2012.3.3(土)
律「寒風山って云うんだから……」
すごい風が吹くんじゃないの?」

ガ「いえいえ。
決して、木が育たないほどの気候じゃないんです。
この草で覆われた山肌は、人工的に維持されて来たものなんですよ」
み「なんでまた?」
ガ「昔は、馬の牧草地だったらしいです」

ガ「『秣刈場(まぐさかりば)』と呼ばれてました。
刈り取る日や刈り取る場所も、厳重に決められてたとか」
律「今もそうなの?」
ガ「いいえ。
牧草地だったのは、昭和40年頃までみたいです。
その後はもっぱら、景観維持のために刈られて来ましたが……。
なかなか、すべてを刈りきるわけにはいかなくて……。
灌木が目立つようになって来たんです。
で、2003年からは、山焼きも行われるようになりました」

※今年(2011年)は、3月27日(日)に予定されてます。
み「なるほどねー。
いろいろタイヘンだわな」
ガ「ほら!
みなさん、あちらをご覧ください」
ガイドさんが、なだらかな山肌を指さしました。
み「あ」

律「パラシュート?
自衛隊の訓練かしら?」

み「あんなカラフルなパラシュート、あるかい!
敵にすぐ見つかっちゃうだろ。
あれは、パラ……、なんだっけ?
パラボラアンテナじゃないし……」
ガ「パラグライダーです」
み「それそれ」
ガ「寒風山は、パラグライダーのメッカなんです」

み「へ~。
確かにここなら、木に引っかかることも無いよね」
ガ「はい。
インストラクターと2人乗りの、体験コースもあるんですよ」

ガ「今日は無理ですが……。
今度来たときはぜひ、体験してみてください」
律「Mikiちゃん、明日やってみようよ」
み「明日は、大風の予報です」
律「ほんとに?」
み「足が着かないところは、パス」
律「あ、そうか。
高所恐怖症だったわね。
聞いたよ~、美弥ちゃんから。
吊り橋で、お漏らししたんだって?」

み「あのおしゃべりオンナ!」
さてさて、バスは山頂まで登りきり……。
ガラス張りの建物の前に止まりました。

時間は、15時ジャスト。
ガ「こちらが、『スカイパーク寒風山回転展望台』でございます。
オープンは、昭和39年(1964年)。
昭和63年に改装され、現在に至ります」
“スカイパーク”ってネーミングからは、古き良き時代、昭和の香りが漂います。

でも、回転ってのは、どういうことだ?
ガ「なお、こちらの入館料550円も、“なぎさGAOコース”の料金に含まれております」
お~。
改めてすごいですね、“なぎさGAO”。
もう一度、おさらいしてみましょう。
“なぎさGAOコース”の料金は、5,300円。

ここに含まれる入場料は……。
まず、「男鹿水族館GAO」の1,000円。
「男鹿真山伝承館」と「なまはげ館」の共通入場券、800円。
そしてこの「スカイパーク寒風山回転展望台」が、550円。
合計なんと、2,350円。
5,300円から、これを引くと……。
残りは、たったの2,950円!
バスガイド付きで丸1日(9時間!)乗って、この料金!
レンタカーより、遙かにお得です!
みなさん、男鹿に行くなら、ぜひぜひ秋田中央交通の“なぎさGAOコース”に乗りましょう!

ガ「なお、こちらの出発は、15:30となっておりますので……。
みなさま、ご協力をお願いいたします」
げ。
30分しかないじゃん。
さっそく、昭和の香り漂う展望台に登りましょう。

中に入ると、展望台系お決まりの土産物屋さんがありました。

レストランもあります。

ここにも、“男鹿しょっつる焼きそば”がありました(700円)。

中を覗くと……。
パラグライダーの飛ぶ景色を見ながら、ゆったりと食事ができるようです。

ここでお昼を摂るのも、いいかもですね。
奥の入館カウンターをフリーパスで通ると、螺旋階段がありました。
2階に上がると、何かの展示コーナーのようです。

B級テイストに、大いにそそられますが……。
時間があまりありません。
とりあえず、最上階の展望台を堪能し……。
時間が余ったら、展示室を見ることにしましょう。
螺旋階段を、さらに3階に登ります。
「お~」

一同から、思わず声が上がりました。
ま、外観から見てわかってたことですが……。
360度、ガラス張り。
355メートルの寒風山頂上からの景色は……。
まさに絶景です。

律「すご~い」
み「鳥になった気分だね」
律「ちょっと、Mikiちゃん。
この床、回ってるよ」
展望台の“回転”の意味が、ようやくわかりました。
展望台の外側が回転してるんです。
律「こんな展望台、初めて」
み「わたしは……。
初めてじゃないな」
律「え?
ここ来たことあるの?」
み「新潟にもあるんだよ。
日本海タワーっていう、回転する展望台が」

律「また、負けず嫌いが出たね」
み「本当のことだもん」
律「新潟って、新潟市?」
み「新潟市の中心部。
夕べ寄った『せきとり』とか『越乃寒梅 Manjia』からも、そんなに遠くないとこ」
律「あんなあたり?
展望台のある山なんて、ありそうに思えないけど」
み「それが、あるんですね」
律「何て山?」
み「新潟砂丘」

律「砂丘?」
み「そう。
新潟の中心部では、海際が一番高くなってるんだ」

律「鳥取砂丘みたいな感じなの?」
み「ぜんぜん違う。
道路はアスファルトで覆われ、住宅がびっしり建ってる」

み「つまり、高台の住宅街って感じ。
でも、アスファルトの下は、れっきとした砂丘なんだよ」
律「へ~。
でも、砂丘の斜面ってけっこう急じゃない?」
み「うん。
車道は通せないから……。
階段になってる」

み「てっぺんまで登ると、けっこう高いんだよ」

律「砂丘の高さはどれくらい?」
み「それを聞かれると……。
ちと弱いんだけどね。
日本海タワーのあるあたりで……。
20メートルちょいくらいかな」
律「ありゃりゃ。
そんなとこに、何で展望台なんて作ったのよ?」
み「砂丘の上には、水道局の南山(みなみやま)配水場が建ってるんだ」

み「高台にあるから、自然流下方式で水道水を供給できるからね。
で、貯水タンクが、上下二層になってる」
律「それって、珍しいの?」
み「配水場の完成は、昭和43年(1968年)だったんだけど……。
当時は、日本初の階層式配水池だった。
上下に重なってるから……。
外からは、ビルみたいに見える。
で、配水場完成の2年後(1970年)、新潟市の水道創設60周年を記念し……。
屋上に、展望室が設置されたわけ」

み「これが、日本海タワー」

律「へ~。
寒風山展望台の昭和39年には及ばないけど……。
けっこう歴史があるんだね」
み「日本初ってのがすごいでしょ。
さて、ここで問題です!」
律「いきなり、来たわね」
み「南山配水場は……。
歴史ある施設であることが認められ……。
ある百選に選ばれました。
さて、それは何でしょう?」
律「また百選か。
この旅行、百選を巡る旅みたいになってきたね」
み「あ、そういうのも面白いかも」
律「この問題は、簡単ね。
当然、『展望台百選』でしょ?」
み「ブー。
そんな百選はありません。
さっき、ヒント言ってるじゃない。
南山配水場が選ばれてるって。
日本海タワーじゃないんだよ」
律「『配水場百選』?」
み「狭めすぎ!
『近代水道百選』」

律「そんなの、誰がわかるかい!」
み「で、話を日本海タワーに戻すけどね。
まわりは住宅地で、高いビルが無いから……。
眺望は抜群」

み「晴れた日には、日本海の向こうに佐渡ヶ島まで見えるんだよ」

み「その佐渡に沈む夕日がウリでね。
夏は日没まで営業が延長されてるほど」

み「喫茶スペースもあるから、デートスポットになってるんだ」

律「ふーん。
そこでデートしたこと、あるの?」

み「ございません」
律「じゃ、ひとりで行ったわけ?」
み「もちろん」
律「さびし~」
み「うるさい!
高さはかなり負けるけど……。
ここと同じく、360度ガラス張りでね……。
確か、25分くらいで一周するんじゃなかったかな?」

み「ここは、1周するのに何分くらいかかるんだろ?」
律「もっと早そうよね」
み「だね。
正直、日本海タワーの25分は遅すぎると思った。
1周するまで、じっとしてられなかったもん」
律「Mikiちゃんは、“いらち”だからね」
み「何も建物が回らなくても……。
自分の足で回ればいいんだよ」
「ほっほっほっ」
突然、高らかな笑い声が聞こえて来ました。
窓際のベンチに座ってた髭のおじいさんが、振り向いて笑ってます。
老「若い方は、元気がよろしいのぅ。
わしらみたいな年寄りには……。
こうして座りながら景色を眺められるのは、ありがたいことじゃよ」
おじいさんは、宗匠帽を被り……。

裾の広がらない軽衫(かるさん)のような袴を穿き、羽織を着てます。
足元は草履。
昔の茶人みたいな感じです。

み「この展望台は、何分くらいで1周するんですか?」
老「計ったわけじゃないがの……。
ま、7~8分といったところじゃないかな」
み「思ったより、早いですね。
これくらいなら、座ってても飽きませんよね。
あっ。
八郎潟!」

老「ほう。
八郎潟を知っておるかの?」
み「もちろんですよ」
老「昔とは、まったく変わってしまったがの」
み「ここから見ると……。
人の手が入ってることが、はっきりとわかりますね。
形が幾何学的」
老「昔の潟は、あの左手に広がっておった」

老「水面に、この寒風山が逆さまに映ってのぅ。
茫漠とした景色じゃった」

↑『わたしたちの八郎潟町(八郎潟町教育委員会)/干拓前の八郎潟』より
み「おじいさんは、干拓前の八郎潟を知ってらっしゃるんですね」

老「もちろんじゃよ」
み「じゃ、お詳しいですね」
老「ま、年の功というやつじゃな」
み「いろいろと聞いちゃおうかな?」
老「何なりと」
み「それじゃ、遠慮なく。
八郎潟って、全部埋められたんだと思ってましたけど……。
そうじゃないんですね」
老「あの妙な形の水面は、調整池として残されたものじゃ。
あれでもまだ、全国の湖沼で18番目の広さなんじゃよ」
み「へー、けっこう広いんだ。
ま、干拓前の八郎潟は……。
琵琶湖に次いで2番目の広さでしたもんね。
あの残った部分も、汽水(淡水と海水が混ざった状態)なんですか?」
老「ほっほ。
いろいろと知ってる娘さんじゃの」
み「ま。
いやですわ、娘さんだなんて」
老「ん?
息子さんじゃったか?」
み「違います!」
老「なんじゃ、違うのか。
てっきり、今はやりのニューハーフかと思った。
昔は、陰間と言ったがの」

み「話がずれてます」
老「おぉ、そうじゃった。
今は、防潮水門で締め切られておるから、完全に淡水じゃ」

老「シジミも採れなくなってるらしい」

み「へ~。
干拓前は、シジミが採れてたんですか」
老「シジミどころじゃないぞ。
川の魚、海の魚、合わせて……。
実に、70種類以上の魚介が採れたそうじゃ」

老「真冬には、氷を割って網を入れる『氷下漁業』なども行われていた」

老「なにしろ、潟のまわりに、3,000人もの漁民が生活しておったのだから……。
豊かな漁場じゃ」

み「今も、何らかの漁は行われてるんでしょうか?」
老「細々とは続いておるかも知れんが……。
専業は無理じゃろうの。
趣味の釣り人は、けっこう来ておるようじゃが」
み「何が釣れるんですか?」
老「ブラックバスじゃ」

み「あちゃ~」
老「うようよいるらしいぞ。
県外からも釣り客が来るらしい。
ま、八郎が戻らなくなって……。
潟もすっかり様変わりしてしまったようじゃな」
み「あ。
それ、前から気になってたんです。
“八郎潟”の名前の由来。
やっぱり“八郎”は、人の名前だったんですね」
老「『三湖伝説』というのを知っておるかの?
秋田県にある3つの湖の成り立ちが語られる伝説じゃ」
み「いいえ、知りません。
秋田にある3つの湖って云うと……。
当然ひとつは、八郎潟ですよね。
それに、日本一の深さを誇る田沢湖」

み「あとひとつは……。
なんでしたっけ?」
老「青森県との県境にある、十和田湖じゃ」

み「あ、そうか。
3つとも、全国的に有名な湖ですね。
八郎潟は、あんなになっちゃったけど。
それでもまだ、18番目でしたっけ?」
老「そう。
十和田湖は12番目。
田沢湖が19番目じゃ」
み「それでも、ベストテンには入ってないんですね」
老「ま、面積ではそうじゃが……。
そのかわり、この2つの湖は深さがすごい。
十和田湖の最大水深は327メートルで、全国3位。
田沢湖は、おおせのとおり……。
423メートルで、堂々の1位じゃ。
深さ300メートルを超える湖は、2位の支笏湖(北海道・363メートル)を入れて、全国に3つしかない。
そのうちの2つが、秋田にあるということじゃ」

み「八郎潟が干拓されてなかったら……。
面積が2位の湖もあったってことですよね」
老「そういうことじゃ」
み「あ、それで八郎潟の名前の由来、ぜひ教えてください」
老「おぉ、そうじゃった。
ちっとばかり長い話になるがの」
わたしは、おじいさんの隣に腰かけました。
老「鹿角郡の草木(くさぎ)村というところから、話は始まる。
今は、鹿角市の一部になっとるがの。
十和田湖の南側じゃな」

老「その草木村に、八郎太郎という名の若者が暮らしておった。
み「八郎太郎?
それって、ワンセットで名前なんですか?
それとも、八郎が苗字?」
老「苗字のあるような生まれではない。
昔は、こういう名前は、けっこうあったんじゃよ。
たとえば……。
茶屋四郎次郎という名は、聞いたことが無いかな?」
み「日本史の教科書で、読んだような……」

老「読んだような?」
み「読まなかったような……」
老「頼りないのぅ。
茶屋四郎次郎は、織豊時代から江戸初期にかけて活躍した京都の豪商じゃよ」

老「このヘンテコな名前は……。
つまり、“茶屋四郎”さんと云う人の“次郎”、すなわち次男ということじゃ」
み「じゃ、“八郎太郎”ってのは、“八郎”さんの“太郎”、つまり長男ってことですか?」
老「そんなとこじゃろうな。
続けてよいかの?」
み「すみません。
お願いします」
老「八郎太郎は、旅の男と村娘との間に出来た子じゃった」

み「う。
その男……。
村娘を孕ましたあと、またどっかに行っちゃったんじゃないですか?」
老「ほう。
よくわかったの」
み「ありがちなパターンですから」
老「その男は、八郎太郎が生まれる前に……。
寒風山で竜に姿を変えて消えたと言われておる」

み「にゃにっ。
ちょっと待ったぁ」
老「さっきから、待ったの多い娘さんじゃの。
ん?
息子さんじゃったか?」
み「違います!」
老「なんじゃ、違うのか。
てっきり、今はやりのニューハーフかと思った。
昔は、陰間と言ったがの」

み「そのボケは、さっき聞きました!(ほんまにボケとんのか?)
話を進めますよ。
その旅の男の名前は、八郎だったんですよね。
なんか、意味深ですよ」
老「どういうことじゃ?」
み「だって、その人の本性は、竜だったんでしょ?
ぜったい臭います」
老「ん?
加齢臭が臭うか?
朝方、ローズサプリを飲んで来たんじゃがな」

み「そんなの飲んでるんですか?
って、違いますって!
竜の名前が八郎だってことが、臭うんです。
それって……。
八岐(やまた)のオロチじゃないんですか?」

老「ほっほ。
面白い発想をしよるの。
8本首の竜で、八郎か」
み「出雲の八岐のオロチは……。
高志(越)の国から来たと書かれてます。
でも、ひょっとして、越よりも北……。
出羽からだったんじゃ?」
老「出羽の国が出来る前は、越の国の一部だったようじゃの」
み「あ、そうか!
初めは、越の国に出羽郡が建てられたんでしたよね。
その後、出羽柵(でわのき)が設けられた前後に……」

み「出羽の国が分離したんですよ。
いつ頃でしたっけ?」
老「712年(和銅5年)じゃな」
み「古事記が編纂されたのは、いつ頃でしたっけ?」
老「まさに、その712年じゃよ。
太安万侶(おおのやすまろ)によって、『古事記』が元明天皇に献上されたのは」

み「同じ年?
なんか、気持ち悪いな。
まあ、いいや。
てことは……。
八岐のオロチのお話は、当然、712年より前の出来事だから……。
出羽は、まだ越の国の一部だったってことじゃないですか。
つまり、八岐のオロチが、越より向こうの出羽から来たとしても……。
出雲の人は、越の国から来たと書き記すでしょうね」
老「ほっほっほ。
なるほどなるほど」
み「実はわたし……。
八岐のオロチは、火山噴火の溶岩流じゃないかって思ってるんです」

老「寺田寅彦が、そんなことを書いてたようじゃの」

み「げ。
ご存じでした?」
老「確かに、秋田にも火山は多いな。
そもそも、この寒風山も火山じゃしな。
十和田湖も田沢湖も、火山の噴火口に出来たカルデラ湖じゃ」

み「ちょっと待ってくださいよ。
それじゃ、三湖伝説の3つの湖には、ことごとく火山があるってことじゃないですか!
う~む
ますますもって怪しいぞ。
出羽の八郎……」
老「どうも、話が進まんの。
続けていいかな?」
み「すみません。
どうぞ」
老「村娘は、八郎太郎を産み落とすとすぐに、死んでしまった」

み「えー。
かわいそう。
死因は何だったんですか?」
老「また脱線じゃな。
ひどい難産だったそうじゃ」
み「竜の子が出てくるんですもんね。
……」
老「ん?
どうした?
考え込んで」
み「出てくるときも、難産だったでしょうけど……。
たぶん、八郎太郎を身ごもったときも……。
タイヘンだったんじゃないかと思って」
老「どういう風にタイヘンじゃったんじゃ?」
み「どういう風にって。
そんなこと、真っ昼間から言えませんよ。
ひょっとして、あそこも8本あったんじゃないかなんて」

老「言うとるではないか。
話を進めるぞ」
両親を失った八郎太郎は……。
祖父母に育てられ、マタギとなった」

老「ある日のこと、仲間2人と山に入った。
その日は、八郎太郎が食事の支度をする番じゃった。
奥入瀬の谷川に水を汲みに下りると……。
イワナの姿が見えた」

老「八郎太郎は、ようやくのことで、3匹のイワナを捕らえた」

老「イワナを焼きながら仲間を待ったが……」

老「なかなか帰ってこない。
腹が空いてしょうがなかったので……。
自分の分を1匹食べた」

老「しかし……。
あまりの美味しさに、止められなくなり……。
仲間の分のイワナも、全部食べてしまった。
さて、それからが大変じゃ。
突然、ノドが焼けるように渇きだした。
水筒の水では足りず、イワナを捕った川まで下りて……。
川の水に直接口を付けて飲んだ。
しかし、いくら飲んでも、乾きはいっこうに収まらない。
33夜も水を飲み続けたあげく……。
とうとう八郎太郎は、33尺の竜になってしまったんじゃ」

老「自分の身に起きた報いを知った八郎太郎は……。
谷川を堰き止めて湖を作ると、そこに住むようになった。
それが、今の十和田湖ということじゃ」

み「え?
八郎潟じゃないんですか?」
老「だから、長い話になると言ったじゃろ。
しかし、八郎太郎が、八岐のオロチだという説は……。
面白いのぅ」

み「でしょ」
老「十和田湖の噴火では……。
積もった降下物が、そこここで川を堰き止めた。
それが決壊して、各地で大洪水が起きたらしい」

み「おぉ。
ますます八岐のオロチっぽいじゃないですか」
老「ちょっと、年代が合わんがな」
み「え?
そうなんですか?」
老「有史後に起きた噴火は、西暦915年(延喜15年)じゃからな」

み「古事記が編纂されてから、200年も後か……。
その前には、噴火は無かったんですか?」
老「もちろんあった。
しかし……。
その前は、5,000年以上も前のようじゃな」
み「うーん。
八岐のオロチと繋げるのは、やっぱり無理か……」
老「八岐のオロチでは無かったとしても……。
三湖伝説の竜が、915年の噴火に関係してるということは……。
大いに考えられることなんじゃ」
み「ほんとですか!」
老「915年の平安噴火は……。
日本で起こった有史以降の噴火としては、最大級の規模じゃったらしい。
被害は広範囲に及んだ。
そして……。
その被害が及んだと考えられる地域と……。
三湖伝説が分布する地域が、みごとに重なるんじゃよ」
み「スゴいじゃないですか!
それって、おじいさんの新説ですか?」
老「そうじゃ!
と言いたいところではあるが……。
残念ながら、受け売りじゃ。
1966年に、平山次郎と市川賢一という人によって論文になっておる(『1000年前のシラス洪水』)」
み「へ~。
てことは、その噴火で十和田湖が出来たんですよね?」

老「それは……。
違うようじゃ」
み「え~。
それじゃ、三湖伝説と合わないじゃないですか。
八郎太郎が変じた竜が、915年の噴火を表してるとすれば……。
そのときに、十和田湖が出来たことになるじゃないですか」
老「十和田湖は、ひとつの噴火で出来たわけじゃないんじゃ。
湖を作っている噴火口は、いくつもある。
いちばん外縁を作った噴火は、3万年から2万5先年前と云われておる。
中湖と呼ばれる一番深い部分が出来たのは、5,400年前の噴火じゃ」

老「この噴火で、外縁のカルデラに溜まってた湖水が、真ん中の火口に流れ込んだんじゃな」
み「うーん」
老「ほっほ。
考え込んでしまったな。
そろそろ、三湖伝説の続きを話しても良いかの?」
み「あ、お願いします。
なぜ、八郎太郎が八郎潟に来ることになったのか」
老「青森県の三戸郡に、斗賀村というところがあった。
今は、南部町の一部になっておるがの」

老「そこの神社の別当の家に、男の子が生まれ、南祖丸と名付けられた。
幼いころから利発で、神懸かりめいたこともするため、神童と呼ばれるようになった。
17歳になった南祖丸は、名を南祖坊と改め、諸国行脚の旅に出た」
み「南祖坊って、お坊さんみたいな名前ですね。
神社の子なんでしょ?」
老「だから、別当の子じゃ」
み「なんです、それ?」
老「難儀じゃの。
『別当』とは、神社に属しつつ……。
仏教儀礼を行う僧侶のことなんじゃ。
神仏習合の結果生じたものじゃな。
続けて良いかの?」
み「お願いします」
老「さて、その南祖坊が……。
諸国を巡り巡って、熊野大権現を33回目に参詣したおり……。
『この草鞋が切れた場所が終の棲家になる』との神託を受け、鉄の草鞋を授ったそうじゃ」

すごい風が吹くんじゃないの?」

ガ「いえいえ。
決して、木が育たないほどの気候じゃないんです。
この草で覆われた山肌は、人工的に維持されて来たものなんですよ」
み「なんでまた?」
ガ「昔は、馬の牧草地だったらしいです」

ガ「『秣刈場(まぐさかりば)』と呼ばれてました。
刈り取る日や刈り取る場所も、厳重に決められてたとか」
律「今もそうなの?」
ガ「いいえ。
牧草地だったのは、昭和40年頃までみたいです。
その後はもっぱら、景観維持のために刈られて来ましたが……。
なかなか、すべてを刈りきるわけにはいかなくて……。
灌木が目立つようになって来たんです。
で、2003年からは、山焼きも行われるようになりました」

※今年(2011年)は、3月27日(日)に予定されてます。
み「なるほどねー。
いろいろタイヘンだわな」
ガ「ほら!
みなさん、あちらをご覧ください」
ガイドさんが、なだらかな山肌を指さしました。
み「あ」

律「パラシュート?
自衛隊の訓練かしら?」

み「あんなカラフルなパラシュート、あるかい!
敵にすぐ見つかっちゃうだろ。
あれは、パラ……、なんだっけ?
パラボラアンテナじゃないし……」
ガ「パラグライダーです」
み「それそれ」
ガ「寒風山は、パラグライダーのメッカなんです」

み「へ~。
確かにここなら、木に引っかかることも無いよね」
ガ「はい。
インストラクターと2人乗りの、体験コースもあるんですよ」

ガ「今日は無理ですが……。
今度来たときはぜひ、体験してみてください」
律「Mikiちゃん、明日やってみようよ」
み「明日は、大風の予報です」
律「ほんとに?」
み「足が着かないところは、パス」
律「あ、そうか。
高所恐怖症だったわね。
聞いたよ~、美弥ちゃんから。
吊り橋で、お漏らししたんだって?」

み「あのおしゃべりオンナ!」
さてさて、バスは山頂まで登りきり……。
ガラス張りの建物の前に止まりました。

時間は、15時ジャスト。
ガ「こちらが、『スカイパーク寒風山回転展望台』でございます。
オープンは、昭和39年(1964年)。
昭和63年に改装され、現在に至ります」
“スカイパーク”ってネーミングからは、古き良き時代、昭和の香りが漂います。

でも、回転ってのは、どういうことだ?
ガ「なお、こちらの入館料550円も、“なぎさGAOコース”の料金に含まれております」
お~。
改めてすごいですね、“なぎさGAO”。
もう一度、おさらいしてみましょう。
“なぎさGAOコース”の料金は、5,300円。

ここに含まれる入場料は……。
まず、「男鹿水族館GAO」の1,000円。
「男鹿真山伝承館」と「なまはげ館」の共通入場券、800円。
そしてこの「スカイパーク寒風山回転展望台」が、550円。
合計なんと、2,350円。
5,300円から、これを引くと……。
残りは、たったの2,950円!
バスガイド付きで丸1日(9時間!)乗って、この料金!
レンタカーより、遙かにお得です!
みなさん、男鹿に行くなら、ぜひぜひ秋田中央交通の“なぎさGAOコース”に乗りましょう!

ガ「なお、こちらの出発は、15:30となっておりますので……。
みなさま、ご協力をお願いいたします」
げ。
30分しかないじゃん。
さっそく、昭和の香り漂う展望台に登りましょう。

中に入ると、展望台系お決まりの土産物屋さんがありました。

レストランもあります。

ここにも、“男鹿しょっつる焼きそば”がありました(700円)。

中を覗くと……。
パラグライダーの飛ぶ景色を見ながら、ゆったりと食事ができるようです。

ここでお昼を摂るのも、いいかもですね。
奥の入館カウンターをフリーパスで通ると、螺旋階段がありました。
2階に上がると、何かの展示コーナーのようです。

B級テイストに、大いにそそられますが……。
時間があまりありません。
とりあえず、最上階の展望台を堪能し……。
時間が余ったら、展示室を見ることにしましょう。
螺旋階段を、さらに3階に登ります。
「お~」

一同から、思わず声が上がりました。
ま、外観から見てわかってたことですが……。
360度、ガラス張り。
355メートルの寒風山頂上からの景色は……。
まさに絶景です。

律「すご~い」
み「鳥になった気分だね」
律「ちょっと、Mikiちゃん。
この床、回ってるよ」
展望台の“回転”の意味が、ようやくわかりました。
展望台の外側が回転してるんです。
律「こんな展望台、初めて」
み「わたしは……。
初めてじゃないな」
律「え?
ここ来たことあるの?」
み「新潟にもあるんだよ。
日本海タワーっていう、回転する展望台が」

律「また、負けず嫌いが出たね」
み「本当のことだもん」
律「新潟って、新潟市?」
み「新潟市の中心部。
夕べ寄った『せきとり』とか『越乃寒梅 Manjia』からも、そんなに遠くないとこ」
律「あんなあたり?
展望台のある山なんて、ありそうに思えないけど」
み「それが、あるんですね」
律「何て山?」
み「新潟砂丘」

律「砂丘?」
み「そう。
新潟の中心部では、海際が一番高くなってるんだ」

律「鳥取砂丘みたいな感じなの?」
み「ぜんぜん違う。
道路はアスファルトで覆われ、住宅がびっしり建ってる」

み「つまり、高台の住宅街って感じ。
でも、アスファルトの下は、れっきとした砂丘なんだよ」
律「へ~。
でも、砂丘の斜面ってけっこう急じゃない?」
み「うん。
車道は通せないから……。
階段になってる」

み「てっぺんまで登ると、けっこう高いんだよ」

律「砂丘の高さはどれくらい?」
み「それを聞かれると……。
ちと弱いんだけどね。
日本海タワーのあるあたりで……。
20メートルちょいくらいかな」
律「ありゃりゃ。
そんなとこに、何で展望台なんて作ったのよ?」
み「砂丘の上には、水道局の南山(みなみやま)配水場が建ってるんだ」

み「高台にあるから、自然流下方式で水道水を供給できるからね。
で、貯水タンクが、上下二層になってる」
律「それって、珍しいの?」
み「配水場の完成は、昭和43年(1968年)だったんだけど……。
当時は、日本初の階層式配水池だった。
上下に重なってるから……。
外からは、ビルみたいに見える。
で、配水場完成の2年後(1970年)、新潟市の水道創設60周年を記念し……。
屋上に、展望室が設置されたわけ」

み「これが、日本海タワー」

律「へ~。
寒風山展望台の昭和39年には及ばないけど……。
けっこう歴史があるんだね」
み「日本初ってのがすごいでしょ。
さて、ここで問題です!」
律「いきなり、来たわね」
み「南山配水場は……。
歴史ある施設であることが認められ……。
ある百選に選ばれました。
さて、それは何でしょう?」
律「また百選か。
この旅行、百選を巡る旅みたいになってきたね」
み「あ、そういうのも面白いかも」
律「この問題は、簡単ね。
当然、『展望台百選』でしょ?」
み「ブー。
そんな百選はありません。
さっき、ヒント言ってるじゃない。
南山配水場が選ばれてるって。
日本海タワーじゃないんだよ」
律「『配水場百選』?」
み「狭めすぎ!
『近代水道百選』」

律「そんなの、誰がわかるかい!」
み「で、話を日本海タワーに戻すけどね。
まわりは住宅地で、高いビルが無いから……。
眺望は抜群」

み「晴れた日には、日本海の向こうに佐渡ヶ島まで見えるんだよ」

み「その佐渡に沈む夕日がウリでね。
夏は日没まで営業が延長されてるほど」

み「喫茶スペースもあるから、デートスポットになってるんだ」

律「ふーん。
そこでデートしたこと、あるの?」

み「ございません」
律「じゃ、ひとりで行ったわけ?」
み「もちろん」
律「さびし~」
み「うるさい!
高さはかなり負けるけど……。
ここと同じく、360度ガラス張りでね……。
確か、25分くらいで一周するんじゃなかったかな?」

み「ここは、1周するのに何分くらいかかるんだろ?」
律「もっと早そうよね」
み「だね。
正直、日本海タワーの25分は遅すぎると思った。
1周するまで、じっとしてられなかったもん」
律「Mikiちゃんは、“いらち”だからね」
み「何も建物が回らなくても……。
自分の足で回ればいいんだよ」
「ほっほっほっ」
突然、高らかな笑い声が聞こえて来ました。
窓際のベンチに座ってた髭のおじいさんが、振り向いて笑ってます。
老「若い方は、元気がよろしいのぅ。
わしらみたいな年寄りには……。
こうして座りながら景色を眺められるのは、ありがたいことじゃよ」
おじいさんは、宗匠帽を被り……。

裾の広がらない軽衫(かるさん)のような袴を穿き、羽織を着てます。
足元は草履。
昔の茶人みたいな感じです。

み「この展望台は、何分くらいで1周するんですか?」
老「計ったわけじゃないがの……。
ま、7~8分といったところじゃないかな」
み「思ったより、早いですね。
これくらいなら、座ってても飽きませんよね。
あっ。
八郎潟!」

老「ほう。
八郎潟を知っておるかの?」
み「もちろんですよ」
老「昔とは、まったく変わってしまったがの」
み「ここから見ると……。
人の手が入ってることが、はっきりとわかりますね。
形が幾何学的」
老「昔の潟は、あの左手に広がっておった」

老「水面に、この寒風山が逆さまに映ってのぅ。
茫漠とした景色じゃった」

↑『わたしたちの八郎潟町(八郎潟町教育委員会)/干拓前の八郎潟』より
み「おじいさんは、干拓前の八郎潟を知ってらっしゃるんですね」

老「もちろんじゃよ」
み「じゃ、お詳しいですね」
老「ま、年の功というやつじゃな」
み「いろいろと聞いちゃおうかな?」
老「何なりと」
み「それじゃ、遠慮なく。
八郎潟って、全部埋められたんだと思ってましたけど……。
そうじゃないんですね」
老「あの妙な形の水面は、調整池として残されたものじゃ。
あれでもまだ、全国の湖沼で18番目の広さなんじゃよ」
み「へー、けっこう広いんだ。
ま、干拓前の八郎潟は……。
琵琶湖に次いで2番目の広さでしたもんね。
あの残った部分も、汽水(淡水と海水が混ざった状態)なんですか?」
老「ほっほ。
いろいろと知ってる娘さんじゃの」
み「ま。
いやですわ、娘さんだなんて」
老「ん?
息子さんじゃったか?」
み「違います!」
老「なんじゃ、違うのか。
てっきり、今はやりのニューハーフかと思った。
昔は、陰間と言ったがの」

み「話がずれてます」
老「おぉ、そうじゃった。
今は、防潮水門で締め切られておるから、完全に淡水じゃ」

老「シジミも採れなくなってるらしい」

み「へ~。
干拓前は、シジミが採れてたんですか」
老「シジミどころじゃないぞ。
川の魚、海の魚、合わせて……。
実に、70種類以上の魚介が採れたそうじゃ」

老「真冬には、氷を割って網を入れる『氷下漁業』なども行われていた」

老「なにしろ、潟のまわりに、3,000人もの漁民が生活しておったのだから……。
豊かな漁場じゃ」

み「今も、何らかの漁は行われてるんでしょうか?」
老「細々とは続いておるかも知れんが……。
専業は無理じゃろうの。
趣味の釣り人は、けっこう来ておるようじゃが」
み「何が釣れるんですか?」
老「ブラックバスじゃ」

み「あちゃ~」
老「うようよいるらしいぞ。
県外からも釣り客が来るらしい。
ま、八郎が戻らなくなって……。
潟もすっかり様変わりしてしまったようじゃな」
み「あ。
それ、前から気になってたんです。
“八郎潟”の名前の由来。
やっぱり“八郎”は、人の名前だったんですね」
老「『三湖伝説』というのを知っておるかの?
秋田県にある3つの湖の成り立ちが語られる伝説じゃ」
み「いいえ、知りません。
秋田にある3つの湖って云うと……。
当然ひとつは、八郎潟ですよね。
それに、日本一の深さを誇る田沢湖」

み「あとひとつは……。
なんでしたっけ?」
老「青森県との県境にある、十和田湖じゃ」

み「あ、そうか。
3つとも、全国的に有名な湖ですね。
八郎潟は、あんなになっちゃったけど。
それでもまだ、18番目でしたっけ?」
老「そう。
十和田湖は12番目。
田沢湖が19番目じゃ」
み「それでも、ベストテンには入ってないんですね」
老「ま、面積ではそうじゃが……。
そのかわり、この2つの湖は深さがすごい。
十和田湖の最大水深は327メートルで、全国3位。
田沢湖は、おおせのとおり……。
423メートルで、堂々の1位じゃ。
深さ300メートルを超える湖は、2位の支笏湖(北海道・363メートル)を入れて、全国に3つしかない。
そのうちの2つが、秋田にあるということじゃ」

み「八郎潟が干拓されてなかったら……。
面積が2位の湖もあったってことですよね」
老「そういうことじゃ」
み「あ、それで八郎潟の名前の由来、ぜひ教えてください」
老「おぉ、そうじゃった。
ちっとばかり長い話になるがの」
わたしは、おじいさんの隣に腰かけました。
老「鹿角郡の草木(くさぎ)村というところから、話は始まる。
今は、鹿角市の一部になっとるがの。
十和田湖の南側じゃな」

老「その草木村に、八郎太郎という名の若者が暮らしておった。
み「八郎太郎?
それって、ワンセットで名前なんですか?
それとも、八郎が苗字?」
老「苗字のあるような生まれではない。
昔は、こういう名前は、けっこうあったんじゃよ。
たとえば……。
茶屋四郎次郎という名は、聞いたことが無いかな?」
み「日本史の教科書で、読んだような……」

老「読んだような?」
み「読まなかったような……」
老「頼りないのぅ。
茶屋四郎次郎は、織豊時代から江戸初期にかけて活躍した京都の豪商じゃよ」

老「このヘンテコな名前は……。
つまり、“茶屋四郎”さんと云う人の“次郎”、すなわち次男ということじゃ」
み「じゃ、“八郎太郎”ってのは、“八郎”さんの“太郎”、つまり長男ってことですか?」
老「そんなとこじゃろうな。
続けてよいかの?」
み「すみません。
お願いします」
老「八郎太郎は、旅の男と村娘との間に出来た子じゃった」

み「う。
その男……。
村娘を孕ましたあと、またどっかに行っちゃったんじゃないですか?」
老「ほう。
よくわかったの」
み「ありがちなパターンですから」
老「その男は、八郎太郎が生まれる前に……。
寒風山で竜に姿を変えて消えたと言われておる」

み「にゃにっ。
ちょっと待ったぁ」
老「さっきから、待ったの多い娘さんじゃの。
ん?
息子さんじゃったか?」
み「違います!」
老「なんじゃ、違うのか。
てっきり、今はやりのニューハーフかと思った。
昔は、陰間と言ったがの」

み「そのボケは、さっき聞きました!(ほんまにボケとんのか?)
話を進めますよ。
その旅の男の名前は、八郎だったんですよね。
なんか、意味深ですよ」
老「どういうことじゃ?」
み「だって、その人の本性は、竜だったんでしょ?
ぜったい臭います」
老「ん?
加齢臭が臭うか?
朝方、ローズサプリを飲んで来たんじゃがな」

み「そんなの飲んでるんですか?
って、違いますって!
竜の名前が八郎だってことが、臭うんです。
それって……。
八岐(やまた)のオロチじゃないんですか?」

老「ほっほ。
面白い発想をしよるの。
8本首の竜で、八郎か」
み「出雲の八岐のオロチは……。
高志(越)の国から来たと書かれてます。
でも、ひょっとして、越よりも北……。
出羽からだったんじゃ?」
老「出羽の国が出来る前は、越の国の一部だったようじゃの」
み「あ、そうか!
初めは、越の国に出羽郡が建てられたんでしたよね。
その後、出羽柵(でわのき)が設けられた前後に……」

み「出羽の国が分離したんですよ。
いつ頃でしたっけ?」
老「712年(和銅5年)じゃな」
み「古事記が編纂されたのは、いつ頃でしたっけ?」
老「まさに、その712年じゃよ。
太安万侶(おおのやすまろ)によって、『古事記』が元明天皇に献上されたのは」

み「同じ年?
なんか、気持ち悪いな。
まあ、いいや。
てことは……。
八岐のオロチのお話は、当然、712年より前の出来事だから……。
出羽は、まだ越の国の一部だったってことじゃないですか。
つまり、八岐のオロチが、越より向こうの出羽から来たとしても……。
出雲の人は、越の国から来たと書き記すでしょうね」
老「ほっほっほ。
なるほどなるほど」
み「実はわたし……。
八岐のオロチは、火山噴火の溶岩流じゃないかって思ってるんです」

老「寺田寅彦が、そんなことを書いてたようじゃの」

み「げ。
ご存じでした?」
老「確かに、秋田にも火山は多いな。
そもそも、この寒風山も火山じゃしな。
十和田湖も田沢湖も、火山の噴火口に出来たカルデラ湖じゃ」

み「ちょっと待ってくださいよ。
それじゃ、三湖伝説の3つの湖には、ことごとく火山があるってことじゃないですか!
う~む
ますますもって怪しいぞ。
出羽の八郎……」
老「どうも、話が進まんの。
続けていいかな?」
み「すみません。
どうぞ」
老「村娘は、八郎太郎を産み落とすとすぐに、死んでしまった」

み「えー。
かわいそう。
死因は何だったんですか?」
老「また脱線じゃな。
ひどい難産だったそうじゃ」
み「竜の子が出てくるんですもんね。
……」
老「ん?
どうした?
考え込んで」
み「出てくるときも、難産だったでしょうけど……。
たぶん、八郎太郎を身ごもったときも……。
タイヘンだったんじゃないかと思って」
老「どういう風にタイヘンじゃったんじゃ?」
み「どういう風にって。
そんなこと、真っ昼間から言えませんよ。
ひょっとして、あそこも8本あったんじゃないかなんて」

老「言うとるではないか。
話を進めるぞ」
両親を失った八郎太郎は……。
祖父母に育てられ、マタギとなった」

老「ある日のこと、仲間2人と山に入った。
その日は、八郎太郎が食事の支度をする番じゃった。
奥入瀬の谷川に水を汲みに下りると……。
イワナの姿が見えた」

老「八郎太郎は、ようやくのことで、3匹のイワナを捕らえた」

老「イワナを焼きながら仲間を待ったが……」

老「なかなか帰ってこない。
腹が空いてしょうがなかったので……。
自分の分を1匹食べた」

老「しかし……。
あまりの美味しさに、止められなくなり……。
仲間の分のイワナも、全部食べてしまった。
さて、それからが大変じゃ。
突然、ノドが焼けるように渇きだした。
水筒の水では足りず、イワナを捕った川まで下りて……。
川の水に直接口を付けて飲んだ。
しかし、いくら飲んでも、乾きはいっこうに収まらない。
33夜も水を飲み続けたあげく……。
とうとう八郎太郎は、33尺の竜になってしまったんじゃ」

老「自分の身に起きた報いを知った八郎太郎は……。
谷川を堰き止めて湖を作ると、そこに住むようになった。
それが、今の十和田湖ということじゃ」

み「え?
八郎潟じゃないんですか?」
老「だから、長い話になると言ったじゃろ。
しかし、八郎太郎が、八岐のオロチだという説は……。
面白いのぅ」

み「でしょ」
老「十和田湖の噴火では……。
積もった降下物が、そこここで川を堰き止めた。
それが決壊して、各地で大洪水が起きたらしい」

み「おぉ。
ますます八岐のオロチっぽいじゃないですか」
老「ちょっと、年代が合わんがな」
み「え?
そうなんですか?」
老「有史後に起きた噴火は、西暦915年(延喜15年)じゃからな」

み「古事記が編纂されてから、200年も後か……。
その前には、噴火は無かったんですか?」
老「もちろんあった。
しかし……。
その前は、5,000年以上も前のようじゃな」
み「うーん。
八岐のオロチと繋げるのは、やっぱり無理か……」
老「八岐のオロチでは無かったとしても……。
三湖伝説の竜が、915年の噴火に関係してるということは……。
大いに考えられることなんじゃ」
み「ほんとですか!」
老「915年の平安噴火は……。
日本で起こった有史以降の噴火としては、最大級の規模じゃったらしい。
被害は広範囲に及んだ。
そして……。
その被害が及んだと考えられる地域と……。
三湖伝説が分布する地域が、みごとに重なるんじゃよ」
み「スゴいじゃないですか!
それって、おじいさんの新説ですか?」
老「そうじゃ!
と言いたいところではあるが……。
残念ながら、受け売りじゃ。
1966年に、平山次郎と市川賢一という人によって論文になっておる(『1000年前のシラス洪水』)」
み「へ~。
てことは、その噴火で十和田湖が出来たんですよね?」

老「それは……。
違うようじゃ」
み「え~。
それじゃ、三湖伝説と合わないじゃないですか。
八郎太郎が変じた竜が、915年の噴火を表してるとすれば……。
そのときに、十和田湖が出来たことになるじゃないですか」
老「十和田湖は、ひとつの噴火で出来たわけじゃないんじゃ。
湖を作っている噴火口は、いくつもある。
いちばん外縁を作った噴火は、3万年から2万5先年前と云われておる。
中湖と呼ばれる一番深い部分が出来たのは、5,400年前の噴火じゃ」

老「この噴火で、外縁のカルデラに溜まってた湖水が、真ん中の火口に流れ込んだんじゃな」
み「うーん」
老「ほっほ。
考え込んでしまったな。
そろそろ、三湖伝説の続きを話しても良いかの?」
み「あ、お願いします。
なぜ、八郎太郎が八郎潟に来ることになったのか」
老「青森県の三戸郡に、斗賀村というところがあった。
今は、南部町の一部になっておるがの」

老「そこの神社の別当の家に、男の子が生まれ、南祖丸と名付けられた。
幼いころから利発で、神懸かりめいたこともするため、神童と呼ばれるようになった。
17歳になった南祖丸は、名を南祖坊と改め、諸国行脚の旅に出た」
み「南祖坊って、お坊さんみたいな名前ですね。
神社の子なんでしょ?」
老「だから、別当の子じゃ」
み「なんです、それ?」
老「難儀じゃの。
『別当』とは、神社に属しつつ……。
仏教儀礼を行う僧侶のことなんじゃ。
神仏習合の結果生じたものじゃな。
続けて良いかの?」
み「お願いします」
老「さて、その南祖坊が……。
諸国を巡り巡って、熊野大権現を33回目に参詣したおり……。
『この草鞋が切れた場所が終の棲家になる』との神託を受け、鉄の草鞋を授ったそうじゃ」
