2014.5.17(土)
細い道は鬱蒼たる森の中で途切れもせずに、まるで昔話に出て来そうな山里に亜希子を導いた。
「ふう、やっと村に入りました」
ハンドルを握る小山内薫が村の景色に視線を巡らせながら呟いた。
「すいません。長い時間運転してお疲れになったでしょう?」
田代亜希子の恐縮した口調に、薫は助手席に笑顔を向ける。
「いえ、大丈夫です。ここに来ると、何だか私ほっとするんです。本当に何にもない村なんだけど。ほら、あそこ……」
亜希子が薫の視線の先をたどると、谷あいのせせらぎを挟んで民家が散在する集落の景色が目に入った。
「着きました? まあ、相変わらずきれいな所だわ」
いつ目を覚ましたのか、先ほどまで後部座席で寝息を立てていた真希が声を上げた。
「田代さん、今回は絶対いい写真が撮れますよ」
「ええ、そうね。それにあなたもこの辺りの出身ってことで、いい場所も知ってるでしょうし」
「ええ、今回は任せて下さい」
「うふふ……、じゃ社に帰ったら編集長が唸るようなやつをお願いね」
「それを言うなら、また亜希子さんの湯煙美人写真を撮るのが一番ですよ。あははは」
「何言ってるの。被写体ならスタイルが良くて若い貴女が一番でしょう?」
「でも温泉だとそうじゃないんだなあ。あたしの場合は海とかむしろ街中。亜希子さんの入浴シーンに魅せられて、また男性読者が増えますよ」
「いいえもうたくさん。そんな時間もありません」
そう言いながら亜希子は、調子のいい真希の言葉に頬を緩めた。
せせらぎ脇の小屋の前で日の光に輝きながら、まるでスローモーションのように水車が廻っている。
亜希子がうっとりとその景色に目を向けた時、水車小屋の暗い中から小脇に桶を抱えた少女の姿が現れた。
長い黒髪が日に輝き、水車と同じようにゆっくりと風に揺れる。
車で通り抜けざまに、少女の透明な眼差しが亜希子を捕らえた。
「あ……」
まだ成人前と思われるその少女の姿は、見る間に車の後方に消えた。
「え? ……何かありました?」
薫は亜希子に問いかけた。
「え、ええ、女の子が……」
「女の子? 女の子がいましたか」
「ええ、あの、水車小屋のところにいたんです」
「そうですか……」
相変わらず山道をたどる車の中で亜希子は薫に尋ねた。
「十日室は近くなんですか?」
「いえ、まだこの集落から車で30分くらい登ったところです。県の林業管理宿舎もその近くにあります。宿舎といっても古い木造の平屋ですけど」
「そうですか」
亜希子は薫の公務員口調に簡単に返事をした。
「十日室は明日の夜半から始まります」
「なるほど、わかりました」
無機質な会話が終わると、後部座席から真希が口をはさむ。
「ところで、食事はどうするんですか?」
「食事は3食とも近くの民家に委託してあります。山奥といっても林業で栄えた場所ですから、山菜、川魚、イノシシなど、なかなか美味しいものが出ますよ」
「わ、それは楽しみ」
「うふふ……」
飾り気のない真希の言葉に、亜希子と薫は顔を見合わせて笑みを漏らした。
田代亜希子は、国内観光や地方の歴史・風習を紹介する出版社に勤めている。
結婚して年も30を過ぎたが、未だ子供が出来ないまま、大学卒業以来の慣れた仕事を続けているのだ。
「出張は十日間かい? 頑張っていい記事が出来るといいね。じゃ、気を付けて」
幸い亜希子の仕事に理解のある夫は、今回も優しい言葉で送り出してくれた。
今回は地方の祭りと風習を特集する増刊号の取材で、亜希子はカメラマンの大北真希と共に岡山県の山奥を訪れていた。
このような雑誌は村興しの効果もあるため、時々地方自治体の協力が得られることがある。
今回も岡山県庁の地域振興課に所属する、小山内薫という亜希子と同年代の女性が案内してくれた。
公務員ということで少々垢抜けない装いではあるが、すらりと理知的な美人である。
しかし亜希子は今回の取材にいつもと違った雰囲気を感じていた。
編集長からではなく、社長自ら亜希子に辞令が渡された。
“十日室………?”
亜希子は予めネットでその行事を調べてみることにした。
ところが意外なほどその検索結果は少なかった。
“あまり有名でもない因習なのかな……?”
要するに、ふもとの村を守る"山"の神事である。
山の中腹にある室(洞窟)にまだ汚れを知らぬ処女(巫女)が十日間、その年の恵みを祈って籠るのだ。
よくありそうな神事の検索結果を見ても、まだ亜希子の不審感は消えなかった。
掲載されている文章のつながりで、いくつも書き込みが削除されている感じがした。
その上書き込み内容にほとんど巫女に関する記述がないのである。
“生け贄……”
訳も無く脳裏にそんな言葉が浮かび、亜希子はどういう訳か身体が熱くなるのを覚えた。
薫は押入から出した座布団を庭先ではたき終えると、座敷に座った亜希子と真希にそれをすすめた。
「昔の造りで申し訳ありませんが、お風呂とトイレが庭先の離れになってるんです。私も最初は夜中に用を足すのが怖くて………。まあ汲み取り式だから、仕方ないんですけど」
薫の言葉を聞いて、亜希子は畳の間から縁側越しに庭を眺めた。
なるほど母屋から10メートルほど離れた庭の向こうに風呂と便所の小屋がある。
そしてその風呂の先にも、8畳一間くらいの造りだろうか、別の小屋が建っているのが見えた。
「あのお風呂の向こうの建物は………?」
「あれは木こり達の休憩小屋です」
そう答えた後、薫はすぐに言葉を継いだ。
「でも男の人はあまりこの山には入らないんです。このお山は女性だそうで……」
「女性……?」
不思議そうな顔をした亜希子に、薫は続ける。
「何故か男が嫌いで、昔からお山に男性が入ると災害や飢饉が起こると言われてきました」
「あっその話、あたしも小さいころおばあちゃんから聞いたことがあるわ」
畳に両手をついて座布団の上の膝を崩しながら、眉を寄せた真希が言った。
「ええ。だから男手が入れないので、この山では林業は行われていません」
「へええ、ではこの山では十日室の神事だけが主だった行事ということなんでしょうか……?」
亜希子のつぶやきに、薫はうっすらと笑みを浮かべて頷いた。
コメント一覧
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1. ハーレクイン- 2014/05/17 08:36
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八十郎さん
お久っ。
新作「十日室」。
「とおかむろ」でいいんですかね。
神事ですか。
実に怪しげな雰囲気ですねえ。
横溝正史か江戸川乱歩かというところかな。
で、とりあえずの登場人物は、ライター(でいいんですよね)の田代亜希子さん、公務員の小山内薫さん、カメラマン大北真希さん。
そして、謎の少女。
舞台は岡山の山中ですか。しかも男子禁制。
ますます怪しげですねえ。
楽しみです。
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2. Mikiko- 2014/05/17 13:11
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大好物です。
岡山県と云えば……。
何といっても、横溝正史の岡山編ですね。
『本陣殺人事件』『獄門島』『八つ墓村』『悪魔の手毬唄』。
すべて映画にもなってますね。
やっぱり、映像的に頭に残ってるのは、『悪魔の手毬唄』かな。
岡山県は、移住したい場所のひとつ。
岡山市は政令指定都市だし、ちょっと山の方に行けば、自然がたくさん残ってそうだし。
わたしの好きな、内田百閒や吉行淳之介の出身地でもあるしね。
地震の確率は、ちょっと高めですが(東京と同じくらい)。
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3. 八十郎- 2014/05/17 18:15
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有難うございます、ハーレクインさん。
ええ、とおかむろ、というつもりで名付けました。
ひょんなことから、似たような風習のある(あるんだそうです)阿蘇の山奥で仕事に携わってるので、こんな題材と名前を思いついたんでしょうか。
多少でも面白く官能的なところがあればいいのですが。
Mikikoさん、またお手数をかけ恐縮です。
岡山は仕事の関係で一年ほど滞在しました。
もっぱらの活動範囲は倉敷、福山(広島県)だったのですが、時折誕生寺などを経て津山方面にも行くことがありました。
少し山に分け入ると、映画「八墓村」(金田一:渥美清)の音楽が聴こえてきそうな場所ではあります。
「食べなさい」というのを、「食べられい」なんていう、
時代劇調の方言が面白かったな。(笑)
では失礼します。
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4. ハーレクイン- 2014/05/17 18:37
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岡山出身の作家といいますと……、
岩井志麻子がいます。
ホラー短編集『ぼっけえきょうてえ(岡山弁で、すごく怖い)』が代表作ですかね。『がふいしんぢゆう』(合意情死)もいい味出してます。
Mikikoさん情報によりますと、精力的に執筆されておられるとのこと。楽しみです。
わたしも頑張って書かねば。
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5. Mikiko- 2014/05/17 19:54
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全国の県庁所在地の中で、降水量1mm未満の日数が一番多いそうです。
いいですなぁ。
でも、県北の山地は、日本海側気候で、豪雪地帯。
津山は盆地ですね。
わたしは桃が大好物。
岡山の白桃。
よろしなぁ。
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6. ハーレクイン- 2014/05/17 20:37
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雨があまり降らない、ということですね。
元々、瀬戸内海沿岸は雨が少ないですからなあ。
桃が好物。
桃太郎さんみたいだね。
♪ひっとつ、ぅわったしにくっださいな~
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7. Mikiko- 2014/05/18 09:47
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本日投稿の本編に、「桃太郎が産まれた桃」というフレーズがありました。
不思議な偶然ですね。
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8. ハーレクイン- 2014/05/18 10:43
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読んで驚きました。
で、いちおう書いておきましょう。
お供のイヌ・サル・キジが桃太郎さんにねだるのは、もちろん桃ではなく、キビだんごですね。