2015.8.25(火)
「相良はん、相良はん!」
大きな声がして襖が開いた。小柄で少し小太りの初老の女性が入ってきた。野田や相良と同年配であろうか。薄手の生地の、簡素なワンピースを着ている。
(これ……アッパッパ、ゆうたかなあ)
(生地は……綿?)
あやめはぼんやりとそんなことを考えた。あやめが服装に注意を払うのは珍しいことである。
もちろん初対面だったが、この人がお福であろう。
お福は、すぐにあやめに気付いた。
「あれ? こちらは? 相良はん」
相良はゆっくりと顔をあげ、お福を見上げた。いかにも大儀そうに返事を返す。
「ああ、お福はん。こいつが太郎んとこの……『花よ志』で包丁持っとるあやめや。太郎もよう話してたやろ」
「へえへえ(はいはい)。あんたがあやめちゃんかいな。野田はんからしょっちゅう聞かされてましたわ。いやあ、ほんまにかいらし(可愛らしい)ねえ」
(聞かされて、た……か)
(過去形やなあ)
あやめには返す言葉がなかった。黙って頭を下げるだけだった。
お福は、あやめと相良の前に座り込んだ。せかせかと声を掛ける。
「ほんでな、相良はん」
「ほんでお福はん」
お福と相良は、互いに同時に相手に呼びかけた。
「いや、それがな」
「お医者はんは……」
二人の次の言葉もぶつかり合った。お福がすかさず声を大きくして言葉を継いだ。
「ほな、先ぃ(先に)言いよし(言いなさい)相良はん」
今度は少し間をおいて、相良はゆっくりお福に問いかけた。
「お医者はんは、来てくれはったんだすか」
「いや、それがな。なかなか簡単にいかんみたいでな」
相良は、再び間をあけて問いかける。
「簡単に、いかんて、そらどういう……」
「あんな、うちも知らへんかってんけど(知らなかったのだけど)、初めて聞いたんやけど、加藤せんせの言わはる(仰る)には……」
お福の言葉のつなぎ目に間を合わせ、相良が口を挟んだ。
「加藤せんせて……そこの、かど(角)の、加藤クリニックかいな」
「せやがな。うちかて(私も)しょっちゅう、みてもうてる(診てもらっている)加藤はんやがな。そない、むちゃくちゃ(立派な、優れた)名医、ゆう(と云う)わけやないけんど(無いが)、ひとあたり(人当たり)はええわな。こないだかて(先日も)……」
「ちょちょ(ちょっとちょっと)、お福はん。で、加藤はんがなんやて?」
脱線しそうになるお福の話を、相良は引き戻した。
お福は、勢い込んで説明にかかる。
「それがやな、加藤はんのいわはる(仰る)にはやな、えーとやな……」
「まあ、落ち着きなはれ、お福はん。茶ぁでも一口、飲みなはれ」
あやめは、さっと立ち上がり、入り口の四畳半に向かった。流しの脇には、ちんまりとした冷蔵庫が据えてある。就職したての、先日まで学生だった若者が持つような、小さな冷蔵庫であった。引き開けると、庫内にはほとんど何も入っていないが、扉のポケットに縦長の、プラスチック製の透明容器が収まっていた。透かして見る色合いからして、麦茶に間違いない。
(さっきは冷蔵庫は見んかったけど……)
(野田のおや〔親爺〕っさんが作らはったんやろか)
(相良の大将やろか)
(ほれとも……お福さんの差し入れやろか)
そんなことを考えながら、あやめは茶碗を三つ用意し、盆の上に並べて麦茶を注いだ。よく冷えているのに、かすかだが香りが立った。
(ええ匂いやなあ)
(これは……ティバッグやないな)
(麦をしっかり煮出して作らんと、こないな〔このような〕香りは出えへん〔出ない〕)
近頃は、麦茶もティバッグが主流になった。水出し用、などというものもある。炒った大麦の種子を、大きな薬缶で、汗をかきながら煮出して作る、そんな麦茶は過去のものになった。
(やっぱし、お福さんがもてきて(持って来て)くれはったんやろなあ)
そんなことを考えながら、あやめは盆を捧げて六畳間に戻った。相良とお福は元の位置にそのまま座っていた。
お福は一通り語り終えたか、やれやれ、という様子であったが、相良は難しい顔で天井を見上げていた。両腕を深く組んでいる。
あやめは、やはり元の位置に膝を突き、二人に麦茶を勧めた。
「どうぞ」
「おおきに(有難う)」
お福が真っ先に手を伸ばした。左手のそろえた指の腹に椀を載せ、右手の指先を椀の側面に軽く添えている。無造作であるが、きちんと作法に適っていた。
相良は難しい顔を崩さず、麦茶に手を出そうとしない。その様子は、先ほどまでの潮垂れたものから少し変化しているように、あやめには思えた。
「あやめ」
「へえ(はい)」
「今夜の通夜、野田がおらんかもしれん」
「はい?」
「明日の本葬もでける(出来る)かどうか……」
「あの、大将、それは……」
戸惑うあやめに、お福が声を掛けてきた。
「いやな(それがな)あやめちゃん。今、相良はんに話したんやけど、うちら(私は)そないな(そんな)こと全然知らんかったんやけど、加藤せんせのいわはる(仰る)にはな、なんや、病院やないとこで死なはった(亡くなられた)ときは、なんでもかんでもけーさつ(警察)が調べる決まりになっとるらしいわ」
「調べるて……検死、とかゆう(云う)、あれですやろか」
「ああ、せやなあ、けんし(検死)……」
「ご自宅で亡くなられても、ですか」
「そうゆうことやなあ」
「解剖とか……するんですやろか」
「うーん、わからんけど、野田はんの場合、別に事件ゆうわけやなし、そこまではせんのんちゃう(しないのではないか)」
「死因をはっきりさせる、ゆうことですやろか」
「せやせや(そうだ)、そうゆうことやろなあ」
(そういうことか)
(それで……)
「ほな、警察がご遺体をその、どこやら調べる場所へ移す、ゆう……」
「せや(そうだ)。いつもんて(戻って)くるかは警察次第や」
相良が話を引き取った。
「それで……」
主(あるじ)のいない通夜、ということか、とあやめは腑に落ちた。腑には落ちたが「なんでや(何故だ)」という、承服できない思いは拭えなかった。
入口の引き戸が、再び騒々しく開いた。何人かが声も掛けずに上がり込む気配がする。境の襖が引き開けられた。三人の男が立っていた。中央に白衣の男が一人、その背後に制服警官が二人であった。
白衣の男が、室内に声を掛けてきた。
「野田……太郎はんのお宅ですなあ」
室内の三人は、誰も声が出なかった。
ややあって、あやめが返答をする。その声は、何かが喉に絡んだように嗄れていた。
「へえ(はい)……そうどす」
「中京署のもん(者)です。ご遺体、お移ししますんで。おい」
白衣の男は、前を向いたまま、背後の二人に短く声を掛けた。制服警官たちは、携えてきた担架に手早く野田を乗せ、あれよ、という間に運び出して行った。
「ちょっと事情をお伺いしたいんでっけど……」
相良が、ゆっくりと白衣の男に向き直った。その様子は、再び、いや、前にも増して潮垂れていた。
「はあ……」
あやめは立ち上がった。野田の後を追うように外に出る。警官たちの姿はもう見えなかった。
あやめは小走りに路地を駆け抜け、蛸薬師通に出た。狭い通りに停められた救急車に、担架が運び込まれるところであった。
コメント一覧
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1. ハーレクイン- 2015/08/25 13:50
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どうもキャラクターがはっきりしません。
相良とのやり取りを聞いていますと「大阪のおばはん」です。
それに着ているものが『アッパッパ』ですからねえ、わたしが子供の頃は普通だったように思いますが、今時、ねえ。「簡易服」なんて言い方もあるようですが。
まあ、京都の夏の暑さはジモティでさえ「たいがいにしとくなはれ」ですから、アッパッパは京都向き、と云えるかもしれません。
それにしても、さりげなくきちっと麦茶を飲む姿などは、育ちの良さを表わしているようですが、これはこの年代の方では普通のことなのかもしれません。
>病院やないとこで死なはった(亡くなられた)ときは、なんでもかんでもけーさつ(警察)が調べる決まりになっとるらしい
お福のセリフです。
わたし、一度この経験をしまして、その時に聞いた話です。近所の方が自宅で亡くなられたんですね。寝付いていた、というわけではなく、それこそあっけなく逝ってしまわれたんですが、警察が来ました。
その時に聞いたんですが、警察関係者から直接、というわけではなくまた聞きですので怪しいかもしれません。
いずれにしましても、野田の遺体は連れていかれてしまいました。まさに“主のいない通夜”になりそうです。『花よ志』の事件がらみ、ということでもないと思いますが……。
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2. Mikiko- 2015/08/25 19:50
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売られてないと思います。
サマーワンピースとかホームワンピースとかじゃないすか。
買えるのは、スーパーの衣料品コーナーか、安売り専門の衣料品店でしょう。
わたしの父は、自宅で亡くなりました。
母が異変に気づいたときには、すでに息をしてなかったそうです。
夜でしたが、かかりつけのお医者さんを呼んだら来てくれました。
そのお医者さんが死亡診断書を書いてくれましたので、警察が来ることはありませんでした。
葬儀ってのは、遺体が帰ってきてからやるんでないの?
葬儀では、空の棺桶を置いておくんですか?
その棺桶は、遺体が帰ってくるまで、野田の家で保管するんでしょうか?
帰ってきたら、遺体を入れて、焼き場に送る?
そのためだけに霊柩車をチャーターするんだろうか?
トラックをレンタルってのもね。
かと言って、ルーフレールに縛って走ったら……。
通報されますわな。
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3. ハーレクイン- 2015/08/25 21:32
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加藤センセより融通の利くお方だったんですね。
野田もお福のように、普段から昵懇にしとけばよかったのかなあ。
遺体なしの葬儀はないでしょうが、今の場合、とりあえず通夜ですからねえ。故人を偲んでしみじみと悼む、ということでやればいいんじゃないですかね。いったん解散、明日また改めて通夜、もおかしいかと思われます。
本葬は遺体待ちですが、あやめも相良も、具体的な段取りを考える余裕はないでしょう。そうなると、お福の存在はありがたいよね。これも野田の徳、なのかもしれません。
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4. Mikiko- 2015/08/26 07:35
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かかりつけのお医者さんがいない場合、救急車を呼んで病院に搬送してもらいましょう。
すでに死亡してるとわかっても、救急隊員が死亡判断はできませんから、病院に運ばれます(状況が明らかに異常なら、警察が呼ばれると思いますが)。
病院で医師により死亡が確認されることになりますから、警察が来ることも無いです。
通夜というのは……
文字通り、枕元で一晩過ごす通夜のことなんですね。
こちらでは、通夜式というのがあり、セレモニーホールで行われます。
本葬より規模が大きく、会葬者も多いです。
翌日の本葬は、親族中心のひっそりとしたものになります。
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5. ハーレクイン- 2015/08/26 11:44
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こちらも同じように葬儀場で行われます。
通夜は夜、本葬はその翌日の昼、が普通ですから、どちらかというと本葬のほうがにぎやか?です。連絡が行き渡りますから、会葬者も本葬のほうが多いです。このあたり、そちらとは逆ですね。
式次第?はどちらも似たようなものですが、本葬のほうが少し丁寧ですね。弔電披露なんかもあるし。
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6. Mikiko- 2015/08/26 19:46
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平日だと、少なくとも半日休暇を取らなければ出れません。
通夜なら、定時退社してから出れます。
こちらでは、亡くなった当日に通夜ということはありません。
なので、会社に喪服を持って行けば会場に直行できます。
だからかも知れませんが……。
香典に包むお金も、ピン札が多いようです。
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7. ハーレクイン- 2015/08/26 22:15
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「通夜には喪服でなくても失礼に当たらない」という説もよく聞きます。
つまり、通夜はたいがい緊急だから、喪服が間に合わない場合もある(会社から直行するなど、ですね)。だからって欠席するより、平服でもいいから顔を出すほうが良い」ということですね。
本葬には、もちろん喪服で出席しないと失礼です。
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8. Mikiko- 2015/08/27 07:22
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喪章をすれば、大丈夫だと思ってましたが……。
↓そうではないようです。
http://you-know-m.com/totuzentuya7-2702
こちらでは、喪服を着ないで行くと、ものすごく目立っちゃいますね。
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9. ハーレクイン- 2015/08/27 16:00
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なるほど、いちいちごもっともですね。
男の場合、普通のサラリーマンなら黒ネクタイ一本で何とか格好がつく、ということですね。女性は大変だなあ。
まあ、女性のメイク・服装というのは、葬儀に限らず普段から大変そうだよね。男でよかったー。
それにしても、喪章がNGというのは目から鱗でした。
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10. Mikiko- 2015/08/27 19:50
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これは、知らない人がほとんどでしょうから……。
失礼だとは思われないんでないの?
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11. ハーレクイン- 2015/08/27 23:07
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まさに、「知らぬが仏」というやつですな。
喪章の人、見たことあります。おそらく会社関係の団体さん?だったんでしょう。一人の人が仲間に「おーい、これ付けぇ」てなことを言いながら配ってました。黒い腕章でした。
上着なし、白いワイシャツでしたから、夏だったんでしょうね。
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12. Mikiko- 2015/08/28 07:38
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不思議ですね。
平服ということは、遺族側じゃないということですよね。
会葬者側が集団で来るってのは、どういう場合なんでしょう?
故人の会社の取引先とか?
でも、たいがい代表者が1人で行きますよね。
そもそも、香典はどうしたんでしょう?
1人分か?
やっぱり、故人の会社の社員たちですかね。
おそらく故人は現役の社長ではなく、代替わりしてるんでしょうね。
社葬ではないということですよね。
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13. ハーレクイン- 2015/08/28 09:27
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故人の会社の取引先?
何故代表1人じゃない?
香典は?
故人は元社長?
社葬ではない?
世に疑問の種は尽きまじ、不思議のあふれる世の中ですが、今となっては確かめることはかないません。











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