2012.3.3(土)
さてさて。
杉木立に囲まれた境内には、山の気が満ち……。
荘厳な雰囲気が漂います。
本殿は、さほど大きくはありませんが……。
立派な作りです。
律「この建物を、武内宿禰が建てたの?」
み「そんなわけないでしょ。
2,000年近く前になっちゃうじゃない。
学校で習わなかった?
日本最古の木造建築は……。
法隆寺だって」
律「理系だったからね」
み「それ以前に、中学校で習ってるはず」
ガ「それではみなさん、順にご参拝ください。
こちらは、大晦日の『ゆくとしくる年』でも、よく中継されるんですよ」
律「お賽銭、いくらにする?」
み「100円」
律「細かいの、ないの?
崩してあげようか?」
み「100円でいいの!」
律「ずいぶんと奮発するじゃないの」
み「秋田まで来て……。
越後人がケチだと思われたくないからね。
それに……。
なまはげの実演で、怖い目に遭いたくないし」
律「どうやら、そっちが本音のようね。
それじゃ、わたしも」
み「ちょっと待って。
お賽銭入れる前に、これを鳴らさなくちゃ」
律「これって、何て言うんだっけ?」
み「ガラガラじゃないの?」
律「正式名称は?」
み「わからん」
律「ま、いいわ。
先に鳴らすんだっけ?
そもそも、何のために鳴らすの?」
み「神を起こすためでしょ」
律「は?」
み「神が、中で寝てるかも知れないじゃない。
だから、これを鳴らして起こすわけ。
お賽銭入れるとこを、ちゃんと見てもらわなきゃならないからね」
律「そういう意味だったの?」
み「たぶん……。
じいちゃんが、そう言ってた」
律「何か怪しいわね。
でも、人間的な神で、親しみがわくわ」
み「それじゃ……」
ガラ~ン、ガラガラ。
チャリ、チャリ~ン。
パチパチ。
パチパチ。
み「どうか、“なまはげ”さまに絡まれませんように……」
律「もっと建設的な願いごとは出来ないものかね」
後ろがつかえてるので、早々に場所を譲りましょう。
振り返ると、OLさんと鉄道くんが、仲良く並んでました。
この2人、まさに瓢箪から駒でしたね。
すれ違いざま……。
OLさんに囁きます。
み「何、お願いするんですか?」
OL「いや~ん、エッチ!」
バシッ。
み「痛てー」
思い切り肩を叩かれました。
このオンナ……。
いったい何考えてるんだ?
さて、全員お参りを済ませたところで……。
男鹿真山伝承館に移動です。
移動と云っても、参道を下りればすぐのところ。
なお、真山伝承館と、このあと立ち寄る“なまはげ館”は共通チケットになってます。
今は800円ですけど、12月から3月は、1,000円。
冬季の入館料が高いのは……。
たぶん暖房費とか、駐車場の除雪費とかがかかるからだと思います。
なお、わが“なぎさGAOコース”の料金には、この入館料も含まれてるんです。
料金、覚えてます?
そう、5,300円でしたね。
この中には、『男鹿水族館GAO』の入館料1,000円に加え、ここの800円も入ってたわけです。
これで、実質3,500円になっちゃいました。
レンタカーで回ること考えたら、このツアーが、いかに安いかわかりますよね。
冬ならもう200円得だと思った方……。
残念ながら“なぎさGAOコース”、冬期は運行してません。
さて、男鹿真山伝承館です。
律「雰囲気あるね~」
み「曲がり家じゃない」
ガ「お客さま、よくご存じですね。
曲がり家は、東北地方の農家の典型的な作りです。
この建物は、明治時代に建てられた農家を移築したものです。
築100年ほど経つそうです」
み「この曲がったところが、馬屋だったんだよ」
み「東北地方では、大切な馬を家の中で飼ってたんだね」
ガ「お客さま~。
わたしの仕事、取っちゃ困りますぅ」
み「あ、そうか。
ごめんごめん。
去年の秋、福島でも見たもんで……」
律「由美と行ったときね」
み「そう。
大内宿に行くとき下りた、湯野上温泉駅」
ガ「それではみなさま、お上がりください」
靴を脱いで、座敷に上がります。
広い畳の座敷。
初めて入ったはずなのに……。
初めての気がしない。
昔、夢の中で住んでたような……。
懐かしさを覚えます。
でも……。
冬は寒いだろうなぁ。
畳には、座布団など敷かれてません。
男性は、あぐらもかけますが……。
女性は、畳の上に、ジカに正座となります。
律「なんか緊張するね」
み「うんこ出そう」
律「お下品!」
作務衣のような割烹着のようなのを着た女性が現れ……。
“なまはげ”について前説してくださいます。
“なまはげ”という名前の由来などが語られてるようですが……。
ほとんど上の空です。
心臓がバクバクと鳴り出しました。
続いて、この家の主らしい着物の人が現れ……。
囲炉裏の前に座ります。
いよいよです!
玄関が開いたのでギクッとしましたが……。
入ってきたのは、これまた作務衣を着た小柄なおじさん。
囲炉裏を挟んで、主の前に座ります。
そういえば、さっきの案内人の女性が、まず“先立(さきだち)”を迎えると言ってたような……。
会話は秋田弁なので、よく聞き取れませんが……。
どうやら、“なまはげ”を入れて良いか、主に確認してるようです。
み「むやみやたらと入って来るわけじゃないみたいだね」
律「さっき、お姉さんがそう説明してたでしょ」
聞こえてませんでした……。
どうやら、話が付いたようです。
先立さんが、玄関に向かって声をかけました。
うぅ。
怖いよう……。
頭の中で、「来る~、きっと来る~」のメロディが鳴り響きます。
ドンドンドンドン!
玄関扉が、激しく叩かれました。
「うぉぉぉ!」
「うぉぉぉ!」
雄叫びとともに、扉が引き開けられました。
2体の“なまはげ”さんの登場です!
ひぇぇぇぇ。
遠目で見ても、怖いぃぃ。
「悪い子はいねが~!」
「怠け者はいねが~!」
子供は、本気で泣き出しました。
女性の間からも、悲鳴が……。
わたしは……。
声も出ません。
な「怠け者の臭いがするど~!」
“なまはげ”が、なぜかわたしに迫って来ました。
な「おめだな~!」
み「あんぎゃー。
わたしじゃない!
わたしじゃない!」
律「取り乱すな、ばかもん!」
な「怠け者の臭いが、ぷんぷんするど~」
み「違ぅ~!
わたしじゃないぃぃ。
こいつ~。
こいつ~」
律「ちょっと!
何でわたしを指すのよ!」
な「おめさ決まってる。
怠け顔でねえか!」
み「うぎゃ~。
違いますぅぅ。
怠けてないぃぃ」
律「なまはげさん!
この人、ほんとに頑張ってるんですよ。
毎朝、4時に起きて小説書いてるんですから」
み「違うぅ。
3時53分、3時53分」
律「何でそんな半端な時間に起きるのよ!」
み「うっ、うっ、3時45分に目覚ましかけてるんだけど……。
1回だけスヌーズ押して……。
8分後に鳴った2回目で起きるんだよぉ」
律「そんな細かい説明はいいの!
ほら、もう“なまはげ”さん、よそに行っちゃったよ。
可哀想に、子供は本気で泣いちゃってる。
ここにも一人、子供がいたけど」
律「ほら、顔上げてごらんって。
家の主人が“なまはげ”さんを宥めてるよ。
お膳を出して来た。
お酒を振る舞うみたいだね。
あ、“なまはげ”さんがお膳に付いたよ」
律「けっこう、美味しそうなお膳よね」
律「ちょっと!
なんでわたしが、いちいち実況しなきゃならないの!
しがみついてないで、顔上げなさいって!」
み「まだいるんでしょ?」
律「当たり前じゃない。
始まったばっかりなんだから。
そうやってビビってるから、絡まれるのよ。
顔上げないと、また来るよ」
恐る恐る顔を上げます。
主が、“なまはげ”さまにお酒を注いでました。
秋田弁で、今年の収穫なんかを報告してるみたいです。
“なまはげ”さまが、大きな台帳のようなものを開きました。
案内人の説明にあった「なまはげ台帳」のようです。
「横に見てどうする!」と突っこみたくなりましたが……。
もちろん、出来るわけありません。
どうやら中は、縦書きになってるようです。
「おめとこの子は、勉強さしねし、ぜんぜん手伝わねって書いてあるど!」
「おめとこの嫁は、親の面倒さ見ねらしいでねえか!」
「うぉぉぉ!」
「うぉぉぉ!」
“なまはげ”さまが起ちあがり、再び暴れ始めました。
再び律子先生にしがみつきます。
腰が抜けてるので……。
逃げられません。
先生に見捨てられたら、餌食になるほかないので……。
もう、必死です。
律「ちょっと!
そんなにつかんだら、痛いじゃないのよ。
大丈夫だって。
ほら、今度はあっちに行ったよ」
こわごわ片目をあげると……。
“なまはげ”さまは、反対コーナーで暴れてました。
ふ~。
助かった。
「きゃ~」
ひとしきり甲高い悲鳴があがりました。
伸び上がって見てみると……。
あのOLさんでした。
思い切り鉄道くんにしがみついてます。
鉄道くんは、ほぼ凝固状態。
律「やるわね、彼女。
完全に、入道崎で吹っ切れたみたい」
興が乗ったのか……。
1体の“なまはげ”さまが、人垣の中に分け入り始めました。
考えてみればこの場は、「舞台」と「客席」ではないんです。
“なまはげ”を“体験”する場なんですから。
当然のことながら、かなりいじられます。
「うぉぉぉぉ」
“なまはげ”さまの雄叫びがあがります。
「ひぇぇぇぇ」
それに続いて、大きな悲鳴が上がりました。
明らかに男性の声です。
み「誰だろ?
情けないヤツ」
律「人のこと言えるの?」
み「ちょっと先生……。
あれ、町工場の社長だよ」
律「ほんと?」
2人して、膝立ちになって覗きます。
間違いありません。
あの信じ難い色合いのジャケットは……。
間違いなく、社長です。
頭を抱えてうずくまってます。
社「おが~ちゃん!
おが~ちゃん!」
恥も外聞もないってのは、このことですね。
OLさんまで、素に戻って覗きこんでます。
水「ちょっと、あんた!
いったい、どうしちゃったのよ?」
連れのお水らしき女性が、呆れたような声をあげました。
な「いい年さこいて、恥ずかしくねえだか?」
“なまはげ”さまも呆れたような声で、社長の肩に手をかけました。
社「ぎょぇぇぇぇぇぇぇ」
あまりの悲鳴に、“なまはげ”さまの方が飛びすさりました。
律「驚いたね。
Mikiちゃんの上手がいたよ」
社長は、額を畳に擦りつけてます。
社「もうしません!
いたしません!」
な「何をしねちゅうだ?」
社「悪いことしません!
浮気もやめます!
あれとは別れます!」
水「なんだって?」
突然、隣のお水さんの顔が変わりました。
まるで、人形浄瑠璃のガブのようです。
水「おまいは……。
まだあの女と別れてなかったのかぁ!」
社「ひぇぇぇぇ。
かあちゃん、許してけろ~」
水「誰が許すかぁぁ。
成敗してくれる」
お水さんは、金ラメのバッグを振り上げると……。
畳に額を擦りつける社長の頭に……。
真っ向から振りおろしました。
社「あぎゃ」
あわれ、社長は……。
カエルのように潰れてしまいました。
ピクピク痙攣してます。
律「あの人……。
奥さんらしいね。
でも、“なまはげ”より怖いわ」
“なまはげ”さんも毒気を抜かれたのか……。
社長の脇から、そそくさと立ち去りました。
家の主が、手みやげのお餅を持たせてます。
どうやら、お帰りいただけるようです。
「うぉぉぉ」
「また来年、来っからな!」
さらにひとしきり歩き回ると……。
ようやく、戸障子の向こうへ去っていきました。
障子が閉ざされてみると……。
ほんの一瞬前のことなのに、今見たことが幻のように思えます。
律「あ~、面白かったね」
み「あんまり面白くないわい。
涙で、化粧が流れた」
律「Mikiちゃんが一番面白いかと思ってたら……。
うわ手がいたもんね」
お水さんが、畳を踏み鳴らしながら通り過ぎていきました。
その後ろを、へろへろ状態の社長が追っていきます。
社「ま、待ってくれぇ」
彼の前途を思うと……。
同情を禁じ得ません。
律「じゃ、わたしたちも行こうか。
ちょっと、どうしたの?」
み「た、立てない……」
律「やだ。
腰抜かしたわけ?」
み「違わい。
足が痺れて……。
立てない」
律「それはそれで……。
情けないものがあるわね」
律子先生にすがりながら、引きずられていきます。
真山伝承館を出ると、秋の日がさんさんと降り注いでました。
ほんとうのなまはげは、夜やるんだろうから……。
たぶん、はるかに怖いと思います。
ガ「みなさま、お疲れさまでしたぁ」
真山伝承館の外では、バスガイドさんが待ってました。
律「ガイドさんは、なまはげ体験しなかったんですか?」
ガ「わたし、“なまはげ”さま、ダメなんです。
子供のころ……。
あんまり怖くて、お漏らししちゃって。
怖さと恥ずかしさで、大トラウマになってます」
み「わたしも外で待ってればよかった」
ガ「お客さん、“なまはげ”さんに絡まれましたね?」
み「何でわかるの?」
ガイドさんが、わたしの肩に手を伸ばしました。
ガ「ほら、これ」
律「あ、藁ね」
ガ「“なまはげ”さんが、蓑を着てましたでしょ?
あれ、“ケデ”って云うんですけど……」
ガ「そこから落ちた藁ですね」
律「そう言えば、畳にいっぱい散らばってたわ」
ガ「その藁が、肩に付いてるということは……。
“なまはげ”さんと、ジカに触れあった証拠です」
み「あんまり触れ合いたくなかった」
ガ「でもこの藁、御利益あるんですよ。
1年間、無病息災。
頭に巻くと、頭が良くなるんですって」
律「Mikiちゃん、さっそく巻かなくちゃ」
み「わたしは、この程度の頭で十分だよ」
律「足りないと思うけどな……」
み「なにっ」
律「耳だけは人並み以上だね」
み「やかましわい。
ほんのこつ、腹ん立つ。
あれだけ脅かされて、藁1本じゃ合わないっての」
律「その藁1本から、わらしべ長者みたいになるかもよ」
律「ほら、わたしが髪に挿してあげる」
み「いりません!」
律「それじゃ、わたしに頂戴」
み「やだ」
律「いらないんじゃないの?」
み「取りあえず、持ってる」
律「信じない人には、御利益なんか無いよ」
み「偉い科学者に、こういう逸話がある。
その科学者さんの玄関に、馬の蹄鉄が飾ってあったんだって」
律「家に幸運をもたらすおまじないね」
み「そう。
で、その家を訪れた人が、こう尋ねた。
『先生のような科学者でも、こういう言い伝えをお信じになるものですか?』
先生、答えて曰く……。
『信じてなんかいないさ。
でも、こいつは……。
信じない者にも、御利益があるって云うからね』」
律「ずいぶんと都合のいい話ね」
み「人が信じるかどうかくらいで左右されるようなら……。
大した力じゃないってこと。
そんなの関係なしに、持った者に強大な作用をするのが……。
本物の魔力ってものじゃないの?」
律「と屁理屈をこねつつ……。
結局、バッグにしまうわけね」
ガ「さて、みなさん、お集まりいただけましたね。
これから、お隣の建物、『なまはげ館』の見学になります。
こちらの施設では、案内などは付きませんので、ご自由に見学ください。
なお、バスの出発は、14:40分ですので……。
それまでに、お戻り願います」
客「は~い」
律「ちょっと、どうしたの?」
み「“なまはげ”は、もう結構って感じ」
律「駄々こねないの。
時間、まだあるんだし、見ていこうよ。
悪い子にしてると……。
“なまはげ”が夢に出てくるぞ」
律子先生に引きずられ、「なまはげ館」へ。
思いの外、立派な建物でした。
外壁は石積みです。
伝承館の曲がり家とは対照的。
ガ「はい、それではみなさま。
さきほど、なまはげ体験をしていただいたわけですが……。
こちらの『伝承ホール』では、大晦日に行われる実際の行事を、改めてご覧いただけます。
間もなく14:00より、『なまはげの一夜』が上映されます。
上映時間は、おおよそ15分です」
み「わたし、パス」
律「わたし、見たい」
み「じゃ、先生ひとりで見て。
わたし、あっちの展示に興味がある」
律「なんの展示?」
み「男鹿半島を紹介する展示みたい」
律「時間的に、両方じっくり見るのは無理かもね。
じゃ、別々に見て、あとで教えっこしよう」
律子先生は、すたすたと『伝承ホール』に入っていきました。
付き合ってくれると思ったのに……。
くそ!
結局、『伝承ホール』をパスしたのは……。
わたしと、例の社長とお水だけです。
社長とお水は、「なまはげ館」自体を出ていきました。
取り残されたのは、わたしだけ。
わたしのような学術派は、ほかにいないってことね……。
まあいい。
学究の徒は、常に孤独なのだ。
そこは、「神秘のホール」と名付けられてました。
太い木の柱が並んでます。
きっとこれは、秋田杉ですよね。
昔の民具などが展示されてます。
丸木舟がありました。
こんな舟で、海に出たってことですよね。
泳げないわたしには、とうてい信じられません。
説明書きによると……。
男鹿の丸木舟は、一本杉をえぐって造られていたそうです。
そのため、“刳(えぐ)り舟”とも呼ばれてたとか。
その歴史は驚くほど古く……。
縄文時代に遡るそうです。
そんな舟が、1990年ころまで実際に使われてたんですから……。
シーラカンスみたいですね。
1本の木からえぐり出された舟は、もちろん男鹿以外にもありました。
でも、それが最後まで使われてたのは……。
男鹿半島と……。
種子島だったそうです。
丸木舟は、板を貼り合わせた舟と比べ、はるかに頑丈なため……。
岩場の多い男鹿に適していたのだとか。
ちょっとくらい岩にぶつかっても、ビクともしないそうです。
耐用年数も長く、100年は使えたとのこと。
長さは6メートルもあります。
頑丈第一に作られてますから、肉厚で、重さは1トン近いそうです。
これだけの舟をえぐり出すためには……。
樹齢300年を越える杉が必要でした。
縄文時代、そんな巨木をどうやって伐り出したんでしょうね。
さて、ひととおり見てたら、ずいぶん時間が経っちゃいました。
男鹿の風土について解説した大型のパネルは……。
けっこう読みごたえがありましたから。
秋田杉の柱には、液晶モニターが埋めこまれ……。
男鹿の自然が映し出されてました。
こういうの眺めてると……。
なんだか住んでみたくなるんですよね。
さてさて、「伝承ホール」に戻ってみましょう。
どうやら、『なまはげの一夜』の上映は終わってたようです。
でも、律子先生の姿は見あたりません。
どこ行っちゃったんだろう。
壁には、“なまはげ”人形のほかに……。
“なまはげ”の歴史なんかの展示もあります。
↓これは、菅江真澄(すがえますみ)が描いた200年前の“なまはげ”。
なんか……。
虫、みたいですよね。
こんな“なまはげ”なら、怖くなかったのにな。
ちなみに、菅江真澄(1754~1829)は、旅行家であり博物学者でした。
三河の生まれ。
諸国を巡りながら、『菅江真澄遊覧記』という旅日記を残してます。
文章には、自筆の挿絵が付けられてます。
1811年からは久保田城下に住み、そのまま秋田で没したそうです。
秋田が気に入っちゃったんでしょうかね。
出身地の三河とは、気候もそうとう違ったでしょうに。
それでなくても江戸時代は、今よりもかなり寒かったらしいんです。
これは、日本だけでなく、地球規模の現象。
15世紀から19世紀にかけては、小氷期と呼ばれてるんです。
気温は、現在に比べ、1~2度低かったとか。
なんだ大したことないじゃん、と思ったあなた!
1~2度の違いは、大違いなんです。
これは、平均値ですからね。
実際には、もっと寒い方にぶれることも多々あったわけ。
江戸時代の記録によると……。
1773年、1774年、1812年の3回……。
隅田川が氷結したそうです。
お堀のような止水が凍るのはわかりますが……。
隅田川は、流れてる川です。
これが凍るというのは、相当な寒さだったはず。
↑中国黒竜江省・ハルビン市(新潟市の友好都市)の松花江
1822年と1824年には、大阪の淀川も凍ってます。
1822年には、品川で2メートルの積雪があったという記録もあります。
江戸湾には、トドが来ていたそうです。
↓は、安藤広重による『江戸近郊八景』のうちの1枚です。
どこの風景だと思います?
題名は、「飛鳥山暮雪」。
つまり、北区の王子駅前にある飛鳥山公園あたりなんですね(当時は王子村)。
江戸で、これなんですから……。
雪国は、もっとスゴかったはず。
鈴木牧之の『北越雪譜』には、積雪18丈(54メートル!)という記述があります。
ま、これは“白髪三千丈”の世界でしょうけどね。
興味のある方は、「鈴木牧之のこと」を読んでみてください。
さてさて。
律子先生を捜しに来たんでした。
「どこ行っちゃったのかな?」
『伝承ホール』を出てみますが……。
見あたりません。
次の展示に行っちゃったんだな。
勝手なやつ……。
人だかりのしてる一角がありました。
人垣の後ろ姿には、律子先生は見あたりません。
でも、何事だろうと覗いてみると……。
“なまはげ”のお面を彫ってる人がいました。
なるほど。
こういう仕事もあるわけですね。
「あの~」
人垣の中の女性が、職人さんに声をかけました。
聞き覚えのある声だと思ったら……。
OLさんでした。
杉木立に囲まれた境内には、山の気が満ち……。
荘厳な雰囲気が漂います。
本殿は、さほど大きくはありませんが……。
立派な作りです。
律「この建物を、武内宿禰が建てたの?」
み「そんなわけないでしょ。
2,000年近く前になっちゃうじゃない。
学校で習わなかった?
日本最古の木造建築は……。
法隆寺だって」
律「理系だったからね」
み「それ以前に、中学校で習ってるはず」
ガ「それではみなさん、順にご参拝ください。
こちらは、大晦日の『ゆくとしくる年』でも、よく中継されるんですよ」
律「お賽銭、いくらにする?」
み「100円」
律「細かいの、ないの?
崩してあげようか?」
み「100円でいいの!」
律「ずいぶんと奮発するじゃないの」
み「秋田まで来て……。
越後人がケチだと思われたくないからね。
それに……。
なまはげの実演で、怖い目に遭いたくないし」
律「どうやら、そっちが本音のようね。
それじゃ、わたしも」
み「ちょっと待って。
お賽銭入れる前に、これを鳴らさなくちゃ」
律「これって、何て言うんだっけ?」
み「ガラガラじゃないの?」
律「正式名称は?」
み「わからん」
律「ま、いいわ。
先に鳴らすんだっけ?
そもそも、何のために鳴らすの?」
み「神を起こすためでしょ」
律「は?」
み「神が、中で寝てるかも知れないじゃない。
だから、これを鳴らして起こすわけ。
お賽銭入れるとこを、ちゃんと見てもらわなきゃならないからね」
律「そういう意味だったの?」
み「たぶん……。
じいちゃんが、そう言ってた」
律「何か怪しいわね。
でも、人間的な神で、親しみがわくわ」
み「それじゃ……」
ガラ~ン、ガラガラ。
チャリ、チャリ~ン。
パチパチ。
パチパチ。
み「どうか、“なまはげ”さまに絡まれませんように……」
律「もっと建設的な願いごとは出来ないものかね」
後ろがつかえてるので、早々に場所を譲りましょう。
振り返ると、OLさんと鉄道くんが、仲良く並んでました。
この2人、まさに瓢箪から駒でしたね。
すれ違いざま……。
OLさんに囁きます。
み「何、お願いするんですか?」
OL「いや~ん、エッチ!」
バシッ。
み「痛てー」
思い切り肩を叩かれました。
このオンナ……。
いったい何考えてるんだ?
さて、全員お参りを済ませたところで……。
男鹿真山伝承館に移動です。
移動と云っても、参道を下りればすぐのところ。
なお、真山伝承館と、このあと立ち寄る“なまはげ館”は共通チケットになってます。
今は800円ですけど、12月から3月は、1,000円。
冬季の入館料が高いのは……。
たぶん暖房費とか、駐車場の除雪費とかがかかるからだと思います。
なお、わが“なぎさGAOコース”の料金には、この入館料も含まれてるんです。
料金、覚えてます?
そう、5,300円でしたね。
この中には、『男鹿水族館GAO』の入館料1,000円に加え、ここの800円も入ってたわけです。
これで、実質3,500円になっちゃいました。
レンタカーで回ること考えたら、このツアーが、いかに安いかわかりますよね。
冬ならもう200円得だと思った方……。
残念ながら“なぎさGAOコース”、冬期は運行してません。
さて、男鹿真山伝承館です。
律「雰囲気あるね~」
み「曲がり家じゃない」
ガ「お客さま、よくご存じですね。
曲がり家は、東北地方の農家の典型的な作りです。
この建物は、明治時代に建てられた農家を移築したものです。
築100年ほど経つそうです」
み「この曲がったところが、馬屋だったんだよ」
み「東北地方では、大切な馬を家の中で飼ってたんだね」
ガ「お客さま~。
わたしの仕事、取っちゃ困りますぅ」
み「あ、そうか。
ごめんごめん。
去年の秋、福島でも見たもんで……」
律「由美と行ったときね」
み「そう。
大内宿に行くとき下りた、湯野上温泉駅」
ガ「それではみなさま、お上がりください」
靴を脱いで、座敷に上がります。
広い畳の座敷。
初めて入ったはずなのに……。
初めての気がしない。
昔、夢の中で住んでたような……。
懐かしさを覚えます。
でも……。
冬は寒いだろうなぁ。
畳には、座布団など敷かれてません。
男性は、あぐらもかけますが……。
女性は、畳の上に、ジカに正座となります。
律「なんか緊張するね」
み「うんこ出そう」
律「お下品!」
作務衣のような割烹着のようなのを着た女性が現れ……。
“なまはげ”について前説してくださいます。
“なまはげ”という名前の由来などが語られてるようですが……。
ほとんど上の空です。
心臓がバクバクと鳴り出しました。
続いて、この家の主らしい着物の人が現れ……。
囲炉裏の前に座ります。
いよいよです!
玄関が開いたのでギクッとしましたが……。
入ってきたのは、これまた作務衣を着た小柄なおじさん。
囲炉裏を挟んで、主の前に座ります。
そういえば、さっきの案内人の女性が、まず“先立(さきだち)”を迎えると言ってたような……。
会話は秋田弁なので、よく聞き取れませんが……。
どうやら、“なまはげ”を入れて良いか、主に確認してるようです。
み「むやみやたらと入って来るわけじゃないみたいだね」
律「さっき、お姉さんがそう説明してたでしょ」
聞こえてませんでした……。
どうやら、話が付いたようです。
先立さんが、玄関に向かって声をかけました。
うぅ。
怖いよう……。
頭の中で、「来る~、きっと来る~」のメロディが鳴り響きます。
ドンドンドンドン!
玄関扉が、激しく叩かれました。
「うぉぉぉ!」
「うぉぉぉ!」
雄叫びとともに、扉が引き開けられました。
2体の“なまはげ”さんの登場です!
ひぇぇぇぇ。
遠目で見ても、怖いぃぃ。
「悪い子はいねが~!」
「怠け者はいねが~!」
子供は、本気で泣き出しました。
女性の間からも、悲鳴が……。
わたしは……。
声も出ません。
な「怠け者の臭いがするど~!」
“なまはげ”が、なぜかわたしに迫って来ました。
な「おめだな~!」
み「あんぎゃー。
わたしじゃない!
わたしじゃない!」
律「取り乱すな、ばかもん!」
な「怠け者の臭いが、ぷんぷんするど~」
み「違ぅ~!
わたしじゃないぃぃ。
こいつ~。
こいつ~」
律「ちょっと!
何でわたしを指すのよ!」
な「おめさ決まってる。
怠け顔でねえか!」
み「うぎゃ~。
違いますぅぅ。
怠けてないぃぃ」
律「なまはげさん!
この人、ほんとに頑張ってるんですよ。
毎朝、4時に起きて小説書いてるんですから」
み「違うぅ。
3時53分、3時53分」
律「何でそんな半端な時間に起きるのよ!」
み「うっ、うっ、3時45分に目覚ましかけてるんだけど……。
1回だけスヌーズ押して……。
8分後に鳴った2回目で起きるんだよぉ」
律「そんな細かい説明はいいの!
ほら、もう“なまはげ”さん、よそに行っちゃったよ。
可哀想に、子供は本気で泣いちゃってる。
ここにも一人、子供がいたけど」
律「ほら、顔上げてごらんって。
家の主人が“なまはげ”さんを宥めてるよ。
お膳を出して来た。
お酒を振る舞うみたいだね。
あ、“なまはげ”さんがお膳に付いたよ」
律「けっこう、美味しそうなお膳よね」
律「ちょっと!
なんでわたしが、いちいち実況しなきゃならないの!
しがみついてないで、顔上げなさいって!」
み「まだいるんでしょ?」
律「当たり前じゃない。
始まったばっかりなんだから。
そうやってビビってるから、絡まれるのよ。
顔上げないと、また来るよ」
恐る恐る顔を上げます。
主が、“なまはげ”さまにお酒を注いでました。
秋田弁で、今年の収穫なんかを報告してるみたいです。
“なまはげ”さまが、大きな台帳のようなものを開きました。
案内人の説明にあった「なまはげ台帳」のようです。
「横に見てどうする!」と突っこみたくなりましたが……。
もちろん、出来るわけありません。
どうやら中は、縦書きになってるようです。
「おめとこの子は、勉強さしねし、ぜんぜん手伝わねって書いてあるど!」
「おめとこの嫁は、親の面倒さ見ねらしいでねえか!」
「うぉぉぉ!」
「うぉぉぉ!」
“なまはげ”さまが起ちあがり、再び暴れ始めました。
再び律子先生にしがみつきます。
腰が抜けてるので……。
逃げられません。
先生に見捨てられたら、餌食になるほかないので……。
もう、必死です。
律「ちょっと!
そんなにつかんだら、痛いじゃないのよ。
大丈夫だって。
ほら、今度はあっちに行ったよ」
こわごわ片目をあげると……。
“なまはげ”さまは、反対コーナーで暴れてました。
ふ~。
助かった。
「きゃ~」
ひとしきり甲高い悲鳴があがりました。
伸び上がって見てみると……。
あのOLさんでした。
思い切り鉄道くんにしがみついてます。
鉄道くんは、ほぼ凝固状態。
律「やるわね、彼女。
完全に、入道崎で吹っ切れたみたい」
興が乗ったのか……。
1体の“なまはげ”さまが、人垣の中に分け入り始めました。
考えてみればこの場は、「舞台」と「客席」ではないんです。
“なまはげ”を“体験”する場なんですから。
当然のことながら、かなりいじられます。
「うぉぉぉぉ」
“なまはげ”さまの雄叫びがあがります。
「ひぇぇぇぇ」
それに続いて、大きな悲鳴が上がりました。
明らかに男性の声です。
み「誰だろ?
情けないヤツ」
律「人のこと言えるの?」
み「ちょっと先生……。
あれ、町工場の社長だよ」
律「ほんと?」
2人して、膝立ちになって覗きます。
間違いありません。
あの信じ難い色合いのジャケットは……。
間違いなく、社長です。
頭を抱えてうずくまってます。
社「おが~ちゃん!
おが~ちゃん!」
恥も外聞もないってのは、このことですね。
OLさんまで、素に戻って覗きこんでます。
水「ちょっと、あんた!
いったい、どうしちゃったのよ?」
連れのお水らしき女性が、呆れたような声をあげました。
な「いい年さこいて、恥ずかしくねえだか?」
“なまはげ”さまも呆れたような声で、社長の肩に手をかけました。
社「ぎょぇぇぇぇぇぇぇ」
あまりの悲鳴に、“なまはげ”さまの方が飛びすさりました。
律「驚いたね。
Mikiちゃんの上手がいたよ」
社長は、額を畳に擦りつけてます。
社「もうしません!
いたしません!」
な「何をしねちゅうだ?」
社「悪いことしません!
浮気もやめます!
あれとは別れます!」
水「なんだって?」
突然、隣のお水さんの顔が変わりました。
まるで、人形浄瑠璃のガブのようです。
水「おまいは……。
まだあの女と別れてなかったのかぁ!」
社「ひぇぇぇぇ。
かあちゃん、許してけろ~」
水「誰が許すかぁぁ。
成敗してくれる」
お水さんは、金ラメのバッグを振り上げると……。
畳に額を擦りつける社長の頭に……。
真っ向から振りおろしました。
社「あぎゃ」
あわれ、社長は……。
カエルのように潰れてしまいました。
ピクピク痙攣してます。
律「あの人……。
奥さんらしいね。
でも、“なまはげ”より怖いわ」
“なまはげ”さんも毒気を抜かれたのか……。
社長の脇から、そそくさと立ち去りました。
家の主が、手みやげのお餅を持たせてます。
どうやら、お帰りいただけるようです。
「うぉぉぉ」
「また来年、来っからな!」
さらにひとしきり歩き回ると……。
ようやく、戸障子の向こうへ去っていきました。
障子が閉ざされてみると……。
ほんの一瞬前のことなのに、今見たことが幻のように思えます。
律「あ~、面白かったね」
み「あんまり面白くないわい。
涙で、化粧が流れた」
律「Mikiちゃんが一番面白いかと思ってたら……。
うわ手がいたもんね」
お水さんが、畳を踏み鳴らしながら通り過ぎていきました。
その後ろを、へろへろ状態の社長が追っていきます。
社「ま、待ってくれぇ」
彼の前途を思うと……。
同情を禁じ得ません。
律「じゃ、わたしたちも行こうか。
ちょっと、どうしたの?」
み「た、立てない……」
律「やだ。
腰抜かしたわけ?」
み「違わい。
足が痺れて……。
立てない」
律「それはそれで……。
情けないものがあるわね」
律子先生にすがりながら、引きずられていきます。
真山伝承館を出ると、秋の日がさんさんと降り注いでました。
ほんとうのなまはげは、夜やるんだろうから……。
たぶん、はるかに怖いと思います。
ガ「みなさま、お疲れさまでしたぁ」
真山伝承館の外では、バスガイドさんが待ってました。
律「ガイドさんは、なまはげ体験しなかったんですか?」
ガ「わたし、“なまはげ”さま、ダメなんです。
子供のころ……。
あんまり怖くて、お漏らししちゃって。
怖さと恥ずかしさで、大トラウマになってます」
み「わたしも外で待ってればよかった」
ガ「お客さん、“なまはげ”さんに絡まれましたね?」
み「何でわかるの?」
ガイドさんが、わたしの肩に手を伸ばしました。
ガ「ほら、これ」
律「あ、藁ね」
ガ「“なまはげ”さんが、蓑を着てましたでしょ?
あれ、“ケデ”って云うんですけど……」
ガ「そこから落ちた藁ですね」
律「そう言えば、畳にいっぱい散らばってたわ」
ガ「その藁が、肩に付いてるということは……。
“なまはげ”さんと、ジカに触れあった証拠です」
み「あんまり触れ合いたくなかった」
ガ「でもこの藁、御利益あるんですよ。
1年間、無病息災。
頭に巻くと、頭が良くなるんですって」
律「Mikiちゃん、さっそく巻かなくちゃ」
み「わたしは、この程度の頭で十分だよ」
律「足りないと思うけどな……」
み「なにっ」
律「耳だけは人並み以上だね」
み「やかましわい。
ほんのこつ、腹ん立つ。
あれだけ脅かされて、藁1本じゃ合わないっての」
律「その藁1本から、わらしべ長者みたいになるかもよ」
律「ほら、わたしが髪に挿してあげる」
み「いりません!」
律「それじゃ、わたしに頂戴」
み「やだ」
律「いらないんじゃないの?」
み「取りあえず、持ってる」
律「信じない人には、御利益なんか無いよ」
み「偉い科学者に、こういう逸話がある。
その科学者さんの玄関に、馬の蹄鉄が飾ってあったんだって」
律「家に幸運をもたらすおまじないね」
み「そう。
で、その家を訪れた人が、こう尋ねた。
『先生のような科学者でも、こういう言い伝えをお信じになるものですか?』
先生、答えて曰く……。
『信じてなんかいないさ。
でも、こいつは……。
信じない者にも、御利益があるって云うからね』」
律「ずいぶんと都合のいい話ね」
み「人が信じるかどうかくらいで左右されるようなら……。
大した力じゃないってこと。
そんなの関係なしに、持った者に強大な作用をするのが……。
本物の魔力ってものじゃないの?」
律「と屁理屈をこねつつ……。
結局、バッグにしまうわけね」
ガ「さて、みなさん、お集まりいただけましたね。
これから、お隣の建物、『なまはげ館』の見学になります。
こちらの施設では、案内などは付きませんので、ご自由に見学ください。
なお、バスの出発は、14:40分ですので……。
それまでに、お戻り願います」
客「は~い」
律「ちょっと、どうしたの?」
み「“なまはげ”は、もう結構って感じ」
律「駄々こねないの。
時間、まだあるんだし、見ていこうよ。
悪い子にしてると……。
“なまはげ”が夢に出てくるぞ」
律子先生に引きずられ、「なまはげ館」へ。
思いの外、立派な建物でした。
外壁は石積みです。
伝承館の曲がり家とは対照的。
ガ「はい、それではみなさま。
さきほど、なまはげ体験をしていただいたわけですが……。
こちらの『伝承ホール』では、大晦日に行われる実際の行事を、改めてご覧いただけます。
間もなく14:00より、『なまはげの一夜』が上映されます。
上映時間は、おおよそ15分です」
み「わたし、パス」
律「わたし、見たい」
み「じゃ、先生ひとりで見て。
わたし、あっちの展示に興味がある」
律「なんの展示?」
み「男鹿半島を紹介する展示みたい」
律「時間的に、両方じっくり見るのは無理かもね。
じゃ、別々に見て、あとで教えっこしよう」
律子先生は、すたすたと『伝承ホール』に入っていきました。
付き合ってくれると思ったのに……。
くそ!
結局、『伝承ホール』をパスしたのは……。
わたしと、例の社長とお水だけです。
社長とお水は、「なまはげ館」自体を出ていきました。
取り残されたのは、わたしだけ。
わたしのような学術派は、ほかにいないってことね……。
まあいい。
学究の徒は、常に孤独なのだ。
そこは、「神秘のホール」と名付けられてました。
太い木の柱が並んでます。
きっとこれは、秋田杉ですよね。
昔の民具などが展示されてます。
丸木舟がありました。
こんな舟で、海に出たってことですよね。
泳げないわたしには、とうてい信じられません。
説明書きによると……。
男鹿の丸木舟は、一本杉をえぐって造られていたそうです。
そのため、“刳(えぐ)り舟”とも呼ばれてたとか。
その歴史は驚くほど古く……。
縄文時代に遡るそうです。
そんな舟が、1990年ころまで実際に使われてたんですから……。
シーラカンスみたいですね。
1本の木からえぐり出された舟は、もちろん男鹿以外にもありました。
でも、それが最後まで使われてたのは……。
男鹿半島と……。
種子島だったそうです。
丸木舟は、板を貼り合わせた舟と比べ、はるかに頑丈なため……。
岩場の多い男鹿に適していたのだとか。
ちょっとくらい岩にぶつかっても、ビクともしないそうです。
耐用年数も長く、100年は使えたとのこと。
長さは6メートルもあります。
頑丈第一に作られてますから、肉厚で、重さは1トン近いそうです。
これだけの舟をえぐり出すためには……。
樹齢300年を越える杉が必要でした。
縄文時代、そんな巨木をどうやって伐り出したんでしょうね。
さて、ひととおり見てたら、ずいぶん時間が経っちゃいました。
男鹿の風土について解説した大型のパネルは……。
けっこう読みごたえがありましたから。
秋田杉の柱には、液晶モニターが埋めこまれ……。
男鹿の自然が映し出されてました。
こういうの眺めてると……。
なんだか住んでみたくなるんですよね。
さてさて、「伝承ホール」に戻ってみましょう。
どうやら、『なまはげの一夜』の上映は終わってたようです。
でも、律子先生の姿は見あたりません。
どこ行っちゃったんだろう。
壁には、“なまはげ”人形のほかに……。
“なまはげ”の歴史なんかの展示もあります。
↓これは、菅江真澄(すがえますみ)が描いた200年前の“なまはげ”。
なんか……。
虫、みたいですよね。
こんな“なまはげ”なら、怖くなかったのにな。
ちなみに、菅江真澄(1754~1829)は、旅行家であり博物学者でした。
三河の生まれ。
諸国を巡りながら、『菅江真澄遊覧記』という旅日記を残してます。
文章には、自筆の挿絵が付けられてます。
1811年からは久保田城下に住み、そのまま秋田で没したそうです。
秋田が気に入っちゃったんでしょうかね。
出身地の三河とは、気候もそうとう違ったでしょうに。
それでなくても江戸時代は、今よりもかなり寒かったらしいんです。
これは、日本だけでなく、地球規模の現象。
15世紀から19世紀にかけては、小氷期と呼ばれてるんです。
気温は、現在に比べ、1~2度低かったとか。
なんだ大したことないじゃん、と思ったあなた!
1~2度の違いは、大違いなんです。
これは、平均値ですからね。
実際には、もっと寒い方にぶれることも多々あったわけ。
江戸時代の記録によると……。
1773年、1774年、1812年の3回……。
隅田川が氷結したそうです。
お堀のような止水が凍るのはわかりますが……。
隅田川は、流れてる川です。
これが凍るというのは、相当な寒さだったはず。
↑中国黒竜江省・ハルビン市(新潟市の友好都市)の松花江
1822年と1824年には、大阪の淀川も凍ってます。
1822年には、品川で2メートルの積雪があったという記録もあります。
江戸湾には、トドが来ていたそうです。
↓は、安藤広重による『江戸近郊八景』のうちの1枚です。
どこの風景だと思います?
題名は、「飛鳥山暮雪」。
つまり、北区の王子駅前にある飛鳥山公園あたりなんですね(当時は王子村)。
江戸で、これなんですから……。
雪国は、もっとスゴかったはず。
鈴木牧之の『北越雪譜』には、積雪18丈(54メートル!)という記述があります。
ま、これは“白髪三千丈”の世界でしょうけどね。
興味のある方は、「鈴木牧之のこと」を読んでみてください。
さてさて。
律子先生を捜しに来たんでした。
「どこ行っちゃったのかな?」
『伝承ホール』を出てみますが……。
見あたりません。
次の展示に行っちゃったんだな。
勝手なやつ……。
人だかりのしてる一角がありました。
人垣の後ろ姿には、律子先生は見あたりません。
でも、何事だろうと覗いてみると……。
“なまはげ”のお面を彫ってる人がいました。
なるほど。
こういう仕事もあるわけですね。
「あの~」
人垣の中の女性が、職人さんに声をかけました。
聞き覚えのある声だと思ったら……。
OLさんでした。