それは知らん」
み「なんだよ。
これで終わり?」
老「終わりじゃ」
み「まぁ、いいか。
話の長い男は嫌われるからね。
でも、まだ鶏皮来ないなぁ」
老「よかったら、わしのを食べなさい」
み「うそー。
いいのぉ?」
老「もちろん、あんたらのが来たら、返してもらうがの」
み「けち」
律「Mikiちゃん!
すみませんね。
でも、ほんと美味しそう。
ちゃんとお返ししますから、1枚いいですか?」
老「どうぞどうぞ」
律「それじゃいただきます。
!
美味しいー。
なんてジューシーなんでしょ。
華やかな脂が、口の中で弾ける感じ」
み「食べ物紀行みたいだね。
じゃ、わたしも1枚もらいます」
老「あげるんじゃありませんぞ。
お貸しします」
み「けち」
み「じゃ、わたしが1枚脱ぐから、鶏皮1枚ちょうだい」
老「積極的にお断りじゃ」
み「なに!
あ、そうか。
あなた、衆道さんだったね」
律「いったい何のこと?」
み「先生は、わからんでいいよ。
夕食がマズくなるから。
今日は、もろきゅうは頼まんぞ」
み「それじゃ。
1枚“お借り”します。
どれどれ。
ん!
ほんと、こりゃ美味しいわ。
ビールのツマミには、最高だね」
律「もっと上手いこといいなさいよ。
物書きでしょ」
み「だって……。
ほんとは食べてないんだから……。
書けないんだもん」
律「なにそれ」
み「でも、美味しいことは確かだよ。
有名だもんね、比内鶏って」
老「確かに有名じゃの。
しかし、これは比内鶏ではない」
み「え?
だってさっき、『比内鶏の鶏皮せんべい』って言ってたでしょ」
老「よくメニューを見なさい」
律「Mikikoちゃん、『比内地鶏』って書いてあるわよ」
み「ほんとだ。
でも、おんなじ鶏なんじゃないの?
どこかのお店の看板に……。
『比内鶏』って書いてあったの見たよ」
老「もし、そのお店が……。
ほんとうに『比内鶏』を食べさせてたとしたら……。
大変なことじゃよ」
律「どうしてです?」
老「比内鶏は、国の天然記念物じゃからな」
老「それを食べたりしたら、文化財保護法違反となる」
み「げ。
そうなんだ」
老「今、俗に比内鶏と呼ばれ、食に供されておるのは……。
比内地鶏のことなんじゃよ」
老「それを、看板に『比内鶏』と掲げるのは……。
表示上、問題があるじゃろうな」
律「どう違うんですか?」
老「もともと比内鶏は、秋田県北部の比内地方(現在の秋田県大館市)で、古くから飼育されてきた家禽じゃ」
老「縄文時代以前から存在した鶏でな……」
↑奥さん色っぽい!
老「品種改良もされていない。
ほぼ野鶏と云ってよいじゃろ。
肉質はヤマドリに似て、風味はいいんじゃが……」
↑あしびきの山鳥の尾のしだり尾の……
老「成長が遅いうえに繁殖率が悪く、病気にもかかりやすい。
ま、だからこそ、天然記念物になったわけじゃろうがの」
み「なるほどー」
老「で、この生産性の低さを解消するため……。
別の種を掛け合わせる試みが行われた。
結果、数百種の中から選ばれたのが……。
アメリカ原産の、強健で多産なロードアイランドレッドじゃ」
老「つまり……。
雄の比内鶏と雌のロードアイランドレッドを掛け合わせた一代限りの雑種、これが比内地鶏なんじゃよ。
いわゆる“F1(一代交配種)”というやつじゃな」
み「マジ、うまいっす。
ほんとにジューシーだね」
老「比内鶏の特徴である濃厚な脂の旨味を、見事に受け継いどるようじゃな」
み「なるほど。
マスミンは、本物の比内鶏を食べたことがあるわけね?」
老「もちろんじゃよ」
律「え?
天然記念物は、食べちゃいけないんでしょ?」
老「天然記念物になったのは、昭和17年のことじゃからな。
わしが食べたのは、それ以前ということになる」
み「ま、江戸時代も、それ以前には違いがないけどねー」
律「また、わからんこと言う。
でも、ほんと味が濃いって感じよね。
歯ごたえもあるし」
老「噛みごたえがありながら……。
加熱しても、固くなりすぎない。
これも、比内鶏の特徴を受け継いどるな。
鍋物には最適というわけじゃ」
律「ブロイラーの味とは、違いますか?」
老「まったく違う。
実は……。
比内鶏とロードアイランドレッドを掛け合わせただけでは……。
比内地鶏と認定されないんじゃよ」
み「え、そうなの?」
老「生まれだけでなく……。
育ち方も規定されとる。
すなわち……。
①28日齢以降で、平飼いか放し飼いで飼育されていること」
老「②28日齢以降で、1平方メートルあたり5羽以下で飼育されていること。
③雌は孵化日から150日間以上、雄は100日間以上飼育されていること」
み「へー。
つまり、自由に歩き回れる状態で飼われてなきゃダメってこと?」
老「そのとおり」
律「なるほど。
ブロイラーとは違うわけですね」
老「実は……。
これだけ厳しい規定が設けられたのには、ある事件がきっかけなんじゃ。
平成19年に……。
大館市の飼育業者が、長年表示偽装を行っていたことが発覚しての」
老「以来、比内地鶏ブランドは、厳しい認証制度となった」
み「偽装はいかんよね。
その会社、倒産?」
老「破産じゃよ。
会社更生など不可能。
事が発覚した1週間後には全従業員を解雇、営業を停止したが……。
取引先からの賠償請求額が大きすぎて……。
再建など、とてもムリだったというわけじゃ」
み「報いは強烈だね」
老「偽装は、いつか発覚する。
そして、すべてを失う。
この偽装で、いったいどれほどの利益を得ていたのか……。
大した利益では無いはずじゃ。
もし莫大な利益が出てたとしたら……。
とっくの昔に発覚してたじゃろうからな」
律「長いこと、偽装してたんですか?」
老「どうやら、創業当時の1985年からやっとったらしい」
み「20年以上!
よくバレなかったよね」
老「たしかに不思議じゃ。
おそらく……。
そんな偽装をしても、やっと利益が出るくらいの経営だったんじゃろ。
川反で札束を巻くような羽振りなら、もっと早く疑われてたじゃろうからな」
老「それに……。
わしが思うに、この社長は、従業員から好かれていたんじゃないかな?」
律「どうしてです?」
老「偽装してることは、当然従業員も知っておったはずじゃ。
従業員を大事にしない人なら……。
とっくの昔に、クビになった従業員が密告してたじゃろ」
み「ひょっとしたら、そんなに悪いことしてる自覚が無かったんじゃないの?」
老「どうやら、そのようじゃ」
老「そうでもなければ、あんな帳尻の合わない商売は出来ん。
コツコツ稼いで、ドカンと失う。
相場と一緒じゃよ」
老「典型的な負けパターンじゃな。
コツコツ100連勝しても、ドカンと1敗したら、それでゲームオーバー。
食品偽装などというのは……。
結局、まったく割りに合わない行為なんじゃよ」
律「その社長さん、どうなったんです?」
老「よく覚えてないが……。
詐欺容疑で立件されたんじゃないかの」
み「いっそ、川反で大尽遊びして……」
み「早いうちにバレちゃえば良かったのにね」
老「そうじゃな」
律「あんまり、賑やかじゃないわね」
み「ま、時間も早いしね。
それにほら、今日は3連休の中日じゃない」
律「あ、そうか。
つまり、社用族がいない?」
み「それそれ」
律「お店、やってるんでしょうね?」
み「大丈夫。
ホームページに、年中無休って書いてあったもん。
あ、この橋を左折します」
律「五丁目橋の次だから……。
六丁目橋?」
み「ブー。
反対です。
四丁目橋」
律「あらそう。
冗談で言ったのに」
み「一丁目橋まであるみたい。
見に行ってみる?」
律「四丁目橋までで十分。
飲み屋へGO!」
四丁目橋とは反対側、左に折れます。
一方通行の細い小路を抜けると……。
川反通りと平行に走る通りに出ます。
ここを右折。
み「この通りは、『赤れんが館通り』って云うらしいよ」
律「へー。
なんか、昔の少女マンガに出てきそうな名前ね」
み「この先に、『赤れんが郷土館』って資料館があるんだ」
み「旧秋田銀行本店だって。
明治45年(1912年)の完成だから、約100年前の建物だね」
律「面白そう。
行ってみる?」
み「行きたいところだけど……。
開館は、16時半まで」
律「あら残念。
それじゃ、飲み屋に直行ね。
まだ遠いの?」
み「もう着きました。
目の前だよ」
まさしく目の前に、提灯の明かりが、ずらーっと並んでます。
お酒の名前を書いた提灯に、灯がともって綺麗です。
ここが今日の夕食処。
『秋田川反漁屋酒場(あきたかわばたいさりやさかば)』。
律「この提灯って、竿灯のイメージかしら?」
み「なるほど。
そういう発想もありか」
律「秋田の人って、提灯が好きなのかしらね?」
み「そういう噂は聞きませんが」
律「提灯の下にさがってるのは何よ?
蜂の巣?」
み「知らないの?」
律「有名なもの?」
み「教師とか、お医者さんとか……。
“先生”って呼ばれる人たちには……。
常識に乏しい人が多いって聞くけど……。
ほんとだよ」
律「失礼ね。
確かに……。
全否定はできないけど。
麻生元総理が、『医者には社会的な常識が欠落してる人が多い』って言って、怒られてたわね」
み「あれはまさしく、麻生さんが正しい。
あの人は、育ちがいいだけに……。
発言が正直すぎて損してたね」
↑若い!
律「でも、議員さんだって、“先生”って呼ばれるわよ」
み「あ、非常識な先生が、まだあったか。
発言にブレーキがかけられないって点では、議員さんも一緒かもね」
律「だから、この下がってるのは何なの?
鳥の巣?」
み「これは、杉玉と云って……。
文字どおり、杉の葉っぱを玉にしたもの」
律「人間が作るの?」
み「当たり前でしょ」
律「何のために?」
み「酒蔵の軒先に下げる習わしがあるの」
律「へ~。
でも、そろそろ取り替えどきなんじゃない?
まっ茶色よ」
み「新酒が出来ると、取り替えるんだよ。
真新しい緑の杉玉が下がると……。
新酒が出来ましたって合図なわけ」
律「へ~。
面白いわね。
Mikiちゃん、物知り!」
み「えっへん」
律「でも、何で杉の葉っぱを使うわけ?」
み「さ、早く入ろうよ」
律「何でよ~」
み「後で教えてあげる」
律「さては……。
知らないな~」
さっそく暖簾をくぐりましょう。
律「面白そうなお店ね」
み「昔の商家みたいな感じだね」
み「どうする?
お座敷にする?」
み「あっちに、カウンターもあるけど」
律「2人なんだから、カウンターにしない?
脚も楽だし」
み「そうだね」
カウンター席は、お店の一番奥にありました。
席からは、料理人さんの包丁捌きも見えます。
一人で来ても、退屈しないかも。
実際、単独のお客さんが、飛び飛びに座ってます。
律「2つ並んで空いてないみたいね」
み「やっぱ、お座敷にしようか?」
わたしたちの声が聞こえたのでしょうか……。
両脇の空いていたお客さんが、席をひとつ、ずれてくれました。
律「あ、すみませ~ん」
律子先生は、お客さんに頭を下げながら……。
空けてくれた席に、ちゃっかり座っちゃいました。
律「Mikiちゃん、どうしたの?
突っ立ったままで」
わたしの脚は、動きませんでした。
そのお客さんは、着物を着てました。
といっても、着流しではなく……。
袴を穿いてます。
細身の、ズボンみたいな袴です。
『剣客商売』で藤田まことが穿いてたみたいな、軽衫(かるさん)って袴。
後ろ頭は、きれいな白髪。
その上には、茶の湯の師匠が被るみたいな、宗匠帽が載ってます。
み『ま、まさかね……』
律「Mikiちゃんってば!
せっかく席空けてくださったんだから、座りなさいって」
老「ほっほっほ。
“袖すり合うも他生の縁”と言いますぞ。
こんな年寄りと隣合って飲むのも、旅の思い出となりましょう」
おじいさんが、ゆっくりと振り返りました。
↑「秋田県立博物館」菅江真澄資料センターより
み「で、出たぁ~」
律「ちょっと、どうしたのよ?
お知り合い?」
老「はて?
わしは存じませぬが……」
み「す、すっとぼけおって……。
おぬし、す、菅江真澄ではないか。
こんなとこで待ち伏せしてるとは、大胆なヤツ」
老「仇に出会ったようじゃの」
み「似たようなもんだわい。
やぁやぁ、菅江真澄!
ここで逢うたが百年目。
盲亀の浮木優曇華の花咲く今月今夜のこの月を……。
僕の涙で曇らせてみせよう」
律「Mikiちゃん……。
お湯あたりしたんじゃない?」
み「この人、江戸時代の人だよ」
律「恥ずかしいこと言わないでちょうだい。
救急車呼ばれるわよ」
み「寒風山から、ずっとつきまとわれてるんだって」
律「わたしは初対面だけど」
み「最初の時は、時間を止めてたからね。
帰りのバスでは、夢の中に出てきた」
律「いいかげんにしなさい。
ほんっとに、頭どうかしたんじゃないの」
老「面白い娘さんじゃ。
はて。
御新造さんだったかの?」
み「すっとぼけおって。
わたしが独身のことくらい、知ってるくせに。
何しろ、毎朝のオナニー、覗いてたんだからね。
い、痛い痛いっ。
先生、なんで耳引っ張るのよ」
律「ほんとに怒った。
冗談が過ぎるわ。
耳が千切れないうちに、座りなさいよ」
み「痛い痛い。
耳なし芳一じゃないんだから」
み「あ~痛て。
平家の亡霊級の馬鹿力」
律「うるさい。
すみませんね、せっかく席譲ってくださったのに。
普段は、これほど馬鹿じゃないんですけど。
ほんとに、お湯に当たったのかしら?」
老「ほ~。
『華のゆ』ですかな?」
律「え?
どうしてわかるんです?」
み「やっぱり覗いてたなー」
律「こら!
まだ云うか」
老「実は……。
覗いておりました」
律「え!」
老「というのは、もちろん嘘ですが……。
わたしも、さっきまで『華のゆ』を利用しておりましてな。
休憩室で休んでると……」
老「お2人の元気な声が聞こえて来ました。
そのときと、同じお声のようでしたでな」
律「まー。
シャーロック・ホームズみたいですわね」
律「でも、恥ずかしいわ。
何しゃべってたのかしら。
この人、でっかい声出してたから」
み「わたしのせいかよ!
しかし……。
休憩室で、わたしらの声を聞いてるのに……。
ここに先回りして飲んでるってのは、どういうわけ?」
律「そういえば……。
妙ね」
老「それは、わたしも不思議でした。
どこぞに、寄られたのではありませんかな?」
律「あ。
ほら、『四丁目橋』の袂で……。
だいぶ道草食ったじゃない」
み「あっ。
ソープ街か」
老「ほぅ。
それはまた、勇ましい。
温泉の後、ソープにまで行かれたとはの」
↑スケベ椅子と称するそうな
律「行ってません!」
み「覗いてただけ!」
老「なんじゃ。
覗いてたのは、おまえさまの方ではないか」
み「うー。
減らず口めー」
律「Mikiちゃん、店員さんが注文取りに来てるわよ」
み「あ、すみませんね。
さっきから、そこ立ってたの?
あなた、アルバイト?
そう。
おいくつ?
若いわねー」
店「あの……。
ご注文を」
み「はいはい。
もちろん……。
とりあえずビールね」
み「念のために云っておくけど……。
“とりあえず”って銘柄じゃないわよ」
み「ビールにかかる副詞だからね(←副詞は名詞には係らんぞ【HQ先生談】)」
律「飲む前から、絡むんじゃないの!」
み「へいへい。
じゃ、生ビールを2つ。
大ジョッキ、あるよね?」
律「中でいいわよ」
み「そんなの、ひと飲みじゃん。
ノド渇いてんだから。
それとも、中2つずつにする?」
律「恥ずかしい女ね」
み「すっぴんで気取ったってしょうがないでしょ。
知ってる人もいないんだし。
さーて、つまみは何にしようか?」
律「“きりたんぽ鍋”食べるんじゃなかった?」
み「あ、そうだった。
ありますよね?
お勧め?
じゃ、それ2人前。
あと、どうする?
お鍋が煮えるまで、何か頼まなきゃ」
律「ほら、あれも食べるんじゃなかった?
セリオンのお土産屋さんで見たヤツ」
み「なに?」
律「いぶりがっこ」
み「あ、そうか。
じゃ、それ。
“いぶりがっこ”」
み「ありますよね?
お勧め?
なんでもお勧めなんじゃないの?
あと、どうする?
お鍋が煮えるまで、“いぶりがっこ”だけじゃわびしいよな」
律「ほら、あれもあったじゃない。
“しょっつる鍋”」
み「また、鍋?
カウンターに鍋が2つも並んだら、暑苦しいでしょ。
でも、ハタハタは食べてみたいよな。
鍋のほかに、ハタハタ料理ってあります?
え?
塩焼きにお刺身、唐揚げに天ぷら」
上=左:塩焼き(600円)/右:お刺身(650円)
下=左:唐揚げ(500円)/右:天ぷら(650円)
み「お寿司もあるの?」
左:寿司ハタハタ(600円)/右:寿司ハタハタのにぎり(2貫400円)
み「先生、どうする?」
律「Mikiちゃんは、生ものダメなのよね?」
み「わたしは、天ぷらにしようかな。
先生は、お刺身食べれば」
えーっと。
この文章は、秋田川反漁屋酒場さんの『秋田の郷土料理』というページを見ながら書いてるですけど……。
不思議な記述を発見しましたので、ちょっとご紹介します。
「ハタハタのお刺身」の画像です。
「生でお召し上がりください」って、どういうことだ?
秋田では、刺身を生以外で食べる風習があるんでしょうか?
そういえば、「大分に行こう!」で……。
お刺身を炙って食べたよな。
『Mikiちゃん焼き』と名付けたっけ。
秋田には、ほんとにそう言う食べ方でもあるんでしょうか?
ネットを探してみたら……。
「金目鯛の炙り刺身」なるレシピがありました。
秋田じゃないけど。
料理用バーナーで炙るそうです。
さらに、「太刀魚の炙り刺身」なるレシピも。
どうやら、「炙り刺身」という料理は、普通に存在するようです。
考えてみりゃ……。
「高知に行こう!」で、結局食べそこねましたが……。
「鰹のたたき」なんて、「炙り刺身」そのものだよね。
余談でした。
お話を続けます。
律「お刺身ねー。
でも、さっきから気になってるんだけど……。
あの、すみません。
それって、なんですか?」
律子先生が、真澄(?)じいさんのお皿を指さしました。
老「これですかの。
何に見えます?」
律「ポテトチップス、じゃないですよね?」
老「これは、『比内地鶏の鶏皮せんべい』と云います」
律「美味しそう。
これにしよう」
み「夕べ、ニワトリはたらふく食べたろうに」
律「鶏肉の連チャンなら、ぜんぜん平気よ。
コラーゲン、たっぷり取れそうだし」
ということで……。
さっそく、ビールが来ました。
み「デカっ」
律「それじゃ、とりあえず乾杯」
み「何に乾杯?」
律「秋田の夜に」
み「それじゃ……。
かんぱーい」
律「かんぱーい」
み「うめぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ」
律「ヤギか、あんたは」
律「でも、ほんと美味しい」
み「五臓六腑に染み渡るぅぅぅ、ってやつだね」
律「オヤジなんだから。
鼻の下に泡着いてるわよ」
律「サンタクロースみたい。
ちょっと!
手で拭かないの!
おしぼりがあるでしょ」
み「手で拭くのが、生ビールの醍醐味なの」
律「ほんとにもう。
でも、醍醐味ってどういう味なんだろ?」
み「それは……。
マスミンに聞けばわかるよ。
ダテに年取ってないから」
律「マスミンって誰よ?」
み「あなたの隣のおじいさん」
律「何でマスミンなの?」
み「名前が、真澄って云うんだよ。
桑田真澄と同じ字」
み「だから、マスミン」
律「どうして、お名前まで知ってるのよ?」
み「もちろん、名字も知ってるぞ。
菅江」
律「ほんとに知り合いなの?」
み「さっきも言ったでしょ。
寒風山で、さんざんウンチク聞かされたんだから」
律「おかしいじゃない。
わたしは初対面なんだから」
み「ま、わたしが選ばれたってわけだね」
律「ん?
聞き捨てならんことを。
Mikiちゃんとわたしが比べられて……。
Mikiちゃんが選ばれたってこと?」
み「そのとおり」
律「納得いかん」
み「わたしの方が、ウンチクの語り甲斐がありそうだったからでしょ。
先生にウンチク語っても……。
馬の耳に何とやらで、面白くないって思ったんだろ」
律「それはそれで、失礼ね」
み「ねー、マスミン」
老「ほっほっ、ほ。
何のことですかな?」
み「すっとぼけちゃって。
それじゃ、鶏皮が来るまでの場つなぎに……。
とりあえず語っていいよ。
醍醐味の意味」
老「わしの話は、突き出し代わりかの?
まぁ良い。
ツマミのひとつに語って進ぜよう。
『醍醐』というのは、乳製品の熟成度を表す段階のひとつなんじゃよ。
乳製品は……。
熟成に従って、『乳(にゅう)』『酪(らく)』『生酥(しょうそ)』『熟酥(じゅくそ)』『醍醐(だいご)』の五味(ごみ)に分けられた。
あとのものほど美味であったわけじゃな。
すなわち、醍醐味とは、“最高の美味”を意味したわけじゃ」
み「わかった。
バンドのゴダイゴは……。
五番目の醍醐ってことなんじゃないの?」
律「そうなの?
後醍醐天皇から来てると思ってた」
み「そうか。
それもありか。
専門家の意見をどうぞ」
老「それは知らん」
み「なんだよ。
これで終わり?」
老「終わりじゃ」
み「まぁ、いいか。
話の長い男は嫌われるからね。
でも、まだ鶏皮来ないなぁ」
老「よかったら、わしのを食べなさい」
み「うそー。
いいのぉ?」
老「もちろん、あんたらのが来たら、返してもらうがの」
み「けち」
律「Mikiちゃん!
すみませんね。
でも、ほんと美味しそう。
ちゃんとお返ししますから、1枚いいですか?」
老「どうぞどうぞ」
律「それじゃいただきます。
!
美味しいー。
なんてジューシーなんでしょ。
華やかな脂が、口の中で弾ける感じ」
み「食べ物紀行みたいだね。
じゃ、わたしも1枚もらいます」
老「あげるんじゃありませんぞ。
お貸しします」
み「けち」
み「じゃ、わたしが1枚脱ぐから、鶏皮1枚ちょうだい」
老「積極的にお断りじゃ」
み「なに!
あ、そうか。
あなた、衆道さんだったね」
律「いったい何のこと?」
み「先生は、わからんでいいよ。
夕食がマズくなるから。
今日は、もろきゅうは頼まんぞ」
み「それじゃ。
1枚“お借り”します。
どれどれ。
ん!
ほんと、こりゃ美味しいわ。
ビールのツマミには、最高だね」
律「もっと上手いこといいなさいよ。
物書きでしょ」
み「だって……。
ほんとは食べてないんだから……。
書けないんだもん」
律「なにそれ」
み「でも、美味しいことは確かだよ。
有名だもんね、比内鶏って」
老「確かに有名じゃの。
しかし、これは比内鶏ではない」
み「え?
だってさっき、『比内鶏の鶏皮せんべい』って言ってたでしょ」
老「よくメニューを見なさい」
律「Mikikoちゃん、『比内地鶏』って書いてあるわよ」
み「ほんとだ。
でも、おんなじ鶏なんじゃないの?
どこかのお店の看板に……。
『比内鶏』って書いてあったの見たよ」
老「もし、そのお店が……。
ほんとうに『比内鶏』を食べさせてたとしたら……。
大変なことじゃよ」
律「どうしてです?」
老「比内鶏は、国の天然記念物じゃからな」
老「それを食べたりしたら、文化財保護法違反となる」
み「げ。
そうなんだ」
老「今、俗に比内鶏と呼ばれ、食に供されておるのは……。
比内地鶏のことなんじゃよ」
老「それを、看板に『比内鶏』と掲げるのは……。
表示上、問題があるじゃろうな」
律「どう違うんですか?」
老「もともと比内鶏は、秋田県北部の比内地方(現在の秋田県大館市)で、古くから飼育されてきた家禽じゃ」
老「縄文時代以前から存在した鶏でな……」
↑奥さん色っぽい!
老「品種改良もされていない。
ほぼ野鶏と云ってよいじゃろ。
肉質はヤマドリに似て、風味はいいんじゃが……」
↑あしびきの山鳥の尾のしだり尾の……
老「成長が遅いうえに繁殖率が悪く、病気にもかかりやすい。
ま、だからこそ、天然記念物になったわけじゃろうがの」
み「なるほどー」
老「で、この生産性の低さを解消するため……。
別の種を掛け合わせる試みが行われた。
結果、数百種の中から選ばれたのが……。
アメリカ原産の、強健で多産なロードアイランドレッドじゃ」
老「つまり……。
雄の比内鶏と雌のロードアイランドレッドを掛け合わせた一代限りの雑種、これが比内地鶏なんじゃよ。
いわゆる“F1(一代交配種)”というやつじゃな」
み「マジ、うまいっす。
ほんとにジューシーだね」
老「比内鶏の特徴である濃厚な脂の旨味を、見事に受け継いどるようじゃな」
み「なるほど。
マスミンは、本物の比内鶏を食べたことがあるわけね?」
老「もちろんじゃよ」
律「え?
天然記念物は、食べちゃいけないんでしょ?」
老「天然記念物になったのは、昭和17年のことじゃからな。
わしが食べたのは、それ以前ということになる」
み「ま、江戸時代も、それ以前には違いがないけどねー」
律「また、わからんこと言う。
でも、ほんと味が濃いって感じよね。
歯ごたえもあるし」
老「噛みごたえがありながら……。
加熱しても、固くなりすぎない。
これも、比内鶏の特徴を受け継いどるな。
鍋物には最適というわけじゃ」
律「ブロイラーの味とは、違いますか?」
老「まったく違う。
実は……。
比内鶏とロードアイランドレッドを掛け合わせただけでは……。
比内地鶏と認定されないんじゃよ」
み「え、そうなの?」
老「生まれだけでなく……。
育ち方も規定されとる。
すなわち……。
①28日齢以降で、平飼いか放し飼いで飼育されていること」
老「②28日齢以降で、1平方メートルあたり5羽以下で飼育されていること。
③雌は孵化日から150日間以上、雄は100日間以上飼育されていること」
み「へー。
つまり、自由に歩き回れる状態で飼われてなきゃダメってこと?」
老「そのとおり」
律「なるほど。
ブロイラーとは違うわけですね」
老「実は……。
これだけ厳しい規定が設けられたのには、ある事件がきっかけなんじゃ。
平成19年に……。
大館市の飼育業者が、長年表示偽装を行っていたことが発覚しての」
老「以来、比内地鶏ブランドは、厳しい認証制度となった」
み「偽装はいかんよね。
その会社、倒産?」
老「破産じゃよ。
会社更生など不可能。
事が発覚した1週間後には全従業員を解雇、営業を停止したが……。
取引先からの賠償請求額が大きすぎて……。
再建など、とてもムリだったというわけじゃ」
み「報いは強烈だね」
老「偽装は、いつか発覚する。
そして、すべてを失う。
この偽装で、いったいどれほどの利益を得ていたのか……。
大した利益では無いはずじゃ。
もし莫大な利益が出てたとしたら……。
とっくの昔に発覚してたじゃろうからな」
律「長いこと、偽装してたんですか?」
老「どうやら、創業当時の1985年からやっとったらしい」
み「20年以上!
よくバレなかったよね」
老「たしかに不思議じゃ。
おそらく……。
そんな偽装をしても、やっと利益が出るくらいの経営だったんじゃろ。
川反で札束を巻くような羽振りなら、もっと早く疑われてたじゃろうからな」
老「それに……。
わしが思うに、この社長は、従業員から好かれていたんじゃないかな?」
律「どうしてです?」
老「偽装してることは、当然従業員も知っておったはずじゃ。
従業員を大事にしない人なら……。
とっくの昔に、クビになった従業員が密告してたじゃろ」
み「ひょっとしたら、そんなに悪いことしてる自覚が無かったんじゃないの?」
老「どうやら、そのようじゃ」
老「そうでもなければ、あんな帳尻の合わない商売は出来ん。
コツコツ稼いで、ドカンと失う。
相場と一緒じゃよ」
老「典型的な負けパターンじゃな。
コツコツ100連勝しても、ドカンと1敗したら、それでゲームオーバー。
食品偽装などというのは……。
結局、まったく割りに合わない行為なんじゃよ」
律「その社長さん、どうなったんです?」
老「よく覚えてないが……。
詐欺容疑で立件されたんじゃないかの」
み「いっそ、川反で大尽遊びして……」
み「早いうちにバレちゃえば良かったのにね」
老「そうじゃな」