2012.11.8(木)
緞帳がゆっくりと降りてくる。
もうすっかり幕の向こうに客の顔が見えなくなると、満面に笑みを浮かべてお蝶が口を開いた。
「ねえねえ八十さん、あたし最後んとこどうだった? よかった?」
「なに、よかったなんてもんじゃねえ。いつだってお蝶さんはとびっきりでさあ。」
「ほんと? だって団子三本なんて持たすんだもん、何かいわれがあったのかい?」
「えへへ、いや別段・・・。ただ、何となくなんですがね・・・。」
「ほらごらん。いつもこんな調子なんだからもう。大体あんたね・・・。」
「まあまあ、お蝶、もういいじゃないか。明日からはまた新しい出し物なんだ。今日は千秋楽の無礼講で、一杯やりに行こう。」
「わあっ、菊ちゃん行こう行こう。あたしむすっと黙ってばっかりで、もうぱあっと騒ぎたかったのよ。」
「よっ、水月さん、あなた舞台の外ではとたんに賑やかですね。ぱあ~っと、いやいいですねえ~。行きましょう、行きましょう。」
「あら、八十さま。あなた女ばかりの中に男一人でお出でになりますの?」
「あいたっ、羅紗様、そうでした。綺麗どころの中にあたしみたいな親爺は目の毒、じゃなかった目の汚れ・・・。どうぞ皆さんで行っておくんなさい。」
「ふ~ん、大人は難しいのね・・。」
「そうだ、春ちゃん秋ちゃん。おじちゃんと一緒に行こうか、ご馳走するよ。」
「いやあ~だ、八十さんと一緒なんて。それに浮世絵の先生たちが沢山、あたいたちのこと描きたいって表で待ってんのよ。」
「ああ、そうか・・。そいつは行かなくちゃいけねえなあ・・・。」
「まあ八十さん、可哀そうに・・・。私でよければ一杯お付き合いしますよ。」
「ありがてえ、美夜叉さん・・・。役どころと違ってあなたあ、いつも優しいねえ・・。でも今日はめでてえ打ち上げの日だ。あたしなんかに構わず、どうか皆さんと一緒に行っておくんなさい。」
「そうですか・・・? では遠慮なく。赤さん黒さん、参りましょうか。」
がやがやと綺麗どころの声が表に遠のいて行く。
八十さんは何となく寂しげな様子で、表に続く暖簾を上げながら振り返った。
「え? 何ですお客さん。お通はどうしたんだって・・・? あれっ? お客さん、お通は、お通さんは・・・お蝶さんの一人二役。早変わりですぜ。
最初からお通の役者さんは、居やしなかったんで・・。二人に見えたんなら、お客様の優しい心が二人に見せたんでさあ。」
その時、表から八十さんに黄色い声がかかった。
「ちょいと八十さん、何やってんのう? 早く来ないと行っちゃうようっ!」
とたんにどっと若い女たちの笑い声が上がる。
「おおっとお客さん、お呼びだ。世の中捨てたもんじゃありませんねえ・・。血なまぐさいお話の後でも、この暖簾ひとつくぐって表に出りゃあ、天下泰平元禄の世だ。
お客さん、今日は長いこと観てくださって有難うございました。それじゃあ、また・・。はあ~い、今行きますようっ!!」
八十さんが暖簾の向こうに姿を消すと、表でまたどっと笑いさざめく声が上がった。
完
●次回からは、新シリーズの連載が始まります。
コメント一覧
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1. ハーレクイン- 2012/11/08 11:11
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八十さん。
頭領役、美夜叉さんまで出してオールスターキャストご披露のおつもりだろうがのう。
どなたかお一人、お忘れじゃござんせんかってんだ。
そりゃああんまりつれなかろうぜ。
江戸娘の怨みは怖いですぜえ。
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2. ハーレクイン- 2012/11/08 11:52
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おおっと、うっかりしていたぜえ。
ご挨拶を忘れてました(アホか、忘れてどうする!)。
長の御連載、お疲れ様でした。『元禄江戸異聞』。
正・続、休憩、最終章・現・夢をあわせ全55回の大長編。
物語とはこう作るのだ、ということを学ばせていただきました。
誠に素晴らしい物語。
古くからの読者さんがついておられるのも納得、の『元禄』でした。
小生もかくありたい、と心を引き締めております。
失礼ながら、今後の御健筆をお祈り申し上げるとともに、Mikiko’s Roomへの変わらぬご支援をお願い申し上げます。
恐々謹言。
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3. Mikiko- 2012/11/08 20:12
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八十さんの女装だった、てことじゃないですか?
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4. ハーレクイン- 2012/11/08 20:30
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83の助走。
あれ?
八十さんの女装。
うーむ。
いいのか、それで。八十郎。
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5. 八十八十郎- 2012/11/13 21:22
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僕の女装でお許しいただければ、この上もなく幸いであります。
長い間、お付き合いいただき、本当に有難うございました。
あっという間に師走が近づいて参りましたね。
皆さん、もうしばらく身体に気をつけて、また美味しい正月のお屠蘇をいただきましょう。
いくらなんでも、ちと早すぎたか。(笑)