2014.2.18(火)
その夜、いや夜中。あやめが自室に戻ると久美が飛びついてきた。
「あやめっ、あやめ、あやめえ」
「ど、どないしたん、久美」
「聞いたで、えらいお手柄やったそやないの。あの気難しい宝田のおっさんが、唸るしかでけなんだ、て」
「ほないなこと、誰から聞いたん」
「お道さんが喋りまくっとるわ。もう店中の人間が知っとる。よかったなあ、ほんまよかった、あやめぇ」
久美は涙ぐんでいた。いや、本当に泣きだした。泣きながらあやめに縋りつく。
「ふえええーん、ええーん。あやめ、あやめぇ。よかったね、よかったねえ」
手放しで泣く久美をあやすように抱きしめながら、先日、久美は信用できるのだろうか、などと考えた自分をあやめは恥じた。
少なくとも一人、この店にはわたしの味方がいる。それは宝田に褒められるより、誰に褒められるより、あやめには無上の喜びだった。
あやめと久美は、縺れあうように布団に倒れ込んだ。
「おう、お志摩。なに考えてんねん、おまはん」
「なにて源ちゃん。なんのこと?」
「きまっとろうが、あのど新入りや」
「なんやのん、あやめが宝田はんの目にとまったんが、そないに気にいらんのかいな」
志摩子の自室である。
源蔵と志摩子は、布団の上に座り込み、据えた箱膳を挟んで、盃をやり取りしていた。
時折唇を交わす。口移しで酒を飲ませ合う。志摩子は襦袢一枚。それもしどけなく着乱れていた。
「ふん、そないなことやないわい。そもそもあやめをこの店に入れたんは、あいつを潰すゆう話やったやないかい。忘れたんか」
「ほうや、ほのとおりや」
「ほななんで、あいつを持ち上げるような真似すんねん」
「しゃあないやないの。まさか宝田はんがあやめと知り合いやったとはなあ。ほれで宝田はんの御所望や、あやめになんぞ作らせ、てな。断れるわけおへんがな」
源蔵は膳の上の徳利を取り上げ、口飲みで酒を流し込んだ。
「知らんで、儂、もう」
「まあ、源ちゃん。ものは考えようや。潰すのはいつでも潰せる。せっかくこないなったんや。しばらく儲けさせてもらおやないの。言うたらなんやけど、あの子は間違いのう客を呼べる。見たやろあんたも、あのタコの刺身」
「ふん」
「おーや、源ちゃん。立板の源蔵はん。どないでんねん、ご感想は」
「ええい、やかましわ」
源蔵は、突き飛ばすように志摩子を押し倒した。覆い被さる。志摩子の両足首を掴み、釣り上げるように開かせる。志摩子の陰部が剥き出しになった。
「ひえっ」
源蔵は、志摩子の股間にむしゃぶりついた。食い切るような激しさで舐め、吸い立てる。
「ひいいいいっ。源ちゃあん」
翌日から、あやめの生活は一変した。
追い回し、という板場の立場に変わりはないのだが、洗い物や食材の下ごしらえなどの作業はなくなった。いや、とてもそんなことをやっている暇はなくなった。
夜どころか、昼間から旦那衆が「花よ志」に押しかけ、何でもええから一品、とあやめの料理を所望するのだ。宝田の宣伝もあるのだろう。昔、あやめの料理目当てに鞍馬に通った旦那連中はもちろん、そこから広がった噂が噂を呼び、祇園の「花よ志」は、まさにおすな押すなの大盛況になっていた。
夜は夜で大変だった。
通常の料理はもちろん出さねばならない。これが今までの倍以上の人数なのだ。「花よ志」の板場は、まさに戦場になった。
さすがの源蔵も、あやめにも手伝わせるしかなかった。そのうえ、別注で「あやめになんぞ一品」という注文が絶えないのだ。
あやめの包丁は、一日中休む間もなく動き続けた。光りを照り返して食材を切り、刻み、剥き……。
それはあたかも、これまでの
「兄さん、もう、これ以上無理でっせ」
ある日の昼過ぎ、焼方の良雄が悲鳴を上げた。
「なんでもええからも一人、板場に入れてくだはいな」
「わかっとる! ぐじゃぐじゃ言うな!!」
源蔵もいらだっていた。
あやめは、注文のあった一品を作っていた。昼のさなかだった。
もやしの、頭と根を手で落としていく。
「おーや、あやめちゃん。もやしでっかいな。大丈夫でっか、そんなしょうもない……。言うたら、あやめちゃんに叱られるなあ。食材にええも悪いもないんや、かな」
「はは、そんな、平野兄さん」
もやしの軸を軽くゆでる。頭と根を鍋に入れ煮込む。もやしの頭からは、いい出汁が取れるのだ。
出来た出汁にもやしの軸を漬けこむ。味を染ませる。
あやめはもやしを取出し、十数本を重ねて海苔で巻く。さらに牛肉の薄切りで巻く。
もやしの牛肉巻きを出汁で煮る。
取り出したあやめは数センチの長さに切り分け、器に並べて出汁を張る。
「すんまへん、お道姐さん。これ、お願いします」
「おいきた。相変わらず見事やねえ、あやめ」
「あやめ姐さん!」
「幸ちゃん! 幸介ちゃんやないの。どないしたん」
あやめの実家、鞍馬の「かわふ路」に勤めていた幸介だった。
「へえ、こちら『花よ志』はんに移れ、て、言われまして」
「ふうーん。で、あんたの代わりはどないしたん」
「へえ、それが……ようわかりまへんねん」
源蔵が一喝した。
「こら、ど新入り。さっさと洗い物にかかれ。板場の状況見りゃわかるやろ。のんびりしとる暇なんぞないぞ!」
「へえ!!」
幸介は、はじかれたように洗い場に移動した。
あやめも自分の作業に取り掛かかった。
コメント一覧
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1. ハーレクイン- 2014/02/18 15:45
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いいねえ、あやめはん。
この世に味方なんて、あんまりおりまへんからなあ。
で、悪だくみを交わす源蔵・志摩子コンビ。
うーむ。
何、考えてるんでしょうか。
「源ちゃん」「志摩子」コンビ。
ま、それはともかく、昇竜の勢いのあやめはん。
「もやしの牛肉巻き」
美味そうでんなあ。
で、何、幸介くんが「花よ志」にい!?。
どないしまんねん、鞍馬の「かわふ路」はんは……。
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2. Mikiko- 2014/02/18 20:04
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魅力は、何と言っても、安いことでしょう。
いつだったか、スーパーで、1袋6円で売ってました。
「6円って!」。
思わず、心の中で突っこんでしまいました。
買いませんでしたけど。
元々、あんまり好きな食材ではありません。
おひたしやなんかは、特に苦手ですが……。
ラーメンとかに入ってると、美味しく感じることもあります。
歯ざわりでしょうかね。
母はよく、牛肉と白菜を何層にも重ねて煮た料理を出しますが……。
正直、あまり好物ではありません。
もやしの牛肉巻き。
↓こんな料理でしょうか?
http://www.kyounoryouri.jp/recipe/19289_%E3%82%82%E3%82%84%E3%81%97%E3%81%AE%E7%89%9B%E8%82%89%E5%B7%BB%E3%81%8D.html
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3. ハーレクイン- 2014/02/18 21:09
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イメージ通りですなあ、もやしの牛肉巻き。
味付けはどうなんでしょうなあ。
塩少々に黒胡椒やそうですが……。
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4. Mikiko- 2014/02/19 07:50
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あれ、「きょうの料理」でっせ。
料亭で出まっか?
図書館から、レシピ集を借りて来たら如何?
味や見た目のリアリティが増すんじゃないかしらん。
実際に作ってみて、その画像も載せられると最高なんですけど。
ま、それはおいおいの楽しみとして……。
あやめさんの活躍、期待しております。
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5. ハーレクイン- 2014/02/19 17:11
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「今日の料理」「今日の料理ビギナーズ」「上沼恵美子のおしゃべりクッキング」などです。
NHKの「サラメシ(サラリーマンの昼食を紹介する番組)」や、MBSの「ぶらンチ」も面白いですね。
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6. Mikiko- 2014/02/19 19:35
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「ビギナーズ」や「おしゃべりクッキング」でいいのか?
↓こういうのをネタ本にすべきではないか?
http://www.amazon.co.jp/%E6%B0%B8%E4%B9%85%E4%BF%9D%E5%AD%98%E3%83%AC%E3%82%B7%E3%83%94-%E4%B8%80%E6%B5%81%E6%96%99%E7%90%86%E9%95%B7%E3%81%AE-%E5%92%8C%E9%A3%9F%E5%AE%9D%E5%85%B8-%E2%80%95%E7%A7%81%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%B8300%E3%83%AC%E3%82%B7%E3%83%94%E3%81%AE%E8%B4%88%E3%82%8A%E7%89%A9-%E5%88%A5%E5%86%8A%E5%AE%B6%E5%BA%AD%E7%94%BB%E5%A0%B1/dp/4418081135/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1392798908&sr=1-1&keywords=%E6%96%99%E4%BA%AD%E6%96%99%E7%90%86
【内容紹介】
読者の「ちゃんと作りたい」にこたえた、正統派和食レシピ集。
一流の料理人が手ほどきする定番レシピから、実際に料理店で出されているお宝レシピまで300点以上収録!
「和食」に自信が持てたらいいな・・・そろそろちゃんと、日本料理の気分。
野崎洋光、村田吉弘、川原渉、後藤紘一良ほか料理教室でも大人気の料理長が、そんな私たちに日本料理のコツを直伝!
おもてなし和食も、普段の和食も、どちらも本書におまかせです。
【 目次 】
● お造り : まぐろ・いか、鰹のたたき、〆さば・・・
● あえもの : 白あえ、ぬた、木の芽あえ、うざく・・・
● 酒肴 : かきのもろみ漬け、あん肝しょうが煮、かにの共あえ・・・
● ごちそう椀 : えびしんじょう椀、鯛の焼き潮椀、あじのつみれ椀、松茸土瓶蒸し・・・
● 煮もの : ぶり大根、豚の角煮、さんまの有馬煮、若竹煮・・・
● 焼きもの : さわたの西京焼き、ぶりの黒酢煮、だし巻き卵・・・
● 揚げもの : てんぷら、竜田揚げ、揚げ出し豆腐・・・
● 蒸しもの : 茶碗蒸し、かぶら蒸し、たらちり・・・
● ご飯もの : たけのこご飯、いかめし、鯛茶、ちらし・・・
● 汁もの : 赤だし、豚汁、粕汁、お吸いもの・・・
● 甘味 : ぜんざい、水ようかん、豆乳プリン、どら焼き、かりかり梅・・・
【 指導いただく先生 】
● 野崎 洋光(分とく山)
● 村田 吉弘(菊乃井 赤坂店)
● 川原 渉(霞町三○一ノ一)
● 後藤 紘一良(懐石 龍雲庵)
● 小山 裕久(古今 青柳)
● 福田 浩(なべ家)
● 高橋 正光(そばや)
● 石川 英二
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7. ハーレクイン- 2014/02/19 21:35
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「さわたの西京焼」は「さわら(鰆)」だろうな。
「分とく山」は知ってる。野崎洋光氏は知らぬ。