2015.1.6(火)
小さな座卓を挟んで、あやめは口軽刑事と若い刑事に向かい合って座っていた。「花よ志」の1階、厨房の近くの小部屋である。裏庭からここまでは、厨房を突っ切ってきた。厨房は灯りが落され誰もいなかった。
あやめは、明子のマンションからこの「花よ志」に戻った後、店の誰とも顔を合わせていなかった。
「ほならちょっと、お話をお聞かせ願いたいんでっけど」
口軽刑事が、先ほど裏庭で掛けたものと同じような言葉をあやめに掛けた。
あやめは顔を俯けたまま、呟くように返事した。
「へえ」
あやめは、死体などというものを初めて見た。父や母が亡くなったときは、柩の中の遺体を見ているのだが、もちろん綺麗に死に化粧を施されていた。それ以外に、人の死に立ち会ったことはこれまでなかった。
それに比べ、先ほど裏庭で見せられた死体は……病でも事故でもなく、おそらく人の手にかかってのものであろう。あやめにはまだ現実感がなく、自分自身が他人のような、そんな感覚にとらわれていた。
「とりあえず、ゆんべ(昨夜)から今まで、どこで何をしておいやしたんか、伺わせていただけますやろか」
「へえ」
あやめは顔を上げ、口軽刑事に目をやった後、語り始めた。若い刑事は手帳を手に、書き取る体勢である。
「ゆんべは夕方からずっと調理場におりまして、なんやかんややっとりました。ゆんべは大文字どしたさかい、お客はんも多うて……」
「ああ、ほらほうですわなあ。板場は戦場どしたやろ。他の板場はんも皆さんごいっしょで……」
「へえ、皆きりきり舞いどした」
「ほな、あんさん、ゆんべ(昨夜)はずうっと板場においやした(居た、おいでになった)と……」
「へえ……あ、いえ、あの……」
口軽刑事はあやめを見つめ直し、あらためて問いかけた。
「なんでっか」
「いっぺんだけ、板場を離れて座敷に上がりました」
「ほう、それはどういう……」
「へえ、お客はんに座敷に呼ばれまして」
「ほう、お客はんはどなたでしたかいな」
あやめは口軽刑事を見返し、答えた。
「あの、刑事はん。先ほどうちを連れに来はりましたやろ、東山のマンションに。あこ(あそこ)にお住いの、宝田の明子はんどす」
「ははあ、あの威勢のよろしいお方でんな」
「へ、へえ。ゆんべは伯父さまの宝田の旦さんとご一緒に、『花よ志』にお越しいただきました」
「ほな、伯父・姪で『花よ志』はんに上がらはった(お上がりになった)と。ほんであんさんの料理が美味かったんで、あんさんを座敷に呼ばはったと、こういうことでんな」
「へえ、お褒め頂きました」
「はあ、ほれは大したもんどすなあ。座敷に呼ばれるっちゅうのは、料理人には名誉なことやと聞いとりまっけど。あんさん、ようあるんでっか」
「え、いえ、そんな……」
「まあ、よろしやないですか。ほんまにあんさん、大したお方でんなあ」
口軽刑事は、心底感心したような声を上げた。
「と、とんでもおへん(とんでもない)」
「あ、ほれで今日、宝田はんとご一緒やったわけですかいな」
「へえ……ゆんべ(昨夜)の礼や言(ゆ)わはって」
「ははあ、なるほどねえ」
口軽刑事は、あらためてしげしげとあやめを見つめた。
「ほんで、ゆんべはその後……」
「へえ、ほの後、またずっと板場で」
「ということは、お仲間の板場はんもご一緒でしたか」
「へえ。まあ、ずっと所在を確認しとったわけやおへんけど」
「はは、ほらほうどすやろなあ。で、板場上がらはったんは、ゆんべの何時ごろですやろ」
「さあ、片付けまでみんな終わったんは……10時か、11時になっとりましたか……すんまへん。よう覚えてまへん」
口軽刑事は、自分の顔の前で手を左右に振った。
「いやいや。それはしょうおへん。で、あんさんが上がらはるとき、まだ板場に残っとったお方は、いてはりますやろか」
「いえ、うちは最後で……も一人の追い回し、幸介が一緒どした。二人で掃除して、火元の確認して、灯り消して……他の兄さん方は先に引き上げはってました」
「幸介……ああ、あの若い衆でんな。『も一人』て……追い回しはんは他にどなたでっかいな」
「へえ、うちどす」
「へ!? 追い回して、あんさん。そんだけの腕お持ちで、追い回しなんでっか」
口軽刑事は、心底驚いたようである。
「へえ、まあ……板場では年功序列いうとこもおまっさかい」
「年功って……あんさん、こちらではどのくらいでんねん」
「へえ、まだ1年にもなりまへん」
「あ、はあはあ、さっき車ん中で言(ゆ)うてはりましたなあ」
口軽刑事は、若い刑事にちら、と目をやった。
近寄ってきた若い刑事の耳元に口を寄せ、何事か囁く。若い刑事はうなずき、そそくさと座敷を出ていった。
口軽刑事は改めてあやめに声を掛けた。
「しやけどあんさん。1年足らずでその腕いうことは、以前にどこやら別の店にお勤めやったんちゃいまんのか。あ、『花よ志』はんの前は学生やった言うてはりましたなあ」
「そうどす。ほんで、学生の前は鞍馬の『かわふ路』云う店で働いとりました。うちの実家どす」
口軽刑事は、慌てて手帳を開きボールペンを掴んだ。
「ちょ、ちょっと待っとくれやっしゃ。えーと、鞍馬の『かわふじ』はん……どないな字ぃでっしゃろ」
「ひらがなどす。最後の『じ』だけ漢字で……『みち』、『路ぉ地』の『ろ』、警察のお方どすさかい……『道路』の『路側帯』の『ろ』、言(ゆ)うたら、おわかりやすいどすやろか」
「ははあ、なるほど。ほしたら(それなら)こうでんな」
口軽刑事は手帳に書きつけた後、あやめの前にかざした。「かわふ路」と間違いなく書いてある。
「へえ、そうどす」
「すんまへんなあ。どうも料亭や旅館さんの屋号云うのんは、耳で聞いただけでは……」
「そらそうどすなあ。うちらもそない思います」
若い刑事が座敷に戻ってきた。口軽刑事に耳打ちをし、相手がうなずくのを確認したうえで元の席に座り、手帳を開いた。
口軽刑事は座り直し、あらためてあやめに問いかけた。
「ほれで、ゆんべ(昨夜)はほれでお休みになった……」
「へえ、ざっと風呂を使いまして、休みました」
「で、今朝は」
「へえ、起きたんは7時ころ、いつも通りどす。着替えて、顏洗(あろ)て、板場に下りて、朝飯(あさはん)食べて……」
「朝のお食事は、どないしてはるんですか」
「へえ。昼と夜は賄いをいただきますけんど、朝はうちだけどすさかい、適当にそこらのもんで……」
「他のお方はどないしてはるんですか、朝飯(あさめし)」
「へえ、うち以外のお方は皆さん通いですのんで、ご自宅か、そこらで召し上がってはります」
口軽刑事は、あやめを見つめ直した。
「ほんででんな、今朝、板場の皆さんが出勤しはったんは何時ごろでしたやろ」
「さあ……幸介が一番早かったんは確かで、えーっと8時過ぎ……半にはなってなかった思います」
「はあ」
「ほんでほの後、田辺の兄さんや、平野の兄さんがぽつぽつ来はって、関目の兄さんがいっちゃん後で……10時ころでしたやろか」
「ちょ、ちょっと待っとくんなはれ。出勤時間っちゅうのは決まってまへんのかいな」
「へえ、仲居さんらは決まっとるようですけんど、板場は特に。その日の昼の献立に合わせて、それぞれが段取り組みますんで。そのあたりは前の晩、上がる前にざっと打ち合わせします」
「はあー、なあるほど」
口軽刑事は納得したようにうなずいた。
コメント一覧
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1. ハーレクイン- 2015/01/06 09:07
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あやめへの事情聴取が始まりました。
普通なら署の取調室で行うのでしょうが、場所は「花よ志」の一室です。何か意味があるのでしょうか。
なあに、単に作者がめんどくさがりだからですね。
で、お決まりの「どこで何をしていた」から質問が始まりました。作者にとってはゆんべ(昨夜)からの筋立てをなぞるだけですから、ラクチンです。
それにしても、発見された遺体の死亡推定時刻はいつ頃なのでしょう。これがわかっていた方が取り調べはやりやすいと思いますが、残念ながら鑑識の検査待ちです。
ま、長年の経験から、警察にはおよその見当はついているのでしょうが、残念ながら、作者はまだ決めとらんのですね。困ったものです。
ひっそりと静まり返る「花よ志」の店内。今日はもちろん臨時休業です。従業員は全員、固唾を飲んで事件の行く立てを見守っているようです。
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2. Mikiko- 2015/01/06 19:53
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当然だと思います。
署の取調室に連れて行かれるのは、『任意同行』ということになります。
『任意同行』を要請されるのは、すなわち“被疑者”です。
『花よ志』で話を聞いて怪しいと思われたら、『任意同行』ということになるのでしょうね。
ただし、あくまで“任意”ですので、断ることも出来ます。
カツ丼は、どの段階で食べられるのでしょう?
自白してから?
臨時休業。
予約客には、どういう理由で断ったんでしょう。
死体が出たとは言えませんわな。
ガス台が故障したとかでしょうか?
予約客に連絡が取れなかったら、どうするんでしょうね。
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3. ハーレクイン- 2015/01/06 20:33
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京都では、噂というのはあっという間に広まります。
「花よ志」の志摩子女将も↓言うとります。
「なに言うてんねん。噂云うのんはこういうとっから広がるんや。いや、噂を流すやつがおるんや」(『アイリス』#70)
ほれに、「花よ志」の玄関前には「KEEP OUT 立入禁止」の黄色いテープ。それを守るかのように立つ制服警官。居並ぶパトカー……。
「なんぞあったみたいやで、『花よ志』はん」。あっちゅう間ですわ、噂。
「殺しらしいで」。喋りまくるやつの二人や三人、どこにでもおりま。「花よ志」にも。
予約客に連絡しますわな。
「すんまへんが今日、臨時にお休みいただくことに……」
帰ってくる返事は、
「へえへえ、承知しとりま。えらいことでんなあ、『花よ志』はん」。
「皆まで言うな、委細承知」。こうですわ、京都っちゅうとこは。
ま、手間・面倒が不要という、ある意味こういう時は有難いとも云えま。
任意同行はあくまで「任意」だから断ってもよい。
ま、理屈はそうですが、断った瞬間からそれこそ被疑者確定です。「痛くもない腹を探られる」というやつですね。
「わし、カツ丼あきまへんねん。親子にしとくれやす」
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4. Mikiko- 2015/01/07 07:40
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黄色いテープが張られたとなれば、報道もされてるでしょうからね。
「花よ志」の玄関前には、レポーターも集まってることでしょう。
取調室のカツ丼。
実際には、取調室で食事が供されることは無いようです。
丼を投げつけたりして、逃走を図る輩もいるからですね。
カツ丼の丼が割れれば、立派な凶器になりますし。
食事は、留置場内で弁当が出されるそうです。
つまり、任意同行では、食事は出ないということでしょう。
カツ丼は、すぐに食べなくても、蕎麦のように伸びたりせず、冷めても食べられることから……。
自白を促すシーンに、ドラマで使われるようになったのではないでしょうか。
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5. ハーレクイン- 2015/01/07 10:42
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ということで、任意同行では食事は出ない、と。
ふむ。
ま、任意同行では、そんなに長時間の拘束もできないでしょうからね。出るのはお茶くらいかな。
以前に書きましたが、わたしは任意同行されたことがあります。全くの濡れ衣だったんですがね。
本庁ではなく所轄でした。確か、お茶すら出なかったように思います。それどころか、目撃者と称する人物の面通しまでありました。全く、人生何がおこるかわかりません。いい経験をしたともいえますが。
ま、いずれにしても「取り調べにカツ丼」は決まりごとのようなものですが、テレビドラマなどでカツ丼を見たことはありません。











![[官能小説] 熟女の園](https://livedoor.blogimg.jp/mikikosroom2008/imgs/3/e/3e07a9c3.gif)





































































































