2014.2.4(火)
「おう、女将。聞いたで」
祇園きっての呉服商「宝月」の主、宝田晋(すすむ)は盃を片手に、座敷に侍る「花よ志」の女将、志摩子に声を掛けた。
「なんでっか、旦さん」
「とぼけるんやないわ。あの、鞍馬の、女子高生料理人。今この店におるそやないか。なんで披露せんのや」
「はあ、確かにおりまっけど、まだ追い回しでんがな旦さん。披露もなんも……」
「追い回しぃ!? アホなこと言いな。あんだけの腕の料理人、なんちゅうもったいない事すんねん」
「旦さん。何年前の話しておいやすな。鞍馬におった頃はいざ知らず、その後何年も板場を離れてた子ぉでっせ。一からやり直しでんがな」
「板場離れてたて、何しとったんや」
「学生やと聞いとりま」
「学生? 大学生かい!?」
「へえ」
「ほれで卒業して、今また板場かい!?」
「へえ」
「おもろい! ほら、おもろい! 女将! なんで使わんのや、もったいないやないか、追い回しなんぞ」
「ほない言わはっても、旦さん」
「ええい。ほれやったら、儂が見たる。腕、見たるわ。作らせ。なんぞ作らせ。なんでもええわ」
宝田晋(すすむ)は、駄々っ子のように志摩子に命じた。
志摩子は、腹を決めた。手を叩いて、仲居頭のお道を呼ぶ。
「お道」
「へえ」
「板場へ行(い)てな。あやめになんぞ一品作らせ。刺身でも碗物でも、何でもええわ」
「へ!? あやめにでっか。おかみはん」
「そない言うとるやろが。さっさとせえ!」
「へ! へえ!!」
お道は、あたふたと座敷を出て行った。
志摩子は、宝田に酌をしながら問いかける。
「ほれにしても旦さん。どっからあやめのこと、聞かはりましたん?」
「どっからもこっからも、今、祇園界隈の旦那衆の間では評判やがな。伝説の女子高生料理人、今、祇園にあり、てな」
「はあーぁ、ほないでっかいな」
志摩子は思案した。
先のことはともかく、こうなれば、今が今あやめを押えるのは難しかろう。
なら……。とりあえずこれで一儲けさせてもらおか。
「板はん! 源蔵はん!」
お道は、板場の端に立って、立板の源蔵を呼んだ。
「なんや、お道はん」
「あやめ、あやめになんぞ一品作らせとくんなはれ」
「なんじゃ、それ?」
「いやあ、うちもようわからんねやけど、お客はんの要望らしいわ。ほんで、女将さんがそないせえ、言わはって」
「ふん。わかった」
「頼んます。急がせとくんなはれ。ここで待ってますよって」
京都祇園の料亭「花よ志」。立板の関目源蔵は、板場内に声を張り上げた。
「おう、ど新入り! どこじゃい」
あやめは洗い物の手を止め、即座に返答した。
「へえ、兄さん。ここどす」
源蔵は、あやめに一瞥を与えた後、命じた。
「なんでもええ、今すぐなんぞ一品つくれ。材料は、今あるもん、何、使(つこ)てもええ。急げよ」
「へ、へえ!」
板場に緊張感が走った。
碗方の銀二の目があやめを捉える。が、何も言わない。
焼方の良雄は、あやめに声を掛けた。
「ひええええ。いよいよ出番でんなあ、あやめちゃん。でや、何作んねん。手伝(てった)うで」
源蔵が一喝した。
「かまうな! 良雄!!」
「へっ」
あやめは、いきなりの事態に戸惑いながらも、身体と心は、料理人としての臨戦態勢に入った。何を躊躇うこともない。これまでの待機時間が長すぎたのだ。
板場に今あるすべての食材は頭に入っている。時間は掛けられない。瞬時にあやめは判断した。
冷蔵庫を開ける。中段の隅に、使い残しの蛸の足がある。取り出す。
良雄が思わず声を上げた。
「えー、タコって、あやめちゃん。もっとええもん、なんぼでもあるやん」
焼方・平野良雄は、悲鳴のような声を上げた。
源蔵が一喝する。
「かまうな言うとるやろ! 良雄!!」
「へえっ」
タコの足を取り上げたあやめは、愛用の刺身包丁を手にした。ここ半年、砥石に触れるほか、なんの食材に接することもなかった包丁は、まるで自ら意思を持つかのように光を照り返した。
あやめは、左手に持ったタコの足を、右手の包丁で捌いていく。単に切るのではない。剥き、回し、削り、開き、刻み……。ほんの数分後には、タコは蛸には見えなくなっていた。
「お道さん、ほなこれ、お願いします」
仲居頭のお道は、もちろん自ら調理することはない。だが、長年料理を運んできた経験から、その一品の見事さに打たれた。体が動かない。
(これは……刺身のようやけど、いったい……)
お道には、その食材の見当がつかなかった。まじまじと盆の上の料理に見入る。
(これ……何やろ)
「何してまんねん、お道はん。急いでんのんちゃいまんのか」
叱咤する源蔵の言葉に、お道は弾かれたように動いた。
「あ、ほ、ほな。持(も)て行きますわ」
盆の上にあやめの一品を乗せ、あたふたとお道は板場を遠ざかっていった。
コメント一覧
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1. ハーレクイン- 2014/02/04 10:39
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小ネズミ、平野良雄でなくても、思わず声を掛けたくなります。
「待ってました、あやめ姐さん!」というところでしょうか。
それにしても、あやめさんの高校生の頃の料理は、祇園の食通旦那を唸らせるほどのものだったんですねえ。つくづく凄いお方です、あやめさん。
しかし心配なのは、志摩子女将の言うように、長年板場を離れていたあやめさんの現在の腕。鞍馬の「かわふ路」の新米、幸介君はえらく感心してくれましたがさあ、なんかうるさそうな食通旦那、宝田のおっさんを感心させることができるでしょうか。気の揉めるところではあります。
今回のあやめさんの料理「タコの足の刺身」です。これだけ聞けば“なんやしょうもない”、というところですが、とんでもない。ただ切っただけではないのですね。御説明しづらいのですがまあ“タコの足の桂剥き”とでも申しましょうか。いやいや、そんなものでもありません。なんせあやめさんの柳葉(刺身)包丁は、タコの足を「剥き、回し、削り、開き、刻」んでいくわけですから……。で、タコはついにタコとはわからなくなる、と。
ま、これは少しおおげさですがね。
白状しちゃいましょう。この料理、もちろんわたしの創作ではありません。テレビの料理番組で見たんです。
で、今回分を書くに当たり、もう一度見ておこうと思って探しました。わたしは録画した映像は「料理」とか「鉄道」とか「映画」とか、内容別のファイルに分けて整理してあります。ですから、間違ってゴミ箱に放り込んだということは、まあありえない。ところが、いくら探しても件の番組が見つからない。
ええい、またかい。
よくあるんですよ、近ごろ。いつの間にか保存しておいた映像が消えている。どないなってんねん、です。
ま、タコ料理は印象が強かったので、何とか記憶を基に書くことが出来ましたが……。もう少し丁寧に書きたかったなあ。
それはともかく、次回は、妙な言い方ですが「あやめvs.宝田の料理対決」。軍配はどちらに。
乞う、ご期待!
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2. Mikiko- 2014/02/04 19:41
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俄然、面白くなりましたね。
『包丁人味平』の絵が浮かぶようです。
いっそ、エロシーンなんて無しにしたら?
この調子で書いてけば、原稿の買い手が現れるかも知れませんよ。
『女包丁人あやめ』。
いいじゃないですか。
京都取材、楽しみですね。
お酒ばっかり飲んでないで、ちゃんと料理も研究して来てください。
↓生ダコの皮の剥き方がありました。
http://temaeitamae.2-d.jp/top/t5/f/handled.octopus-3.html
わたしには、ぜったいに出来ません。
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3. ハーレクイン- 2014/02/04 21:28
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いやー、お褒め頂きありがとうございます。
めったに褒めてもらえんもんなー。
わたしも書いていて、あやめさんの包丁に同調するように筆が進みました。料理って、楽しいですね。
でもこれは、これまで虐げられてきたあやめさんの苦闘の、反動なのかもしれません。揺り戻しが来ないことを祈るばかりです。
エロシーン無し。
んなら、金沢編を含め、これまでの多くのシーンを切り捨てることになります。それはでけんよ。
物語には必ず影と光、陰と陽、裏と表があります。楽しいばかりの物語なんて、退屈なだけだろ。
それに、『匣』を開けにゃならんのだし。
タコの皮の剥き方画像。
わたしは、イボは使いたくないなあ。
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4. Mikiko- 2014/02/05 07:56
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退屈なわけおへん。
あやめさんの活躍、楽しみにしてます。
↓イボが楽しい、こんなお寿司がありました。
http://blog-imgs-62.fc2.com/m/i/k/mikikosroom/201402050636032bc.jpg
↓蛸で有名な明石にあるお店です。
http://www.kobekko-gohan.jp/2008/09/89.html
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5. ハーレクイン- 2014/02/05 10:32
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これはパスですが、突き出しに出てきた一品。
これは見事ですね。
『アイリス』にパクらせてもらうか。
他の握りも美味そう。
明石のKIRINさん、でいいのかな。
お見事でした。
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6. Mikiko- 2014/02/05 20:05
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『鱧の湯引きと赤ウニ』でっか?
わたしは、ウニがイマイチですねー。
ウニだけ摘んで除けたら、怒られるかね?
高槻から明石なら、快速で1時間かからないじゃないですか。
行ってみなはれ。
↓お店の情報は、こちら。
http://tuer.jp/kilin/
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7. ハーレクイン- 2014/02/05 21:30
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よくわかるねえ「鱧の湯引きと赤ウニ」。
実はわたしもウニはパス、なんですよ。
どこが美味いのかさっぱりわからん。
『アイリス』でウニを出す羽目になったら、あやめさんにどう調理させるかなあ。
「不味いウニというのはまがい物で、ほんとに不味い。本物はとろけるように美味いのだ」、なあんて仰る向きもありますが。
ま、自分の舌に合わないものを、無理に食べることもありませんわな。
ははあ、希凛さんはやはり「きりん」か。
明石の寿司激戦区「魚の棚商店街」の一店だそうです。
「明石海峡の荒波に揉まれた……新鮮な魚介類」を楽しんでいただく、と。
♪明石海峡冬景色ぃ~
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8. Mikiko- 2014/02/06 07:41
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昔々、ある武将が、馬に乗って明石にさしかかりました。
海沿いの街道です。
突然、馬が棹立ちになったそうです。
ようやく宥めて、前方を見ると……。
街道を、何かが横切ってます。
蛸でした。
這ってたのではありません。
脚で起ちあがり、大手を振って歩いてたそうです。
明石海峡の激流に揉まれて育つ蛸は、脚が太短く、足腰が異常に強いのだとか。
「明石の蛸は立って歩く」。
有名な俚諺です。
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9. ハーレクイン- 2014/02/06 11:35
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また、よけいなウンチクを述べさせていただきますと、いわゆるタコの「脚」は、実はわれわれ脊椎動物や、また昆虫類でいう足(肢・脚)とは異なるんですね。
タコやイカなど軟体動物のいわゆる足は「触手」、または「腕」といいます。彼らは、逆立ちして腕で歩いているんですね。
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10. Mikiko- 2014/02/06 20:19
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お腹なんですよね。
そう言えば、ワールドカップを予想した蛸がいましたが……。
蛸は短命で、ワールドカップは、1度しか見れないそうです。
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11. ハーレクイン- 2014/02/06 22:00
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ははあ、この表現はなかなかよろしなあ。
“寿命は2~3年”なんて当たり前の言い方より、ずっと心に染みます。
謹んで、座布団1枚!
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12. Mikiko- 2014/02/07 07:55
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あの巨大なダイオウイカも、寿命は3年程度だそうです。
たった3年で、15メートルになるってことですよね。
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13. ハーレクイン- 2014/02/07 11:03
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人間は18年で1.8メートル。
こないだ、日本海で全長8メートルのダイオウイカが捕獲されましたね。残念ながら死んでいたそうですが。
鳥取県だったかな。