2014.5.20(火)
難しいことはない。まず、尾びれの付け根を指で摘まみ、アユの体軸に直交する方向に軽く捩じる。次いで頭と胴の境目を箸で抑え、もう片方の手で頭を摘まんで軽く引く。これで、頭に続いて、中骨がそっくり抜けてくる。
あやめは、向かいの明子の手元を見詰めた。明子のアユも、あっさり骨抜きが出来ていた。
二人は思わず見つめ合い、微笑みを交わした。
「おしぼり、どうぞ」
年配の仲居が、明子とあやめに手拭き用のおしぼりを渡した。
「おおきに」
「おおきに、ありがとさんどす」
あやめは、おしぼりで指を拭ってから、骨抜きを終えたアユの身を、箸で大きく前後に切り分けた。骨抜きの段階で、二つになるように抜く方法もあるのだが……。
あやめは、アユの身をさらに背の部分と腹の部分に切り分け、まず、背を口にした。香り高いアユの味が口いっぱいに広がる。まさに「香魚」であった。
「うーん、たまらんねえ、あやめさん」
「ほんまですねえ。どうぞ、明子はん」
あやめは、明子に酒を注いだ。
「ううーん。アユに燗酒、もう堪らへんね」
「そうですなあ」
「あ、ごめん、あやめさん。うちばっかし飲んで。もう、このアユの香り嗅ぐと堪らんでなあ」
明子があやめに酌をした。
「そんな、とんでもおへん」
言いつつ、あやめもアユの香りとともに酒を飲む。
「明子はん」
「なあに、あやめさん」
「何やうち、泣けてきそうです」
「ほんまやねえ。なんでこないに美味しいんやろねえ、アユ」
あやめは、次いでアユの腹身を口に入れた。ほろ苦い、それでいて豊かなワタの味が広がる。
明子とあやめは、もう言葉が出ない。アユの身と酒を交互に口に含み、籐籠の中身を平らげていった。
「アユの潤香(うるか)でございます」
柳葉皿の脇に、若い仲居が小鉢を置いた。
アユの塩辛である。柚子の皮のみじん切りが散らしてある。
塩辛は、魚介類の身や内臓を塩漬けにした、一種の発酵食品である。
アユの場合、内臓で作る「苦うるか」が最も有名で好まれるが、卵巣を用いる「子うるか」、精巣でつくる「白うるか」などもある。
あやめは、「うるか」を一切れ箸でつまみ、口に入れた。
先ほど味わったアユの身のワタの味を、何倍にも濃縮した苦味と旨味が口内に広がる。塩加減も絶妙であった。
「苦うるか」である。
あやめは「うるか」を味わいながら考えた。
(醤油と味醂が、隠し味か)
あやめと明子は、しばらく言葉を交わさず、先ほどのアユの塩焼きの余韻を楽しむように、今度はゆったりと「うるか」と酒を味わった。
「うるか」の小鉢が空になる。
そのタイミングを見計らったように、若い仲居が座敷に入って来た。
二人の前に皿を並べる。
「八寸でございます」
八寸は、各種小鉢物を数種類、一つの皿に盛り合わせたもので、京料理で最も華やかな一品である。かつては、縦横がそれぞれ八寸(およそ24㎝)の皿を用いたのでこの名があるが、今は様々な皿を用いる。
「うわああ、きれえい」
明子が再び歓声を上げた。
八寸は、海のものと山のものをバランスよく盛るのが原則である。皿の上には……。
ウナギの八幡巻き、イワシの手鞠寿司、イイダコのマリネ、マナガツオの幽庵焼き。
ウルイとタケノコの酒粕和え、カモロース、ソラマメのバター焼き、厚焼き玉子。
そして、ホオズキトマトにメロン。
これだけの種類であるから、一つ一つの料理は少量である。いずれにしても、目もくらむような色とりどりの料理群だった。
八寸は盛り付けも重要である。適当に盛ればいいというものではない。各料理の色合い、形などを勘案し、どこまでも華やかな一皿になるように心を配らねばならない。したがって、各料理を盛る小鉢の形も重要である。
華やかに皿を彩る料理群の中央に、淡紫色の花を十数個着けた植物が飾られていた。釣鐘型の花々は、茎から軽く下を向いて垂れ下がっている。
「あやめさん、この花なんやろねえ」
「大葉擬宝珠(オオバギボウシ)です。野草の一種で、この若葉を『ウルイ』云います。このお料理ですね」
あやめは「ウルイとタケノコの酒粕和え」を指さした。
「擬宝珠(ぎぼし)って……あの、橋の欄干の?」
「そうどす。この花が蕾の時の形が擬宝珠に似ている、ということでこう呼ぶそうです」
「へええー」
年配の仲居が声を掛けた。
「んまあ、さすがによくご存知で」
「ほんまやねえ。あやめさんって、植物にも詳しいんやねえ」
「とんでもおへん。食べられるもんだけどす」
明子が噴き出した。
あやめと仲居も賑やかな笑い声をあげた。
「すみません。お酒お願いします」
「酒、へえ、かしこまりました」
八寸を運んできて、しばらく座敷に待機していた若い仲居が立ちあがった。盆を抱えて座敷を出る。
いくらも経たずに戻ってきた。盆の上には二本の銚子が乗っている。
あやめと明子の前、八寸の皿の右脇にそれぞれ銚子を置く。年配の仲居が明子に、若い仲居があやめに酌をした。
「どうぞ」
「おおきに」
「おおきに、ありがとさんどす」
明子は杯を掲げ、あやめを正面から見た。
「さあ、あやめさん。あらためて乾杯や」
「何に乾杯しましょう」
「せやなあ。『初めての……』は、もうやったし。ほなら『美しい八寸に』。これでどない?」
「あ、よろしいねえ」
「ほなら『美しい八寸に』」
「『美しい八寸に』」
「かんぱあい。
二人の仲居は、楽しそうなあやめと明子に侍りながら、にこやかに笑っている。
コメント一覧
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1. ハーレクイン- 2014/05/20 11:31
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日本料理には……西洋のコース料理の「メインディッシュ」に相当するものは特にありませんが、敢えて言えばこの「八寸」が該当するでしょうか。
美しく華やかな料理群です。
飲めないお方はほんとに気の毒だ、と思うくらい酒が欠かせません。あやめと明子の酒宴は皿に、あ、更に盛りあがります。
ただ……少し多すぎましたね。トマトとメロンも加えると10種類。普通は5、6、多くても8種類くらいでしょうか。ま、お話ですからお許しいただきましょう。
各料理を小鉢に載せましたが、八寸皿に直に載せる場合も多いようです。
すみません。
八寸は「はっすん」どす。
念の為(ほんなことはわかっとるわい!)。
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2. Mikiko- 2014/05/20 19:42
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初耳でした。
新潟では使わないのか……。
あるいはわたしが、そういう世界と無縁なせいか。
↓さまざまな盛りつけ方があるようです。
https://www.google.com/search?q=%E5%85%AB%E5%AF%B8&hl=ja&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=mL96U5m2I4P98QXCgoFg&ved=0CDEQsAQ&biw=1024&bih=729
料理人の、腕と美意識の見せどころなんでしょうね。
骨抜きは、したことおません。
魚に触りたくないので。
あくまで、箸だけを使って、解剖を進めます。
しかし……。
昼間っからこないに飲んだら、そうとう回りまっせ。
帰りはタクシーでしょうな。
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3. ハーレクイン- 2014/05/20 20:19
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八寸。
その通りですね。
>触りたくない
>解剖
って……。
で、改めてつくづく思うのですが、いつからグルメ小説になったのでしょうか『アイリス』。
当初は、全くそんなつもりはありませんでした。
しかし……今更、後戻りもできません。このまま突っ走るしかないのでしょう。
どこへ行く! 『アイリス』
ひょっとして……刺身は苦手ですか、Miさん。
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4. Mikiko- 2014/05/21 04:33
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寝てしまった。
肌寒かったので、熱燗にしたのが効いたかな。
今日明日は、休肝日。
外は雨。
何の楽しみもない1日ですが、週末には旅行が待ってる。
淡々と過ごしていきましょう。
生魚は苦手だと、以前から書いてるではないか。
新潟に住みながら、もったいないことだと思います。
話はまったく変わりますが……。
ハーレクインさんは、英語は得意ですか?
喋れなくてもいいのですが、英作文が出来ますか?
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5. ハーレクイン- 2014/05/21 06:26
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旅行や言うてはったなあ。
それはお楽しみ。
旅行ルポ、楽しみにしています。
喧嘩、売っとんのか。
わたしは、英語が出来んでどんだけ苦労したか。
わたしの英語は中1レベルです。
This is a pen.
I am a boy.
My name is Harlequin.
他を当たったとくんなはれ。
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6. Mikiko- 2014/05/21 07:45
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やみげんさんから、『おもいで Refrain』の英訳が出来る人がいないかと聞かれたのです。
ま、期待してませんでしたので、大丈夫です。
旅行は、楽しむことを第一にさせていただきます。
ルポは、3行くらいかも。
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7. ハーレクイン- 2014/05/21 09:44
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そないに遠慮しはらんと、どどーんと30枚くらいいきましょうや。
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8. Mikiko- 2014/05/21 19:34
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写真で水増しすれば、1回分くらいにはなるじゃろ。
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9. ハーレクイン- 2014/05/21 20:30
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いつ行くんだっけ?
土・日か?
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10. Mikiko- 2014/05/22 07:28
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金・土です。
土日に行ったら、混むし、疲れが取れないではないか。
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11. ハーレクイン- 2014/05/22 09:44
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金曜は有給休暇か。
有給をきちんと消化するのも大事なことだ。私には全く無縁の世界だが。
ま、楽しんできなはれ。
新潟も、今頃はいい気候だろ。











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