2012.3.3(土)
「さっそく、お部屋の説明をさせていただきますね。
まず、一番安い部屋は、1泊3,100円です」
「それって……。
1人あたりの値段ですか?」
「いいえ。
1部屋の料金です」
「てことは……。
2人で泊まっても……。
3,100円?」
「そうです」
や、安……。
思わず、美弥ちゃんと顔を合わせます。
さっきの人力車が、2人で3,000円でしたから……。
ほぼ同じ。
「でも……。
このお部屋は……。
女性の方にはお勧めしてません」
「どうしてです?」
「こちらの部屋は、旧館と云う、うちで一番古い棟にあります。
部屋は、相部屋ではありませんが……。
隣との仕切は、襖です。
玄関も台所もトイレも、共同です。
今はいいですけど……。
エアコンもありませんし……。
襖はもちろん、玄関にも鍵が掛かりません」
カンペキなる無防備ってことですね。
“さぁ殺せ”状態……。
美弥ちゃんと顔を見合わせます。
美弥ちゃんの目は、絶対ムリと訴えてました。
「そのお部屋、どういう人が泊まられるんですか?」
「そうですね……。
由布岳に登る人たちや……。
全国を巡って鉄道の写真を撮ってる人とか……。
リュックを背負った外人さんなんかですね」
登山家に、鉄ちゃんに、バックパッカーの外人……。
いざとなったら、野宿も出来るってヤツらばっかりじゃないか。
「別の部屋にします」
「それがいいですね。
うちのお客さんは、みんないい人ですけど……。
あなた方みたいな人が同じ棟に泊まったら、気になって眠れないかもしれないですから」
「旧館があるってことは、新館もあるってことですね」
「はい。
ここが新館になります」
「お部屋は、1泊3,600円です。
冷蔵庫とエアコンが付いてます。
でも、台所はありません。
ご覧のとおり、玄関も共同です」
「う~む」
「お部屋には、もう1タイプありまして……。
女性グループには、こちらをお勧めしてます」
「どういうお部屋なんですか?」
「“離れ”です」
「え!
“離れ”なんてあるんですか?」
「3棟あります」
「“離れ”には、コンロの付いた台所のほか……。
冷凍冷蔵庫、ポット、食器、湯沸かし器もあります」
「そこにします!」
「でも、少しお高いですよ?」
「お、おいくらですか?
まさか……。
百万円とか?」
「5,000円になります」
「う、安い。
それって、1人の値段ですか?」
「いいえ。
1棟の料金です」
「そこにします!」
美弥ちゃんも、一緒になって頷いてます。
ひとり2,500円で、さっきの装備の付いた“離れ”に泊まれるんですよ。
隣室との気兼ねも要らないしさ。
選択の余地無し!
さて、荷物を受け取り、若女将(?)に鍵をもらい、“離れ”に向かいます。
途中、お風呂を偵察。
お風呂は、別棟になってるそうなんです。
1階と2階にひとつずつあり、それぞれ内鍵が掛かるので、貸し切りで使えるとか。
内風呂だけなら、いいんですが……。
外からうかがう限り……。
どうやら、露天風呂構造のようです。
なんだか、掘っ立て小屋みたいですね。
ワイルドすぎて、女性客が使うには、かなりの勇気が要りそうです。
誰も入ってないみたいなので、ちょっと中を覗いてみます。
「なんか、外から見えそうだな……。
どう?」
美弥ちゃんのクビは、ぶるんぶるんと左右に振れました。
「美弥なら、見せつけてやればいいのに」
「ムリです。
わたし、入れません」
「考えてみたら、バスタオルも持ってないしね。
この様子じゃ、備え付けのタオルなんか、ありっこないよね」
「ここは、あきらめましょう」
「でも、1日の終わりにお風呂無しじゃなぁな……」
「そうだ!
さっき人力車降りたとき、日帰りの入浴施設みたいなのが見えましたよ」
「ほんと?
あのあたりなら、5分もかからないよね。
よし、そこにしよう」
さて、教えられた“離れ”に入ります。
「おぉ~」
オシャレ度は限りなくゼロですが……。
諸設備はちゃんとそろってます(画像が見つかりませんでしたので、想像です)。
「お風呂行って、そのまま夕飯食べに行く?
食べてからお風呂じゃ、めんどくさいよな」
「Mikikoさん、ここで食べませんか?」
「ここで?」
「コンロもあるし、ちょっとした料理なら出来ますよ」
「わたしには、出来ないぞ」
「Mikikoさんは、食べるだけでいいですよ」
「ほんと?
う~ん。
冷蔵庫もあるしね。
ビールだって、たくさん冷やせそうだ。
観光客相手のお店で、財布の中身と相談しながら注文するより……。
好きなもの買ってきて、ここで食べた方が楽しいかもね。
でも、買い出しできるようなお店があるかな?」
「さっきの若女将に聞いてみましょうよ」
若女将が、スーパーの場所を教えてくれました。
なんと、スーパーも、さっき人力車を降りたそばにあったんです。
『グルメシティ』というお店だそうです。
温泉施設とスーパーが、人力車を降りた「城橋」を挟んであったんですね。
お誂え向きってのは、このことを言うんでしょうか?
それじゃ、お財布だけ持って、レッツゴー。
日帰り温泉施設は、「クアージュゆふいん」という名称でした。
思ってたより小規模なうえ、建物の雰囲気からは、お客を集めようと云う意識が感じられません。
どうやら、観光客目当ての施設じゃないようです。
もともとは湯布院町が運営する施設で、合併により由布市に移管されたものらしく……。
正式名称は、「由布市湯布院健康温泉館」。
設立目的は、町民の健康増進だったようです。
保健師さんが常駐しており、無料で健康相談も受けられるとか。
ま、「クアージュ」ってネーミングは、いかにも公共施設って感じですよね。
外見は、和風ですが……。
ドイツの温泉治療技術を取り入れ、超音波ジャグジーや、サウナ、運動プールなどがあるそう。
残念ながら、ドクターフィッシュはいないようです。
なお、こうした設備は男女別では無いので……。
水着の着用が義務づけられてます。
このへんも、ドイツ風ですね。
でも、水着を持たずに来ても大丈夫なんです。
利用料金の800円には、水着やタオルのレンタル料も含まれてます。
もちろん、クア施設のほかに、裸で入れる露天風呂もあります。
当然こちらは、男女別です。
なお、プールを利用せず、お風呂だけって人は、500円です。
ただし、タオルなどをレンタルする場合は、別料金になります。
タオルが100円、バスタオルが200円。
おいおい。
合計すると、800円になっちまうじゃないか。
早い話、手ぶらで来た人は、800円払わにゃならんってことですね。
施設は、21時30分まで開いてますから……。
時間はたっぷり。
500円で済むんならお風呂だけにしようかと思いましたが、タオルが無いので……。
800円の水着付きにして、せっかくだからプールも入りましょう。
でもわたし、水着苦手なんだよね。
泳げないので、水着着ると不安になるんです。
全裸だったら平気なんだけどな。
「どこ見てるんです」
「水着の上からじゃ、わかんないもんだね。
あのクリ」
「当たり前でしょ!」
美弥ちゃんの貸し水着は、パッツパツ。
胸なんか、はち切れそうです。
対するわたしは……。
余裕ありまくりでした(泣)。
クア施設は、水着を着てるせいもあるのか、一見、プールみたいな感じですが……。
足が立たないとこも無く……。
ギャーギャー騒ぐガキもいなくて、思いのほかゆったり出来ました。
でも、夜が短くなっちゃうので、早々に切り上げましょう。
対するお風呂は、こぢんまりとしたものでした。
あくまで、クア施設がメインってことなんでしょうね。
さて、サッパリと汗を流したら……。
スーパーへ向かいましょう。
若女将(?)に教えられたスーパーは、『グルメシティ湯布院店』というお店でした。
規模はそれほど大きくありませんが、日常生活品の調達には十分のようです。
『グルメシティ』というスーパーは、新潟には無いので……。
地元資本かと思ってたら、大間違い。
ダイエーグループのスーパーでした。
ところで、そのダイエーですが……。
今、新潟には、1店舗もありません。
でも、5年前まではあったんです。
新潟市の「万代シティ」という商業地には、旗艦店がありました。
開店は、1973年。
1979年には、売上高が、全国のダイエー店舗中でトップになったそうです。
最盛期の年間売上高は、200億円近かったとか。
わたしは生まれてましたが……。
そのころの記憶はありません。
土・日には、店内が立錐の余地も無かったとか……。
でも、中心商業地にあったため、駐車場が店舗に隣接してませんでした。
離れてた上に、有料。
その後、郊外に……。
滑走路のような無料駐車場を完備したスーパーが、続々と建つようになります。
郊外からのクルマ客が来なくなると、売上げは激減。
ピーク時の3分の1になっちゃいました。
そしてついに……。
2005年、閉店。
新潟店以外の県内店舗も、これ以前に閉鎖されており……。
新潟店の閉鎖で、新潟県からダイエーは無くなりました。
ダイエーが、「万代シティ」に出店する前は……。
新潟の中心商業地は、信濃川を渡った「古町(ふるまち)」という地域でした。
大和デパートがあったところね。
その客足を、ダイエーを中心とする「万代シティ」が奪ったのです。
そしてその「万代シティ」も、郊外の大規模店に客足を奪われ、衰退していきました。
まさに、栄枯盛衰ですね。
今、ダイエーだった建物は、「LoveLa(ラブラ)万代」という、専門店の集まった施設になりました。
さて、てなわけで、ひさびさにダイエー系列でのお買い物。
なにしろ、今夜の宿は、1人2,500円です。
俄然余裕が出来ました。
しかも、外食するつもりでいましたからね。
由布院のお店で、夕食食べてお酒も飲んだら……。
どう考えても、1人前5,000円近くなっちゃうんじゃないの?
2人で、10,000円です。
スーパーの総菜で10,000円も買ったら、カートがてんこ盛りになっちゃいます。
もちろん、2人でなんか食べられっこありませんよ。
てなわけで……。
今日は、ビールを奢りましょう。
普段は、第3のビールしか飲んでないからね。
本物のビールは、久しぶりです。
「お刺身、どうします?」
「わたし、生魚ダメなんだ。
でも、美弥が食べたかったら、買っていいよ」
「お昼がお肉だったから……。
お魚が食べたいなと思って。
切り身買ってって、コンロで焼きましょうか?」
「いいよ。
面倒じゃない。
こんなにお総菜があるんだから、みんな出来合いで大丈夫」
「焼いてあるお魚、買って行きます?
でも、レンジもオーブンも無かったから……。
暖め直せませんよ」
「いいよ、冷たくても。
あ!
いいこと思いついた。
お刺身を、多めに買っていこう」
「でも、生魚食べれないんでしょ?」
「だから……。
お刺身を、コンロで炙って食べる。
美弥は、生で食べればいいんだよ」
「そんなことしなくても……。
切り身、焼いてあげますって」
「ほら、高知であったじゃん。
鰹のタタキ。
あれ、おいしそうだった。
炙った鰹。
考えてみればさ。
お刺身ってのは、一口サイズに切ってある魚ってことだよな。
焼き肉用の肉と一緒だよ。
お刺身の裏表を、ちょちょっと炙って食べたら、絶対美味しいって。
きっと、いい旅の思い出になるよ。
お刺身焼いて食べることなんて、もう二度と無いかも知れないんだから」
「お刺身焼くなんて、よく思いつきましたね」
「実は、小説で読んだことがあるんだ。
確か、曽野綾子の『太郎物語』だったと思うけど……。
『高校編』と『大学編』があってね。
確か、『大学編』の方だったと思うけど……。
お刺身を焼いて食べるシーンがあったんだよ。
読んだのは高校生のころだから、十ウン年も前だけど……。
美味しそうだなって思ったこと、はっきり覚えてる」
「へ~。
どんな小説なんです?」
「内容は、忘れた。
でも、『大学編』読んで、ひとり暮らしに憧れたことだけは覚えてる。
あと、もう1カ所。
主人公が『帯状疱疹』に罹るシーンがあってね。
『帯状疱疹』って病名は、ここで知ったんだ。
痛い病気なんだって。
この小説で覚えてるのは、刺身を焼いて食べるシーンと、『帯状疱疹』の病名だけ」
「小説って、そんなもんかも知れませんね」
「むしろ、覚えてる方じゃないの?
何ひとつ残らない方が、普通かも知れないよ」
「で、お刺身焼いてみたんですか?」
「うんにゃ。
読んだのは、高校時代だからね。
部屋にコンロも無かったし。
大学に入ってすぐに、生魚が食べれなくなって……。
以来、お刺身は食べてないから」
「まぁ、Mikikoさんがいいんなら、構いませんけど……。
美味しくなくたって、知りませんよ」
「美味しくないわけないよ。
お刺身ってのは、生で食べれるほど新鮮な魚ってことなんだから。
きっと今日は、長い間の思いが叶う日なんだよ。
もう一つの思いも、叶ってほしいな~」
「なんです、もうひとつの思いって?」
「いけずぅ。
知ってるくせに。
今夜こそ逃がさんぞ」
「イヤな予感……」
さて、お刺身をメインに、たっぷりと夕食を仕入れました。
もちろん、本物のビールも。
重そうだったので、エコバッグまで買っちゃった。
川沿いの道を、美弥ちゃんと歩きます。
春の夕暮れは早く、もう真っ暗ですね。
「なんかさ~。
こうやって、2人でレジ袋下げて歩いてると……。
同棲してるみたいだね~」
「はぁ」
「もうちょっと、乗ってよ~。
いいシーンじゃないのぉ」
「う~ん。
ビールとお刺身下げてるってのが、ちょっとオシャレじゃないかも……」
「なるほど。
ワインとローストビーフなんかの方が良かったか」
「それに……。
一番オシャレじゃないのは……。
ここのような気が……」
そぞろ歩きを楽しむ間もなく、今夜のお宿「とくなが荘」に着いちゃいました。
お風呂棟には、明かりが点いてました。
「覗けるかどうか、調べてみようか?」
「止めてください!
ほんとに覗けたら、犯罪ですよ」
「女が覗いても、犯罪になるの?」
「当然でしょ」
美弥ちゃんは、さっさと“離れ”へと足を進めます。
さすがに、ひとりで覗く勇気は無いです。
もし、毛むくじゃらの男が入ってて……。
目が合ったりしたら、タイヘン。
そいつが、「きゃぁ」なんて言って、胸毛の繁る胸を隠したりしたら……。
うぅ。
背筋に鳥肌が立ちました。
「待ってよ~j
慌てて、美弥ちゃんの背中を追いかけます。
「“離れ”は、そこそこオシャレだろ」
「そうですね。
隣との気兼ねが要らないってのが、一番かも」
ほかの2棟には、明かりが見えません。
まだ着いてないのか、予約が無いのか……。
さっそく、2人だけの宴会、開始です。
「カンパ~イ」
「カンパ~イ」
「うめぇぇぇぇぇぇぇぇ」
「Mikikoさん、オヤジみたい。
でも、ほんと美味しい」
「風呂上がりに……。
本物のビール」
「目の前には美人。
言うことないなぁ」
「お上手ですねぇ。
何も出ませんよ」
「目の前に、こんなに出てるでないの。
さっそくやってみよう。
刺身のアブリ。
パック開けて」
「いきなりやるんですか?
なんだかもったいないな」
「生で食えるものを、焼いて食べる。
究極の贅沢なんじゃ、あ~りませんか。
ほら、いい匂いしてきた」
「ほんとだ。
でも、味付け無いですよ」
「いいよ。
お刺身に付いてる醤油で」
それじゃ、1番、いっただきま~す」
「どうです?」
「んまい!」
「ほんとに?」
「食べてみて」
「どれどれ。
……。
ほんとだ!
美味しい~」
「だろ~。
生で食うヤツの気が知れんわい」
「あ、いいこと思いついた」
美弥ちゃんは、そそくさと立って、自分のバッグを開いてます。
何か取り出し、戻ってきました。
「これ使ってみましょうよ」
美弥ちゃんが持ってきたのは……。
湯の坪街道で買った“かぼす蜂蜜醤油”。
「美味しそうだけど……。
開けちゃうの、もったいないじゃん」
「いいですよ。
美味しかったら、ネットでも買えるみたいだし。
味見、味見」
「それじゃ、遠慮無く……。
ん!
うまい!」
「じゃ、わたしも」
「どう?」
「美味しい!
これ、リピします」
「それじゃ、わたしも……」
自分のバッグから取り出したものは……。
「じゃじゃ~ん。
“ゆずこしょう”ちゃん、登場~」
「え~。
いいんですか?
お母さまへのお土産でしょ」
「いいの!
美弥だけに、お土産提供させるわけにいかないじゃん。
これを、炙った刺身の端に、ちょちょっと付けて……」
「どうです?」
「うまい!
食べてみて」
「ほんとだ。
お魚の脂に、“ゆず”の風味。
合いますね」
「湯の坪街道で、これ買ったときは……。
まさかその晩、焼いたお刺身につけて食べるとは、思いもしなかったよね」
「ほんとですね~」
「野菜も乗っけちゃおうよ」
「完全に、バーベキューになっちゃいましたね」
「夜に食べてもバーベキュ~」
「ぜんぜん洒落になってないんですけど」
「ははは。
何が何だかわからないボケって、受けない?」
「微妙ですね~。
外したら悲惨ですよ」
「そうだな~。
あ、これも買ったんだった」
「油揚げ?」
「わたしは、生で食べるくらい、油揚げが好きでね。
狐の生まれ変わりじゃないかと思うくらい。
新潟県の栃尾ってとこ、今は長岡市になっちゃったけど……。
そこには、有名な油揚げがあるんだ」
「どうして有名なんです?」
「とにかく、分厚くてデカい」
「焼いて食べると絶品だよ」
「さっき買って来たやつは、普通のペナペナ油揚げだけど……」
「これだって、焼いたら絶対美味しいよ」
「包丁、取ってきますね。
あるかな?」
「コンロがあるんだから、包丁くらいあるでしょ。
どう?」
「ありました。
うわっ、いい匂い。
香ばしい」
「油揚が焦げる匂いって、ほんといいよね」
「焼きすぎると、焦げちゃいそうですね」
「衣に色が付いたら、もういいんじゃないの?」
「それじゃ、こんなかな」
「手で取るなよ。
火傷するからな」
「お箸で転がしますね」
「早く切って」
「セッカチなんだから。
逃げませんから。
じゃ、切りますよ。
ちょっと、何で手を添えるんです。
ひとりで切れますって」
「ふたりで行う初めての共同作業です」
「ウェディングケーキじゃないんですから!」
「入刀~」
「うわっ、サクサク切れる。
気持ちいい」
「ひとくち、あ~ん」
「もう!
何つけます?」
「とりあえず、刺身の醤油でいいよ」
「それじゃ……。
はい、あ~ん」
「あ~ん。
はぐはぐはぐ。
おい、ぴー!」
「なんで、のりピー語になるんです?」
「熱いんだもん。
狐だけど猫舌なんだよ。
でも、ほんと美味しいから。
美弥も、食べてみ」
「それじゃ。
……。
ほんとだ、美味しい!」
「だろ~。
これ、最初から短冊に切っておいて、焼きながら食べてもいいかも」
「そうですね。
じゃ、残りのは、先に切っちゃいましょう」
「いいこと思いついた」
「また思いついたんですか?」
「この油揚げに……。
焼いた刺身を載っける。
で、ちょちょいと、かぼす醤油をつけて……。
ほれ、どうよ?」
「美味しそうな、予感……」
「いただきま~す。
んまい!」
「じゃ、わたしもマネっこしよ。
こうやってと。
どれどれ。
ほんとだ!
美味しい、これ」
「だろ~。
即興でこういうの思いつくって……」
「料理の天才?」
「ははは。
料理と言えるかどうかは……。
ギモンだけどね」
「でも、美味しいことだけは確かですよ。
この料理、名前付けませんか?」
「う~ん。
何て名前にしようか?
『刺身と油揚げを一緒に焼いてみました』ってのは?」
「そのまんまじゃないですか。
それに、長すぎます」
「油揚げと言えば、キツネだよな。
『キツネのコンちゃん、こんがり焼き』」
「お刺身が抜けてますよ」
「う。
『刺身を持ったコンちゃん、こんがり焼き』」
「なんか……、残酷童話みたい。
そうだ!
北海道に、『ちゃんちゃん焼き』ってありますよね」
「だからこれは……。
『Mikiちゃん焼き』!」
「お~。
いいね、それ♪
それじゃ、『Mikiちゃん焼き』に……。
もう1度、乾杯!」
「乾杯~」
春の夜長……。
2度と無い1夜を、思い切り楽しみましょう。
美弥ちゃんの瞳に、わたしが映ってます。
ビールと……。
『Mikiちゃん焼き』と……。
由布院の夜に、もう1度、乾杯!
「Mikikoさん……」
「ん?」
「大丈夫ですか?
さっきから、ビール片手に、船漕いでますよ」
「まだ、大丈夫。
でも、あらかた食べちゃったね~」
「美味しかったもの」
「お昼、ステーキだったけど、お腹空いたよね」
「いろんなこと、ありましたもんね」
「ほんと、1日の出来事とは思えませんよ」
「九重の大吊橋からだからね」
「誰かさん、お漏らししちゃいましたね~」
「それは、言いっこなし!」
「花山酔で、牛ステーキ食べて……」
「やまなみ牧場で、うさぎを抱っこして……」
「それから、由布院に来たんですよね」
「迷宮館に、醤油屋」
「湯の坪横丁の、ドクターフィッシュ!」
「金鱗湖に、鍵屋。
それからやっぱり、人力車のあんちゃんだよな」
「それから、ここ。
とくなが荘!
一番のビックリかも」
「ほんとに、いろんなことがあったね~。
ふわぁぁぁぁぁぁ」
「ほら、Mikikoさん、やっぱりお眠むですよ」
「うんにゃ……。
まだ寝ないぞ」
と、強がったものの……。
瞼は、すでに重力に逆らえなくなってました。
美弥ちゃんに、肩を揺さぶられたのを最後に……。
わたしの意識は、闇の中へと解けていきました。
美弥ちゃんを乗せた人力車を引いて……。
月夜の空を、どこまでも昇っていく夢を見ました。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
●3月24日(水)5日目
「Mikikoさん。
Mikikoさん」
「ん……。
何?
今、何時?」
「朝です。
もう9時を回ってます」
「しまった!
また、やっちまった。
くそー。
最後の夜だったのにぃ。
また、何も出来んかった。
わたしの夜を返して」
「あれだけ飲んで食べたんだから、十分でしょ」
「うぅ。
夜が帰らないんなら……。
朝でもいいや。
今、ここでしよう!」
「もう!
シャワーも無いとこで、しません」
「げ!
シャワーがあったら出来たのか?」
「そういうわけじゃ無いけど……。
それより、Mikikoさん、大変なこと忘れてましたよ」
「なに?」
「朝食買い忘れてました」
「なんだ……。
それがタイヘンなことなのか?」
「わたし、朝、食べないと力が出ないんです」
「旅行に来て、力出す用も無いだろ」
「そうですけど……。
1日の始まりは、朝食からですよ」
「なんか、公共広告みたいだな。
きのうのオカズ、残ってない?」
「みんな食べちゃいました」
「美味かったもんな。
『Mikikoちゃん焼き』」
「ですね~。
でも、ご飯もの食べなかったから……。
お腹が持たなくて」
「それじゃ、チェックアウトしようか。
最後の1日だからね。
グダグダしてないで、思いっ切り楽しまなきゃ。
若女将に、朝食食べれるお店、聞いてみよう」
荷物をまとめ、新館へ。
今朝も、若女将の笑顔が迎えてくれました。
思いがけない、楽しい1夜をありがとう。
心からのお礼を言って、とくなが荘を後にします。
なお、若女将の顔写真が、下のサイトに出てましたよ。
→「とくなが荘」若女将
さて、駅前まで戻りましょう。
とくなが荘からは、歩いて10分もかかりませんでした。
「今日は、どんな予定なんですか?」
「由布院駅から、電車に乗る」
「何時発?」
「12時02分」
「え~。
そんなに先なんですか?
まだ、10時前ですよ」
「朝食だけじゃ、間が持たないよね」
「お散歩でもしますか?」
「昨日、いっぱい歩いたからなぁ」
「じゃ、また人力車?」
「1区画じゃ、あっと言う間だよ。
1時間くらいヒマ潰さなきゃならないからね。
1時間の貸し切りコースだと、確か2人で15,000円だったよな。
完全に予算オーバー」
思案するわたしたちの耳に……。
聞き慣れない音が。
まず、一番安い部屋は、1泊3,100円です」
「それって……。
1人あたりの値段ですか?」
「いいえ。
1部屋の料金です」
「てことは……。
2人で泊まっても……。
3,100円?」
「そうです」
や、安……。
思わず、美弥ちゃんと顔を合わせます。
さっきの人力車が、2人で3,000円でしたから……。
ほぼ同じ。
「でも……。
このお部屋は……。
女性の方にはお勧めしてません」
「どうしてです?」
「こちらの部屋は、旧館と云う、うちで一番古い棟にあります。
部屋は、相部屋ではありませんが……。
隣との仕切は、襖です。
玄関も台所もトイレも、共同です。
今はいいですけど……。
エアコンもありませんし……。
襖はもちろん、玄関にも鍵が掛かりません」
カンペキなる無防備ってことですね。
“さぁ殺せ”状態……。
美弥ちゃんと顔を見合わせます。
美弥ちゃんの目は、絶対ムリと訴えてました。
「そのお部屋、どういう人が泊まられるんですか?」
「そうですね……。
由布岳に登る人たちや……。
全国を巡って鉄道の写真を撮ってる人とか……。
リュックを背負った外人さんなんかですね」
登山家に、鉄ちゃんに、バックパッカーの外人……。
いざとなったら、野宿も出来るってヤツらばっかりじゃないか。
「別の部屋にします」
「それがいいですね。
うちのお客さんは、みんないい人ですけど……。
あなた方みたいな人が同じ棟に泊まったら、気になって眠れないかもしれないですから」
「旧館があるってことは、新館もあるってことですね」
「はい。
ここが新館になります」
「お部屋は、1泊3,600円です。
冷蔵庫とエアコンが付いてます。
でも、台所はありません。
ご覧のとおり、玄関も共同です」
「う~む」
「お部屋には、もう1タイプありまして……。
女性グループには、こちらをお勧めしてます」
「どういうお部屋なんですか?」
「“離れ”です」
「え!
“離れ”なんてあるんですか?」
「3棟あります」
「“離れ”には、コンロの付いた台所のほか……。
冷凍冷蔵庫、ポット、食器、湯沸かし器もあります」
「そこにします!」
「でも、少しお高いですよ?」
「お、おいくらですか?
まさか……。
百万円とか?」
「5,000円になります」
「う、安い。
それって、1人の値段ですか?」
「いいえ。
1棟の料金です」
「そこにします!」
美弥ちゃんも、一緒になって頷いてます。
ひとり2,500円で、さっきの装備の付いた“離れ”に泊まれるんですよ。
隣室との気兼ねも要らないしさ。
選択の余地無し!
さて、荷物を受け取り、若女将(?)に鍵をもらい、“離れ”に向かいます。
途中、お風呂を偵察。
お風呂は、別棟になってるそうなんです。
1階と2階にひとつずつあり、それぞれ内鍵が掛かるので、貸し切りで使えるとか。
内風呂だけなら、いいんですが……。
外からうかがう限り……。
どうやら、露天風呂構造のようです。
なんだか、掘っ立て小屋みたいですね。
ワイルドすぎて、女性客が使うには、かなりの勇気が要りそうです。
誰も入ってないみたいなので、ちょっと中を覗いてみます。
「なんか、外から見えそうだな……。
どう?」
美弥ちゃんのクビは、ぶるんぶるんと左右に振れました。
「美弥なら、見せつけてやればいいのに」
「ムリです。
わたし、入れません」
「考えてみたら、バスタオルも持ってないしね。
この様子じゃ、備え付けのタオルなんか、ありっこないよね」
「ここは、あきらめましょう」
「でも、1日の終わりにお風呂無しじゃなぁな……」
「そうだ!
さっき人力車降りたとき、日帰りの入浴施設みたいなのが見えましたよ」
「ほんと?
あのあたりなら、5分もかからないよね。
よし、そこにしよう」
さて、教えられた“離れ”に入ります。
「おぉ~」
オシャレ度は限りなくゼロですが……。
諸設備はちゃんとそろってます(画像が見つかりませんでしたので、想像です)。
「お風呂行って、そのまま夕飯食べに行く?
食べてからお風呂じゃ、めんどくさいよな」
「Mikikoさん、ここで食べませんか?」
「ここで?」
「コンロもあるし、ちょっとした料理なら出来ますよ」
「わたしには、出来ないぞ」
「Mikikoさんは、食べるだけでいいですよ」
「ほんと?
う~ん。
冷蔵庫もあるしね。
ビールだって、たくさん冷やせそうだ。
観光客相手のお店で、財布の中身と相談しながら注文するより……。
好きなもの買ってきて、ここで食べた方が楽しいかもね。
でも、買い出しできるようなお店があるかな?」
「さっきの若女将に聞いてみましょうよ」
若女将が、スーパーの場所を教えてくれました。
なんと、スーパーも、さっき人力車を降りたそばにあったんです。
『グルメシティ』というお店だそうです。
温泉施設とスーパーが、人力車を降りた「城橋」を挟んであったんですね。
お誂え向きってのは、このことを言うんでしょうか?
それじゃ、お財布だけ持って、レッツゴー。
日帰り温泉施設は、「クアージュゆふいん」という名称でした。
思ってたより小規模なうえ、建物の雰囲気からは、お客を集めようと云う意識が感じられません。
どうやら、観光客目当ての施設じゃないようです。
もともとは湯布院町が運営する施設で、合併により由布市に移管されたものらしく……。
正式名称は、「由布市湯布院健康温泉館」。
設立目的は、町民の健康増進だったようです。
保健師さんが常駐しており、無料で健康相談も受けられるとか。
ま、「クアージュ」ってネーミングは、いかにも公共施設って感じですよね。
外見は、和風ですが……。
ドイツの温泉治療技術を取り入れ、超音波ジャグジーや、サウナ、運動プールなどがあるそう。
残念ながら、ドクターフィッシュはいないようです。
なお、こうした設備は男女別では無いので……。
水着の着用が義務づけられてます。
このへんも、ドイツ風ですね。
でも、水着を持たずに来ても大丈夫なんです。
利用料金の800円には、水着やタオルのレンタル料も含まれてます。
もちろん、クア施設のほかに、裸で入れる露天風呂もあります。
当然こちらは、男女別です。
なお、プールを利用せず、お風呂だけって人は、500円です。
ただし、タオルなどをレンタルする場合は、別料金になります。
タオルが100円、バスタオルが200円。
おいおい。
合計すると、800円になっちまうじゃないか。
早い話、手ぶらで来た人は、800円払わにゃならんってことですね。
施設は、21時30分まで開いてますから……。
時間はたっぷり。
500円で済むんならお風呂だけにしようかと思いましたが、タオルが無いので……。
800円の水着付きにして、せっかくだからプールも入りましょう。
でもわたし、水着苦手なんだよね。
泳げないので、水着着ると不安になるんです。
全裸だったら平気なんだけどな。
「どこ見てるんです」
「水着の上からじゃ、わかんないもんだね。
あのクリ」
「当たり前でしょ!」
美弥ちゃんの貸し水着は、パッツパツ。
胸なんか、はち切れそうです。
対するわたしは……。
余裕ありまくりでした(泣)。
クア施設は、水着を着てるせいもあるのか、一見、プールみたいな感じですが……。
足が立たないとこも無く……。
ギャーギャー騒ぐガキもいなくて、思いのほかゆったり出来ました。
でも、夜が短くなっちゃうので、早々に切り上げましょう。
対するお風呂は、こぢんまりとしたものでした。
あくまで、クア施設がメインってことなんでしょうね。
さて、サッパリと汗を流したら……。
スーパーへ向かいましょう。
若女将(?)に教えられたスーパーは、『グルメシティ湯布院店』というお店でした。
規模はそれほど大きくありませんが、日常生活品の調達には十分のようです。
『グルメシティ』というスーパーは、新潟には無いので……。
地元資本かと思ってたら、大間違い。
ダイエーグループのスーパーでした。
ところで、そのダイエーですが……。
今、新潟には、1店舗もありません。
でも、5年前まではあったんです。
新潟市の「万代シティ」という商業地には、旗艦店がありました。
開店は、1973年。
1979年には、売上高が、全国のダイエー店舗中でトップになったそうです。
最盛期の年間売上高は、200億円近かったとか。
わたしは生まれてましたが……。
そのころの記憶はありません。
土・日には、店内が立錐の余地も無かったとか……。
でも、中心商業地にあったため、駐車場が店舗に隣接してませんでした。
離れてた上に、有料。
その後、郊外に……。
滑走路のような無料駐車場を完備したスーパーが、続々と建つようになります。
郊外からのクルマ客が来なくなると、売上げは激減。
ピーク時の3分の1になっちゃいました。
そしてついに……。
2005年、閉店。
新潟店以外の県内店舗も、これ以前に閉鎖されており……。
新潟店の閉鎖で、新潟県からダイエーは無くなりました。
ダイエーが、「万代シティ」に出店する前は……。
新潟の中心商業地は、信濃川を渡った「古町(ふるまち)」という地域でした。
大和デパートがあったところね。
その客足を、ダイエーを中心とする「万代シティ」が奪ったのです。
そしてその「万代シティ」も、郊外の大規模店に客足を奪われ、衰退していきました。
まさに、栄枯盛衰ですね。
今、ダイエーだった建物は、「LoveLa(ラブラ)万代」という、専門店の集まった施設になりました。
さて、てなわけで、ひさびさにダイエー系列でのお買い物。
なにしろ、今夜の宿は、1人2,500円です。
俄然余裕が出来ました。
しかも、外食するつもりでいましたからね。
由布院のお店で、夕食食べてお酒も飲んだら……。
どう考えても、1人前5,000円近くなっちゃうんじゃないの?
2人で、10,000円です。
スーパーの総菜で10,000円も買ったら、カートがてんこ盛りになっちゃいます。
もちろん、2人でなんか食べられっこありませんよ。
てなわけで……。
今日は、ビールを奢りましょう。
普段は、第3のビールしか飲んでないからね。
本物のビールは、久しぶりです。
「お刺身、どうします?」
「わたし、生魚ダメなんだ。
でも、美弥が食べたかったら、買っていいよ」
「お昼がお肉だったから……。
お魚が食べたいなと思って。
切り身買ってって、コンロで焼きましょうか?」
「いいよ。
面倒じゃない。
こんなにお総菜があるんだから、みんな出来合いで大丈夫」
「焼いてあるお魚、買って行きます?
でも、レンジもオーブンも無かったから……。
暖め直せませんよ」
「いいよ、冷たくても。
あ!
いいこと思いついた。
お刺身を、多めに買っていこう」
「でも、生魚食べれないんでしょ?」
「だから……。
お刺身を、コンロで炙って食べる。
美弥は、生で食べればいいんだよ」
「そんなことしなくても……。
切り身、焼いてあげますって」
「ほら、高知であったじゃん。
鰹のタタキ。
あれ、おいしそうだった。
炙った鰹。
考えてみればさ。
お刺身ってのは、一口サイズに切ってある魚ってことだよな。
焼き肉用の肉と一緒だよ。
お刺身の裏表を、ちょちょっと炙って食べたら、絶対美味しいって。
きっと、いい旅の思い出になるよ。
お刺身焼いて食べることなんて、もう二度と無いかも知れないんだから」
「お刺身焼くなんて、よく思いつきましたね」
「実は、小説で読んだことがあるんだ。
確か、曽野綾子の『太郎物語』だったと思うけど……。
『高校編』と『大学編』があってね。
確か、『大学編』の方だったと思うけど……。
お刺身を焼いて食べるシーンがあったんだよ。
読んだのは高校生のころだから、十ウン年も前だけど……。
美味しそうだなって思ったこと、はっきり覚えてる」
「へ~。
どんな小説なんです?」
「内容は、忘れた。
でも、『大学編』読んで、ひとり暮らしに憧れたことだけは覚えてる。
あと、もう1カ所。
主人公が『帯状疱疹』に罹るシーンがあってね。
『帯状疱疹』って病名は、ここで知ったんだ。
痛い病気なんだって。
この小説で覚えてるのは、刺身を焼いて食べるシーンと、『帯状疱疹』の病名だけ」
「小説って、そんなもんかも知れませんね」
「むしろ、覚えてる方じゃないの?
何ひとつ残らない方が、普通かも知れないよ」
「で、お刺身焼いてみたんですか?」
「うんにゃ。
読んだのは、高校時代だからね。
部屋にコンロも無かったし。
大学に入ってすぐに、生魚が食べれなくなって……。
以来、お刺身は食べてないから」
「まぁ、Mikikoさんがいいんなら、構いませんけど……。
美味しくなくたって、知りませんよ」
「美味しくないわけないよ。
お刺身ってのは、生で食べれるほど新鮮な魚ってことなんだから。
きっと今日は、長い間の思いが叶う日なんだよ。
もう一つの思いも、叶ってほしいな~」
「なんです、もうひとつの思いって?」
「いけずぅ。
知ってるくせに。
今夜こそ逃がさんぞ」
「イヤな予感……」
さて、お刺身をメインに、たっぷりと夕食を仕入れました。
もちろん、本物のビールも。
重そうだったので、エコバッグまで買っちゃった。
川沿いの道を、美弥ちゃんと歩きます。
春の夕暮れは早く、もう真っ暗ですね。
「なんかさ~。
こうやって、2人でレジ袋下げて歩いてると……。
同棲してるみたいだね~」
「はぁ」
「もうちょっと、乗ってよ~。
いいシーンじゃないのぉ」
「う~ん。
ビールとお刺身下げてるってのが、ちょっとオシャレじゃないかも……」
「なるほど。
ワインとローストビーフなんかの方が良かったか」
「それに……。
一番オシャレじゃないのは……。
ここのような気が……」
そぞろ歩きを楽しむ間もなく、今夜のお宿「とくなが荘」に着いちゃいました。
お風呂棟には、明かりが点いてました。
「覗けるかどうか、調べてみようか?」
「止めてください!
ほんとに覗けたら、犯罪ですよ」
「女が覗いても、犯罪になるの?」
「当然でしょ」
美弥ちゃんは、さっさと“離れ”へと足を進めます。
さすがに、ひとりで覗く勇気は無いです。
もし、毛むくじゃらの男が入ってて……。
目が合ったりしたら、タイヘン。
そいつが、「きゃぁ」なんて言って、胸毛の繁る胸を隠したりしたら……。
うぅ。
背筋に鳥肌が立ちました。
「待ってよ~j
慌てて、美弥ちゃんの背中を追いかけます。
「“離れ”は、そこそこオシャレだろ」
「そうですね。
隣との気兼ねが要らないってのが、一番かも」
ほかの2棟には、明かりが見えません。
まだ着いてないのか、予約が無いのか……。
さっそく、2人だけの宴会、開始です。
「カンパ~イ」
「カンパ~イ」
「うめぇぇぇぇぇぇぇぇ」
「Mikikoさん、オヤジみたい。
でも、ほんと美味しい」
「風呂上がりに……。
本物のビール」
「目の前には美人。
言うことないなぁ」
「お上手ですねぇ。
何も出ませんよ」
「目の前に、こんなに出てるでないの。
さっそくやってみよう。
刺身のアブリ。
パック開けて」
「いきなりやるんですか?
なんだかもったいないな」
「生で食えるものを、焼いて食べる。
究極の贅沢なんじゃ、あ~りませんか。
ほら、いい匂いしてきた」
「ほんとだ。
でも、味付け無いですよ」
「いいよ。
お刺身に付いてる醤油で」
それじゃ、1番、いっただきま~す」
「どうです?」
「んまい!」
「ほんとに?」
「食べてみて」
「どれどれ。
……。
ほんとだ!
美味しい~」
「だろ~。
生で食うヤツの気が知れんわい」
「あ、いいこと思いついた」
美弥ちゃんは、そそくさと立って、自分のバッグを開いてます。
何か取り出し、戻ってきました。
「これ使ってみましょうよ」
美弥ちゃんが持ってきたのは……。
湯の坪街道で買った“かぼす蜂蜜醤油”。
「美味しそうだけど……。
開けちゃうの、もったいないじゃん」
「いいですよ。
美味しかったら、ネットでも買えるみたいだし。
味見、味見」
「それじゃ、遠慮無く……。
ん!
うまい!」
「じゃ、わたしも」
「どう?」
「美味しい!
これ、リピします」
「それじゃ、わたしも……」
自分のバッグから取り出したものは……。
「じゃじゃ~ん。
“ゆずこしょう”ちゃん、登場~」
「え~。
いいんですか?
お母さまへのお土産でしょ」
「いいの!
美弥だけに、お土産提供させるわけにいかないじゃん。
これを、炙った刺身の端に、ちょちょっと付けて……」
「どうです?」
「うまい!
食べてみて」
「ほんとだ。
お魚の脂に、“ゆず”の風味。
合いますね」
「湯の坪街道で、これ買ったときは……。
まさかその晩、焼いたお刺身につけて食べるとは、思いもしなかったよね」
「ほんとですね~」
「野菜も乗っけちゃおうよ」
「完全に、バーベキューになっちゃいましたね」
「夜に食べてもバーベキュ~」
「ぜんぜん洒落になってないんですけど」
「ははは。
何が何だかわからないボケって、受けない?」
「微妙ですね~。
外したら悲惨ですよ」
「そうだな~。
あ、これも買ったんだった」
「油揚げ?」
「わたしは、生で食べるくらい、油揚げが好きでね。
狐の生まれ変わりじゃないかと思うくらい。
新潟県の栃尾ってとこ、今は長岡市になっちゃったけど……。
そこには、有名な油揚げがあるんだ」
「どうして有名なんです?」
「とにかく、分厚くてデカい」
「焼いて食べると絶品だよ」
「さっき買って来たやつは、普通のペナペナ油揚げだけど……」
「これだって、焼いたら絶対美味しいよ」
「包丁、取ってきますね。
あるかな?」
「コンロがあるんだから、包丁くらいあるでしょ。
どう?」
「ありました。
うわっ、いい匂い。
香ばしい」
「油揚が焦げる匂いって、ほんといいよね」
「焼きすぎると、焦げちゃいそうですね」
「衣に色が付いたら、もういいんじゃないの?」
「それじゃ、こんなかな」
「手で取るなよ。
火傷するからな」
「お箸で転がしますね」
「早く切って」
「セッカチなんだから。
逃げませんから。
じゃ、切りますよ。
ちょっと、何で手を添えるんです。
ひとりで切れますって」
「ふたりで行う初めての共同作業です」
「ウェディングケーキじゃないんですから!」
「入刀~」
「うわっ、サクサク切れる。
気持ちいい」
「ひとくち、あ~ん」
「もう!
何つけます?」
「とりあえず、刺身の醤油でいいよ」
「それじゃ……。
はい、あ~ん」
「あ~ん。
はぐはぐはぐ。
おい、ぴー!」
「なんで、のりピー語になるんです?」
「熱いんだもん。
狐だけど猫舌なんだよ。
でも、ほんと美味しいから。
美弥も、食べてみ」
「それじゃ。
……。
ほんとだ、美味しい!」
「だろ~。
これ、最初から短冊に切っておいて、焼きながら食べてもいいかも」
「そうですね。
じゃ、残りのは、先に切っちゃいましょう」
「いいこと思いついた」
「また思いついたんですか?」
「この油揚げに……。
焼いた刺身を載っける。
で、ちょちょいと、かぼす醤油をつけて……。
ほれ、どうよ?」
「美味しそうな、予感……」
「いただきま~す。
んまい!」
「じゃ、わたしもマネっこしよ。
こうやってと。
どれどれ。
ほんとだ!
美味しい、これ」
「だろ~。
即興でこういうの思いつくって……」
「料理の天才?」
「ははは。
料理と言えるかどうかは……。
ギモンだけどね」
「でも、美味しいことだけは確かですよ。
この料理、名前付けませんか?」
「う~ん。
何て名前にしようか?
『刺身と油揚げを一緒に焼いてみました』ってのは?」
「そのまんまじゃないですか。
それに、長すぎます」
「油揚げと言えば、キツネだよな。
『キツネのコンちゃん、こんがり焼き』」
「お刺身が抜けてますよ」
「う。
『刺身を持ったコンちゃん、こんがり焼き』」
「なんか……、残酷童話みたい。
そうだ!
北海道に、『ちゃんちゃん焼き』ってありますよね」
「だからこれは……。
『Mikiちゃん焼き』!」
「お~。
いいね、それ♪
それじゃ、『Mikiちゃん焼き』に……。
もう1度、乾杯!」
「乾杯~」
春の夜長……。
2度と無い1夜を、思い切り楽しみましょう。
美弥ちゃんの瞳に、わたしが映ってます。
ビールと……。
『Mikiちゃん焼き』と……。
由布院の夜に、もう1度、乾杯!
「Mikikoさん……」
「ん?」
「大丈夫ですか?
さっきから、ビール片手に、船漕いでますよ」
「まだ、大丈夫。
でも、あらかた食べちゃったね~」
「美味しかったもの」
「お昼、ステーキだったけど、お腹空いたよね」
「いろんなこと、ありましたもんね」
「ほんと、1日の出来事とは思えませんよ」
「九重の大吊橋からだからね」
「誰かさん、お漏らししちゃいましたね~」
「それは、言いっこなし!」
「花山酔で、牛ステーキ食べて……」
「やまなみ牧場で、うさぎを抱っこして……」
「それから、由布院に来たんですよね」
「迷宮館に、醤油屋」
「湯の坪横丁の、ドクターフィッシュ!」
「金鱗湖に、鍵屋。
それからやっぱり、人力車のあんちゃんだよな」
「それから、ここ。
とくなが荘!
一番のビックリかも」
「ほんとに、いろんなことがあったね~。
ふわぁぁぁぁぁぁ」
「ほら、Mikikoさん、やっぱりお眠むですよ」
「うんにゃ……。
まだ寝ないぞ」
と、強がったものの……。
瞼は、すでに重力に逆らえなくなってました。
美弥ちゃんに、肩を揺さぶられたのを最後に……。
わたしの意識は、闇の中へと解けていきました。
美弥ちゃんを乗せた人力車を引いて……。
月夜の空を、どこまでも昇っていく夢を見ました。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
●3月24日(水)5日目
「Mikikoさん。
Mikikoさん」
「ん……。
何?
今、何時?」
「朝です。
もう9時を回ってます」
「しまった!
また、やっちまった。
くそー。
最後の夜だったのにぃ。
また、何も出来んかった。
わたしの夜を返して」
「あれだけ飲んで食べたんだから、十分でしょ」
「うぅ。
夜が帰らないんなら……。
朝でもいいや。
今、ここでしよう!」
「もう!
シャワーも無いとこで、しません」
「げ!
シャワーがあったら出来たのか?」
「そういうわけじゃ無いけど……。
それより、Mikikoさん、大変なこと忘れてましたよ」
「なに?」
「朝食買い忘れてました」
「なんだ……。
それがタイヘンなことなのか?」
「わたし、朝、食べないと力が出ないんです」
「旅行に来て、力出す用も無いだろ」
「そうですけど……。
1日の始まりは、朝食からですよ」
「なんか、公共広告みたいだな。
きのうのオカズ、残ってない?」
「みんな食べちゃいました」
「美味かったもんな。
『Mikikoちゃん焼き』」
「ですね~。
でも、ご飯もの食べなかったから……。
お腹が持たなくて」
「それじゃ、チェックアウトしようか。
最後の1日だからね。
グダグダしてないで、思いっ切り楽しまなきゃ。
若女将に、朝食食べれるお店、聞いてみよう」
荷物をまとめ、新館へ。
今朝も、若女将の笑顔が迎えてくれました。
思いがけない、楽しい1夜をありがとう。
心からのお礼を言って、とくなが荘を後にします。
なお、若女将の顔写真が、下のサイトに出てましたよ。
→「とくなが荘」若女将
さて、駅前まで戻りましょう。
とくなが荘からは、歩いて10分もかかりませんでした。
「今日は、どんな予定なんですか?」
「由布院駅から、電車に乗る」
「何時発?」
「12時02分」
「え~。
そんなに先なんですか?
まだ、10時前ですよ」
「朝食だけじゃ、間が持たないよね」
「お散歩でもしますか?」
「昨日、いっぱい歩いたからなぁ」
「じゃ、また人力車?」
「1区画じゃ、あっと言う間だよ。
1時間くらいヒマ潰さなきゃならないからね。
1時間の貸し切りコースだと、確か2人で15,000円だったよな。
完全に予算オーバー」
思案するわたしたちの耳に……。
聞き慣れない音が。