2013.7.4(木)
優美は洗濯物をたたむ手を止めて、窓の外に降り注ぐ初夏の日差しに目を細めた。
一人でいる時、優美の心を支配してしまう事は決まっていた。
それは前触れも無く、忽然と姿を消してしまった人のことだった。
裏切られた様な、しかし一方では何か大変な事が起きた様な気がしていた。
玄関のチャイムで優美は我に返った
たたんだ洗濯物を壁際に置いて玄関へ向かう。
玄関ドアを開けると、ファッション雑誌から抜け出たような可愛い少女が立っていた。
「あ、あの、こんにちは・・。」
要件を聞くのも忘れて優美は口ごもった。
その少女は人懐こく笑いながら口を開いた。
一見若いテレビタレントの様に見えて、優美を見返すその瞳は少女らしからぬ不思議な魅力を湛えている。
「あの、副島優美さんですか? 私、矢野彩香と申します。実は私、沢田奈緒子さんと同じ職場にいた者なんですが・・。」
優美は胸を突かれる思いだった。
奈緒子との関係で第三者に会うのは不安だった。
しかし今は、奈緒子の安否を知りたい気持ちの方が優美を支配した。
「ここでは何ですから、どうぞお上がりください。」
優美は彩香をリビングへ案内した。
「いいお住まいですね。」
彩香はお茶を口元に運んだ後、リビングから庭先へと視線を巡らせながら言った。
優美は軽く会釈を返したが、すぐ彩香に問いたださずにはいられなかった。
「あの・・、沢田さんのことで何か・・? 沢田さんに何かあったんでしょうか・・?」
彩香はお茶をテーブルの上に戻すと、その表情を曇らせて言った。
「ええ、副島さんが大変心配なさってると思いまして。実は沢田さんに頼まれてこちらに伺ったんです。」
「えっ、奈緒子さんに・・・?」
優美はその表情を硬くした。
「沢田さんは色々仕事の件で非難を浴びて、仕事先との癒着も明るみに出てしまったもので、会社にいられなくなって辞職されたんです。」
優美は呆然と彩香の顔を見つめた。
「そして損害賠償などの訴追を受けない事を条件に、沢田さんは東京を離れてしまわれました。」
「そ、そんな・・・。」
優美は胸を締め付けられる思いでテーブルの上に視線を落とした。
「だけど副島さんは本当にいいお友達だったし、きっと心配してるだろうから、副島さんの所にだけは行って欲しいと、あたしに頼んだんです。」
「そんな・・、そんなことって・・・、う・・うう・・。」
優美はぽろぽろと涙をこぼした。
「ううう~・・・、そんな勝手に・・・。」
そんな話、信じられなかった。
そして何故自分に話をしてくれなかったのか、自分とはその程度の関係だったのか、悲しくて、悔しくて、とうとう彩香の目もはばからずテーブルに伏して泣いてしまった。
「・・もう、・・帰ってください・・・。」
優美はやっとのことで彩香に告げた。
じっと優美の様子を見ていた彩香は、静かに立ち上がって玄関へと歩き始めた。
しかしリビングのドアに手をかけた彩香は、ふと優美を振り返って口を開く。
「副島さん、本当の事を申し上げましょうか・・。」
優美は顔を上げ、赤く泣きはらした目で彩香を見た。
彩香は改めてソファーに座り直すと、今回の失踪にまでつながる経緯を一部を除いて優美に告げた。
除いた一部とは、彩香が奈緒子と過ごした一夜のことであった。
優美への配慮もあったが、彩香が初めて身体の喜びを共にした大事な思い出でもあったのである。
優美は呆然とガラステーブルの上を見つめながら話を聞いた。
音も無くその頬を涙が伝い落ち、テーブルの上で美しく輝いた。
「沢田さんは自分を犠牲にしてもあなたを守ろうとしていました。そして自分がいなくなることが、あなたの為だと・・。」
彩香は静かにソファーを立ち上がって、優美の横に腰を降ろした。
「沢田さんは、心からあなたを愛してたんです。あなたと同じように・・。」
優美の脳裏に、心も体もひとつに溶け合った奈緒子との日々が鮮やかに蘇った。
その時、震える優美の肩さきにふと彩香の手が添えられた。
「あっ、やめて・・。」
優美は虚を衝かれて身体を小さく弾ませた。
彩香は一瞬驚いた様に長い睫毛を瞬かすと、珍しく顔を赤らめて言った。
「あら、すいません。あたしそんなつもりじゃ・・・。それに私、お金にならない事はやらないんですよ。」
彩香は再び玄関へと歩き始めた。
今度は優美も立ち上がってその後に続く。
玄関ドアを開けながら、彩香は再び口を開いた。
「あたしの仕事は、時々人を不幸にしてしまうんです。でも、沢田さん最後に言ってました。優美さんは必ず幸せになれる人だって・・・。では私、ここで失礼します。」
彩香が外に出ようとした時、後ろから優美の声がした。
「矢野さん。私は、奈緒子さんもきっと幸せになれる人だと思っています。それは私の幸せとは、また違ったものかもしれないけど・・。」
彩香は玄関から外へ出ると、優美を振り返って少女らしい笑みを浮べた。
「ええ、そうですね。では、もうお会いすることもありません。お元気で・・。」
静かに玄関ドアが閉められた。
傾きかけた日差しが彩香の顔を照らした。
アプローチを道路へと歩きながら、彩香はぽつりと独り言を言った。
「お金にならないことはやらないか・・。今日は私のサービスよ、優美さん。」
初夏のそよ風に艶やかな髪を光らせながら、その少女は去って行った。
コメント一覧
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1. ハーレクイン- 2013/07/04 08:39
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それはなかろうと思うがどうなんでしょうね。
経理のプロ、Mikikoさんの見解は。
>何故自分に話をしてくれなかったのか、自分とはその程度の関係だったのか
ま、これはねえ、よくある事態だが。
話さなかったから軽い関係ということではないよ、優美ちゃん。
大事な相手だからこそ話せない、ということもあるからねえ。
>それに私、お金にならない事はやらないんですよ
プロだなあ、彩香ちゃん。
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2. Mikiko- 2013/07/04 19:23
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これは、ありがちな話です。
信用組合とかの使い込みですね。
大金であれば、当然表沙汰にせざるを得ず……。
使い込んだ職員は刑事告訴され、損害賠償を請求されます。
でも、それほどの額でない場合……。
対外的な信用の方を重視した処置が取られる場合もあるようです。
つまり、上層部で埋め合わせをし、職員については、ただの解雇で済ませるだけどか。
お金にならないことはやらない彩香。
プロって言うか、おそらく潔癖なんでしょうね。
やっぱり、くノ一のイメージが重なりますね。
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3. ハーレクイン- 2013/07/04 19:57
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>上層部で埋め合わせをし、職員については、ただの解雇で済ませる
それでいいのか、とも思うが、ま、これが「大人の対応」というやつなのかなあ。
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4. Mikiko- 2013/07/05 07:48
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会社というより、現経営陣に一番ダメージが少ない幕引きが選ばれるわけですな。