2015.7.7(火)
「ちゅう(と、いう)わけや」
野田太郎は、長い昔語りを終えた。蛸薬師通から少し下った路地の途中にある野田の自宅である。
「あーっ、あんとき(あの時)の舞妓か!」
野田の追い回し時代以来の古い付き合い、相良直(ただし)が大声を上げた。
答える野田。
「せや(そうだ)。覚えとったか、なお(直)やん」
「あたり前や、忘れられっかい。て、ちょう(少し)待て、たろ(太郎)ちゃん。あの舞妓と『一緒になろ』て約束したってかい(したと言うのか)」
「せや」
半信半疑で確認する相良に、野田は短く答えた。
「ほんまかいな……。ほれにしても……あんときゃ(あの時は)出前の途中で岡持ちひっくり返しよって。あの後、大変やったんやぞ」
「はは、せやったなあ」
昨日の事のように言い募る相良に、野田は苦笑い混りに答えた。
相良は追及の手を緩めない。
「人ごとみたいに言うんやないわ、ほんまに……。道端にほ(放)っとくわけにもいかんから、儂がせたろうて(背負って)店ぃもんて(店に戻って)……おまん(お前)が動けんもんやから、ほの後こっちはきりきり舞いや。今井の兄さんなんぞ、幸田屋はんに『遅れた』言うて頭下げて、あげくに調理と出前の両方掛け持ちしはって……」
「せやったなあ」
野田は俯いて、冷えた茶を啜った。
相良は更に言い募る。
「おい、太郎。おまんには言うたらあかん言われてたから今まで黙っとったんやけど、あの後、中島の兄さん。花板の岡崎のおや(親爺)っさんにはもちろん、店の御主人、源兵衛さんにまで頭下げはったんやぞ。『今回の件、責任はみいんな儂におます。あいつをやめさせることだけは堪忍したってくだはい』言わはったそやで。こら、わかっとんのか太郎」
野田の顔がくしゃくしゃに歪んだ。
「そらあ……知っとった。中島の兄さんには感謝しとる」
「なんや、誰から聞いたんや」
「誰からて……なんとのうわかるがな、そういうことは」
「ほんまに、あんだけ止めとけ、言うたに、なれん(慣れない)高下駄なんぞ履きよって。みてみい、きっちりこ(転)けたやないけ」
少し落ち着いたか、相良は野田に倣うように冷えた茶に手を伸ばした。
あやめは、新しい茶を入れることにも気付かず、二人のやり取りに聞き入っている。
「そらちゃうで、なお(直)やん。確かに高下駄は分不相応やったけど、こ(転)けたんは下駄のせえ(所為)やない」
「ほな、なんでこけたんや」
「なんちゅうかのう。魅入られたいうか……誑かされた、いうか……」
「誑かされたて……何にや」
「あの、揺れる帯や。キラキラのかんざしや。ほんで、あの真っ赤な……要するに、あの舞妓に、や」
「はっ。要するに祇園の舞妓に見惚れてこ(転)けた、ゆ(云)うみっともない話やろが」
「いや、そんなんやない。見惚れた、ゆうわけやない。あれは……運命や、運命の出会いゆうやつやったんや」
あやめと久美は口も挟めず、野田と相良の掛け合いに聞き入るばかりであった。
相良が野田を問い詰める。
「運命て……ほな、ほんまにあの舞妓が、おまん(お前)の言う『一緒になろ』言うたおなごや言うんかい」
「せや(そうだ)」
野田は短く返答した。
相良の声がまた少し大きくなる。
「ちょう(少し)待て、たろ(太郎)ちゃん。今の話のどこに、『一緒になろか』なんちゅう台詞が出てくんねん」
「なお(直)やん。当事者でないおまんにはわからん」
「おう、わからんわい。わからんから聞いとるんやないか。でやねん(どうなんだ)。そこが肝心やないか」
「目ぇ、やな」
「はあ?」
「あんとき、儂を覗き込んだ、気遣わしげなあの舞妓の目。あれが言うとった。『うちらは運命の二人や』てな」
「おう、太郎。おまん、安手のテレビドラマ、見過ぎや」
「何とでも言え。ほんでやな、儂の目ぇも言うた。『おう、せやなぁ』てな」
「ああ、アホくさ。もうええもうええ。ほんで? あとで逢引きでもしたんかい」
「ほんなもん、でける(出来る)かい。むこうは出たての舞妓、こっちは追い回し。どうなるもんでもないわな」
「なんじゃい。それやったら約束もへったくれもあれへん(無い)。どこが『一緒になろ』や、アホくさ(馬鹿らしい)。要するにおまん(お前)の独り善がり、勝手な思い込みやないか」
「せやない(そうではない)」
野田はあくまで主張を変えない。
持て余した相良は矛先を変えた。
「ほんだら(それなら)それっきりかい、その舞妓」
「ん、まあ……それっきりゆ(言)うたら、それっきりやが……」
口ごもる野田を相良が叱咤する。
「なんやねん。歯切れ悪いやないけ、たろ(太郎)ちゃん」
「ほやのう(そうだねえ)」
「なんやねん。ここまで言うたんや、全部吐いてまえ。ほしたら(それなら)その舞妓、ほの後どないしとんねん。ちゃんと芸妓になって……今はどこぞの置き屋の女将とか……おまん、(お前)知っとんのか。たろちゃん」
「いや、舞妓は途中で止めてのう」
「ほう。なんや、ええ旦那でもついたか」
「ん、まあ……ほないゆうたら、ほうなるかのう」
「なんやねん、はっきりせえや」
「ん……料亭の、女将や」
「ほう、ほらあ、出世、ゆうたら出世かのう。どこの店や、祇園か」
「うう、いやまあ……祇園ちゅうか……」
「おい、たいがいにせえよ、太郎。どこや」
「先斗町や」
相良は目を剥いた。
「ぽんとちょお! なんやいな、『花よ志』のねき(傍;付近)かい。どこや、『ふじ邑』はんか。いや、あこの女将はえらい若いそやから、歳かっこ合わんな。『花の郷』……もちゃうな。あこの女将はんは逆にえらいお歳や。儂らより一回り、いやもっと上やろ。ほな……」
腹を決めたか、野田はそれまでの躊躇いを切り捨てるように答えた。
「『花よ志』や」
「はあ?」
「『花よ志』の女将や、ゆ(言)うとる」
「えええええーっ」
一瞬の間の後、あやめ、久美、相良の三人は一斉に驚きの声を上げた。久美のそれは悲鳴のようであった。
相良は右腕を上げ、人差し指を野田に突き付けながら、喘ぐように言った。
「は、は、はな、はなよし、て……」
「先斗町の『花よ志』ゆうたら決まっとるやないか。今ここにおる人間。なお(直)やん、おまん(お前)以外の三人の勤め先やないかい」
「ほ、ほな、今の話の舞妓て……」
「おう。『花よ志』の女将のお志摩。竹田志摩子その人や」
相良、あやめ、久美の三人は虚脱したように野田を見た。いや、顏は野田に向けているが、その目は何も見ていない。自分の脳裏に去来するそれぞれの志摩子像を、呆然と見詰めているようであった。
ややあってあやめが無言で立ち上がり、隣の四畳半に向かった。茶を入れ替えるつもりであろう。
野田はそのあやめを目で追ったが、相良と久美は、あやめが立ち上がったことすら気付かないようであった。
コメント一覧
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1. ハーレクイン- 2015/07/07 08:38
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「花よ志」の女将、お志摩。竹田志摩子の前身はなんと舞妓!
野田太郎思い出の、きらびやかで可憐な舞妓はんは、今は料亭の女将。いや、それだけならよくある話(か、なあ)ですが、お志摩といいますと、狂犬源蔵とやり狂っている、仲居の花世と変態プレイの限りを尽くしている、あの、お志摩!!
いやあ、時の流れというのはかくも無残(?)なものでしょうか。なんともかんとも、久美が悲鳴を上げるのも無理からぬところです。
しかしこの志摩子女将。あやめの料理を味わって、幼少期を過ごした故郷の丹後の海を思い出し涙する、そういう人物でもあります。
なかなか一筋縄でいくお方ではなさそうですが、それにしても舞妓時代から今に至るまで、一体どういう人生を歩んできたのでしょうか。興味は尽きぬところですが、まあそのあたりは物語の進行とともに徐々に明かされることになります(今は何も思いつかぬのだよ)。
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2. Mikiko- 2015/07/07 19:52
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舞妓ではなく、芸妓でないの?
前芸妓、元舞妓ですね。
おそらく、その経緯が「徐々に明かされる」ことはないものと思われます。
丹後ということは、府立峰山高校卒業でしょうかね?
やっぱ、中卒か?
なお、峰山高校卒業の太川陽介がリーダーを務める、ご存知『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』。
あさって、9日、夜5時58分より「第3回 函館駅前バスターミナル~宗谷岬」が放送されます(http://www.bs-j.co.jp/official/localbus/)。
残念ながら、BSですが。
BSジャパン。
もちろん再放送ですけど、見てないので楽しみです。
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3. ハーレクイン- 2015/07/07 21:51
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中学卒業後、家出同然に丹後から京都に出てきます。祇園で仕込みっ子(舞妓見習い)を1年ほど勤めて晴れて舞妓に。
順調にいけば18,9歳、高校卒業前後に当たる年齢でさあ芸妓に、という頃に事件が起こり舞妓をやめることに。もちろんただ「はい、さいなら」とはいきません。すったもんだあったわけですが、この頃までに培われた、というか持前といいますか、の図太さと強引さ、狡猾さでうまく立ち回り、晴れて?花柳界から身を引きます。
そして……
とりあえず、こんなところですね。
いやしかし“お志摩一代記”。こんなの書いとったら死ぬまでに完結できんぞ『アイリス』、というか『リュック』。んでも、ある程度は書かんと『アイリス』のクライマックスが盛り上がらないしなあ。
うーむ。
まあ、“野田太郎一件”が完結するのはもう少しかかりますし。お志摩にどこまで踏み込むか、はその間に考えますかね。
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4. Mikiko- 2015/07/08 07:44
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芸妓にはならなかったということですか。
芸妓に身請けはあったでしょうが……。
舞妓の身請けってのは、あったのでしょうか?
舞妓のうちに持ってかれたら、置屋は大損害です。
その分を上乗せすれば、出来たんですかね?
丹後は、魅力的な地域です。
↓丹後の国は、畿内ではなく、山陰道に含まれたそうです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%B9%E5%BE%8C%E5%9B%BD
一寸法師のモデルとと云われる少彦名命(すくなひこなのみこと)や……。
不老不死の仙薬を求めて日本に渡った、徐福の伝説などで有名です。
少彦名命には、宇宙人説もありますよね。
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5.- 2015/07/08 13:04
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だから、すったもんだあったわけです。
お志摩でなければ、切り抜けられなかったことでしょう。まあ、結局は金で片を付けたんでしょうが……。繰り返します。まだ何も思いつきません。
丹後は山陰道。
畿内は、摂河泉三国と大和、山城の五か国ですね。今の大阪、京都、奈良、兵庫ですが、京都と兵庫は一部だけです。
畿内は「きない」ですが、わたしは「きだい」と習いました。
丹後。
ええとこですよ。行ったことないけど(おい!)
「北近畿タンゴ鉄道」が今の名物ですかね。
あ、そういえば、「和歌山電鐡」の『たま駅長』がお亡くなりになり、先日社葬が営まれました。享年16。
スクナビコナ
波の彼方からオオクニヌシのもとに来訪し、その国づくりを手助けした後、常世の国へ去った……。
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6. Mikiko- 2015/07/08 19:48
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借金のカタに舞妓になったわけじゃないでしょうから、置屋の投資額とて、たかが知れてます。
ちなみに、新潟市古町の芸者は、株式会社の社員です。
もちろん、社保完備で、残業手当も付きます。
着物・小物類は、すべて会社が貸与。
↓寮(マンション)もありますから、県外からでも安心です。
http://www.ryuto-shinko.co.jp/recruit/index.html
丹後。
日本海側気候になりますので、冬のお天気は悪いですね。
冬場は、チリメンタンゴを踊って過ごすそうです。
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7. ハーレクイン- 2015/07/08 22:24
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時代が時代だからねー、お志摩の場合は相当あったんですよ、前借金。だから「金で片を付けた」んですね。
誰が出した金かておいやすんか? そんな野暮なこと、聞くもんやおへんえ、ほほほ。
古町芸者。
柳都振興の『振袖さん(京都でいう舞妓はん)』『留袖さん(同じく芸妓はん)』ですね。
古町には花柳界言葉というのがあって、芸者さん達は男性客を「あにさま」、女性客を「あねさま」と呼ぶそうです。いっぺん呼ばれてみたい。
冬の丹後はやはり「カニで一杯」でしょう。
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8. Mikiko- 2015/07/09 07:34
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丹後もカニですか。
余部鉄橋のあたりも、名物でしたね。
北陸も、カニをウリにしてる港町は多いようです。
新潟は、捕れないこともないんでしょうが……。
県外の観光客を呼ぶほどではないようです。
わたしは、手の汚れる食べ物は苦手です。
グラスが臭くなるではないか。
旅館でコンパニオンさんを呼ぶと、剥いてくれますが。
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9. ハーレクイン- 2015/07/09 08:49
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わたしもカニは苦手です。
もちろんあの食べにくさが原因ですね。
カニ屋さんは、耳かきみたいなほじくり棒を用意したり、甲羅に切れ目を入れたりして食べやすくしているようですが、焼け石に水、暖簾に腕押し(?)です。
まあ、そんなに「ひっくり返るほどおいしい」物でもないしね、カニ。
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10. Mikiko- 2015/07/09 19:34
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カニが1匹載ってるのを見たことがあります。
食べづらさ日本一じゃないでしょうか。
手も口もベチョベチョでしょう。
やだやだ。
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11. ハーレクイン- 2015/07/09 21:56
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カニを食べ終わる頃には、ラーメンが伸びてるのでは。
ラーメンを先に食べれば、カニを食べきれんだろうし。
交互に食べれば、テーブル上は阿鼻叫喚の巷、それこそ収拾がつかない事態に……。
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12. Mikiko- 2015/07/10 07:45
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↓なんと、新潟県にありました。
http://blog-imgs-72.fc2.com/m/i/k/mikikosroom/201507100632049a5.jpg
寺泊です。
値段ですが、ちょっと安くて驚きました。
1,000円だそうです。
でも、具がぜんぜんありませんね。
これって、インスタントラーメンの上に、カニを載せただけなんじゃ……。
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13. ハーレクイン- 2015/07/10 13:39
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それでも安い。カニだけでもそれくらいするんじゃないの。
あ、わかった。
これは『ラーメン』ではありません、『カニ料理』なんです。麺はオマケなんですね。
あ、思いだした。
以前『1杯1万円ラーメン』の話題が出ました。その時の店主曰く「これはラーメンではありません、スープ料理です。麺はオマケ」