2015.5.26(火)
野田太郎は、祇園『梅亭』の板場の隅、洗い場で洗い物を行っていた。いつもと同じ作業である。
野田が『梅亭』に雇われて半年ほど経っていたが、その仕事はいまだに洗い物と掃除だけであった。それらの作業も、ほぼ毎日何かしら失敗をする野田であった。入店以来、野田が割った皿や小鉢は幾つになるのだろう。高価で貴重な器を洗うのは、未だに相良直(ただし)の仕事だった。
野田よりもひと月ほど早く入店した相良は、野田と同じ追い回しでありながら既に包丁を持たされていた。相良の技量が特に優れているというわけではない。野田の上達が遅いのだ。
相良の持たされている包丁は薄刃、いわゆるなっきり(菜切)包丁で、行う作業は下ごしらえ、ほとんどが野菜の皮むきだけである。野田は、まだそれすらこなすことが出来ないでいた。
「お、太郎。今日はまだ割ってへんようやの」
洗い場を通りがかった焼方の今井智徳が、野田に声を掛けながらその背後を行き過ぎた。
へい、と野田が返事を返した時には、今井は既に背を見せていた。
今井を見送る野田は、その足元に目を引かれる。今井の履く高下駄は野田の憧れだった。追い回しには、履き物は許されない。板場では常に裸足であった。
(カッコええなあ)
(あんなん、履きたいなあ)
そんなことを考えながら、野田は洗い物の手を休めることなく、時折相良に目をやった。これまで、無我夢中で指図されるままに作業をこなす毎日だったが、それでも野田の心中には相良に対する対抗心のようなものが芽生え始めていた。
(そんなんちゃう)
野田は心中で呟いた。
(なお〔直〕さんにはりあお〔張り合おう〕やなんて)
(ほないな〔そんな〕こと)
(おも〔思〕たことない)
野田は、料理人になろうと自ら考えて『梅亭』に勤めるようになったわけではない。料理の世界など想像の埒外だった。親、親戚、世話してくれる者、いろいろな人に言われるまま、わけのわからぬまま、流されるように兵庫の山中から京の都に出てきた野田だった。貧しい実家の、いわば“口減らし”のようなものであった。
それまで、京都には一度も足を踏み入れたことは無かった。もちろん京都見物などしたこともない。国鉄山陰線の鈍行列車に揺られ、辿り着いた京都駅から、ほとんど直行で祇園の『梅亭』に連れて来られ、その日から『梅亭』の厨房で追い回される日々が始まった。
それでも、朝に夕に目にする京の、祇園の佇まいには目が眩むような思いだった。
(こんなとこ〔場所が〕あったんか)
野田はいわば丹波の山猿である。その野田には、まるで人の世の外に連れてこられたような気がしたものである。今もその思いはさほど変わっていない。京都に来て半年が経っても、どことなく場違いの場所にいるような、そんな落ち着かない気分が野田を離れることは無かった。
祇園『梅亭』の創業は幕末とされているから、優に150年の歴史を刻む老舗である。その間、存亡の危機とでもいうような困難な事態は多くあったが全てを乗り越え、営々と京の食文化を支えてきた老舗中の老舗である。その歴史は、多くの人も育ててきたのだろう。現在の板場にもそれは引き継がれていた。
連日のように失敗を繰り返す野田であった。指示、注意、叱責は数限りなく受けた。しかし、声を荒げて叱られる、ということは無かった。まして手を上げられたことなど一度もなかった。このあたりは、いわば老舗の「徳」とでも云えるものであったろうか。そういう意味では、野田も相良も「運が良かった」のかもしれない。
「そんなんちゃう(そういうことではない)」と、相良に対する対抗心を否定する野田であったが、それは否定しきれるものではなかった。いや、対抗心というより、向上心という方がいいのかもしれない。
追い回され、失敗を繰り返し、必死で毎日の作業をこなす野田に、ようやく「料理人になる」という意思が芽生え始めたのだろう。それは本当に芽生えに過ぎず、野田自身はまだまだ意識はしていなかったのだが。
相良の動きに気を取られ、心中の思いに耽る野田の注意力が少し散漫になった。野田の手を、洗っていた小鉢がすり抜けた。床に落ちた鉢は、小さな音を立てて割れた。
昼時の板場の喧騒の中で、耳ざとくその音を聞きつけた今井が振り返った。
「あーあぁ。言うてる尻からやってもうたの、太郎」
「す、すんまへん」
「怪我ぁすんなよ」
言い置いて、今井は後も見ずに持ち場に戻っていく。野田はかがみ込み、手早く鉢の破片を拾い集めた。野田は気付いていないが、その手つきはしっかりしたものだった。以前の野田なら、おろおろした揚句、指など切っていたかもしれなかった。
「よっしゃ、飯にするぞ」
立板の中島太一の声が厨房内に響いた。いつもなら花板の岡崎大介が声を掛けるのだが、今日は店の主人、梅村源兵衛に同行して出かけていた。
作業台の一つに、板場の人数分の賄い食が並べられていた。厨房内の全員が、作業台を囲んで丸椅子に掛けた。賑やかに談笑が始まる。焼方の今井がまっさきに声を上げた。
「さああ、めしや飯や。今日は何や。えーと、焼きそばに、クリームシチュー、ほれに……きんぴらかい。みごとに和洋中がそろ(揃)たの」
「今日は誰や、作ったん(作ったのは)」
合いの手を入れたのは、碗方の勝呂栄であった。
「すんまへん。儂です」
肩をすぼめるように相良が返事をした。
今井が少し声を大きくした。
「ほおお、なお(直)。もう賄い、作れるようになったか。えらい偉い」
「止めとくんなはれ、今井の兄さん。中島の兄さんに作れ、言われまして……堪忍しとくなはれ、言うたんでっけど……」
「まあ、話は食べてみてからや」
笑い混りに言いながら、立板の中島が箸を取った。そのまま手を合わせる。
「頂きます」
「いただきまーす」
全員が声を揃え、一斉に箸を取り上げた。賑やかに昼の食事が始まった。
今井は旺盛な食欲を見せ、焼きそばを一気に半分ほど平らげた。スプーンを手にし、シチューを啜り込む。
「ふん。まあまあやの、なお(直)」
「へえ、おおきに」
「昔はのう。ちょっとでも、うもなかったら(美味く無かったら)ゴミ箱にほりこまれたそやで(放り込まれたそうだ)。作るもん(者)は、食いながら痩せるようやったそや」
したり顔で言う今井に、碗方の勝呂が笑い混りに声を掛ける。
「せやのう。おまん(お前)が初めて賄い作ったとき、儂、よっぽどゴミ箱にほりこもかおもたわ(放り込もうと思った)」
『梅亭』の板場に賑やかな笑い声が起こった。
野田もつられて笑いながら、心中は穏やかではなかった。焼きそばもクリームシチューも初めて食べるものだった。幼い頃、母親が作る食事はほとんどが野菜の煮物に漬物、たまに焼き魚があればご馳走だった。それが当たり前だと思っていた。『梅亭』に入ってからの食事も和食だけだった。それしか食べ物を知らない野田であった。
(こんなくいもん〔食い物〕があるんか)
(こんな美味いもんが世の中にあるんか)
(こんな、美味いもん……)
こぼれそうになる涙を、野田は俯いて堪えた。その涙は、美味なものを口にする感動、これを作った相良に対する悔しさ、いつか自分もこんなものを作りたいという決意……溢れるような思いが結実したものだった。
その時野田は、「料理人として生きる」という思いを始めて自覚したのだ。
「おい。このきんぴら、つけもん(漬け物)かい」
勝呂が声を上げた。少し驚いていた。
相良は返事をする。
「へい。大根のぬか漬けがようけおましたんで(沢山ありましたので)」
「ふん。ちょっと仕事してあるのう」
「へえ。朝から水に浸けて塩出ししまして」
「ほう。ほらほやの(それはそうだ)。そのまんまやったら辛すぎるわのう」
立板の中島が声を改めた。
「今夜の段取りはみんなわかっとるのう、今朝確認した通りや。ほれでのう、さっき聞いた話やけんど、明日、出前が一件入った。『幸田屋』はんや。献立はいつも通りでええさかい、準備は十分間に合う。運ぶんは、なお(直)と太郎や、ええか」
「はい」
「へい」
返事はしたものの、出前がどういうものなのか、全くわからない野田であった。
コメント一覧
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1. ハーレクイン- 2015/05/26 11:08
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まあまあ順調に始まったようです。
丹波の山猿、野田太郎もそれなりに少しずつ成長しているようですがさあ、今後どうなりますことか。将来、一店の板場の長になることは分かっているのですがね。先は遠いようです。
相良は既に包丁を持つようになりました。で、今回『賄い』を作らされました。大したものです。
賄いとは、申し上げるまでもありませんが、調理場で働く料理人さんの食事ですね。当たり前のことですが、自ら料理を作る方たちが出前など取ったり、食べに出たりするわけはありません。自前です。これが賄い、賄い食ですね。
ネットで検索しますと、実に多様な賄い食が紹介されています。多種多様といいますか、絢爛豪華と言ってもよさそうな料理が目白押しです。まあ、ネットに載せるわけですから、多少の見栄を張る、ということも無きにしも非ず、かもしれません。
で、相良に何を作らせようかと考えたのですが、まだ立場は追い回し。さほど腕があるというわけではまだまだないでしょう。ということでごく普通の家庭料理、シチューに焼きそば、金平ということでご勘弁願いましょう。焼きそばは『ソース』ではなく、とろみをつけた塩味、中華で出てくるような、とお考え下さい。
碗方の勝呂栄が「ちょっと仕事してあるのう」と評価した金平の材料は、牛蒡や人参ではあまりに当たり前、ということで干し大根のぬか漬け、沢庵漬けを用いました。ネットで見つけたものです。ちょっと面白いですね。
さて、舞台の『梅亭』は創業150年になる老舗ということですが、モデルはご存知、京の名店中の名店、南禅寺前の『瓢亭』さん。そういえばあやめと明子が食事をした『ひいらぎ』もこのあたりです。
このくらいの名店になりますと、働く料理人もなかなかの人物が多い。『梅亭』の板場も例外ではありません。『花よ志』の板場とは少し、というかかなり違います。狂犬などまずおりません。
とんでもない超有名店をモデルにしてしまいましたが、パクったのは「亭」の一字のみ。あとは全く関係ございません。そのあたり宜しく。
次回、野田と相良は出前に出ることになります。どう展開するのでしょうか“野田太郎物語”。
次回を乞うご期待!
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2. Mikiko- 2015/05/26 19:58
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B級グルメに発展したメニューもあるようです。
最近知ったのが、今治の『焼豚玉子飯』。
↓中華料理店の賄い食が、店のメニューに昇格したそうです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%BC%E8%B1%9A%E7%8E%89%E5%AD%90%E9%A3%AF
今では、今治の名物になってるとか。
考案者は、何かもらえたんでしょうか?
残念ながら、相良の賄い食が料亭のメニューになることは無いでしょう。
賄い食で案外な人気は、『サッポロ一番塩ラーメン』だそうです。
料亭の出前って、どうやって運ぶんでしょうか。
2人は、まだ自動車免許が取れないから……。
自転車しかないですよね。
何人分の出前なんでしょう。
何往復もしなきゃならんのでないの。
あ、リヤカーなら、一度で行けるか。
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3. ハーレクイン- 2015/05/26 21:26
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あるでしょうね。それほどの内容です、賄い食。
直(ただし)、じゃなくてただし、くどいようですが外部向けのメニューでしょう。あんなの毎日食べていたら、店が潰れます(ちょっとオーバー)。
今治名物「焼豚卵飯」は、飯の上にチャーシューの薄切り、さらに目玉焼きを載せた、一種の丼ものだそうです。
カロリー高そう、若い衆向けでしょうね。野菜もしっかりとるようにの、若者よ。
「サッポロ一番塩ラーメン」ねえ。
ラーメンは「味噌」にかぎる。
料亭の出前はどう運ぶ。
その前に「出前先はどこか?」を気にしてほしかったなあ。まあ、どう運ぶかも含め、次回を乞う、ご期待!
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4. Mikiko- 2015/05/27 07:43
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確かに胸焼けしそうです。
賄いのときは、キュウリでもかじりながら食べたのかな?
「サッポロ一番塩ラーメン」。
↓もちろん、賄いでは、一捻りあります。
http://www.sanyofoods.co.jp/expert/more/more_recipe_001.html
料亭の出前先。
京都御所とか?
わかった。
牛車で運ぶんだ。
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5. ハーレクイン- 2015/05/27 14:22
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ラーメンを茶碗蒸しにする。
さすがプロ、としか言いようがありませんね。わたしなんぞには絶対に思いつかない発想です。
しかし……美味いのかね。
御所には今、誰も住んどらんよ。天さんは東京に行てしまはったし(行ってしまわれた)、出前の注文が来るわけありません。
あ、留守居の衛士とかはいるのか。やはり宮内庁の役人かね。
こないだテレビで『天皇の料理番』というのをやっていました。以前見ました(ただし今回とは別バージョン)ので見ませんでしたが。
牛車で運んどったら、ラーメンが伸びてまうわ(伸びてしまうわい)。
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6. Mikiko- 2015/05/27 19:45
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そのまま、ラーメン屋台というのはどうでしょう。
客は、牛車と一緒に歩きながら食べるわけです。
料亭の出前が、ラーメンのはずなかろ。
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7. ハーレクイン- 2015/05/27 22:14
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お、おもろい。
座布団一枚。
しやけど、歩きながらの食事は消化に悪うおす。
やはり牛車に揺られ、美弥子、おっと都見物などしながら、ゆるりと食したいものじゃ。ほほほ。