2015.3.5(木)
吹き荒ぶ風に波の花が舞い上がる若狭の海も、今日は青黒い中に白い模様を描くだけの穏やかな日和であった。
海辺の小さな小屋の廻りに人足らしからぬ人影が見える。
「おい、錠をおろしな」
懐手のお竜が顎をしゃくると、若い者の一人が小屋の入り口に重い錠をかけた。
その様子を見ながら沙月女がお竜に口を開く。
「それでは、事が動き出すまで品物を頼む。しかし、こんな海辺のあばら家で大丈夫か?」
お竜は鼻で笑うと、その眼差しを面倒そうに海へ向けた。
「ここいらで、あたしの息のかかった物に近づく奴なんかいるもんかい」
「ふふ、いいだろう。だが油断は禁物……、この中の品物は小さな藩を動かすくらいの値打ちがあるんだからね」
そのやり取りを聞いて、沙月女の脇から一人の女が歩み出る。
年は二十代半ばくらいか、黒い細身の袴の様なものを穿いた上に、赤地に金色の縁取りの合わせを腰の帯で締め付けている。
黒髪を器用に頭の上で丸めた八頭身の佇まいは、海向こうの大陸の雰囲気を漂わせていた。
「ではここで一泊したら、私は仕入れに国へ戻ります」
妖しい笑みを浮べた女の顔を、お竜は驚きの表情で見た。
「あ……、大陸の人間じゃなかったのかい。あたしゃ、てっきり向こうの取引相手だと思ってたよ」
それを聞いた沙月女はさも可笑しそうに口を開く。
「あっははは、確かにこの華凜は清国の人間だよ。もっとも大陸で日本人の片親に育てられたそうだが……」
「母がこちらの生まれで言葉に不自由することはありません。華凜と申します、よろしく……」
沙月女は花凜の横顔を見ながら言葉をつなぐ。
「花凜には品物を運ぶばかりでなく、仕事場で売り物も作ってもらわねばならないんだ。この度の仕事の要なんだよ」
お竜は気もそぞろに話を聞きながら、女の色気が匂い立つ様な、華凜の腰のくびれから胸の膨らみに目線を巡らせていた。
「花凜さんとやら、よかったら今夜はうちでゆっくりと休んでおくれよ。これから長い付き合いになるんだからさ」
華凜は思わせぶりな眼差しをお竜に向ける。
「大陸の仲間も一緒だけど、親分さん、それでもいいんですか?」
とたんにお竜の顔が輝いた。
「いいともさ。だけど、あんたは別格の客分としてあたしがもてなしてあげるよ」
華凜は口元を押えてうつむくと、傍らの沙月女に含み笑いを漏らした。
「もう話は終わったのかい……? じゃあ、あたしたちは丹波へ発つよ」
退屈そうに松の幹に身をもたれていた春花が、大きな伸びをして口を開く。
市女笠を被った秋花も切り株から腰を上げた。
「羅紗と話をした後は、京で仕事場をあたってくるよ。じゃあね……」
肩を並べて歩き出した春花が、ふとその足を止めて前方の松林を窺った。
前を向いたまま秋花が口を開く。
「虜で手を出せないままの蠅が何匹かいるようだけど、行きがけの駄賃に始末していこうか……?」
二人の背中に向かって沙月女が言葉を返す。
「いいや、お前たちは丹波へ急ぐんだ。そいつらは若の居所が知りたいんだろう。わたしと飛燕で始末する……」
顔を見合わせて肩をすくめると、荷を背負った若い行商の女たちは再びゆっくりと歩き始めた。
本丸前に設えられた御前試合の桟敷に向かいながら、羅紗は秘かに溜息をついた。
若がさらわれて二十日を数えようとしているにもかかわらず、依然としてその行方さえ分からぬままだったのである。
二度も追っ手が退けられた今は、もうこれ以上危ない動きは出来そうにない。
若の身の上を思って、書付通り賊の申し出を待つしか方法はなさそうに思われた。
大殿の隣に座を占めると、羅紗は茣蓙の上にひれ伏した二人の剣士を見つめた。
「苦しゅうない。両名、面を上げよ」
重々しい大殿の声に、決勝まで勝ち進んだ二人の剣士がゆっくりと顔を上げる。
一名は筋骨隆々とした顎鬚の武士、もう一名は小柄な体に白い顔を輝かせた紅顔の美少年である。
艶のある若侍の髪に白鉢巻を巻いて、射抜く様な眼差しと唇をきつく結んだ顔つきは、その意志の強さを窺うのに充分であった。
“桔梗……。”
羅紗はその美少年の顔をじっと見つめる。
大殿は傍らの羅紗に小声で囁いた。
「指南役から他藩にまでその腕を認められてはおるが、三年も勝者が女人とは、わしも複雑な心持じゃ……」
「父上様、亡くなった左内様も娘がこのように立派に育ち、さぞかし喜んでおられるに違いありません」
「しかし今は我が藩の一大事……。もし桔梗が勝ち残れば、ここは若の救出に隠密裏に動いてもらわねばならぬ」
羅紗は再び憂いの浮かぶ顔を桔梗に向けた。
大勢の観客が取り巻く中、前に進み出た剣術指南役が殿に向かって深々と頭を下げた。
大殿が深く頷くと、指南役は二人の剣士を振り返る。
「両名、立ちませい!」
かけ声と共に決勝まで勝ち進んだ二名が立ちあがった。
向かい合って礼を交わすと、髭の剣士が右手を木刀の束にかける。
両腕の筋肉を隆起させて、長い木刀を正眼に構えた。
男装の女剣士“桔梗”は、何故か両脇に差した大小の木刀に手を伸ばす。
両手を交差させて二本の木刀を抜くと、射抜く様な眼差しで相手を見据える。
そしてゆっくりと右手の大刀を上段、左手の小刀を胸の前で斜に掲げた。
両者の足がじりじりと小砂利を噛んで、髭の剣士が鋭い気合を桔梗に浴びせる。
動じる気配も無く木刀をかざしたまま、桔梗は右足を微かに引いた。
次の瞬間、正眼から跳ねあがった木刀が桔梗の額を襲う。
小柄な桔梗の身体が後方に飛んだ。
顔の前で空を切った木刀が、出足鋭く二の太刀三の太刀と桔梗を追う。
四の太刀が襲った瞬間、桔梗の後足が地面を蹴った。
打ち込まれた太刀が桔梗の大刀の上で滑った時、その小柄な体が消えた。
肉を叩く鈍い音と共に、髭の剣士の大きな身体が土の上に転がっていた。
桔梗の左手の小刀が、相手の胴深くに打ち込まれていたのである。
「それまで!」
指南役の右手が勝者を指す。
大勢の拍手と歓声が飛び交う中、大石桔梗は深々と桟敷に向けて頭を下げた。
「羅紗様、大石桔梗、参上致しました」
「ご苦労。苦しゅうない、入りなさい」
桔梗は膝を擦って部屋に上がる。
敷居の手前で控えた桔梗に、羅紗は改めて顔を向ける。
「桔梗、苦しゅうない。もそっと、近こう……」
膝を擦りながら近づく桔梗の顔が、何故かほんのりと赤らむ。
「そなたを呼んだのは他でもない。さらわれた若の件じゃ……」
悲しげな羅紗の顔を見て、桔梗はその凛々しい眉を吊り上げる。
「承知しております。なにゆえ早く私に声をお掛けにならなかったのですか?」
みるみる目を潤ませた羅紗は、無言のまま桔梗を見つめた。
「わたくし早速、手練れを率いて……」
今にも腰を上げようとする桔梗に、慌てて羅紗は首を振る。
「賊の書付にもある様に、若を虜にされた今、軽はずみな事は出来ないのじゃ……」
それを聞いた桔梗はその桜色の唇を噛んだ。
「では、今は賊の言うがまま、何も打つ手が無いと……?」
口惜しげな桔梗に羅紗は口を開く。
「お庭番の便りでは、知らせまいとしたにもかかわらず、伊織様とお蝶さんが江戸を発ち若狭へ向かったとのこと……」
「伊織様が……」
桔梗の脳裏に、子供のころ見た剣術に励む伊織の姿が蘇った。
「お前には単身密かに丹波を発ち、伊織様をお助けして若を取り戻してもらいたいのじゃ」
密命を聞いた桔梗の表情に険しさが加わる。
「桔梗……、丹波に帰り伊織様が去って以来、そなたはいつも私を支えてくれました。このような危ないお役目を、私もお前に頼みたくはない。しかしお前以外に出来る者も、頼める者もいないのじゃ……」
顔を伏せた羅紗の目から熱い滴が流れ落ちた。
そんな羅紗の様子に、思わず桔梗は膝を立てて羅紗の肩を抱いた。
「羅紗様、よくぞ私に声をおかけくださいました。大石桔梗これより出立し、伊織様をお助けして、必ずや若をお連れ申し上げます」
「桔梗……」
その胸に抱かれたまま、羅紗は泣き濡れた顔を上げて桔梗を見つめた。
近くで見つめ合った互いの眼差しが恥ずかしげに伏せられる。
こんな時であるにも関わらず、羅紗は身体の一部に熱く血が集まるのを感じた。
「羅紗様、ではわたくしはこれにて……」
ずり下がる桔梗に羅紗の声がかかる。
「桔梗! 必ず無事に戻って来るのですよ、私の為にも……」
桔梗はそんな羅紗の顔をしばし見つめると、振り切る様に廊下を去って行った。
大石桔梗が去った後、しばらく魂が抜けた様に座っている羅紗の耳に、慌ただしく廊下を近づく足音が聞こえた。
「羅紗様、羅紗様!」
尋常ではない腰元の呼び声に羅紗は顔を上げた。
「何事です」
腰元は部屋の前で伏せた顔を上げると、息を切らして口を開く。
「羅紗様とお話がしたいという者が参っております。鶴千代様の着物の切れ端を持参しておりまして、今大手門より中に入って参ります!」
羅紗は顔色を変えて立ち上がった。
部屋を出て大手門の方に面した欄干に飛び付く。
外門から城に向かって警護の者がひしめいていた。
“あ、あれは………。”
やがて門から若い二人の女が姿を現す。
そして不敵にもその女たちは、殺気立った警護の者たちの間を堂々と城に向かって歩いて来るのだった。
コメント一覧
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1. Mikiko- 2015/03/05 19:54
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昔はまさに、日本海側が表日本だったのです。
対岸には、貿易相手となる、大陸や朝鮮があったのですから。
昔の航海技術では、太平洋を渡るなんて無理なので……。
太平洋側の海は、まさしく地の果てで、その向こうは何も無いと一緒だったんですね。
北陸新幹線開業まで、あと9日。
敦賀までの延伸は、7年後の2022年。
でも、敦賀以西は、まだルートも決まってないそうです。
↓残念ながら、若狭を通る可能性は低そうです。
http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/super_expless/36079.html
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2. ハーレクイン- 2015/03/05 21:23
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なんか、すごいことになって来たなあ『元禄根来』。
えーっと、元禄時代の大陸王朝といいますと……ああ、もちろん「清」ですね(本文にもあるぞ)。
北陸新幹線といいますと、今日のテレビで「黒部宇奈月温泉駅(長いって)」の特集をやっていました。もちろん温泉ネタです。
温泉女将が↓こんなこと言ってました。
「確かに新幹線は有難いし、お客さんもようけ来てくれはるやろけど(このところ、客足は落ちているそうです)、ほんでもそれはいっときのことやと思いますし、いつまいでも持つもんでもおへん。一過性のもんですやろ。
新幹線に頼りっきりやのうて、この機会にいろいろアイディア出して、宇奈月をしっかりアピールせなあかん思います」。
地元ではもっと浮かれてるかと思ってましたが、意外と冷静でしたね。それだけ近年の宇奈月の落ち込みが激しい、危機感が大きい、ということなのでしょうか。
頑張ってほしいものです。
すんまへん。『元禄』も「清」も「若狭」も「丹波」も、どっか行ってまいました。
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3. Mikiko- 2015/03/06 07:51
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浮き立ちそうになる思いを、懸命に抑えてるんでしょうね。
『黒部宇奈月温泉』という駅名は、宇奈月温泉にとって、最高なネーミングだと思います。
『宇奈月温泉』より、はるかにいいです。
なぜなら、黒部を知ってる人も、宇奈月温泉を知ってる人もたくさんいるでしょうが……。
両者が近くにあることを知る人は、数少ないと思えるからです。
実際、わたしも知りませんでした。
「黒部を見て、宇奈月温泉に泊まろう」と考える人が、ぜったいに増えるはずです。
宇奈月温泉、未来は明るいぞ!
わたしをタダで泊めてくれ。
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4. ハーレクイン- 2015/03/06 10:21
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わたしにとってはやはり黒部トロッコ鉄道、「黒部峡谷鉄道」ですね。
元々は黒部ダム建設の際に、資材運搬用に敷設された軌道ですが、今は黒部川沿いに走る観光路線として、関電(の完全子会社)のドル箱になっています。
発足当初は、関電の作業員に便乗するという形で、切符は乗車券ではなく「便乗券」と称し、券面には「命の保証はしない」との注意書きがあったとか(出典Wiki)。
黒部峡谷鉄道。
軌間762mm(いわゆるナローゲージ、JR在来線は1,067mm)。
路線総延長20.1㎞。
始発「宇奈月駅」、終点「欅平駅」。起・終点を含む駅数10。
全線単線・全線電化。
積雪のため、冬季(12月-翌4月)は全面運休。
黒部トロッコ鉄道。
京都嵯峨野のトロッコ電車なんぞは足元にも及ばない超人気路線で、切符を手に入れることすら難しいとか。
死ぬまでに一度乗ってみたいものです。
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5. Mikiko- 2015/03/06 19:44
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トロッコなんぞに乗りに行く人の気が知れんわい。
招待されたら、どうするかな。
宇奈月温泉での1泊付き(1万円以上の部屋)なら、応じても良いぞ。
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6. ハーレクイン- 2015/03/06 21:04
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トロッコといっても、龍之介の、みたいんじゃないぞ(あれはあれで楽しそうだが)。
軽便鉄道とはいえ、立派な車両だ。それよりも何よりも、雄大な立山(たてやま)山麓の景色を楽しみたまへ。温泉1泊ご招待なんぞ、目ではないわ。











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