2015.6.9(火)
翌日の昼前。
祇園『梅亭』の立板、中島太一は調理場の一角で出前の打ち合わせを行っていた。中島の前に立ち、その指示を聞いているのは焼方の今井智徳、それに相良直(ただし)と野田太郎の二人の追い回しだった。
花板の岡崎大介以下、他の料理人たちは店で出す昼食の支度に追われていた。調理場全体に活気と喧騒、若干の緊張感が漂っていたが、これはいつもの空気であった。
「よっしゃ、ほな始めよか。今日の出前先は、昨日ゆうといた(言っておいた)通り、お茶屋の幸田屋はんや。段取りはまあ、いつも通りやな」
今井と相良は心得た、というように中島の言葉に頷いたが、野田は俯き、どことなく不得要領な様子である。
中島が野田に声を掛けた。
「おい、太郎、どないした。なんぞ気になることでもあるんかい」
「え、いえ、その……」
野田太郎は、いつものように先ず口ごもった。野田が声を掛けられて即座に答えを返すことはまず無かった。すぐに出てくる言葉といえば、へえ、へい、はあ、いえ……くらいであった。
もちろん自ら話しかけることなどまず無い。あるとすれば相手は相良直(ただし)くらいで、それすらめったに無いことだった。
中島太一は、重ねて野田に声を掛けた。
「なんやねん。気になることあんねやったら(あるなら)、何でもゆう(言う)たらええがな」
今井智徳が尻馬に乗った。
「せやせや。おまん(お前)がそない糞詰まりみたいな顔しとったら、こっちも気になるがな」
野田はようやく顔を上げ、おずおずと中島に問いかけた。
「あの……すんまへん。料理とは関係、おまへんねんけど……」
「なんや。かめへん(構わない)、言うてみい」
「へえ、あの……幸田屋はん……なんで、自分とこで、作りはれへんのか、おも(思)て……すんまへん」
中島は笑みを浮かべた。生じた疑問をそのままぶつけてくる幼い我が子を見るような、そんな顏付きだった。
「そういうことかい。太郎、それは料理に関係ないこと無いぞ。儂らにとっては大事なこっちゃ。よう聞いた」
中島の口調は、生徒の質問を受ける教師のようになった。
「それはのう……。あ、いや。おい、とも(智)。おまん(お前)おせたれ(教えてやれ)」
中島は、二人の生徒を同時に相手にしているように場を仕切った。野田太郎への答えを、焼方の今井智徳に命じた。
「へ!?儂でっか。はは、えらいとばっちりや」
「ええから、はよ(早)せえ。時間無いぞ」
「へい」
せかされた今井は、野田に向き直った。
「ええか太郎。おまん(お前)、お茶屋っちゅうのん(というのを)勘違いしとるんやないか。お茶屋は芸妓遊びをするとこ(所、場所)やが、料理屋やない。自分とこでは料理、作らんのや」
「はあ……」
「しやけどやな、酒や料理無しで遊びもないわな。しやから、料理は仕出し屋とか、うっとこ(私達)みたいな料亭…料理屋から取り寄せるんや。つまり出前、やな」
今井の説明に聞き入る野田の顔は、次第に晴れてきた。
「へい」
「つまりやな、ゆうたら(謂わば)分業制になっとるわけや。お茶屋はんは場所、料理屋は料理を提供するわけや」
「ははあ、めんどい(面倒な)もんですなあ」
「せや。なんでこない(こう)なったんかは知らんけどな。ついでにおせ(教え)といたる。芸妓や舞妓はおきや(置屋)の抱え、つまり所属やな。置屋で生活して、そっから(そこから)いわば出張するわけや、お茶屋はんにな」
「ややこしいでんなあ。ぜえんぶ(全部)おんなじとこ(同じ場所)がやればええのに、思いますけんど」
普段に似ず、野田太郎は次第に饒舌になって行った。
「はは、そらそやが(それはそうだが)。何でこない(こんなに)ややこしいんか、儂もそこまでは知らんわ。で、太郎、けつろーん(結論)。祇園の芸妓遊びは、置屋が芸妓、お茶屋が場所、ほんで料理屋が料理をそれぞれ請け負うと、こういうこっちゃな(ことだ)。ほんで(それで)この三つがそろ(揃)とるこの祇園なんちゅうとこを、花街ゆう(云う)わけや」
「か…が…い……」
「せや。はなのまち(花の街)と書く。そのまんま、はなまち、ともゆうがのう」
「花街……」
太郎はようやく納得した。この花街、祇園という街の仕組みが少しわかった。しかし、その花街でこの先何十年も暮らすことになるとは、その時はもちろん考えもしなかった。
「さすが、よう知っとるのう、とも(智)。答えは一応100点やが、おまん、まさか芸妓遊びやっとるんやないやろのう」
今井智徳は、顔の前で二度三度、手を横に振った。本気で否定する勢いであった。
「ほんな兄さん、やってまっかいな(やっていませんよ)。第一、やりとう(やりたく)ても、やっすい(安い)給金で出来まっか……あ」
笑いながらこちらを見ている花板の岡崎大介に気付き、今井は慌てて口を閉じた。調理場の全員が同じように笑いながら、中島太一を中心にした一角を見ていた。
「よっしゃ。太郎の糞詰まりも治った、ゆうことで、かかる(取り掛かる)ぞ。まずは先付(さきづけ;突き出し…お通し)や。これはでけとるさかい(出来ているから)、あとは酒の燗付けやが……えーと、何時や」
中島は壁の振り子時計を見た。
「ふん、丁度ええな。おい太郎、燗付けに掛かれ。でける(出来る)な」
「へい、大丈夫です」
「ほな、直(なお)は岡持ち用意して、冷蔵庫から先付、出して来い。とも(智)は次の碗の準備や」
「はい」
「へい」
祇園『梅亭』の立板、中島太一は声を張り上げた。
「よっしゃ、ほな、いくでえ」
「へい!」
中島の掛け声に応えた今井、相良、野田の三人は、一斉に調理場内に散って行った。
コメント一覧
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1. ハーレクイン- 2015/06/09 18:14
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まるで教師と生徒のような、立板・中島太一と追い回し・野田太郎。
麗しい師弟愛です。こういう中島の姿勢が人を育てるのでしょう。本当にいい職場に勤めたものです、野田太郎と相良直(ただし)。将来、必ず立派な包丁人に育つことでしょう(ま、それはもうわかってるんですがね)。
あやめと久美が、蛸薬師で待ちわびています。早く戻らねば。
で、今回、ちょっとした事件を起こして「若き日の野田・相良」物語を幕引き、という予定だったのですが、中島太一、というより焼方・今井智徳の「かがい」授業が行われちゃいました。事件は次回、ということになります。
管理人さん。
すみません。またも修正です。このコメを書くのに今回分を読み返していまして気が付きました。メールさせていただきますので、お手数ですがよろしくお願いします。
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2. Mikiko- 2015/06/09 20:06
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料亭・茶屋・置屋を合わせて、三業(さんごう)と云います。
↓新潟には、『三業会館』という建物があります。
http://www.niigata-inet.or.jp/furumati/kaijyo/kaijyo.html
使用料金、高いですね。
公共施設とは、1桁違います。
芸者さんの踊りの発表会などに使われるみたいです。
訂正版、アップしました。
ご確認ください。
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3. ハーレクイン- 2015/06/10 00:12
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お茶屋が抜け、置屋、料亭の二つで二業です。
三業が揃っている土地を三業地、二業だけだと二業地です(あたりまえか)。
しかし、二業地ではどこで芸妓を揚げたんだろう。料亭しかないよな。
訂正、確認しました。ありがとうございます。
今回は短めでしたから、何度も確認したんだけどなあ。「訂正してもらえる」という甘えが、緊張感を薄れさせるんだろうか。いかんいかん。
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4. Mikiko- 2015/06/10 07:39
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「置屋」「料理屋」「お茶屋」。
前のコメントでは「料亭」と書きましたが、正しくは「料理屋」です。
「料理屋」が座敷を設け、飲食も出来るようにしたのが「料亭」です。
で、二業の「置屋」「料亭」となったわけですね。
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5. ハーレクイン- 2015/06/10 13:23
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>「料理屋」が座敷を設け、飲食も出来るようにしたのが「料亭」
へええ、これは知りませんでした。
つまり、テーブルとカウンターだけの店が「料理屋」、これに座敷が付くと「料亭」ということですか。
ふーむ。
これまで深く考えずに、適当に料亭とか料理屋とか書いて来たなあ。
ま、いまさら振り返ってもどうしようもないので勘弁していただくとして、これまで出てきた『かわふ路』、『花よ志』、『梅亭』、それと東山の『ひいらぎ』は、それぞれどちらなのか。
『花よ志』と『ひいらぎ』は、座敷で酒食する場面がありますから明らかに「料亭」ですね。『かわふ路』と『梅亭』には座敷のシーンは今のところありませんが、わたしの中のイメージでは、やはり「料亭」です。芸妓を呼べるかどうかはわかりません。
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6. Mikiko- 2015/06/10 19:45
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三業で云う『料理屋』というのは、文字どおり、料理だけを作る商売です。
で、お茶屋に届けるわけですね。
本来、『料理屋』で飲食は出来なかったのです。
それを出来るようにしたのが、『料亭』ということになります。
こちらでは、『仕出し屋』と呼ばれる形態があります。
得意先は、お茶屋ではなく、一般家庭です。
大事なお客があったときなど、『仕出し屋』から料理を取るわけです。
座敷を持っている『仕出し屋』がほとんどなので、そこで飲食もできます。
法事なんかは、『仕出し屋』の座敷でやることも多いですね。
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7. ハーレクイン- 2015/06/10 22:31
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ということは、出前専門ってこと?
「仕出し屋」はこちらにもありますが、店で飲食できるというのは聞いたことありません。しかも法事まで請け負うとは。新潟独特なんですかね。
しかし「座敷を持っていない仕出し屋」って、商売になるんですかね。一般家庭だけが相手だとすると、そんなに客は多くないように思われますが。こちらの仕出し屋の得意先は、会社などがメインのようです。
話は京都ですが、「花街の出前」はどうも料亭がやっているようです。つまり「出前をやるようになった料理屋」ということになりますね。
あー、ややこしい。『花よ志』では出前はやらんぞ。
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8. Mikiko- 2015/06/11 07:29
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ですから、「出前をやるようになった料理屋」ではありません。
元もと「料理屋」は、出前しかしなかったんです。
店にあるのは、厨房だけ。
「料理屋」の中に、客に飲食を供する設備は、まったくなかったということ。
そこに、座敷を作って、客を入れるようになったのが「料亭」です。
出前は、「料理屋」時代からの本業として、今でも行ってるわけです。
うちでも昔は、夕食に、「仕出し屋」からお刺身を取ったりしてました。
コース料理だけでなく、そういう一品物の注文もできました。
今は、どうなのかわかりませんが。
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9.- 2015/06/11 08:31
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今井智徳センセが花街講義で、「料理屋が料理を……請け負う」と言ったのは、間違いではないわけですね。
祇園の料亭も、一品の注文を受けるようです。
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10. Mikiko- 2015/06/11 19:37
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ただの酔っ払いになったな。
ちなみに、カウンターがメインの店を、「割烹」と云うそうです。
“割”は、お造り、“烹”は、煮物や椀物の意味だとか。
カウンターの向こうで、板さんが料理を造る形態ですね。
なお、同じような店構えでも……。
女主人が1人で切り盛りしてるようなところは、“小料理屋”と呼ぶようです。
『相棒』で、右京さんが飲んでる店がそうですね。
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11. ハーレクイン- 2015/06/11 23:49
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「割」はともかく、「烹」は知らなかったなあ。
じゃあ、碗方は「烹方」なんだね。
で、『相棒』の「小料理屋」。
右京さんの行きつけの店は『花の里』。
元女房の宮部たまき(演じたのは益戸育江)が初代女将でした。今は二代目、赤の他人の月本幸子(鈴木杏樹)。
ちなみに店名は、右京さんの遠縁、杉下花(プロ写真家、原沙知絵)にちなんだものです。
酔っ払い騒動はまだ続いております。
ご教示いただいた“対症療法”はすべて試みました。有難うございます。
多少は改善されたようですが……。もう買い替えるかな、パッソ、じゃなくてパソ。











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