2013.10.15(火)
「あやめちゃん! いやあ、あやめちゃんやないの。いつ、もんて来たん!?(いつ、戻ってきたの!?)」
鞍馬駅前の通りを歩むあやめに、一軒のみやげ物屋の店先から声が掛かった。「くらま」という分かりやすい屋号である。
「ちょっと、入りよし」
「こんにちは、お久しぶりです。兄が待ってますんで……」
「なに言うてんのん。久しぶりに会うたに。ちょっとくらいかめへんやん。お茶くらい飲んでき。はいり、入りて」
抱きつかれ、抱え込まれ、半ば無理やり店内に引きずり込まれたあやめは、押し込むように肩を押えられ、丸椅子に座らされた。
懐かしい店内の様子を眺めまわす。菓子の包みや、雑多な土産物などが所狭しと並べられている。天狗のお面、牛若丸の可愛い人形、独楽、組み紐、鞍馬山の写真……。天井にも壁にも、凧や壁飾りなど色とりどりの商品が掛けられている。
どこにもある、観光地のみやげ物屋の風景だった。
この店内や店先で、ころげ回るように遊んだ幼い頃の思い出が一気によみがえった。
「ほれ、お茶。ほれにしても何年ぶりやろかねえ」
「すみませえん。おばちゃん、変われへんねえ、お店」
「ほらほや、変わるかいな。五年たっても十年たっても、店は店、鞍馬は鞍馬や」
あやめを捕まえたのは、幼いころからあやめを可愛がってくれたみやげ物屋「くらま」の女将、藤子である。四年前に鞍馬を離れて旅立つあやめを、涙交じりに見送ってくれた。
あやめの向かいにでんと腰を下ろす。
「ほんまに久しぶりやねえ。いっこも顏出さんと」
「すみません、もう四年になります。御無沙汰してました」
頭を下げるあやめの右手を、女将は小さなテーブル越しに取り、両手で何度も撫で擦る。
「ええねん、ええねん。大学、もう卒業やろ。もんてきたんやさかいなあ、あやめちゃん。これで『かわふ路』さんも安泰や。兄ちゃんも喜んではるやろ」
「かわふ路」は、あやめの実家の屋号である。鞍馬駅からは歩いて10分ほどの至近距離にある。地元では老舗の料亭であるが、ここ数年、客足は落ちていると、それとなく兄から聞いていた。
「ええ、いえ、あの……」
「なんやのん。また、兄ちゃんと店やるんやろ。あんたの腕やったら、あっちゅう間に客増えるがな。鞍馬も賑わうし、うちらもおおきに、いうことになるわなあ」
「いえ、あの……」
「なんやのん、どないしたん、はっきりしよし」
「ええ、あの……今度もんてきたんは、別の店に修行に出よ、思て……」
「修業! 何であんたが今更。ほの腕で十分以上にやってけるやん。大体があんた、高校のころから厨房の中心やったやないの。鞍馬では誰でん知ってるこっちゃ」
「そんな、うちなんかまだまだどす」
「うーん。まあ、あんたはそういう子やけど。ほんでもなあ、苦労しとるで、兄ちゃん。あんたが厨房に入ったら、絶対客増えるし、店も持ち直すがな」
「お店、そないに大変なんどすか」
「はいな。前の板長の相良はん。体いわしてもうてやめたやろ。まあ、もうたいがい歳やったしなあ。ほんで、下の子ぉが居つかいでなあ。何人も入ってはやめ、入ってはやめ……。別に兄ちゃんがこき使うとか、虐めるとか、待遇悪いとか、そないなこともないのになあ。
今はえーと、なんちゅうたかいな、幸治か、幸介とかいうたかいな。これがまた使いもんにならんみたいでなあ。今、厨房はほとんど兄ちゃん一人でやってるみたいやで」
「兄ちゃん、そないなこと、なんもうちに言わんし。板長はんがやめたんも聞き始めどす。知らんかった」
あやめは、藤子の話を聞きながら、ここ数年、あまりに店のことに無関心だった自分を省みた。
兄ちゃん……
「なあ、あやめちゃん。こんなん聞いたらあかんねやろけど、ほんでも気になってしゃあないから聞くんやけど、兄ちゃんの嫁さんて、どないなん?」
「どないて、おばちゃん……」
「ほら、人様のうち内のことや。ほないなこと聞くもんやない、くらいの分別はうちらかてある。
ほんでもな、あやめちゃん。うち、あんたを他人とは思てへん。あんたがどない思おうと、うちにとってあんたは娘どうぜんや。かわいいて可愛いてたまらん。ほんなあんたの家のこと、気になるやん」
「おおきに、おおきにおばちゃん。うちかておばちゃんはお母ちゃんやと思てる」
「ほうか。ほうか、あやめちゃん。そない言うてくれるんやったらはっきり聞くけど。あの、兄ちゃんの嫁さん、潔子はんやったかいな。どないやのん、あのお人は」
「どないって、おばちゃん……」
「店の女将やのに近所づきあいはせえへんし、お運びどころか、店の仕事ろくろくせえへんいう噂やで。座敷に挨拶に出るんは、じぶんの気に入った客の座敷だけやとか。気にいったいうんは、若うてハンサムな男、いうことやけど」
「おばちゃん……」
「あんたが店出て大学に行ったんも、あの潔子はんとあえへんかったからや、いうのんはこの界隈のだあれでも承知してることやがな。『潔子はんがあやめちゃんを追い出した』てな」
「やめてえや、おばちゃん。仮にも兄ちゃんのお嫁さんや。そないなこと、うちから言えるわけないやん」
「ああ、ごめん、ごめんやで。せやなあ、あんたはそういう子ぉや。ほんでもなあ『かわふ路』はんは鞍馬きっての老舗や。うちら、心配でなあ」
「おばちゃん……」
あやめは、「くらま」の藤子から聞いた話で少し暗い気持ちを抱えながら、実家の料亭の門前に立った
門脇の柱には「かわふ路」の表札。
何も変わっていない。あやめは門をくぐり敷石を踏んで玄関の前まで進み、改めて建物を見やった。柱の一本、瓦の一枚まで昔のままだった。
まさか玄関から入るわけにはいかない。それなりに大きな構えの建物の脇を回り込み、あやめは裏庭に回った。
裏庭には、けっこう大きな物置がある。その脇に、茱萸(ぐみ)の木。
ああ、まだあるんや。
懐かしさに駆け寄ろうとするあやめは、足を止めた。茱萸の木の脇に人影がある。二人。男と女だ。女はこちらに背を、男は顔を向けている。知らない顔だ。
女はよく見れば兄嫁の潔子だ。
男女は抱き合っている。女の両腕は見えない。男の背に回されているのか。男の両腕は、女をしっかり抱え込んでいた。
二人は口を合わせているようである。あやめは凍りついた。指一本動かせない。両足は、地面に縫い付けられたようだった。
男の手が女の尻に回り、スカートをたくし上げた。女のショーツが剥き出しになる。色は黒、尻のふくらみが半分ほど剥き出しになっている。男の手が、ショーツの上から女の尻を鷲掴みにした。
「はんっ」
女が声を上げた。
あやめの足が無意識に地を掻いたのだろうか。男が目を上げた。あやめと視線が絡み合った。
蛇の目だった。何の感情も表さない、死んだ魚の目のようだった。あやめの視線は、蛇の目に絡め取られた。
コメント一覧
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1. ハーレクイン- 2013/10/15 09:55
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今回冒頭の藤子おばちゃんのセリフ「いつ、もんて来たん」は、京都語で「いつ戻ってきたの」です。注釈を入れるつもりだったのですが、入れそこねたようです。
藤子はん曰く「高校のころから厨房の中心やったやないの」。
ほうか、あやめさんの料理の腕って、ほないに凄いんか。
ほらまあ、上には板長はんがおって全体を仕切ってはったんやろけど、ほうかあ、兄ちゃんも顔負けやな。
あ、あやめさんの兄ちゃんは、今回はまだ登場しません。
で、問題はその兄ちゃんの嫁、潔子はん。藤子おばちゃんによるとなかなかの?人物のようですが、初登場シーンがなんと浮気の現場。いやあ、物語りを盛り上げてくれはりますなあ。黒いショーツがエロいよ。
さらに「蛇の目」の男。
『豹(ジャガー)の目』や『虎の目』は聞いたことありますが、
蛇の目(Eye of Snake)!
一体何者。あやめさんにどう絡んでくるのでしょうか。
一気に緊迫する『アイリス』(近頃、アイリスオーヤマを連想するようになった)。それはともかく、
次回、乞うご期待。
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2. Mikiko- 2013/10/15 19:34
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京都弁を知らない人は、ミスタイプと思うかもね。
注釈、入れますか?
鞍馬駅前。
土産物屋が並んでるんですか。
何が名物なんでしょう?
鞍馬寺くらいしか無さそうだけど。
あ、『くらま温泉』ってのがあるようですね。
初めて聞く温泉ですが。
蛇の目。
最初、“じゃのめ”と読んでしまった。
今回は、はっきりした映像が次々見えて……。
2時間ドラマを見てるみたいで、とても面白かったです。
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3. ハーレクイン- 2013/10/15 20:21
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あ、入れさしてもろてよろしおますか。
ほなら……今回の1行目を以下のように変更お願いします。次回以後もこのような形で京都語解説が出てきます
「……いつ、もんてきたん!?」→「……いつ、もんてきたん!?(いつ、戻ってきたの!?)」
鞍馬駅前のみやげ物屋は二軒ありましたが、名物というほどのものはないようです。しいて言えば本文中に書きましたように、天狗と牛若丸ですね。鞍馬駅を出てすぐ脇には、人の背丈よりも高い巨大な天狗の面が飾ってあります。
蛇の目。
土俵話で出したばかりだからなあ。
「へびのめ」ですね。
お褒め頂きありがとうございます。
自分でもどうなってんねん、ですが、一気に筆が進み鞍馬話は終了。話は祇園に移りました。ここからが苦労しそうだなあ。
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4. Mikiko- 2013/10/16 19:37
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鞍馬駅の土産物屋。
名物も無いのに、よくやっていけますよね。
しかも、2軒。
同じ経営者が、2軒出してたりして。
『古事記』や『日本書紀』に出てくる猿田彦命が、天狗の原型のようですね。
赤ら顔で、鼻が高く、身長が七尺(210㎝)あったそうです。
これは、明らかに白人ですよね。
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5. ハーレクイン- 2013/10/16 20:34
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確認しました。
お手数でした。
観光地のみやげ物屋の売れ行きは、ほんとに客の出足次第だろうからなあ。夏はともかく、冬場は大変だろうね。冬の京都で鞍馬に行く人なんてあまりおらんだろうし。
だからこそ、あやめさんに頑張ってもらって料理で客を呼ぶ……藤子おばちゃんの思惑はそういうことなんだろうね。
鞍馬駅前の巨大天狗面。まわりの風景からは浮きまくっていますが、ああ鞍馬に来たなあ、とは実感させてくれます。
身長210㎝は凄いよね。
大関琴欧州が202㎝。
琴欧州の本名はカロヤン・ステファノフ・マハリャノフ。で、愛称がカロヤン。まんまやんけ。
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6. Mikiko- 2013/10/17 07:33
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鞍馬出身なんでしょうかね?
鞍馬天狗に扮した人が、ときどき駅前通りに出現するようにしたら、人を呼べないか?
鞍馬天狗に斬られると悪縁が切れる、とか宣伝すればどうでしょう?
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7. ハーレクイン- 2013/10/17 08:52
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それはただのお話や(あやめ)
えー、牛若丸に剣術教えたんじゃ(香奈枝)
それはただの伝説や(あやめ)
以上『アイリスの匣』#4より。番宣を終わります。
チャンバラの方は、とんま天狗も有名です。