2015.12.1(火)
「こっちおいなはれ(こちらにおいでなさい)お道」
志摩子が道代に声を掛けた。
ようやく顔を上げた道代は、その呼びかけを聞いたとたん、再びがくりと首を折った。両手はまだ畳に突いているので、先ほどと同じ土下座の体勢に近い。が、両腕の肘はさほど曲げなかったので、額を畳に擦り付けるところまでは顔は下がらなかった。道代をはじめ仲居衆が座敷で客に挨拶する、そのような姿勢であった。
「こっちおいで、ゆ(言)うとるやろ、お道」
志摩子は、更に道代に畳み掛けた。
「かっ、かんにんしとくれやす」
道代は俯いたまま目を固く閉じ、絞り出すように返答した
「なんでや。なんでこ(来)られへんのや。あんた、うち(私)に逆らうんか」
志摩子の声がまた少し苛立ちを帯びた。
「とっ、とんでもおへん(どんでもない)。逆らうやなんて」
道代の両肘が折れた。上体ががくりと下がる。下げていた頭も墜落するように落ち、額が畳に押し付けられた。再び土下座である。畳に額を擦りつけた道代は、頭を振ることもならず、ひたすら縮こまりながら返答した。その声音は、また泣きそうな色を帯びていた。
「ほなら、なんでやのん(何故なのだ)」
志摩子の声がまた少し大きくなった。
「え、へえ、あの、その……うっ、うひ、うひいいい」
道代は泣き出した。
つい先ほど、怒っとるんやない、と言ったその舌の根も乾かないうちに、志摩子は明らかな怒りの声を上げた。
「なんでこ(来)られへんねん!」
道代はその叱責を聞いたとたん顔を上げ、言葉を発した。
「へえっ、うち……裸どすさかい……」
怒りの表情の志摩子は、一転して笑みを浮かべた。その顔は、夜叉のようにも、慈母観音のようにも見えた。
「裸やからこっちこ(来)れんて、そら(それは)どういうこっちゃ(ことだ)」
「へ、へえ……恥ずかしおす(恥ずかしいです)……」
「裸やから恥ずかしいて、あんた、うちも裸やないの。源蔵はんも花世も、今この部屋におるもん(いる者)みいんな(皆)裸やおへんか。何も恥ずかしいことあるかいな」
「ひええええええええええええええええ」
そのとき、花世が一際(ひときわ)大きな悲鳴を上げた。源蔵が花世の股間にむしゃぶりついたのだ。
志摩子の言葉と、花世の悲鳴に引き摺(ず)られるように、道代は志摩子に近づいて行った。畳に突いた両手と両膝で、少しずつ躙(にじ)りながら近付いて行った。志摩子はそれ以上何も言わず、遅々として進まない道代の接近を待ち続けた。
「お待たせしました」
ようやく志摩子の前にたどり着いた道代は、改めて手を突き、肘を折り、深々と頭を下げた。先ほどと同様、額を畳にこすりつけた。
志摩子は、下げられた道代の裸の背を見た。道代の背は、その脚と同様白かった。
「ほんまにお待たせや。ええから顔、上げ(上げなさい)」
「へえ」
遅滞なく顔を上げた道代の目の前に、ガラス製のコップがあった。先ほど酒を呷ったコップを、今また志摩子が手にし、道代に突き出していたのだ。
「一杯、注(つ)いでんか」
「あ、へえ」
志摩子の膝前には、これも先ほど運んで来た四合瓶があった。
道代は両手を伸ばし、瓶を取り上げた。見ると、酒が半分ほど残っていた。道代は瓶のキャップを外し、改めて両手で瓶を捧げ持った。
「どうぞ、女将はん」
道代の声は一転して落ち着いたものになっていた。酒の酌は仲居の本分だ。普段の作業を与えられ、気持ちが落ち着いたのだろう。室内の四人が四人とも全裸。しかもそのうちの二人、源蔵と花世は、源蔵が花世を半ば強姦しているという異常な状況の中でも、道代はやはり仲居であった。
道代は、捧げ持った四合瓶を傾け、その口を志摩子のコップの縁に当てた。さらに瓶を傾けた。微かに色のついた透明な液体がコップに注がれた。京都伏見(ふしみ)の銘酒「匣姫(はこひめ)」。「花よ志」買い付けの銘柄であった。
コップの七分目くらいまで酒を注ぎ入れた道代は、瓶を引いた。
「どうぞ」
「おおきに」
注がれた酒の半分ほどを、志摩子は一気に口にした。大きな吐息をつく。
「ああ、おい(美味)し」
全裸の女将と、全裸の仲居は、それぞれガラスコップと四合瓶を手に向かい合い、何となく視線を合わせた。志摩子と道代は、何となく微笑み合った。
「お道。あんたも飲みよし(飲みなさい)」
「いえ、うちは……」
「遠慮することないがな。あんた、結構いける口やろ」
「いえ、ほんでも(それでも)……」
「よっしゃ。ほな(それなら)、うち(私)が飲ましたろ(飲ませてあげよう)」
言うなり志摩子は、手にしたコップを持ち上げた。道代に手渡すのかというとそうはせず、自らの口に持って行った。酒を口に含む。そのままコップを畳に置いた志摩子は、膝で立ち上がり、道代の顔に自らの顔を近づけた。思わず顔を後ろに引こうとする道代の後頭部を両手で捉え、引き寄せた。志摩子の口が道代の口を捉えた。
志摩子の意図を察した道代は、軽く口を開けた。道代の口内に、志摩子の唾液交じりの酒が注ぎ込まれた。飲み干す。
酒の後を追って、志摩子の舌が道代の口内に侵入した。
コメント一覧
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1. ハーレクイン- 2015/12/01 09:27
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びびっています、謝っています、譫言の様に詫びの言葉を繰り返すばかりです。
縮こまっています、土下座までしています。
ああ、泣き出しちゃったよ。
まあ、源蔵にやられたうえ裸に剥かれ、立ち聞きの所業までばれていたとあっては無理からぬところかもしれませんが、ここまでの震えあがりようはなんでしょう。単に女将と使用人との力関係、と云うだけではなく、どうも二人の間には何かありそうです。
弱みでも握られているのでしょうか、お道姐さん。
まあそれはともかく、組み合わせを変えて源蔵-花世、志摩子-道代で、まだまだ続きそうです、狂乱にして華麗な志摩子女将自室の場。
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2. Mikiko- 2015/12/01 20:06
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悪酔いしそうですね。
学生時代、一升瓶の日本酒を買い、茶碗で飲んだことがあります。
小洒落た嗜み方に、ものすごく反感を持ってたので、意識してそういう飲み方をしたのだと思います。
でも、罰は覿面に当たりました。
あっという間に前後不覚。
わたしはまったく記憶が無いのですが、布団に吐いたそうです。
後始末は、一緒にいた友達がしてくれました。
そう言えば、このとき、酔っ払う前に、生卵を飲んだんだと思います。
恥の多い人生を送って来ました……。
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3. ハーレクイン- 2015/12/01 21:27
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それはよっぽどの安酒だったか、まだ鍛え方が足りなかったのでしょう。
それにしてもいい友達を持ちましたね。わたしなら、ほったらかして帰ってるよ。
(^^♪勝手にしやがれ
>恥の多い人生を……
止めんか。
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4. Mikiko- 2015/12/02 07:43
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年寄りの証拠です。
昔は、衛生的に、ナマものが危険だったからですね。
うちのじいちゃんも、生卵は絶対に食べなかったようです。
でも、刺し身は食べてましたね。
新潟の魚は、新鮮だからですかね?
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5. ハーレクイン- 2015/12/02 11:54
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そんなこと書いたっけ?
わたしは好きですよ、生卵。
卵かけご飯はしょっちゅ食べるし、アテがない時は生卵を鉢にとってガーッとかき混ぜ、醤油を垂らして啜り込みます。
拒否反応はご自分のことでは?
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6. Mikiko- 2015/12/02 19:45
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蛇の所業だと言ってたではないか。
卵かけご飯は、旅先の朝食で、かならず頂きます。
たまに、温泉卵しか無い場合がありますが……。
このときは、憤怒の炎が燃え盛ります。
わたしは、温泉卵が嫌いなんです。
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7. ハーレクイン- 2015/12/02 20:57
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そんなこと書いたっけ。パピプペパピプペパピプペポ~。
まあ、いいじゃないの、面白ければ。
>憤怒の炎
温泉卵はともかく、先日『君よ憤怒の河を渉れ』という映画を見ました。原作:西村寿行、主演:高倉健。
まあ、実につまらないといいますか、くだらない映画でした。構成無茶苦茶、緊迫感ありそうで実はゼロ。まったくの時間の無駄。
監督、誰や。調べる気も起らんわ。娯楽作品だから、と言ってしまえばそれまでですが。
健さんにケチをつけてるわけじゃないんだけどね。
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8. Mikiko- 2015/12/03 07:28
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小説は、面白いですけどね。
映画は、エロ路線にすれば良かったんじゃないか?
高倉健じゃ、無理でしょうが。
“ち1号”というのが出てくる小説が、印象に残ってます。
寿行の小説では、“擦る”という用語が、非常に効果的に使われてました。
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9. ハーレクイン- 2015/12/03 08:44
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多少のエロはあるんですよ。
フルヌード(残念ながら後ろ向き)とか、エッチシーン(高倉健・中野良子)もあります。
ほんとに、ありとあらゆる娯楽要素を無理やり詰め込んだ、てな映画です。
西村寿行は、若い頃はまったことがあります。
かならず、えげつないエロシーンがあるんだよね。
田辺節雄が何編か漫画化しています。こちらはさすがに過激度が薄いですが。